GO! GO! 嵐山 2

埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

短歌 上海青葉病院にて(2) 根岸・小沢スミ

2010年01月04日 | 文芸

 悲しさに一人涙す夏の夜半
      思いは走る古里の友

 手をにぎり友と学舎をいでしより
      早七歳を送り迎えぬ

 神々の試練とは云へあまりにも
      長き病に神をうらみぬ

 友は皆教の業にはげめりと
      便りきくたびその幸祈る

 あきらめて瞼とずれば涙なを
      なぜか知らずにほゝに流るる

 しみじみと啄木の唄思い出す
      今日此の頃の我の生活

 思い出す遠きみ空の故郷へ
      我も行きたしあの雲にのり

 嬉しさに心おどりてもどりくれば
      母は笑みつゝむかえにきたり

 一人居に淋しく文をかく夜は
      虫の泣く声いとど身にしむ

 夕暮れを使に急ぐ並木道
      誰か後よりくる気はい

 なき友が何時も唄いしあの唄を
      今日も淋しく思い暮す

 あまがえる庭で泣きつつたそがれる
      友のめい日淋しかりけり

 寒風の吹きつゝくれる裏町に
      物うりの声淋しくひびく

 我が部屋の窓辺にゆれるカーテンの
      影さへ涼し夏の夕暮れ

 本をよむ夜は静かな雨の音
      悲しくもあり淋しくもあり

 やみし人林檎ふくめばぼろぼろと
      味かく悲しき春の夕暮

 幸せと言うをもとめて何時よりか
      悲しさ忍ぶ我となりけり

 コスモスの花いっぱいに咲きほこる
      その一枝を瓶にさす

 思う事みなあきらめて友が身に
      幸多かれと祈る朝夕

 妹の何時も変らぬほがらかな
      便りに我は一人ほゝえむ

 ねつかれぬまゝに故郷文かけば
      ボーッとかすか汽笛きこゆる

 月見草夕暮に咲く河原にて
      共に語りし友今いづこ

 淋しさを胸につつみて野を行けば
      夕月あわくかかる夕もや

 ねつかれずね返りしれば我が枕
      悲しくひゞく犬の遠ぼえ

 くわかたげ夕日あびつゝ帰り行く
      同級の友昔偲ばゆく

 つらき事も悲しき事もあきらめて
      じっと見つめる空の青

 コウロギのえんがわに泣く声こそは
      我が古里の夏の思いで

 何となく母の事など忍ばれて
      涙こぼるゝ今日の我かな

 今日の日は又帰りくる事がなし
      あの雲のやう永久に帰らず

 故郷も雨降りとかや何となく
      ラジオきき入り淋しく思う

 草や木もやっと息する暑ささへ
      知らぬ顔なり谷川の水

 流れ行く小川の水に妹も
      笹船流し遊びするかも

 何時の日か我が着る白衣は赤十字
      赤きマークのつくぞ嬉しき

 色づいた葉も多くなり鈴かげに
      ほろりと落ちた秋の夕暮

 柿の木に今はちるべき葉もなくて
      実一つぶ夕日に照れり

 うっとりと雨をながめる窓辺かな
      夕立の晴れてしばらくせみしぐれ

 二、三日降ってた雨も今日はやみ
      手すりの下のホーヅキの木に風が渡る


短歌 上海青葉病院にて 根岸・小沢スミ

2010年01月03日 | 文芸

   上海青葉病院にて
 悲しさに窓邊に立ちて名を呼べど
      そ知らぬ雨に今日も涙す

 雨の日に啄木の唄集めいし
      友の仁美を今も忘れじ

 つらきとて誰にたよろう心なれ
      指かみしめて涙こらえぬ

 町々の庭はほうきのあとついて
      ぴいちくスズメ何語るのか

 クリークのおたまじゃくしを手にとれば
      ほのぼのこいし前髪の頃

 今日も又帰らぬ日々をいと惜しみ
      むなしく暮すやるせなき身を

 ピンセット持つ指先もかろやかに
      看護の朝の仕事にかゝる

 白ぬりの病院船の気高さを
      無事であれよと心で祈る

 今日も又若草ふみて薬室へ
      我通うなりいくたびとなく

 淋しげに唯淋しげにひゞくなり
      夜半のしじまに氷かく音

 うつりきてまだしたしまぬこの室の
      窓にしたたる雪の淋しき

 残業の友と二人の淋しさは
      机の冷えをしみじみ感ず

 月澄めば靴音さゆる巡回の
      今宵淋しき不寝番(ふしんばん)我は

 古里の友の便りの嬉しさに
      いくどもいくども読みにけり


心の歌 根岸・小沢スミ

2010年01月02日 | 文芸

   心の歌
 錦(ニシキ)を重ね綾(アヤ)を敷き
 玉の臺(ウテナ)に住むとても
 心の花の薫(カオ)らずば
 いかでか永久(トワ)に榮ゆべき

 ももちの言葉つらぬとも
 たえなる文を飾(カザ)るとも
 心の誠(マコト)こもらずば
 など世の人の迎(アオ)ぐべき

 野辺に耕(タガヤ)す幼な子よ
