GO! GO! 嵐山 2

埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

冨岡寅吉日記 昭和22年1月(1947)

1947年12月31日 | 冨岡寅吉日記
昭和弐拾弐年一月元旦 水 くもり
五時起床。青年団の早起き会。丑造、二三郎さんと魚取り。今回はたくさん取れた。お昼を頂く。新聞配達。去年も元旦だった。思へばなつかしい感も出る。一日中良く遊べたものだ。

一月二日 木 晴
村田久雄、小沢長助両君と小生の三名で同窓会の買物に行く。学校で支度をしてゐると十二時になる。会員の出席良好なり。関根君も村田君*もこうゆうことは不なれである。先生は下田先生だけだった。小生、話し相手となる。小生のヒョットコ、面白かった。
*小学校の同級生関根昭二と村田久雄。

一月三日 金 晴
四時起床。金井宣久君と二人で班長さん所へ遊びに行く。嵐山一番で出発したが八時半に着いた。浅草見物。大勝館ともう一ツへ廻る。漫談は面白かった。そして菅沼さん宅へ一泊する*。
*談:川崎大師に行くわけだったが、追いはぎがでる等と言われて浅草に行った。

一月四日 土 晴
ゆっくり起きた。菅沼さん、小林さん*なんかと花合せを始めたら面白くて十一時頃までしてゐた。帰りに代々木を少し歩るく。新宿を見物する**。電車のこむ事は一通りでない。以上
*談:菅沼班長の妹の婚約者。
**談:この時、『夫婦生活』という本を出版社へ行って買った。

一月五日 日 くもり 230
関根昭二君とこへ行き会計をやる。一人で青年学校へ行き、須沢先生に頼んですってもらう。叔母さんの家で餅をやいてもらって喰う。支部長宅で青年団の会計。

一月六日 月 晴 231
祖父さんと新林(しんばやし)の山*の木うるぬき**、午前中切り、午后運搬す。道が悪くて閉口してこまった。青年団のラッパみがき。明日、総会なり。以上
*談:将軍沢新林の金井佐中さんの山。
**間伐して間引く事。

一月七日 火 晴
青年団の総会。たしかに支部長*なってゐなかった。富岡健治君、山下三三男(みさお)君と松山へ行き、木村[太郎]先生へ会ったら吉野次郎君と一しょに写真にとってくれる。
*金井亀二大蔵支部長。

一月八日 水 半晴 232・233
昨夜、根岸茂夫君宅で十二時過ぎ迄あそぶ。印籠、草刈りかご作くり。草刈りかごはたてが強すぎた。午前中は寒くて半分位は仕事にならなかった。午后、湯かいこみをする*。柴田藤五郎氏と菅谷へ行く。醤油しぼりの道具もちに。
*談:風呂に井戸からバケツで水をくんでくること。

一月九日 木 晴
富岡軍造氏へ小作料依頼す。四四〇円二五銭也。肥引きざる作くり。形も良好なり。籠箕も作くる。一ツ作くり上げる。同窓会会計報告書来る。会員の家を廻り不足金を集金する。以上

一月十日 金 晴 234
籠みのふちつけ。昨日から引きつづき三ツ仕上げる。ナキリミ作くり。醤油しぼり、吉野金十郎さん*きて呉れる。ナキリミ三枚仕上げる。根岸貞治(ていじ)方**へ印ろう一ツ、草刈りかご二ツ、くまで、目かい各一ツ、肥引き一ツ、計二百七十八円、竹代七十八円也、醤油しぼり代百円と米一升なり。
*水房の人。
**昭和十九年十月十九日に戦死した根岸貞治宅。屋号は博労(ばくろう)。

一月十一日 土 雨 235
昨夜、山下和十郎君の家でゆっくり話して来た。午前中、少し雨が降ってゐたので何にもしなかった。午后もさしたる用事もなく過した。丑ちゃんの所で夕飯を頂(いただ)き、家に帰る。今日の「くら開(びらき)」も大したこともなくすんでしまった。以上

一月十二日 日 晴
関根昭二宅へ同窓会の不足金を持って行く。帰りに電池三本求める、八円二五銭。東京の瀧澤さん親子三人で来る*。甘藷十二〆持って行く、百五〇円也。父と苗代の馬耕に行く。とても仕事がやりにくかった。終りて団子を作くる米の臼引(ひ)き**。以上
*談:買い出しに来た人。
**談:だんご正月(一月十五日)用に米を粉にする。

一月十三日 月 くもり・小雨 236
西山の藁まるき、二十五束。岡本正三氏、岡本駒吉宅へナキリミ各一枚持って行く。帰りに団子木を迎える*。三時頃、床やへ行く。丁度よい具合であった。夕方より雨降り出す。以上
*談:木の種類は「じんだんぼう」(クヌギ)ではないかたぎ(・・・)(クヌギ、ナラ)、コナラを山から伐ってくること。ゾウとかゾウッキ(クリ、サクラ、ネブタ[ネムノキ]、他にソネ(シデ)、カシ(アラカシ、シラカシを合わせて)。マツ(アカマツとはいわず)からマツマキ。松枝は瓦を焼くのに使う。

一月十四日 火 晴
ナキリミ一枚作くり上げる。上手く出きた。金井好吉(こうきち)*方の草刈りかご二ツ作くる。煙草の配給二一・九九銭。夕方、仕事場片づけ。新聞代八円也。以上
*談:金井亀二の父。

一月十五日 水 晴
丑ちゃんの家で長靴を借りて魚突き。途中でまきが迎えに来る。暫く振りで吉野勇作君訪ねて来る。二人でゆっくり話して菅谷の素人演芸見る。中々大した事をする。今晩も行く予定なり。

一月十六日 木 晴
昨夜も素人演芸会見に行く。午前中、のんびりとあそぶ。午后、金井宣久君と二人で又、演芸見に行く。小峯のキミさんに逢ふ。暫く話した。なかなか話せる女(こ)だ。でも姉さん*の話は口にしなかった。あとで青校**でまきと話したそうだ。以上
*談:小峯きん。
**菅谷青年学校。

一月十七日 金 くもり
昨晩も菅谷の演芸会見に行く。今日より番匠(ばんじょう)へ蛇籠(じゃかご)作くり。午前中、棚作くりに三ツたなを作くる*。祖父さん、はゐしゃへ行く。とうとう夕方より雪が降り出した。今晩、青年団の常会。
*談:蛇かごをつくるための台を作ること。

一月十八日 土 晴
昨夜、社務所で青年団の常会あり。二十日に農道の修理。
馬糧切り。九時頃より河原へ出かける。今日は五本出来上がる。昨夜の雪も今朝明け方より大風あり。以上

一月十九日 日 晴 237
一ト市原(ひといちっぱら)まで走って行くと祖父さんが自転車で追ひついたので小生が乗って行く。午前の中、日が出たが十時頃よりくもり出した。風も出る。今日も五本作くる。六本目が約三間出来た。
*談:鎌形と玉川村との境、現忍田肉屋の東側あたり。

一月二十日 月 くもり
七時、集合ラッパを吹く。青年団で道路へ砂利を引く*のである。中々要領の良(い)い**人も居る。ましてや女の新支部長なり。午後は早じまいなり。まきを後押に連れて長島水車へ行く。
*敷く。
**談:サボるのがうまいこと。

一月二十一日 火 晴
自転車で行く。午前中は少しは良かった。ゴム長靴を持って行き竹かつぎ。午後、父が車を引いてきた。理昌君休む。今日も五本出来た。夕方は実に寒い。以上

一月二十二日 水 晴
今日も自転車で行く。昨日より風がひどい様だ。午前中二本、午後三本。理昌君、今日も休み。以上

一月二十三日 木 晴
風もあまりなくよい天気なり。今日は朝から父が竹運搬に行く。午前中二本、午后も二本。夕方暗くなる迄やった。今日、封鎖貯金を皆払下げる。

一月二十四日 金 雪
昨夜来より雪となる。今朝は青年団にて学校道の雪掃き。午前中、雀取りの番*。午後、新聞配達。鎌形の家へ寄り二時間位休んで来る。富岡丑造氏宅で夜めしを頂く。一日中休みなく雪が降る。
*談:すずめとりのぶっつぶしを番している。ぶっつぶしはひきわんな(ひきわな)の一種。

一月二十五日 土 くもり
唐子の床屋へ行き、終りて電車で松山へ行かうと思ったら故障なり。自転車で行く。棒電気、弁当箱を買ふ。

一月二十六日 日 晴
自転車で行く。今日は何時になく暖い。此の間の組みかけをまぜて、午前中、三本。午后、汗が出る。二本、計五本作くる。理昌君も組み始めた。あまりにもうまくない。昨夜、青団常会あり。

一月二十七日 月 晴
午后、唐子の新井さん*来る。今迄七米に作くったかごは六米なり。よい日である。午后、三本出きた。夕方暗くなる。以上
*談:新井辰さん。工営所の監督。

一月二十八日 火 晴
朝は自転車で行くのに寒い。午前中二本、午后は三本なり。理昌君*はまだうまく行かぬ。昨夜、吉野勇作君へ便りを書く。以上
*談:富岡健治の兄。

一月二十九日 水 晴
昨日の朝よりもずっと寒い。父と健治君が竹かつぎに行く。昼前終る。今日はくもがなく暖かったが夜は冷える。

一月三十日 木 晴
竹が割ってあったので午前中三本くみ上げる。大霜であったが日中は暖い。午後も三本。夕方いつになく暖い。以上

一月卅一日 金 晴
今日はあまり寒くない。竹も今日一日する程はない。午前中三本作くり上げる。午后一本作くったらもう竹がないので早帰り。菅沼さんがお出になったが、小生いなかった。

冨岡寅吉日記 昭和22年2月(1947)

1947年12月31日 | 冨岡寅吉日記
二月一日 土 晴
早朝飯で松山の大野忠さんの所へ使に行く。今日より農士学校下で蛇かご作くり。小生二時頃まで魚取り。でも大変取れた。夕方より仕事始なり。

二月二日 日 晴
郡下青年団の駅伝競争の応援なり。第一区杉田角太郎君、第二区吉野栄一君、第三区奥平君、四区岩沢茂雄君、五区秋山道雄君、六区決勝村田清治君。十四チームで菅谷五番なり。

二月三日 月 晴
朝の中、日が出てゐたが途中よりくもが出る。昼近くなってから、くもが一面に出て寒い。昨日よりずっと寒い。でも午前中二本、午后三本出きた。発信 菅沼・山口君。以上

二月四日 火 晴
午前中とても寒い。今日は節分であるが、鬼鎮神社へも行かずに仕事だ。今日も五本作くる。夕方早く帰る。以上

二月五日 水 晴
あさから実によい天気である。仕事には何も変った所はない。夕方暗くなるまで竹割をした。青年部の常会。山下明氏宅が宿で、夜番(よばん)、小生出席。

二月六日 木 晴
昨夜、夜警で三時過ぎにねたので今朝はゆっくりおきた。目が変にはれぼったい。蛇かご、今日も五本なり。理昌君三本つくる。昨日と同じ静かなよい日。

二月七日 金 晴
風が少しあるが大した事もなさそうだ。五明(ごみょう)の小父さん*休む。岡田明君より便りあり。今日も暗くなるまで竹わり。
*談:五明のかご屋。祖父林造の弟子で母の従兄弟、富沢岩吉。

二月八日 土 晴
あさからしづかなよい日だ。今日は午前中三本、午后は二本。もう竹がなくなった。今「男の償ひ」と言ふ本をよんでゐる。

二月九日 日 晴
今日は又、本郷(ほんごう)河原へ行く。昨夜少し雪が降ったが、此の辺は大したことがない。六米の奴、今日で終る。六間を一本作くる。以上

二月十日 月 晴
昨朝、岡田君より今日来る電報あり。それを待つ。昨夜、植木山大野方*より出火、一戸全焼せり。第二分団活動す。岡田君、十一時着。妹久子さんを連れて来る。四時の上りにて帰宅。駅迄送って行く。
*談:現あさひ屋の前の家。大野武夫宅。

二月十一日 火 晴・くもり
岡田君も無事に帰宅したらう。妹さんも。晴れそうでくもってしまった。夕方は寒い。四本口をしまった*。夜はラヂヲ買入の件で面白い。祖父さん一人買はぬと頑張ってたが、とうとう折れて買ふ事に決定せり。以上
*談:蛇篭四本を作ってくれと言われて仕事を始めて、その四本を仕上げておしまいにしたこと。

二月十二日 水 晴
母は菅谷へ使に行く*。河原も風があって寒い。今日は午前中二本出来なかった。四本目は四間位して帰って来る。ラヂヲが取りつけてあったが、サシコミが不良の為、駄目。
*談:ラジオはお祖父さんが反対していたのでなかなか買えなかったが、この日、母がラジオの取次店をしていた菅谷のいづみ屋に買いに行った。母は実の娘で嫁ではなかったので内緒で買えた。

二月十三日 木 晴
昨夜、ヒューズが切れて柴田美作君が修繕して呉れた。昨夕より今朝にかけて寒い。今朝ラヂヲをかけたらとても調子良好なり。父、日農大会の傍聴に東京へ出かける。富岡丑造氏*へ服代七〇〇円払ふ。
*談:このころ古物商をやっていた。

二月十四日 金 くもり・夕方より雪
あさの中しづかな日だ。でも日中になるにしたがいくもが一面に拡がる。午后、寒いと思ったら天気予報通り雪となる。夕飯ごろはもう真っ白だ。以上

二月十五日 土 半晴
今朝、青年団で学校道の雪はき*。午前中、たばこを少しまき**、ぶらつき、植木山まで新聞もちに行く。半日かかって新聞配達。よくも雪の日ばかりに番が来るのだらう。電気故傷(こしょう)を木闇さんに見てもらう。
*談:小学生の通学のため、大蔵から学校橋を渡って菅谷の小学校まで道路の雪を掃いた。
**談:のぞみという紙巻きたばこの紙を巻くこと。

二月十六日 日 晴
朝めしを喰いすぐ平沢の家へ行き棒電気*を長くす。水車へ寄り昼食を戴く。吉野栄一君宅へ遊びに行く。不在なり。ゆきさん、むらさん**等と話してくる。
*談:竹の中に電池を入れて作った手製の懐中電燈。
**談:小学校の同級生吉野栄一の妹と姉。

