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埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

菅谷地区婦人会『つどい』創刊号目次 1958年11月

2009年08月09日 | 菅谷地区婦人会『つどい』

三十三年度によせて    会長 水野ふさ子
 附本年度会員年令調査

母親と教師懇談記録

研究会出席の記      川島 権田かつ子

婦人会のこと       志賀 T生

地しばりのように     根岸 根岸喜

感想「裲襠」を読んで   菅谷 石根ゆき子

生活改善に想う      志賀 滝沢イセ

水道の出来る喜び     平沢 山田こう

平等の楽しさ       遠山 山野未知子

農村婦人と読書      大蔵 富岡とき

隣組の生活改善      千手堂 吉野ナヲ

思いのまま        志賀 恒木才子

自主性をスローガンに   根岸 小沢幸子

私の前半生        遠山 杉田千

短歌           根岸・根岸喜、志賀・高崎静子、志賀・大野春枝

俳句           志賀・高崎静子、志賀・大野春枝

雑感           志賀・高橋琴子

旅行の思ひ出       大蔵・金井とみ

終戦記念日に思ふ     志賀・高橋りせ

にがいことば       遠山・山下藤

希望           志賀・内田豊子

短い糸屑         千手堂・高橋さき

働き者の惣さん      千手堂 中島初子

病気           志賀・多田げん

先づ心の改善       根岸・福島くら

結婚十年         平沢・西いね

随想           遠山・杉田な美

古くさいポスト      志賀・八木原くに

想い出          大蔵・村田ふみ

鎌形音頭、鎌形小唄    鎌形・内田朝子

自由詩
  夜の雨        志賀・高崎静子
  喜びの門       千手堂・高橋さき
  ゆく春        志賀・栗原登志子

短歌           志賀・高橋静江、大蔵・金井ヨシ、志賀・高瀬喜久子
             川島・浜野あきら、志賀・栗原登志子

俳句           川島・浜野あきら、志賀・番場たか、志賀・滝沢イセ

あとがき         会報委員長 根岸喜


旅行の思ひ出 大蔵・金井とみ 1958年

2009年08月09日 | 菅谷地区婦人会『つどい』
 昨年(1957)九月二十九日午前六時大型バス三台に分乗、一路八王子方面に向い、車中賑やかに神奈川もすぎ大磯に出る。此のあたり大雨にて海岸も殆ど見えず、やがて小田原に着き昼食、ここで三車の人々と始めて顔を合せる。一休みして出発、間もなく箱根山に差し掛る。天下の険と歌われた箱根の名所や十国峠を楽しみに来たが、雨のため霧に包まれた山々がかすかに見えるばかりで惜しかった。軈(やが)て車は芦の湖の辺りを走る。ここで一句作ってみた。「芦の湖を霧に包むや箱根山」。箱根山とも別れを告げて之より熱海峠へと掛る。此の辺道が非常に悪く、車の踊る度に網棚に届くかと思う程ゆれて其の都度皆大笑いをした。ここは愛嬌道路だとガイドさんが言った。間もなく全員無事熱海に到着、常盤館に案内された。早速各自のへやに入り一風呂浴びて一日の疲れを休め、新館の二階でテレビを見ていると夕食の迎へが来た。大広間に通され種々なる御馳走に又皆様の歌合戦を聞き、室に帰り窓辺の椅子にもたれて熱海の夜景、ネオンの町に何とも云えぬ美しさを感じた。そして波の音を枕に聞いて夜の楽しい夢を結んだ。あたりの人の声にふと目を覚せばすっかり明るくなっていた。皆が入浴を始めたので私も食前に入浴をすませ、記念撮影をする。午前九時三十分旅館を後に二日目の楽しいバス旅行を始めた。熱海海岸を一巡りする。今日も小雨が降っていた。海の遠くに初島がかすんで見えた。
 「初島もかすかに見える小雨降る」
 海岸とも別れを告げてみかんの山を見ながらやがて江の島に着く。此のあたり雨もすっかりやんで見渡す限り広い海にカモメが高くとんでいた。海岸でお弁当を頂き桟橋を渡って島の中程迄遊びに行き、再び海岸に来てゆっくり休み、広い海面をじっとながめた。打ち寄せる小波に身も心もすっかり洗われて、清々しい気持で又バスに乗った。
     菅谷地区婦人会『つどい』創刊号 1958年(昭和33)11月

