ringoのつぶやき

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トランプに投じた元日本人が見た米国の変化

2017年02月13日 10時22分20秒 | 政治

「約束された明日」はなくなった

ジュンコ・グッドイヤー :Agentic LLC(米国)代表、プロデューサー

トランプ大統領を支持するのはどんな人たちなのか(写真:Shannon Stapleton/ロイター)
米国ドナルド・トランプ大統領の言動に世界が揺れている。就任後、環太平洋経済連携協定(TPP)の離脱や、移民・難民の入国制限など矢継ぎ早に大統領令を発令し、波紋を呼んでいる。
いったいどんな人がトランプに投票したのか――。これまでのトランプ大統領の言動を見るとそう思わずにはいられないが、実はトランプ大統領に投票した元日本人の女性がいる。2010年に渡米し、その後帰化したジュンコ・グッドイヤー氏だ。日本で知り合った米政府職員の妻として米国に渡った同氏は、夫に付き添って移住した米国各地で悲惨な現実を目の当たりにする。そこで見たのは、一生懸命働いているのに保険料が払えなくなったり、仕事にあぶれたりしてしまう「普通」の人たちの転落劇だ。
米国が「トランプ支持」に傾いていく過程にはどんなことがあったのか。グッドイヤー氏による新著『アメリカで感じる静かな「パープル革命」の進行とトランプ大統領誕生の理由』には、大統領選挙時から物議を醸し続けているトランプ大統領に1票を投じるしかなかった「隠れトランプ」の苦悩の選択と、「トランプ支持者対反トランプ」という単純な構図では語れない今の複雑な米国の姿がつづられている。今回は、そこから序章を転載する。

日本では経営者だった

「狂気になれ」――これは、私が日本で会社を経営していた時代に、人生の大先輩が贈ってくれた言葉だ。2016年11月8日、アメリカ合衆国大統領選挙投票日。第45代アメリカ大統領が誰になるかを見守る間、ずっとこの言葉が私の心にこだましていた。

私は2013年の終わりから、ワシントン州シアトルの近郊に住み、アメリカで会社を経営している。それまでは東京のど真ん中で暮らし、そこでも会社を数社経営していた。初めて独立したのは20代半ば。30代は夢のように過ぎていき、手掛けたいくつかの事業は、とてもうまくいった。

当時まだ日本に上陸していなかった「ピラティス」というエクササイズをアメリカの大学と提携して日本に広めたり、自分の会社に所属させていた音楽家や作家、トップ・アスリートなどを世に送り出し、国内外の大きな舞台やイベントなどに出演させるような事業は、手掛けた多くの仕事の中でも特に楽しいものであった。

もちろん失敗もたくさんした。人知れず眠れぬ夜を過ごすことなども、珍しいことではなかったし、部下からの信頼を失って苦しくなったこともあるが、会社や仕事をやめたいと思ったことは一度もなかった。

そんな私が、結婚したアメリカ人の夫の異動に伴い、アメリカに移住したのは2010年10月。移住してから最初の数年間は、今思い出しても胃が痛くなる。結婚当初、主人はアメリカ空軍に所属していたが、私たち家族が日本からアメリカへと移住した2日後に「想定外の辞令」が下され、赴任地だったサウスキャロライナをたった3カ月で離れることになった。

結論から言うと、主人のキャリア的には望ましい展開になったのだが、彼は軍の所属からアメリカ国防総省(通称・ペンタゴン)のサイバー専門の内局に移り、連邦政府文官にキャリアチェンジすることになったのだ。そして、彼が勤めた先、つまりアメリカ合衆国の事情により、私たち一家は2年のうちに9回も引っ越しを経験することになった。

「約束された明日などない」という現実

暮らした州はミシシッピ、アラバマ、フロリダ、サウスキャロライナ、メリーランド、ワシントン。短期滞在都市を入れると、全18州を渡り歩いた。私たちが2年で移動した総距離は6万キロ。地球1周半の長さになるほどの距離だ。どこに住んでも数カ月後には引っ越しになる。まったく落ち着くことがない毎日だった。

その他にも思わぬ出来事はあった。移住して半年後の2011年3月11 日に起こった東日本大震災によって、私は自分が築き上げた日本でのキャリアも手放さなければならなくなった。本当なら数カ月おきに日本へ仕事で帰国するという計画が、続行できなくなったためだ。主人の仕事の関係もあり、余震等が続く日本へ、私一人で帰国することが許されなくなり、私は当時日本で経営していた会社の現場から完全に離れてしまうことになった。経営者としては、ありえない事態ではあったが、私にはどうすることもできなかった。

