GO! GO! 嵐山 2

埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

短歌 志賀・武井眞佐、大野春枝 1960年

2009年08月23日 | 菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』

     志賀・武井眞佐
父母にますはらからまてる古郷
   ませりまたまとなりて

生活の苦しき事をさりげなく
ほほえみ語る人の淋しさ

古寺の垣根に咲きし白き花
甘き香りに無き母思う

     志賀・大野春枝
残暑きびしき昼の暑さを忘れさそと
月さえ渡る夜のしづまり

空の彼方にいつしか夏もゆきかけて
野のそよ風に稲穂花かく

     菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』 1960年(昭和35)1月


短歌 志賀・金子きみ、多田せい 1960年

2009年08月21日 | 菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』

     志賀・金子きみ
朝草を刈りし吾身を白百合が
じっと淋しく見つめてる

会報にいでし君の名をとけば
幼なじみが忍ばるる


     志賀・多田せい
新らしきひながうみたる初卵
夫は片手にかざしつつ来る

暴風雨に吹き倒されし鳥小屋を
どびだし鶏ら吹かれよろける

     菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』 1960年(昭和35)1月


旅行の想い出 志賀・高橋喜久子 1960年

2009年08月20日 | 菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』
 朝ぎりを切り私達一行を乗せた車は一寸想像つかぬ千葉県の船橋へと向った。誰も楽しそう。侭田会長さんの司会の元に車内も一だんとにぎわった。今日一日私にとっては一生の想い出の一つです。数限なくつづく田園、黄金の秋をしのばせる様にふさふさとしている。又台風におそわれ痛々しい田園もある。そうこうしているうちに、何時しか車はなつかしの東京に入った。まったく青春時代を想像し、思いは走馬灯の絵のようです。ガイドさんの案内のままにあたりを見廻す。どこか昔の面影がある。車内はむさぶる様にてりつける。限りなくつづく自動車。子供もうれしそうにおもてをながめる。東京をさかえに流れる江戸川をあとに千葉県に入った。もっと先かしらと思う間に東京湾に面した海岸が見える。あっと言う間に船橋についた。さすがに有名な場所だけに大した人でした。数限りない遊覧車、幼ない頃に帰ったかの様に子供と一緒に乗物で楽しんだ。大小のプール、子供達はおおはしゃぎです。私達会員も三々五々に散る。何もかも目あたらしいものばかり。暑いとは云へ、海風に一入(ひとしお)涼しさを感じた。思いのままに三、四時間、自由行動をとる。全く一家揃って一日ゆっくり楽しみたい場所です。大いに働き又明日への希望新たに春秋の行楽シーズンを楽みにがんばりましょう。なごりつきない船橋をあとに、又バスに。郷土菅谷村へと向った。
     菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』 1960年(昭和35)1月

船橋ヘルスセンターへの感想 志賀・高橋琴子 1960年

2009年08月19日 | 菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』
 去る八月二十八日、忘れ得ぬこの佳き日、午前六時懐しの故郷をあとに一路船橋ヘルスセンターへと車は滑り出した。十種以上にも及ぶ乗り物の遊び道具、宇宙の世代にふさわしい人工衛星、又真夏の光味を充分に満喫出来る室内プール、又屋外プール、はるか前方に見える大海原、湾内と云えどもその広さは表現出来ず。海原に戯れる入鹿の群れ、大きな漁船、そして遊び疲れた身体を湯泉に浸り心ゆくまで陽気になれるこのいこいの場所、この楽天地。私たち一行はこの一日はすべてを忘れて子供と一緒に遊んで来ました。私達農村婦人は毎日の精一杯の農作業、その上育児、炊事、衣服。種々に到るまで一家の主婦の労働は今更云うまでもありません。まして子供と共に楽しめる機会なんて考えも及びません。山積する絵本、巧みな話を何遍聞かせても「百分は一見にしかず」と諺にもありますが実質だと痛感致しました。此の様な計画も本当に係の方達には難航する場合が大抵です。併しあらためて遠方に限らず、親子供共に楽しい集いこそ、新時代の主婦として、又新時代の子弟の教育にも大いに役立つことと思います。したがって婦人会活動の一端として組込んでほしいものです。なつかしの我が家をあとにあこがれのヘルスセンターへ行く。
     菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』 1960年(昭和35)1月

人の和 志賀・高橋里せ 1960年

2009年08月18日 | 菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』
 婦人会志賀支部では新らしいこころみとして八月二十八日、船橋ヘルスセンターへ会員の親睦をはかるを目的に日帰旅行をおこないました。朝六時出発、むせかえるようなみどりにおおわれた道路をバスにゆられながら一路船橋へと向った。社内は和気藹々(わきあいあい)、ほんとうに楽しそう、そなえつけのマイクの次から次えと絶えることのない歌声に、三時間余の旅も、もう着いたのかと云う程でした。近代建築の粋(すい)をこらしたこの殿堂は見るものをして驚嘆させるに充分で……場内のどの設備もみな目をみはらせるばかりでした。午后二時、なごりを惜しみながら船橋をあとに浅草を経てなごやかな雰囲気の中に無事旅行を楽しく終えることが出来ました。こうして何事もなく終了したにつき、婦人会の様な団体生活の場においては特に「人の和」の尊さを強く感じたのです。……。互助の精神、思愛の精神みな「人の和」から生まれて来るのではないでしょうか。当日は今年最高の暑さだったとか、しかし車内の空気はそれを吹飛ばすに充分であったのです。今日の疲れはその日のうちになおし、「熟睡」により明日の活動力を養ない、楽しい生活を築く為に、お互いに協力しあい立派な婦人会に致しましょう。
     菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』 1960年(昭和35)1月