二月十七日 月 晴
道も大分よくなった。午前中二本、午后二本目は三間だ。此の頃の天気予報よくあたる。以上

二月十八日 火 晴
毎あさ寒い。昨日の作くりかけと三本、計四本作くる。工区より三千円もらう。夕方も寒い。以上

二月十九日 水 晴
今日は車を引いて仕事場へ行く。五明の叔父*と二人で一本づつ作くり、竹屑を持って来る。以上
*談:富沢岩吉のこと。

二月二十日 木 晴
受信 岡田明・久子
丑造氏と月田橋の上より魚取り。二瀬迄行き大へん取る。午后、嵐山(あらしやま)写真部*を頼み、蛇かごを背景に写真を撮る。一組三枚七十円。
*談:番匠の写真屋。

二月二十一日 金 晴
竹が出ていないので今日も仕事は休み。富岡丑造氏と今日も魚取り。昼食を頂き又始める。夕方仕事場まで竹が出たがどうが見定めに行く。以上

二月二十二日 土 晴
発信 岡田明
午前中、祖父さんと馬小屋の肥出し。馬もおとなしい。午后、耕地の麦ふみ。夕方、仕事場へ竹見に行き、五明の方へ廻ってくる。鎌形へも寄る。竹が出てゐる。以上

二月二十三日 日 晴
今日より鎌形田黒入会(かまがたたぐろいりあい)*へ仕事に行く。午前中、棚作くり。午后、三本作くる。工事の人夫も少い。
*談:鎌形と田黒の境目の都幾川の河原。長島水車のうら、班渓寺ブチの少し上流。

二月廿四日 月 晴
早朝めしで五明を廻り仕事場へ行く。一番早かった。午前中三本、午后も三本。理昌君も三本。今夜の停電は長時間だ。此の日記を書いてゐる中に来ればよいが。まきより青校のニュースを聞く。だいたいが君(きみ)さんのことなり。

二月廿五日 火 晴
昨日より今日にかけて天候が実によい。午前中三本、午後四本、計七本。青年団の常会なり。以上

二月廿六日 水 小雨
春の雨は実に気持ちよいものである。午前中、火防ポスターを書く。午(ひる)休みに隣組長宅で配給品の分配。小生、航空帽百七〇円にて買ふ。一日中小雨なり。

二月廿七日 木 くもり
朝ぎりがある。仕事場に行く。午前三本、午后三本。小雨降り出す。山下和十郎君仮祝儀(かりしゅうぎ)*。
*談:かたいれ(肩入れ)のこと。正式な祝儀をせずに娘が婿方で夫婦生活をすること。

二月廿八日 金 晴
小生一人で仕事に行く。午前中一本、午后三本、計四本。三時休みの時、竹が来る、四十五束。夕方寒かった。以上

冨岡寅吉日記 昭和22年3月(1947)

1947年12月31日 | 冨岡寅吉日記
三月一日 土 くもり
朝の中からくもってゐる。午前中三本、午后四本、計六本。木村先生より松山会館*前で撮影した写真をくれた。以上
*談:松山町にあった映画館。

三月二日 日 くもり・雨
今日もさっぱりせぬ天気なり。竹を割ってゐる中に雨が降ってきた。でも午前中、四本作くったら雨が降り出して中止なり。内田武一宅へお節句を持って行き御馳走になる。吉野勇作君の家にもよる。吉野の姉嫁ぐ。
談:この日は太安だったので御祝儀があった。

三月三日 月 晴
いかにも春らしい天気だ。午前中三本。風速七、八米だ。でも暖い。午后、雷が鳴る。午后は五本、計八本。大野忠造氏*より壱千円。父、隣組で材木を製板へ。以上
*談:大野工務所(大野組)の初代社長。

三月四日 火 晴
おきてすぐ唐子の床やへ行く。一番早かった。河原へ行き二本作くり、初午へ行く。行きも一人、帰りも一人。菅谷より鎌形を廻る。きみさん*と一しょ。以上
*小峯きみ。

三月五日 水 くもり
早あさめしで仕事場へ竹が出たか見に行った。まだ出てゐない。物置きのおろしへ木*を積みこむ。午後、水車へ米二俵、小麦一俵持って行き、帰りに竹くずを持って来る。畠の小麦のふるきこみ**全部終る。今晩、青年団の常会。以上
*談:物置の軒から連続に小屋根(おろし)を付けてそこへたきぎを積むこと。たきぎは枝、まきは太い枝や幹をつかう。
**談:発芽した麦のあいだに土を入れること。

三月六日 木 晴
朝の中は小雨模様なり。でも仕事に行く。今日は午前中、二本しかできぬ。午后は五本、計七本。理昌君三本。日中は寒かったり暖かかったり出たらめだ。明日は小学校生徒の演芸会だ。以上

三月七日 金 晴
何時になく大風である。午前中三本作くる。午后は四本だが竹がなくなり中止する。少し日があったが、早く帰って来る。一日中大風である。以上

三月八日 土 晴
前畠の整地、畦作くり。じゃがいも植え、田の整地。午后、甘藷の供出。野口忠太郎君の車*に積んで行く。大田の整地、畦作くり。今日はしづかなよい日だった。干甘藷一等一俵、二等二俵。以上
*談:荷車のこと。

三月九日 日 くもり
日が高くなってからおきて煙草まき。家の者は田へぢゃがいも植え。くもってゐてとても寒い日である。小生徒歩で青鳥旧飛行場の競馬見に行く。入場料拾円なり。十六レースあり、小生の知人細村義雄君*、速歩の一着なり。三時終了せり。以上
*談:戦争中野本村であった特別訓練で一緒だった高坂村の人。このころは馬力(ばりき)(運送ひき)をしていた。

三月十日 月 晴
まきと二人で新田の麦へ追肥くれ。午前中凍っていてつぶて出来ぬ。馬糧切り。吉野勇作君来訪せり。午后、つぶて打ち*。大田をおわし七畝を始める。夕方、新聞配達をする。以上
*談:つぶてこうしで土を砕くこと。麦蒔きと一番つぶてを終えて、二番つぶて、ふるっこみ(土入)、三回くらい麦踏みという作業の順で、ここでは二番つぶて。

三月十一日 火 晴
昨夜、吉野勇作君宅へ次郎君、杉田康治君、其他数名集れり。トランプ、百人一首等やる。十二時過ぎまでせり。今日は希(ま)れに見るよい天気だ。それも午前中だけで、午後は南風が冷たい。帰りに番匠の写真屋へ廻る。小峰きみさんへ写真をやる。以上

三月十二日 水 晴
朝ねぼうをしてしまった。工事の人夫早くきてゐる。午前中三本、午后は四本、計七本。今日はよい日であった。父、根岸山*の仕事なり。
受信 山口正男
談:権現様(ごんげんざま)(根岸の吾妻神社)の南の山。現在はゴルフ場の中。

三月十三日 木 晴
又、此の頃はよい日が続く。今日は午前中四本。父、まき、山仕事。此處三日間、今日が一番よい日である。午后も四本、計八本作くる。夕方、吉野勇作氏、次郎氏、河原へ来る。

三月十四日 金 晴
かすみがかヽってゐる。暖い日になりそうだ。午前三本。よい日になった。午后、四本なり。昨日にも負けずよい日であった。夕方も暖い。理昌氏、今日は四本作くり上げる。以上

三月十五日 土 くもり
昨夜、夜警なり。小生、美作君、明氏、ゆきさん*の四名なり。午前三本つくり、午后、五明を廻り、本郷河原へ寄って来る。竹が百束だ。
*疎開で来ていた岡野ていぞうの娘。

三月十六日 日 雨
朝の中雪なり。根岸タバコやへ、くまで三本持って行く。杉田先生来宅せり。昨夜、富岡一夫、小林茂夫君と鎌形国民学校へ英語練習に行く。今日も午后一時より出席せり。

三月十七日 月 半晴
五明を廻って番匠の仕事場へ行く。午前中、九尺を六本、小生五本、理昌一本、六間を一本作くり二本目を始めたら胸がいたくなり早く帰って来る。一昨日、植木山雑木林に四十女の絞殺体発見される。以上

三月十八日 火 晴
昨夜でんきが早くつき早く消えたので早くねる。今日は鎌形の仕事場へ行く。理昌君二本、家で五本、計七本作くり、仕事場をきれいに片づける。四時頃より田の作切りに行く。以上

三月十九日 水 晴
霜が多い。今日は番匠へ行く。午前中、二本でき上がらぬ。しづかなよい日である。四本できる。鎌形国民校へ珠算練習。

三月二十日 木 くもり
昨日の朝より少しでがおそい。ひる前早く二本できた。午后からくもりとなる。夕方雨が降り出した。五本目を四間つくる。以上

三月廿一日 金 雨・午后晴
彼岸・春分。昨夜来の雨がつづいて今朝も雨だ。今宿(いまじゅく)村の蛇かご見に行く*。よくできてゐる。堀口初治君の家で二時間ばかり話した。午后はすっかり晴れた。山下昭二君と川で魚突き。大変取る。今晩、菅谷で演芸会。
*越辺川の河原。

三月廿二日 土 晴・大風
昨夜、菅谷青年団の演芸見に行く。十一時半終了する。今日は午前二本、午后二本と三本目を五間作くる。一日中大風であった。以上

三月二十三日 日 晴
二月二十日に撮りし、しゃしんできる。番匠の仕事も今日で終了する。小生、午前中のみで引上げ、午后、青年団本団の総会に出席す。出席良好なり。今晩、常会、大くら青年団。以上

三月二十四日 月 晴
昨晩、社務所にて青団の常会あり。男女合同の件、敬老会の件、読書会あり。今日より農士校前の河原へ行く。午后くもってしまった。夕方は寒い。以上

三月二十五日 火 雨・晴
天気予報通り此の頃の天気はよくあたる。今朝は雨だ。ゆっくりねてしまう。つぶてこうし*のえなおしをする。甘藷床の肥ふみ。さつまを入れる前までにした。小供の箱車(はこぐるま)*をおぢいさんつくる。以上
*子どもを乗せる車。車輪の直径は十~十五㎝位で、松の幹で作った。

三月二十六日 水 晴
比企郡農民組合青年部の結成大会。小生も出席するが午前のみ。松山で色々の用をたす。小説「一つの貞操」を買ふ。四十五円なり。夕方までかかる。以上

三月二十七日 木 晴
なんといっても春である。あさも暖かい。午前三本なり。昨夜、鎌形学校内へ珠算の練習に行く*。吉野勇作君とならんでべんきょうする。午后三本、計六本なり。一つの貞操、実によい本であるとまきは言ふ。以上
*珠算は当時班渓寺の住職をしていた渡辺泰禅さんが教えてくれ、鎌形、植木山、大蔵の五、六人が出席していた。英語は、内田武一さんの所に疎開してきていた金子さんが教えてくれた。

三月二十八日 金 くもり・雨
くもってゐた天気も日が出た。午前三本なり。午后一本作くり二本目より雨が降りだした。でも一本作くり上げ帰る。雨もそうとう降ってきた。以上

三月二十九日 土 晴
昨夜来の雨もすっかり止んだ。仕事にでかける。午前三本なり。午后三本つくり竹がなくなり引上げる。河原で番場君と話す。少し寒い。

三月卅日 日 晴
本陣畠へ石灰をまく。根岸山より篠の根刈りを持って来る*。祖父さんと菅谷の叔母さんの家へ竹の割りくづ**を持って行く。新聞配達をする。約二時間の上かかる。小峯きみさんへ昨夜、一つの貞操の本を貸す。以上
*談:ぼやといってカマドの燃料として使う。
**籠作りのくず。

三月卅一日 月 晴
昨晩、社務所で青年団の常会あり。大要(よう)敬老会の件。河原へはゆっくりでかける。午前二本。何時になく寒い日である。午后は二本作くり早く引き上げる。父、畜産組合の総会。六・三制委員会で一日ついやすかな。以上

冨岡寅吉日記 昭和22年4月(1947)

1947年12月31日 | 冨岡寅吉日記
四月一日 火 晴
五時起床。青団員で神社境内の清掃。出席者、女は良いが、男は悪い。蛇かご、午前三本、午后二本なり。夕方は胸がいたい。太陽のある中にしまって来る。夜は寒い。三日の節句が待ち通しい。

四月二日 水 晴
仕事づかれをしたせいか体がいたい。でもあさの中、雨が降る。十時頃より止み河原へ行く。吉野勇作君来訪せり。三時より二人で松山のながたやへ。夕方日没と同時に帰る。以上

四月三日 木 晴
早くおきる。八時より役場において選挙事務の注意がある。午前中かかる。午后、向徳寺にて選挙場の仕事をせり。ある人*が来りしも、小生公用の為、話もできず残念なり。でもまきと一しょに松山へ行ったらう。小生一日――あヽ、会場作くり、日没までかかる。以上
*小峯きみ。

四月四日 金 晴
青年団の敬老会日なり。午前中はいろいろぶらつく。吉野次郎氏へ便りを書き、杉田先生に頼む。一時集合も二時となる。あまりにもにぎやかでなかった。夕方、鎌形へ廻り、吉野勇作、次郎氏に逢ふ。以上

四月五日 土 晴
知事選挙。知事選挙なり。投票所の事務員なので六時半より向徳寺へ行く。心配した事務もあまりにも簡単である。かんたんすぎて間違ひがおきる。第五投票所は投票者八割なり。夜九時頃、家へ来る。以上

四月六日 日 晴
よい日である。午前二本出来上がらなかった。午后、ゐがいたいので早く帰ってきてねてしまう。夜食後いたみがましてきた。以上

四月七日 月 晴
ゐが痛いため仕事を休み、ねてしまふ。菅谷電業社より電工一人来て工事の手続きを出す。番匠の写真屋へ行く。祖父さん一人で仕事に行く。ゐのいたみも中々止まらぬ。以上

四月八日 火 くもり
朝からくもってゐる。今日は仕事に行く。午前二本、午后一本作くり、竹が悪ひので中止して田麦の作切りに行く。横須賀の小母さんと民郎氏*来訪せり。六時の上りにて帰る。以上
*談:横須賀の小母さんの婿、和子さんの夫。

