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埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

よりよい村にする為の具体的方策(鎌形・長島近治) 1951年11月

2008年09月13日 | 報道・よりよい村にするために 1951年
 明るい村、よりよき村を礎くのは何時も我々の理想とするところでありますが、さてどの道を歩んだのが一番よいのでせうか。各々の皆違った御意見により色々の道があると思ひます。私は先づ健康から明るい家庭が生れ、明るい村が築かれるを信じ、一片の衛生の面を申上げまして皆様の御批判を仰ぎ度くペンを取りました。私達勤労者が日常生活して行く時、何時如何なる時が一番楽しく又幸福でせう。それは先づ健康で有る時だと思ひます。たまに病に罹り床の中に臥って居る時などつくづく働く楽しさがわかります。又家中に病人有る時は何となく憂鬱で心配計りが先に立つものです。まして夏季に於ける伝染病程恐しいものはありません。是を防ぐには常に各人が注意して蝿や蚊の発生を防ぐと共に時折に本村医師の伝染病に対する予防座談会を開き一般の注意を促して戴きたいと思ひます。本年も春季清潔法前に殺虫剤を分配致しました。そして数回に分け撒布して戴く様お願いしましたが、面倒と思ったのか間違て撒布してしまった人も有る様です。是れでは貴重な薬がなん度分かたヾ捨てられた様なものです。「それだったら衛生委員が撒いて歩け」と云ふ方が有るかも知れませんが、皆さんよく考えて下さい。自分の為でもありまた人の為でも有ります。こんな細事を怠ったため病気になったとしたらどんなに近所の人が迷惑するでせう。一昨年も昨年も村から三十名余りの患者が出ました。松山保健所管下でも一位か二位を示す程の伝染病患者の発生率だそうです。こうした汚名を一日も早く挽回する様、皆さん今年こそ衛生に注意致しませう(衛生委員、32歳)。
     『菅谷村報道』17号(1951年11月10日)掲


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