GO! GO! 嵐山 2

埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

よりよい村にする為の具体的方策(鎌形・星野堆三) 1951年11月

2008年09月13日 | 報道・よりよい村にするために 1951年
 敗戦後六年、待望の講和条約は締結された。義なりと信じて私心を断ち国歌の為に尽された幾多の追放者は解放され、村には新校舎夙(つと)に落成を見、近代的色彩と優秀なる性能を有する消防車は要所に配置される等、日々新たなる文化的形態を整へつつある村の現状こそ誠に喜ばしい限りである。
 此の発展途上にある村を、より良くするには如何なる事をしたらよいか?。
 其の方途には種々あろうが私は限りある紙面に於て、脚下三寸、常に離るヽ事なき道路の修正改造を協力一致推進せしむる事こそ最も身近な緊要事ではないかと信ずる。社会共通の道路の現況は、其の他住民の公共観念、徳義心の盛衰を端的に示すものではなかろうか。
私は講和後の菅谷村をよりよくする一環として、主要道路はもとより、道路上の障害物をも併せて除去し、よりよきより明るき村たらしめんことを切望して止まない。斯くて道路の完備は知らず村の中央を中央とし生産物の搬送に、連絡に、或いは火急の場合等、日常享受する利益は、計り知れないものがあろうと信ずる。実に道は文化の指標であり尺度である(前村会議員、37歳)。
     『菅谷村報道』17号(1951年11月10日)掲載

よりよい村にする為の具体的方策(大蔵・新藤唯一) 1951年11月

2008年09月13日 | 報道・よりよい村にするために 1951年
 待遠しかった講和条約の調印も終了した。秋空高く日の丸の旗高くかヽげて、村民老若男女校庭に相集り、村民体育大会の楽しい一日は終り、家に帰り子供達と対抗継走の選手になった娘が追越したことなどほめ合って夕食をすました。
 子供達は運動会のつかれで、いつもより早く眠った。
 自由に日の丸の旗を高くかヽげる誇り、国際的にも自由になる喜び、しかし援助資金の打切り、人口の多すぎるのをどうするか、再軍備問題等仲々簡単には解決できないことばかりである。この問題は村の問題としては、農村恐慌にも、二男三男をどうするか、中小学校施設の充実等と関連をもってゐるのである。これ等のことの解決する方法を考へて行かなければならないが、今まで受けた旧い教育だけでは新しい時代を作ることは困難であらう。これ等のことを解決するため村民が教育を受けるために、公民館の設立促進を希望する。公民館には教養部、図書部、産業部、集会部等あって、教養部は村の人達が希望してゐること、知らなければならないことについて教育計画をたてる。図書部はまで出張して読書会を指導するとか、産業部は各種産業の科学的指導を担当する。集会部は村民体育大会、討論会、映画会、音楽会等開催し、豊かな村、楽しい村をたてる基になる仕事をするのが公民館である(玉川中学校長、46歳)。
     『菅谷村報道』17号(1951年11月10日)掲載

よりよい村にする為の具体的方策(根岸・福島新三郎) 1951年11月

2008年09月13日 | 報道・よりよい村にするために 1951年
 義務教育を了へて高等学校へ進学しない子供の教育機会の開設。
 小学校中学校と九ヶ年の義務教育を卒へた子供達がどんな教育の機会をもってゐるだらうか。昔、実業補習学校という夜学の補習教育制度があり。中古昼間の教育制度に変り、戦時中、青年学校というこれも昼間の教育制度があり、地域やら時代の要求に応じて教育の内容や学期に於いて変遷があったようだが、こヽ数十年義務教育を卒へた子供の補習教育が当局者に於て本気に考へられ実施され、教育効果に於いて見るべきものがあったことは、一般の人の認めるところであった。
 さて、終戦後のこヽ数年間はどうであろうか。小生の見聞する範囲では女子の場合には裁縫を主とした自己教育が補習的に行はれてゐることを充分に認めてゐる。和裁が洋裁と昔とすっかり変ってはいるらしいが、依然として裁縫一点張りではあるらしいが、その反面男の子の場合はどうであらうか。親達としてどんなふうに考へてゐるのだらうか。或は忙しいにかまけて考へてゐないというのが本当ではないかとさへ考へさせられる。終戦後、男の子も女の子も頭の先から足の先までずい分御立派になあってゐるらしいが、口をついて出る話をきいてゐると物足りない感じがしてならない。これを誰がやるかどんな教育内容を何時するか、近頃言はれてゐる公民館の運営とも関連する問題だらうがこれで筆を止める。この開設の急務であることは先刻報道に発表された育英奨学金制度にも優先する村の教育行政ではあるまいか(社会教育委員、44歳)。
     『菅谷村報道』17号(1951年11月10日)掲載

よりよい村にする為の具体的方策(根岸・小沢庚市) 1951年11月

2008年09月13日 | 報道・よりよい村にするために 1951年
 結論は身を修めたる金持にならなければならない。先づ身を修めたるこのことに付いて私の言はんとするのは自己の尊重心であります。世人から金持であると言はれても、自己の尊い事を忘れ又一家和合ならざれば有名無実である。次に「金持」これは誠にむずかしいことであります。言葉で言ふ如く速かに金持になれば誰もが苦労はないのであります。どうせ苦みの娑婆である。大いに苦しみ、大いに楽しむ心の持主でありたいものです。今世情を観察するに益々農村は困難を感るのであります。此処に於て我々農家は与へられたる耕地を愛し、一粒でも沢山収穫しなければならない時になりました。土地改良、品種の選択、栽培技術、自給肥料の増産等、益々慎重の度を加へなければ立派な実を結ぶ事はできない。此処に於て私は家畜を持つ農家でありたい。酪農養鶏養豚でよし。肥料を造りつヽ傍に於て利益を見る有畜農業を希望する者であります(農業委員・28歳)。
     『菅谷村報道』17号(1951年11月10日)掲載