四月九日 水 雨・晴
天気予報がよく当り昨夜来より雨だ。金井宣久君がきて、こまい竹割りを頼まれる。八時頃より行く。自分が思ふによく割れた。昼・夜食御馳歩になり早く帰ってくる。以上

四月十日 木 晴
午前、父と馬小屋の肥出し。昨夜、鎌形国民校へ珠算練習に行く。竹が出たので午后、河原へ仕事に行き三本作くって帰る。以上

四月十一日 金 晴
よい天気だが朝の中は冷しい。午前三本。日中はぬくとい*。午后も三本。夕方もひえる。菅谷電業社より物置へ電気入れにきて呉れた。よくできた。
*温かい。

四月十二日 土 晴
よい日になりそうだが、あさの中は昨日と同じ様だ。午前三本、午后も三本。昨日より少し早く終った。夕方はすヾしい。以上

四月十三日 日 晴
朝めし前に吉野勇作君の家へ訪ねて行く。未だねてゐた。十時の上りにて吉野君と松山へ行く。特別訓練生の同窓会あり。十四人位しか集らぬ。岡村曹長*一人しかお客はこぬ。
*野本の岡村しんきちさん。

四月十四日 月 晴
昨夜、松山から帰りに菅谷のいづみや呉服店*にて戸口校長、下田、木村、須沢各先生と逢ふ。皆よくよってゐる**。校長先生の気持はよくわかった。午前中、蛇かご作くり。午后、丑造氏で一杯やりにけり。祖父さん、かごやの会議に鎌形へ。以上
*談:現在の宮沢写真館の所にあった。
**酔っていた。

四月十五日 火 晴
毎日しづかなよい日がつづく。よい日でも午前中二本出来上がらぬ。午后三本、計五本。守平、秩父の長瀞へ会社の者と。

四月十六日 水 晴
昨夜、金井愛輔氏の御祝儀なり。見に行く。午前三本、午后も三本。杉山敏行先生、初級中学校長を案内して来る。以上

四月十七日 木 晴
のどかなる春の日だ。天気予報、毎日よく当る。日中は二十八度位になるだらう。夕方は花見連が河原を通る。のんきな連中だ。あまりやかぬ方がよいだらう。民主主義だからしょうがないわい。

四月十八日 金 晴
午前中はうすぐもりなので仕事をするにはよかったが、ひる頃よりむし暑くなる。午后四本目を二間ばかり作くる。夕方より本ぐもりとなる。以上

四月十九日 土 晴
よい天気なので井戸の水替へ。小生が井戸の中へは入る。始めは気持ちが悪るかったがなれヽば平気だ。唐子の床やへ行く、十円。午后、明日選挙の会場作くり。隆次、新聞配達をする。

四月二十日 日 晴
昨夜、社務所にて青年団の常会あり。今日の選挙の事なり。五時前に起床。第五投票所の人の出足順調なり。青年団女子部より三名すい事に出る。野村きくゑ、金井照子、野口いつさんの三名なり。五月五日嵐山へ行く計画を立てり。八日は高崎なり。

四月二十一日 月 雨
春雨となりぬ。午前中一杯小生寝床の整理。実によくふる。雨も止み日光でる。午后、河原に行き蛇かご一本作くったら悪いくもがでだした。風もひどくなる。雷も鳴る。夕方より雨も本降りとなる。以上

四月二十二日 火 晴
昨夜来の風は大したものだ。皆ねむれなかったそうだ。午前中、寒にもどりさむい。初級中学、青年学校の入学式なり。河原より形のよい石を一つ背負って来る。十〆位はあるだらう。夕方より風もしづまる。以上

四月二十三日 水 晴
春季衛生が近づき家の大掃除をする。小生、午前中のみで午後、河原へ行く。竹が一運送は入る。今度のは良い竹だ。祖父さんと二人で二本つくる。鎌形校へ珠算に行く。今晩は間違ひが少い(二問ばかり)。

四月二十四日 木 半くもり・晴
毎朝おきるのがおそい。くもってゐるがよい日である。午前四本目を二間ばかり作くり、午后四本作くり上げ、計七本できる。以上

四月二十五日 金 くもり
衆議院議員選挙なり。午前中出足良好なり。十時、十二、二、四、六の速報を小生、一〇、二と二回行く。本日の投票人員、第五は四一二名なり。投票箱を役場へ送くり込む。以上

四月二十六日 土 晴
くもって居るがしづかな日だ。午前三本、午后も三本なり。野村若松氏*、開票の帰りに河原を通り結果を知らせて呉れた。山口七七一票、吉村六三三、師岡二五五、南の順。
*談:菅谷村役場に勤めていた。野村阿喜良さんの叔父さん。疎開で来ていた。

四月二十七日 日 晴
五時起床にて青年団員危険物片づけ。蛇かご午前二本、午后三本なり。鎌形の学校にて吉野君と話す。以上

四月二十八日 月 雨
河原に行き一本目を少しやったら雨が降ってきたので帰って来る。一日中ぶらつき。発信 野沢好三・菅沼善一氏。夜、神社で農民組合青年部の常会あり。五月一日のメーデー参加の事なり。其の他議事あり。新聞発行の創立委員となる。本心とは反対なるも止むを得ざるものなり。富岡理昌、濱野七平宅へ五月の鯉を祝う。計三〇〇円也。

四月二十九日 火 晴・大風
昨日の雨もすっかり止む。でも風が強い。蛇かごも二本組んで帰って来る。番匠の写真屋へ行き青年団のと小生の写真を持って来る。午后、投票所作くり。投票函を持ちに行き、帰りに床やへよって来る。夜、共産党の連中、選挙運動に気ちがいしてゐる。以上

四月三十日 水 くもり・晴
県・村会議員選挙なり。朝めし前、投票所の掃除に行く。十時迄の出足、極めて良好なり。十時、二時の速報に行く。事務員若干と炊事の者と高崎行決定せり。夜、鎌形国民学校へ行く。選挙終りて机を一つ家へ借りて来る*。なんとなるかな? 以上
*談:安養寺に疎開してきた有馬国民学校の机。

冨岡寅吉日記 昭和22年5月(1947)

1947年12月31日 | 冨岡寅吉日記
五月一日 木 晴
ゆっくりねてゐた。メーデーなり。青年部、松山駅前へ集合なるも小生欠席せり。河原へ仕事に行く。午前の中、四本目を始める。北の風が強くなり早く仕事を切り上げる。此の頃あまりにも風が強すぎる。夕方、明覚駅迄行って来る。社務所にて青年団常会あり。床板が一坪ぬける。

五月二日 金 くもり・雨
朝の中は晴間も見えたが次第に曇ってきた。でも高ぐもりなり。昼休みに吉野勇作君の家へ寄って来る。選挙事務員、川崎へ潮干狩に行くと決定せり。今晩は根岸福平氏、山下三三男、金井宣久、金井照子、野口いつ、富岡てい、野村きくゑさん、小生宅へ集れり。以上

五月三日 土 雨
新憲法施行記念日。昨夜来の雨もすっかり本降りとなる。選挙の時、机、椅子を借用した家へ役場から頼まれ十円づつくばる。菅谷へ使に行く。半日ぶらつき、四時頃より山下三三男君と明覚駅へ切符買ひに行く。高崎往復十一円、小生四枚求める。夜は雨も止む。明日はたのしい。

五月四日 日 半晴
投票管理委員及び事務、役場員一同にて川崎へ潮干狩りに出かける。計四〇名なり。九時半頃、小島新田駅下車、海へは入る。始めの中は見つからぬ。でも少しは拾えた。帰りに三杯(六〇円)買って来る。日のある中に家へ来る。夜、青年部の会へ行ったが面白からぬ話ばかりだ。明日は高崎行きなり。

五月五日 月 晴
ゆっくり起きた。又事ム員と炊事の者で高崎の観音様へ行く日なり。嵐山駅にて七時三〇分発下りがあまりにも混んでゐて大蔵と吉野次郎、りんさんは一電車おくれ、小川町で三時間あそび、高崎行きの汽車を待つ。一行は鎌形七名、大蔵七、計十四名なり。おそく行って面白くあそべた。帰りは高崎発五時何十分かできた。嵐山着八時二〇分。全部無事に帰れり。以上

五月六日 火 晴
二日間続けてよく遊んだ。足がいたい。午前、河原へ行きかごを一本つくる。農士校前はこれで終った。はまぐりをむきみにする。蚕の道具を洗ひに行く。蚕かごのふちまき六枚ばかりする。昨日、書き忘れたが駅で小峯きみちゃんに逢う。少し話した。以上

五月七日 水 雨
すっかり曇ってゐる。今日は四米五〇の奴を作くる。二本目が終らぬ中に雨が降ってきて駄目だ。午后、鎌形校へ珠算練習に行く。渡辺先生とも話す。小生、気に入る先生だ。一日中雨が止まぬ。野沢より手紙が来たので返事を書く。岡田へも。

五月八日 木 くもり・晴
天気模様が大部悪い。自転車で菅谷の方から玉川の方へ廻って来る。十一時の上りにて松山に行き、その足ですぐ小川へ行く。自分の思ふ品全部求める。白の登山帽も買ふ、一五五円なり。野口いつさんと二時ばかり話し合う。二人の関係は恋人以上と言っても過言ではない。

五月九日 金 晴
朝からよい日である。竹が割ってあったので午前の中に六本作くる。午后は四本なり。日中は暑いが夕方は涼しくて実に気持ちがよい。

五月十日 土 晴
蛇かごつくり終る。蛇かご作りも後二本となりぬ。早く出来上がる。車を引いて行き残物を持って来る。午后、父は苗代の準備。小生、長島水車へ大麦、米各一俵持って行く。小林嘉久三、岩五郎方でお茶を飲んで来る。

五月十一日 日 くもり・雨
半晴の天気である。苗代作くり。祖父、父、母、まき、隆次、小生の六名にて田へ行く。水加減、実に良くうまく出来た。父達は木綿(わた)の種子蒔き。小生、草刈りかごつくり。一人でたてを五ツ割る。祖父、廻しを割り、小生が組む。午后より雨降りなり。一夫君と鎌形校へ。

五月十二日 月 雨
鼠に騒がされ早く起きる。兄弟三人で二匹捕る。かつぎかご一カ。小振りの草刈りかご一ツ。肥引きザル一ツ作くり上げる。午后は雨も止む。夕方、魚釣りに行く。以上

五月十三日 火 晴
理昌宅より竹を持って来る。真竹三本(六寸二、四寸一)、孟宗八本なり。草刈りかご作くり。甘藷の苗植える。午后、廻しを入れる、六ツ。夜、健治君が遊びにきて暫く話して行く。日記を書いてゐる中に電燈が暗くなる。十時なり。以上

五月十四日 水 晴
朝めし前に草刈りかご一ツふちをまく。午前の中、ふち折り。昼休みに工事場へ使に行く。中島与一氏へ草刈りかご大、小、各二ツづつ。柴田方へも二ツ、丑造氏小一ツなり。珠算練習に行き、小峰きみさんへ敬老会、まき卒業記念、小生蛇籠の写真を呉れる。相手の気持ちも少しは変わってきた様だ。以上

五月十五日 木 くもり
背負ひかご作くり。昼休みに酒の配給もらいに行く、二升二合、一九六円一〇銭。平沢の家へ背負ひ籠を持って行く。途中、吉野栄一君に逢い暫く話す。小林右一君も寄る。以上

五月十六日 金 くもり・はれ
毎朝おきるのが遅い。草刈りかご、岡本正三氏の竹で作くる、三ツ。十二時三十二分着にて菅谷村へ八柱の英霊還る。大蔵は金井吉二、同浅吉さんの二柱なり。駅頭迄出迎へる。草刈りかごのたて割り。底九ツ作くる。以上

五月十七日 土 くもり
草刈りかごの腰をおこす。九ツ全部廻しを入れ、午前少しふちを折る。金井吉二君の葬式見送る。草刈りかごのふちまき。将軍沢へ持って行く。玉川会館に新舞踊、映画あり。明い中に家を出て行く。踊は花柳文菊、同多恵加の二名なり。花柳を名乗るだけあって大したものだ。映画は吉屋信子の「花」なり。田中、上原の組合せ*。帰りに君さんと一しょで家の庭迄送って来た。少しの立話で別れる。以上
*田中絹代と上原謙。

五月十八日 日 雨
昨夜降り出した雨も本降りとなる。目かいの竹割りなり。かごやの用事で菅谷のかごやへ行く。目かい九ツ作くり上げる。雨も止む。今日、隣組改正の相談あり*。自分の家は六組なり。
*談:戦争中の配給の隣組は十二軒で中(なか)組。この時の改正で現在の家順の隣組となる。第六隣組である。今でも葬式の組は中組でやる。親戚関係と両隣がお勝手をする。土葬の時は、中組の時は穴番を上(かみ)組がした。

五月十九日 月 晴
将軍沢の鯨井鉄太郎宅へ祖父と二人で仕事に行く。草刈りかご五ツ、小一ツ、かごみ二ツ、苗取り腰掛け一ツ、作くり上げる。今迄にない暑い日であった。夜は農家へ送る夕*、劇なり。あまり良くなかった。以上
*ラジオ番組。

五月二十日 火 晴
草刈りかご作くり。大五ツ、小二ツなり。大野氏より壱千円もらう。以上

五月二十一日 水 くもり
どうも毎朝おきるのがおそい。桑摘みびく作くり二ツ。だいたい形よい。祖父、菅谷へ貯金に行く、五〇〇〇円。小生、野村忠平氏へびく一ツ、成沢力造氏へ草刈りかご二ツ、びく一ツ持って行く。昼休みに配給品あり。五品、パンツ、水筒のひも、フクメン二ツ、スィルトなり。理昌宅で仕事じまい。杉山、月ノ輪、家と*。
*談:林造の弟の杉山・新井力造、月輪・大塚京之助。

五月二十二日 木 晴
朝の中、小雨なり。かごみ作くり。自分一人で始めからする。うまく出来た。午后、雷鳴る。大つぶの雨も降る。かごみ六つ、つくり上げる。夕方、上の方へ行き、小林右一君に逢ふ。