 巷(チマタ)につむぐ女め(オトメ)子よ
 たゆまず心つちかいて
 尊(トフト)き人になれよかし

 幾年経(ヘ)にし今もなほ
 夕(ユウベ)となれば我が胸を
 行きかふものは故郷の
 幼き頃の思いなり

 桜の花を髪にさし
 夕焼け雲の焇ゆる頃
 手に手を取りて草笛を
 吹きて遊びし野の道も

 水澄む秋の大河の
 流れの岸に立ち出でし
 小魚をすくい衣(キヌ)ぬらし
 いたくも母に叱られぬ

 その事ごともなつかしく
 悲しき時も嬉(ウ)き時も
 思いならせば己(オノズ)から
 心静まる我が身なり

 あゝ故郷は永久(トコシエ)に
 世の争(アラソイ)もにくしみも
 知らぬ安けき永久(トワ)の国
 我が魂(タマシイ)の住む所

   婦人従軍歌
     作詞 加藤義清
     作曲 奥好義
一 火筒(ほづつ)の響き遠ざかる
  跡には虫も声たてず
  吹きたつ風はなまぐさく
  くれない染めし草の色
二 わきて凄きは敵味方
  帽子飛び去り袖ちぎれ
  斃(たお)れし人のかお色は
  野辺の草葉にさもにたり
三 やがて十字の旗を立て
  天幕(テント)をさして荷(にな)いゆく
  天幕に待つは日の本(ひのもと)の
  仁と愛とに富む婦人
四 真白に細き手をのべて
  流るる血しお洗い去り
  まくや繃帯白妙(ほうたいしろたえ)の
  衣の袖はあけにそみ
五 味方の兵の上のみか
  言(こと)も通わぬあた迄も
  いとねんごろに看護する
  心のいろは赤十字
六 あないさましや文明の
  母という名を負い持ちて
  いとねんごろに看護する
  こころの色は赤十字
           1894年(明治27)10月発表

※近衛師団軍楽隊の楽手・加藤義清が戦地に赴く従軍看護婦を駅頭で見て感動し、一夜で書き上げたという。これに宮内省の楽師兼華族女学校の教官であった奥好義が曲をつけた。小学校の唱歌で教えられていた。


嵐山町歌応募入選作品 1967年

2009年07月13日 | 文芸

  入選第二席

    羽尾 小久保佐一郎
一、都幾 槻の流れ清らに
  山青く 町は豊かに
  栄えゆく あすがある町
  嵐山 嵐山
  ああ われらが 嵐山
二、先人の偉徳たたえて
  うけつがん文化めぐりて
  のぞみある 歴史ある町
  嵐山 嵐山
  ああ われらが 嵐山
三、日に月に ひらけゆく町
  和で結ぶきずなほこりて
  ともにゆく 歌がある町
  嵐山 嵐山
  ああ われらが 嵐山

    志賀 滝沢利男
一、西にとき川流れは清く
  北にそびえる遠のひら
  歴史は古し武蔵野の
  その内に立つ
  われらの郷土
  いつでもみなみな
  明るく生きる
  明日へ躍進 嵐山町
二、栄ゆく産業未来に向かい
  夢は広がる かなたまで
  かがやく光をあびながら
  手をとり行こうよ
  いつまでも
  いつでもみなみな
  明るく生きる
  明日へ躍進 嵐山町

    菅谷 片田真造
一、都幾の川風さわやかに
  武蔵嵐山 冬の月
  菅谷城跡の山桜
  菅谷原の黄金の波よ
  栄え嵐山 弥栄嵐山

    古里 吉場雅美
一、東に朝日西秩父
  恵みおおきく地にもえて
  雲のたなびく奥武蔵
  強く伸びよ嵐山
二、若草もえる岡の上に
  おりなす錦も美しく
  水のただよう奥武蔵
  清く伸びよ嵐山
三、花は昔のそのままに
  重忠の園めぐらして
  すごもる雛の奥武蔵
  若く伸びよ嵐山
四、あしたは遠くせせらぎの
  聞けば木の間も
  こだまする
  文化をきづく奥武蔵
  高く伸びよ嵐山

    菅谷 関根ひろ子
一、みんな明るく 元気よく
  大空のもとで 働く姿
  それは 尊い歴史を守り
  立派な歴史を
  つくり上げる
  ああ……働くことは
  宝なり
  若人 勇気を持って
  元気に進もう
二、みんな明るく元気よく
  ファイトマンマン
  頑張る姿
  町の産業を盛り上げ
  明るく住みよい町をつくる
  ああ ……楽しい生活は
  努力から
  みんなの手で
  嵐山町を盛んに

    鎌形 小林儀作
一、秩父の嶺の空晴れて
  武蔵野原は春匂う
  花咲き鳥啼き風光る
  ああ美しき山と川
  ながめて生きるわれら幸
二、ゆたかに稔る黄金いろ
  稲田に明るく 秋の陽は
  山と積れた 繭の荷の
  走る自動車照らすなり
  平和な郷を照らすなり
三、産業 文化 中心の
  嵐山駅は 人の波
  つながる心 輪になって
  あしたのまちを築きゆく
  たのしい町を築きゆく
四、歴史は遠きそのむかし
  重忠公の館跡より
  湧き出る清水はこの町を
  文化の波でつつみゆく
  情の清水でつつみゆく

    菅谷 内田喜平
一、わが民のぞむ町づくり
  すべての民が手を合せ
  清く明るくたのもしく
  二十世紀の町光る
二、秩父連山西に見て
  南都幾川清流の
  重忠公の徳を受け
  二十世紀の町光る