雑感 志賀・高橋琴子 1958年

2009年08月08日 | 菅谷地区婦人会『つどい』
 何(ど)んなさ細(さい)なことでも、夢にも思わぬ事を云い付けられなさねばならぬ事でしたら、誰しも驚かざるを得ないと思います。増して責任のある事でしたら直一層の驚きと不安を憶えます。又「これは困った事になったものだ」と心の動揺も有ります。その一端を味はいさせられたその節は不愉快で堪られず、それと共に周囲に及ぼす影響は非常に大きいと思います。又失態をおかす素にもなります。ですから何事も予告あらばどんなにかスムースに事が運ばれると思います。
 増して団体生活の責任者たるべき時等は、ある場合は男子と異なり色々都合もあり、男女同権の時代なれども、未だ現在の家庭婦人の立場に於ては予告して欲しいと希望します。
     菅谷地区婦人会『つどい』創刊号 1958年(昭和33)11月

菅谷地区婦人会『つどい』創刊号 あとがき 会報委員長・根岸喜 1958年

2009年08月07日 | 菅谷地区婦人会『つどい』

 秋雨が降ってゐます。只今ようやく仕事を終へました。今年は皆さまがこぞってペンを振はれたのでやうやく会報らしい体裁のものが生れました。「つどい」という名は会長さんがつけて下さいました。初孫でも得たような喜びです。編集が不馴ですから御不満の向もありましょうが補って来年の楽しみとし会員の赤心の発露をどうか高くお買ひ下さってお互いの研修を深めるために役立つ事ができましたら幸甚(こうじん)です。「菅谷地区の婦人も仲々やれる」という驚きと共に八年前のおどろの中に居た頃の姿と思い比べて一入(ひとしお)感慨を深うしました。見たり聞いたり考えたりさんざん想を練り最後に書く事になりますので、ここに集められたものは宝玉のように貴い結晶に外ならないと思います。皆様のお手許へお届けする喜びは格別です。
   十月廿二日     会報委員長 根岸喜

     つどい 創刊号
   昭和卅三年十一月十日印刷
   昭和卅三年十一月十五日発行
     編集兼発行人 菅谷地区婦人会
     責任者    水野ふさ子
     印刷所    第一印刷

     菅谷地区婦人会『つどい』創刊号 1958年(昭和33)11月


母親と教師との懇談会記録 1958年8月

2009年08月06日 | 菅谷地区婦人会『つどい』

   母親と教師との懇談会記録
           八月二十七日 於 菅谷小学校
  第一分科会
   家庭教師として母親はどうあるべきか

一、兄弟けんかについて
1.長い休み中が多い
2.独自の意見を持っているので止めるのは無理だ。反省させるように仕向ける
3.母親が口やかましい
4.小さい内はとめられるが大きくなっては各自にまかせる
5.祖母か可愛い子の肩を持ち時には家庭の不和を起す
6.年令的に接近している時に起る
7.第一子が優秀の場合起りにくい、下の子が能力の秀れていると起り易い
8.兄弟げんかは買ってもしたい
9.家の中の人間関係をどうするかは母親の責任である

二、反抗期の子供の取扱い
1.社会のしくみ、人間関係を理解する出発点で大切な時期
2.時期を待つことである。時には強い叱責も必要だし急所急所は指導してやる
3.不満をきいてやる(子供扱にされる。馬鹿にされる等)
4.それるとグレン隊に入りやすく、その期間中あやまちを犯し易い
5.道徳教育の時間に反省するよう指導して欲しい

三、ほめ方と叱り方
1.低学年では賞めるとよいが高学年ではおだてにのらぬ
2.子供の性格によるから適宜に使うのがよい
3.感情で叱かるのが最も悪い(母親にそれが多い)
4.大きくなっては叱るにもほめるにもうっかりしたことは言えない
5.知恵の足りない子供でできるだけほめてやるのがよい

四、母親自から勉強する
1.忙しい中からあらゆる機会を捕へて勉強していこう
2.母親学級その他あらゆる会合にできるだけ出席して社会的知識を豊富にする
3.母親としての在り方、子供のよさを発見して導き、意志さえあれば乳房をふくませながら新聞や、ラジオ等により一日に少しづつでも前進することができる
4.子供の学習を見てやることによって又は子供の日記などを見ることによっても母親は啓蒙されてゆく