五月二十三日 金 晴
菜切り箕作くり。午前の中はぶらついてばかりゐて二枚しか。午后も胸が痛くてあまり仕事をしない。でも六枚仕上げる。良く出来た。以上

五月二十四日 土 晴
昨夜、蛇かごの計算をしたら、五明の家が間違ってゐた。六六〇円余分行ってゐるので今朝早起きをして行く。草刈りかご三ツ作くり上げる。将軍沢のかさや*より竹五束買ふ、二五〇円。夕方、子供のかご一つ作くる。
*福島愛作家の屋号。

五月二十五日 日 雨
午前中はくもりなり。草刈りかご大六ツ、小一ツ廻しを入れ、午后ふちまき。雨、本降りとなる。柴田方へ小一ツ四〇円。耕地の田の堰代一一四円六七銭。以上

五月二十六日 月 雨
草刈りかご作くり五ツ。午前中、全部作くり上げる。雨降りなり。新聞配達。方々の家でお茶ばかりのんでゐるので中々廻れぬ。山下暉夫方では随分ゆっくりした。

五月二十七日 火 雨・晴
今日も雨降りだ。かごみ二ツと小さい草刈りかご一ツ作くる。午后、目かい作くり四ツ。東京の買出しの小父さんに「リーダーズダイヂスト」を貰う。その時の嬉しさはまるで子供の様だったらう。福島先生*かごもちに来る、三ツ。
*談:福島新三郎さん。

五月二十八日 水 晴
とても深い霧だった。でも良く晴れる。朝めし前、竹を割る。草刈りかご七ツ作くる。大沢久三宅へ四ツ。菅谷へ使に行く。中島高治さん来て電気をいぢって呉れた。珠算の練習に行く。此方(こっち)からは俺一人なり。五月二十八日迄に草刈りかご五七製造せり。以上

五月二十九日 木 晴
祖父は使に行く。自分一人で草刈りかご作くり。四ツ作くる。ひねが良かった。農業者は作入れ、祖父も手伝う。山下彌一宅の目かごを作くる。以上

五月三十日 金 晴
早くおきたがぶらついてしまう。小さいびくを作くる。六寸五分で腰をおこす(七手半、真ん中が三ピネ)。形良く出来た。富岡丑造氏御祝あり。社ム所で幻燈会あり。見に行く。為になるものだ。

五月卅一日 土 くもり
はっきりせぬ天気なり。大沢伊三郎宅の目かご、村田礼助宅の荷かご作くり。祖父と二人で一日がかりで仕上がる。百円なり。内閣決定せり。今日午後七時二〇分、組閣本部発表。以上

冨岡寅吉日記 昭和22年6月(1947)

1947年12月31日 | 冨岡寅吉日記
昭和二十二年六月一日 日 曇
昨日の朝から草刈りを始めた。鎌形耕地へ行く。今朝は大変人が出た。ガッサリ刈って早く引上げる。夜は物真似演芸会*。1華声 2馬■ 3柳屋亀松、奈美乃一郎の四氏なり。1は動物の鳴き声、2は落語、3は歌、4は色々と言っても歌と話(せりふ)なり。以上
*ラヂオ番組

六月二日 月 くもり・雨
中島街道で草刈り。五時半には帰ってきた。家の肥引きざる作くり。形がとても良く出来た。昼過ぎ一ト市の吉住歯科医へ行ったがあまりにも混んでゐたので引返って来る。松山へ行き八拾円ばかり使ってきた。小さい物置きへ電池を悪さして電気のつく様にした。午后は雨降りなり。漁村に送る夕。浪曲・左甚五郎「竹の水仙」*。
*浪曲の題。

六月三日 火 雨
農士校前の山で草を刈る。一ツ山に四人位居る。帰る頃は雨が降り出す。ナキリミのふちつけ。ブッタイを作くり始める。竹を二尺に切る。巾は二尺四寸位にしたら形も良い。一日中時雨れてゐた。七時前に夕飯を喰う。以上

六月四日 水 晴・くもり・雨
廻り廻って鎌形耕地に出た。少しは草のある所も無きにしもでない。吉野君と逢ひ少しの話をする。十二時の上りにて隆次を連れて川越市へ行く。隆次の友内田元夫君も一しょなり。運動具屋二軒も見て帰る。松山四郎国房宅へグローブを頼む。八〇〇円の予定なり。今晩、鎌形学校へ行く。相談が今朝してあったので八時頃家を出る。丁度十二時迄話にふける。大いに為になる事もあった。以上

六月五日 木 雨
昨朝の近くで草を刈る。雨が降ったり止んだりだ。味噌コシ四ツ、目かい二つ作くる。お翁(じい)さんはナキリミを一枚作くる。一日中はっきりしない天気だ。昨夜、吉野との会談は得る所大なり。人の事は何とでも言へるが実行するのは無頭かしいものだ。積極的結婚、消極的結婚あり。恋愛技巧とは? 惑へれば惑へる程ややこしくなる。以上

六月六日 金 雨
朝から草刈りの事でなやむ。小さいかごを背負って行く。父と筵織り。午前一枚仕上がらぬ。三時頃より松山へ使に行く。電球交換す。六〇ワット十二円なり。隆次のグローブ、バットを買う。六〇〇円と六六円。帰りはバスで。毎日同じ様にくづれた天気だ。もう蛍も出た。天気の晩があればよい。以上

六月七日 土 くもり
新田(あらた)耕地にて草刈り。今朝も小さいかごを背負って行く。父と筵おり、午前一枚。早く仕上がる。金井廣吉宅より竹四本持って来る。それからも、むしろおり。一枚仕上げ、次を一返しと半分位迄。毎日、時雨れてゐる。君さん*より便り来る。以上
*談:小峯きみ。

六月八日 日 晴・夕立・雨
早くおきるのは良いが、毎朝、草刈りで閉口する。小さいかごでは早く帰れる。翁さんと筵一枚おり上げる。裸麦の刈り入れ。午前中全部刈り、午后上げる。田かきに使ふハヨ縄*と荷縄をなう。三里位北の方は赤さびた雲**ですごく雨が降ったのが見えた。此方へも雷雨があり、大へん雨が降る。大麦の脱穀を少しする。裸麦約一〇〇束。以上
*馬とマンガーをつなぐ縄。
**談:あかっさびた雲が来ると雹が降ると言っていた。

六月九日 月 朝雨後晴天
小さいかごへ草を少し刈って来る。父と大麦の脱穀。ぬれて居るのでからが切れる。父、農組*の赤司さんと金井親治さんが来て食糧調整委員を依頼される。日一パイに麦の脱穀終る。隆次を頼み吉野君へ便りを出す。夕方は気持ちよく晴れてゐた。
*農家組合。農事組合。

六月十日 火 雨
草を少し刈り早く帰って来る。しまを連れバス*で松山へ使に行く。しまの写真を撮る、一五〇円**。山岸良之助宅で遊んで来る、半日。桑原の手入れ(ほっ返し)。八時半より社務所で青団の常会。二件あり。一、小川農場指導員、二、本団主催演芸会なり。どちらとも当支部は賛成なし。十時閉会。雨降り出す。野口いつ氏と一寸との話あり。小生不利の立場なるも固き決心あり。今に見ればわかる。
*大蔵のバス停は金井屋のところにあった。
**国分写真館で撮った。

六月十一日 水 雨
朝から雨だ。草刈りを休む。蚕の上蔟なり。雨の止む間がちっともないので困る。午前の中にだいたいになる。二時頃、横須賀の渡辺臣郎氏来訪せり。嵐山駅迄送って行く。此の頃の浮世は甚だ面白くなった。吉野氏の言ふADHを大いに勉強すべし。単なる感情に動くべからずなりか。

六月十二日 木 くもり・雨
中島街道で草刈り。蚕のえん台片づけ。蚕沙片づけ。甘藷の苗を切り坊の上一号、二号畠へ植える。夕方より雨降り出す。八時過ぎに学校橋をはづしに行く。寿々木米若(すずきよねわか)の浪曲あり。

六月十三日 金 くもり・小雨
ずっと鎌形へ寄った方へ草刈りに行く。此の頃は朝の中は天気模様もよいがすぐ悪化する。八時半の下りにて小川の吉住歯科医へ行く。始めてなので十五円なり。小川下り十一時ので帰宅せり。父と馬小屋の肥出し。終りて風呂場のカコイの修繕。八時頃家を出て菅谷から(中島君)、志賀(大野君)を訪問し十時一寸過ぎ帰る。会の結成を祈りつヽ。

六月十四日 土 くもり・雨
今年になって始めて根岸河原へ草刈りに行った。誰も刈り手がゐないので一人でぎっしり刈って帰る。柴田方の春田*の田かき。父と二人で。まき、菅谷の家へ田植の手伝ひに行く。小生も十一時頃より行く。日中は雨も降らずに仕事をするには好都合なり。良之助君と二人で牛つかい、一反五畝上げ代をする。丁度、日の暮れる迄やる。牛のシン取りは楽なものだ。今夜、二本木座に何かあると昨夜言ったが?
*麦を作らない湿田。どぶったにちかい田んぼ。

六月十五日 日 雨
草刈りを休んだので父の怒りは格別だ。父、自分、まきの三人で菅谷の家へ田植えに行く。朝から雨が降ってゐる。午前、約一反五畝、午后も同じ位植へる。全然雨が止まぬ。着物は中迄よく濡た。社務所に農組の臨時総会あり。父行く。吉野へ手紙を出す。以上

六月十六日 月 雨・くもり
今朝も草刈り中止。雨は大降りだ。マントを着て嵐山駅に行く。途中ズボンがびしょぬれとなる。八時二〇分の下りにて、小川町の吉住歯科医へ行く、三〇円。根岸茂夫君も同じ電車で小川へ行った。大沢伊三郎より竹を切って来て、苗取り腰掛けを四ツ作くる。肥引きザルの中を作くる。夕方は又雨が降りだした。農家へ送る夕。落語(テレツク)三遊亭円カ、講談(二宮金次郎)。

六月十七日 火 くもり・晴・朝の中小雨
月田橋を渡り、氷川神社の西山で草を刈る。コジケ鳥が二羽鳴いてゐた。肥引きザル(家で使用)一ツ作くる。繭かきの手伝ひ。午後、毛羽取り。本繭一四〆五〇〇匁、中二〆〇〇、玉一〆〇〇。祖父さん、乾燥場(鎌形山際)へ行く。夕方より太陽が出る。今月になって始めて空が良く晴れ、星が見える。菅谷に映画があるそうな。以上

六月十八日 水 晴
耕地は草刈りへ行ったが草がなくて困った。柴田方のリヤカーで藤五郎氏と二人で行く。九〆六〇〇匁出す。一等なり。拾貫出せば銘仙が来ると言ふので、たしを五四〇匁、計一〇〆一四〇匁供出せり。祖父とまきは鎌形へ乾燥繭を持って行く。畳(たたみや)*方で世話になる。西原の大麦刈り、運搬。裸麦のオシノウ終る。今日は朝から日が出てゐた。大麦、西原九二束。以上
*鎌形・杉田恒吉方の屋号。たたみや。

六月十九日 木 晴
月田橋の下の河原へ行く。隆次も学校が休みなので草刈りに出る。大麦(万力)の脱穀、父と二人。他の連中はカッパ抜き。前畠と西の原をする。麦の脱穀おわり裸麦を俵にする。俵できて、二俵、長島水車へ持って行く。二十三日にできるそうだ。吉野より便りあり。以上

六月二十日 金 くもり・雨
二瀬の下の向山*へ草刈りに行く。行きも帰りもいつちゃんと一しょ。昨日脱穀せし、麦を庭へ干す。山王前畠の麦刈り。西原の残りも刈る。午后、麦上げ。西原一四束、山王前一四一束、大麦刈り切る。おしのう。夜、吉野勇作君へダイヂィストを持って行って呉れた。二人で県道を散歩しつヽ話しにふける。十時半には帰宅せり。竹本屋へ話しに行き十一時一寸と過ぎに帰る。村田清治君、本団の役員会より帰る。以上
*向こうの山と言う意味。

六月二十一日 土 くもり
鎌形耕地で草を刈る。早くの中はかまも切れ、草が溜った。大麦の脱穀。青サ*なので穀きづらい。翁さん、松山方面へ使に行って来る。鍬の先がけ出来た。二丁の百八〇円なり。父と二人で一日脱穀。他の者はカッパ抜き。七時三〇分より「万才アパート」四組の万才、実に面白かった。以上
*実が入っていない。時期が来ても熟さないこと。「あをさにたった」と人に言うこともある。

六月二十二日 日 くもり・晴
早くくさが刈れた。大麦の脱穀約五十束。隆次に出させて自分一人で扱く。三時頃より菅谷の家へかご作くりに行く。一尺五寸、一尺六寸式各一ツづヽ作くる。終る頃に暗くなった。芝居を見て来る。村田福次氏の親戚の水房の娘、隣に居た(かくさん)。宮島暉二君の近所はのりこさんだそうだ。しばゐは上手だ。

六月二十三日 月 くもり
今朝も耕地へ行く。午后、水車へ米一俵半持って行く。父、遠山より粉を持って来る。菅谷の家へ梅貰いに行き木に登り落して来る(約二〆五百匁位)。春蚕の銭を貯金する、一二〇〇円。靴下の配給あり、一六円九〇銭。井戸端の柵を作くりかえる。青団、男子だけの常会あり。橋の件についてなり。

六月二十四日 火 くもり
四時起床。青年団にて橋かけ。六時頃終る。金井元吉君の機械で大麦のシノウ。十時四〇分に始め十二時十五分に終る、一時間三五分。父、小川の本田蹄鉄やへ馬を連れて行く。農業会申し込みおきしモーター配給される。機番一〇七六七。坊ノ上三号畠の麦刈り。発信 話の泉係 其ノ他或る人。以上

六月二十五日 水 晴
耕地へ草刈りに行き、左の人差し指を少し斬る。七時三〇分の電車で小川へ行く。川島屋にて草刈りがま一丁四〇円。コンデンサーを見る。大一二〇〇円、小九五〇円。思ったより安い品だった。坊の上畠の小麦刈り。一号が四分の一残る。夕めし後停電す。

六月二十六日 木 晴
月田橋の真下から上で草を刈る。一号畠の麦刈り。新田のじゃがいも掘り。畠の小麦刈り終る。田麦(曽利町)全部刈り上げ、大麦(万力)五俵仕上げる。大田の馬鈴薯約三分の一掘る。父、午前、柴田方の馬耕及び、代かき。植える手伝いには誰も行かぬ。夕方迄、停電す。以上

