GO! GO! 嵐山 2

埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

グループ紹介 嵐山ファミリークラブ 1986年

2009年03月25日 | 報道・グループ紹介
 私たちのママさんソフトボール「ファミリークラブ」は、やがて十年になります。最初のころは練習時間が朝の六時半と、主婦にとっては一番つらい時間でした。でも健康のことを考えて皆さんについてきました。やはり運動というのは、ほんとうに楽しくまた汗を流しなにもかも忘れ夢中でやれることがなによりだと思います。今年の春の郡民体育大会では小川のフラワーズというチームと対戦し、バットにかすりもしないスピードボールを投げる苦手のピッチャーに手も足もでませんでした。二対〇という得点差で負け、悔しい思いでした。それからはママさんのファイト、練習うで「がんばろう、がんばろう」とみんなで話し合い、なんとかあのピッチャーの球を打ちたい、まだこの辺ではあのようなスピードボールを投げる人がいない、どうしようと考え、「そうだ、バッティングセンターに行こう」近くにはないので熊谷の南河原まで打ち込みにみんなで行きました。そのバッティングセンターのおじさんが良い人で嵐山から来たと言ったら「まあ好きなだけやっていきな。」と思いきりやらせていただき、みんなスピードボールが怖くなくなり当たるようになってきました。その成果が夏の郡体に出て小川のチームに打ち勝ち前回の雪辱を果たしました。楽しみながらの練習で、監督、コーチ、二十名の会員の気持ちが一致し、秋の県民体育大会でも第二位となりました。私たちママさんも年を忘れ、若手を中心にいつまでも楽しく健康を考えて続けていきます。今のところ練習するグランドにも恵まれ、思いきりみんなで遊ぶことができます。体と時間のあいているかた、ぜひ私たちのクラブでいっしょに楽しみませんか。
         連絡先:宮野  【電話番号略】
     『嵐山町報道』349号 1986年(昭和61)12月25日 婦人のページ

グループ紹介 嵐山俳句会 1986年

2009年03月21日 | 報道・グループ紹介
  古池や蛙とびこむ水の音 芭蕉
 皆さん、嵐山俳句会のお仲間になりませんか。嵐山俳句誌の生い立ちをご紹介いたします。藤野ゆかり(豊吉)先生が公民館長の時だったと記憶いたしております。昭和四十四年(1969)、町の公民活動の一つとして、藤野先生を主幹とする「紫」という会で発足して以来、毎月発行いたしております。
 初めの頃は、恥ずかしいという声もあり無記名でした。その後「嵐山」と改名いたしました。そのころは句会も開き、吟行もいたしました。藤野先生にはご多忙の中に編集され、五十九年(1984)三月号まで長い間ご苦労いただきました。
 皆様の熱意とご努力が実り、嵐山俳句誌も六十一年(1986)五月には、第百十九号を発行することができました。ガリ版すりではありますが、自分の作品が製本される喜びと、十七文字の俳句の奥行きの深さを鑑賞し、楽しみ味わう文学です。エプロンのポケットに手帳と鉛筆をしのばせ、食事の支度をしながら、メモする楽しさ、俳句は台所からもたくさん生まれます。
 皆さん、嵐山俳句会へ気軽に投稿してみませんか。婦人のグループ紹介とありますが、どなたでも結構です。平均年齢は、五十歳。嵐山俳句の輪を、大きく育てようではありませんか。
  雑詠五句  競詠二句 
  締め切り 毎月二十五日
  公民館活動ですから、会費は要りません。
  投稿先 嵐山中央公民館
     『嵐山町報道』342号 1986年(昭和61)5月25日  婦人のページ

