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埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

冨岡寅吉日記 昭和15年(1940)1月 菅谷村(現・嵐山町)大蔵

2009年10月30日 | 冨岡寅吉日記

一月一日 月曜 晴
起床:五時
就寝:二十二時
登校:八時
下校:十一時
四方拝 天神講
今日は四方拝である。そして式の支度をして学校に行った。式は十時頃始り式をして家へ来た。今日は天神講かあるので昼を食って斉藤の家へ行ってその支度をした。夜の十時頃まで宿の家に居た。

一月二日 火曜 晴
起床:四時三十分
就寝:二十時
登校:
下校:
 お鳥でとらない
今朝寝て居ると二、三人庭で呼んだのですぐ飛び起きて支度をして宿の家へ行って旗を持って神社へ来て納めた。天神講も昼で終ってわかれた。お鳥に行ったがとれなかった。家へ来て紙しばいを見た。鬼事、かくねんぼー、けっこみ*をした。
*サッカー。

一月三日 水曜 晴
起床:六時
就寝:
登校:
下校:
元始祭 日記帳買ひに行った
今朝はとても朝ねぼうをしてしまった。そして松山へ行かうとして自転車に乗って行って日記帳を買って来た。帰って来て昼まで家に居た。そして昼をたべてから遊びに行った。紙しばいも見た。そして家へ来た。

一月四日 木曜 晴
起床:六時三十分
就寝:十九時三十分
登校:
下校:
 手品の時に時分のふところにぜにの入ったのにたまげた。
今日も少し朝ねぼうをした。起きてから朝飯を食ってからめじろを出したら外のめじろが来た。そして手工のしたくをした。そして皆が通ったので一しょにじどう様*に行っておみくぢを引いた。手品をした時自分のふところにぜにが入って居た。帰って来てから使をしたり鬼事をした。
*玉川村大谷(おおやつ)の真教(しんきょう)地蔵。『玉川村史』(通史編)597頁参照。
根岸愛宕神社祭典。

一月五日 金曜 晴
起床:八時二十分
就寝:十九時三十分
登校:
下校:
新年宴会 どこの金物屋でも針金のないのにおどろいた。
今朝はとても朝寝ぼうをしてしまった。朝飯を食ってから少し休んで居た。唐子へ使に行って来いと言はれたので行って来てからすぐ又菅谷に行って来た。それから昼を食ってからみやをおぶって上の方へ遊びに行って来て下してからベース、鬼事などをした。

一月六日 土曜 晴
起床:六時五十分
就寝:二十時十分
登校:
下校:
 かれっこかきの事
其頃は毎日良い天気ばかり続いて居る。今日は朝から父と守と、三人で山へかれっこかきに行った。山はとてもあたたかかった。十四ば位つけて家へ来て昼を食ってから又行った。そしてかれっこを午前よりも多くかいて家へ来た。

一月七日 日曜 曇
起床:六時五十分
就寝:十九時二十分
登校:
下校:
 二組の鬼事の遊びはじつに面白かった。
今朝起きて見るととてもよく曇って居た。そして子守をしたが泣いたのですぐに下ろしてすぐに遊びに行った。おとりもしたがとれなかった。昼からはいろいろし少し経ってから二組にわかれて鬼事をした。それはとてもおもしろかった。終りにけっこみっこをした。金井屋の家で兎をかけてもらった。

一月八日 月曜 晴
起床:六時二十分
就寝:
登校:八時三十分
下校:十二時
 今日は三学期の始業式をした。
今朝起きて見ると夕へのみぞれもからりとはれて居た。今日は八日なので学校に行った。そして始業式をした。教室に入って先生の話を聞いた。大そうじをして家へ来た。その時に飛行機がたくさんとんだ。昼を食って山へ行ってしごとをした。

一月九日 火曜 晴
起床:六時三十分
就寝:二十時二十分
登校:八時
下校:十五時二十分
 兵隊送り。
支度をして居ると山下君が呼ばわったのですぐに行った。学校に行くと皆ならんで居た。今日は兵隊おくりなのである。出征兵士を送くり二時間目からじげうをした。昼を食ってから話をした。家へ来てゆをむしつけた。

一月十日 水曜 晴
起床:六時五十分
就寝:二十時三十分
登校:八時二十分
下校:十五時十分
 べんとうをあたためた。
今朝は山下君の家へ迎へに行った。そして学校に向かった。下河原は実に寒かった。学校に行ってからべんとうをあたゝめる所へおいてボールをした。そしてじゅうどうをした。その時におもしろいことををしへた。学校帰りにペン先を買って来た。

一月十一日 木曜 晴
起床:六時
就寝:二十時
登校:八時五十分
下校:十五時二十分
 兵隊を送くった。
今日は兵隊が出るので早く支度をして神社へ行って兵隊のくるまでまって居た。入営兵士と一しょに河原まで行って学校へ行った。そして一時間して兵隊を送くった*。昼を食ってしら二時間して家へ来て日のくれるまでみやをおぶって遊んだ。
*菅谷村『現役応召軍人名簿』によれば、1月10日の入営者は以下11名である。菅谷中島宣顕・遠山山下義臣横須賀海兵団、平沢内田政一横須賀重砲兵聯隊応召。大蔵柴田美作・川島島崎竹雄・志賀大野登・志賀内田栄太郎・平沢河井賢一・鎌形中島久六郎支那カノ十部隊現役。志賀志村伊佐美支那カノ七部隊、千手堂関口森平支那カノ三十一部隊。「兵隊送り」の記述は9日にもあるが、「千手堂会計簿」によれば関口森平には9日に餞別が渡されている。また大蔵の柴田美作は11日に出発している。

一月十二日 金曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時三十分
登校:八時
下校:十五時
 学校へ行き帰りの面白い話。
今日もいつものやうに良い天気てある。そして支度をして山下君の家へ呼ばりに行った。そして清水君やと一しょに学校へ行った。外へ出て遊んだり機械体操もした。昼をたべてから二時間して家へ帰りに面白い話をしながら家へ来た。子守した。

一月十三日 土曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時
登校:七時五十分
下校:十二時十分
 地図を書く事は面白い。
庭には霜はなかったが畠にはとても降りて居た。今日は使をするので自転車て行った。行って見ると割合に早かった。先生は居ないので三時間した。地図を書くのは面白い。さとうをかって家へ来て父と守と三人で田へ麦踏みに行って帰って来てからふるっこみをした。

一月十四日 日曜 晴
起床:五時五十分
就寝:二十時十八分
登校:
下校:
 守の自転車ならいはだめだった。
朝起きて少し経ってから自転車で菅谷の時計屋へ時計を持ちに行って来た。そして昼を食ってから自転車で唐子へ熊手を持って行った。そして守が自転車ならいをすると言ったので僕はもってやったけれどだめだ。麦踏みをした子守をした。夕方までして下した。だんごさした。

一月十五日 月曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時二十分
登校:八時
下校:十五時二十分
 ボール。実習当番であった。家へ来ての遊び。
支度をして山下君の家へ呼ばわりに行った。そして来ないので先に学校へ行った。ボールなどはとてもすきな遊びてある。三時間目の理科もすきである。四時間目は農業であっていろいろとをしへた。後は農業実習当番であった。家へきて面白くあそんだ。

一月十六日 火曜 晴
起床:六時五十分
就寝:二十時三十分
登校:八時十分
下校:十三時二十分
 小正月て遊んだ。今日は三時間しかしない。
今日は少しおそく起きてしまった。そして支度をして学校へ向かった。すぐ外に出てボールをした。一時間、二時間、三時間は過ぎた。その時に先生は今日は三時間きりでよいと言ったので大いそぎでそうじをして家へ来て遊んだ。かくれんぼもした。夕方紙しばゐを見たら面白かった。

大蔵青年団総会。

一月十七日 水曜 晴
起床:七時
就寝:二十時二十分
登校:八時二十分
下校:十五時五十分
 馬がませぼうをこわした。学校帰りの事。
七時が鳴ったのですぐ起きて支度をして山下君の家へ行った。あまり早くはなかった。体操の時に校庭に水をまいてほこりのたゝぬようにした。図画の時カニをかいた。家へ来ながら面白かった。来てからゆかいこみ。馬がはねてませをこわした。

一月十八日 木曜 晴曇
起床:六時五十分
就寝:二十時
登校:八時十分
下校:十六時二十分
 理科の時間。家へきてこひひき
起きた時は電気がきへて居た。そしていそいで支度をして学校に行った。そして外に出てボールをした。機械体操もした。理科の時間も面白かった。五時間目には唱歌でチクオンキをかけた。そうじをして家へ来ておばあさんと畠へこひを引いた。

一月十九日 金曜 晴
起床:六時五十分
就寝:十九時五十分
登校:七時十分
下校:十五時二十分
 綴方の時の俳句
今日は当番なので早く起きて支度をして学校に行った。まだ誰も来て居なかった。窓をあけてそうじをした。外に出てボールをした。すぐにべんとうをおきに行った。綴方の時は俳句を作くった。家へ来てからゆをむしたりいろいろとした。

一月二十日 土曜 晴
起床:七時
就寝:二十時二十分
登校:八時五十分
下校:十三時二十分
 御宮参り。オビトキ。
今日は御宮参りなので朝早くおこわを持って方々の家へ行った。学校に行ってボールをしたり機械体操もした。三時間して家へ来て支度をして車へおこわを持って行きながら、友達に行き合った。家へ来てから少し遊んでゆの下をむした。

大蔵青年団三十三社参り実施。

一月二十一日 日曜 晴
起床:七時二十分
就寝:二十時三十分
登校:
下校:
 子守をしたり畠へこひひき
今日は日曜だとゆだんをして朝ねぼをしてしまった。そして朝飯を食って自転車で菅谷へ使へに行って来てみやをおぶって下の方へあそびに行った。家へ来昼を食って又行った。家へ来ておばあさんと畠へこいを引いて又みやをおぶって夕方まで遊んだ。

一月二十二日 月曜 晴
起床:六時五十分
就寝:二十時二十分
登校:八時十分
下校:十六時二十分
 これから寒げいこをする。
今日は学校に行くので早く起きて支度をして出かけた。河原、農士学校の方の道へは誰も行かなかった。おそいと思っていそいで行って見るととても早かった。四時間してすぐ忍田君とそうじをした。少し遊んで剣道があるので室へ集まって組をきめた。前列の四組となった。

一月二十三日 火曜 晴
起床:六時五十分
就寝:二十時
登校:七時五十分
下校:十六時五十分
 剣道の時道具をつけてした。
今朝もふつうに起きて支度をして山下君の家へ行った。村田君は朝当番であった。二郎さんが来たのですぐ行った。学校へ行ったらあまり早くなかった。五時間してそうじをした。とても早くおわった。そして剣道なので支度をして今日は道具をつけてした。

一月二十四日 水曜 晴
起床:六時三十分
就寝:二十時二十分
登校:七時五十分
下校:十五時
 学校帰りにけが
いそいで支度をして鳥を外に出してやった。二郎さんを呼って村田君や清水君も来たので学校に行った。幾人も居た。ボールをした。四時間目には図画をした。五時間目に寒げいこの武道をした。家へ来ながら河原でいたくした。

一月二十五日 木曜 晴
起床:七時十分
就寝:二十時二十分
登校:八時二十分
下校:十四時二十分
 剣道はしない
今朝も早く起きていろいろした。そして皆と一しょに学校に行った。そしてべんとうをあたためた。外に出てボールをした。理科をした。剣道はひまをもらった。終ってからそうじをして家へ来てゆの下をむした。

一月二十六日 金曜 晴
起床:六時三十分
就寝:二十時十分
登校:八時五十分
下校:十五時
 木はこび。
今日は峠の学林から松の木をはこぶのである*。そしてべんとうだけもって学校に行ってボールをした。出発して大蔵を通り将軍沢を通って学校林に行った。馬場と二人てはこんで昼を食って又はこんで終って家へ来てゆの下をむした。
*1月24日から1月28日まで将軍沢にあった学校林の間伐が実施されていた。
「菅谷の学童炭焼き 比企郡菅谷村第一小学校の生徒達は、同村の報国炭割当に奉仕、二里離れた学友林(約二町歩)から原木を伐採、竃は昨年校庭の一隅に二基作って置いたのを利用炭焼き奉仕は十六日から始まってゐる 今月中には二百俵仕上げるよと大ハリキリ」(『埼玉読売』1月19日)

一月二十七日 土曜 晴
起床:六時五十分
就寝:二十時三十分
登校:八時十分
下校:十三時二十分
 麦踏み。子守。けんどうはしない。
今日は昨日の木はこびの為かたがとてもいたかった。そして学校に行ってボールをした。たんれん馬がたくさん来た。一時、二時、三時。二、三時とは続けて国史をした。終って家へ来て前の畠の麦をふんだ。後は子守を夕方までして居た。

一月二十八日 日曜 晴
起床:七時五十分
就寝:二十時三十分
登校:
下校:
 草つみ。兎ばこを作くった。
起きて見ると日は出て居た。今日は日曜日なので家に居た。子守をしたが泣いてばかり居た。すぐ下して又子守ったら良くねむった。昼を喰ってから少し子守って守君と草つみに行った。家へ来て兎ばこを作った。夜もした。

一月二十九日 月曜 晴
起床:六時十五分
就寝:二十時五十分
登校:八時十分
下校:十五時二十分
 物すごい風。実習当番のふんにょう取り。
藁を持って学校に行った。いつもより早かった。そしてとしも強い風か吹いた。ほこりはとても物すごい。先生にさゝれて本を読んだ。実習当番の時に庭の馬ぐそ取りをした。家へ来てゆの下をむした。理科は動と反動の所で面白い。

一月三十日 火曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時十分
登校:八時十分
下校:十五時三十分
 とてもすごい風ほこり。子守り。
朝はとてもよく晴れて風はちっともなかった。皆集まったので学校に向かった。石のなげっこをした。幾時間かたつと強い風が吹き、ほこりがさかまいた。昼を食ひ四時間目に地理をして、それで終っていそいでそうじをした。家へ来て子守を夕方までした。

一月三十一日 水曜 晴
起床:六時三十分
就寝:二十時三十分
登校:八時二十分
下校:十五時十分
 算術の時三角形を書いた。子守り。
まって居たが二郎さんがおそいので先に行った。そして外に出てボールをした。今日はいつもと同じぐらいであった。算術の時にいろいろの三角形を書いた。国史を二時間続けた。四時間で家へ来て夕方まで子守りをした。


冨岡寅吉日記 昭和15年(1940)2月 菅谷村(現・嵐山町)大蔵

2009年10月29日 | 冨岡寅吉日記

二月一日 木曜 曇晴
起床:六時二十分
就寝:二十時五十分
登校:八時
下校:十六時二十分
 金井君に小説をかりてよんだ。草つみをした。
今日は神社参拝なのではうき*を持って神社に行った。誰も居なかった。そしてきれいにそうじがしてかった。学校に行きながら金井君に平手造酒の本をかりた。ボールをした。五時間は終ってそうじなのでして家へ来て麦踏み、草つみ等した。
*箒。

二月二日 金曜 曇
起床:六時五十分
就寝:二十時十分
登校:七時五十分
下校:十五時五十分
 話方。むぎふみ
朝起きたらとても曇って居た。籠みをもって行った。役場へ手紙を持って行くので早く行った。又金井に、忍術大し合の本をかりた。その頃はこく曇って来た。雪が降れば良いと思ふ。五時間目に話方をした。自分もした。家へ来て麦ふみをした。

二月三日 土曜 曇晴
起床:七時十分
就寝:二十時十分
登校:八時二十分
下校:十四時四十分
 雪が降った。なわない。こひとり。
起きて見ると雪が少しつもって居た。からねこを置いた。学校に行きながら昨日の本を続けて読んだ。雪合戦をして居る者もある。スキも見た。一時間目に算術であった。国史もした。三時間目にはしつもんをした。家へ来てなわない。こひとりをした。

二月四日 日曜 晴
起床:六時五十分
就寝:二十時四十分
登校:
下校:
 節分。本を買った。
今日は日曜日である。起きて見ると昨日の雪は少しのこって居る。昼前の家は子守をした。昼を喰ってから支度をした。そして皆と一しょに鬼神様へ行って村雲小天ぐの本を買った。今日は節分である。とても面白い。

二月五日 月曜 晴
起床:六時五十分
就寝:二十時五十分
登校:八時十分
下校:十五時五十分
 子守いろいろ。本をよんだ
昨日は鬼神様であった。学校へ行きながら村雲小天狗の本を見ながら行った。そしてボールをした。教室に入って修身をした。理科もした。農業四時間してそうじをして家へ来た。子守りをした。いろいろした。

二月六日 火曜 晴曇
起床:六時四十分
就寝:二十時二十分
登校:八時十分
下校:十六時五十分
 暉三さんに発しん。農業当番
 [欄外]暉三さんに発信
皆が集ったので一しょに行った。ボールをした。竹登りもした。算術の時にいろいろの三角形を書いた。読方もよかった。地理を二時間した。暉三さんに手紙を出した。そうじをして家へ来た。農業当番であった。いろいろ

二月七日 水曜 晴
起床:六時四十分
就寝:二十時十分
登校:八時二十分
下校:20時十分
 子守り。
 [欄外]兎が出来る。
起きて見るといくらか雪がつもって居た。そして金井*と斉藤**に本をかりた。金井がのは読きった。先生が用があるので三時間でしまって家へ来た。子守りをしながら読んだ。夕方まで子守りをした。
*金井仲次郎。同級生。
**斎藤三郎。当時高等科2年生。

二月八日 木曜 晴
起床:六時五十分
就寝:二十時二十分
登校:八時三十分
下校:十五時四十分
 今日は四時間でしまった。子守り。
本も読み切ったのでつまらない。斉藤に本をなした*。僕にもよこした。ボールをしたり竹登りもした。四時間目には先生が居ないので自習をした。ねぎをこしらへた。終
*返した。

二月九日 金曜 晴
起床:六時
就寝:二十時二十分
登校:八時十分
下校:十五時三十分
 本をかりた。
二郎さんが来たので学校に向かった。高二の照夫さん等と一しょに行った。外に出てボールをした。中島君に水戸黄門の本をかりた。三時間目まで先生はいなかった。べんとうのぼたもちを喰った。五時間して家へ来て本を読んだ。実に面白くよい本だ

二月十日 土曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時三十分
登校:八時二十分
下校:十四時十分
 木の葉はき。麦踏み。
隆次にしゃしん機を買ってやった。そして学校に行った。そしてボールをした。一時には算術いろいろ。二時国史。とても面白かった。そして唱歌れんしうをして家へ来た。おばあさんと山へ木の葉、はきに行って来た。麦踏みをした。

二月十一日 日曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時十分
登校:八時三十分
下校:十一時二十分
紀元節 木つけ
今日は日曜日だが紀元節の為学校に行った。そして式をした。二千六百年の唱歌もして家へ来た。昼を喰って父と守と三人で山から木出しをして全部はこんだ。明日は当番てある。

二月十二日 月曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時三十分
登校:八時二十分
下校:十六時二十分
 べんとうがあつかった。藁草りを作くった
今日は当番なので早く起きて支度をして学校に行ったらとても早かった。ボール、竹登りをした。べんとうがとてもあつかった。四時間目から藁草りを作くった。家へ来てもした。野口宗平*さんのがいせん。
*1936年(昭和11)1月10日歩兵第一聯隊入営。

二月十三日 火曜 雨
起床:六時五十分
就寝:二十時二十分
登校:八時二十分
下校:十四時四十分
 藁草り。
朝起きて見るとしとしと雨が降っていた。ちやうどこぬかゝ絲のやうであった。学校に行って本を見た。算術は五角形を作くった。読方をした。地理、続いて地理を二時間してそうじをして家へ来て、藁草りを一足作くった。

二月十四日 水曜 晴
起床:六時三十分
就寝:二十時二十分
登校:八時四十分
下校:十五時二十分
 体操をした。子守り
昨日の雨も止んで霧がとてもまいていた。そしてからりと晴れて学校に行った。少しおそかった。そして馬がきた。ボールをした。算術の時に昨日作くった五、六角形を先生が見た。四時間目に図画をして次に体操した。竹登り、国民体操、鉄棒等をした。

二月十五日 木曜 晴
起床:六時五十分
就寝:二十時二十分
登校:八時二十分
下校:十四時四十分
 子守り
今朝は少し朝ねぼうをしてしまった。日は東の空に出て居た。そして帳面をかった。学校に行って見ると、健康けんさなので馬が来て居た。いろいろ見た。竹登りもした。四時間で家へ来て*みやを子守った。
*この日四時間であったのは、松山職業紹介所の「製紙工業女子労務者就職斡旋の映画並に講演会」(『東京日日新聞』埼玉版二月十三日)が学校であったからだろう。

二月十六日 金曜 晴
起床:六時五十分
就寝:二十時四十分
登校:八時十分
下校:十五時十分
 山へ行って木を切った。やかんのふたがとんだ
今朝は学校へ行くのに早かった。行ってから、外に出て半頭棒に登った。機械体操もした。算術もした。二時間目にに地理をして、次に書方をした。四時間目に庭に集まってから、三回石はこびをして家へ来て山へ行って木を切った。

二月十七日 土曜 晴
起床:六時五十分
就寝:二十時三十分
登校:八時二十分
下校:十三時十分
 かつぎ出し。
二郎君は大低*おそひ。そして来たのでかけ足で行った。もう沢山居た。こまをまわして居る者も居る。半頭棒に登った。機械体操もした。二時間して三時間目から大そうじなので僕等四人で庭そうじをして家へ来て山へ行って守とかつぎ出しをした
*大抵。

二月十八日 日曜 晴
起床:七時十分
就寝:二十時三十分
登校:
下校:
 大風である。
今日は日曜日なので早く起きて温床を作くった。支度をしておぢいさんと守と三人で山へ行って木をかつぎ出した。富士山も少し見えた。昼前に二回はこんだ。昼を喰べてからはこんだ。そして家へ来て子守りをした。とても大風であった。

二月十九日 月曜 晴
起床:六時四十分
就寝:二十時二十分
登校:七時五十分
下校:十五時二十分
 実習をした。農業考査
 [欄外]農業考査
支度をしてふと見ると時計が止んで居たのでかけてから学校に行った。山下君家に居たが使の為自転車で行った。半頭棒に登った。一時間目に農業科の考査をした。理科をしてからそうじをして実習をして家へ来て子守りをした