六月二十七日 金 晴・くもり
二瀬の上手で片ぱしから草を刈る。バラが随分あった。曽利町の田の馬耕、午前中。午后、大田、新田の馬鈴薯掘りおわる。曽利町の田かき。隆次鼻取りをする。三枚、あらくれ、とおしくろ*をつける。苗(糯)全部取る。以上
*田んぼを仕切るかんたんなくろ。てぐろともいう。

六月二十八日 土 雨
草刈り中止。曽利町の上げ代。午前中、山下卯之吉宅の田を全部植へる(糯)。雨が降ってゐるが風がなく仕事がしよい。午后、苗代のけつへ農林を植へる。左の足のヒザがいたむ。頭も少しずきんといたい。金井宣久君、かごの勘定に来る。小生へ純綿の地下足袋を持ってきて呉れた。夜は雨も止んでゐる。以上

六月二十九日 日 くもり・雨
今朝も草刈りを休む。モーターの台作くり。松の木で作くったが折れてしまい杉で作くる。酒の配給、一升二合。まきが受けに行く。坊ノ上一号畠、甘藷の切かけ。雨が降ってきたので中止す。誰か俺の机の鍵を壊す。小生の立腹、甚だ多し。所得税の申告七四〇〇円也。以上

六月三十日 月 くもり・雨
八時のバスで松山へ行く。福田機械店にてコンデンサー(四〇)コード、ネヂ、計一三一六円の買物をする。菅谷の家へ猫子を呉れる。裸麦供出一俵(一等)。新田六畝の小麦刈り上げ二十七束。小林元一郎氏へ茄子苗呉れる。六畝の馬耕。馬が張切ってゐる。

冨岡寅吉日記 昭和22年7月(1947)

1947年12月31日 | 冨岡寅吉日記
七月一日 火 雨
耕地で草を少し刈って帰る。六畝の荒くれ、続いて上げ代。昼前三分の一位植へた。一日中雨が降ってゐた。六畝早くおわり、苗代の空いた所へも植へる。俺は腹がいたくなり、夕方まで何もしない。父、昨日上げた小麦(二十七束)の脱穀。以上

七月二日 水 雷・雨
何時になく良く晴れた。夏の太陽は気持ちよい。新田堀(あらたぼり)の廻りで草刈り。大田、四畝の小麦刈り。午后、車ひき。四時近くに俄雨あり。でも家では麦が取り込めた。方々の家では濡した。四時頃より大田の馬耕、一畝位残った。夜、大沢伊三郎方へ堀口君がきたので話に行き十時一寸すぎ迄ゐた。以上

七月三日 木 晴
昨日と同じ様な天気だ。草刈り。大田の残りと四畝の馬耕。新田の麦刈り。午前中、刈り切り二車運ぶ。午后、一車運び、四畝、大田の荒くれ、くろつけ、日一ぱいかかる。かぜをひいた。皆は苗取り。大麦七俵、小麦一俵上げる*。今晩はよい月だ。河原の方へ行って見たくとも体具合最悪なり。
*談:上げるは俵に入れること。

七月四日 金 くもり
草刈りにも行かずにねてゐた。大田の上げ代に行ったがすぐ引き帰る。農電工事の手伝ひに行く。富岡七之助裏と前へ電柱をたてる、午前中。菅谷の叔父さん、良ちゃんの二人がきて呉れた。大田、四畝(苗束二五〇)を植へる。小生怒りてまきの頭をはたく。彼の口が強すぎるからだ。これからも大いにせいさいを加ふべし。

七月五日 土 晴
草刈り中止。田の水引きに行ったが一滴も来ない。小川町の関根淳一郎*宅を訪れる。四、五回きいたが、家が見つからぬ。ようようの事で見付かった。逢うと実に気持ちのよいお人だ。遠山を通って行った。赤寺**の前できみさんに逢う。午后、馬耕。三、四時頃の暑さは格別だ。柴田方の上を一枚荒くれを押す。夜も暑い。馬鈴薯の買出し来る、九人位。
農会配給品 一反物、豆シボリ二本。マッチ大等あり。
*談:父の軍隊の時の小隊長。群馬の方で作っていた脱穀機の取次をしていた。
**鎌形の宗信寺。

七月六日 日 雨・晴
朝の中、大雨あり雷も鳴る。柴田方の上の田の荒くれ及び上げ代。家の七畝と三畝の荒くれ、くろつけ。柴田方の下を耕い荒くれを押す。柴田方で植え家の苗を取る。午前中は雨も降ったり止んだりだが、午后は止み、日も出る。夕方、関根淳一郎さん来る。手金二千円、押麦一斗五升やる。

七月七日 月 晴
朝作くり、七畝、三畝の上げ代。七畝、三畝、午前中植える。午后、苗代片づけ。休み迄に植へ終る。今日の鼻取りは美作氏がする。柴田方の苗代のこりとなった。農電の工事来る。去年も今日、新田の七畝を植えた。そして八日が植へ切りだった。むし暑かった。夕方の入り日はよかった。吉野勇作君、牛平宅*へ助にきてゐた。午前中だけ、牛車と共に。
吉野丑平の家の田。吉野みやさんち*。
*談:吉野丑平の娘みや。現吉野良男宅。吉野勇作の下隣の家。

七月八日 火 晴
天ズイ耕地で草刈り。吉野次郎氏、上の方へ見えた。下肥かえ出し。関根さんがきたので理昌宅のリヤカーを借り、明覚駅迄脱穀機を持ちに行く。十時の貨車でついた。とても暑い日だ。農電工事内線をする。家は設計が間違って居り手間取る。モーター・コンデンサー共によく合う。でも工事費用がかかりそうだ。五仟円位らしい。一日暑い日だった。脱穀機代五千四百円、プーレ*二百円。
*ベルトをかける輪。6インチ(麦用)と8インチ(稲用)の直径のものがあり、麦用の方が脱穀機の回転が速い。

七月九日 水 晴
七時十三分の上りで富岡丑造氏と東京方面へ行く。神田で下車し市内を一廻りする。ベルト一尺七〇円だ。十六尺一一二〇円なり。暑いのでアンミツ氷を喰う。帰りに東上線故障のため大宮廻りで帰る。池袋―(8円)赤羽―川口―蕨―浦和―北浦和―与野―南古谷―(8円)大宮―(6円)日進―指扇―  ―川越。大宮発十六時二〇分、嵐山着六時半。ベルトをつける。

七月十日 木 晴
昨夜、夜警なり。今朝はゆっくりおきる。モーターにて麦の脱穀を始めたが具合がわるい。村田清治君、柴田美作君がきて呉れて調子が出る。でも脱穀機の具合が悪い。一日中休みと仕事を半々位にした。山下正君によく教わる。もう下寺(しもでら)*で太鼓を練習してゐる奴がある。夜、雷雨あり。
*大蔵の安養寺。上寺は向徳寺。

七月十一日 金 晴・夜雨
朝づくりに脱穀機をいじる。九時頃停電した。庭畠の馬鈴薯ほり。坊の上二号畠の甘藷の草取り。午后、電気がきたので麦の脱穀。途中でネヂがなくなり前中工場へ貰いに行く。待ってゐて作ってもらう。夜はにわか雨あり。以上

七月十二日 土 くもり・小雨
四時起床。小麦の脱穀。今朝は大変扱けた。八時一寸すぎにモーター停止する。コンデンサーのマイクル*が小さいからだ。松山へ交換に行ったがなく現金を持って来る。十二・三〇の下りで小川町へ行き川島やへ注文した。甘藷の切かけ。午后、雨も止む。柴田方のコンデンサーを借りて夕方より又始める。夕方は電力が弱い。明日より農休みだ。以上
*談:コンデンサーの容量。

七月十三日 日 くもり
今朝は早くから麦の脱穀機械の具合良好なり。畠の小麦おわる。二十七号も三時頃おわる。今日より三日間農休みだ。夕方まで仕事をする。菅谷の天王様へ守平以下隆次迄行った。小生は行かぬ。くもってゐるが雨は降らぬだらう。以上

七月十四日 月 晴
中島街道で草を刈る。昨日から祖父さんも草刈りに出た。大沢伊三郎氏より精米キを借りて米つき。午前二俵。午后、唐子の床やへ行き小川町へ行く。コンデンサー破断せり。同級生内田とし子、西沢いつ両氏に小川町駅で逢い暫く話す。卒業後、四、五年たつと同級生は懐しいものだ。まき、きみちゃんの家へ遊びに行く。

七月十五日 火 晴
昨夜は菅谷の天王様見に行く。今朝早くから丑造氏と堀をとめて魚取り。十一時頃おわる。あまりたんと取れぬ。午后、自転車で松山へ行き、隆次のズック靴と野球帽を買う。くつ三〇〇円、帽子七五円。金ちゃんの店で氷三杯のむ。甘かった。小麦を俵にする。検査俵は四斗五升五合入れる。以上

七月十六日 水 晴
朝づくりに麦の脱穀。九時頃終る。農業会の精米所へ小麦、大麦各一俵持って行く。十一時の上りで川越市へ使に行く。優良生産品の展示実演会あり。第二会場だけ見た。本町の飯島商店へコンデンサーを注文し手金として五百円置く。夜、鎌形廻りで菅谷の映画見て来る。よくないものだ。吉野勇、吉野次、杉田先生*と逢う。十二時帰る。
*吉野勇作、次郎と杉田康治先生。

七月十七日 木 晴
耕地に草があった。帰りはいつちゃん*達と一しょ。麦から干し。西原の二番切り。日中はかなり暑い。だいたいの二番切りおわる。麦からを物置の二階へ上げる。昼休みに便りを書く。小麦も全部俵となる。小麦合計で 俵、大麦 俵。
*野口いつ。

七月十八日 金 晴
昨日の朝と同じ方へ行く。草がある。麦から干。坊の上一号畠へ堆肥出し。日中はかなりむし暑い。昼休みに理昌宅で肥料分配。養蚕経由四九・九〇銭。一号畠の肥引きおわる。水車へ粉持ちに行く。昨日も行った河原できみさんに逢ひしも、きみさんのお父さんがきてすぐ別れる。警防団寄合。

七月十九日 土 晴
耕地で草刈り。今日も麦から干し。二号畠へ肥引き。午前中早くおわる。物置きの東の桑園の草退治。きれいにできた。麦からをたなぎへ上げる。全部おわる。夕方は涼しい。夜、村田清治君宅へ話に行く。以上

七月二十日 日 晴
曽利町の田ころがし。四畝、六畝もする。午后、四人で田の草取り。日没と同時に前記の所がおわる。和田の天王様の芝居見に行く。心に決する所なり。以上

七月二十一日 月 晴
今年草刈りに出だして一番早くうんと刈れた。向徳寺より孟宗二本、真竹一本切ってきて目かいのたて割り。午后、親治さん、廣吉さんと農業会へ肥料持ちに行き夕方迄かかり分配す。父、調整委員会で学校へ。まき、昨日と今日、金井廣吉さんへ。

七月二十二日 火 くもり
いつちゃん達と一しょに草刈りへ行く。くもってゐてむし暑い天気だ。目かいつくり十九。まき、今日は軍造氏宅へ奉仕。実組で麦供出割当、家九俵なり。きみさんへ返事を出す。一日中むしあつかった。以上

七月二十三日 水 晴
草があった。村田清治君と松山へ行く。籾すりきを見に川越へも走る*。ゆっくり廻った。求める品は皆目ない。夕方、日が没してから帰る。長屋(ながや)の床や**で顔をそって来る。以上
*談:共同の籾摺り機を買うために、松山、河越まで自転車で行った、
**岩田医院の東の大塚理髪店。

七月二十四日 木 晴
天王様なので御仮屋と舞台作くり、午前中。ぶたいは二間と一間半位のもの。午后、花こしらへ。唐(とう)らうのはりかえ。小生、竹割り*。背戸の樫の木へ電気をだした。上手に行った。夕方、社務所で御神酒を頂く。早くより御こしをもみ始める。太鼓をはたいたりした。人の出も大したものだ。十二時にねた。以上
*談:天王様の竹割りはこの年が最初。これまではお祖父さんが行っていた。

七月二十五日 金 晴
草がとても早く刈れた。七時一三分の上りで川越市へ使に行く。用足らず。午前中一ぱいかかった。午后、神社で一杯のむ。シシの戸別廻り。今年は天王様をもむ人がゐ勢がよくなかった。夜は停電なり。

七月二十六日 土 晴
草刈りから帰ってねたが、貝がなり、おこされた*。天王様の後片づけ。午后四時頃迄昼ね。夕方、村田君と松山へ行く。精米キは入荷しなかったが、籾摺りはあり注文した。約六千五百円位の見込み。夜は又停電なり。以上
*談:早起き会は向徳寺の鐘とラッパが合図だったが、天王様の集合はホラ貝で合図した。

七月二十七日 日 晴
田の草取り。大田の一番草、六畝の二番草、七畝の一番草で午前中。午后、ゆっくり昼ねをした。村田君と松山の「金松(かねまつ)」へ籾摺を持ちに行く。六千五〇〇円*。夜帰って来る。むし暑い。今夜も停電。
*村田、富岡の二軒で買う。

七月二十八日 月 晴
耕地にも草がなくなった。曽利町の二番草取り。十時頃終る。父は軍造氏宅へ奉仕。三号畠の甘藷へ肥出し。今日はとても暑い日だ。桑原の草むしり。今夜は電気がきた。村田宅より家へ籾摺キを持って来る。

七月二十九日 火 くもり
今朝は草があった。朝飯後、水車へ粉持ちに行く。三〆六〇〇匁で全部持って来る(六〇円)。桑園の草むしり。山王前と前畠なり。午后は曇ってゐて仕事をするには良かった。今晩は停電せり、七時頃より。

七月三十日 水 くもり後晴
草刈り。母と筵おりを始めたが午前中ゆっくりしたので一枚仕上がらぬ。午后、父とする。麦の供出、小麦二俵、二等。夕方迄に一枚と二返し織る。夜警をする、四時過ぎ迄。井戸の釣桶ができて祖父、持ちに行く*。
*松山町本町の桶屋で買う。