五、宿題について
1.夏休み、朝とはいはず気の向いた時が能率的
2.小学校生徒では学校から帰ってすぐさせる。予習よりも復習を
3.用事をいいつけると宿題を口実にする
4.参考書、答の出て居るものは感心しない。全科的参考書*のようなものはすすめない

  第二分科会
   子供のしつけ

一、言葉づかい
1.方言でなく標準語に親しませる
2.誰にも共通した正しい言葉づかいを
3.家庭に帰って言葉がくずれる。その反面又学校で友達から悪い言葉を教えられてくる
4.僕、俺よりも「私」にしたい

二、小づかいについて
1.こづかいの量と与え方
 先生から額をさだめてもらいたい
 一ヶ月の総額を与えて経済観念をもたせる
2.金銭出納簿を記させて家の者に見せる

三、読書について
1.喜んでよむ本-漫画
 人を殺すような悪い漫画は止めさせる
2.読書力を持たせたい
3.漫画の長短 長 語いが豊富になる
       短 長編文が理解できなくなる

四、年令に応じた仕事
1.学年に応じ季節によって仕事をさせる
2.子供と話し合って分担をきめる
3.仕事をやらない理由を見極める
4.子供も一家の構成員であることを認識させる
5.男子も女子と同じように掃除其他をさせる
6.六年位になれば風呂沸し、朝の掃除、飼育、子守、お使い、家事の手伝等

五、どんな人間に育てるか
1.学校の成績によらず自分というものに自信を持てる人間に
2.勉強以外の個性を伸ばすようにしてやる
3.如何なる場合もまじめであるという事
 最後に先生から読物として「子供のしあわせ」「母の友」など学校で扱うから読むようにと、おすすめがあった

  第三分科会
   子供はいつどこで教育されているか
司会 テレビ、映画、読物について話を進めていったらどうか
吉野 根岸さんに社会教育の観点からききたい
根岸 家庭・社会の教育はどうするか全般に亘って進めていってはどうか。赤胴鈴之助は教育的にはどうか
吉野 赤胴マンガなどにも限度が必要だと思う。夜十時頃迄もテレビを見に飲屋の方へ出かける事には大きな問題があると思う。
根岸 赤胴の内容はどうか
PTA会長夫人 赤胴の内容は悪くないと思う
吉野 時間についてはどうか
根岸 区切る必要がある。深夜までの放任は親の監督不十分といえると思う
松浦 私は夜は外出させない事にしている
吉野 結局おそくは出さないことがよい
P夫人 学校では先生の、家庭では親の責任である。親の方でも時間を区切って見せるべきだ。見せる方でも切りなしに見ていられては迷惑だ。
吉野 このような現象が続けば立場上親の方へ申入れをしたいと思う
根岸 商魂たくましい世の中だから気をつけるべきだ。子供はどんな映画を見るか。
中村 子供は子供なりの「おとらさん」というようなものをえらぶ
根岸 子供は大人が考える程ラブシーンの情感は感じない。恐らく思春期の青年が悪影響を受けるのだらう
吉野 一番よいと思うのは教育的なフィルムを回を重ねてやるのが望ましいと思う
志賀・根岸 六年の子供だが、漫画を見て困る。どうにかならないものか、読書力がないから漫画を見るという記事があったが、お母さんから結束して抗議したい
P夫人 子供は漫画ではあき足らず、よい本を選んでいくようになると思う。それに教育的な本は高価だし、マンガ本は安いし、それらも影響するのではないか
[ ]子供によい本を読んでやるのはよいが、母親にはその暇がない。宿題さえ見てやれない。
市川 「子供の幸せの本」を今日はこの頁、次の日は別の頁と読んでやるようにしたらよいとおもう
根岸 私も同感で、そういう読み方を身につけさせれば自然子供は自分で選択して読んでいくと信じる。蚕も「こばかひ」**が大切なように子供も幼児からのしつけが大切だと思う。教育は学校だけにあると思うのは大間違いである。今日の会合にも蚕の仕度***で出て来ないのは、自分のおこさまより、蚕のおこさまの方が大切だからと思う(一同爆笑)。農家では常に経済が先行しているから、教育もなるべく安上りの方がよいというので、国定教科書が歓迎され、勤評などもその点から賛成で、今の教育に対する反感は大きい。
吉野 どうして安い教科書を出さないのか
荻山 日本では数ある会社の教科書を地域に即して選らんでいる。小さな会社の教科書は、翌年はつぶれて他会社製品となるので、新しく買う事になる****。
吉野 今の教科書に対する批判は、皆経済的観点から出ている。小川から菅谷に来るにも新らしく買うということになるからだ。しかし九州でも北海道でも同じ物をというわけにはいかぬ。
吉野 教科書問題については、政治的な思想的な背景が根を張っている。文部大臣が変われば、教育内容が変るというのは国民を馬鹿にしている
根岸 教育は人間完成だから何時も変る事はないと思う
P夫人 教科書の問題はPTAの機会を見て先生から説明してもらいたい
吉野 月刊雑誌はどんなものがあるか
[ ]学習、マンガ王、少年、少女、なかよし、りぼん、冒険王
根岸 子供がラジオをかけたまま勉強しているが頭に入るかどうか
[ ]入らない。子供に聞いても入らないという。
市川 一般にマスコミといわれるものから子供を守るのにはどうするか
吉野 結局は親の自覚であろう。子供と共に勉強することであると思う。
根岸 私も同感で今の母親は子供に教えられ乍ら進まねばならない。それでないと子供から取り残される。
吉野 母親にお願することは新聞を読むこと、子供と一緒に歩む事だと思う。
根岸 ラジオでは朝の時間に、とてもこくのある放送があるが朝は多忙で聞いて居られない
吉田 私の家では家族会議を開いているがよい効果が得られる
吉野 中三の長男が父の収支について色々の質問をするので困るが、私に反省の機会を与えてくれる。毎学期一回位はこのような会合を是非とも
P夫人 皆さまの声があればもっと数多く開かれると思う
司会 「結論」赤ちゃんは生れる前から胎教を受け、生れたとたんから教育が始められる。入学前は家庭内で目で教育され、入学してからは学校で智の教育を受ける。道徳教育は家庭で躾けられるのであるから、家庭の母の責任は重大である。母親のたゆまぬ勉強こそが教育の根本となるので、つとめてラジオ・新聞・読物などを通して学び、子供達におくれをとらぬよう心がけなければならないと思う