古里兵執神社建国祭執行。

二月二十日 火曜 雨晴
起床:六時二十分
就寝:二十時二十分
登校:八時十分
下校:十五時二十分
 かんのん様*
学校へ行きながら雨が降って来たので傘を持ちに来た。村田にも持って行ってやった。雨は次第に降って来た。一時間目がおはるころは雨も止んだ。山中鹿之助を読んだ。体操をしてそうじをして先生の手伝をして家へ来てかんのん様へ行った
*根岸観音の祭典。
大河村葬執行。

二月二十一日 水曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時二十分
登校:八時二十分
下校:十五時二十分
 山へ行った。
天気なのでヅックをはいて学校に行った。半頭棒に登った。朝礼の時にいくつかのちゅういをきいた。ボールも少しした。算術は平行四辺形を書いた。体操もした。図画をして家へ来て山へ行って手伝をした。今日は風はない。

二月二十二日 木曜 晴
起床:六時十分
就寝:二十時四十分
登校:八時
下校:十四時四十分
 庭の大そうじ
山下君は朝当番なのであった。村田君が来たのですぐ出かけた。そして同きう生の村田君等と一しょに行った。今日は早かった。自習かあるので地図を書上げ、水戸黄門を読んだ。五時から庭の大そうじで石ひろい等をして家へ来て子守り。

元菅谷村長岩澤弥市、サイレン、校旗、青年団旗を鎌形小学校に寄贈する。

二月二十三日 金曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時四十分
登校:八時三十分
下校:十四時四十分
朝起きてまきをひいた。そして支度をして学校に行った。いつもよりおそかった。自習の時に本を読んだ。朝礼をした。いろいろのせいしょをかへした。四時間で、大そうじをして家へ来て又まきひきをした。

二月二十四日 土曜 晴
起床:六時三十分
就寝:二十時四十分
登校:八時四十分
下校:十二時
 まき切り。
今朝は少しおそくおきてしまった。支度をしてまきを切った。そして学校に行った。自習をした。算術の時に捲土重来の話を聞いた。二時間で家へ来てまきを引いてひるを喰って草つみに行って来てまき切りをした。
大蔵青年団、帰還した野口宗平の三十三社参り実施。

二月二十五日 日曜 曇晴
起床:六時四十分
就寝:二十時二十分
登校:
下校:
 まきつみ。子守り
朝までねこが寝て居た。そして起きてまき切りをした。まきもわったりつんだりはこんだりした。父と馬小屋のこひとりをした。昼を喰って子守りをした。明日はうら和のしはん学校の校長先生が見にくる。夕方まで子守りをした。

二月二十六日 月曜 晴
起床:六時五十分
就寝:二十時四十分
登校:八時十分
下校:十三時十分
 まきまるき。
今朝もねこが寝て居た。起きてあたって支度をして学校に行った。今朝は早かった。風が吹いて居たが朝礼をした。うら和の校長先生が来た。修身を見てくれた。二時間、三時間と自習をした。家へ来てまきまるきをした。二十ぱ位はまるった。

二月二十七日 火曜 晴
起床:六時四十分
就寝:二十時三十分
登校:八時二十分
下校:十六時十分
 農業当番てあった。
朝起きて支度をして学校に行くのである。そして浅間山が噴火して灰がたくさん降った。それを紙に採って居た。朝礼はしなかった。算術の時、先生は居なかった。手工の時、ウマをほった。農業当番なので先生の帰って来るのを待って居てして来た。菜*をもらった。
*白菜。

二月二十八日 水曜 晴
起床:六時五十分
就寝:二十時四十分
登校:八時二十分
下校:十四時二十分
 体操の時館趾のせつめい
今日は使をするので自転車で行った。藁を持って行った。算術は円の所をした。国史もした。珠算の時に一時間で自分で問題を作ってやった。体操の時畠山重忠公館趾の所へ行ってせつめいを聞いた。家へ来て草履を作り始めたが子守りをした

二月二十九日 木曜 晴
起床:六時三十分
就寝:二十時四十分
登校:八時十分
下校:十一時三十分
 べんとうばち
皆集まった学校に行った。べんとうを置いた。外でボールをした。修身をした。読方をして理科をした。自習をした。べんとうばちがこげてしまった。家へきてざうりを作りそれから田へ行って日の暮れるまでつぶてぶちをした。


冨岡寅吉日記 昭和15年(1940)3月 菅谷村(現・嵐山町)大蔵

2009年10月28日 | 冨岡寅吉日記

三月一日 金曜 晴
起床:六時五十分
就寝:二十時四十分
登校:八時十分
下校:十四時二十分
 大掃除。子守り。
今朝は神社参拝であった。そしてそうじをして学校に行った。新聞が来た。雪が少し降ったかボールをした。算術は円周をした。故郷の花をした。四時間して大掃除なので旧校舎をして家へ来て子守りをした。もちつきであった。

三月二日 土曜 晴
起床:六時四十分
就寝:二十時五十分
登校:八時二十分
下校:十二時
 使ひ
学校に行ってボールをして居た。鐘が鳴ったので庭に集まった。兵隊送りなのであった。サイレンがナルまでボールをした。体操をした。国民体操をして木をはこんだ。家へ来ていねと水車へ面をもちに行って来た。子守りをした。

三月三日 日曜 晴
起床:六時三十分
就寝:二十時四十分
登校:
下校:
 学校に行った
今日は日曜でありせつくである。みやを子守った。下して魚つきに行ったかつかなかった。早昼飯で三、四、人で学校に行ってまん才を見た。ろうきょくを一番初にした*。後ってから家へ来て遊びに行った。夕方まで遊んで家へ来た。
*菅谷村青年団、小学校で「帰還兵と戦没勇士遺家族慰安浪曲会」開催。

三月四日 月曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時五十分
登校:八時
下校:十四時二十分
 魚突き [欄外]修身考査
今朝は朝当番なので早く支度をして学校に行って机を入れた。教室をぞうきんがけした。始まった。そして教室そうじを一同で始めた。修身の考査をした。読方をして理科 後はないので家へ来た。川へ行って魚を突いた。家へ来て遊だ。

三月五日 火曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時五十分
登校:七時五十分
下校:十五時二十分
 つぶてうち。入営
 [欄外]算術考査
今朝は藤縄利治君が入営*するので河原まで送くって学校に行った。ボールをした。第一時に算術の考査をした。むづかしくなかった。読方をした。地理を二時間した。手工をして家へ来た。田へ行ってつぶてぶちをした。
*大蔵藤縄利治満州国坂田部隊応召。

三月六日 水曜 曇
起床:六時四十分
就寝:二十時五十分
登校:八時二十分
下校:十五時二十分
 手伝をした
村田君は少し遅そかった。皆集まったので学校に向かった。とても早かったボールをした。先生が居ない為、下田先生*が土と兵隊の本を読んだ。後は自習をした。体操の時に河原へ行った。図画をして家へ来た。そして田へ行ってつぶてぶちをした。
*下田茂寿。1939年(昭和14)3月~1944年(昭和19)3月勤務。

三月七日 木曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時四十分
登校:八時十分
下校:十五時二十分
 実習当番でぞうり
 [欄外]理科考査
朝起きて見ると空は曇って居た。そして学校に行った。そしてボールをした。一時間目に修身で話をした。二時間目に読方をした。農業をして昼を喰った。理科の考査をした。農業実習当番をして家に来て田へ行った

三月八日 金曜 曇
起床:六時二十分
就寝:二十時四十分
登校:八時二十分
下校:十四時三十分
 いろいろの考査
 [欄外]地理書方綴方図画の考査
今朝も曇りって居た。そしてだんだん曇ってしまった。学校に行った。ボールをした。一時間目に地理の考査をした。読方。算術で皇*を書いた。書方、綴方、図画の考査を仕上げた
*星か。

三月九日 土曜 雨
起床:六時十分
就寝:二十時四十分
登校:八時二十分
下校:十二時二十分
 初雷 [国史考査]
新聞を見ると竹田宮のおかくれになったことがしるしてあった。学校に行って国史をしらべた。雨がしとしと降って居る。算術をした。国史の考査をした。国史をした。家へ来て草履を作くった。後は夕方まで子守りをした。初雷がなった。

三月十日 日曜 晴
起床:六時三十分
就寝:二十時五十分
登校:
下校:
陸軍記念日 大遊び 陸軍記念日
今日は日曜だったので少し遅く起きた。そして子守りをした。よく寝た。昼まで子守りをした。陸軍記念日であった。国旗を建てた。昼からは遊んだ。明日は月曜日で草り作りがある。夕方まで遊んで家へ来た。

三月十一日 月曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時五十分
登校:八時十分
下校:十四時三十分
 草り作り
朝起きて見ると少し曇って居た。藁をすぐって居る*と山下君が新聞をもって来た。学校に行って藁をしまって置いた。第二時に読方の考査をした。理科をして、第四時から草り作りなので旧校舎て作くった。家へ来てから草つみに行って一(ひとつ)みかい**つんで来た。
*藁すぐり。稲藁の根本についている葉を取り除く作業。
**メカイ。四つ目の籠として代表的なもの。

三月十二日 火曜 晴
起床:六時十分
就寝:二十時四十分
登校:八時
下校:十四時四十分
 草つみ
守平と山下二郎君は朝当番であったので村田君と一しょに学校に向った。かなり早かった。行って見ると幾人も居なかった。外に出てボールをした。セイボウ*(人の名)に本をかりて読んだ。第一時算術とても面白かった。第二時読方これも面白い。第四時に体操の考査。第五時をして家へ来て草つみをした
*富岡誠一。当時尋常科2年生。

三月十三日 水曜 晴
起床:六時三十分
就寝:二十時四十分
登校:八時十分
下校:十三時二十分
 入学者の体調検査
いつもより少し起きるのがおそかった。支度をして山下君の家へ行った。第一時の始まる前にボールをした。一時に、汪精衛の話をした。二時、国史戦国時代の話をした。三時もした。本年度入学者検査のため半日でしまって家へ来た。昼を喰って山下君兄弟と自分兄弟と草つみに行って一ぱいつんで来た。

三月十四日 木曜 曇晴
起床:六時三十分
就寝:二十時五十分
登校:八時
下校:十四時四十分
 下田先生に話を聞いた
今朝起きると夕べの雨の為庭はどっしりとしめって居た。支度をして皆と一しょに学校に向かった。今朝も早当に早かった。ボールをした。機械体操もした。第三時に下田先生が青年学校義務制の話をした。理科はおはったでなぜなぜ問どうをした。家へ来て草つみ。

三月十五日 金曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時五十分
登校:八時
下校:十五時十分
 いろいろ
自転車屋に用があるので自転車に乗って行った。菅谷から学校まで中島君*や松本君**と一しょに行った。学校に行ってボールをした。機械体操もした。第一時算術をした。読方は二十一課をした。三時間で家へ来てまきわり、まきまるきをした。子守りもした
*中島運竝。同級生。
**松本昭三。当時尋常科5年生。

三月十六日 土曜 晴
起床:六時三十分
就寝:二十時五十分
登校:八時二十分
下校:十三時
 や弓様*へ行った
今日は少し起きるのがおそかった。支度をして清水君の家の方に行った。今日は灰を持って行った。学校に行ってボールをした。国史をした。三時間目は体操をした。家へ来ておぢいさんと、守と三人でや弓様へ行って来た。いろいろと見て廻はった。帰りに車を引いてきた。
*松山町(現・東松山市)の箭弓神社。


三月十七日 日曜 晴
起床:六時四十分
就寝:二十一時
登校:
下校:
 めじろをにがした。
今朝は日曜日だったので少し朝寝ぼうをしてしまった。一束まきをまるった。ねぎを取って来て自転車で松山の新井屋へ持って行った。さとうもかって来た。家へ来て子守りをした。昼を喰ってからも子守りをした。家へ来てめじろを逃してやった。子守りをした。以上

三月十八日 月曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十一時十分
登校:八時
下校:十五時四十分
 ロート目薬を買った
いつも山下二郎君は支度をするのがおそい。外へ来たので清水君の方へ行って一しょに行った。今日はボールかないので機械体操半頭棒などした。第一時修身であった。読方もした。第四時はいてふの木を植える穴をほった。唱歌の考査をして家へ帰りにロート目薬を買って来た。将軍沢へ籠を運ぱんした。

三月十九日 火曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時五十分
登校:八時十分
下校:十四時四十分
 遠足の話
朝起きて鏡を見ると目の赤いのはまだなほらなかった。支度をして学校に行った。そして上下一心をてうこくして忠義孝行をほった。機械体操もした。遠足の話をした。明日は戦士者*の墓参りである。四時間でそうじをして家へ来てくわ原のこひの土かけをした。
*戦死者。

三月二十日 水曜 晴
起床:六時三十分
就寝:二十時五十分
登校:八時
下校:十三時二十分
 本屋が二十二日くる。
今朝は少し起きるのがおそかった。支度をして山下君の家へ行って忠義孝行をほった。学校でほり上げた。一時間目算術をした。二時国史をした。三時珠算をした。そして今日は戦死者の墓参りなので庭に集って出かけて墓へ来てお参りして家へ来て車へ面を持ちに行って来た。

菅谷村出身戦死者の慰霊祭挙行。

三月二十一日 木曜 晴
起床:六時十分
就寝:二十時五十分
登校:
下校:
 種播き ヰレイ祭
今日は春季皇霊祭である。朝めし前に杉の木の皮をむいた。朝めしを喰って父と馬小屋のこいとりをした。畠の整地などした。家へ来て草花の種まをまいた。昼を喰ってヰレイ祭があるので式に行って来て、子守りをしたり、遊んだりした。明日、本屋がくる。

三月二十二日 金曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時四十分
登校:八時二十分
下校:十五時十分
 漢字でかいた
朝起喜天見流止、空半久毛闘天以多。之多久乎之天山下君乃家仁行聞多。学校仁行闘天加良乎加須止言闘多。今日半以闘毛與利風加乎々久不以多。第一時仁算術乎之多。二時読方一番之萬以乎之多。三時地理面白久多女仁奈多。四時毛之多。五時教科書乎加闘多。家江喜天本乎見多。伊呂伊呂*
*「朝起きてみると、空はくもっていた。支度をして山下君の家に行った。学校に行ってから本を貸すと言った。今日はいつもより風がおおく吹いた。第一時に算術をした。二時読方一番のまいをした。三時地理面白くためになった。四時もした。五時教科書を買った。家へ来て本を見た。いろいろ」

三月二十三日 土曜 晴
起床:六時十分 
就寝:二十時五十分 
登校:七時三十分 
下校:十四時二十分
 行軍
今日は行軍なのである。だから早く起きて支度をした。種を播いた所に水をくれて学校に向かった。大分早かった。出発して太郎丸を通り、伊古に出て和泉を通った。久保先生*の家もあった。大沼公園て昼をたべて家へ来た。広野を通った。家へ来て子守りをした。いろいろした。
*久保龍雄。1926年(大正15)3月~1938年(昭和13)3月勤務。

三月二十四日 日曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時二十分
登校:
下校:
 杉ノ木の皮むき。
今朝は少し起きるのがおそかった。日曜日なのである。朝食後、支度をして籠をしょって将軍沢の大工さんの家へ行って来た。家へ来て子守りをした。又下して子守った。午後守と草つみに行った。帰って来てすぎの木の皮むきをした。夕方子守り。

三月二十五日 月曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時四十分
登校:八時十分
下校:十五時四十分
 農業実習でさくきり。
今朝もいつものやうに支度をした、温床に水をくれた。一同が来たので学校に向った。途中で忍田、吉沢、両君が鍬を持って行ったので家へ採りに来た。第一時に修身をした。二時国史で三十課までをはした。五時には農業実習て西の麦畠のさくきりをした。家へ来て子守り。大澤君*が飛行機ヲトバス
*大澤知助。当時尋常科6年生。

三月二十六日 火曜 晴
起床:六時三十分
就寝:二十時五十分
登校:八時二十分
下校:十四時十分
 実習当番であった
今日も昨日のやうにしづかな日になりそうな模様てあった。温床に水をくれて山下君の家に行ったら皆がすぐ来た。下の学校橋を通って行った。いつもと同じ位である。いてふに水をくれた。第一時地理、読方。地理、三時間で学校はしまいであった 家へ来てふるっこみ。

三月二十七日 水曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時五十分
登校:八時十分
下校:十二時十分
 考査をかへした。
朝起きて戸をあけた。杉の木の皮むきをした。学校に向った。清水君の家へ行ってそれから行った。早かった。いてふに水を四はいくれた。第一時考査をかへした。二時地理をした。あとは大そうでをした。家へ来て鎌形の水車に使に行って来て子守り。

三月二十八日 木曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時四十分
登校:八時十分
下校:十二時二十分
 式のならい。
 [欄外]大風
今朝は杉の皮をむいた。昨日のをむいてしまった。支度をして温床に水をくれた。山下君等が集ったので学校に行った。今日は高等一年の一番最後の日である。教室で先生に話をきいた。式もした。家へ来て杉の皮むき。子守りなどした。明日は卒業式。

三月二十九日 金曜 晴
起床:六時十分
就寝:二十時60分
登校:八時
下校:十三時四十分
 卒業式
 [欄外]一等賞
今日は目出たい卒業式なのである。式の支度をして水をくれて、ふたをしないで行った。一時間も遊んでから、サイレンがなって教室に入った。卒業生から始って自分等の番になって、村田君*がそう代に出た。自分も出た。一等賞であった。家へ来てもち草をつんだ。子守りもした。
*村田久雄。同級生。

三月三十日 土曜 晴
起床:六時三十分
就寝:二十時五十分
登校:
下校:
 魚突き
今日からしけん休みてある。朝めしを食って支度をして五明に使に行って来た。そして家へ来てくりの皮むきをした。とてもしづかな日であたゝたかった。午後、川へ魚つきに行って四くし突いて来た。田へも行った。

三月三十一日 日曜 曇晴
起床:六時十分
就寝:二十時五十分
登校:
下校:
寝て居ると「早く起きろ」と言はれて飛び起きた。新聞を見ると先生の異動がのって居た。建ちゃんや三郎さん*を見送くった。家へ来て本をかりた。川へ行って魚を突いた。午後子守りをした。二回続けて子守った。夕方もした。いろいろ。
*富岡健治。斎藤三郎。


冨岡寅吉日記 昭和15年(1940)4月 菅谷村(現・嵐山町)大蔵

2009年10月27日 | 冨岡寅吉日記

四月一日 月曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時五十分
登校:
下校:
 くわ植え
今朝も起きるのがあまり早くなかった。朝食をして将軍沢に行って来た。子守りをして遊びに行って魚釣りに行くやくそくをして行って二匹きり釣らなかった。午後畠へ行った。くわ植へである。家へきて子守りをした。いろいろと

四月二日 火曜 曇
起床:六時三十分
就寝:二十一時
登校:
下校:
 矢車草。さく切り
 [欄外]矢車草が芽を出した。
「寅起きろ」おぢいさんの聲に飛び起きた。朝食をしまして支度ををして車を引いて守平と水車に行って大麦を持って来た。米も持って行った。そして子守りをした。午後昼を食ってすぐ菅谷に使に行って来てさくきりをした。夕方は家へ来てゆの下をむした。

四月三日 水曜 晴雨
起床:六時十分
就寝:二十一時二十分
登校:
下校:
神武天皇祭 お客
今日は四月三日なので車にお客に行く支度をした。そして兄弟四人で朝食を喰って出かけた。魚取りなどした。午後昼をたべて遊んだ。吉野君などの川の方へ遊びに行った。夕方はだんごなげなのでひろいに行った。夜は坂の下に寝た。

四月四日 木曜 晴
起床:六時三十分
就寝:二十時五十分
登校:
下校:
 客から帰ってくると温床に芽が出た。
今朝はお客に行って居たので起きるのがずっと遅そかった。車の方で朝食して川で魚を取った。川につつぱいった*。昼近くなって吉野君がちくおんきをかけて聞かした。昼を喰って家へ帰って来た温床を見ると貝細工(かいざいぐ)**の芽が出て居た。斉藤君へ、冨岡君から手紙が来た。子守りなどした。
*川の中に落ちる。
**貝がら草。

四月五日 金曜 雨
起床:六時十分
就寝:二十時五十分
登校:
下校:
 たのしい明日は入学式。使に行った。
 [欄外]受信 斉藤三郎
今朝はふつうに起きた。そして車に使に行くので支度をした。いんきょの家にも行って来た。父がリヤカーで麦を引いて来たので後を押して行った。橋はになった*。帰りには乗って来た。昼を喰って行く時には小雨がぽつぽつ降り出した。車につく頃はもう大雨となった。降りしょうぎを車でした。帰りにはリヤカーに乗て家へ来た。
*橋ではリヤカーを二人で持ち上げた。

四月六日 土曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時五十分
登校:八時
下校:十二時十分
 入学式、始業式をした。
 [欄外]発信 斉藤三郎 寅吉
起きて見ると空は曇って居て昨日の雨も止んで居た。東の空は日の出る所で黄色くなって居た。皆が集まったので出かけた斉藤君に手紙を出した。学校に行ったらまだ早かった。一年生の者がたくさん来た。そして入学式、始業式をした。机をはこんだりそうじをしたりした。今年は杉山先生*である。話を聞いて家へ来た。
*杉山敏行。1938年(昭和13)3月~1947年(昭和22)3月勤務。

四月七日 日曜 晴
起床:六時十分
就寝:二十時四十分
登校:
下校:
 はいしゃに行った。
今日は日曜日なので今日より少しおそかった。隆次を歯ゐしゃに行く事がきまった。庭をはいたり温床のふたを取ったりした。九時になったので自転車に乗って行った。見るとたくさん来て行た。昼すぎまでかゝった。家へ来て昼を喰って一夫さん*の家へ行って来て子守りをした。明日は学校である。
*富岡一夫。

四月八日 月曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時五十分
登校:八時十分
下校:十三時十分
 級長せんきょ いろいろ
支度も出来た。そして温床に水をくれた。村田君も来た。山下君は少しおくれた。清水金治君は欠度*した。四人だけで行った。一年生も皆元気よく行った。今朝は早かった。外に出て遊んだ。級長をせんきょした。大そうじをして家へ来て田へ行ってさくきりをした。思ったよりよくきれた。早くしまって家へ来た。
*欠席。

