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埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

よりよい村にする為の具体的方策(鎌形・簾藤惣次郎) 1951年11月

2008年09月13日 | 報道・よりよい村にするために 1951年
 講話締結は表面的には主権を回復し独立国家として国際社会の一員として復帰したが、その一面、政治、経済、思想文化と世界の荒波の中に押出された日本農民の将来に容易ならぬものがあると思ふ。一例を取れば日本農民一人で一・九人の食糧生産するに対し、アメリカ農民は四三人分の食糧を生産すると云ひ、東南アジアの農民は日本農民の三分の一の生産費で米を作ると云ふ。量的にも、生産費の点についても是等他国の農民と自由競争しなければならぬ立場にある日本農民の将来、楽観したものではない。又現金収入の太宗たる生糸が人絹、スフ、ナイロン、ビニール等々合成化学繊維の現状及び将来を考へた時、まさに古典繊維の感を深くするものである。是等化学繊維と養蚕業の競争を考へた時、相手に不足はないと云ふことが出来るが農民の前途は決して楽観は許されない。いかにして困難を打開し、よりよい村作りをするか?
 一、農村はもっと知性を尊重しなければならぬ。
 一、旧来の陋習弊風を断乎改め生活を合理的、能率的、科学的に切り替えること。
 一、消費経済を切りつめ、生産経済に注入して再生産を盛にするよう指導する(大河中学校長、43歳)。
     『菅谷村報道』17号(1951年11月10日)掲載


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