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埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

よりよい村にする為の具体的方策(志賀・出野好) 1951年11月

2008年09月13日 | 報道・よりよい村にするために 1951年
 敗戦後の我国は国土の四五%を失い而も人口は八千万を擁し十年後にはやがて一億に達せんとする趨勢である。昔ならば之を国運隆々たるものとして大いに中外に誇示する処であるが、今は敗戦国のかなしさ、限られた四ツの島にとじ込められて此のぼう大なる人口を如何にすべきかヾ頭痛の種となっている。されば朝野の識者の間に於て此の問題がさかんに論議されている事は、つとに世人の知る処であるが、之が対策として産制が取り上げられているのは誠に尤もな事である。これはたヾに国家問題であるばかりでなく各個人の家庭に於ても真剣に考ふべき事であると思ふ。昔から貧乏人の子沢山とゆう諺があるが、多産の家庭が如何に経済的に苦しんで来たかは我々の身にこたえて見聞し且体験している事である。我々農村の中産以下の家庭に於いて特に然りである。かかる家では明けくれ食ふ事のみに没頭し教育等も閑却せられ只々子供の養育丈が精一杯で、ほっと息つく間もなく尊い一生を終って了ふのが今の世である。是が人生なりと諦観すべきであろうか、否こんな意味のない一生は人生ではない。そこで私は識者の口真似をする訳ではないが声を大にして産制を叫びたい。良い子を少く産んで丈夫に育てる計画産児、これこそ我々の最も理想とする処である。産めよ殖せよとか又子供は授かり物だから仕方がないと矢鱈に生み出して無意味な苦しみをする時代は正に過ぎた。私は先ず子供は三人位が適当だと思ふ。結婚後五年目に一人宛生む様にすれば生活にもさしたる支障を来たさず従って十分な養育が出来るから親子共に幸福である。宜しく自分の好む時に生み欲せざる時には造らない事である。かくする事によって国家百年の大計にも順応し又自己の幸福をも招来する唯一の手段ではなからうか。かゝる方策は国家が取り上げて実施すべきは勿論であるが先づ手近な処で村あたりでも一応考慮に入れて何等かの手を打つのも決して徒事でないと思ふ。例えば保健婦をして各家庭を訪問せしめ、性知識を啓発して、正しい避妊の方法を授け、しかも節度ある性生活を営ましめ、或いは婚姻の届出に対し御祝ひとして相当量の避妊薬を贈呈するなど面白いと思ふ。又薬店と提携して避妊薬及び用具の半額購入券を発行し民生委員の手に依って無償交付するなども妙であろう。之を要するに人間は食足りて礼節を知る動物である。彼の終戦直後に於ける怖るべき様相も衣食たらざる動物本能の一断面ではなかろうか。生活にゆとりがあれば自然精神的にも余裕を生じ即ち謙譲の美徳を備えた最良の国民となるのである。
 斯く観じ来れば産制を実行する事に依って国民個々の経済破綻を防ぎ、民生を安定し、生活を向上せしむる事が出来るのである。産制こそ救国の根本であり、平和の基調であると云っても過言ではないと思ふ。
 卑見を述べて大方識者の批判を竢つ次第である(村会議員、56歳)。
     『菅谷村報道』17号(1951年11月10日)掲載


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