四月九日 火曜 晴
起床:六時
就寝:二十時五十分
登校:八時十分
下校:十四時十分
 級長になった。
朝起きて少し経つと風が吹き出した。そして雨が降り出した。風はひどく雨も少しでにじが出た。傘は持たないで行った。日は出た。学校に行って一年生の教室に入って世話をして自分の室へ行った。一時間目はいろいろと話をした。二時は又話をしたりした。三時間目にそうじの組分をした。家へ来て田へさくきりに行った。夕方までした

四月十日 水曜 晴
起床:六時十分
就寝:二十時四十分
登校:八時
下校:十四時四十分
 田に行って仕事。
起きて温床のふたをとった。今日は良い天気になりそうな模様であった。学校に行って機械体操もした。三(み)マースなどもした。第一時に算術平方の科をした。地理、地球の表面であった。三時にに好ききらいの学科を書いた。四時間して家へ来てふろつこみをかついで田に行って、仕事をした。温床にふたをした。

大蔵榛名講金井栄一他二名代参。

四月十一日 木曜 晴
起床:六時三十分
就寝:二十時三十分
登校:八時十分
下校:十七時二十分
 農業当番であった。
今朝は少し朝寝をしてしまった。起きて支度をして温床のふたを取って水をくれて行った。いつもと同じ位であった。外に出て機械体操などした。朝礼の時、前に出て号令をかけた。第一時に読方をした。二時に国史をした。三時綴方「高等二年になって」で書いた。農業次に農業実習で穴堀りをした。当番もして家へ来た。夕方までかゝった。

四月十二日 金曜 晴
起床:六時
就寝:二十時四十分
登校:七時四十分
下校:十五時十分
 体操の時遊びだった。その時東京人か手品をした。
朝起きると暖くとても春の有様をよくあらはして居た。野に山に木の芽かもえ始めた。温床のふたを取り用があるので自転車て行った。いづみ屋でサルマタを買ったら一円と十銭であった。今日は朝礼がなかった。一時に修身であった。四時は体操なのでかいかんの方へ遊びに行った。五時週番をきめた。家へ来て子守り

四月十三日 土曜 曇
起床:六時十分
就寝:二十時四十分
登校:八時十分
下校:十二時三十分
 草つみをした。
朝起きて見ると本にあるやうに降るとも晴れるとも未だわからなかった。支度をして居る中に雨が降りたした。温床のふたをとって学校に向かった。植物、世間が春雨のためしめやかである。学校に行って馬飛びをした。機械体操などへも行った。今日は土曜なので三時て家へ来た。草つみに行って一っぱい。

四月十四日 日曜 曇
起床:六時二十分
就寝:二十時三十分
登校:
下校:
 今日はかん祭。明日はかん学祭である。(菅谷の社。)
今日は日曜日てある。起きて見ると空は少し曇って居た。今日は十四日なので大蔵の神社の祭てんである。午前の中幾分か子守りをした。斉藤三郎さんがお客に来た。家へ来て赤子を下してもらい遊びに行った。午後も昼を喰って、又遊びに行った。油屋で本を見た。櫻の木に登った。夕方三郎さんが帰った。火の見の方て遊んだ。

大蔵神社春季祭典。

四月十五日 月曜 晴
起床:六時
就寝:二十時四十分
登校:
下校:
 すゝはきをした
起きて支度をして朝食して神社参拝なので神社に行ったら皆が居た。今日はかん学祭なので尋常一年生と高等一年生の者は学校に行った。今日はすゝ取りをするよ定だったのだが風のためやめて居た。午後風がおさまったのですゝ取りを始めた。いろいろと出した。いろいろの物が出た。夕方は子守り。

四月十六日 火曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時五十分
登校:八時十分
下校:十四時十分
 ついを作った。
朝起きて温床のふたをとって見るともう芽が大きくなって居た。日廻りはおそく出たが大きい。水をくれて学校に行った。朝礼の時級長を命ぜられた。第二時に算術き、先生は居なかった。第三時、国史をした。四時はしないでそうじをした。午後、今まで居た先生*がお別れに来た。教室に入ってすとう先生に話を聞いた。十八日に宮様がおいでになるのでついを作った。山に取りに行った。
*簾藤惣次郎。岡本信吉。吉田久平。門倉トモ。松本キミ。

四月十七日 水曜 晴
起床:五時四十分 
就寝:二十時五十分
登校:八時十分
下校:十五時二十分
 道のごみひろい。
「寅起きろ」と呼ばわれた声がした。目をさまして居ると未だ戸はしまって居て外は少し暗かった。だが飛び起きた。温床のふたを取り水をくれて支度をして学校に行った。ついも持って行った。第一時に級長のしるしをくれた。宮様の御通りになる道のごみひろいをして嵐山に行った時に簾藤先生も来て居た。昼をたべて農業当番だったので仕事をした。

四月十八日 木曜 晴曇
起床:五時四十分
就寝:二十時三十分
登校:八時
下校:十五時十分
 宮様のお通り。
夜が短くなった事が良くわかった。いつもは起きると六時がなって居るが、今は幾分が経ってなった。温床のふたを取って見るとどの区域の中にも芽が出て居た。学校に行って機械体操をした。一時間目の休みにけ上りが出来た。今日は読本をわすれた。二時間目に国史をした。四時間でそうじをしてていしゃばに行って宮様をおがんだ*。家へ来て草つみ
*女子学習院三、四年生の遠足が小川から、小川製紙指導所~小倉城址~武蔵嵐山~畠山重忠館址のコースであった。「久迩宮正子女王殿下朝子女王殿下女子学習院生徒トシテ本村地内ニ修学御旅行ノ御途次本校児童謹製ノ櫻樹御杖小川町製紙指導所ニ於テ献上ス」(菅谷小学校『学校沿革誌』より)
また次の資料がある。
拝啓愈々御健勝奉慶賀候
陳者先般本院学生見学の際は御多忙中にも不拘種々御配慮を辱うし以御蔭萬事好都合に相運び修学上多大の効果を収め候段感謝の至りに存候先は以て書中御禮申述如斯御座候 敬具
金井柳作殿

四月十九日 金曜 曇
起床:五時四十分
就寝:二十時二十分
登校:七時四十分
下校:十五時二十分
 明日は朝当番である。
目をさまして見ると雨が降って居た。春雨なのであまりひどくなかった。傘をさして清水君の家へ行った。途中まで行くと雨も止んだ。学校に行ったらまだ幾人も居なかった。朝礼の時に校長先生が昨日の宮様の話をした。第一時に修身をした。四時間して昼を食って次に図画をした。六時に武道をした。家へ来て桑の木の穴に土をかけた。

四月二十日 土曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時三十分
登校:七時十分
下校:十二時四十分
 朝当番であった。
今日は朝当番なので早く起きて支度をして山下昭君の家へ行ったらすぐ来た。今度は山下和君の家へ行って学校に向った。野村君はもう来て居た。教室をそうじして外に出てボールをして遊んだ。朝礼はなかった。第一時に算術をした。二時読方を少ししたら校長先生が来た。唐子原の松持ちに行ったが支度かしてなかった。家へ来てけづりこみ、草つみなどをした。

七郷小学校校庭で故陸軍兵長田村福治村葬執行。

四月二十一日 日曜 雨
起床:五時四十分
就寝:二十時二十分
登校:
下校:
 雨が降った。ぼたもち
朝起きて見ると雨がしとしとと降って居た。今日は日曜日なのである。馬小屋のこひ取りなので父と取った。終り頃になると雨が勢よく降って来た。終ってから桑のしばってあるのをほどした。けづりこみもした。昼前子守りを少しした。昼寝をして起きた。子守りをした。口と財布は閉ぢるに利あり。櫻をぬいた。

四月二十二日 月曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時十分
登校:七時四十分
下校:十五時五十分
 武道をした。
 [欄外]受信 山岸良之助
昨日の大雨も今朝はすっかり止んで彼方此方に雲がさまよって居た。山下君と一しょに学校に向った。途中下駄が切れた。機械体操などした。朝礼をした。松の木が玄関の前あった。第一時算術、四時に理科の実験をした。一時から支那へ行って来た人から話を聞いた。ほうかご武道を一時間ばかしして家へ来た。明日は身体検査。

四月二十三日 火曜 曇
起床:五時十分
就寝:二十時四十分
登校:七時二十分
下校:十五時二十分
 身体検査
 [欄外]受信 斉藤三郎
朝起きて見ると空は曇って居た。支度をして皆と一しょに学校に向かった。今日は身体検査がある。機械体操をした。第一時より一年生より始めた。眼のしらべは高等二年から始めた。自分は左一・〇で右は一・二であった。身長は一米四三糎二米であった。そうじをして農業当番をしてほう科後武道をならって家へ来た。電球をとりかえに行った。

四月二十四日 水曜 晴
起床:五時四十分
就寝:二十時五十分
登校:七時五十分
下校:十五時二十分
 松の木はこびをした
 [欄外]発信 斉藤三郎
今日は晴れそうな天気模様てあった。学校に行きながら斉藤三郎さんにお便りを出した。行ってから機械体操をした。朝礼が後ってすぐ物置と整理をした。第三時をして居ると使いか来た。松の木はこびであった。とてもかるかった。武道をして菅谷で帽子の門を買って来た。将軍沢に使に行った。けとばしをした。以上

四月二十五日 木曜 晴雲
起床:五時二十分
就寝:二十時三十分
登校:七時三十分
下校:十一時五十分
 さくきり
今日は靖国神社のりんじ大祭なので天皇陛下が御親拝になるので目とう*に行くのである。支度をして皆一同と学校に行った。十時十五分も過ぎぜにをはらって家へ来た。菅谷に使に行って来て畠に行って止めざく切りをした。明日はたのしい遠足である。子守りをした。三マースなどした。遠足は鉢形
*黙祷。

靖国神社臨時大祭。

四月二十六日 金曜 曇
起床:五時十分
就寝:二十時三十分
登校:七時二十分
下校:十五時十分
 たのしい遠足。
 [欄外]受信 山下三三男
今日はたのしい遠足である。朝起きて見ると空は晴れ淡月が霞にかかって居た。七時半発なとで早く支度をして学校に向かった。校庭には二、三人しか居たかった。はかまをはいて七時半になって駅に行った。電車に乗って行った。鉢形で下りて鉢形城趾を見た。像が鼻*に行った。玉淀に行った。正喜橋は釣橋だがすばらしい。かへりも電車で家へ来た。
*象ケ鼻。

四月二十七日 土曜 晴
起床:五時四十分
就寝:二十時三十分
登校:八時十分
下校:十三時二十分
 夜になって雨が降った
今日は遠足のつかれもちっとも出なかった。支度をして学校に行った。機械体操もした。第一時に読方をした。比企郡でとくに読方に力を入れる話。二時算術宿題が出た。体操のわけだが河原に遊びに来た。家へ来てまきをつれてはいしゃに行って来た。手紙をかいた。草つみに行った。

大河原村葬執行。

四月二十八日 日曜 雨晴
起床:六時二十分
就寝:二十時四十分
登校:
下校:
 子守り
 [欄外]発信 簾藤先生。山下三三男
今日は日曜日てあった。寝床で目をさまして見ると雨の降る音がした。だからおそくまで寝て居た。起さると明るくなって居た。雨の降って居る中は家に居て藁すぐり。止んだのでみやを子守った。昼からも藁すぐり又は子守りをした。早くゆに入った。明日は天長節だが皇室のぶくで止めである*。
*天長節祝日挙式差し控えについて。
前略
故竹田宮恒久王妃昌子内親王殿下斃去の為め宮中喪中に付来る四月廿九日天長節祝日挙式は差控ふるやう当局より通牒有之候條当日は挙式遠慮仕り候間右御承知可下度候 敬白
追而国旗は通常の通り掲揚差支なきに付申添候也(喪章を付せず)
昭和十五年四月廿四日 鎌形小学校長安斉善尭
金井村長殿

四月二十九日 月曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時二十分
登校:
下校:
天長節 籠洗ひ。
朝起きて朝食をしてから守と鎌形の水車に行って来た。魚釣りに行って半分も釣らなかった。国旗を立てた。父と川に籠を洗ひに行って来た。今日は天長節たが皇室のぶくのため式はしないのである。午後父と田に行って止め作切りをした。昨日祖母のけづった所だけ終り。全部の田をしてしまって家へ来た。籠を運んだ。

四月三十日 火曜 晴
起床:五時四十分
就寝:二十時三十分
登校:七時二十分
下校:十四時二十分
靖国神社祭 出征兵士送り。明日は神社参拝
起きて見ると庭一面屋根などに晩霜か下りて居た*。これでは大部桑などにきいたと思った。温床は大丈夫であった。[ここまではすじが引いてあり昨日の事としてある]学校に行って機械体操をした。朝礼の時出征兵士の出る話をした。一時算術をした。次に読方デンマークの所。三時国史をした。四時体操で身長のじゅんを定めた。一時二十三分の電車に乗って出征した兵士を見送くった。
*「晩霜四郡下を襲ふ 被害桑園四千五百町歩」(『埼玉読売』4月30日)「八十町歩程度 比企の桑園被害 比企郡の桑園被害は意外に僅少で全耕地三千八百町歩仲約二パーセントの八十町歩程度、被害の多いのは八和田、七郷、福田、菅谷、唐子、宮前、亀井、今宿方面の山間地、唐子村が最もひどい しかしいづれも発芽前後で今後の恢復もありき、掃立を一両日遅らせる程度で更に降霜さへなければ後□に影響はない」(『埼玉読売』5月1日)


冨岡寅吉日記 昭和15年(1940)5月 菅谷村(現・嵐山町)大蔵

2009年10月26日 | 冨岡寅吉日記

五月一日 水曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時三十分
登校:七時五十分
下校:十四時二十分
 神社参拝。草刈り
朝早く起きて支度をして神社に行って掃除をして参拝して家へ来てから学校に行かった。行ってから機械体操をした。朝礼をしてから一、菅谷の神社に参拝した。第二時に算術平方根の所をした。三時地理をしないで理科をした。書方をしてから昼を食って手工の同具を分けた。家へ来て湯かいこみ草刈り等をした。

七郷村経済更生記念日で七郷小学校で村民大会開催。「経済更生指定村の七郷村では一日の経済更生記念日に小学校で村民大会を開き県経済主事の講演、午後は余興で賑った」(『埼玉読売』五月二日)

五月二日 木曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時二十分
登校:七時二十分
下校:十四時三十分
 久保先生と話した
 [欄外]受信 簾藤先生
起きて見ると空は曇って居て雨の降りそうなもようであった。朝曇かもしれない。支度をして学校に行った。朝礼の時週番の話を聞いた。第一時に読方をした。二時に国史をした。三時に角力をした。今日は部会の先生の総会があるので四時間てしまった。草刈りに行って久保先生と逢った。魚を多くついた。家へ来たらくらくなった

五月三日 金曜 晴
起床:五時三十分
就寝:二十一時十分
登校:七時五十分
下校:十六時三十分
 草つみ
起きて見ると空は晴れて金色になって居た。太陽が出て薄霞がかゝって居た。学校に行って始まるまで遊んだ。ラヂヲ体操をした。第一時に修身、二時には読方、読んだ。三時に地理をした。温泉の話。四時体操をした。五時図画、六時武道をした。農業当番をして家へ来た。耕地に草つみに行って一っぱいつんで来た。学校帰りに簾藤先生と行きあった。

五月四日 土曜 晴雨
起床:五時四十分
就寝:二十一時二十分
登校:七時三十分
下校:十二時四十分
 雨が降り出した。
空は昨日と同じ様であった。支度をして学校に行って機械体操をした。朝礼をした。第一時に読方。デンマークの農業の所が終った。二時算術平方根。三時体操で下田先生が教へた。機械体操飛び箱等をした。庭掃除をして家へ来た。むしあつく空は少し曇り始めた。夕方近くなると雨が降り出し夜になると本降りとなった。

五月五日 日曜 雨曇
起床:五時三十分
就寝:二十時四十分
登校:
下校:
 清水港はよかった。
五月五日は農士学校の角力てある。だが起きて見ると合にく雨が降って居た。朝食をしてから少し家の廻りをかたづけてから遊びに行った。金井君の家に行き山下君等と遊んだ。昼を食ってから又金井君の家に行き向徳寺に行った。チクオンキがかゝって居たので聞いた。鈴木照子のも聞いた。清水港は六枚続でとてもよかった。新藤文君の家で植木をもらった。子守り。明日はハイシヤ

五月六日 月曜 晴
起床:四時五十分
就寝:二十時四十分
 登校:六時五十分
下校:十八時三十分
 今日は週番 週番先生の話(花壇をかわいがること。)(はき物をきちんとすること。)
今朝は朝当番なので早く起きて支度をして山下君の家に行った。シャベルを持って行った。当番が終ってから職員室に行き週番の話を聞いて廻って走いた。一時に算術平方根表を作くった。二時に修身をした。三時はきりこぎで一人一本こいで穴に移植した。掃除を見た。日しをつけて先生に見せて、家へ来て子守りをした。

五月七日 火曜 晴
起床:五時三十分
就寝:二十時五十分
登校:七時四十分
下校:十六時六十分
 朝礼がちがった。
 [欄外]算術考査
今日も週番である。支度をした。馬小屋の上にあるねこを見た。学校に行って朝礼のときに話をした。今度の朝礼からサイレンが鳴ル(二カイ続)そして自分の今居る場で玄関の方を向く。行進曲をかけていつもの様にならぶのである。第一時に算術をした。二時読方をした。三時身体げんさの表をけいさんした。体操はひまをもらった。週番なので教室を見廻った。日しをつけて先生に見せて家へ来て子守りをした。

五月八日 水曜 曇
起床:五時二十分
就寝:二十時四十分
登校:六時五十分
下校:十五時三十分
 おしゃか様
支度をして行ぐと皆が出て来た。学校に行って教室を見廻った。サイレンが二かい続いた。朝礼があるのである。台を出した。一時算術をした。先生が問だいを出した。二時地理、地震の所をした。三時、理科比重をした。四時、書方男は事業は終った。日しをつけて先生に見せて明日話を聞いた。家へ来て遊んだ。子守りをした

五月九日 木曜 晴
起床:五時三十分
就寝:二十時五十分
登校:七時二十分
下校:十五時四十分
 週番で言った。
今日は木曜日なので朝礼で週番について言ふのである。学校に行って廻ってあるった。朝礼の時に行った。あせが出た。第一時に読方をした。二時国史をした。三時綴方、四時、農業自習五時実習をした。実習は土はこびである。昼休みに石ひろいをした。明日は観えつ点呼てあるので事業はない。家へ来て水車に行って来た。

五月十日 金曜 晴
起床:四時三十分
就寝:二十時四十分
登校:七時
下校:十三時十分
 点呼けんがく
今日は観閲点呼*のあるため事業は出来ないのである。六年以下は遊びである。学校に行くとじきに始まった。一番始めに話を聞いた。点呼といふものはきびしいものである。昼近くなってから河原に行ってべんとうをたべて遊んだ。河原で分れて家へ来て草刈りに行き魚を突いて家へ来た。
*菅谷小学校校庭で菅谷・七郷・八和田村の簡閲点呼実施。

五月十一日 土曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時四十分
登校:七時三十分
下校:十五時五十分
 週番も、もう終ってしまった。
今日は週番の一番しまいの日である。支度をして学校に行った。途中金井君が追ついた。学校に行って一年生の教室をかたづけた。第一時に読方ペスタロッチ。二時算術考査をした。三時は体操であるが先生の居ないため鬼神神社の剣道見学に行った(*)。昼を食って週番日記をつけて家へ来た。おし切りで草を切った。明日は日曜日、週番も今日で終った。
*参照:「鬼鎮神社で紀元二千六百年奉祝奉納武道大会が開かれる」(『埼玉読売』)

五月十二日 日曜 晴
起床:四時二十分
就寝:二十時五十分
登校:
下校:
 今日は日曜日で草刈りに行った。
今朝は草刈りに行くので早く目をさまして待って居た。そして父と一所に根岸河原へ草刈りに行った。行って来てから時計をかりに行って来た。自転車で遠山の水車に面を持ちに行ったら幾本もなかった。家へ来てホタル入れを作くった。昼からは守と一所に中河原へ草もぎりに行った。魚を幾匹か寄いて*来た。少し子守りをしたがだめだった。
*突いて。

五月十三日 月曜 曇
起床:五時十分
就寝:二十時五十分
登校:七時二十分
下校:十六時二十分
 手工の話
朝起きて見ると空は曇って居て今にも雨の降るやうであった。学校に行きながら家に傘を持ちに来た。朝礼はなかった。機械体操をして居ると雨が降って来た。その時に始まった。第一時修身をした。二時算術をした。三時農業次に理科浮沈をした。四時手工の道具の話をした。農業当番で物置、収農舎の大掃除をして先生にほめられた。家へ来て雨が降って来た

五月十四日 火曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十一時十分
登校:七時三十分
下校:十五時二十分
 週番先生の話(1)(御影にていねいにけいれいする。)(2)(手ぬぐいを持ってくること。)先週のも守ること。
起きて見ると、とても空気がひゑて居た。まきが頭がいたいので自転車に乗せて学校に行った。朝礼をした。週番の先生の話もあた。第一時に算術、小数の平方根をした。二時読方ペスタロッチの所。三時国史ヨーロッパに使に行った所。四時体操、機械体操飛び箱をした。まきを家へ送くって来た。五時唱歌をした。掃除をして家へ来て草もぎりに行った。草切りをした。

五月十五日 水曜 晴
起床:四時四十分
就寝:二十一時二十分
登校:六時五十分
下校:十三時四十分
 神社参拝。草つみ
今年は十五日にも神社参拝をするのである。早く起きて神社に行って掃除をして参拝して学校に行った。朝礼をした。今日から教室に入る行進が変った。一時間目に算術、二時地理をした。三時理科、四時書方、男は四時間でしまった。明日は自習がある。実習があるのでジャベルを持って行くのである。家へ来てからみかいを持って耕地の方に草つみに行って一つぱい取って来た。

五月十六日 木曜 晴
起床:五時
就寝:二十一時三十分
登校:七時二十分
下校:十四時四十分
 籠の運搬
早く起きて馬の湯をわかした。支度をして行った。村田君は、朝当番であった。山下和君の家へも行った。シャベルを持って行った。山下三君の家へも行った。学校に行って機械体操をした。朝礼の時週番で小沢君が話をした。一時読方をした。二時国史、三時綴方上げた。四時農業、五、六時と実習をした。堀の土をさらってはこんだ。家へ来て、大臣の家に籠を持って行った。来てから唐子にも行った。