よりよい村にする為の具体的方策(根岸・根岸茂夫) 1951年11月

2008年09月13日 | 報道・よりよい村にするために 1951年
 私の考を一、二記してみたいと思ひます。
 一、自己の完成 終戦後あらゆることにつきまして民主主義自由主義といふ言葉は種々の人々の間に流行語の様に使はれて居りますが、果して民主主義自由主義の真の意義を理解し、己の為すべきこと義務責任を果して居るものが幾人居ることでせうか。只々自己の権利のみを主張し他人を批評し己の行動責任をかへりみない所謂自己主義、斯様な人の我が村に存する限り我が村は明朗なる楽しい村としてまだまだ程遠いのではないかと思ひます。互に社会道義自分一人だけの村ではないと云ふことを深く反省自覚し自己の完成に努めませう。
 一、婦人会に望む こヽに菅谷村婦人会が結成され過去種々なることにつきまして活動してきた様でありますが、今後一つこういったことを考へて貰へなからうかと思って居ります。それは現在に於ける青年層は何と云っても時代の波に乗って居り新しき社会、新しき生活へと邁進して居ります。しかし乍ら過去長年月に亘り斯の封建的社会、独裁的環境にあった所の老壮年層この方々に対しての現代民主社会自由社会の認識徹底であります。よく聞く言葉ですが「婦人会なんて若い者が入れば良い、もう年寄はそういった会には意味がないから」といふことを言って居る様でありますが、これは大きな誤りであります。一家の運営は老壮年層によって八、九割は支配されて居ります。この年輩の者の若い者に対する所の理解これが無い限り新時代に芽生へんとする青年は知らず知らず萎縮してしまい、文化国家建設どころか、昔乍らの理想主義に染まって自然と消極的になってしまふではないでせうか。先づ婦人会は青年層に呼びかける前に斯様なることを一考せられまして老壮年お互に時代時代を良く認識し共に歩調を合はせて進めます様、御努力御尽力をお願ひ致し度いと思って居るものであります(26歳)。
     『菅谷村報道』17号(1951年11月10日)掲載

よりよい村にする為の具体的方策(志賀・出野硯屏) 1951年11月

2008年09月13日 | 報道・よりよい村にするために 1951年

 一、健全なる村財政の確立 いくら立派な抱負経論があっても財政が不健全では実行に移すことは出来ない。村財政は村民の負担である税収入によって賄はれるので納税成績が挙らねば健全財政の確定は期し難い。よってその対策として各に十名乃至二三十名単位の納税組合を創設して納税意識の昂揚に努め「税を納めなければ村は決して良くならない」という村民個々の自覚を喚起することが肝要である。
 二、農地交換分合の断行 農村を豊かにするには生産の増強以外にない。それには農地を集団化し無駄な労力を省かねばならぬ。土地改良法による農地交換分合がそれだ。政府はその普及宣伝に大童であるが末端は極めて低調で政府の笛に少しも躍ろうとしないのは遺憾だ。農業委や農協或は篤農家の奮起を要望してやまない。
 以上の外衛生行政の徹底、教育の刷新等々幾多挙げたいことがあるが紙面に制限があるので後日の機会に譲ることヽする(菅谷村役場国保係長、61歳)。
     『菅谷村報道』17号(1951年11月10日)掲載


よりよい村にする為の具体的方策(大蔵・金井信久) 1951年11月

2008年09月13日 | 報道・よりよい村にするために 1951年
 画期的な教育制度改革の根幹をなす六三制の実施は、賛否を何れとしても多岐多様の教育資料に依る日々のその学業は往事を回想させ、憧憬の思を禁じ得ない。明朗闊達な生徒の素振りに前途の幸福をひたすら念じている次第である。而して希望科目を専攻的に学ぶ個々の生徒の能力は一様には進まないものと思ひかかる時代の教育者の煩悶も深いものと察せられるのである。そしてこのかく教師と生徒との学業を考へるとき家庭に於ける保護者の頭の切り換へが切望されるのではないかと思ふ。今日各種報道網に依る時代の啓蒙運動も盛んとは言へ、一般がとかく無関心なのが何時も遺憾な問題とされる。たとへ小さな事にも関心を持つやうつとめ、これを実行に移すならば成果は大きな期待を持つことが出来るのではないだらうか。家庭に於ける新聞雑誌への関心もどの程度深いものがあらうか。日々の継続的な経営に原因することもあらうが、結局は自分からの意志が必要なことは論を待たない。ここに私は大衆への慰安として又時代の啓蒙運動として映写会の催を希望して止まない。学校には放送や映画鑑賞会の時間が与えられ社会智識の勉学にその一端を利用して居る由であるが、この方法は村人に対しても有意義なことと思ふ。吾々も既にナトコ映画その他の機会に接して居るが、かかる予算を多くして老若男女それぞれに対し日常生活の詳細な指導や国際的なニュース劇映画等により変転極りない世情を知らせたなら、啓蒙慰安に大きな価値があることと思ふ。映写の事業を多く計画することは、経済的より観て大きな負担になることと思ふが、一部の人々を除いては、常設館での鑑賞が出来ないとしたら多少の費用を出し合ってもこのような事業が望ましいと思ふ。映画に依り時代への認識が深まり希望が開かれて、日毎営々として労を惜しまず、それが人々の楽しみとなれば、一日一日何か気持のみでも新しく感じさせられるやうになるのではなからうか(報道委員、23歳)。
     『菅谷村報道』17号(1951年11月10日)掲載