    吉田 藤野豊吉
一、秩父嶺の東に展く丘陵の
  まろき姿に かこまるる
  平和の里に雄々しくも
  今建築の鐘がなる
二、古き館の影とめて
  清き流れの都幾川に
  武人の心 受け継いで
  なりわいの道いそしめる
三、清き自然と美しき
  心はぐくむ 町人の
  手と手結びて いざ共に
  明日ののぞみに進まなん

    小川町 江原婦美
一、武蔵の丘を ばら色に
  染めてあらたな朝がくる
  わららの町よ 嵐山は
  小鳥のうたも 咲く花も
  若い希望を はずませて
  あかるいくらしひらく町
二、都幾川清く 山青く
  風はみのりを告げてくる
  われらの町よ 嵐山は
  もえたつ意気と人の和に
  自治のよろこび
  みなぎって
  たのしい夢が 育つ町
三、ほまれの歴史いまもなお
  戸毎戸毎に 灯をともす
  われらの町よ 嵐山は
  産業文化 かがやかに
  伸びて栄えて明日を呼ぶ
  平和の鐘が ひびく町

    広野 杉田朝光
一、秩父高根を西に見て
  此処ぞ名におお比企の丘
  重忠公の館跡
  昔を偲ぶ山や川
二、里は開けてお蚕と
  田圃の続く米どころ
  祭太鼓の音を聞けば
  秋は黄金の稲穂波
三、天下の景勝嵐山
  流れも清き槻川は
  文化の流れそのままに
  永遠に栄えんわが町よ

    菅谷 飯島留一
一、わが町に ひびく槌音
  高らかに 力強く
  あすを開く音だ
  さあ みんなで力を合わせ
  あしたの町を築こう
  産業の町 嵐山 嵐山
二、わが町に 遺る あの跡
  名も高き数々の人
  歴史の跡だ
  さあ みんなで腕くみ合って
  あしたの町を育てよう
  歴史の町 嵐山 嵐山
三、わが町に 文読む声
  学舎に 町なかに
  遍く広がる
  さあ みんなで身を高めつつ
  あしたの町を夢見よう
  文化の町 嵐山 嵐山

    志賀 大野角藏
一、嵐山いよいよ文化は進み
  今やすべてが進みに進み
  産業ぼっこう 限りなし
  町に流れる 限りなし
  町に流れる 平和の声は
  すみずみまでも 行きわたり
  住みよい心地 明朗に
  時は流れて 幾千代までも
  盛んなるかな
  すすめ嵐山 すすめ嵐山

    中尾 保泉一生
一、秩父嶺高く 雲白く
  仰ぐひとみに 澄むところ
  見よ新生の 大嵐山
  夢と希望の 花咲いて
  ああ はてしなく
  ひらけゆく
二、都幾川清く 水青く
  幸と恵みの 満つところ
  見よ躍進の 大嵐山
  汗と力と 人の和に
  ああ かぎりなく
  のびてゆく
三、歴史は古く 新しく
  伝統今に 継ぐところ
  見よ繁栄の 大嵐山
  自由と平和の 手を組みて
  ああ たゆみなく
  栄えゆく

    鎌形 中島金吾
一、秩父嶺を はるかに仰ぎ
  槻川の 流れは清く
  響く 新生
  建設のつち音
  いまの世の しあわせ悟る
  嵐山町 おおわが町
二、よき土地の 歴史は古く
  住む人ら 直く明るく
  興る 産業
  創造のよろこび
  すぎし世の 祈りを想う
  嵐山町 おおわが町
三、人類の 平和をとわに
  打ち立てる 理想をこめて
  誓う 向上
  生活のやすらぎ
  あすの世の 栄えを約す
  嵐山町 おおわが町

    吉田 小林常男
一、都幾の川原のさざ波に
  緑も映える若い町
  青空に明日を担う若者の
  大きな夢がこだまして
  伸びゆく町 緑の町
  おお嵐山 歩み続ける町嵐山
二、遠い秩父の山雪に
  心を映す若い町
  冬空に手と手をつないだ町人の
  大きな笑いがこだまして
  伸びゆく町 明るい町
  おお嵐山 明日をになう町嵐山
三、武蔵の野辺のそよ風が
  しあわせ運ぶ若い町
  大空に両手を上げた若者が
  大きな太陽輝かす
  伸びゆく町 清い町
  おお嵐山 若人の町嵐山

    鎌形 大久保秀子
一、緑の森をはるかに望む
  明るきこの町 今日の為に
  みつめよ深々と
  この土地の この歩みを
  ああ明るき嵐山 嵐山町よ
二、山河ゆかしき美雲は湧きぞ
  緑のこの町 あすの為に
  思えよいついつも
  この土地の この励みを
  ああ緑の嵐山 嵐山町よ
三、町の大河は流れも清く
  輝けこの町 未来の為に
  考えよしみじみと
  この土地の この能力を
  ああ輝け嵐山 嵐山町よ

    越畑 久保茂男
一、花に紅葉に都人士を
  招きて清き槻川の
  岩間の水に鮎躍る
  我等嵐山町に住む
二、八幡の森神寂びて
  木曽の英雄義仲に
  ゆかりも深き清水湧く
  我等嵐山町に住む
三、今は昔の戦神
  鬼鎮神社は産土の
  平和と富の守り神
  我等嵐山町に住む