五月十七日 金曜 曇
起床:四時二十分
就寝:二十一時三十分
登校:六時二十分
下校:十六時三十分
 武道をした。
今朝は朝当番なので早く起きて支度をした。空は雨が降りそうであった。山下昭君の家へ行き、山下和君の家へ行く途中に支度をして出て来た。学校に行くと教室には誰も居なかった。掃除をして自習をした。外に出た。朝礼の時に雨が降って来た。一時修身、国民の誠忠の話をした。二時読方 文字をした。三時地理、四時に体操。図画。六時武道をした。先生とした。家へ来て木をけづった。

五月十八日 土曜 曇
起床:五時十分
就寝:二十一時十分
登校:七時三十分
下校:十三時四十分
 堆肥出し
起きて見ると世間一面に霧がまいて居た。支度をして学校に行った。自習は始って居なかった。外に出て機械体操をした。自習の鐘がなり第五課を書取りした。朝礼をした。国民第一体操をした。一時読方 象形文字は面白い。二時 算術 P11をした。三時体操。国民体操をした。機械体操。農業当番をして家へ来て父と田へ堆肥を出した。

五月十九日 日曜 晴
起床:四時十分
就寝:二十一時五十分
登校:
下校:
 すだれあみ。
早く起きて籠をしょって父と河原へ草刈りに行った。そして一籠刈って家へ来た。朝めしを食ってから車に籠をつけて川に行って洗った。二度。この目の木も洗った。一度。午後、父と田へ行って堆肥ちらかしを三時間位して家へ来て魚突きに行ってなまづを突いた。家へ来て竹のすだれあみをした。面白かった。

五月二十日 月曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十一時四十分
登校:七時二十分
下校:十六時三十分
 桑の葉もみ*
今日は手工があるのである。馬の湯をわかして大工の家へ行ってかんなを持って来た。板ももらった。学校に行って外に出て機械体操をした。自習が始まって算術をした。一時修身話をした。二時算術P11。三時農業、四時、理科、融解熱をした。五時は手工である。四時の休みに庭に並んで桑の皮むきの話、手工で板をけづった。家へ来て、桑の葉をもいだ。たくさんもいだ。
*桑の葉もぎ。

五月二十一日 火曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十一時四十分
登校:七時十分
下校:十六時二十分
 正常歩があった。
今朝は少しおそく起きた。そして蚕に桑をくれた。支度ををしたが皆が呼ばはりに来た。学校に行って自習をした。明日読方のけうぎ会がある。一時算術、P13
 二時読方 明日の自習をした。読んだ。三時、全体が先生にしかられた。四時体操、合同訓練があった。五時、唱歌千里の春。家へきてこくそ出し。

五月二十二日 水曜 晴
起床:五時
就寝:二十一時三十分
登校:七時二十分
下校:十四時四十分
 ろうどく会
 [欄外]発信一〇〇〇米係へ
起きてめしをにる火むしをした。そして支度をして山下君の家へ行った。向ふの道に行くと金井君が居た。一所に行った。機械体操をした。朝礼で今日御下しになった勅語を奉読した。一時読本のろう読会で読んだ。二時算術十四頁をした。三時、書取。四時書方をして家へ来た。そして屋根屋が来て居た。かたづけなどした。

五月二十三日 木曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時四十分
登校:七時三十分
下校:十六時二十分
 実習をした。桑もぎ
 [欄外]受信 斉藤三郎
朝起きて朝めしをにて、すぐ籠をしょって草刈りに行った。そして一籠刈って来た。支度をして居ると山下君が来た。シャベルを持って学校に行った。朝礼をした。一時読方鳥の声。二時国史、三時綴方のわけだが書取り、四時農業、五時、農業実習をした。土はこびをした。六時、土運搬をした。家へ来て桑もぎをして全部もいだ。斉藤君が二十五日来る。

五月二十四日 金曜 晴雨
起床:五時十分
就寝:二十一時四十分
登校:七時二十分
下校:十八時
 農業当番
朝起きて蚕に桑をくれた。それから支度をして山下君の家行った。皆と一しょに行かなかった。すぐに追ひついた。朝礼をした。体操はしない。一時 目、口等のけんさをした。二時 修身をした。三時 読方 鳥の声。四時、地理、いろいろの作用。五時図画。先生にほめられた。六時 武道をした。農業当番、体育デーのせん手をきめた。桑くれ

五月二十五日 土曜 雨
起床:五時十分
就寝:二十一時三十分
登校:七時二十分
下校:十四時十分
 体操のうなぎの皮はぎは面白い。
朝早く起きて朝めしをにた。今日から幾分か早く始まるので支度して山下君の家へ行った。河原まで行くと金井君が追ついた。一時読方思出をした。二時算術P14。三時下田先生より体操を。掃除をした。二十分で出来た。教室で週番。掃除等の組合、週番は一組で組長。掃除□*して家へ来て貯金をさげた。玉川に使に行った。桑の皮むき。体操でうなぎの皮はぎをした。
*等か。

五月二十六日 日曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十一時四十分
登校:
下校:
 手伝ひ
 [欄外]玉蜀黍播種。三十九づつ
今日は日曜日てある。草刈りに行かないで蚕に桑をくれた。朝食後、父と馬の肥取りをした。終ってから畠の作入れてさゝぎ、をまいた。午後昼休みに斉藤の家へ行ったら来て居た。玉蜀黍も播種。木綿。ごま。人参。等を播種した。その土かけをした。桑しばりをした。明日は体育デーであるし週番てもある。ヅボン。シャツを買ふ。八円三〇銭

五月二十七日 月曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十一時五十分
登校:七時
下校:十三時二十分
海軍記念日
 体を丈夫に何事も成とげるやうにする体育デー
今日は体を丈夫にする体育デーてあるし週番でもある。早く支度をして金井君の家へ行った。学校に行って体育デーのいろいろの準備をした。二百米で四等であった。二年の旗取りの旗さしをした。隆次は一等であた。井戸のかんとくをした。南組は三等である。週番日誌をつけて家へ来て桑切りの手伝いをした。

五月二十八日 火曜 晴
起床:五時
就寝:二十一時三十分
登校:七時十分
下校:十五時二十分
 週番で机はこび
今日も週番である。赤いたすきを右かたにかけて学校に向った。鯨井君等と同行した。週番の者と一所に服部先生*の所へ行った。週番先生の話、掃除を早く正しくすること。ほう科後遊て居ないて早く家へかえること。一時、算術方程式をした。二読方噴油の所、三国史 江戸幕府、四時体操石拾ひ。三年の教室の掃除。日しをつけて先生に見てもらい机はこびをした。家へきて皮むき
*服部利二。1940年(昭和15)3月~1943年(昭和18)3月

五月二十九日 水曜 晴
起床:五時
就寝:二十一時十分
登校:六時四十分
下校:十六時五十分
 頭がいたい。
今朝は朝当番なので早く起き支度をして学校に行った。水を汲んでふいた。野村。山下昭君はおそかった。一時算術十五頁。二時地理山脈。三時理科。四時書方をした。午後から東京の日の丸えうち園から来た先生の話。週番の仕事をしてから家へ来た。頭がいたかったので寝てしまった。

五月三十日 木曜
起床:
就寝:
登校:
下校:
病気

五月三十一日 金曜 
起床:
就寝:
登校:
下校:
病気


冨岡寅吉日記 昭和15年(1940)6月 菅谷村(現・嵐山町)大蔵

2009年10月25日 | 冨岡寅吉日記

六月一日 土曜 曇
起床:五時二十分
就寝:二十一時四十分
登校:七時二十分
下校:十三時四十分
 居場がかはった。
今日は神社参拝てあるが掃除を少しして参拝して家へ来た。支度をして学校に行った。早かった。居場が皮って忍田君と並んだ。一時読方農村視察。二時算術P15
 三時体操。いろいろをして掃除をして家へ来た。午後少し休んでからぶらぶらして居た。桑の皮むき。麦を推切り*で切った。
*押切。

六月二日 日曜 雨曇
起床:五時
就寝:二十二時十分
登校:
下校:
 水車を作くった。
今日は日曜日てある。早く起きて蚕に桑を呉れた。朝食をしてから雨が降って居たので家に居た。そして竹細工の水車を作くった。ためして見ると良く廻った。昼にならぬ中に雨は止んだ。家の者と畠に桑切りに行って車を引いて来た。さつまうゑ、桑の皮むき、をした。

六月三日 月曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十二時二十分
登校:七時十分
下校:十三時二十分
 幼稚園について通知書くばり
支度をすると山下二、村田政二君が来た。皆は行った。山下昭君を待った。今日は灰を持って行くのである。支度をして来た。普通の通りに行くと山下和君が等が来た。学校に行き、機械体操をした。朝礼で週番の話を聞いた。一時修身、孝の所。二時算術P16。三時農業実習、小豆播きをした。家へ来て蚕の事。幼稚園かあるので紙くばり*。うら取りの整理。
*六月十二日まで十日間大蔵向徳寺で農繁期保育所開設。

六月四日 火曜 曇
起床:四時五十分
就寝:二十二時二十分
登校:七時十分
下校:十五時四十分
 今日も幼稚園の事について支事をした。
 [欄外]受信 山岸良之助
早く起きて蚕に桑をくれた。支度は何時もよりずっと早く出来た。守平と二郎君は朝当番であった。学校に行くと次(じき)に自習が始まった。朝礼の時長島先生*の話を聞いた。戦時の事。一時、算術P16。二時読方農村視察、三時国史。四時体操。石拾ひ、鉄棒をした。午后、平沢から出征する西義雄さんを見送った。幼稚園に使ふ道具をお寺に持って来た。桑くれ。皮むきをした。
*長島統司。1940年(昭和15)3月~1942年(昭和17)3月勤務。

六月五日 水曜 晴雨
起床:五時十分
就寝:二十二時二十分
登校:
下校:
 桑切り 子守り
早く起きて庭をきれいにした。終ってから蚕に桑をくれた。朝食してから父と川へ木ノ目竹を洗に行った。桑の皮を大さんむいた。昼前に田(苗代)に行って水をかけぶんづうを取って来た。午后畠に桑切りに行き一回、二回目の終頃雨が降って来た。良い雨だった。止んでからみやをおぶって幼稚園*に行って遊んで来た。夕方まで居たがなかなかった。
*「◇七郷村では小学校外七ケ所に五日より一週日農繁託児所を開設、菅谷村では向徳寺、玉川村では小学校で開いた」の記事がある(『東京日日新聞』埼玉版六月六日付)。

六月六日 木曜 晴
起床:五時
就寝:二十二時十分
登校:
下校:
 麦刈り。松山に使に行く。
朝起きて草刈りに行かうと思ったか行かないで蚕に桑を呉れた。朝食してから松山に行きながら下田先生と一所に行った。砂唐*はなく、にしん、こうなごを買って来た。桑切りの手伝いをした。麦刈りをした。午后麦刈りに行き、いくらか刈って来た。子守りをしながらお寺の幼稚園に行った。夕方まで子守って家へ来た。
*砂糖。

六月七日 金曜 曇
起床:五時
就寝:二十二時二十分
登校:
下校:
 砂唐買に行った。夕立で雨が降った。
蚕に桑を呉れるので早く起き、庭の台より呉れた。十幾束が呉れた。朝食してから松山に砂糖買に行って津乃国と野村屋で買って来た。又桑を呉れた。父、祖父はよその家へ蚕上げに行った。昼食をして桑の皮をむいた。桑を呉れた。休だりした。みやをおぶってお寺に行った。杉山先生が来た。鬼虫を取った。夕方夕立が出て雨が少し降った。

六月八日 土曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十二時二十分
登校:
下校:
 菅谷に使に行った。
今朝も早く起きて蚕に桑を呉れた。しきり*が幾匹が見える。桑をこしらへる手伝いをした。此の頃はとても忙しいのである。度々桑を呉れた。桑の皮むきをした。父は横町の家へ蚕の手伝に行った。昼を食ってからも桑をくれる前に田に行って来た。昼前も行った。夕方桑を多くこしらへた。桑くれをした。
*ひきり。熟蚕。

六月九日 日曜 霧雨
起床:四時五十分
就寝:二十二時十分
登校:
下校:
 蚕拾ひ、蚕拾ひ
今日は蚕上げである。早く起きて蚕に桑を呉れた。少し立つと菅谷の人が二人(一人は子供)来た。大蔵て六人来て呉れた。自分は菅谷に使に行った。砂唐?菓子を買って来た。蚕拾ひ。まぶし作りの相手をした。来た人(冨岡喜作 〃七之助 〃□ 斉藤とら 〃かね 冨澤はる 浜野よし。昼をたべてからも拾った。昼から一人へった。夕方になると全部拾ひ切った。夕立も出た。

六月十日 月曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十二時
登校:
下校:
 夕方ホタル取り [欄外]受信 富岡二三郎
蚕が上ってしまったのでせいせいした。起きると新聞はもう来て居た。朝食してから苗代に水引きに行って一つぱいにかけた。草も刈った。家へ来て麦刈りなのでおばあさんと前の畠へ行った。暑かった。午后ふ呂に水をかいこんで又今度は祖父母と三人で前々畠に行った。休んでから皆刈り終した。子守りをしてお寺お方へ遊びに行った。ホタル取りに行った。

六月十一日 火曜 晴
起床:五時
就寝:二十二時二十分
登校:七時二十分
下校:十三時十分
 麦刈り。
もう蚕休みも終って今日から学校に行くのである。早く起きて支度をして皆の家へ行った。金井君等はオルガンを持って居った。機械体操をした。自習が始まり読方をした。朝礼で週番の先生の話があった。一時算術P18
 二時読方、蛙、三時国史。掃除をして家へ来て祖父母父四人と田へ麦刈りに行き皆刈り前畠の麦を皆家へ持って来た。今日は風が吹いたので涼しかった。

六月十二日 水曜 晴
起床:五時
就寝:二十一時四十分
登校:七時
下校:十二時五十分
 脱こく機で麦扱(むぎこ)き
家が未だ忙しいので今日も半日である。支度をして学校に向かった。行くと早かった。機械体操をして居ると自習が始まって先生が算術二次方程式を二題出して解いた。一時算術P18二次方程式。二時地理、湖沼、三時理科、大気。湿度。掃除をして家へ来た。明日麦刈で鎌を持参する。家の麦扱きなので伝次郎さんが来て呉れた。四時間と幾分かて扱き終った。

六月十三日 木曜 晴
起床:五時
就寝:二十二時二十分
登校:七時
下校:十七時四十分
 学校の麦刈り
今日は学校の麦刈りてある。鎌と一そう*を持って学校に行った。機械体操をした。自習で読方をした。週番の話はなかった。一時なし
 麦刈りなのである。一、二、三組麦刈り 四、五組。脱穀 農業当番なので機械借りに行った。午后も続けてした。四、五、六。だけのこって後の整理をした。家へ来て大麦を唐箕であをった。六表**あった。
*いっそ。稲藁の穂の先を少しよって結び、物を束ねるのに使用するもの。縄の代わりとする。
**俵。

六月十四日 金曜 晴
起床:四時三十分
就寝:二十二時十分
登校:六時二十分
下校:十六時二十分
 出征兵士送り
今日は朝当番である。早く起きて支度して行った。鎌形の出征兵士*が出るので見送るのてある。七時二十三分の電車で出発した。杉山先生は居なかった。一時、校長先生が来て色々の話をした。二時又来て先の続き読方の練習。三時算術先生の問題。四時書方四頁。五時図画をした。家へ来て繭かきをした。十貫目かき麦を表に入れた。七表。
*鎌形中島正一近衛歩兵第三聯隊応召。

六月十五日 土曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十二時二十分
登校:七時二十分
下校:十六時三十分
 繭を売った。十一円三〇銭也
甘庶の苗を持って行くのではぎって二十五本切て持って行った。新聞を見るとパリ市に独軍が入城した。学校に行き機械体操をした。自習をした。二時先生が小松原小学校に行った話をした。感心した事が多い。一時菅谷神社に参拝した。(皇軍将士祈がん、雨の降るやうに*)三時書取り 家へ来て繭かき、今日三十四貫
*雨乞い。

六月十六日 日曜 曇
起床:六時十分
就寝:二十二時
登校:
下校:
 繭を荷出しした。四六・八二〇匁。
日曜日なので起きるのがおそかった。新聞の懸賞はわからない。繭かきなので支度をしてのこって居たのを全部かいた。午後、籠が来たがどうが見に行った。昼をたべて車を引いて行き自動車の来るのをまち持って来た。繭貫数。麦が六表(十五表四十六貫八百二〇匁。だけを引間さん*に売った。
*小川の繭買商人。

六月十七日 月曜 雨
起床:五時二十分
就寝:二十一時四十分
登校:七時二十分
下校:十四時三十分
 雨が降った
突然眠りがさめた。外ではざあざあと雨の降る音が聞えた。僕達が菅谷神社に願ったからであらう。起きてから支度をして山下君の家へ行った。学校へは出しで行った。あまり早くなかった。自習時間は良くしなかった。一時、修身、孝。二時算術、二〇頁、三時理科、湿度、気圧、四時理科、男子は授業は終って家へ来た。雨が降って居たので家に居た。とても良い雨である

六月十八日 火曜 晴
起床:五時
就寝:二十一時五十分
登校:七時二十分
下校:十八時三十分
 使に行った。
起きると川の流れる音が轟々と聞えた。朝飯を煮た。機械体操をした。昨日の雨もすっかり止んでさっぱりとした気持ちであった。校長先生、週番の話かあった。一時、算術、黒板に出て書いた。二時、読方、蛙。三時、国史島原の乱と鎖国。四時、小沢*と二人で河原で砂はこび。(全員)五時、唱歌、山をした。農業当番であった。遠山水車に使に吉野君と一しょに行った。
*小澤長助。同級生。

六月十九日 水曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十一時五十分
登校:七時二十分
下校:十四時二十分
 麦こき
起きてひまがあったので草花の移植をした。支度をして山下君の家へ行った。(橋に無駄書きがあった。)沼*まで行くと金井君が来た。朝礼で明日の害虫駆除の話。一時、算術(二次方程式一般的解方)二時地理平野、三時理科天気、四時秩父の宮様の詔書をお悟しになったのをラヂヲで聞いた。(十一時三十七分)。授業は終って家へ来て麦はこびをして麦こきをした。面白かった。
*談:農士学校の沼。

六月二十日 木曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十一時四十分
登校:
下校:
 害虫駆除(七百九十一匹)
今日は稲につく害虫駆除である。棒や入物を持って橋の方へ行った。時間があったので川で魚を取った。並んで居ると服部先生が来た。乾そう場の所からして行った。たんぼで昼食した。取始めて耕地は全部取り切り河原で数を調べて先生に言った。果子*を分けた。害虫の数、七百九十一匹。家へ来て唐箕あほり、ねぎ植ゑをした。夕立がした。
*菓子。

六月二十一日 金曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十一時五十分
登校:七時三十分
下校:十六時二十分
 明日はきんろう奉仕
学校に行くと昨日の害虫駆除の話などが出た。朝礼で週番の話かあった。一時先生は居ないで読方 二時、続き。三時唱歌室で村長さんより勤労奉仕の話。四時先生の話
 すぐ家へ来て兵隊の家を調べた。昼を喰って自転車で学校に行き、話を聞いて家へ来た。畠の麦を刈り取り、田へ行って半分位刈りこんだ。

六月二十二日 土曜 晴
起床:四時五十分
就寝:二十一時二十分
登校:
下校:
 勤労奉仕
今日は勤労奉仕*であるので早く起きて支度をして鎌を持って行くと宮島先生**はもう来て居た。二組の者は金井好吉さんの家へ行った。多勢なので刈るのもはかどった。終してから金井栄さんの家へ行った。麦は多かった。終ってから川へ行き家へ来て家の麦刈りをした。夕方早く田は皆刈り切った。
*参照:「菅谷小学校5年生以上の児童で麦刈りの勤労奉仕
**宮島孝正。1939年(昭和14)3月~1941年(昭和16)3月勤務。

六月二十三日 日曜 晴
起床:五時
就寝:二十一時五十分
登校:
下校:
 麦こき。
日曜日である。麦こきなので朝食をして機械で父とこき始めた。ちょくちょく休んだ。麦こきを続けた。昼食してから又始めた。物置のは皆こき切った。明日、甘薯の苗を持って行くのである。

六月二十四日 月曜 曇
起床:五時
就寝:二十一時四十分
登校:七時二十分
下校:十七時五十分
 りん時実習
 [欄外]受信 富岡健治
起きてすぐ大沢さんの家へ使に行った。支度をして手工道具を持って行った。機械体操をした。自習もした。朝礼、週番の話(身体ヲ清潔ニスル。食事の作法)があった。一時修身、孝行。二時算術、P23、三時農業工芸作物。四時、理科、天気。五時、農業実習種播きをした。そして家へ来て車に使に行って麺を持って来て分配した。

六月二十五日 火曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十一時五十分
登校:七時三十分
下校:十六時二十分
 中尉殿が来て話をした
 [欄外]発信 富岡健治
起きると空は曇って居た。新聞の天気予報を見ると朝の中晴れて後曇であった。だがその反対になるらしい。学校に行き算術をした。自習の時もした。朝礼でラヂオ体操第二をした。一時算術P23二時読方十一課をぬかした。国史島原の乱と鎖国四時体操、五時小川町の帰かん軍人吉田中尉殿より話を聞いた。家へ来て唐箕に麦を居入れた。二回した。六表。

六月二十六日 水曜 雨
起床:五時二十分
就寝:二十一時五十分
登校:七時二十分
下校:十四時十分
 書方「興亜の日本輝く健康」を書く
今日も昨日の様に曇って居た。鎌を持て行った。自習算術P23をした。一時算術P23二時書方。「興亜の日本輝く健康」を書いた。先生は居ない。三時地理、四時理科で地球儀を使った。授業は終って家へ来た。雨が降り出した。家へ来て甘藷植ゑをした。明日天気だら害虫駆除である。

六月二十七日 木曜 雨
起床:五時五十分
就寝:二十一時三十分
登校:六時五十分
下校:十八時三十分
 はな取りをした
今日は朝当番であるが忘れて居て起きるのがおそかった。いそいで支度をして行くと未だ誰も来て居なかった。窓をあけたりはいたりふいたりした。一時読方租税、二時国史。学問・交通の発達、三時読方、続き、四時農業蔬菜園の縮図を書いた二百分の一。五時続きをした。農業当番して家へ来て田に行き鼻取りをした。馬は良く働いた