七月卅一日 木
夜警から帰ってすぐ草刈りに行く。草がほきてゐたので人が出て来る時分は帰れた。筵おり。むし暑い。停電。

冨岡寅吉日記 昭和22年8月(1947)

1947年12月31日 | 冨岡寅吉日記
八月一日 金 晴
耕地へ草刈りがふへたので草がない。今日も筵織り。一日中むし暑い。新聞に千歳村の写真があった。香田健道さんへ一筆。

八月二日 土 晴天
中島街道の一番向うで草刈り。祖父と筵織り。右手の中指を打ち、爪を割り血が出た。一日中照ってゐたが南の風が強く涼しい。三時迄昼ねをする。切干甘藷へ酒来る。七俵分、五合六勺。玉川横町の天王様へ自転車で行く。賑やかだった。

八月三日 日 晴
大堀端で草刈り。曽利町の三番草取り。次で六畝をする。昼近くなって祖父さんヒンケツした。一時たまげた。午后、大田を父、隆次と小生三人で取る。夕方は涼しく気持ち良い。夜は、玉川横町の天王様へ行く。以上

八月四日 月 晴
もう草がない。朝食後、村田君と松山へ精米キを持ちに行く。十一時近くなって帰って来る。午后、試運転したが具合が非常に悪い。理昌宅の米をついたが気の毒だった。夕方、精米キを返しに行く。八時頃帰って来る。停電は一晩交替。

八月五日 火 晴
ずっと上って八幡橋へ出る方で草刈り。一かご刈るのに手間がかかる。大沢伊三郎宅へ父と二人で田の草取りの手伝ひに行く。草がひどくて田が固い。小生の腹具合少し下り気なるも異常なし。伊三郎方へ夕飯を御馳走になる。

八月六日 水 くもり・夕立雨少し
おそくおきたので坊の上の道で草を刈る。今日も村田君と松山行き。精米キは無かった。午后、魚突き。千手堂橋より、ずっと上へ行ったが取れない。夕方少しの雨あり。待って居る雨もあまり降らぬものだ。以上

八月七日 木 雨
昨夜来より雨となる。農業会へ貯金下げに行く、三仟円。叔母さんの家で「あヽ玉杯に花うけて」の本を読んでゐて二時頃まで居る。気持ちの憂うつな日だ。夜、青年団の常会あり。種々の話が出た。以上

八月八日 金 晴
すっかり草がなくなった。父と馬小屋の肥出し、筵織り。午前一枚仕上げる。昼休みにしまを連れて水あびに行く。川の水はドロにごりだ。三〇分ばかり遊んで帰る。祖母とむしろおり。夕立あり。北の方はひどかった。以上

八月九日 土 晴
筵おり。桑園用の肥料配給になる。一枚おり上げる。隆次、丑ちゃんの魚取りの手伝ひ。一〆位分けてもらってくる。農業会へ大麦持ちに行き、岩二君、丑造君に逢い、叔母の家で色々と話合う。夕方薄暗くなって帰る。以上

八月十日 日 晴
金井倉次郎宅より竹を切ってきてホロ蚊屋*の中を作くる。始めてとしては良くできた。午后、床やへ行く。石ケン入れが置き忘れてあった**。健治君と菅谷へ芝居見に行く。吉村と玉川千鳥の二座合同なり。
*子供が寝るときの蚊よけ。
**談:この頃は石けんを床やへ持って行ったらしい。

八月十一日 月 晴
松中講堂に夏期農業大学講座があるので出席した。午前、ねむくてたまらぬ。講師・外務省第一課長柿坪氏。午後は面白くないので早退す。農業会へモーターの代金払込む、三二〇〇円。貯金も全額下げる、一〇二〇〇円。菅谷銀行へ七〇〇〇円あづける。以上

八月十二日 火 晴
父とむしろおり。一枚おり上げる。十一枚できた。横須賀の小母さんと婿さんが来て帰る。土産を貰う。新聞配達、日一杯かかった。以上

八月十三日 水 晴
むしろ十三。草が少なくなった。父と筵織り。午前一枚、午后も一枚仕上げる。入日は真赤にやけてゐる。夕方は涼しい風が吹いた。

八月十四日 木 晴
桑摘みの手伝ひ。十時十三分の上りにて松山へ行く。良之助宅へ茄子を持って行く。午后、中学校講堂*でニュース、漫画と「無法松の一生」と言ふ映画を見る。暑いのでやりきれぬ。帰りに国民校廻って帰る。
*松山中学。

八月十五日 金 晴
終戦満二周年。新田の近辺で草刈り。蚕の上蔟。約三〇マブシで午前中おわる。岡本七五三氏来訪せり。暫く話して行く。父とむしろおり。一枚しあがらなかった。以上

八月十六日 土 晴
父とむしろおり。午休みに大堀さらい。むしろおり。実行組合長宅で配給品の分配。

八月十七日 日 晴・大夕立
大堀端で草刈り。早く刈れた。草がないので少し刈る。七時十三分の上りにて松山へ使に行く。時計のガラスを入れ替える、二十五円。九時にて帰り叔母さんの家*で吉野大尉の娘、しげ子さんと暫く話した。岡本七五三君来宅せり。魚釣りに行く。大雷雨あり。橋をはずす。岡本君泊りとなる。未だ雷の音聞える。
*談:祖母カツの妹ウメおばさんの住んでいた長屋(現高山お茶屋のあるあたり)の隣に吉野大尉一家が住んでいた。

八月十八日 月 くもり・雨
叔母さんの家へ枝を十五束持って行く*。半日かかる。今日はおしめり祝ひだ。午后、盆踊に使う背負いマンドを作くる。我ながら良く出来た。夕方、雨が降ってきた。以上
*談:荷車で持って行く。リヤカーは昭和二九年に買う。

八月十九日 火 晴
むしろ十五。土手で草刈り。鎌が切れぬ。井戸つるべの縄ない。父と筵おり。ゆっくりおる。十五枚目をおり上げ、次を仕立てて一回おる。今晩、青年団の常会なるも、小生に話がないのでしぶって居る。

八月廿日 水 晴
むしろ十六、十七。父、水車へ粉持ちに行く。筵おり。午前一枚、午后も一枚(十七枚目)。夜、神社で踊の練習。皆一生懸命踊る。植木山の長島さん*、笛を持ってきて吹いて呉れた。今晩、夜警なり。
*長島勇三郎。

八月廿一日 木 晴
川向へ草刈りに行く。父と馬小屋の肥出し。川へ遊びに行く。万燈作くり。表面(豊年満作)、左側(都幾川育ちの)、右(大蔵ぎつね)。我ながらうまくできた。夜、青年団にて花こしらへ。以上

八月二十二日 金 晴
繭の出荷三〆一八〇匁、一等だ。棒電池を買い、平沢の家へ行き、ハンダでつないで貰う、半日。午后、青年団で万燈と花こしらへ。小生、竹割り。ちょうちんの中へ電気を入れる*。近くで盆踊りの太鼓の音が聞える。
*談:万灯の中に電球をいれ、電池はズボンのポケットに入れておき、スイッチは手に持っていて着けたり消したりする。

八月二十三日 土 晴
菅谷の前中工場へ花の竹割りに行く。母と少しむしろおる。昼休みに青年団にて橋かけ。西原の畠へ小豆もぎに行く。ビク一杯もいだ。青年団にて菅谷へ盆踊りに行く*。大蔵の万燈が最優秀だった。小生は赤い着物で狐のお面をかぶって踊る。ケッ作だった。青年団の連中は踊りに不熱心だった。やる時は大いにやるべし。人の事はあまりとやかく申すな。以上
*談:この頃の盆踊は秩父音頭だった。

八月二十四日 日 晴
朝めし後、魚釣りに行く。二瀬よりだんだん下って農士校の前まできた。四〇匹ばかり釣る。昼ねをゆっくりして、夕方菅谷の方へ出かける。夜は菅谷の踊へ行く。太鼓を二回ばかりはたく。岩沢茂雄君の妹しづえさんと少し話す。

八月廿五日 月 晴
守平を連れて魚釣りに行く。よく釣れる。昼休みに中島君の家*へ午后の支度の品を持って行く。五時に中島君の家へ行く。中島源之、同運竝、大野角蔵、西澤金作、吉野栄一、小生の六名で一杯のむ。大いに賑ぎわった。小生が酒に一番弱いやうだ。十一時半に帰宅せり。
*談:菅谷の同級生中島運竝宅。六人会の最初の会合。後に小沢長助と根岸直次が参加して八人会となる。

八月二十六日 火 晴
六時十三分発で川越市迄使に行く。八時五六分発の下りで帰る(川越発)。ゆっくり昼寝をする。夕方、川へ身を洗に行く。夜は金井宣久君の家であそんで来る。社務所で青年部*の連中が一生懸命文化祭の練習をしてゐる。以上
*農民組合青年部。

八月二十七日 水 晴
菅谷村消防団の結成式、九時より小学校校庭で。団長内田実、副瀧澤長重。菅谷のガソリンポンプの試運転見学。午后、西原の小豆もぎ。今晩、社務所に青年部の演芸会あり。

八月二十八日 木 雨
部会の運動会なり。朝の中、小雨だったが日中はかなり大降りがした。その最中、吉野君に頼れて彼の家へ行く。雨天の中に運動会をする。幅跳び、男団長(内田喜雄)五米二四糎、根岸茂夫四米九五。女、まき三米九四、小林とし子三、六一だった。暗くなる迄やった。夜、橋はずし。以上

八月二十九日 金 晴
西原の小豆もぎを少しして十一時三三分の下りで小川会館へ市川八百蔵一座の歌舞伎見に行く。全然意味がわからぬ。中島利恭君と一しょ。夜、青年部の文化祭。今晩は中々盛大に挙行できた。小生花を一〇〇円上げる。以上

八月三十日 土 晴
草刈りも少し遅れると目的地を占領される。父と馬小屋の肥出し。大根を蒔く地を耕す。午前中一杯かかった。午后、雷雨あり、少々雨降る。父とむしろおり。二〇枚目がおり上がった。ズボン下の配給あり、百六〇円。以上

八月三十一日 日 晴
西原の畠へ小豆もぎに行く。半分以上こいで来る。午前少しもぐ。父、午后は実行組合長宅へ、色々の会議。小生、酒の配給受けに行く、五合(四四円五〇銭)。長島水車へ粉持ちに行き大麦一俵持って行き、押麦も一俵持って来る。大、小麦一俵づつ手間代一二〇円。健治君来る。神戸の家で房ちゃんの葬式。祖父さんが行く。香料一〇〇円包む。

冨岡寅吉日記 昭和22年9月(1947)

1947年12月31日 | 冨岡寅吉日記
九月一日 月 晴
農士学校の加工場へ行きトウモロコシのからを押しつぶして貰う。四〇本ばかり持って行き二升近く出来た。午前中、それをにつめる。実に甘くなった。大沢伊三郎宅で米を一俵ついて貰う。煙草の配給三八、四五銭。新聞配達。理昌宅で二時間位昼ねをする。大根蒔く所の畦作くり。以上

九月二日 火 くもり
前畠へ大根を蒔く。西原へ小豆こぎに行く。小豆もぎ。二百十日も無事なり。ほんの少しの雨があった。社務所で青年部の常会。支部長金子丑平、副根岸福平、野村収一、忍田明治(はるじ)、其ノ他役員の改選ありしも小生は平気の平左なり。十時頃終了す。以上

九月三日 水 晴
暫く振りに唐子河原へ草刈り行く。とても多くあり早く刈れた。父と馬小屋の下(おろ)しの修繕。昼休みにほりさらい。今日は二十名だけ。水門*に悪さがしてあった。農業会へ粉持ちに行く、一五五円。此の間の配給物資の価額わかる。ズボン四六円、シャツ三五円。
*談:石代(こくだい)堰の水の取り入れ口。

九月四日 木 晴
昨日の朝の方で草刈り。今朝は早かった。桑園の草むしり。午前おわる。玉蜀こしの木を農士校へ持って行き絞って貰う。二升四合で手間二十五円。父は調整委員会へ。小生は砂糖作くり。小豆ボートー*をしたが余り甘くない。以上
*談:寒いときによくやった。お汁粉のもちの代わりにうどんが入っている。

九月五日 金 晴
根岸河原にも草がなくなった。味噌つき*。向徳寺より竹を切って来る。孟宗二本と真竹十七本、金二百円。午后、草刈りかご作くり。四ツくみ上げる。根岸観音様に芝居ありしも九時迄停電してゐた。「夫なき花嫁」は上手に出来た。見物約一〇〇名。以上
*談:大豆を煮たのを臼でつくこと。

九月六日 土 晴
二瀬の川下で草刈り。ゆっくり帰って来る。草刈りかごのふちまき四つ、あと一つ始める。隆次(ジンマシン)で菅谷のゐ者へ行く、八五円。午后、昼ね。祖父、役場へ所得について。夜、二本木座に素人のど自まんあり。斉藤君*出席せし。大変上手だったが上には上あり。
*談:斉藤三郎。歌が上手だった。

九月七日 日 くもり
郡下選手権獲得大会なり。八時十三分発の電車で応援に行く。富岡健治君の角力は優秀だ。県に行く事に決定せり。菅谷の小学校で野球を見て来る。以上

九月八日 月 晴
草刈りに早くおきたがゐがいたいので中止した。日が高くなって起きた。昼も喰わずに三時頃迄ねてゐた。残暑きびしき良き秋の一日もゐがいたい為、憂うつにすぎた。以上

九月九日 火 くもり・小雨
今朝も草刈り中止す。目かいのそこ九ツ組む。午前中十ふちをまき、午后仕上げる。次に終りて、小生、幅広のバンドを製造する。うまく出来そうだ。村田宅が宿で夜警なりしもトランプをしてゐて四時半まで起きてゐた。

九月十日 水 小雨
夜警で四時三〇分迄おきてゐて、すぐ草刈りに行く。二朝休んだが今朝は多くさんある。早く帰る。バンド作くり。祖父、所得税の件で地方事ム所へ。小生、菅谷の叔母の所へ目かい八ツ持って行き松山まで行った。叔母の家で中島運竝君に逢ひ暫く話した。一日中時雨れてゐた。二百二十日の前祝でもある。一日何も仕事をしずにすごしたわけだ。以上