今思えばアメリカから指示を送るだけに等しい「遠隔操作」と称した身勝手な悪あがきをしばらくは続けたが、結局2012年の秋に、私は12年にわたって経営してきた日本の会社の代表から退いた。

その間に身内を亡くす経験もした。東日本大震災から5カ月後の2011年8月、弟が突然35歳の若さでこの世を去ったのだ。何の前触れもなく、あっけなく突然目の前から消えた。生きるということ、人生の常識。信じていた「何か」が、その時、崩れ落ちた。約束された明日など誰にもないのだと、私は悟った。

まったく落ち着くことのない毎日の中で感じるアメリカは、旅行で出会うアメリカとも、日本のニュースや書籍で知っていたアメリカとも違っていた。そして実際にさまざまな土地に住んでみて感じたアメリカも、私が「知っているつもり」だったアメリカとは大分違っていた。

しかも、主人がアメリカ国家に従事していることから、そのうちに「私はアメリカ合衆国と結婚してしまったんだ」と思うようになった。「国のオーダー(命令)」には絶対に従わねばならない立場におかれ、外側から見ただけではまったく理解することができなかったアメリカという国の仕組みを知るようにもなった。

アメリカ人になったワケ

アメリカへの移住、弟の死、日本の会社の代表退任など人生で経験したこともないほどの紆余曲折を何とか乗りきって、私は2015年に自らの意思で「アメリカ国籍」を選択した。主人の仕事の事情や、弟を失い一人日本に残した母をアメリカに呼び寄せるためである。政治家の二重国籍問題が記憶に新しいと思うが、日本の法律では二重国籍は認められていない。また、合法的な条件を満たす形で母をアメリカへ呼び寄せるには、私にはこの国の市民権(通称グリーンカードは「永住権」であり、市民権とは異なる)がどうしても必要だった。

隠れて二重国籍を維持している人はいるようだが、私は自分のルーツである日本の法律への敬意、育ててくれた国への感謝をもって、日本への国籍喪失届を提出した。また、移民として私を受け入れ、私に新たな人生を、文字通りゼロからスタートさせてくれるというチャンスを贈ってくれたアメリカという国に対しても、その国旗の前で忠誠を宣誓した。

そもそも、アメリカ人になったからといって、私のルーツが日本であることは変えようがない。多くのアメリカ人がそうしているように、これからも自らの日本人というルーツは大事にするだろうし、それは一生変わらないだろう。さまざまな民族と文化の混合こそが、アメリカのアイデンティティの軸を作っていることは疑いようもない事実だ。

市民権取得の宣誓式でも、それは感じた。さまざまな出身国、肌の色、宗教的バックグラウンド。しかし、私たちはみな同じ「アメリカ人」。この国は、多様性を尊重し、個人の選択を重んじる場所の「はず」であった。

しかし、アメリカ人になった途端、予想外の事態が起こってしまった。そう、2016年の大統領選挙で、ビジネスマンで政治経験ゼロ、暴言王の異名を持つドナルド・トランプが大統領に選ばれたのだ。

アメリカは今、大きく揺れている。この国の素晴らしい点であった多様性は単なる「バラバラ」というような状態になってしまい、「国が分断された」などと多くが言っている。

アメリカは今まさに、多くの人が無意識に信じていた「何か」が、崩れ落ちてしまった状態だと言ってもよい。これは、誰もが経験したことのない異常事態だ。しかし、落ち着いて考えれば「崩壊した後は、再生していくしかない」のだ。私は自分自身の身の上に起こった数年間のいろいろなことを思い出しながら、そんな風に感じている。

アメリカだけでなく誰もが岐路に立っている

『アメリカで感じる静かな「パープル革命」の進行とトランプ大統領誕生の理由』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

ひょっとしたらアメリカのみならず、世界を飲み込むようなネガティブともポジティブともまだわからない「狂気」の渦の中で、私たちの誰もが大きな岐路に立っていると言っていいのかもしれない。

異なる意見や価値観の対立。グローバリズムへの矛盾。自国を優先することへのプラスとマイナス。誰かにとっての善が、誰かにとっての悪に猛スピードで入れ替わる。強烈な統領批判、そしてトランプ大統領自身の持つ狂気……。「狂気」には二面性が存在する。

普通の生活をしていたのでは、決して出会うことはなかったであろう「本当のアメリカ」。

特異な環境で過ごしてきたことで得た小さな気づきが、心の中で何かをささやく。アメリカは、これからどう生まれ変わるのか。私は自分が生きることを決めたこの地で、そのささやきに耳を傾け続けている。

 



2月12日(日)のつぶやき

2017年02月13日 04時06分30秒 | その他