想ひおこせば十一年前の秋、国を挙げての大祭典が展開された。紀元二千六百年を寿ぐ世紀の祭典である。菊花薫る日比谷の原頭に蝟集(いしゅう)せる朝野の縉紳名士も紅葉散る山間の陋屋に日の丸を掲げた無名の民草も誰がその後十年間の世の転変のはげしさを予想し得たろう。必勝不敗の態勢から無条件降伏へ、今又希望の首途へ、余りにはげしい世の移り変りに、民族にも歴史にも、希望も建設も、あらゆる人の営に対してすっかり自信を喪失し、この十年間に国民思想にも大きな変化が齎(もたら)されたやうである。果してさうか。それは長い歴史のみがこれを知る。しかしここに掲げた二十余篇の論説は、このはげしい世相をくぐり抜けた人々が果してども方向に動いて行くか、それを示唆する貴い指標である。何故なら今や漸く我々は自らの目で見、自らの心で考へ、自らの口で喋る時期に到達したと考へられるからである。論説中に見られる過渡期的溷濁(こんだく)は読者の良識により払拭(ふっしょく)せらるべきものである。
『菅谷村報道』17号(1951年11月10日)掲載
『菅谷村報道』17号(1951年11月10日)掲載