  当日婦人会員各字出席者数
菅谷  二二名   川島  一三名
志賀  一七名   平沢  一八名
千手堂 一一名   遠山   八名
大蔵  一五名   根岸   二名
将軍沢  四名   合計 一一〇名

     菅谷地区婦人会『つどい』創刊号 1958年(昭和33)11月

*教科書の全科詳解。虎の巻。教科書にある問題の解答や言葉の読みや意味・訳などが収録された参考書。教科書の予習・復習が安直(あんちょく)にできることから、「アンチョコ(安直)」とも呼ばれた。
**ふ化してから二齢までの時期の蚕のこと。参照:HP『上田市立丸子郷土博物館』に映像「丸子町の養蚕業」があり「掃立て」から「毛羽取り」まで動画で見られる。
***春蚕、夏蚕、初秋蚕、晩秋蚕、晩々秋蚕の内、8月下旬では晩秋蚕をさす。
****教科書代や教材費は保護者負担なので、違う出版社の教科書になると、前年使った教科書を譲り受けて再利用できず新たに購入することになり、家庭の出費がふえて困るという不満。


書感 「うちかけ」を読んで 菅谷・石根ゆき子 1958年

2009年08月05日 | 菅谷地区婦人会『つどい』

 忘れた頃になって返してもらったこの本を秋の夜長を利用して暫くぶりで又読み返す機会を得、ちょうど何か書くように頼まれて居りましたので感じたままを綴って見ました。彼女【壷井栄】の作品特有の平易さ、郷土色、豊かな風俗習慣を効果的に扱った文章は、文章自体の一節一節にも興味を引くものがあるが、作品の世界にも又何かをうったえ、何かを考えさせる余韻を残している。
 これは、小豆島(瀬戸内海の小島。作者の郷里)のある旧家の女性の物語で最初の嫁(すず)が着て着た松竹梅を縫いとった朱珍(しゅちん)の「裲襠(うちかけ)」を代々当家の婚礼に着用する。家につながって裲襠は誇りでもあり、どっしりと重く肩にかかる。そこに生きつづけた女達の運命が明治・大正・昭和の社会変化を背景にして描かれている。どの時代も夫が早死にして女主が跡取娘を育てる。それが単なる運命話におちいっていないのは、明治以後急激に変化した社会状態を裏づけとしている為と思う。そして最後は五代目の女性(戦後成人した娘さやか)の手によってこの裲襠は破られてしまう。「風化したのね、しょうがないわね。自然現象よ。でもごめんなさいね。悪かったわ。」とこの家代々の女達にわびねばならぬ内省心を待ちながら反抗するアプレ娘の手によって……いやこれは単なるアプレゲールの仕業ではない。移り行く時代の波によって根強い封建性がやっと破られようとしている一場面である。
 新しい教育や法律的には地勢に基き理論的には解決した問題、又都会に住む人達の間ではすでに解決のついているような問題も現実の日々の問題としてはそれが大きな重石(おもし)となっていることが多い。戦後多くの女性が高校、更に大学へと知性の発展を目指して進んで来たが果してその人達が学校を卒え、社会に又家庭に入った時、新しい時代を改良していくためにどの位の力を発揮しているかということを考え、又自分自身を省みるとき、此の作品がその実状をうったえ、又何物かを呼びかけているような気がする。単なる筋の面白さを追うだけでなく、私達の人生と比べて見ると今更ながら人間の前進のおそさとむづかしさ、複雑さが痛感させられる。私達の目に見えない「裲襠」がすりきれるのはいつのことか?