六月二十八日 金曜 曇
起床:五時二十分
就寝:二十一時三十分
登校:
下校:
 害虫駆除*(四百三十二匹)
起きると空は曇って居た。害虫駆除はどうであろう。漸次に空も晴れて来たが日は見えない。河原に行って居ると幾人か居た。先生はようゐに来なかった。魚を取った。先生が来てから取り始めた。二百四十三匹取った。帰って来てから昼を喰って田に行き鼻取りをした。馬は良くした。
*参照:「菅谷小学校3年生以上の児童で苗代害虫駆除の勤労奉仕

六月二十九日 土曜 曇
起床:五時二十分
就寝:二十一時四十分
登校:七時二十分
下校:十三時十分
 田耕し
雨が降って居た。あまり大雨でなかった。傘をさしてはだして行った。雨も薄らいで止んだ。自習算術をした。一時読方阿トヂカ部をした二時算術二次方程式をした。三時書方「興亜の日本輝く健康」を書いた。家へ来て馬に乗って田に行き、鼻取りやおんがー取りをした。そして一反ばかりうなった。

「◇七郷村広野外十八農事実行組合では廿九日から一週間各組合毎に四十戸一組で共同作業、共同炊事を開始好成績」(『埼玉読売』六月三十日)

六月三十日 日曜 曇
起床:四時二十分
就寝:二十一時二十分
登校:
下校:
 草刈り
祖父が起きたのですぐ起きた。そして籠を背負って河原へ行って一籠刈って来た。魚を拾って来た。朝食して鎌形の水車に行った。前々畠のけづりこみほっかえしをした。午後魚取りに行って見た。庭や家の廻りの草むしりをした。きれいになった。明日から農業休業


冨岡寅吉日記 昭和15年(1940)7月 菅谷村(現・嵐山町)大蔵

2009年10月24日 | 冨岡寅吉日記

七月一日 月曜 晴
起床:四時十分
就寝:二十一時二十分
登校:
下校:
 使に行った。
早く起きて草刈りに行った。神社参拝をしなかった。朝食してから祖父、父、三人と前の畠へ甘藷のよそりかけに行った。かっぱぬきを少しすると昼となった。午後もかっぱ抜きをした。皆、抜き切り、西原へ行くのであるが自転車で水車へ麺を持ちに行き、二十本持って来た。唐箕の麦入れ馬小屋に麦軒*を入れた。明日菅谷の家に行く
*麦から。

七月十日間まで大蔵向徳寺で農繁保育所開設。

七月二日 火曜 晴
起床:四時二十分
就寝:二十時二十分
登校:
下校:
 田かき
早く起きの馬の湯を湧かした*。今日は菅谷の屋根屋の家へ田かきに行くのである。まんがや馬料**を持って自転車で行った。昼前で終った。家へ来てほつこえしをして頭がいたくなった。
*沸かした。馬の餌を作るため。
**馬糧。

七月三日 水曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十一時二十分
登校:
下校:
 手伝ひ
頭はあまり痛くない。だが起きるのはおそかった。松山に使に行った。砂糖は買えない。昼前少しした。午後もほつかえしをした。休みをした。夕方早くしまい馬屋に麦棹を切りこんだ。

七月四日 木曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時二十分
登校:
下校:
 肥呉れの手伝ひ
起きて庭掃除した。桑に肥を呉れた。午後家に居た。田に水を引いた。田かきをした。

七月五日 金曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十一時二十分
登校:
下校:
 田植休みも今日かぎり
六月一日だ。今日はまんじゅうである。田かきなので早く支度をして田に行った。父が鼻取りをした。後で僕もした。昼前に苗開きをした*。午後も行った。又鼻取りをした。夕方菅谷に使いに行った。
*苗代の苗を取り始める。

七月六日 土曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時三十分
登校:七時二十分
下校:十三時十分
 田植ゑ
今日は田植ゑである。それから田植ゑ休みも終って学校に行くのである。朝礼をした。明日は日支事変が始まり三周年紀念日である。一時読方阿閉掃部、二時算術P23三時大掃除をした。家へ来てから田植ゑ菅谷から来てくれた。四人。かりた田は植ゑ切りになった。

七月七日 日曜 晴
起床:四時二十分
就寝:二十一時十分
登校:
下校:
 事変三周年紀念
日曜日なのでおぢいさんと河原へ草刈りに行った。早く刈れて家へ来た。支那事変三周年紀念日で国旗を立てた。朝食してからおぢいさんと田植ゑに行った。家へ来て麻の葉もぎをした。昼食して昼休みをした。田に見に行った。明日は学校。

七月八日 月曜 雨
起床:五時二十分
就寝:二十一時三十分
登校:七時十分
下校:十四時四十分
 良い雨が降った。
菅谷の家へ使に行くので早く出かけた。学校に行くと未だ早かった。自習をした。朝礼をして週番の話があった。一時修身兄弟姉妹 二時算術P23 三時農業実習小豆の草むしり。四時なし、実習がおそく終り、掃除をして家へ来た。田に行って苗取りをした。雨も沛然として降って来た。そして驟雨となった。良い雨である。

七月九日 火曜 雨
起床:五時十分
就寝:二十一時三十分
登校:七時二十分
下校:十七時十分
 体操練習
今朝は起きるのが早かった。今日も田植ゑである。学校に行って考査があるので調べた。朝礼があった。先生は用事が出来て居なかった。一時算術。先生が居た。二時朗読会で読んだ。三時読方の復習。四時作業草むしり。大宮へ体操に行くので内田先生*より体操をおすはった。十一日に行くのである。
*内田實。1938年(昭和13)3月~1941年(昭和16)3月勤務。

七月十日 水曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十一時二十分
登校:七時
下校:十四時三十分
 桑の皮
今日は桑の皮を持って居くのである。八貫二百匁あった。大工の家四貫九九〇匁本家のリヤカーではこんだ。一時自習 二時自習。三時算術P24。四時理科蒸気機関をして土はこびをした。家へ来て自転車で行って体操練習。明日大宮へ行く。

七月十一日 木曜 曇
起床:四時二十分
就寝:二十時二十分
登校:六時二十分
下校:十九時二十分
 大宮に体育大会*に行った。
今日は大宮の氷川神社へ体操しに行くのである。早く起きて支度をして停車場に行き七時二十三分になるのを待った。電車で川越に行き、自動車で大宮に行って神社に参拝した。新しく出来た体育場で国民体操をした。(第二州団**四列二十八)。帰りも電車で内田先生と一しょ来た。世話になった。二十日に行くのである。六時二十三分
*県民体育大会の小学校児童による演技種目・大日本国民体操の予行演習。
**集団。

七月十二日 金曜 曇
起床:六時二十分
就寝:二十時五十分
登校:七時二十分
下校:十五時二十分
 土運び
昨日のつかれで今朝は起きるのが遅かった。雨が少し降ったので傘を持って行った。自習は修身をしらべた。一時修身考査をした。二時読方阿閉掃部、三時地理、地球儀を使用した。四時体操 五時図画。武道はしないではこんだ土をよく積みなほした。明日は体育デーである。一時 二時 三時 四時まで位はする。水泳もあるらしい

七月十三日 土曜 曇雨
起床:五時三十分
就寝:二十一時二十分
登校:七時十分
下校:十二時三十分
 体育デー
今日は体育デーである。それから算術の考査もある。自習の時算術をしらべた。一時算術の考査をしなかった。分数二次方程式をした。二時ラヂオ体操の第一と第二国民体操をした。三、四時と川に行き水泳練習をした。家へ来て庭の廻りをきれいにした。水車に押麦を取りに行って来た。

七月十四日 日曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十二時二十分
登校:
下校:
 天王様
今日から天王様てある。御借屋を作くるので大工の家からたのみに来た。貝が鳴って行った。安養寺から材料をはこんだ。又木も立てた。昼までして家へ来た。午後水車に行ったが麺はなかった。砂糖を三斤かって来た(七十八銭)。花作くりに行った。今日と明日は天皇様である。

七月十五日 月曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時二十分
登校:六時二十分
下校:十五時十分
 天王様
昨日の晩は夜更かししたので朝起きるのが遅かった。自習前に考査があるので早く行ったがしなかった。今日から週番である。朝礼をした。神社参拝。一時自習をした二時算術考査三時、修身。四時農業、五時理科をした。家へ来て天王様なので遊んだ。天王様をかついだ。明日は農休み

七月十六日 火曜 晴
起床:六時十分
就寝:二十一時十分
登校:六時四十分
下校:十五時四十分
 農休み [欄外][落書・体操の図]
今朝は朝当番なので早く支度をして山下君の家へ行った。学校に行くともう幾人か来て居た。掃除をした。自習の時に国史をしらべた。一時、国史考査二時、読方三時算術P26四時満州義勇軍の話。五時唱歌をした 山ののこり。家へ来た。休農みなので遊んだ。氷水をのんだ。川に行って水泳をした。

七月十七日 水曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十一時三十分
登校:六時十分
下校:十二時五十分
 使に行った
今日から自習をしないで自習の始まる時間に一時間目が始まるのである。週番なので教室を廻って歩いた。一時理科の考査をした。二時算術をした。P26三時地理考査に出る所を教へた。四時書方「天地正大大気粹つ*」をした。週番日誌をつけて家へ来た。遠山に面を持ちに行って来た。
*藤田東湖が1845年(弘化2)11月、南宋の忠臣文天祥の「正気の歌」に和して作った「正気歌」。「天地正大ノ気。粋然トシテ神州に鐘(あつま)ル。………」

七月十八日 木曜 晴
起床:五時三十分
就寝:二十時二十分
登校:六時十分
下校:十四時
 松山に行った
今日は松山に行くのである。一時地理考査。二時読方。三時国史。四時農業考査。家へ来て支度をして松山に行って体操をした。

七月十九日 金曜 晴
起床:六時十分
就寝:二十時三十分
登校:六時二十分
下校:十五時四十分
 今日ヨリ防空演習である。
今日は防空演習である。手ぬぐいを忘れたので家へ持ちに来た。週番なので廻ってあるいた。一時修身夫婦、二時鐘が鳴って外に出て神社に避難した。自分はひなんはんである。二回した。終ってから松山に行く話をした。掃除をして慰問文を書いた。先生に上げた。内田先生から切っぷをもらった。)十八日ヨリ二十七日マデ防空演習。家へ来て明日の準備をした。

七月二十日 土曜 晴
起床:四時二十分
就寝:二十時二十分
登校:
下校:
 大宮氷川神社に行った。
今日は大宮の氷川神社に体操をしに行く*ので早く起きて支度をして菅谷駅に向った。行って見ると五時何分かであった。川越に行き自動車で行ったが途中でこしょうが出来た。外の自動車で行った。すぐに始り新しく出来た体育場に入り体操した。自転車競争を見た。これはよかった。棒高飛三米六〇を見た。けいそうを見た。参加章をもらった。
*7月20日、21日は県営運動場竣成記念・氷川神社遷座祭奉祝・紀元二千六百年記念県民体育大会が県営大宮公園総合運動場で開催された。

七月二十一日 日曜 晴
起床:八時十分
就寝:二十一時二十分
登校:
下校:
 今日はうしの日
今日は日曜日てある。朝食してから菅谷に使に行って来た。それから川に行き魚を釣った(四十数匹)である。天ぷらをして食った。午後昼寝をして起きた。夕方草刈りに行って来た。

七月二十二日 月曜 晴
起床:六時十分
就寝:二十時三十分
登校:六時二十分
下校:十四時二十分
 防空演習のならい。
早く行って皆の銭集めをした。一時読方。書取り。二時算術、先生の問題。三時農業、下田先生。四時図画。五時唱歌 宮島先生。土運びをして家へ来た。頭が痛かった
国鉄川越線、大宮・高麗川間が開通する。

七月二十三日 火曜 晴
起床:五時三十分
就寝:二十一時十分
登校:六時四十分
下校:十六時五十分
 本郷先生*の話
今日は頭もあまりいたくなかった。学校に行って銭を集めた。一時、算術。二時読方漢字練習。三時書方。四時図画。五時本郷先生の話。面白かった。家へ来て使に行った。その時に火事あった**。
*本郷春治。1940年(昭和15)3月~1947年(昭和22)年3月勤務。談:図画を教わった。
**午後4時半頃鎌形で出火し3戸11棟が全焼した。

防空演習開始。

七月二十四日 水曜 晴
起床:五時三十分
就寝:二十一時十分
登校:六時十分
下校:十四時三十分
 防空演習
早く支度が出来て学校に行った。そして宮島先生、本郷先生の指導に従って半頭棒の所に櫓を立てた。一時自習。四時が始まり鐘が鳴った。外に出て神社に行った。僕は伝令の役である。防空演習を後して家へ来て子守りをした。

小川小学校で七郷村壮丁徴兵検査実施。

七月二十五日 木曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時二十分
登校:六時十分
下校:十二時五分
 防空演習
今日は防空演習である。黄色のはちまきに腕章をつけて学校に行った。農業実習で麦の風飛ばしをした。防空演習て伝令に行った。団長さんから実行することを言った。家へ来て家庭防空班のやるのを見た。学校へ行くのは明日だけ

七月二十六日 金曜 晴
起床:五時三十分
就寝:二十一時三十分
登校:六時二十分
下校:十一時三十分
 今日も防空演習
今日は終業式である。ふろしきを持って学校に行った。朝礼があって校長先生の話を聞いた。教室に入って宮島先生の来るのを待った。教育手帳をかえした。家へ来て子守りをした。

松山第一小学校で菅谷村壮丁徴兵検査実施。

七月二十七日 土曜 晴□
起床:五時十分
就寝:二十一時十分
登校:
下校:
 夏期たんれん中
今日から夏期たんれんである。起きて朝はんをにた。図画をかいた。昼前川に行った。午後、家に居て子守りをした。暑中見舞を出した。受信斉藤三郎。発信。斉藤三郎。山下三三男。久保龍雄様

七月二十八日 日曜 曇
起床:五時十分
就寝:二十一時十分
登校:六時十分
下校:六時五十分
 夏期鍛錬中 作切り。田の草取り。
今日は早く支度をして学校に行った。今日は召集日でなかった。家へ来て畠に行って作切りをした。午後終ってから田に行って田の草取りをした。夕方までして家へ来た。山下三三男様から暑中見舞が来て居た。

七月二十九日 月曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十一時一分
登校:六時二十分
下校:十一時二十分
 夏期鍛錬中(召集日)
今日は召集日なので早く起きて支度をした。自転車で学校に向かった。下田先生に植民の歌を教はった。杉山先生が来て内原訓練所の話をしてくれた。学校手帳を上げた。午後田の草取りに行った

七月三十日 火曜 晴
起床:四時二十分
就寝:
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(田の草取り。水車に使に行った。)
 [欄外]学校の蚕発生す
今日は草刈りに行った。朝食をして祖父。父。と三人で田の草取りに行った。家へ来て昼をたべて昼休みをした。(学校の蚕が発生した)。午後。富岡準三郎。父子。金井八郎。山下昭二兄弟と五人で水車に小麦五表持ち運んだ。夕方までかゝって家へ来た。雨の降る模様はない。

七月三十一日 水曜 晴
起床:四時十分
就寝:二十一時
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(茄子の害虫駆除)
今朝は祖父さんと二人で菅谷の山の方へ行った。家へ来て朝食して兄弟と共に前畠の茄子の害虫駆除をした。合計六百一匹であった。午後は家に居て書方を書いた。夕方父と馬小屋の肥出しをした。発信山岸良之助様。慰問


冨岡寅吉日記 昭和15年(1940)8月 菅谷村(現・嵐山町)大蔵

2009年10月23日 | 冨岡寅吉日記

八月一日 木曜 曇晴
起床:四時二十分
就寝:二十一時
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(勤労奉仕 畠の草むしり)
今日は神社参拝であり興亜奉公日でもあり勤労奉仕である。早く支度して神社に行き先生の来るのを待った。大蔵の生徒は富岡吉造様の家へ草むしりに行ってたくさんむしった。十一時に河原で分れるので畠から植民の歌を歌いながら行った。午後昼食して川に魚突きに行った。受信簾藤惣次郎様

八月二日 金曜 曇
起床:四時三十分
就寝:二十時五十分
登校:六時
下校:十二時二十分
 夏期鍛錬中(林間図書館)
今日は林間図書館である。支度をして金井君の家へ行った。学校に行って幾時間も間があったので遊んだ。庭に並んで菅谷神社に行き参拝してから本を見た。為になる本があったがむづかしいのもあった。始まる前に唱歌をした。乳幼児の診だんである。家へ来て川に魚釣りに行って来た。

八月三日 土曜 雨
起床:五時十分
就寝:二十時五十分
登校:六時二十分
下校:十二時十分
 夏期鍛錬中(全校召集日 草むしり土運び等)
昨日の夜から降った雨も少しやんで居てぽつぽつと降って居た。あぜかきと傘を持って学校に行った。学校に行くと雨が沛然として降った。校庭に水が音を立てゝ流れた。先生の話。校長先生の話があって作業土運びをした。学校帰りにも物すごく降った。とても長い雨が多く降った。

八月四日 日曜 雨晴
起床:五時十分
就寝:二十時五十分
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(縄ない魚釣り)
朝起きて見ると昨日の雨が降って居た。朝食して父に藁をぶってもらって縄をなった。たびたびしとなしてなった。昼をたべて又ない頭の先を切り取ってもらった。縄は二ほと十ひろばかりであった。それが後って魚釣りに行った。川に行って二十匹ばかり釣って来た。

八月五日 月曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時四十分
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(魚釣り、桑くれ)
今日は晴れて居た。だが雲が空一面にあった。朝食して釣竿を持って川にいったがだめであった。そうさくばに行って十匹ばかり釣って家へ来た。昼食して玉蜀黍を喰って又昼前の所へ行った。水のひるのは早いものである。今度はよくなかった。夕方桑くれの手伝ひをした。

八月六日 火曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時五十分
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(田の草取り)
今朝はとても良く晴れて居た。日光がきらきらと光った。そして除草車をころがした。とても面白かった。午後自転車で水車麺を持ちに行った。川には杉田君*川端君**等が居た。板に乗ったのは面白かった。吉野君とも乗った。家へ来てさしこ作りいろいろ
*杉田角太郎。
**川端清一。当時尋常科6年生。

八月七日 水曜 晴
起床:四時十分
就寝:二十時三十分
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(田の草取り)
早く起きてジョレンを持って田に水引に行った。田に行くと水は轟々と流れて居た。田に十分水を入れて家へ来た。朝食して祖父、父と三人と田に草取りに行った。午後玉蜀黍をにて喰って又田に行った。茶おけ*を喰って多(たく)さんした。明日は学校行くのである。
*茶うけ。

八月八日 木曜 晴
起床:四時二十分
就寝:
登校:十一時三十分
下校:十八時二十分
 夏期鍛錬中(剣道水泳練習)
今朝も早く起きて田に水引に行ったら誰も来て居なかった。田に水は用意に*入らなかった。家へ来て朝食してしないをなをしたりはかまを出した。十一時頃昼食してしない等を持って学校に行く途中金井宣君と行った。内田先生、本郷先生の指導を受けた。武道練習がおはって水泳練習をした。田の草取り
*容易に。

八月九日 金曜 曇晴
起床:五時十分
就寝:二十時三十分
登校:六時二十分
下校:十八時十分
 夏期鍛錬中(武道鍛錬七タヤ)
今日は当番である。早く起きて支度をして山下和君の家へ行った。橋を渡って学校に行き旧校舎の窓を開けた。新校舎も全教室の窓を開けた。職員室等は掃除した。松の木に水を呉れた。それが終って小豆の草むしり五作(さく)*した。昼食してテニスを見た。武道は二時頃始めて方をして後で高一が道具のつけ方をならった。七タヤである。
*うね。

八月十日 土曜 曇
起床:四時四十分
就寝:二十時四十分
登校:十一時二十分
下校:十八時二十分
 夏期鍛錬(受信富岡健治)(七タヤ武道鍛練)
起きると雨が降って居た。今日は七タヤである。まんじゅうである。草刈りをした。朝食してお寺の方へ遊びに行った。山下、金井君などが来た。昼食して金井君の家に行った。少し雨が降った。学校に行くと未だ早かった。今日は高等二年が道具をつけてした。今日は本郷先生とした。七タヤで遊んだ。

八月十一日 日曜 曇
起床:五時十分
就寝:二十時三十分
登校:十一時二十分
下校:十八時二十分
 夏期鍛練中(武道練習桑つみ)
早く起きて朝はんをにた。それからいろいろと勝手の事をした。朝食して祖母さんと前畠へ桑つみに行って来て蚕に桑を呉れた。畠の草むしりをした。昼食して武道に行く支度をして金井君の家に行った。小雨が降った。武道が終ってからのこって先生や学友と一しょにした。

八月十二日 月曜 曇
起床:五時二十分
就寝:二十時四十分
登校:六時二十分
下校:十七時四十分
 夏期鍛練中(武道鍛練水泳。)
蚕に桑をくれた。朝食して支度をして金井君の家に行き学校に行った。学校に行き第一時に体操した。国民体操、二時話。先生の話。卒業後の方針について、三時唱歌をした。四時砂はこび。昼食して武道の始まるのを待った。紫村君*が自転車でしゃう突した。武道で方をしてから道具をつけて先生とした。水泳をした。
*紫村三郎。

八月十三日 火曜 雨
起床:六時
就寝:二十時二十分
登校:六時二十分
下校:十二時十分
 夏期鍛練中(武道練習、試合。)
雨がしとしとと降って居た。今日は全校召集である。学校に行くと始まるまで時間があった。始まって先生の話掃除をして武道錬習をした。試合で中島君としてこてでかった。二十二日に学校に行くのである。夕方畠に行って水をまきその上に灰をふった。

八月十四日 水曜 晴
起床:四時十分
就寝:二十時四十分
登校:
下校:
 夏期鍛錬(さつまの除草)
早く起きて父と根岸河原の下の下へ草刈りに行った。行って来て朝食して祖父さんと畠へさつまのつるかへしや除草をした。麻をまいた畠のつるかへしいもの除草をした。昼食して西原へもさつまのつるかへしに行った。茄子をもいだ。陸稲の草むしり。夕方子守りをした。