    吉見村 長島進
一、歴史の苑に 花芳る
  重忠公が 覇府の郷
  星霜人は 移れども
  久遠に咲かす 人情美
  おお嵐山町 わが郷土
二、往来の人の 眉若く
  その唇に 満つる歌
  銀鱗躍る 槻川の
  流れも清し 日本一
  おお嵐山町 わが楽土
三、広がる家並み 伸びる舗
  比企野に築く 新文化
  鬼鎮様に 合わす手が
  力と愛の 朝を呼ぶ
  おお嵐山町 わが誇り

    吉見村 長島進
一、槻川の水音澄みて
  塩山の秀づるところ
  景勝の四方に展けて
  玲瓏と輝く町よ
  おお嵐山 光の都
二、黄金の稲穂の風が
  工場の窓打つところ
  店々に生気溢れて
  溌剌伸びゆく町よ
  おお嵐山 希望の都
三、露繁き史蹟の草に
  情愛の花咲くところ
  鬼神の健御稜威が
  夢を呼ぶ歴史の町よ
  おお嵐山 理想の都

    平沢 山田功
一、都幾の川面の朝光に
  色鮮やかなさくら花
  絶えることなく
  行く川の如
  伸びよ
  武蔵の大地の上に
  いざ 真求めて
  我らが若き町
  美しき町 ああ嵐山
二、鳩の羽搏き音清く
  瑞雲たなびく遠の平
  幸を願いて
  飛ぶ鳩の如
  伸びよ
  武蔵の大地の上に
  いざ善を求めて
  我らが若き町
  豊かなる町 ああ嵐山
三、重忠公の伝統と
  ささら舞踊に古の
  ゆかしき香流す
  歴史の町よ
  伸びよ
  武蔵の大地の上に
  いざ美を求めて
  我らが若き町
  逞しき町 ああ嵐山

    小川町 江原輝二
一、武蔵野の丘どよもして
  もりあがる 清新の意気よ
  勤労の 汗もたのしく
  躍進のうたごえつづく
  おお 嵐山
  この町にわれらは集う
二、都幾川の山水清く
  虹を呼ぶ ゆたかな土よ
  生産の 力あふれて
  ゆるぎないしあわせ育つ
  おお 嵐山
  この町をわれらは担う
三、ふるさとの歴史に映えて
  咲き匂う 文化の花よ
  共栄の くらしあかるく
  新しい平和はここに
  おお 嵐山
  この町にわれらは歌う

    東京都 渡辺男
一、建ち行く町にわきあがる
  明日への力 たくましく
  喜びをめざし
  幸福をめざし
  わきあがる わきあがる
  嵐山の力
二、明け行く町にふりそそぐ
  恵みの光 美しく
  喜びをたたえ
  幸福をたたえ
  ふりそそぐ ふりそそぐ
  嵐山の光
三、伸び行く町に花開く
  栄えの心 誇らしく
  喜びとともに
  幸福とともに
  花開く 花開く
  嵐山の心

    根岸 根岸進
一、めぐみ豊な武蔵の野辺に
  明るい自治のいしずえすえて
  農工商の共栄うたう
  田園都市はわれらの理想
  嵐山これぞわが町
  わが故郷
二、都幾は流れる古城のほとり
  古き歴史と伝統をうけて
  この地に生きるほこりを胸に
  今ぞきずかん希望の楽土
  嵐山これぞわが町
  わが故郷
三、秩父の山脈け高く澄みて
  変らぬ姿は平和のしるし
  愛の心でたがいに和して
  明日の栄を開きてゆかん
  嵐山これぞわが町
  わが故郷

    根岸 根岸妙
一、めぐみゆたかな武蔵野に
  理想にもえて意気たかく
  田園都市の建設に
  いま立ちあがる嵐山の
  希望のあすに光りあれ
二、青史にかおるその史蹟
  高き文化をうけつぎて
  うぶ湯の清水わくところ
  英雄生れし地にあれば
  ああ水清く人若し
三、都幾の流れにうるおいて
  人の心も美しく
  平和なさとと栄えきて
  今ぞ明るき自治のもと
  われら偉業をなさんかな
四、け高き秩父の山なみの
  ゆるがぬ姿仰ぎみて
  ここに共存共栄の
  楽土めざしていま進む
  田園都市にさかえあれ

     『嵐山町報道』173号 1967年(昭和42)5月15日

参照:「嵐山町歌・嵐山音頭が制定される」。


歌集『朝鐘』(抄) 昭和49年 1 関根茂章 1974年

2009年05月28日 | 文芸

       新春
   遠つ人宇家良(うけら)が花に夢はせし
          武蔵の原は明け染めにけり

   明け染むる比企の山脈(やまなみ)襞(ひだ)のこく
          千古の史(ふみ)を秘の湛(たた)ふかも

   新春(にいはる)の光(ひかり)沁(し)み入(い)る山径(みち)を
          子らと歩めば心安けし

   新春の願ひ抱きつ光(かげ)あはき
          朝(あした)社のきざはしを踏む

   乙女着し紺の絣(かすり)は初々(ういうい)し
          人群る駅に佇ちどまり見る


       消防団出初式
   光(かげ)あはき睦月(むつき)の朝を並(な)み立ちて
          眉字かためたる雄の子凛々しき

   若きらは寒気肌つくこの朝
          ひとみさやかに口結び立つ

   新鋭車あやつる顔のかがやきて
          エンヂンの音かるくひびきぬ


       成人式*
   よそほひのかげ鮮けきおとめ子の
          瞳(ひとみ)に沁みむ碧き山脈(やまなみ)