 しかし、私の一、二歩後を歩いている人(勿論生活年令で)は私の前を何歩も前進して行かれることは羨ましくもあり、又大変に喜ばしいことである。なにはともあれ広い目で将来に幸多かれと祈らざるを得ない。又自分自身も悔のない時間をつみ重ねて行く為に今の今をより美しく、正しく、おおらかに、生き抜きたい。
     菅谷地区婦人会『つどい』創刊号 1958年(昭和33)11月

HP朗読ボランティア全国ネットワークお話しPodの広場』に壷井栄『裲襠』の9分弱の朗読【よみ手:中山みつ子(川崎市・川崎多摩朗読の会)】がある。壷井栄の『二十四の瞳』は講談社の青い鳥文庫にあるが、『裲襠』は2009年現在新刊本では手に入らない。


俳句 浜野あきら・番場たか・滝沢イセ 1958年

2009年08月04日 | 菅谷地区婦人会『つどい』

      川島・浜野あきら
さまざまの思い出残し夏去りぬ
ひる下りひとしほ暑し蝉時雨
音のしてかすかに光る遠花火

      志賀・番場たか
七五三簡素化された菅谷村
七五三祝にセーラ服そろい
七五三祝う紅白もちとあめ
七五三祝は中学校庭で
七五三かんそに祝い後はらく

      志賀・滝沢イセ
木犀(もくせい)の香にむせかえる秋日和
秋雨や昨日の暑さはどこえやら
こさめ降り建具もはまり秋に入る

     菅谷地区婦人会『つどい』創刊号 1958年(昭和33)11月


短歌 高橋静江・金井ヨシ・高瀬喜久子・浜野あきら・栗原登志子 1958年

2009年08月03日 | 菅谷地区婦人会『つどい』

      志賀・高橋静江
旱害もあらしもたえて出穂(しゅっすい)の稲田に立てば黄金の波うつ
花かけも半ばをすぎしみどり田におびの如くに彼岸花さく
おくいねもはなふるきおえたれそめしひろき田圃(たんぼ)にとんぼとび交う

      大蔵・金井ヨシ
今日もまた雨乞ひむなし炎天に陸稲いたわり草むしりする
田草取る人挨拶する人も恵の雨にほほ笑みてゆく

      志賀・高瀬喜久子
かみなりの音におびえて子等はみな早く行こうとわれにまつわる
今日もまた桑つむ仕事急ぎつつ丑寅*方に見ゆる黒雲
雨だれの音にまじりて虫の声去りゆく秋を今をさかりと
                *北東の方角。

      川島・浜野あきら
ままごとの道具ならべてをさな子はわたしが母よといいあらそへり

      志賀・栗原登志子
愛らしきほほえみ浮かべたのしげに語ろう君はいづこの人か
行きずりにふと見し人のあまりにも亡き友に似て何かかなしき

     菅谷地区婦人会『つどい』創刊号 1958年(昭和33)11月


自由詩 高崎静子・高橋さき・栗原登志子 1958年

2009年08月02日 | 菅谷地区婦人会『つどい』

   夜の雨
      志賀・高崎静子
遠い空から雨は落ちてくる
くらやみの夜の中に
しめやかに地上をぬらす
ただその気配だけの
夜の雨は
静かに心の中までしみ通り
やがて又涙となってあふれ出る
ひそやかに夜のやみを
かなしみながら雨は落ちる

