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主に読んだ本の感想。日常のできごと。

白洲次郎占領を背負った男

2009年02月19日 16時23分08秒 | 自伝
白洲正子の職業が一体何なのかよく知らないが、彼女の言葉は傾聴されるべきものらしく、古美術にしても料理にしてもマナーにしてもその筋のオーソリテーとしてよく参照されている。

白洲次郎はもちろんこの正子のだんなさん。彼らの雰囲気から戦前は華族だったのだろうという憶測はついていたけれど、実際のことは何も知らなかったので、とりあえず次郎の本(伝記)を借りてみた。

最初に感想を言うなら、この本戦後最大といわれるこの不況の時期に読むべきものではなかった。要するに生まれが違うのだなという事がいやというほど突きつけられた。

次郎は戦後吉田茂のもといろいろ活躍し、戦後日本の復興に貢献したという話なのだが、本を読んで覚えているのは次郎がイギリス留学中しかも世界恐慌さなかベントリーの車を買ったというエピソードだった。
このベントリー日本ではあまりに高く3台しか売れなかったという代物。イギリス滞在中は1度に1万円ほどの送金があったらしい、小学校教員の初任給が45円のときにである。ちなみに、次郎の父親は次郎が中学生の時にペイグレンブルックという米車を買い与えている。その後、次郎の父親の会社は倒産するのだが、次郎の結婚祝にこの父親またまた3000万(現在の貨幣価値で)の車を買い与えている。当時この車は日本に2台しかなかったらしい、昭和4年の出来事である。
この結婚相手というのが白洲正子、私の読みどうり、華族出の伯爵令嬢である。

その後も、納得の人脈というかコネクションの中で着実に出世していくのだが、要点をいえばいくら出来る男でもこのコネクションなしでは私たちのしっている白洲次郎は無かっただろうということ。

正子の実家の樺山家は牧野伸晃(大久保利通の次男で昭和天皇につかえていた)と親しく、その牧野の娘と結婚したのが吉田茂。吉田茂の大磯の別邸の隣に住んでいたのが樺山家。吉田茂の三女和子の結婚相手を紹介したのが次郎。吉田和子の結婚相手は九州の炭鉱王の息子麻生太賀吉、その息子が総理大臣の麻生太郎。戦中でも結構いい暮らしをしていたらしく、コーヒーやパンなどの食事を楽しんでいた。戦中には鶴川に家を買いそこに疎開していたのだが、お隣さんは細川護立候爵の家(後の総理細川護尋の家)、近衛文麿、秩父宮夫妻などとも疎開中に親しくしていたらしい。赤紙は来なかったのだろう。
子供たちにも"PEPPY""TOURA"という愛称をつけ、ことあるごとに"英国じゃあ。。。"といい、ウイスキーを英国から"本場"ものを輸入。

偉い人だったのだろうけど、なんかこういう話を聞くとやはりシラケてしまう。田中角栄一代記とかのほうがよっぽど読み応えがありそうだ。

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