九月十一日 木 小雨
今日も又雨だ。草刈りでびしょぬれとなる。目かい作くる。竹割りが未だうまくできぬ、九ツ。午前中、そこがくみ切れなかった。夕方までには全部仕上げる。一昨日より夕飯のうどんのし。今日で三日する。少しは上達せり。空模様未だ良くならぬ。

九月十二日 金 小雨・くもり
大堀ばたに草がほきてゐた。目かいの竹わり。一時より社ム所で金曜会*あり。小生始めて出席す。明覚の堀野氏の話(「君が代」と「農民組合の目的」)、其の他あり。目かい十二そこを組む。岡松やへ八ツ目かいを持って行く。神戸のたつさん**へ一ツ呉れる。
*農民組合の勉強会。
**談:祖父の妹の子、関口たつ。浜野七平の姉。自分を子守ってくれた人。

九月十三日 土 くもり・小雨
毎日はっきりしない天気だ。目かい作くり、十三仕上げる。新藤武治方へくまで四本、目かい一つ、計一七〇円。大工の家へ目かご(五升がま)一つ作くる。夕方又小雨降り出す。蚕の報償として小麦一俵と馬鈴薯三〆来る、約七〇〇円。蚕用として石油一合、二〇〇銭なり。

九月十四日 日 雨
朝から雨降りだ。ずっと上の耕地へ草刈りに行く。午前中は何もしないでぶらぶら過し、午后竹箒作くり。簡単なものだ。十六本作くる。夜半より颱風*の来る情報あり。「話の泉」係へ問を出す、十問。
*九月一四日~一六日、キャスリーン台風が関東、東北地方で猛威。

九月十五日 月 雨・大雨
朝作くりに富岡将治君と橋を土手まで上げる。もう水がふえて乾燥場*からは通れぬ。竹ほうき作くり。午后、青年団の常会。終りて橋を乾燥場の所まで運ぶ。川の水がどんどんまして来る。根岸へ応援に行く。秋山芳松さんの家は腰以上も水がは入った。月田橋真中がおちる。背立棒の頭が見えなくなる。夜もそうとうの雨量だ。守平、菅谷へ宿る。大蔵の土手を水がこし、山下**はまるで海だ。
*談:現在の木闇輝行宅あたり。
**向徳寺の裏。やました。

九月十六日 水 晴天
昨夜の嵐はどこへやら青々とした天気となりぬ。ブッタイを持ち魚取り。少しは取る。大蔵の堤が七〇米位かけた。農士校前の蛇かごも半分以上ない。午后、青年部にて油面の高圧電柱が三本倒れたのを立てる。神社の杉も倒れかかったのを二本切る。竹ぼうき四十八本できた。丑造氏へ一本呉れる。

九月十七日 水 晴
草刈りも少なくなった。午前中、精米をする。機械の具合は良好だ。糯二俵、粳一俵精米する。午后、かずの木の皮むき*。以上
*談:たかぼうきを縛るため。

九月十八日 木 くもり
昨夜の星空も今朝は雨となる。もろこしほうき作くり。早昼めしで小学校へ運動会の練習に行く。団員皆一生懸命にやった。将軍沢の吉沢三省(かずみ)さんの英霊還る。千手堂の内田長太郎氏も一しょ。千手堂も練習に来る。以上

九月十九日 金 くもり・半晴
字にて道普請。二組に分れ、小生は将軍沢へ行く道路、デンボコ*へ行く。始めの中は皆ぶらぶらだったが、最後は一生けんめいやる。菅沼善一さんより水害の電報来る。金曜会にて東京よりきた北添氏の共産党の話。
*談:現大行院のあたり。デンボコ山もあった。

九月二十日 土 くもり
父は八時三〇分の下りで小川へ食調委の郡代表選挙に行く。候補は中村武一氏(七郷)。小生、九時の上りで松山へ行く。午后、ぶらつき。夜、青年団の常会。運動会の件と慰労会の事。話はだいたいまとまる。

九月二十一日 日 くもり
コンデンサーの件で気がもめる。前中工場の電話を借用して問ひ合すと今月一杯との事だ。玉ネギをうえる。隆次を相手に馬やの肥だし。油面の桑畠の草むしり、父と二人で。此の頃毎夕方めん打ち上達せり。

九月二十二日 月 晴
耕地に草がない。でも小生は早くかえる。西原より豆をこいで来る。それを脱穀する。昼休みに上寺で金井春二、新藤岩二の両君と高跳のれんしゅう。山王前畠の豆こぎ十五束。以上

九月二十三日 火 くもり
豆の脱穀。下唐子の戸井田家畜商、馬見に来る。ほうきのえ竹三三〇本うる。午后、伊三郎氏を頼み籾摺の試運転、具合良好なり。新聞配達。金井元吉氏にトウモロコシのからしぼりを依頼せり。以上

九月二十四日 水 晴
始めて桑摘みの手伝いをした。十時頃より下里へ墓参に行く。方々からもきていた。広野は宮田昇君の家なり。学校で競技のれんしゅう。昨夜と今晩。玉川へ映画「男の償ひ」見に行く。一〇円也。

九月二十五日 木 くもり・小雨
前中工場の下の山の方へ草刈りに行く。桑取りの手伝い。山下与平方*より桑を買う。西原のふせ地**。午后、雨も降る。村田氏宅で精米をして貰う。父、委員会で学校へ行く。以上
*山下正の祖父。
**談:作物をとった後に、草が出ないように土をかぶせること。

九月二十六日 金 晴
昨夜、夜警で今朝は草刈りにも行かぬ。農業会の精米所へ小麦を一俵持って行く。父は村内の水害調査。丑造氏と替へ取り。約八〇〇匁取り、半分もらってくる。坊の上一号畠の草拾い。金曜会で長島農委会長*の話。良くわかった。以上
*長島実農地委員会長。

九月二十七日 土 晴
くわ切り。山王前畠のふせ地。祖父と父と三人で午前中おわす。午后、坊ノ上一号畠の甘しょのつるもち上げ、一枚おわす。以上

九月二十八日 日 晴
山草刈り。山下光平(こうへい)方*より葉くわを買い八〆六〇〇摘む。二号畠のつるかへし。長島水車へ押麦持ちに行く。農会の精米所へも。両方へ大麦一俵持って行く。青団の常会あり。以上
*談:山下与平の子が光平で山下正の父。

九月二十九日 月 小雨・晴
朝の中は雨だった。農士校へサトウキビ絞りに行く。未だ早すぎて一寸とも甘くない。父、農業会へ押麦取りに行く、四十五円。午后、蚕の上蔟。三時頃おわる。地方事ム所より所得税の実態調査に来る。今年の十五夜なり。

九月三十日 火 くもり
堆肥の積替へ。山王前のもろこしを切る。もろこしの皮取り。甘藷のつる返し、全部の畠がおわった。受信 岡田明氏。以上

冨岡寅吉日記 昭和22年10月(1947)

1947年12月31日 | 冨岡寅吉日記
十月一日 水 晴
学校橋の材料を学林で切ったので人夫として出る。杉の枝まるき。午后、材木のかつぎだし。休んでばかりゐる。帰りに金井愛輔、野村宇平、金井勝二、野村宗次、新藤佐吉、小生の六名で山から山と栗を取って歩き廻った。

十月二日 木 晴
秋晴となる。七時十三分発で川越市へコンデンサー持ちに行く。今日は取寄せてあった。色々の買物をして来る。十二時すぎに菅谷へ着いた。山下与平宅の桑こぎおわる*。以上
*談:九月二五日、二八日の桑購入の代金の代わりに桑の抜根作業をした。

十月三日 金 くもり
山王前よりとうもろこし木を運ぶ。村田宅の製粉機を借りて粉作くり。午前中一杯かかった。裏の樫の枝おろしの手伝ひ。父、西原の大畦(ウネ)かけ。以上

十月四日 土 晴
昨日も今朝も耕地に草がある。西原の大畦かけ、午前だけ。午后、明日の応援旗つくり。思う様にできた。チフスの予防注射。床やへ行く、二〇円。菅谷に文化祭で映画をするのだが僕は行かぬ。

十月五日 日 くもり
青年団の支部対抗競技なり。曇ってゐたが、雨は降らず良き日なり。大蔵応援団大いに張切る。女子は一等、男女は三位なり。茶話会も賑はった。十時頃終る。以上

十月六日 月 雨
草刈り休む。村田君と籾摺キを修繕する。小さな道具入れを作くる。脱穀機も少し修す。一日中雨が降る。繭の出荷八〆四〇〇、一等だ。以上

十月七日 火 晴
近頃になく草が早く刈れた。馬小屋の肥出し。精米をする。自転車の検査あり。合格。理昌宅の米を三俵精米する。以上

十月八日 水 晴
菅谷へ使に行く。山王前畠の大畠畦かけ。午后、一人前六本位できた。夕方、長島*へ押麦を持ちに行った。以上
*鎌形の長島水車。

十月九日 木 半晴
前畠の陸稲刈り。五人*なので早くおわる。山王前の大畦かけ。午后の休み頃迄に山王前は全部こすった。空模様が悪いので陸稲の取り込み。皆で六十六束。以上
*談:祖父母、父母、本人の五人。

十月十日 金 雨
雨なり。今日も停電だ。脱穀キのベアリングを前中で修繕して貰った。九時頃より電気くる。十時頃より脱穀を始めた。昼すぎすぐ停電した。以上

十月十一日 土 くもり・雨
朝早く(四時)陸稲の脱穀。六時に停電した。さつまびつが土がくずれたので土出し。良く半日かかった。午后、陸稲の脱穀をおわす。第二の予防注射。先の倍くすりを入れたのでウソでなくいたい。大工家の籾摺り。機械具合良。以上

十月十二日 日 曇
四時におき米つき。約一俵一回が三十五分でつけた。五・三〇におわり、九時頃迄ねてゐた。理昌宅の米も一斗位つく。注射の為、夕方迄ぶらつき、杉山の家で子供の宮参りの祝を貰う。餅を二十五箇也。以上

十月十三日 月 晴
おそくおきた。菅谷の屋根屋が四人きた。古い物置きのふきかえ。その手伝い。針返し等する。夕方迄に上までのぼる。隆次、新聞配達をする。今晩、夜警だ。小生勤務。

十月十四日 火 晴
屋根やの手伝い。児童の大運動会。祖父、畠山の博労へ子馬見に行き、馬の交換の話を決めて来る。屋根や手間六八〇円也。目かい一つづつ呉れる。夜警は今夜だ。

十月十五日 水 晴
杭打ちに鮹(たこ)へ竹たがをかける。畠を少し耕す。畠山より馬来る。一寸五分*しかない。籾すり二俵精米をする。健治氏と川島へ映画見に行く。或る夜の殿様だった。以上
*談:馬の背丈が四尺一寸五分しかないこと。四尺は普通略す。

十月十六日 木 晴・くもり
精米をする。前畠を耕う。だんだん高くもりとなる。衣料配給店のセンキョ。馬の運動。以上

十月十七日 金 くもり・雨
橋かけの人夫。向徳寺より竹を切って行き、理昌氏と二人で竹割り、杭へ横手を縛る。小雨の天気が午后、本降りとなる。酒一人二合配給。一升一三二円也。以上

十月十八日 土 くもり
柴田方の野菜かごを始める。タテ六(む)手、ヨコ九手(ここのて)。十箇くみ九ツ形だけ作くる。第三回目の予防注射、又いたい。味噌、醤油の塩はい給二一〇円。

十月十九日 日 くもり
昨日の仕事のつヾきをする。午休みに馬の運動。天ズイから中島街道へ廻って来た。野菜かご十一作くり上げる。蛇ノ目傘を米二升で交換す。以上

十月二十日 月 雨
かごみ一つ、ナキリミ一ツ仕上げる。午后、その配達。煙草のはいきゅう二八円二五銭。床やへ行ったが停でんで一時間待つ。夜は村田政二君*がきてトランプのあそびをする。以上
*村田清治の弟。

十月二十一日 火 くもり
食用油の配給。一般用一三二匁、青年用二四匁、計四四円五七銭。馬をひいて忍田政治宅へ遊びに行き三時間位居て昼食を馳走になる。斉藤君宅でもあそんでた。オヒ町((お日待ち))も此の位の程度で終った。

十月二十二日 水 雨
朝の中良い天気になりそうだったが、だんだんくもってきた。目かい作くり。九ツ仕上げる。午后は雨となる。肥引きザルを始めた。大沢久三宅より竹一束半一二〇円。以上

十月二十三日 木 晴
肥引きザルのかごきせ。たてを割ったり廻しをわる。祖父、松山の馬市見に行く。午后、馬運動、唐子の床やから菅谷の家へ寄って来る。夜、青年部の臨総会あり。十一時頃までやってゐた。以上

十月二十四日 金 晴
肥引きザルの仕上げ二ツ、かごみ三ツ仕上げる。大河村の人が傘取り替へにきた。豆三升五合で二本交換す*。小さいかご二ツ仕上げる。祖父と一ツづつ作った。俺の方が形良くできた。
*談:傘と豆を物々交換したこと。

十月二十五日 土 晴
裏の樫の枝下ろし。始めの中は下手だったが、だんだんなれてきた。青年団の常会。

十月二十六日 日 晴
樫の枝下ろし。秋の清ケツなり。供出のさつまほり。夕方迄十一俵ほる。十三夜の月で将軍沢へあそびに行く。岡本氏宅で忍田氏と十一時迄話してゐた。以上

十月二十七日 月 くもり
山下の小父さん*と魚取り。月田橋の下より、千手堂ばしの上まで。帰って、八幡ばしの上まで行き、全部で六〇〇匁位とれた。山下卯之吉方より竹を十束買う、一束一〇〇円。祖父、朝からやった。夕方、全部はこんだ。肥料の配給、所得税の納入。
*談:山下庫次郎。

十月二十八日 火 晴
前の畠の大麦蒔き、三畝以上。西原へも蒔く。午前中地ごしらへ。三時に蒔きおわる。山王前畠の大畦くづし。父、農業会の総代会議。

十月二十九日 水 晴
朝から風のある日だ。山王前の大畦くずし。麦まき、横綱と裸麦をまく。父、いねのけん見*。山王前の麦まきおわる。はし材の残木の分配あり一九五円。
*談:検見。父が食糧調整委員をしていたので。