   喜びの門
      千手堂・高橋さき
みんなで働いて
みんなで食べて
許しあい 愛しあい
喜びあって 生きてゆく
これでいい
充分だ
人生は理論ではない
喜びの門には
いつでも誰でも 入って行く

   ゆく春
      志賀・栗原登志子
うすとき色の桃の花
香り床しく開く頃
春訪れて幸ありき
祈る我が身にいづれ又
別れゆくらん君故に
心に秘めた春の曲
清き願いの純情歌
共に歌はむ春の歌
何故か今宵はうら淋し
楽しかりしは短かくも
又来る春よその日まで
名残りは惜しき春の宵

     菅谷地区婦人会『つどい』創刊号 1958年(昭和33)11月


鎌形音頭・小唄 鎌形・内田朝子 1958年

2009年08月01日 | 菅谷地区婦人会『つどい』

   鎌形音頭
一、ハアー島の芝地でヨー嵐山の桜ヨイサッサ
  花のネエサテ 花の便りに花の便りに君を呼ぶ
    ソレホニソレホニヨイトコ鎌形エンエンヤンと浮かれてひと踊り
二、義仲を要に清水が招く 花の日傘が忘らりょか
三、祇園囃子と自慢の踊り どんと湧き立つ村景気
四、ゆれるチョウチン桜の祭 染めた紅顔恋の花
五、名所槻川旅衆も賞める 鮎が虹よぶ七色の橋
六、神楽太鼓の八幡様は おらが田の神守り神
七、松も年ごろ塩山育ち 踊る手ぶりの月明り


   鎌形小唄
一、桜吹雪にほんのり明けて
  招く嵐山花の島
  小膝叩いてつい又一と夜
  名残りつきない旅の人
  ネエホニネエホニそぢゃないか
    鎌形よいとこ
      そぢゃないか
二、噂義仲夜桜散らし
  音にささやく夢の国
  岩の上にてよりそう影は
  月も見ぬふり聞かぬふり
  ネエホニネエホニそぢゃないか
    鎌形よいとこ
      そぢゃないか
三、浮かれ囃子の花咲く道は
  恋の花道人の波
  歌や踊りも自慢の種子よ
  三里ひびいて夜明けまで
  ネエホニネエホニそぢゃないか
    鎌形よいとこ
      そぢゃないか
四、さすて秩父へ引く手は八幡
  踊りゃ極楽気もはずむ
  手ぶりよい娘は塩山紅葉
  秋はどなたの胸に散る
    ネエホニネエホニそぢゃないか
    鎌形よいとこ
      そぢゃないか

     菅谷地区婦人会『つどい』創刊号 1958年(昭和33)11月


思ひ出 大蔵・村田ふみ 1958年

2009年07月28日 | 菅谷地区婦人会『つどい』

 漸く愛らしさを増して来た生後五ヶ月の長女と共に夫を中支の戦線に送ったのは十八年(1943)の秋九月中旬だった。無事復員する迄の二年八ヶ月は忘れ難い思い出を残して……。

  我暫しと吾子を抱きて佇(たたず)めど見返りもせで夫征きたり
  われ父の愛情其のまま受けつぎて吾子慈しむ夫征きてより
  待ちわびし征きたる夫の初便り心せわしく開きてぞ読む
  日に増していとしさ増す吾子いだき一目なりとも見せ度しと思う
  逝く秋にはらはらと散るわくらばのなぜか淋しく夫の偲ばる
  暫し見ぬ夫の写真なつかしく今宵しみじみ灯下に見る
  冷えびえと夜気をふるわす汽笛に遠く思いは夫の身にやる
  なつかしき夫の俤(おもかげ)しのびつつ溢れるこころに便りしたたむ
  ばんざいの声みやしろにこだまして今日も出で征く召されし兵は
  軍事便久しく絶えし此の日頃古き便りをくり返し読む
  万感を捨てて励まんひたすらに軈(やが)てあぐべき勝鬨(かちどき)のため
  我が希望ほほえむ春は遠くとも貫き抜かん心の冬を
  よちよちと歩く姿も愛らしくあゆみおぼえし今宵嬉しき