   二十年を歩み来りてすこやけし
          面輪(おもわ)かげらず道いゆきませ

*1974年1月15日、菅谷中学校で昭和49年成人式。成人者236人の約6割強の150人が出席。「1952年(昭和27))、53年、朝鮮戦争当時生まれ、繁栄の中に育った青年達」(『嵐山町報道』236号)。

       新園舎*
   幾年(いくとせ)をうからと共に耕せし
          汗滲(にじ)む畑に園舎建ちたり

   夕(よい)闇の迫りくるまで業(わざ)なしし
          憶(おも)ひつもりし墾畑(はりはた)なりき

   子らを待つ園舎の午後は寂かなり
          かなしき願ひ踏み行き給へ

*1973年7月着工の嵐山町立嵐山幼稚園新園舎が12月28日完成、1974年1月5日移転、1月8日園児を迎え使用開始(『嵐山町報道』235号)。


       日記
   長男の生れし時の古日記
          子と読み合ひぬ日曜の午后

   ひたすらに祈る心情(こころ)のあふれゐて
          父となりし日つつましかりき

   産(う)み終えし妻のやすらぐ笑(えみ)し顔
          こぞの日のごとあざやかに浮く


       続日記
   くだちゆくいで湯の夜を独り坐し
          願ひこめつつひた写しけり

   吾が願ひ践(ふ)みゆき給へと古日記
          想ひよせつつ写し終りぬ

   君よ知れ父の祈りを生(あ)れし日の
          おののく文字はすみ滲(にじ)みゐる


       木の葉掃き
   埋もれる木の葉を掃けばやわ土に
          光しみ入る朝は寂(しず)けし

   霜を踏む音さくさくとあかときの
          鎮もる山にくぬぎ葉を掃く

   霜柱踏みくずし行く山径に
          朝の光は乱りかがよふ

   山川をこえて沁みくる朝の鐘(かね)
          木の葉掃く手を止めて聞き入る


       鬼鎮神社節分祭
   福は内鬼は内なる告(の)り言(ごと)も
          ここに十年(ととせ)を重ねけるかも

   節分祭今年(ことし)も父と臨み得ぬ
          有難しと思ふ安けき月日を


       雪の城趾
   降る雪を樹下にさけてたそがれの
          古りにし趾を瞻(まも)りゐたりき

   雪あかり踏みゆく趾のあざやけく
          城趾(しろ)の小径(みち)に刻みつづけり

   白銀(しろがね)の雪降りしきる二の丸に
          佇てば寂しも野山埋めて


       青嵐会の大会
   名もいらず命(いのち)もいらず国護(も)ると
          さけぶ雄の子のかなしかりけり

   満ちよする潮(うしほ)の如きどよめきを
          背に聞きつつも館(たち)辞しにけり

     関根茂章『朝鐘』 1974年(昭和49)12月


歌集『故山』(抄) 昭和48年 関根茂章 1974年

2009年05月05日 | 文芸

       米山永助老を悼みて
   はるけくもただひたすらに歩みこし
          老の足跡大いなるかも

   白梅の生命かなしもきさらぎの
          凍(い)てつく土に散りにけるかも

   うつせみの生命かなしも白梅の
          音もたてずに散りゆきにけり


       木枯
   はたはたと雨戸をたたく風音に
          牛をしのびて眠りかねつも

   木枯の森を吹きゆく音しきり
          屋外の牛はいかに耐ふらむ


       上水道の通水開始*
   都幾の水町のはてまで届き得ぬ
          宿願ここに果しけるかも

   風呂入れば足まで見ゆる水なりと
          はずむ電話に足らふ吾かも


*1973年(昭和48)3月1日、嵐山町全町水道試験通水開始
   水不足が解消されます 全町に通水開始
 四十六年(1971)九月から始まった嵐山町水道第一期拡張工事は、五月三十一日に完成しますが、三月一日から全町に通水されております。特に乾期になると、水不足で困った、古里、吉田、越畑各地区のみなさんには、ご不便をおかけしましたが、これからは安心していただけると思います。
     『嵐山町報道』228号 1973年(昭和48)4月15日


       夏宵
   宵闇のしじまひそけくぬかづきて
          何祈るらむ姿かなしも

   黒々と横たふ山すそ展けたる
          街のあかりは星の如しも

   歩み来ていつか消えなむ朝露の
          生命を惜しと独りかみしむ


       慕情
   山狭(やまあい)は川面にもやのこもり立ち
          せゝらぎ低く暮れゆかむとす

   谷川の岸辺歩めばひぐらしの
          暮るゝを惜しと鳴きて止まずも

   遠き路いかに過ぎしと思ふ眼に
          まろけき月の光(かげ)冴えわたる

   夕暮の寂(しず)けさに耐へ独り居ば
          窓辺にまろき月のぼりゆく

   差出(さしいだ)すくちなしの花もやあおき
          庭のしじまにあまくにほへり (石川先生宅)


       旱魃と慈雨
   ひびわれし水田(みなた)根深く張りしめて
          むごけき陽光(かげ)に耐え耐えて生く (稲)