八月十五日 木曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時四十分
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(使をしたり桑くれ)
草刈に行かないで蚕に桑を呉れた。朝食して区長さんの家へ行き砂糖の配きゅうけんをもらって来た。今日は代用食である。菅谷に行き隆次のシャッポを買って来た。昼食して湯かいこみをした。自転車で、水車へ麺を持ちに行って来た。帰に砂糖を買って来た。発信富岡健治

八月十六日 金曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十二時二十分
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(お盆様 桑くれ)
今朝も早く起きて蚕に桑呉れをした。朝食前勝ちゃんにたのまれた算術をやって朝食して勝ちゃんの家へ持って行った。来てから畠へ桑つみに行ってまきとときょうそうをした。蚕に時々桑をくれた。昼食して桑呉れをした畠に桑つみに行った。今日は旧十三日お盆様である

八月十七日 土曜 晴
起床:四時二十分
就寝:二十三時二十分
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(桑くれ 活動を見る)
蚕に桑を呉れてから畠に桑つみに行った。少し休んだ。蚕の桑くれ。夕方になり支度をして菅谷にある活動を見に行った。五郎正宗*があった。
*五郎正宗は、新興キネマ製作の映画。1938年(昭和13)12月公開。

八月十八日 日曜 晴
起床:四時二十分
就寝:二十三時二十分
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(蚕の桑くれ)
桑つみ。蚕の桑くれ。夜遊んだ。受信山岸良之助

八月十九日 月曜 晴
起床:四時十分
就寝:二十一時二十分
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(蚕の桑つみ 桑くれ)
起きてすぐ祖母さんと油面に桑つみに行った。そして二籠つんだ。朝食して蚕に桑を呉れた。たびたび蚕に桑呉れをした。昼食して川に水泳に行った。金井君等と行った。家へ来て西瓜を食った。しきりが居たのでひろってまぶしを作くった。

八月二十日 火曜 曇
起床:四時
就寝:二十二時二十分
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(蚕拾ひ 魚突き) [欄外]蚕上
今日は蚕上げである。早く起きて支度をして桑つみに行った。二みかいつんだ。すぐに朝食して蚕拾ひに取りかゝった。まぶし作りをした。蚕拾ひもした。蚕拾ひは昼前に終った。昼食しないでをけやの叔父さんと川へ魚突きに行った。おおがけあたり(*)からだんだんと登って来たが幾匹も取らなかった。受信山岸良之助
*月田橋の上。

八月二十一日 水曜 晴
起床:四時二十分
就寝:二十時二十分
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(蚕上げ 使ひをした)
早く起きて祖父さんと耕地へ草刈りに行って一籠刈って来た。朝食して蚕拾ひをした。まぶし作り。昼食して昼寝した。起きて菅谷に使に行った。砂糖、マッチを買って来た。雨が降ったので家の廻りをかたづけた。子守りした。発信山岸良之助

八月二十二日 木曜 雨曇
起床:五時十分
就寝:二十時二十分
登校:七時二十分
下校:十一時二十分
 夏期鍛錬中(子守りをした。) [欄外]蚕上げ
雨が降って居た。これでは学校に行けないと思った。村田政君が来たが先へ行ってもらった。雨が止んだので支度をして学校に行った。仕事はなかった。遊んで来た。昼食してから蚕を上げた。魚釣りに行って八匹釣った。家へ来て子守りをした。自転車に乗った。

八月二十三日 金曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時二十分
登校:七時二十分
下校:十八時二十分
 夏期鍛錬中(東洋農道大会)(井戸をなほす左官の手伝)
 [欄外]今日農士学校に東洋農道大会*開かる
今日は全校召集日である。早く起きて支度をして学校に行った。杉山先生はきなかった。ハツ部**先生の話を聞いた。実習地の草むしりをした。さつまのつるかえしをして家へ来た。昼食して支度をして学校に行った。左官の手伝いである。砂運び、じゃりはこび、水呉み等の仕事をした。砂五はいじゃり十パイだけの仕事をした。
*東洋農道振興大会。『東京日日新聞』埼玉版に記事がある。
**服部。

八月二十四日 土曜 晴
起床:四時十分
就寝:二十時三十分
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(まいかき)
父と草刈りに行った。草はとてもあったので早く出来て家へ来た。今日はまいかきである。家族そろってまいかきをした。みやを子守りした。まいを中島さんに七円二十銭で売った。明日出征兵士見送り。十五貫ばかしかいた。

八月二十五日 日曜 晴
起床:四時二十分
就寝:二十一時二十分
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(まいかき)
兵隊送りである。神社に行くとまだ幾人も来て居なかった。其の中に村田巳之吉さん*が来た。区長さんなどの相さつがあった。万歳をしててい車場に行き七時二十三分の上りで出発した。家へ来てまいかきをした。荷を出した。さしこ作り。玉もろこしを切った。夕べ大音楽会のびらかき□□
*大蔵村田巳之吉東部第七十七部隊応召。

八月二十六日 月曜 雨
起床:四時五十分
就寝:二十時三十分
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(水車行き)
祖父さんと草刈りに行った。途中雨が降った。家へ傘持ちに来た。父にもやった。一籠出来て家へ来て鎌形の水車へ米持ちに行った。朝にはか雨があった。昼食して遊び。みやを子守りした。

八月二十七日 火曜 晴
起床:四時十分
就寝:二十時二十分
登校:
下校:
 (夏期鍛錬中 むしろ洗い 歯医者 くつわむし)
今朝は草刈りに行った。水は大へんにふいた。あまり早くなかった。家へ来て朝食して川へ洗ひ物に行った。籠、むしろであった。音楽会に行って見た。昼食してまきを歯医しゃに行った。四十銭。むしろかえしに行った。夕方守とくつわむし取りに行って七匹取るかな

八月二十八日 水曜 曇
起床:四時二十分
就寝:二十一時二十分
登校:七時十分
下校:十一時二十分
 夏期鍛錬中(召集日)
今日は学校に行くのである。支度をして自転車で行ったが空気がぬけた。自転車屋に置き学校に行き窓の開閉。等。大根の播種をした。手紙をりをした。掃除をして家へ来た。そしてゆかいこみや子守りをした。花こしらへに行った。今夜はお諏訪様である

八月二十九日 木曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十一時二十分
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(お諏訪様)
今日もお諏訪様の続きである。草刈りに行かないで家の事をいろいろとした。子守りをした。朝食して家の掃除をした。油くれをした。神社に遊びに行ったりした。使をした。神社にじゃう会と言ふのがあった。川に水泳に行った。はちかまいをした。蚕が発生した。お諏訪様

八月三十日 金曜 曇
起床:四時十分
就寝:二十時四十分
登校:
下校:
 夏期鍛錬中(子守り)
今日はおぢいさんと一つしょに草刈りに行った。草は大分なくなって居た。一籠刈って家へ来た。子守りをしながら下の方に遊びに行った。大沢君と節子さん*にくつわむしをくれた。昼食して又子守りをした。明日は学校に行くのである。
*金井節子。当時尋常科3年生。

八月三十一日 土曜 曇
起床:四時三十分
就寝:二十時四十分
登校:七時二十分
下校:十二時三十分
学校にまい*を持って行くのである。支度をして大沢君の家に行き二人友一しょに学校に行った。まいの受付の所へ行った。七十番であった。先生が話をした。自分のまいは三等であった。家へ来て昼食して二百十日の前祝ひなので遊んだ。戸口君に松平長七郎の本をかりた。
*繭。


冨岡寅吉日記 昭和15年(1940)9月 菅谷村(現・嵐山町)大蔵

2009年10月22日 | 冨岡寅吉日記

九月一日 日曜 晴
起床:四時
就寝:二十時三十分
登校:
下校:
 夏期鍛錬も今日かぎり
今日は本家の富岡作次さん*が出征するのである。暗い中に起きて行った。旗を立てた。停車場に行き出征兵士の合さつがあった。元気よく行った。家へ来て朝食して小豆や穀物をほした。守と小豆もぎをした。昼食して昼休み。ささぎ**もぎをした。明日は学校に行くのである。
*大蔵富岡作次東部第九十四部隊応召。
**ささげ。

九月二日 月曜 曇
起床:五時
就寝:二十時三十分
登校:七時十分
下校:十八時四十分
 本郷先生にポスターを
今日より第二学期が始まるのである。支度をして学校に行った。朝礼があって校長先生の話があった。教室では先生の話があってから掃除や作業がをした。作業は土はこびであった。教室で昼食して先生の来るのを待った。図画はポスターでむづかしいのをかいた。(本郷先生)

九月三日 火曜 曇
起床:四時五十分
就寝:二十時五十分
登校:六時二十分
下校:十八時四十分
 杉山先生が来なかった。
今朝も昨日の朝の様に雨の降りそうな空模様であった。早く行くので支度をして行った。昨日の図画をかいた。遊んで居ると始まって朝礼。杉山先生は来なかった。一時算術。二時より本郷先生の御指導によりポスターを書く。昼食して又これをつゞけた。字にポスターカラーをぬった。家へ帰るのはおそくなった。子守りをした。

九月四日 水曜 晴
起床:四時三十分
就寝:二十時四十分
登校:七時十分
下校:十六時二十分
 今日もポスター
今朝は昨日の朝とちがって空は良く晴れて居た。支度をして学校に行き機械体操をした。朝礼で週番の話。一時先生の話。二時地理。三時理科石油発動機。四時書方だけれど高一年の級でポスターを書いた。掃除の時にやりなほしをかいて今日仕上げた。

九月五日 木曜 晴
起床:四時三十分
就寝:二十時二十分
登校:七時十分
下校:十五時二十分
 山から木だし。
少し曇って居た。支度をしてくつわむしに茄子をくれた。学校に川からはだしで行った。一時読方 読んだ。二時国史江戸幕府のすい運*。三時桑の皮の伝票わたし。四時農業実習 そばを播種した。玉蜀こしの鳥よけに糸をはった。家へ来て山に木を持ちに行った。
*衰運。

九月六日 金曜 曇
起床:四時四十分
就寝:二十時二十分
登校:七時十分
下校:十六時三十分
 手紙くばり
今朝も曇って居た。くつわむしのゑを取りかえてやった。学校に行き機械体操をした。一時修身だが話。二時読方自習三時地理大気中の水分。四時読方自習。五時図画夏の雲。桑の皮の代金を渡した。六時武道をして家へ来た。帰りに手紙をくばった。子守りをした。夕方夜になって夕立*。
*この日は夜大雷雨となったようである。

九月七日 土曜 雨
起床:四時三十分
就寝:二十時四十分
登校:七時二十分
下校:十二時二十分
 雨が降った。
夕べの続きの雨で今朝も少し降って居た。学校に行く時分も降った。学校に行き自習をした。一時算術P23。幾何図形。二時読方 土に立キャクせよの所。三時時分のすきな珠算をした。家へ来て自習した。子守りをした。

九月八日 日曜 曇
起床:五時十分
就寝:二十時二十分
登校:
下校:
 昼前なわない。
今朝は雲もうすくなって居た。蚕の桑くれをした。朝食して藁をぶち守と縄ないをした。僕が二ボと五ひろ、守が一ボと十一ひろなった。昼食して栗の木出しに行ってから山に松の木など持ちに行った。成澤勝治君に算術をたのまれたのでやった。

九月九日 月曜 雨
起床:五時十分
就寝:二十時五十分
登校:七時二十分
下校:十六時二十分
 青少年義勇軍の話
朝の中は曇って居て雨の降る模様はなかった。そろばんを持って行った。朝礼があっていろいろの注意の話があった。一時修身朋友の所。二時算術珠算をしたのでよかった。三時農業蚕の事。練習。四時理科燃料。薪。石炭等。五時青少年義勇軍の話でとても有益であった。家へ来て栗の木の皮むき等

九月十日 火曜 曇
起床:五時
就寝:二十時四十分
登校:七時十分
下校:十七時五十分
 二百二十の前祝ひ
今朝は雨が降って居た。傘をさし白土手(下道)を通って学校に行った。一時、算術。珠算をした。後は幾何。二時、読方。土に立脚せよ。三時国史江戸幕府の衰運。四時、体操旧校舎で国民体操。五時、唱歌。山。農業当番なのである。そして小麦のアラ拾ひ。等して家へ来た。二百二十日前祝ひ

九月十一日 水曜 曇雨
起床:五時
就寝:二十時五十分
登校:七時二十分
下校:十五時十分
 合同訓練があった。
朝使に行った。朝食して学校に行った。時気(じき)にサイレンが鳴り外に出た。三回位練習をした。今度新しく玉川の根岸先生*が上った。二時算術。三時理科。四時書方。合同訓練で正常歩した。それから庭を平にしたりタイルいけ等をした。流(ながし)の土さらひからコンクリート出しをした。家へ来てうら取りの手伝ひ。
*根岸いく。1940年(昭和15)8月~1941年(昭和16)3月勤務。

九月十二日 木曜 曇
起床:四時二十分
就寝:二十時五十分
登校:六時三十分
下校:十八時三十分
 サカイ先生*の話
今朝は朝当番なのである。支度をしてくわなどを持って山下君の家へ行って学校に行って掃除をした。一時読方夕立雲をした。二時国史江戸幕府の衰運三時綴方自由四時農業実習藁麦の作切り。五時草むしり。午後サカイ先生の講演があった。約三時間吉田松陰先生の事について為になる話。
*日本農士学校教授酒井利晴。

九月十三日 金曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時五十分
登校:七時二十分
下校:十六時二十分
 松の皮むき。
今朝は何時もより少し早かった。途中で山下君等と一しょに行った。士規七則*を写した。一時修身青少年学徒二賜ハリタル勅語。二時読方漢字練習。三時図画此の前の仕上げ。四時体操国民体操。した。五時地理。天気。気候の所。六時武道をした。家へ来て松の皮むきをした。子守りなどした。
*士規七則は1854年(安政2)、野山獄に投獄されていた吉田松陰が従兄弟の玉木彦助の15歳の元服式に贈ったもの。「………一、凡生れて人と為る、宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし。蓋し人五倫有り、而して君臣父子を最大と為す。故に人の人たる所以は忠孝を本と為す。一、凡皇国に生れては、宜しく吾が宇内に尊き所以を知るべし。蓋し皇朝は万葉一統にして、邦国の士夫は禄位を世襲す。人君は民を養ひて以て祖業を続き、臣民は君に忠にして、以て父の志を継ぐ。君臣一体、忠孝一致は、唯吾が国を然りと為す。一、士道は義より大なるは莫し。義は勇に因りて行はれ、勇は義に因りて長ず。一、士の行は質実欺かざるを以て要と為し、巧詐過を交るを以て恥と為す。光明正大、皆是に因りて出づ。一、人古今に通ぜず、聖賢を師とせずば則ち鄙夫のみ。読書尚友は君子の事なり。一、徳を成し材を達するには、師恩友益多きに居る。故に君子は交友を慎む。一、死して而して後に已むの四字は、言簡にして義広し。堅忍果決、確乎として抜くべからざる者、是を舍きて術無きなり。右士規七則は、約して三端となす。曰く立志、以て万事の源と為す。擇交、以て仁義の行を輔く。読書、以て聖賢の訓を稽ふ。士苟も此に得る有らば、亦以て成人と為す可し。」

九月十四日 土曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時五十分
登校:七時十分
下校:十三時十分
 村田福次さんの帰くわん*
四人で大通りを通って学校に行った。今朝は酒井先生に手紙をたのまれた。一時算術珠算をした。二時読方夕立雲。三時体操国民体操した。合同訓練があった。家へ来てから停車場に行き村田福次さんの帰くわんをむかえた。松の皮むき
*村田福次。1938年(昭和13)9月3日応召。

九月十五日 日曜 晴
起床:四時十分
就寝:二十時五十分
登校:
下校:
 山の木切り
今日は日曜日なので父と耕地に草刈りに行った。草があったので早かった。朝食して祖父。父子と三人で山に木を切りに行った。木を切るのは面白い。昼食をして車へめんを持ちに行った。二十五本持って来た。それから鎌形の水車に行った。来て子守りをしたり車の後押しに行った。

九月十六日 月曜 曇
起床:五時十分
就寝:二十時五十分
登校:七時十分
下校:十八時十分
 農業当番
支度も出来たので山下君等の家へ行った。皆早かったので早く学校に行けた。一時修身朋友。二時自習。三時農業実習玉蜀黍かき。四時ズックの配給。守と隆次に。五時紹介所の話。農業当番なのである玉蜀黍の皮むきをしたり収納倉に取りこんだ。

午後2時より大蔵部落常会開催(戸数84戸中82名出席。議題:玄米移動禁止令に関する件。大麦・裸麦供出に関する件。小麦扱に関する件。国民貯蓄奨励実践に関する件。暴利取締令に就て。蚕繭処理及蚕種の統制に関する件)。

九月十七日 火曜 曇
起床:五時
就寝:二十一時二十分
登校:七時十分
下校:十五時四十分
 桑つみ
曇って居たので雨が降るかと思ったが傘を持たづに行った。杉山先生や宮島先生は来なかった。一時校長先生の話があった。二時読方の漢字練習。三時書方清書。四時算術P34正方形等。服部先生の指導。砂利はこびをした二回。家へ来て子守り松の皮むき。桑つみ等しました。

九月十八日 水曜 雨晴
起床:四時六十分
就寝:二十一時十分
登校:七時四十分
下校:十五時二十分
 桑つみ。
夕べから降り続いた雨が降って居た。ともすると南洋に颱風が発生して来るのかと思った。一時算術珠算をした。二時地理。三時職業紹介所から来た人の話を聞いた。四時理科。燃料。五時唱歌国民進軍歌。家へ来て桑つみに行った。松の皮むきをした。

九月十九日 木曜 雨
起床:五時
就寝:二十時五十分
登校:七時二十分
下校:十四時三十分
 防空標語かき
昨日の夕方は良く晴れて夜になるとさえた月が出た。が今朝は雨が降って居た。下道を通って学校に行った。一時読方地震の所。二時国史尊王論。三時読方一時の続き。四時農業実習。玉蜀黍もぎ。防空標語をかいた。一、大空を護る銃後の臣強し。等をかいた。家へ来て松の皮むき。

九月二十日 金曜 晴
起床:五時十分
就寝:
登校:七時二十分
下校:
 松の皮むき
今日は天気になりそうであった。月田橋を通って行った。学校に行くとじきに始まった。一時自習。読方。二時、自習読方(教育研究の為)。三時修身朋友の所。四時体操横隊行進のならい。五時宮島先生が本を読んだ。帰りに川こしをして家へ来た。蚕の桑くれ。松の皮むき等をした。

九月二十一日 土曜 晴
起床:五時
就寝:二十時五十分
登校:七時十分
下校:十四時十分
 戦士者の墓参。
今朝は早かった。蚕に桑をくれたりして支度をして川こしで行った。一時算術。P34(4)をした。二時修身。朋友の所。三時読方。二十一指針の続き。掃除をして校庭に並んで校長先生の話。戦死者の墓参りをした。帰ってから桑くれ、松の皮むきをした。

九月二十二日 日曜 晴
起床:五時
就寝:二十時五十分
登校:
下校:
 桑摘み
早く起きて蚕に桑をくれた。そしてすぐ祖母さんと畠に桑つみに行った。松の皮むきをした。昼食して休み皮むき。柴田藤五郎さんの桑を買い摘んだ。二十三貫弱位。桑くれ等した。日曜日 昨日彼岸

九月二十三日 月曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時四十分
登校:
下校:
 秋季皇霊祭
早く起きたが腹が痛かったのですぐ寝た。起きてからだんだん良くなった。松の皮むきや蚕に桑くれをした。昼前は遊んでしまった。昼食して休んで畠へ桑摘みに行った。今日は秋季皇霊祭。明日は学校

九月二十四日 火曜 曇
起床:五時
就寝:二十時四十分
登校:六時五十分
下校:十二時十分
 蚕上げ
今朝は自分の組では四人朝当番である。早く支度をして学校に行き掃除をした。一時読方日本の風土。二時修身恭倹の所。三時算術P34四辺形。蚕上げなのでこれだけでひまをもらって来た。をけやの家で来てくれた。

九月二十五日 水曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時四十分
登校:七時十分
下校:十六時二十分
 大掃除である。
支度をして居ると学校の蓄音機が鳴って居た。いそいで行くと未だ早かった。銭をあつめるのである。始まる前に集めた。一時修身。二時地理動物の分布。三時書方。四時理科をした。合同体操。五時大掃除をするのである。大掃除をして先生の話。銭を先生にやった。

九月二十六日 木曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時五十分
登校:七時13?分
下校:十八時十分
 農業当番
今日は鎌を持って居くのである。葉書を入れた。学校に行って機械体操をした。朝礼をした。体操二回した。一時修身学門*二時読方日本の風土。三時国史尊王論をした。四時農実。玉蜀黍のカラ切り。五時続きをした。農業当番である。庭の掃除。堆肥の積かへ等をした。さつまをもらってくった(学校)
*学問。

九月二十七日 金曜 晴
起床:五時
就寝:二十時五十分
登校:七時
下校:十二時二十分
 浦和の先生に見てもらった。
今日は父が大宮の競馬へ行くので早く起きた*。学校に行って窓を開けた。サイレンが鳴ったが朝礼はなかった。一時読方の自習。次に朝礼である。浦和から来た先生は駒田先生と言ふ人。二時読方十和田湖の養漁。三時先生方に勉強の仕方を見てもらう。行進をして家へ来て麺を持ちに行った。
*二十六日から四日間、大宮競馬場で鍛錬馬競争が行われた。

九月二十八日 土曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時四十分
登校:七時二十分
下校:十三時二十分
 航空日である。
父は帰って来なかった。支度をしてまきを自転車に乗って行った。一時は朝礼の為時間は幾分もなかった。今日は航空日である。二時読方十和田湖の養漁。三時体操下田先生の指導でじゃり運びをして家へ来た。畠の草むしりをした。いろいろした。

大蔵区常会開催。七郷小学校で七郷村防空実習会開催。

九月二十九日 日曜 曇
起床:六時二十分
就寝:十九時十分
登校:
下校:
 松の木だし
祖父と山に行った。頭がいたかった。

九月三十日 月曜 曇
起床:六時十分
就寝:二十時十分
登校:七時十分
下校:
 週番である。
今日から週番である。早く学校に行き先生の話をした。朝礼をしなかった。一時修身。日独伊同盟の話。二時算術。始まる前に校長先生の話を聞いた。三時農業。四時理科。五時手工正図*をして日誌をつけて家へ来た。
*製図。


