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埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

『われに詩あり』3 人生・我過ぎ越し日々に 山下たえ 2000年

2010年12月26日 | 山下たえ『われに詩あり』(2000)

改まる 心で先祖に 若水供え
       先ずは家族の 健康を祈る

新年に 家族揃いし 夕食は
       他に勝れる 幸せはなし

生きる世に 望みを捨てず 欲捨てず
       脱線せずに 歩いて行こう

過去言わず 望みも捨てず ほのぼのと
       日々をあしらい 我は老いゆく

若き日に 幼児抱えて 泣いた夜は
       遠い昔の 思い出となる

人生の 出発点に 躓きて
       泥濘み歩いた 若き日忍ぶ

愚かなる 我身をそっと 振り返り
       今日も切なく 唇を噛む

障害の 身で有りながら 親思う
       優しき愛娘に 目頭濡らす

細やかな 夢持つことを 楽しみて
       詩書く手帳 今日も買い置く

腰伸ばし 秩父の山を 眺めつつ
       田植えに年を 重ね来しかな

弟の 妻の付き添い 頼まれて
       病む身見詰めて 眠れぬ夜半を

口ほどに 手足動かぬ 年となり
       何故か無なしく 日々やり過ごす

喜びを 求めて歩く 人生に
       運命悲しき 事のみ多く

俺が俺がと 己を立てりゃ
       丸い世間に 角が立つ

生かされて 我ある事の 喜びを
       心に消えぬ 灯として

苦しさも 楽しさも皆 織り成して
       今は時代の 波に従う

人生の 出発点に 躓きて 我が子育てを
       夢中で 生きた  (先夫に先立たれて)

残されて 月夜の下に 泣いた夜は
       遠い昔の 思い出となる

初めての 敬老会に 招かれて
       嬉しくも有り 淋しくも有り

問わざれば 語る事なき 老後の身
       寝るにも早き 初秋の夕べ

言いたきを 心に秘めて 胸押さえ
       眠れぬ夜の 永き悲しみ

老いる身に 朝の太陽背に受けて
       新聞記事の 拾い読みする

人生の 老い行く日々に 望みかけ
       皆で楽しく 健やかに生く

起き出て 今日在る事の 幸せを
       鏡に向かいて 白髪を解く

口ほどに 手足動かぬ年となり 
       唯もどかしく 気持ちは焦る

年取りて 淋しさつのる 時もある
       心押えて 慎みて生く

一言の 話相手の 無き日にも
       我に詩有り 明るく過ごす

もう二度と 戻れはしない 若き日に
       友と遊んだ 故郷山川

我が畑に 地積調査で 足入れて
       荒れた耕地に 愛惜つのる

荒れ果てた 野原の如き 我が畑に
       何故か淋しく 愛着覚ゆ

明け暮に 思い悩んで 信仰に
       入神の道 人は勧めり

着脹れて 物忘れして 物ぐさく
       口の半分 体動かず

何時の世も 親の心は変わりなく
       育む我が子に 清き祈りを

目も耳も うとくなりたる この頃は
       庭を眺めて 日毎楽しむ

忘る事 繰り返しつつ 老いて行く
       今日も二度目の 捜物する

ゴミ捨てて 心は捨てず 世の中を
       レール外さず 歩いて行こう

思い出を 心に秘めて 老いる身に
       若き日の頃 今幻に

思わざる 優しき友に 巡り合い
       老いゆく先の 心の糧に

忌みの日を 一人守りて 独り夜の
       心静かに 我を慰む

幾年月 人手入らぬ 我が畑に
       耕地整理の 札立てに入る

家よりも ここが涼しと 境内の
       ベンチで語る ゲートの友と

皆様の 御陰をもちて 生かされて
       孫の成人 祝う嬉しさ

苦も楽も 皆織り成して 幾歳月
       守した孫の 成人を祝う

          山下たえ『われに詩あり』 2000年(平成12)2月



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