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埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

よりよい村にする為の具体的方策(鎌形・山下欽治) 1951年11月

2008年09月13日 | 報道・よりよい村にするために 1951年
 先づお互の心を豊にする事である。如何にその智識が発達しても心が貧困であると決して良い結果となって現れない。それには各人が信仰を持つ事である。ここに云ふ信仰とは所謂御利益本意の宗教に対する信心ではない。神の存在を確信し、聖哲の教を守り、国家社会に尽した人に対し崇敬の念を持つことを正しいと信ずる信念を謂ふ。
 信仰の確立、是が高揚の為には色々な事が考へられるであらう。たとへば国旗の掲揚とか各神社寺院の祭事の振興とか、又は宗教人の宗教活動への協力とか、時に永年荒廃してゐる菅谷城跡の忠魂祠を復旧せしめ、年一回位盛大に祭祀を営む事等、祭典祭祀は一面村民の慰安、娯楽の行事たらしめる様に心掛ける事も大切である。
 二、次は経済生活の向上である。一般的なことは先ずおいて広く社会的に何かの特産物のある所は概してその経済も豊である。当村でも何かの特殊な産物があると良いと思ふのだが、どうかその道の人達に大いに研究してもらいたいと思ふ。
 是は私のほんとうの思ひ付きだが ─ 何かの団体が中心となって、各家庭で二坪か三坪のフレームを作り切花の栽培をして、是を販路を研究して共同出荷したらどんなものかと思ふ。勿論それには栽培上特別の技術家の指導を必要とするが ─ 花を作ることそれ自体が情操の育成であり、平和的で然も何処の家庭でも出来る事だと思ふ。そうして是が村の特産物となり、花なら武蔵嵐山の花と社会に知られる迄になったならば以て経済的にも必ずや得る処大であると思ふ(村会議員・農業委員、42歳)。
     『菅谷村報道』17号(1951年11月10日)掲載


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