冨岡寅吉日記 昭和15年(1940)10月 菅谷村(現・嵐山町)大蔵

2009年10月21日 | 冨岡寅吉日記

十月一日 火曜
起床:
就寝:
登校:
下校:
 頭が痛い
神社参拝。週番
第三次防空訓練開始。

十月二日 水曜
起床:
就寝:
登校:
下校:
 週番
週番

十月三日 木曜 雨
起床:五時十分
就寝:二十時十分
登校:七時二十分
下校:十八時二十分
 防空演習
今日は頭があまりいたくなかった。学校に行き週番なので廻って歩った。一時読方十和田湖。二時国史国文学。三時綴方をした。四時農業。五時続き。六時~七時武道をした。家へ来た

十月四日 金曜 晴
起床:四時十分
就寝:二十時五十分
登校:六時二十分
下校:十七時十分
 防空演習
朝当番てある早く起きて支度をして藁炭などを持って行った。一時朝礼の始まらない中に空襲ケイホウが来た。その為事業は出来ない。約三時間。三度あった。武道をした。防空演習

十月五日 土曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時五十分
登校:七時十分
下校:十五時二十分
 防空演習も終った。
今日まで防空演習である。支度をして河原まで行くと空撃*の合図が鳴った。学校に行き幾分か遊ぶと鐘が鳴り神社の森にひなんした。数十分で終った。二時算術。P36勾股弦の定理。三時体操下田先生又空撃*が来た。これは短かかった。掃除をして午後武道をして家へ来た。
*空襲。

十月六日 日曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時四十分
登校:
下校:
 天ラン会*見に行った。
日曜日てある。早く起きて松の皮をむいた。朝食して玉川に使に行って来て又むいた。とても面白い。昼食して沢渡君と松山の小学校にテンラン会を見に行った。権田君のがあった。帰りに糸ノコギリ、インキを買って来た。さつまを食った。そして松の皮むきをした。
*展覧会。

十月七日 月曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時五十分
登校:七時十分
下校:十八時二十分
 銃後奉公強化運動五日間第一日。手工は面白い。
早く起きて自転車の掃除をした。今日はいろいろの道具を持って行くのである。朝礼をした。一時修身。二時算術勾股弦の定理応用。三時農業実習畠うない。四時神社参拝。銃後奉公強化運動。今日より銃後奉公強化運動。五時手工状さし。家へ来ても手工の続きをした。糸ノコギリを使った。

十月八日 火曜 晴
起床:四時二十分
就寝:二十時五十分
登校:七時二十分
下校:十四時十分
 銃後奉公強化運動第二日忠魂祠に参拝
今朝は早く起きた。松の皮むき 支度をして学校に行った。一時算術。三十六頁。二時読方漢字練習。三時忠魂祠に参拝した。四時教科書を貰い自習をして家へ来た。車の後押しに行った。松の皮むき等した。

十月九日 水曜 晴
起床:四時二十分
就寝:二十時五十分
登校:七時十分
下校:十六時十分
 銃後奉公強化運動第二日 慰問文を書く しない
今日も早く起きて松の皮をむいた。学校に行き運動した。一時算術。昨日の答調べ。二時理科。消化器。三時地理。人類。四時唱歌国民進軍歌。合同体操行進をした。終ってから五年以上の騎馬競争をした。面白い。家へ来て山に行った

十月十日 木曜 晴
起床:五時
就寝:二十時四十分
登校:七時二十分
下校:十八時二十分
 銃後奉公強化運動四日 墓地の清掃 しない
今日も朝松の皮むきをした。四本むいた。唐鍬を持って行った。一時庭のごみひろいをした。二時読方十和田湖の養魚。三時国史。四時二千の長距離をした。三十番であった。これで合同体操をして家へ来た。農業当番なのでのこってして来た。

十月十一日 金曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十一時十分
登校:七時十分
下校:十五時二十分
 銃後奉公強化運動五日 青年団の大育大会*
今日は青年団の大育大会があるのである。べんとうだけ持って学校に行った。じきに始まった。教室に入り腰掛けを持って外に出た。宮城遥拝、もくとうなどした。午後高等科のリレーをした。遊ぎなどもあった。大蔵の青年団は六等であった。(一等平沢)家へ来た。
*体育大会。

十月十二日 土曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時三十分
登校:七時
下校:十二時四十分
 水車へ行った。
足のきん肉か痛い。起きて庭だけ掃いた。学校に行き運動をした。一時読方十和田湖の養魚。二時算術P37拡大図。三時体操ほかけ舟国民体操。掃除をして家へ来た。遠山の水車へ麺を持ちに行った。来て松の皮をむいた。受信山下三三男

十月十三日 日曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時三十分
登校:
下校:
 ビラはり 土石運搬
日曜日なので早く起きて松の皮をむいた。朝食して父と土運びをした。五回位はこんだ。終ってから今度は石運び二回して昼食した。菅谷に使に行き弁当函を買って来た。四十三銭。柿の木をこひで植ゑかへした。ビラはりをした。以上

十月十四日 月曜 雨
起床:四時四十分
就寝:二十時五十分
登校:七時
下校:十八時十分
 けん舞
今朝は早く起きた。支度も早く出来て学校に行けた。一時修身智能。二時算術〔相似形〕。三時農業養蜂。四時理科消化器。五時運動会の話 武道剣舞*。乃木大将の詩。これは面白かった。よかった。手工しない。明日は当番。
*談:内田實先生にならった。

十月十五日 火曜 曇
起床:五時二十分
就寝:二十時四十分
登校:七時二十分
下校:十七時十分
 大工さんが来始めた。第一日。出征兵士送り
朝当番なので早く起きて支度をして山下君の家へ行った。掃除をして外に出た。一時唱歌練習をした。二時読方罐詰の所自習。事業料を出した。三時算術P39(拡大図縮図)。四時体操てんかい練習。そして農士学校から出征する柳橋由雄先生を見送くった。武道けん舞をした。

十月十六日 水曜 晴
起床:四時五十分
就寝:二十時三十分
登校:六時三十分
下校:十六時五十分
 同上第二日。秋季大運動会
今日はたのしく学校の秋季大運動会である。昨日あたりの模様ては雨が降りそうであった。でも晴れた。宮城遥拝。黙祷などした。騎馬枝戦。武道。二百米競走などがあった。自分等はキロクガカリである。□一東。八六点。二南六八点。三北五八点。四西。三八点。の成績であった。終りに校歌合唱。庭の掃除等をして家へ来た。

十月十七日 木曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時四十分
登校:八時五十分
下校:十二時十分
神嘗祭 菅谷神社の祭典
今日は高等二年の生徒は菅谷神社祭典につき参加するのである。支度をして出かけた。ケイ防団の人達が庭に集って居た。十時二十分頃式が始まった。玉ぐしを上げた。式ををわして家へ来た。〇時幾分かであった。桑の木しばりをした。使もした。明日は靖国神社臨時大祭

十月十八日 金曜 曇
起床:四時十分
就寝:二十一時二十分
登校:
下校:
靖国神社臨時大祭 [書込]鍛練馬競争見に行った。
松山の箭弓神社のグランドに鍛練馬競争があるので見に行く思ひであった*。祖父、守と三人で見に行った。電車で行った。大蔵の小林新平さんの馬と根岸宇平さんのが一等となった。第十四レースまであった。帰りは五時十一分の下りて家へ来た。面白かった。
*午前九時より比企郡鍛練馬競争会実施。

十月十九日 土曜 晴
起床:五時
就寝:二十時五十分
登校:七時十分
下校:十八時二十分
 体力テスト
学校に行った。すると庭に線を引いて居た。宮島先生が高二の者はほうきを持ってこいと言った。僕等もその相手をした。朝礼をして五年以上はのこった。かぞへ十五才の者は体力検査をするのである。百米。手リュウダン。ケンスイ。巾トビなど。二千米した。明日は小川

古里兵執神社秋季例祭。

十月二十日 日曜 曇
起床:四時二十分
就寝:二十時四十分
登校:
下校:
 小川小学校に武道しに行く。
今日は小川の小学校へ倹道*をしに行くのである。御九日でもある。支度をして学校に行った。未だ早かった。友達も来た。(小川小)。下田先生の指導で行った。開会のじがあった。銃剣術。柔道。弓道など武士道にかんすることが色々あった。中島君とした。勝った。今夜はかんのん様である。
*剣道。

十月二十一日 月曜 晴
起床:四時五十分
就寝:二十時五十分
登校:七時十分
下校:十七時二十分
 御九日(おくんち)
昨日の夜は観音様に活動*があり見に行った。今日はケイ防団の査閲**があった。一時修身。徳器。二時算術。P40。三時。下田先生の居ない為理科をした。四時続きをした。五時手工。仕上げるまでにした。終った頃はおそくなった。農業当番。農具舎整理だけして来た。御九日なので遊んだ。ベースをした。
*午後六時半より菅谷村在郷軍人分会主催勇士遺家族慰安映画会が根岸観音境内で開催された。
**菅谷村警防団査閲実施。

十月二十二日 火曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時五十分
登校:七時十分
下校:十五時二十分
 桑しばり
今朝は山下君は早かった。学校に行き運動したり遊んだりした。一時算術P41圓の所。二時読方罐詰。川柳。三時国史攘夷の所。四時体操。宮島先生の指導。飛函。鉄棒をした。五時唱歌。明治節の歌。山などした。手紙をたのまれた。桑しばりをした

十月二十三日 水曜 曇
起床:五時十分
就寝:二十時五十分
登校:七時十分
下校:十二時四十分
靖国神社祭 陸稲上げ。後押し。
いつもの様に学校に行った。朝礼はなかった。一時地理。人種。人口。総数。二時先生は松山に行った。算術。三時理科。復習をした。四時書方残れる月の影ふみての自習。掃除をして昼食した。飛箱などならった。家へ来て湯かいこみや陸稲上げをした。以上

十月二十四日 木曜 雨
起床:五時二十分
就寝:二十時二十分
登校:七時
下校:十八時二十分
 雨降り
雨が降って居た。学校に行き六年の関根君に由井正雪の本をかりた。休時間に読んだ。一時読方。川柳。二時国史。洋学の発達と開港。三時綴方。初秋。四時農業。五時四時の続きをした。家へ来てなわないをした。

十月二十五日 金曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時五十分
登校:七時二十分
下校:十七時二十分
 明日の用意をした。
今朝の三時頃馬が寝そこなった。起きたから川に水がふいたかどうか見に行った。橋はなかった。だが学校に行く時はかけてあった。一時読方第二十六川柳。二時地理人口密度。日本一三四人。三時歌唱歌。明治節。二千六百年の歌。四時体操。縦体行進*習。五時尋四以上は旧校舎の草むしり。僕等十人は明日の用意をした。
*縦隊行進。

十月二十六日 土曜 晴
起床:五時
就寝:二十時五十分
登校:七時十分
下校:十七時三十分
 畠うない。
今日は十五才より二十五才迄の体力テストかあるのである。学校に行き朝礼をした。十五才の者は支度をした外に出た。百米。手リュウ丸。巾飛。けんすゐ。重量運搬。二千米など順々にした。会長の合さつ。県から来た人の話などあった。そしてほめられた。家へ来手畠うないをした。

十月二十七日 日曜 晴
起床:四時四十分
就寝:二十時四十分
登校:
下校:
 畠うないをした。
今朝は早く起きた。そして祖父、父、三人で前畠に畠うないに行った。朝食して西原にうないに行った。もろこしなどまるった。軟らかいので早くうないた。昼食して又行った。かいちゅう電気を買って来た。明日は朝当番である。今日はほんとうの秋日和てある。夕方雲が少し出た。

十月二十八日 月曜 晴
起床:四時五十分
就寝:二十時五十分
登校:六時三十分
下校:十八時二十分
 旧校舎のかいこん
朝当番なので早く起きて支度をして学校に行った。万能を持って行った。掃除をした。一時、修身、徳器。二時、算術P42弓形。三時農業土じゃう。四時理科。疾病の所。合同体操があり健国体操をした。五時旧校舎校庭の畠うない

十月二十九日 火曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時三十分
登校:七時二十分
下校:十六時二十分
 旧校舎の開墾
夕べは唐子へしばい見に行った。起きて支度をして万能を持って行った。一時算術P42弓形の角。二時読方自習けん門。三時国史自習。先生は用事で家へ帰った。四時体操。合同体操。建国体操。五時実習畠うない墾開をした。家へ来て畠うない。

十月三十日 水曜 曇
起床:五時十分
就寝:二十一時□分
登校:八時十分
下校:十一時□分
 勅語下賜五十周年記念。
今日は勅語御下賜五十周年記念なので学校に式がある。雨が降って居たが止んだ。そして庭で式をして家へ来た。もう十一時であった。万能を持って畠に行った。少しうなって家へ来た。昼食して又行った。耕し終って今度は整地しに行った。夕方までして帰って来た。??(ママ)以上


冨岡寅吉日記 昭和15年(1940)11月 菅谷村(現・嵐山町)大蔵

2009年10月20日 | 冨岡寅吉日記

十一月一日 金曜 晴
起床:四時四十分 
就寝:二十時二十分 
登校:六時三十分 
下校:十五時四十分
 旧校庭の作業作切り
今日は一日で神社参拝であるので早く起きて神社に行き掃除をして参拝して家へ来て支度をして鍬やしないを持って行った。一時読方待賢門(たいけんもん)の戦の所。二時地理、言語の所をした。三時唱歌。君が代。明治節。国民進軍歌をした。四、五時鍬を持ち旧校庭に行き作切りをした。家へ来て土突きをした。

十一月二日 土曜 晴
起床:五時十分 
就寝:二十時二十分 
登校:七時十分 
下校:十五時二十分
 実習地麦播をした
今日は黒鍬を持って行った。朝礼をして明日の式の興業演習をした。唱歌練習が主であった。良く出来たと言った。一時はそれで終った。二時作業、鍬を持ち旧校庭の実習地へ行った。自分は、肥ひきの訳であった。昼までしたら終った。麦を二作まいた。武道はしない 家へ来ていろいろした

十一月三日 日曜 晴
起床:五時十分 
就寝:二十時三十分 
登校:七時二十分 
下校:十八時五十分
明治節 神社で剣道をした
平沢から出征兵士(*)が出た。学校で明治節の式をした。終って剣道の習 旧教室。神社に行き練習をした。昼食して始めた。高点試合をして女生徒のなぎなたがあった。野試合と言って面に果子(**)をつけてした。敵の大将の果子を下した。これは面白かった。
*平沢村田富次東部第十三部隊応召。
**菓子。

十一月四日 月曜 晴
起床:五時十分 
就寝:二十時二十分 
登校:七時十分 
下校:十八時二十分
 農業当番であった。
支度をして行った。村田君は朝当番であった。四人でいそいで学校に向った。昨日は新しい先生の紹介式があった。一時修身徳器。高崎正風の話。二時算術P42P43をした。三時農業肥料の成分。四時理科循環器面白い。五時八日にやる部会大育祭*の菅谷学校だけの習をした。農業当番であった。
*菅谷部会(菅谷村・七郷村・福田村・宮前村)体育祭。

十一月五日 火曜 晴
起床:五時四十分 
就寝:二十時二十分 
登校:七時二十分 
下校:十七時十分
 麦播の手伝
何時も起きると外は薄暗く物は見えない。農家では猫の手でもかりたいと言ふ忙しさだ。学校に行った。一時算術P43(4)(5) ?(ママ)。二時読方待賢門の戦面白。二時国史洋学の発達と開港の始末。四時体操しないで明日の用意。五時五年以上明日のよ行演習の習 校旗を持った。家へ来て麦播の手伝

十一月六日 水曜 晴
起床:五時十分 
就寝:二十時二十分 
登校:七時二十分 
下校:十七時十分
 予行演習
今日は旧部会の二千六百奉祝の予行演習かあるのであり支度をして学校に行った。朝礼をした後で唱歌練習。その中に、鎌形。宮前。福田。七郷など各校が来た。神社参拝。建国体操。愛国行進曲遊戯。イッペイ*。ブンレツ**などした。後かたづけをして家へ来た。大工さんの手伝をした。
*閲兵。
**分列行進。


十一月七日 木曜 曇
起床:五時 
就寝:二十時五十分 
登校:六時十分 
下校:十時三十分
 建前
今日は建前なので早く起き支度をして菅谷に使があるので自転車で行った。一時読方「晩鐘」。二時自習……?(ママ)……。これでひまをもらって家へ来た。手伝ひの者が四人来た。大工さんまし七人家に登った。とても大きなものである。夕方暗くなるまでした。水草の木を切りに行った

十一月八日 金曜 晴
起床:六時十分 
就寝:二十時五十分 
登校:七時十分 
下校:十五時
 紀元二千六百年記念大育祭
今日は旧部会の紀元二千六百年紀年大育祭が始行される。学校に行き朝当番をした。線ひきをした。神社参拝、街道行進をした。分列もした。菅谷の学校の生徒は木まじめ*であった。終って家へ来てさつまほりの手伝ひをした。受信大久保高則さん
*生真面目。

十一月九日 土曜 晴
起床:五時十分 
就寝:二十一時十分 
登校:六時五十分 
下校:十二時十分
 しげじゅさん無言のがいせん
今日は何時もよりとても涼しかった。風はあまりなかった。菅谷に使があり用をたした。黒衣倹狹の本を関根君にかりた。一時算術P43矩形と正方形。二時読方「晩鐘」の所。三時体操走足をした。ボール競争は面白かった。午後四時二十幾分かに藤縄茂樹さんの無言のがいせんである。

十一月十日 日曜 晴
起床:五時 
就寝:二十時三十分 
登校:七時十分 
下校:十二時十分
 二千六百年記念祝典
皇紀二千六百年記念の祝いの式が校庭で行われる。学校に行き遊んだ。サイレンが鳴り、庭に集り式をした。菅谷神社に参拝し旗行列をやった。菅谷の市街を廻って歩いた。家へ来て昼食して甘藷切り機械をかりに行った。畠へ甘藷ほりに行った。一まい畠がほり切った。

十一月十一日 月曜 晴
起床:五時 
就寝:二十時三十分 
登校:七時二十分 
下校:十三時十分
 麦の播種
今日より学校は九時始まりである。学校に行き週番なので先生の所へ行った。ボールをした。十時朝礼をした。今日は二千六百年奉祝の為事業はしないで家へ来た。昼食して甘藷畠に麦播きに行った。いもほりや甘藷ほりをした。面白かった。

十一月十二日 火曜 曇
起床:五時十分 
就寝:二十時二十分 
登校:七時四十分 
下校:十二時二十分
 雨降り
秋雨が降って居たので寒かった。下駄をはいて学校に行った。一時、算術、自習。杉山先生は来なかった。二時読方自習 全教員は松山に行く為二時間でおわりになった*。家へ来て地図をかいた。箱をつくった。
*松山、菅谷部会の国民学校講習会が松山第一小学校で開かれたため。

十一月十三日 水曜 曇
起床:五時十分 
就寝:二十時十分 
登校:七時三十分 
下校:十七時十分
 夕方雨降り出す
天気は良好となりそうだった。支度をして学校に行った。ボールをした。とても寒い。一時算術P48幾何弓形の面積。二時地理国家。三時理科血液の循環。四時書方去年、今夜待清涼秋思詩篇独り断つ腸(はらわた)*ヲ書いた。農業当番をして家へ来ないでボールをした。金井菊次さんの帰くわん
*菅原道真の「恩賜御衣」。「去年今夜待清涼。秋思詩篇獨断腸。恩賜御衣今在此。捧持毎日拝餘香。」(『菅家後集』九月十日)

十一月十四日 木曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十一時四十分
登校:七時五十分
下校:十八時二十分
 農業実習
今朝は朝ねぼうをしてしまった。学校に行きボールをした。一時、読方、楽地。二時国史、開港の始末。三時唱歌野分。四時砂はこび。五時六時農業実習。週番日誌をつけて家へ来た。

十一月十五日 金曜 晴
起床:五時二十分 
就寝:二十時五十分 
登校:七時五十分 
下校:十六時四十分
 竹引きに行った [欄外]かやのつり手の供出
もう早く起きると庭あたりは寒い。支度をして山下君の家へ行った。皆すぐ集った。ボールをした。国旗掲揚。一時修身徳器公益世務。二時読方楽地をした。三時地理国家植民地。四時体操ボール等した。五時図画晩秋をした。家へ来て竹ひきに行った。

十一月十六日 土曜 晴
起床:五時十分 
就寝:二十時六〇分 
登校:七時三十分 
下校:十六時
 車へ使に行った
今朝は守に起こされた。守は朝当番であった。使に行く為自転車で行った。今日から訓練。中学生の合ぺい大演習が始行される。一時読方第一読書。二時算術P44の(2)[レンズ形の図あり]の面積。三時体操分列の習。週番日誌をつけて水車へ廻った。麺を三十本持って来た。

十一月十七日 日曜 晴
起床:四時三十分 
就寝:二十時四十分 
登校: 
下校:
 屋根屋の手伝
今日は早く起きた。鎌形の家に麦からをかりに行った。家へ来て朝食してリヤカーを引いて麦からを持ちに行った。(百七〇たば)。家のうもはこんだ。よしちゃんの家百、力造さん百たば。はこんだり針*かえしをした。とても面白かった。
*草葺屋根の屋根替え、修理のとき、カヤを押さえるための縄を通すための竹の針。マダケの先を斜めに切って尖らせ、先端から七寸位の所に縄を通す穴をあけたもの。

十一月十八日 月曜 曇
起床:四時二十分 
就寝:二十時五十分 
登校:七時五十分 
下校:□
 屋根ふきの手伝
暗い中に起きた。大沢君の家の竹やぶに竹の枝を持ちに行った。暗いので良く見えなかった。支度をして自転車で学校に行った。ボールをした。第一時修身(公益世務)をして早引で家へ来て屋根ふきの手伝麦棹(から)運びをした。針かえしをした。

