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埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

よりよい村にする為の具体的方策(志賀・高橋亥一) 1951年11月

2008年09月13日 | 報道・よりよい村にするために 1951年
 村をよりよくやってゆこうと云ふ事は講和以前にくらべて一層容易でないことは云ふ迄もない。まだ講和と云っても各国の批准が済んでゐる訳ではなく、それは早晩解決するとしても、その後に来る問題は国家の政治経済にどう響いてくるかと云ふことである。
 第一に東南アジア諸国との関係、比島、濠州、ビルマその他の国から多額の賠償の要求も考えなければならない。然し、それを米国が如何に調整してくれるかである。更に外債の支払援助資金の返済等。弗不足の現在亦将来を如何にして支払得るか。政府は自立の範囲内で支払ふと云ってゐるが、果してそれんに先方が応じ得るどうか。侵略をうけた幾つかの国が日本の再軍備を不能ならしめんとする意図から多額の賠償を要求してくるかも知れない。第一次大戦後のドイツが賠償支払の為に百十六兆億マルクと云ふ通貨の乱発となり、従って大インフレとなり、新通貨切替の直前、二十三年の十月二十日には一弗の相場が実に四兆二千億マルクと云ふ全く想像もつかない迄に暴落して通貨は殆ど無価値なものになってしまったのである。
 故に政治経済と云っても講和後の問題である。資源の乏しい我が国が、若し貿易の何十パーセントを賠償、外債、援助資金等に振向けなければならない。然し亦それ以前に爆弾の洗礼をうけるやうな場合がないとも言ひ得ない。それこそまさに御破算である。
 こうした国家の興廃を決す如き重大な問題が重積してゐる。国家の一細胞たる、一町村はその一挙一動によりて直に明暗となって響いてくることは云ふ迄もない。故に末端の指導者は与へられた範囲その枠内を巧みに運営すると云ふ外にないと云っても良いのである。只具体的に云ふならば政府の行政整理の尻馬に乗りて予算の何十パーセントにのぼる人件費の削減、それに付随する冗費等に充分検討考慮すべきである。
 一方農業経営の面から云ふならば現在の無計画経済による過剰生産時代(多角経営)にあっては多少危険をおかして尖端をゆくか、或は殿(しんが)りをゆくかである。然し最近は尖端と尖端がぶつかり合ひ、殿りと殿りとがぶつかり合って結局採算破れの生ずる場合が少なくないのである。然し斯く行き詰った農村も国際情勢の如何によっては、或は再びインフレの波に乗ってバックする時がくるのではないかと思ふ。それは兎も角、拡大再生産のきかなくなった資本主義の末期時代に何等かの一大変化が起こらない限り自滅への一途を辿ると云ふ以外にないのである。故によりよき村をつくる具体案と云っても状勢の変化に対応し善処すると云ふ事であると思ふ(村会議員、57歳)。
     『菅谷村報道』17号(1951年11月10日)掲載


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