   草も木も渇きのきはみ黄ばみたり
          八大龍王雨降らせ給へ

   待ち待ちし雨音(おと)たてて降り来(きた)る
          野山生き生きよみがえるらし

   待ちわびし雨ぞ降りきぬ眼とじ
          雨音しかとこころに刻む

   雨しげき石のかざはしたしかにも
          こころよせつつ歩をすすめたり


       秋雨
   庭に咲くコスモスの花濡らしつつ
          晝間しずかに秋雨の降る

   街燈の光(かげ)おぼろなる夕暮を
          音もたてずに秋雨の降る


       彼岸花
   今年も曼珠沙華のあかき花
          路辺に咲きて秋深みゆく

   彼岸花葉もつけなくて独り咲き
          かなしみさそふ秋深みたり


       秋情
   天地(あめつち)のこの寂(しず)けさや音もなく
          コソモスの花舞ひ落ちにけり


       義仲寺の代参をしのびて*
   木曽殿の霊(たま)安かれとひたすらに
          塔婆をさげしそのこころはも

   義仲寺につとめ果せしこころねを
          ロマンの殿は笑み給ふらむ

   落つる日のロマンを染(そ)めしもののふは
          あがふるさとに生(あ)れし雄の子ぞ

*義仲寺(ぎちゅうじ):滋賀県大津市にある寺院。俳人芭蕉は1694年(元禄7)、大坂で亡くなったが遺志により義仲寺の源義仲の墓の横に葬られた。「木曽殿と背中合わせの寒かな」は伊勢の俳人島崎又玄が無名庵(義仲寺)に滞在中の芭蕉を訪ね泊まった1692年(元禄5)の作。


       晩秋
   いく度か歩みし道に落葉散り
          足音すみて秋深みたり

   もみじせし𧜎の小枝(さえ)を動かして
          朝(あした)しずかに風渡る見ゆ

   色づきし柿の上(ほ)つ枝に小鳥らは
          今日も来りてだえづりており

   葉も落ちてとり残された柿の実を
          鳥も来たりて今日もついばむ

   秋深くただしずもれる裏庭に
          晝間ひそけく樫の実は落つ

   樫の実はしづもる庭に一つ落つ
          かそけき生命わがおもひ居り

   裏庭に眠りし犬はかしの実の
          一つ落つるも動くことなし

   真白なる山茶花(さざんか)の花ひそけくも
          一輪ひらき空ますみたり

   夕くれし庭の斜面はひるの陽の
          かそけきぬくみたたえおるなり

   夕くれの山あひの田に稲かけは
          ひそけく残り木がらしの鳴る

   ほすすきの揺るる川原のいや果に
          秩父の山は藍(あい)冴えてあり

   黒土にしみ入る夕陽かげあはし
          妻とはたらき足らふわれかも


       あかね雲
   黒雲のどよみて冷ゆる西空に
          山脈あかく残照に映ゆ


       中島わか氏に*
   いく年を耐え忍び来て貯(たくわ)へを
          ささげし心情(こころ)われを泣かしむ

*敬老会 いつまでもお元気で 七十才以上は六一二人
   中島わかさんから老人のためにと五十万円
 多年にわたって社会に尽くされてきた御老人に感謝し、長寿を祝う敬老会が十月十五日(月)菅中体育館で行われました。
 御老人達は秋晴れの空のもと、子供や孫に送られて、知り合い同志でのんびり話ながら会場におもむき、定刻前にほぼ一ぱいになる盛況ぶりでした。
 嵐山町で七十才以上の方は、男二百七十五人、女三百三十七人の計六百十二人、その内会場には五一三人がお見えになりました。
 席上、八十八才以上の方、金婚式を迎えられた御夫婦の紹介と記念品贈呈がありました。
 記念写真、昼食の後午後からの余興では、幼稚園児童の遊戯に目を細め、仲間の日頃きたえたノドの詩吟や歌に声援を送り、まだまだ若いと「中学三年生」を歌う人もあって、三時頃まで拍手と笑いが続きました。
  米寿を迎えられた方 深沢ゐへ 関口鷹造 山下さの 島田かつ 伊藤亀蔵 岩田昇宰
  八十九才以上の方 安藤ちか 98  金子ぜん 92  船戸さ已 91  岡本みち 90
   内田リウ 90  青木伊勢 90  松本まん 90  石田奈加 89  藤田みや 89
  金婚式を迎えられた御夫婦 内田登一・くに 岩附木一・みち 栗原寿作・かつ
   村田勇太郎・いさ 吉野賢治・てる 内田源作・もと 杉田朝造・いく
   金井東輔・いせ 馬場和一・寿 宮田珪一郎・せい

  老人福祉に役立ててと五十万円
 また席上、菅谷の中島わかさん(74)から、老人福祉に役立てて欲しいと町に五十万円の寄付がありました。
 わかさんは去年の十月脳軟化症にたおれ、回復したというもののまだ歩行が自由には行かないため家人につきそわれて、会場に見えました。はなしによるとわかさんは夫に先だたれ、十一人の子どものうち長男を戦争で失いました。
 その弔慰金と老人年金、子どもや孫からの小づかいをコツコツ貯めたお金を寄附されたということです。
     『嵐山町広報』233号 1973年(昭和48)11月1日