グループ紹介 嵐山町味の会 1986年

2009年03月20日 | 報道・グループ紹介
 「嵐山味の会」は、嵐山町の味づくりと健康づくりを目的としたボランティア活動のグループです。会が発足して五年になりますが、この度今まで月一回実習してきた町の味と成人病を防ぐための食事を「武蔵嵐山・みんなで作る味と健康」にまとめました。
 今、高齢化社会の色々な問題を含めて、健康の大切さと、よりよい生き方を目指すことに世間の大きな関心が向けられています。
 私たち「味の会」は、会費で運営する自主活動ですが、厚生省の食生活改善推進事業の活動としても、各地区で「私たちの健康は私たちの手で」をスローガンに普及、啓もうに努めています。
 又、町の産業につながる地元の味をつくることを大きな目標にしていますので、季節の産物を使って新しい味をつくりだしたいのです。関係方面の皆様に、アドバイス、その他ご協力をお願い致します。
 今年度は、成人病を防ぐ勉強会、味づくりの実習、老人家庭への食事のボランティア、レクリエーション活動等の計画をたてています。
 例会は、夜と昼間を交互にもちます。現在、鎌形・大蔵方面にはまだグループが出来ていませんが、地区別の活動を大切にしながら、連携をとって、食生活を基盤にした、楽しい会にしたいと思っています。
 男女を問わず、大勢の熱意ある会員をお待ちしています。 連絡先:山田美子
     『嵐山町報道』340号 1986年(昭和61)3月20日  婦人のページ

グループ紹介 「すみれ」テニスクラブ 1985年

2009年03月18日 | 報道・グループ紹介
 今回紹介させていただきます私たちのグループは、毎週一回町のテニスコートをお借りして、楽しんでおります仲間です。
 始めてからまだ日が浅く、約一年と四ヶ月ほどしかたっておりませんが、旧知の仲間かのように、和気あいあいと活動しております。会員は現在十一名おりますが、皆熱心で小雨がぱらついていたり、風の強い日でもラケットを握りたい一心で、集まってきます。
 始めた頃は、ラケットの振り方さえ知りませんでしたが、この頃では、試合のまねごとが出来るまでになってきました。
 又、平均年齢が、三十歳そこそこのメンバーですので、小さい子どもたちを連れて来て、子守をしながら、練習をする人もおります。一週に二時間ほどのプレーですが、戸外で思いっきり体を動かすことは、家に閉じこもりがちな私たちにとりましては、たいへん良い気分転換になります。皆声をそろえて、毎日の生活に張が出て来たと申しております。
 地域の仲間づくりとしても大変良い機会ですので、事情の許すかぎりこれからも続けていきたいとおもっております。(高野公子)
     『嵐山町報道』330号 1985年(昭和60)5月25日  婦人のページ

グループ紹介 せせらぎ短歌会 1985年

2009年02月27日 | 報道・グループ紹介

 昭和四十六年(1971)、公民館活動の一つとして、浅見覚堂先生のご指導による嵐山町婦人短歌会が発足、同年十二月九日、会誌第一号が発行されました。
 会員十四名はほとんどが初心者ばかりで名前を出すのは恥ずかしいからと二、三年の間は無記名で出詠していました。月一回の歌会も公私共にお忙しい浅見先生のご都合で、年一、二回ということもありましたが、曲がりなりにも本年(1985)二月、八十五号をもって十五年目に入りました。現在は二十名の会員が、先生を中心として歌会を楽しみながら研さんをつづけております。

  歌は心の自分史
 過去十五年間の歌集をひもといて見ますと、子供たちの受験から社会人となるまでの哀歓、肉親の死別など、その折々の喜びや悲しみが昨日のことのようによみがえってまいります。
 私たちの短歌は上手、下手を問わず心の自分史ではないかと思います。過去十五年間の心の自分史…それをまとめて、十五周年記念としてせせらぎ選集第一号を作る計画をいま進めております。どんなに長いおしゃべりより一首の歌の中から同好の志であればこそ理解し、共感し合えるこのグループです。
 これからの十五年を目指して年齢と共に無感動になり易(やす)い日々の中から、新たな感動を求め合って細く長く続くグループでありたいと願っております。
 最後に、ご不自由な身で長い間歌稿をお寄せくださいました故杉田整さんの御冥福を祈り遺詠を記させていただきます。

  憂き心
   はなれてひとり
  寄りゆきし
   窓には五月の若さ漲(みなぎ)る


  障害の
   心はずみて
  歌会の
   電話につたなき原稿を書く

     『嵐山町報道』328号 1985年(昭和60)2月25日 婦人ページ