十月三十日 木 晴
前畠の麦蒔き。十時頃おわる。一号畠のさつまほり。去年に比して非常に悪い。沖縄は良好だ。夕方暗くなるまで仕事をした。

十月三十一日 金 晴
あさはもう寒い。一号畠のさつまほり。菅谷の家へ大麦のたね一斗やる。午后、隆次も手伝う。今日も暗くなるまでやる。野口臣吉(たみきち)氏、小麦の種子取り替にきた、八〆*。
*出来のいい種子はとりかえっこをして、悪い方は食用とする。

冨岡寅吉日記 昭和22年11月(1947)

1947年12月31日 | 冨岡寅吉日記
十一月十一日 火 晴
さつまのふたをする。畠山の博労、銭を持って来る、一〇〇〇円。新田のいね刈り。今年のいね、かりおわり。大田の畝作り。馬も元気がでた。

十一月十二日 水
稲の脱こく、午前中。午后、新田*のいね上げ。朝から夕方まで大風だった。二五束上げる。初手(しょて)オカマ様だ。
*談:岩沢弥一所有の六畝、四畝、七畝、三畝の四枚の田があった。合わせて二反。曽利町は二枚で金井柳作五畝と山下伝次郎八畝、大田が金井柳作一反。田は四反三畝借りていた。

十一月十三日 木 晴
新田七畝の麦蒔き、午前終る。午后、新田のいね上げ、旭一二〇束。苗代の農林三十七束。神社に小田劇団の芝居あり。大ぜい見に来た。以上

十一月十四日 金 晴
新田の四畝と三畝の麦蒔き。午前早くおわった。今年の麦蒔きすっかり終了せり。馬運動。西原の麦へ下肥かけ。

十一月十五日 土 晴
朝作くりより、いねの脱穀。農林、午后休みにおわる。旭も脱穀を始めた。岡本七五三氏、夜、あそびにきた。以上

十一月十六日 日 晴
農林の藁をたなぎへ上げる。将軍沢山へカヤを刈りに四人で行った。十三束位刈る。馬運動。夜は神社の芝居見に行く。以上

十一月十七日 月 半晴
四時より、いねの脱穀。午前、くまでけづり。麦肥料の配給、父受けに行く。一日中脱穀。農業会で粉できる。夜、くまで曲げ十六本。以上

十一月十八日 火 くもり
朝からくもってゐる。くまでの柄つけ。一ト市の染物屋で品物を持って来る、四五〇円。くまで二十二本仕上げる。野口臣吉、柴田藤五郎各々三本づつ。

十一月十九日 水 晴
稲の脱穀終る。糯と農林の籾摺り。祖父、大沢久三氏の竹切り。まき、伊三郎宅へ手伝い。一日中もみすり、もち四俵、農林八俵。暗くなるまでかかった。金精三、富元三、野磯二、鯨儀五*、くまで出る。以上
*談:金井精一郎方三、富岡元治方三、野村磯七方二、鯨井儀重(ぎじゅう)方五。

十一月二十日 木 雨
夜明けより雨で早おき会中止す。くまでの柄つけ。雨で寒い。十一本仕上げ、富周*二本、根岸むめ二本。根岸で石川校長先生に逢う。大沢久三氏へ竹代六〇〇円、七束分。以上
*富岡周次郎。

十一月二十一日 金 晴
良く晴れた。理昌方の精米一俵一斗。丸かご作くり。大沢久三宅より竹七束持って来る。父、まき、田の作切り。家のもち米約二斗つく。ニューム鍋(尺二寸)、米二升五合で交換す。富岡周次郎方へ丸かご三ツ、五四〇円也。今晩、えのこ様だ。以上

十一月二十二日 土 晴
早おき会でキケン物片づけ。丸かご作くり三ツと少し小さいの一ツ。父、まき、午前山仕、午後田の作切り。根岸梅松方へ丸かご三ツ。今晩夜警だ*。以上
*談:四戸で一晩夜警をする。夜警は二〇日に一回まわってくる。

十一月二十三日 日 晴
夜警したので午前中はとてもねむたかった。くまで作くり。他の連中は籾摺り。農林と旭を少し。富岡元治氏へ丸かごの小さいの一つ。養蚕用の銘仙一反(五〇〇円)配給になる。以上

十一月二十四日 月
くまでの穴ほり並(ならび)に柄つけ。午休みに馬の運動。元気がでた。くまで二十三本仕上げ、松山の柳やへ十本(三五〇円)。川島淀吉方へ一本。夜、くまで割り。

十一月二十五日 火 くもり
向徳寺の竹まるき。真竹十七束(一束八〇円)、孟宗二十六本(一本平均九寸一五円)、計一七五〇円。全一日かかりで運ぶ。富岡丑造氏と隆次の服上下交換す、糯米六升。

十一月二十六日 水 晴
丸かご作くり三ツ。午后、祖父、遠山の方へ行く。唐子の江野庄次郎方へ丸かご三ツ。月田橋の所へ東吉見の三二四一のトラック立ち往生して人夫に頼まれ、十一時頃迄やったが動かなかった。以上

十一月二十七日 木 晴
自動車の手伝ひ、半日。丸かご二ツ、少し小振りのを。くまでけづり、それを曲げる二〇本。

十一月二十八日 金 晴
印籠作くり四ツ。祖父、菅谷へ行く。手桶を大豆四升と交換す。以上

十一月二十九日 土 晴・くもり
朝は寒い。くまでの穴ほり。印籠のふちまき四ツ。くまでの柄つけ。馬の運動。子供のかご二ツ腰をおこした。夜はくもりとなった。丸かご菅谷へ二ツ、浜野七平、トラヤ。以上

十一月三十日 日 晴
早おき会も終了せり。子供のかご作くり二ツ。祖父、小川へ査定に行く*。午后、鎌形へ行く。吉野の家から芝居を見て帰る。以上
*談:籠に証紙を張るために見本を持って行った。

冨岡寅吉日記 昭和22年12月(1947)

1947年12月31日 | 冨岡寅吉日記
十二月一日 月 晴
朝作くりに岡松屋へくまでを十本持って行く。富岡元治氏へ印籠一ツ。理昌方の籾すり、約二俵。くまでけづり。丸かごのたてをわる、六ツ分。精米をする。夜業なり。以上

十二月二日 火 晴
昨夜の雨もすっかり上がり良い天気となる。丸かご作くり六ツ。午前は風もなくしづかなよい日。丸かご、唐子徳山二ツ、藤縄一ツ。父、昨日と今日、金井佐中方の山仕事(木の葉代の替り)。

十二月三日 水 晴
丸かご二ツ作くる。午前中一杯かかった。くまで十三本柄をつける。金井小市氏へ二本、治平氏一本、唐子江野庄次郎丸かご二コ、くまで三本。七之助丸かご三ツ。精米をする。

十二月四日 木 晴
金井小市宅でくまでの柄竹四十本切る。成沢いと宅で三〇本と五寸、六寸各一束。伊三郎宅で一束強。午后、くまでけづり十一本曲げる。以上

十二月五日 金 くもり
くまでの柄つけ。祖父、鎌形へ行く。松山町の玉木組より蛇かご頼みにきて現場見に行く。午后、印籠二ツ腰をおこす。くまで、金井小市二本、菊治一本。以上

十二月六日 土 晴
印ろう二ツ作くり上げる。草刈りかご六つ腰をおこし四つ組む。玉木組、蛇かごの相談に来る。一米一〇円と話をきめる。柳屋へくまで十八本、金井當恒君復員す。

十二月七日 日 晴
草刈りかご作くり。七ツと小一ツ。藤縄一ツ、根岸福島良作印籠一、草刈り一ツ、富岡七之助くまで三本、金井栄一一本。以上

十二月八日 月 晴
くまで四本作くる。植木山吉野佐重方で竹二束買う。長島覚次方で孟宗大三十一本、中五十一本、小三十五本、計一〇九一円。一日がかりできった枝が約三〇束。金井八郎氏へ草刈りかご一ツ、鎌形杉田富次*印ろう一、草刈り二、計四六〇円。
*談:鎌形八幡神社の近くの家。杉田光一の父。

十二月九日 火 くもり
植木山より孟宗竹運び。午前中と午后一車で終る。父、食委員会ですっかり一日。くまで曲げ四本。以上

十二月十日 水 雨のち晴
くまで三本柄をつける。くまでけづり一日中、十八本曲げた。今晩、青年団の常会なり。大宮の十日町*だった。
*大宮氷川神社の祭典。

十二月十一日 木 晴
くまでの柄つけ。祖父と二人で十八本。岡松やへ十八本、神戸小林三吉二本、長吉氏へ一本呉れる*。ポンプ操法の練習。以上
*談:どちらも祖父の兄弟の子。

十二月十二日 金 晴
印籠三ツ作くる。たては孟宗をまぜた。岡本正三と駒吉氏*へ一ツづつ。今夜、夜番(よばん)なり。明日は消防組の点検。
*岡本七五三の父。

十二月十三日 土 晴
農休ミ。消防団の予行なり。午前おわる。松浦へ自転車の修繕に行き。自てん車を借りて五明のかごやへ使に行く。菅谷の素人演芸会見に行った。面白くもない。以上

十二月十四日 日 晴
消防団の点検なり。午前中かかった。午后、唐子へくまでを持って行く。松浦へ自転車を持ちに行く。

十二月十五日 月 晴
農休ミ。四時起床。五時四十六分の一番で神田へ行く、片道二十三円。柴田恭平氏を訪ねた。隆次のハーモニカ三二〇円。池袋十二時五〇分発で帰る。

十二月十六日 火 曇
くまでの柄はめ十二本。神戸の小川氏へ一本。午后、丸かご作くり三ツ。唐子の床やへ一つ一八〇円。以上

十二月十七日 水 くもり
昨夜は晴れたが、今朝は又くもりとなる。目かいの竹割り。良くない竹だ。朝から晩まで寒かった。父、熊ヶ谷の裁判所へ傍聴に行きしも開廷にならず*。目かい十箇くみ上げる。
*談:南派の選挙違反の裁判の傍聴。

十二月十八日 木 くもり
風の吹きそうな天気だったがたいした風も吹かず曇天なり。目かいのふちまき十。丸かご一ツ、目かい一ツ、川島淀吉氏へ。目かい、斉藤二ツ、下寺三ツ、村田礼助一ツ、根岸保平一ツ。

十二月十九日 金 くもり・半晴
背負いかご作くり。だいたい良い。アジロは十二手に六手で尺三寸で腰をおこす。ナキリミ作くり、三枚あむ。まき、松山へ鋸すりに行く、九〇円。菅谷の家へくまで二本、金井治平氏背負いかご*と目かい。以上
*談:背負い籠は普通は丸いが、これは印籠、楕円形の山仕の道具入れに遣うもの。金井治平は山師をよくやっていた。

十二月二〇日 土 晴
ナキリミ四枚、仕上げる。金井治平氏に依頼され又背負いかごを始めた。夕方までにザルを作くり上げる。くまで五本でる。以上

十二月二十一日 日 晴
朝からしづかなよい日だった。菅谷の家へ小間い竹割りに、祖父と行く。文化会でマラサンをした。吉野勇、次、両君も中程を行く。ナキリミ、岩田隆次方へ二枚。

十二月二十二日 月 晴
松浦自転車へ行きタイヤの入替へ、二〇〇〇円。背負いかご作くり。ナキリミを始める。夜業で二枚あむ。山崎君*来る。村田政二(まさじ)君も。以上
*前中工場に勤めていた人、シュウちゃん。

十二月二十三日 火 晴
冬至。丸かご二ツ始めて、午前中で仕上げる。午後、草刈りかごのたて割り。五ツそこをくむ。以上

十二月二十四日 水 晴
草刈りかご五ツ、小三ツ。全部孟宗で野口若三郎氏へ三ツと小一ツ、計四四〇円。

十二月二十五日 木 晴
ナキリミ六枚仕上げ。軍造、村田嘉平各一枚。目かい五ツ仕上げる。青団の常会。明日の練習。以上

十二月二十六日 金 晴
六時集合(金井屋前)で駅伝の選手の選出、第一コース新藤岩二、第二金井宣久、第三富岡一夫、第四山下福三、第五富岡誠一、決勝村田清治君と決定せり。味噌コシ作くり。六ツ腰をおこす。夜業で二ツ組む。植木山の元じめ*へ目かい進上(畠を借りて**)
*星野久二方の屋号。
**長島覚次方の竹を畠に出した御礼。

十二月二十七日 土 晴・くもり
味噌コシ六ツ仕上げる。午后、川越市に使に行き、「リラの花忘れじ」の映画を見た。暗くなって家へ帰る。掛図*は無かった。時計修繕できた、米一升。以上
*弓破魔のこと。売っている家をはま屋と呼んでいた。

十二月二十八日 日 くもり・小雨
八時三三分の下りで小川町へ弓はまを買いに行く、二五〇円。大工のもとさんのお子さんの葬式。農業会で小麦粉できる。午后、目かご作くり。根岸保平方へ味噌コシ一ツ。

十二月二十九日 月 晴・午后大風
根岸藤太郎方へかご作くりに行く。木の葉かご二ツ、草刈りかご四つくみ上げたが、大風の為、二時頃しまう。餅つき三パリ。野口臣吉方へ目かご、山下や市方へ味噌コシ。

十二月三十日 火 大風
朝から大風で寒い。十時頃より餅つき。糯米七パリ(二斗一升)。もろこし二パリ。東京の岸田さん*餅持ちにきた。甘藷八〆背負って行く。計千五〇〇円。金井菊次方で文次郎さんの葬式。以上
*談:五月二七日にリーダーズダイジェストを持ってきてくれた人。

十二月三十一日 水 晴
根岸藤太郎方へ仕事に行く。午后、草刈りかごのふちまき一ツで終る、三〇〇円。はし立て、まぜばしなど作くる。金井宣久君宅で恩賜のタバコを一本頂戴する。以上

一年を反省して。ラヂオを求めモーター脱穀機と機械類にえんのあった年だ。夜警も昨夜を最後だが、一人でつとめ通した。暮に迫って夜業をした。麦・稲の脱穀は朝早く作業せり。以上