 種々の思い出を心の内に残して、早や終戦後十三年、戦争の面影すら感ぜられない此の頃、でも私達の心の内には、あの恐ろしい悲惨な戦い、そしてあの出征時の悲しい切ない別離のつらさ等々、第二の誕生日とも言うべき無事復員したあの日の喜びと共に生涯忘れる事は出来ない。
 二度とあの戦いのもたらす悲しみは味わいたくない。特に農村の家族制度と忠義の押しつけの様な軍国主義との板挟みにとなって、可弱い女の心と肉体とで体験したあの頃の思い出、もう私達だけで沢山だ。我が子にも孫にも永久にあの戦いの怖さ辛さを味わいさせたく無い。少しは物資に不自由はしても、明るく楽しい民主主義、そして戦争の無い平和な日々が続いて欲しい。永くながく永久に平和で有ります様にと願わずには居られない。
     菅谷地区婦人会『つどい』創刊号 1958年(昭和33)11月


古くさいポスト 志賀・八木原くに 1958年

2009年07月27日 | 菅谷地区婦人会『つどい』
 私は字の一番はづれの山の中の一軒家の農家の婦人で有ります。昔者故に自転車には乗れないし、又乗物は電車や自動車は大嫌いです。其の為に出巡り用は、主人や子供達に頼み、私は家にくすぶって農事にはげんで居りました。今迄は婦人会の事等あまり気にもとめなかった私に、今度婦人会の組の役が巡って来ました。はなれ家の為に今迄役を受けなかったので、今年は組の役をいさぎよく引受けて来ました。次に各組で役員が十名きまりました。新役員の会合がありました。一名支部の係を選ぶ事に成りましたが、今年の役員の方は私を始め、年寄の方や手間の少い方ばかりなので、何度会合してもだめだ、だめだで会散してしまい支部の係を引受けて呉れる方が有りません。手間の関係上、私にやれと言われたのですが、無学故に自分の切なさを感じ、変事をする事が出来なかったのです。でも仕方が無いので本部から連絡を受けるだけのポストに成りました。でも仕方が無いので本部から連絡を受けるだけのポストに成りました。なんだか奥歯に物がはさまった様な気持、其の気持は誰にもおわかりの事と思います。
 スピード時代の世の中に、自転車にも乗れない昔者の私が此の役を受けたなら皆さんにもめいわくを掛ける事とはしりながら、今更これをどうする事も出来ません。若い皆さんに手を引いて戴き、そしてむつまじい婦人会として新生活運動にはげみたいと思います。
 支部会員の皆さん、どうぞ古くさいポストの私に御協力をお願い致します。
     菅谷地区婦人会『つどい』創刊号 1958年(昭和33)11月

随想 遠山・杉田な美 1958年

2009年07月26日 | 菅谷地区婦人会『つどい』
 生々しい爪跡を残して立去った廿二号台風、今宵は又仲秋の名月、考えると自然のおそろしさそして自然の美しさ、只一しをと言いたいですね。以外に暑かった夏も過ぎ、考えて見ると五月の蚕、麦、田植、そして再び夏秋蚕と息つく暇も無い私達でした。やれやれ一息と言った所です。黄ばんで来た穂波を眺めて居ると忙しかったあの頃が夢の如く思出され感慨無量です。
 農家はこうも忙しく働かなければならないのでしょうかね。苦しみ働いただけの良き収益が有ればともかく、現在は全く農家経営も考えねばならない有様です。考えてもどうにもならないと思いながら、毎日の生活にもっと魅力を持ちたいものです。計画的に仕事をしたい。それには月一回或いは二回(農繁期は別として)農休日を定めたらどうでしょうね。私達主婦は家庭に入れば洗濯、裁縫なんでも山の如く仕事は有ります。外の仕事は忘れて家の中の仕事をゆっくりする。或いは行楽季節であったら家中で出かけ一日を楽しく過す。或いはテレビでも見る。此の様に自由な一日を得られる事が出来たらどんなにか幸でしょうね。味気ない現在の生活がそうした事によって明日への仕事の能率が上り、自然、計画的になるのではないでしょうか。子供達の為にも休みには勉強しても良いでしょう。よく「負うた子に浅瀬を教わる」とか言いますけれど、それでは困ると思います。子供と共に学びあらゆる面に知識を向上させて行きたいと思います。休みもなければそんなことも出来ませんね。あったとしたら一日が良きお母さんになれるのではないでしょうか。無理な願いかも知れませんけど密かに願っている私です。
 婦人会の大きな力で私の願がかなったなら、どんなに喜ばしい事か。外は中秋の名月、十時が鳴って居ます。降る様な虫しぐれが何か物悲しく聞こえて参ります。
     菅谷地区婦人会『つどい』創刊号 1958年(昭和33)11月