       消防団放水試験*
   放水の合図おそしと十本の
          水たくましく競(きそ)ひあがれり

   エンヂンの音さだまりて水(みな)柱
          弧(こ)を描きつつしばし動かず

   水(みな)すじは真白(ましろ)き孤をを描きゐぬ
          はたてに蒼き山脈の冴ゆ

*みごとな訓練の成果 消防特別点検
 昭和四十八年度の小川地区消防組合嵐山消防団の特別点検は、十二月九日午前八時から菅谷中学校グランドにおいて、快晴のもとに行われた。
 寒風の吹く中ではあったが、さすが県内唯一の優良竿頭綬を受けたに恥じない、規律正しい、きびきびした動きは日頃の訓練の成果を思わせた。
 国旗・町旗のはためくもと、殉職者に対する黙とうの後、小川地区消防組合の副管理者である関根町長の点検開始宣言に、中島重男消防団長の人員報告、続いて服装規律の点検・分列行進が行われ、休けい後の機械器具の点検、消防操法に各班とも寸分狂わぬ見事な動きを披露した。
 放水試験は都幾川学校橋上流において行われ、冬空にくっきりと白いアーチをえがいた。
 終了後再び菅中グランドで、町長の「非常によく訓練が行きとどいている。今後も使命遂行にまい進して欲しい」と講評があり、本年度消防功労者に対する表彰状伝達が行われた。

   表彰者氏名
 ○埼玉県消防協会表彰
  功績章 関根茂章  功労章 小林辰見  特別功労章 中島重男・小林盛雄
  二等功労章 船戸久行  三等功労章 井上一喜・福島石夫
  技能章A 中島貞男
 ○消防協会小川支部表彰
  一等功労章 飯島桂一  二等功労章 高橋鉦吉・中島盛男・田島定一・吉野久夫
  三等功労章 山田米造・深沢克司・荻山利光・福島一雄・山崎岑生
 ○嵐山町並びに嵐山消防団表彰
  内田晴次・福島和
     『嵐山町報道』235号 1974年(昭和49)1月25日


       師走閑居
   子供らと門松伐らむと沢に架す
          丸太橋渡りて山に入りたり

   樹の間洩る陽はうすけれど登りゆく
          吾が肌あはく汗にじみけり

   登りゆく吾らの足(あ)音に驚きし
          山鳥一羽とびたちにけり

   山鳥の羽ばたく音は森閑と
          しずもる森に雄々しくひびけり

   西木戸に佇(た)てば絶えざるせせらぎの
          リズム安けし年暮るる夕(よひ)

   除夜の鐘余韻つづくに子供らは
          四十九年と大声で告(の)ぶ

     関根茂章『故山』 1974年(昭和49)2月


歌集『故山』(抄) 昭和48年以前 関根茂章 1974年

2009年05月03日 | 文芸

       故山
   荒みたるはたしずみたる吾が胸を
          いつも黙して護りこしかも

   雨煙る山は應(こた)へずさ緑の
          傾斜(なぞえ)おほらに春たたむとす

   外国(とつくに)の旅の客舎にいく度か
          汝の山容(すがた)を夢にみしかも

   祖父植えし杉の木立は鎮もりて
          明治のいのちたゝえおるかも

   ふたたびは見(まみ)ゆることの叶うまじ
          悲しみ秘めて相(あい)植えし杉
                     (弟の渡伯記念林)


       幽情
   刻む音はむごけきものか待つ胸に
          一秒一秒痛みとほれり

   よりそひて道を歩めばあが胸の
          高鳴るひびき君知るや否

   あが胸の痛みなぐさむ人ひとり
          この空のもと住みておはすも

   武蔵野の原の小草におく露の
          いのちあはれといねがてぬかも


       雄の子われ
   雄の子われ静かなる日は山の間の
          淵の如くに黙しあるべし

   雄の子われ怒れる時は火(ほ)の山の
          火柱となりてとどろきわたる


       新年
   あら玉の年は明けきて武蔵野に
          きらめく光さしわたるかも


       自戒
   何故にあが胸いたむかきみ知るや
          きびしき誇りそこなはぬため

   うつそみは哀しきものか耐え耐えて
          大らかに行かむますらをのみち

     関根茂章『故山』 1974年(昭和49)2月

※1973年(昭和48)以前の38首から。「幽情」は昭和20年代のもの。


報道俳句 1950年6月

2009年05月02日 | 文芸

     報道俳句

   田植笠泣く児に列を離れ来る
          内田可洲

   石鹸玉管離れんとしつつ消ゆ
            芳月

   釣人の影を沈めて花の淵
            楓月

   風呂済めば十二時近し麦の秋
            松翠


     奥秩父を旅して
            大野比呂志

   襞を這ふ夏雲に佇ち登山宿

   ケーブルや脚下夏雲かすめ過ぐ

   道も狭に深山薊(みやまあざみ)と紫陽花(あじさい)と

   雲取に雲の去来や閑古鳥(かっこう)鳴く


     武蔵嵐山音頭
            小林波久士
   山は大平傘松にかかる霞は山櫻
   前は塩山鶯鳴いて渡る嵐山花の谷
   渡る槻川若鮎躍り西は嵐山小倉城

   そそぐ春雨夜の中はれて、麦のせのびが目に見える
   揃ふ穂麦がゆれてく先に、桑を摘む娘の紅だすき
   秩父連山霞んで遠く、川は流れて野を廻る
            (秩父音頭の節で歌ふ)

