2020@TOKYO

音楽、文学、映画、演劇、絵画、写真…、さまざまなアートシーンを駆けめぐるブログ。

■パリのめぐり逢い

2007-07-10 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  もう一度見たい映画というものがある。それは、誰にでもあるのだと思う。昔はそういうことが仲間同士の話題になり、渋谷や新宿、池袋の三本立て映画館の情報収集に走ったものだ。実際、私の周りには極端な映画好きが大勢いた。友人のKは学生時代の文集に、『フェリーニを上映している映画館の小便臭い暗がりが、僕の告解室だった』と書いていたが、こういう話は当時の多くの若者が実践していた。

  80年代に入って、ビデオテープというものが普及してからというもの、“どうしても見たい映画”は、いとも簡単に家庭で見ることができるようになった。初期の頃のビデオレンタル料は、映画一本分くらいの値段だったような記憶があるが、それでも私たちはレンタルビデオ店から貪るように借りまくった。
 
  ところで、昔も今も、クロード・ルルーシュの「パリのめぐり逢い」をレンタルビデオ店で見かけた人がいるだろうか? 現在、TSUTAYAなどのリストにこの作品は登録されておらず、それどころか、ビデオやDVDでリリースされた形跡もない。ルルーシュの「男と女」や「白い恋人たち」、それに「愛と哀しみのボレロ」などは何度も形を変えてリリースされているようなのだが、「パリのめぐり逢い」に関しては、フランシス・レイのサントラが発売されているだけだ。著作権の問題なのだろうか?これほどの名画がパッケージソフトの形で残されていないことは不思議だ。

  「パリのめぐり逢い」には、格別の思い出がある。学生時代、渋谷に全線座という映画館があって、300円(確証はないが、おそらくこの金額だったと思う)で、2本か3本の映画を見ることができた。件の映画は、そこで見た。そのとき、同時に上映されていた映画のタイトルは覚えていない。この映画館で見た作品の中で、記憶に強く残っているのは、「YOU」「いちご白書」「リスボン特急」「アデルの恋の物語」などだが、とりわけリスボンやアデル、それに「パリのめぐり逢い」といったフランス人の作品の映像が強く焼きついている。

  「パリのめぐり逢い」の主人公は、イブ・モンタンとキャンディス・バーゲンである。当時、まだ10代だった私にとって、妻帯者のイブ・モンタンが若い女性(キャンディス・バーゲン)と恋に落ちるくだりは、今ひとつピンと来なかったが、次の二つの場面だけは鮮烈に覚えている。人気テレビキャスター役のイブ・モンタンは、スタッフの女性(キャンディス・バーゲン)を連れてアフリカに出かける。これは、俗に言う浮気旅行である。フランスに戻ったとき、空港のテラスに奥さんが迎えに来ている。イブ・モンタンは機内でスタッフの女性を言いくるめて座席に残し、一人でタラップを降りる。この場面、イブ・モンタンがタラップに登場し、奥さんが大きく手を振る場面で流れるのが、フランシス・レイの「カトリーヌのテーマ」。オルガンによる哀愁漂うメロディーだが、寒々とした空気をなおも切り裂いて、その先に人が安らぐ暖炉を探すように、音楽は短調から長調、そしてまた短調へ、目まぐるしく変化する。

  やがて、場面は移り、奥さんと再生の旅に出るイブ・モンタン。アムステルダムの橋の上で、超小型のカメラ(たぶんミノックス)を取り出して奥さんを撮影する、その姿の何という格好よさ。「パリのめぐり逢い」を初めて見てから、おそらく35年以上の年月が流れているのだろうが、私自身の心の中にある“男の格好よさの見本”は、あの映画の中のイブ・モンタンである。

  だからこそ、もう一度見てみたいのだ。あのときのイブ・モンタンよりも年をとっている自分が、どのように「パリのめぐり逢い」を受け入れるのか?どうしたら、あの映画を再び見ることができるのだろう。このブログを読んでくれている映像業界の友だちよ、何とか都合をつけてもらえないものか。

  (写真:「パリのめぐり逢い」のポスター)
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