俳句 志賀・湯本いゑ、根岸なを 1960年

2009年08月17日 | 菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』

     志賀・湯本いゑ
ひとり病む部屋にハエとりさびしさよ
水に落ちまた飛びたちしとんぼかな
すやすやと眠る我が子にほほをよせ

     志賀・根岸なを
川島はうまいおどりの模範支部
川島の婦人のおどるしなのよさ
おどってもうまくおどれぬ身のつらさ
下手だっておどりや苦労日本晴
おどろうよ皆んな楽しくほがらかに

     菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』 1960年(昭和35)1月


俳句 志賀・番場たか、村田まつ 1960年

2009年08月17日 | 菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』

     志賀・番場たか
御成婚祝いに今朝はお赤飯
御成婚二人を祝う日本晴
御成婚家で見られるテレビかな
御成婚別れに母は涙ぐむ
御成婚記念におれはこの俳句

     志賀・村田まつ
電線のうなり暮れゆく刈田かな
吹く立てて遠山越ゆる落葉かな
木から木へ移りて百舌の高音かな

     菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』 1960年(昭和35)1月


感想 志賀・根岸みつ 1960年

2009年08月16日 | 菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』
 何かかいてほしいと云はれたものの私は愚者で書く事は全くだめですが、一寸気づいたことをのべて見たいと思います。今は婦人会もこうした機会もでき、なれぬ手つきで鉛筆を手にし考える様になり大部進んでまいりました。夜、ねる間をさいて、そして力をこめて書き上げたるこの尊い文が一冊の本となり皆様のお手元にわたり、読んで頂ける様になりました事大変に結構なことと思います。ああ婦人会報がきたとたん座敷の片隅にしまっておかず良く読んで自分を反省皆々様と共に婦人会発展の元に勉強してゆきましょう。
     菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』 1960年(昭和35)1月

或る婦人会の手ぬぐい 志賀・内田みつ

2009年08月15日 | 菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』
 お風呂へ入って前を見た。それはまだうすら寒い頃だったろうか。風呂番の掛けざおにかけられた手ぬぐいに庚申様の「見ザル、聞かザル、言わザル」の三つの姿があった。あ!!これだなと直感した。井戸端会議に又はお茶のみ話には必らず人のうわさが始まる。悪く言えば悪口とも言えるでしょう。或る人が一寸の事で悪い事をしたとしても、それが事実であり、本当の話でも……それが次から次から次へと話して歩くのは良くない事だと思います。そんな時私は「見るな、聞くな、話すな」と言いたいと思います。私達は今や男と同一の権利を持っている大人です。もう少し良い事だけを見たい、そしてききたい、そして話したい。そうする事が婦人の向上であり、明るい社会への第一歩ではなかろうか。
     菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』 1960年(昭和35)1月

稲刈 志賀・多田 1960年

2009年08月14日 | 菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』
 天高く馬肥ゆるの秋、耳にしただけでも如何にも収穫の秋を讃(たた)えるかの様である。
 今年は幸い台風の被害も最小限にて、耕地一帯黄金の波を立て、稲穂は農夫の努力を心から感謝するかの様に重く頭を下げて居ります。晴れ渡った或る日、おぢいさんを留守居にみんなで稲刈りに出掛けた。中学生の末っ子も農繁休業になったので一役。先づ適当に間隔をおいて順に刈り始めた。みんな一生懸命追いつまた追はれつ、まるで競争のようであった。とおりがかりの人が「手揃いで面白いようですね」とほめてくれた。しかし、その頃には腕も腰もすっかりつかれてみんなと並んで刈る事は大変な苦痛だった。年のせいかしら、近頃農具の重さを感じるようになったのも。こんなことを一人つぶやきながら鎌をといていたら、おじいさん似でお茶づきの末っ子は「もうのどがかわいちゃったよ」とお茶をさい促する。それを幸いに急いで家へ来て、お茶を持って田圃(たんぼ)へ行ってみると大部分刈れていた。早速く刈った稲に腰を下ろしてお茶をかこんだ。野良が近いので田圃でお茶を飲むのは珍しい。それだけに熱いお茶はまた格別なもの。体育祭、慰安旅行の話等、賑やかに話していると下り電車が通った。遠足にいくらしい小学生が窓から盛んにハンケチを振っている。私達も思わずかぶっていた手拭(てぬぐい)をとって、見えなくなるまでふった。家中楽しい休みの中にいつしか身体のつかれも忘れて、みんな揃って次の仕事にかかった。
     菅谷婦人会志賀支部『あゆみ』 1960年(昭和35)1月