     『菅谷村報道』3号 1950年(昭和25)6月20日


俳句手帖から新詠を拾って 大野浩 1950年5月

2009年05月01日 | 文芸

   俳句手帖から新詠を拾って 大野比呂志生

     長瀞にて詠む

   雪洞(ぼんぼり)や万朶(まんだ)の花に風情添え

   松籟(らい)のどっと起りて落花急ふ

   青川綿(あおみどろ)鳴かぬ蛙がふけうかぶ

   春宵を寝て読むくせの何時かあり

   飛鳥(つばめ)来る日なり郷愁ひたに湧(わ)く

   野火跡のいささか黒くしどみ咲く

   焼糠(ぬか)の煙り戸毎に桑(くわ)若葉

   春蝉の鳴きたゆたひる山颪

   麦笛の鳴(な)らねば捨てて亦ねだる

   畑も打ち句も詠み郷に住み古りぬ

     『菅谷村報道』2号 1950年(昭和25)5月20日


短歌 根岸・根岸き 1951年4月

2009年04月30日 | 文芸

  うつくしく平和のために戦ふと
          地表の人はしかし好戦的

  二分くる勢力こゝに相触りぬ
          土を固めて家つくる国

  常にかも冷たき位置を守りゐる
          ネールの理智に学ばむとする

  ヨーロッパの光栄はアジアの屈辱と
          なげきて人よ東洋は哀し

  茶房出て竜舌蘭の経(みち)ゆき
          長くは行かず夕日見て帰える

  西の方墓山の日にあつまれる
          烏鳴かしめて樹を染む夕陽

  霞立ちて秩父を隠すとのぐもり
          蛇坂の枯れに気圧動かず

  来り見る都幾のたぎちの幾つ瀬に
          瀬鳥は啼けりどの瀬にも居て

     『菅谷村報道』12号 1951年(昭和26)4月10日


八日会句会の農民俳句 1950年代後半

2009年04月28日 | 文芸

①八日会句会報 1956年
 二月二十八日月例会は俳句練習会開催、各会員の代表作は左記のようである。

   若き芽の水仙のごと八日会  田島菊

   黒々と野焼の畦の続きけり  中村常男

   津波風野火の煙が高くなり  千野久夫

   顔そりて冷たき風や春浅し  千野良之

   野火が呼ぶ風微かなり小田暮るる  吉場雅美

   草焼を立って見ている頬かむり  持田市三

   俵装競技会春雪の降り続く  強瀬長重

   春浅し巨木の木肌落ちて寂  安藤一鳳

     『菅谷村報道』68号 1956年(昭和31)3月20日

②八日会歳末句会 1957年
 十二月二十五日聖誕日を祝して句会を開催した。成績は次の通りであった。

   米積んで歳末の日尚惜む  中村常男

   記憶なく暮れ行く年やあわただし  久保寅太郎

   歳末の積る反省八日会  吉場雅美

   歳末や追わるる如く麦を踏む  小林辰見

   農協の混み合う村の師走かな  千野良之

   忙しげにバイクが走る年の暮  千野久夫

   大きな夢翌年廻し年の暮  田島菊

   被服店売出し必死年の暮  持田市三

   来年の豊作誓う年の暮  永島倍久

   歳晩の大鮭梁にぶらさがる  安藤専一

     『菅谷村報道』86号 1958年(昭和33)1月25日

③八日会句会報 1958年
 一月二十八日夜、麦の土入、竹馬の兼題で句会を開き、農民俳句の相互研究を催した。一人一句を公表して、大方の御高批にあずかりたい。

   土入れや乾いた土の音軽し  安藤叡(あきら)

   竹馬や乗って見せ又手もとりて  久保寅太郎

   ふり向けば土入れする背に星一つ  田島菊

   土入や早や陽炎は野に燃ゆる  大木久作

   参宮の楽しみこめて土入るる  千野久夫

   土入れし麦しんかんと陽を吸える  小林辰見

   竹馬の後追うて行く茜雲(あかねぐも)  中村常男

   名残疵(なごりきず)竹馬戦や親心  吉場雅美

   せがまれて作る竹馬子は囲む  杉田朝光

   下肥の麦に土入る作男  杉田和義

   竹馬の高きを誇る子が大将  安藤専一

     『菅谷村報道』87号 1958年(昭和33)2月25日

④八日会句報 1959年
 二月一日夜、七郷小学校で練習句会を開く。
 当日の成績は次のようであった。

   雪催い麦の追肥を急ぎけり  千野良之

   月冴えて火の用心の声寒し  大塚旦次

   早朝のほのかに温き寒卵子  安藤叡

   遠き峰皆それぞれの雪衣  大久保義勝

   連山に雪思わせる小雨降る  大塚祐吉

   麦踏や原子時代を外にして  藤野守一

   日向ぼこ老婆の膝に猫寝入り  松本茂

   トランプにこたつ櫓の夜も更ける  持田市三

   奴凧梢に残り子ら帰える  中村常男

   雪掻いて起す黒土鍬初め  安藤専一

                 (安藤専一氏提供)

     『菅谷村報道』97号 1959年(昭和34)2月15日

※八日会については、「七郷地区の農事研究、修養団体・八日会の活動」を参照