結婚十年 平沢・西いね 1958年

2009年07月25日 | 菅谷地区婦人会『つどい』
 月日の流れは早いもので返り見れば生れた懐しい家や幼なじみの友と別れて嫁いだのは、ついこの間のやうな気がするのにもう十年は何の事もなく過ぎた。嫁いで一、二年は実家にゆくのばかり楽しみにし、何時になったらこの土地の人と生れ故郷の人達のように話したり笑ったり出来るのかしら、どこえ行っても嫁と言ふ言葉に身が引けるような気持で居たが、間もなく婦人会が発足し、近所の人達と一所に入会し、年重なる毎に出席する数も多くなり、その度毎お母さんに「早く仕度をして行きなさい」と気持よく出して戴き、交はる人の数も多く、その度毎何かと雑談も交はせるやうになった。総会や料理の講習又秋のレクリェーションと皆待遠しい。一年、一年と深い親しみの湧いてくる村の皆様、いつしか実家へ行くのも遠くなり、日々の仕事に張合のある今日この頃です。今は全く働く喜びがしみじみと胸に泌(し)み、本当に主婦としての幸福を感じて来ました。一日の除草を終えて汗にぬれたブラウスに夕風を受けて家路へ急ぐ。「母ちゃん」と迎へる我が子に笑顔を返へし夕飯も済み風呂に入り、ひととき望みは山とありますが何時も和やかなふんい気の流れる我が家を持った事をこの上もない幸せと心に感謝して居ります。お父さんにお母さんそして私達親子、健康で明るく働けるこの家庭、いつまでもいつまでも限りなくつづくよう知らず知らず神に願はずには居られない気持です。
     菅谷地区婦人会『つどい』創刊号 1958年(昭和33)11月

先づ心の改善 根岸・福島くら 1958年

2009年07月24日 | 菅谷地区婦人会『つどい』
 今の農村では井戸は水道になりお勝手万端改善され、姑も嫁も差別なく発言するというのな、まだ心の改善が一向に進まないように見受けられます。朝々のラヂオや新聞で見聞きする事ですが農家の姑さんは封建的だとか嫁を解放せよとか云われる事が絶えないようです。どうして早くよいお姑さんという事が出来ないのかと気の毒でたまらない気が致します。
 それには色々の理由もある事でしょうが、過ぎし日学校時代に「お母さん」という作文でやさしいお母さん、よいお母さん、一日として母親なくして過し難い母と子だったのに、姑嫁となると一変に裏返えしされ、ひどい姑、わるい嫁と言われるのは本当に申訳のない悲しい事です。時代は変っても心は同じです。実母以上に慕えるお姑さんと皆してよべるようそれこそ「姑の解法」に力をつくしたいのが私の願です。誰しもらくで楽しい生活は好ましいものです。然しふとした記事にも農家の嫁はドレイだと書いてあります。どうして嫁だけがドレイでしょう。一家全体が苦楽を共にしているのが農家の実情ではないでしょうか。昔からの鍬鎌農業、肉体労働から解放されつつある現在、科学のこうした進歩と共に農民の考え方も大きく変って、合理的な農村の建設が進みつつあるのひ、社会にはまだ姑と嫁の話題が絶えないのは不思議なような気がします。私達のでは、まづ心の改善を第一にして、姑も嫁も仲良く、住みよい農村、明るい家庭の建設に向って進んで居ります。私ども若い嫁の立場として社会のあちこちから聞える農家の姑さんに対する見下げた言葉は止めて下さいと云いたいのです。そして美しい夢を未来に描きながら、平和で文化的な農村の建設に微力をつくしたいと思います。
     菅谷地区婦人会『つどい』創刊号 1958年(昭和33)11月