2020@TOKYO

音楽、文学、映画、演劇、絵画、写真…、さまざまなアートシーンを駆けめぐるブログ。

■信じられなーい!

2007-07-19 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  昨日、「ブリンジヌガグ」のコラムの中で、ダンボール入り肉饅頭のことを書いたが、今日の新聞に、この肉饅頭報道が中国の放送局の捏造であったという記事が載っていた。こうなると、何を信じればよいのか?

  「信じられなーい!」と叫んだのは、日本ハムファイターズのヒルマン監督だが、信じることができずに身を滅ぼしたのは、シェイクスピアの芝居に出てくるオセロである。

  自分の妻を信じられず、不貞をはたらいていると勝手に思い込み、部下の策略にまんまと乗せられる形で妻を殺してしまう。これとは別に、シェイクスピアの芝居では、信じ過ぎたことによる悲劇も用意されている。

  「リア王」は、3人の娘の中で甘言を弄する長女と次女を信用し、おとなしく口下手な三女を疎んじる。ところが、長女と次女はことごとく父を裏切り、本当に父のことを思っていたのは三女だったという悲劇。自らの不明を悔やみつつ、リアが狂ってゆく情景はすさまじいばかりだ。

  シェイクスピアの戯曲を下敷きにしたオペラを書いているベルディ、その中では「オテロ」が一番だろう。「マクベス」も有名だが、最初から最後まで、死の匂いが横溢している芝居よりも、男と女の愛が話の中心となる「オテロ」の方がオペラ的な聞かせどころが沢山ある。

  オペラでは分が悪い「マクベス」だが、映画となると俄然その持ち味を発揮する。学生のころに見たロマン・ポランスキーの「マクベス」。冒頭、魔女の予言のシーンから、ただならぬ気配が漂っていて、常に雲が低く垂れ込めているような映像の色彩が、物語の悲劇性を際立たせていた。サード・イヤ・バンドの不思議な音楽も魅力的だ。

  『マクベスは森が動き、女の腹から生まれない男が現れないかぎり、倒されることはない』、魔女の予言を信じて、マクベスはいかなる敵にも怖気づくことはない。ところがある時、森が動き、女の腹から生まれなかった男が現れる…。

  まさしく、「信じられなーい!」だ。信じないことは、信じない主体である自分を信じること。信じないことを信じるから信じられない。そう考えると、なんだか頭が混乱してきた。

  (写真:ケネス・ブラナー演出「オセロ」のポスター。ブラナーの最新作はモーツァルトの「魔笛」、先日見てきたが演出と映像の素晴らしさに比して、肝心の演奏があまりに貧弱。)
コメント
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