2020@TOKYO

音楽、文学、映画、演劇、絵画、写真…、さまざまなアートシーンを駆けめぐるブログ。

■さくらんぼの実るころ

2007-07-04 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  梅雨である。金魚鉢の中で生活しているような湿度の高さである。湿度80パーセントなどと聞くと、もう水の中を歩いているような感覚である。「しょうがない、雨の日はしょうがない、公園のベンチでひとり、おさかなをつれば、おさかなもまた、雨の中」という歌詞はすごい感性だ。さすが別役実である。

  梅雨はなぜ梅に雨と書くかというと、理由はいたって簡単。梅の実が熟れるころに雨が降るからだという。梅の実が熟れるころ…、その語感で思い出すのが、シャンソン「さくらんぼの実るころ ( Le Temps Des Cerises ) 」だ。この歌には多くの名唱が残されているが、とりわけ印象深いのは、コラ・ボケールが草月ホールに出演したときのもの。フィリップスからレコードが発売されていて、私はそれで聞いた。今、確認はできないのだが、おそらく1980年の初来日ライブの模様を記録したものだったと思う。3コーラスめ、Si vous avez peur le chagrin d'amour のくだりでは、泣いているのかと思わせるくらい声が揺れて、ハッとさせられる。さくらんぼの実るころ、人は恋をする。でも、さくらんぼの季節は短い…そんな歌詞からすれば、この歌はただの恋の歌だ。ところが、その背景にはパリ・コミューンの悲しく熾烈な歴史が書き込まれている。最近、建設会社のテレビCMで、この曲は軽いタッチにアレンジして使われているが、コラ・ボケールの歌は、それとは反対の、歌そのものの本質をえぐりだす絶唱だった。

  サクランボといえば、太宰治の「桜桃」。若いころ、ここに出てくる“涙の谷”の解釈に長いこととらわれていた。涙の谷…、今これを書いていて、コラ・ボケールの絶唱こそ、涙の谷と表現できるものなのかもしれないと思った。

  もうひとつ、アッバス・キアロスタミの「桜桃の味」。キアロスタミは、「友だちの家はどこ?」「そして人生はつづく」「オリーブの林をぬけて」など、すばらしい映像を提供してくれるイランの映画監督である。「桜桃の味」は、自らの自殺を手助けしてくれる人を探す悲しい中年男の話。自殺しようとする男に投げかけられるセリフ「すべてを拒み、すべてを諦めてしまうのか。桜桃の味を忘れてしまうのか」。

  雨が空から降れば、思い出は地面にしみ込む…しょうがない、雨の日はしょうがない………。早く夏がきて欲しいけれど、しばらくは金魚鉢の中にいるのもいいかもしれない。
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