十一月十九日 火曜 晴
起床:五時十分 
就寝:二十時二十分 
登校:七時十分 
下校:十六時二十分
 兵隊送り。
今日は朝当番なので早く支度をして山下君の家に行った。掃除をして出征兵士栗原登君*を見送った。一時算術対称形P44。二時読方武蔵野。三時ズックの配給 足の長さ二十六cm。四時読方武蔵野続き。五時唱歌野分をした。家へ来たら暗くなった。屋根ふきをした。
*志賀栗原登東部第七十四部隊応召。

十一月二十日 水曜 曇
起床:五時十分 
就寝:二十時二十分 
登校:七時二十分 
下校:十六時十分
 稲刈り
朝は空が曇って居た。今朝は早く学校に行った。ボールをした。先生は小川に行って居ない*。一時算術無頭かしかった 自習。二時読方武蔵野(二)の全文書取り。三時書方去年今夜清涼秋思詩十一頁。今日は三時間で農業当番をして家へ来て菅谷に使に行き農士学校で梅精**を買って来た。一円二〇銭であった。稲刈り
*小川小学校で小川町、八和田村、竹沢村、七郷村、菅谷村、玉川村の体力検定が実施されたためか。
**梅のエキス。下痢止め。

十一月二十一日 木曜 晴
起床:五時十分 
就寝:二十時五十分 
登校:七時二十分 
下校:十五時二十分
 稲刈り
今朝は暗い中に起きた。学校に行きボールをした。一時読方武蔵野。二時国史大政奉還。三時は先生が一年の組へ事業を見に行った。四時自習。先生は二年。下田先生は居ない為四時間。角力の選手をきめた。自分もなった。家へ来て稲運搬の手伝

十一月二十二日 金曜 晴
起床:五時二十分 
就寝:二十時四十分 
登校:七時三十分 
下校:十時二十分
 稲刈り
台湾の叔母さんが昨日御客に来た。自転車で学校に行った。朝礼をした。一時修身公益世務の所 金原明善の話。一時間して早引をした。家へ来たら十一時過ぎた。田に行き稲刈りをした。昼食して又田に行った。叔母さんは帰った。稲刈りに行った。

十一月二十三日 土曜 曇
起床:五時十分 
就寝:二十時三十分 
登校: 
下校:
新嘗祭 角力
新嘗祭の為学校は休みである。朝食して田に行った。麦播きの手伝作切りをした。つゆがかわいた時分稲刈りに行った。昼食して農士学校の角力に行った。自分は高崎として負けた。農士学校の生徒のしたのを見た
日本農士学校社稷祭。

十一月二十四日 日曜 曇
起床:五時十分 
就寝:二十時四十分 
登校: 
下校:
 麦播きの手伝
日曜日である。朝食して支度をして田に行った。肥引きをした。作切りもした。富岡運造さんが来てくれた。昼食して稲上げに行った。馬が八だ*。リヤカーで七十五束運搬した。すい風呂**を物置に入れた。甘藷を切った(馬鈴薯)
*駄。一駄は稲の束を馬の背に六束ずつ分け十二束。
**風呂桶。

十一月二十五日 月曜 晴
起床:五時十分 
就寝:二十時四十分 
登校:七時十分 
下校:十七時二十分
 手工をした
早く起きた。つるし柿をつるった。手工があるので道具を持って行った。朝礼で西ヲンジキン望公のおかくれの話をした。一時修身、公益世務。二時算術、P46対称形。三時理科、循環器。四時体操、分列をした。五時手工。掃除をして家へ来たらくらくなった。

十一月二十六日 火曜 曇晴
起床:五時二十分 
就寝:二十時四十分 
登校:七時二十分 
下校:十七時十分
 考査
時雨が降って居た。今日は雨降りかと思った。きょう練の支度をして行った。一時読方斎田田植式の所。雨は止んだ。二時読方考査。三時算術P47多面体。四時分列の習。却判(ゲートル)*をまき帽子をかぶった。唱歌をした。野分けをした。山も歌った。家へ来て使に行った。
*脚絆。

十一月二十七日 水曜 晴
起床:五時二十分 
就寝:二十時四十分 
登校:七時十分 
下校:十八時十分
 大掃除
今日も二十八日の練習がある。用意をして行った。一時算術P47多面体。二時地理算術自習正二十面体。三時地理、政体。昼食して当日の練習の支度をして外に出た。四時練習をした。五時大掃除をした。明日の支度をした。家へ来て色々した。

十一月二十八日 木曜 曇
起床:五時十分 
就寝:二十時三十分 
登校:六時二十分 
下校:十二時四十分
 査閲があった。
今日は二十八日庭は掃除せられ、人もはりきっ[て]居た。査閲の当日であった。サイレンが鳴った。査閲官中佐殿が御見になった。小学校のイッペイを受けられた。教練の人達の体操目の前て見た。研究科の生徒の演習を見た。小銃機関銃などでにぎやかだった。分列をした。査閲官殿におほめにあづかった。土かけ。

十一月二十九日 金曜 曇
起床:五時十分 
就寝:二十時三十分 
登校:七時二十分 
下校:十八時二十分
 ポスター
何時も猫が寝て居る。今朝は霜もなくあたゝかかった。学校に行った。一時修身公益世務。二時読方斎田田植式條紀□。三時地理政体。四時図画火防デーのポスター。五時続きをした。三枚。放課後もした。
大蔵区常会開催。

十一月三十日 土曜 曇
起床:五時十分 
就寝:二十時五十分 
登校:七時二十分 
下校:十三時二十分
 稲こき
今日は雨が降って居た。傘を持ち学校に行った。正二十面体を作くった。朝礼をした。防火デー。犯罪予防デーの話をした。一時読方斎田田植式。二時防火デーのポスター。三時続きをした。掃除をして家へ来た。叔母さんが御客に来た。稲こきの手伝ひをした。


冨岡寅吉日記 昭和15年(1940)12月 菅谷村(現・嵐山町)大蔵

2009年10月19日 | 冨岡寅吉日記

十二月一日 日曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時四十分
登校:
下校:
 稲こきをしたです。
夕べの風は大きかった。庭に木の葉がちらかって居た。神社参拝に行った。火防デーである。警防団員は神社に集まった。稲こきをした。警防団の人が自転車で幾人も旗をもって通った。家を廻って歩るった。叔母さんがかへった。午後も稲はたきをした

十二月二日 月曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時二十分
登校:六時二十分
下校:十八時五十分
 農業当番
空は晴れて居たので霜は多く降りて居た。朝当番なので早く支度をして行った。朝礼をした。週番の話。三時。算術P49P50多面体。一時修身公益世務金原明善。二時四年松研究事業。四時慰問文をかいた。五時手工くぎを打った。農業当番をして来た。

十二月三日 火曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時十分
登校:七時二十分
下校:十六時十分
 自転車のパンクはり
朝寝をしてしまった。霜は降りて居なかった。一時読方大嘗祭。二時六年竹の研究事業。三時国史大政奉還。四時体操個人ボール。五時唱歌。野分け、女の月見草。明日地理の変り*読方持参の話。自転車屋へより家へ帰って来た。稲こきを少しした 以上。
*代り。

十二月四日 水曜 晴
起床:五時
就寝:二十時二十分
登校:七時十分
下校:十六時二十分
 藁こぎをした。
大霜であった。庭、畠、屋根も真白であった。一時算術、P50二面角。二時読方大嘗祭由来。三時理科呼吸器。音声。四時書方。清書(去年今夜待清涼秋思詩篇独断腸恩賜御衣今在此捧持毎日拝餘香。(菅家後集ニ拠ル)。五時武道切かえし。柔道も少しした。藁こぎ

十二月五日 木曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時二十分
登校:七時二十分
下校:十三時二十分
 稲こぎ 車の正三さんが来た 第一日
霜も少く温かかった。「テンブリ*」を持ち学校に行った。自習をした。西園寺公望公の国葬**の為朝礼をしなかった。一時国史、女の事について話。?(ママ)。二時読方、第五、六課をした。三時綴方をかえし模範文を読んだ 国葬の話。(犯罪予防デー)。家へ来て米をあおったり。はこんだりした。
*唐鍬。
**故西園寺公望国葬執行。

十二月六日 金曜 曇
起床:五時二十分
就寝:二十時二十分
登校:七時十分
下校:十六時四十分
 乾(いぬい) 犯罪予防デー第二日
庭のしびをはきまとめた。学校に行く時分は雲って居た。自習をした。とても涼しく寒かった。運動したら暖くなった。一時修身国憲国法。二時読方、祭祀と農業について。三時地理、正倉院について話。司法をした。四時体操。昼休みに机をとりかえた。大野角蔵君と並んだ。五時図画をした。犯罪予防週間のコウコクくばり

十二月七日 土曜 曇
起床:五時十分
就寝:二十時
登校:七時二十分
下校:十六時十分
 農業当番であった。
初冬であるが霜は降りない。今朝も暖かかった。学校に行く時分は寒かった。一時読方蓑蟲をした。二時算術P50角錐をした。三時体操下田先生指導 □体操、鉄棒など歩足もした。農業当番で下肥のかえだしなどをした。鍛練馬の鍛練か校庭で始行された。家へ来て自習をした。

十二月八日 日曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時
登校:
下校:
 農休み第二日
農休みである。おひ町の宿などで朝から忙がしかった。掃除などした。遊びに行った。河原で遊んだりした。昼食して又行った。鉄砲を作くった。岩澤*、高瀬**が来た。かくねっこをした。面白く遊んだ。
*岩澤昭二。当時高等科一年生。
**高瀬清三。同級生。

十二月九日 月曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時二十分
登校:七時二十分
下校:十五時二十分
 農休み三日目
支度をして行った。渡り鳥を書いた紙をわすれて取りに来た。朝礼をして明日の話をした。一時算術P52(平面と-。二時読方蓑虫に渡り鳥。三時農業考査。四時理科呼吸の衛生をした。五時大掃除をした。手工を上げた。家へ来て鉄砲を作りました。

十二月十日 火曜 晴
起床:五時十分
就寝:十九時五十分
登校:七時二十分
下校:十二時四十分
 農休み終りました。
今日はもらい農上りである。部会の先生が読方を見に来た朝礼をした。一時算術P52勾配をした。二時読方渡り鳥、見に来た。三時、自由の学科を自習した。掃除をして家へ来た。農休みなのでうんと遊んだ。鉄砲ぶち。ベースをした。とても面白く楽しかった。山下和十郎君の家の庭でした。

十二月十一日 水曜 晴
起床:五時二十分
就寝:十九時五十分
登校:七時五十分
下校:十六時二十分
 使をした。
いかにも冬らしくなった。今までなって居た柿も落ちつくした。太陽はきらめく。学校に行きコンパスを買った。一時算術、P54多面体の体積。二時地理、外交、軍備。三時理科、皮膚、排泄器。四時書方。恩賜御衣今在此。捧持毎日拝餘香をかいた。五時ヂーゼル会社*の人の話を聞いた。家へ来て玉川に使に行く。
*松山町にあったヂーゼル機器株式会社。この年5月に、事務所・主工場等が竣工し操業を開始していた。1990年(平成2)に(株)ゼクセルへ、2000年(平成12)に(株)ボッシュ オートモーティブ システムへ、2005年(平成17)にボッシュ(株)へ社名変更した。

十二月十二日 木曜 晴
起床:五時二十分
就寝:十九時三十分
登校:八時十分
下校:十六時十分
 下田先生のはなし
白い粉をまいてやうに霜が降りて居た。学校に行き角力をした。一時読方、第八課渡り鳥。二時国史、大政奉還。三時読方、第八課、……。四時農業第三十五、馬。五時、昨日の話を下田先生がした。休み時間角力をしたので面白かった。稲こぎをした。終った。

十二月十三日 金曜 晴
起床:五時二十分
就寝:十九時五十分
登校:八時十分
下校:十五時二十分
 大根こぎをした
朝寝をしたので気持ちが悪い。支度をして山下君の家へ行った。学校に行き運動をした。一時修身国憲国法。二時読方第九課田園の曲。三時地理軍備の所をした。四時体操、……。五時職業について話をするので家へ来た。そして大根の土かけや大根こぎをした 以上

七郷村大政翼賛会支部村常会部落常会結成式挙行。

十二月十四日 土曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時二十分
登校:七時二十分
下校:十六時十分
 農業当番。麦ふみ
農業当番なのでべん当をもって行った。一時算術P54考査の事。二時読方第九課、田園の曲。三時体操考査をした。四時?(ママ)なし。農業当番をした。吉野君等と下肥を十二ハイくれた。家へ来て西原に作切り。前畠に麦ふみに行った。

十二月十五日 日曜 晴
起床:五時十分
就寝:十九時三十分
登校:
下校:
 畠の仕事
早く起きた。大野君に借りた本を読んだ。支度をして父ととうみで米をあをった。ほし物を出した。畠山の馬苦ろうが来た。畠に作切りに行った。守は麦踏みをした。終した。午後くわ畠へ行ってけづりこみをした。おばあさんは松山の御鶏様*に行った。以上
*酉の市が松山町大字日吉町の大鳥神社の祭礼と一緒になったもの。

十二月十六日 月曜 晴
起床:五時十分
就寝:十九時五十分
登校:八時二十分
下校:十六時十分
 算術考査
霜が降りて居た。父と庭をはいた。兎箱を作りかけた。学校に行き算術をしらべた。一時修身国憲国法、二時、算術考査。三時農業、牛。四時理科しらべた。五時唱歌 初雁先生*の指導。戦死を吊ふ歌。国史の考査自習。家へ来て色々した。
*初雁不二彦。1930(昭和5)年3月~1950(昭和25)年3月勤務。

十二月十七日 火曜 曇
起床:五時十分
就寝:二十時十分
登校:八時十分
下校:十六時十分
 国史の考査
霜は降りなく曇って居てあたゝかゝった。学校に行き国史をしらべた。一時読方、勝安芳と西郷。二時算術P55円筒、円柱錐。三時国史考査。四時澤田先生*のわかれの式が行われた。理科をした。今日は四時間で掃除をして家へ来た。朝兎箱を作り上げた
*澤田道子。1940(昭和15)年3月~8月勤務。

十二月十八日 水曜 晴
起床:五時十分
就寝:十九時二十分
登校:七時五十分
下校:十六時十分
 いろいろ考査
夕べは雨が降ったりした。そして電気はきへてしまった。理科をしらべた。一時算術。二時理科考査。三時地理をした。明日のこと。四時書方十二頁をした。五時唱歌、考査をした。男女一つしょ。家へ来て竹引きに行った。上寺へ行った。帰りがおそい。

十二月十九日 木曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時十分
登校:八時十分
下校:十七時十分
 農業実習をした。
夕べの雨も晴て空は曇って居た。あまり寒くなかった。一時読方第十課をした。二時地理の考査をした。三時国史明治維新をした。四時農業 牛をした。五時実習、十八人で麦ふみをした。かんらんの移植をした。二十本ばかりもらって家へ来てうゑた。

十二月二十日 金曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時二十分
登校:七時十分
下校:十二時二十分
 修身考査
自転車で行った。へび坂で車の後押をした。学校に行き修身の考査問題をしらべた。一時修身考査。二時読方勝安芳と西郷隆盛。三時地理。教育。神社。三時間してひまをもらって来た。家へ来て米運こびをした。二十四、五俵ありや。

十二月二十一日 土曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時
登校:七時二十分
下校:十二時十分
 村葬*
今日は藤縄茂樹さんと鎌形の星野幸吉さん二人の村葬なのである。一時読方十課を終した。二時算術P55円錐角錐。三時唱歌 掃除をして支度をして安養寺へ来た。式は約二時間も続いた。村長さんを始めとして色々役の人の御しょう香が始まった。家へ来て色々した。
*午後1時より大蔵安養寺で故星野幸吉、故藤縄茂樹の合同村葬が執行された。  参照:岩沢弥市菅谷村長の弔辞

十二月二十二日 日曜 晴
起床:五時三十分
就寝:二十時十分
登校:
下校:
 だんごくれ
一番おそく起きた。霜の降りるのはあたりまへである。算術の二学期の終りの方の復習をした。縄ないの手伝ひをした。そして、木を小さく切った。色々の本を見た。午後少し仕事をして神社*へ行った。だんごを三ツづつくれてのこりをなげた。
*談:この神社は大蔵神社。この日根岸の愛宕神社でも祭典があったが、この神社は権現様と呼んでいた。

十二月二十三日 月曜 曇
起床:五時十分
就寝:二十時十分
登校:七時二十分
下校:十二時三十分
 学校の大掃除。二千六百年のごみもなくなった。
朝当番なので早く起きて支度をして山下君の家へ行った。二人で山下和君の家へ行き一所に行った。野村*は学校に居た。山下和君がガラスを四枚うっかいた**。一時修身国憲国法。二時唱歌練習をした。三時大掃除をした。週番なので井戸の大掃除をした。家へ来て弓をいた。
*野村修彦。同級生。
**ガラスを割った。

十二月二十四日 火曜
起床:五時十分
就寝:二十時十分
登校:七時五十分
下校:十二時十分
 弓をいた。
第二学期の終了式である。秋の名残りの雨が涙の如くぽつりぽつりと降り出し風にとばされた。朝礼をした。学校手牒をかえした。書方、図画等もかえしました。家へ来たら雨も止んで昼であった。台湾のおばさんの家へたきぎをもって居た。家へ来て弓を射た。百点

十二月二十五日 水曜 晴
起床:
就寝:
登校:
下校:
大正天皇祭 麦踏み
弓を射るのは面白い。朝食して農をする支度をして桑畠に行ってほつくわへしをした。少しなので早く出来た。家へ来て本じん畠へ行った。麦踏みをした。昼食して麦踏みをして途中でひまをもらって菅谷へ使に行った。かけづをかった*。家へ来て麦踏みをした。
*子供の出生後初めて迎える初正月に贈る破魔弓(ユミハマ)。掛軸と男児は弓矢、女児は羽子板をお祝いとして暮れまでに贈る。

十二月二十六日 木曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時十分
登校:七時二十分
下校:十一時五十分
 学校の西山の根刈り
学校に行くのである。朝は寒いのでつい寝坊してしまふ。寒いががまんして学校へのして行った。山には六人居た。鎌が重いので手がつかれる。だんだん人かずもまして来て仕事は益々はかどる。たいていの者は火のそばにばかり居る。農業当番で牛舎から牛ふんを引いた。家へ来て山林に行った。

十二月二十七日 金曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時十分
登校:
下校:
 山の木の葉はき
山に行くので支度をした。車を引いて行くと前も後も車で道がふさがる。山に行く途中車を引いて居たのであつかった。くまでではいたり根刈りをした。飛行機が空でもんどりを切って居た。昼食も山で食べたのでおいしかった。二十たばと三籠はいた。

十二月二十八日 土曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時二十分
登校:
下校:
 山林の木の葉はき
今朝は一番おそく起きた。そして支度もおそくなった。かけ足でおひついだ。山に行き火を燃した。今日は昼前の中に二十四たばも作り上げた。父は馬方をした。三だんつけた。車の籠へは二籠しかはけない。学校林てぼややしのを集めた。榊も切った。弓を作りけり。強い弓

十二月二十九日 日曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時三十分
登校:
下校:
 水車に行きけり。
今朝も起きるのがおそかった。十時頃までぶらぶらとして家に居た。風は空でうなって居る。遠山の水車にめんを持ちに行くので支度をした。始の中は寒くて自転車から落ちそうであった。その中にあたゝかくだんだんあつくなった。昼食をもらって喰べた。家へ来る時に吹起が来た。今夜の夕御飯は稀におひしかった。

十二月三十日 月曜 曇
起床:六時十分
就寝:二十時三十分
登校:
下校:
 年の暮でいそがしい。
今朝も早くなかった。支度をしてけづりこみをした。桑の木を切った。根岸に行った。家へ木て菅谷へ行って浮子*を買って来た。いも出しをした。頭の毛刈りもした。斉藤君**の御産物をもらった。人参の葉を切ったりした。はこんだりした。もちつきである。
*浮粉。米の粉。
**斉藤三郎。立川飛行機に勤めていた。

十二月三十一日 火曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時三十分
登校:
下校:
 今年は今年はとて暮にけり
今日は朝から天気はよかった。支度をして庭を掃除した。桑の木を引ひた。大みそかなのでいそがしい。昼食してすぐ菅谷の家へいも、人参、ごぼう、なきりみ、等持って行った。二十銭。大工の家五十銭 金井屋二十銭収入があった。桑の木切りをした。今年にない好天気であった。


菅谷村議会傍聴記 3 関根昭二 1951年3月

2009年10月18日 | 報道・論壇

   村会傍聴の記
    全面か 単独か
     国会議員さながらの大論戦
      三月十三日第三次追加更正予算の日

 提案者の一人である根岸(寅)議員も周囲の事情がはかばかしく行かないのであらうか「どちらにも理屈があるだらうと思ふので希望のある人は村会議員として個人々々が署名することにしてはどうか」と発言するや、「同感」といふ声が幾らか起つた。松浦氏もあんまりしやべつて喉が渇いたのかお茶を飲みながら「どうですか皆さん協議会に入つて平たく話さうぢやありませんか」と一人舞台で理論を闘はしたので固苦しくなつた気分を和らげようといふつもりらしい。それに全議員とも緊張しすげて少し疲れてきたといふ格好である。然し金井議員は発言を求め「大きい問題だといふが私としては村のことをやるのが村議会だと思ふが今日のこの問題が村と無関係のやうに聞かれたがこれこそ村に関係あることだと思ふ。今までも日本が満州に軍隊を侵入した時農村は苦しんだのである。村のことでないとして打切つてしまふのではどういふ面で村の利益を闘ふかについて疑問があると思ふ」徹底的に審議しそして賛成するのが当然だといふ見幕である。松浦議員も勢を得て「六十万の交付金が減つたことにもすでに関係があると思ふ。村予算の面にもすぐ響いてきてゐる。再軍備をすれば税金で苦しみ、子弟を兵隊にとられる。生きるか死ぬかの苦しみをしなければならない。第二の朝鮮となることは受けあひである。軍隊がなければどうにでも解決ができるのである。絶対中立の国へわざわざ踏み込んでくることは恐らくないと考へられる。兎に角生命に関はる問題だから慎重に考へてもらひたい。協力しないことはうそだと思ふ」是非とも賛成しなければならないとあくまで強硬に頑張る。根岸議員再び立つて「個人々々で協力すると思ひますのでこの辺で審議を閉ぢて次の問題に移つていたゞきたい」と議長に要求した、各議員も何となく疲れてきたので「同感」の声が又も起つたが松浦議員は「私の話が下手で…」と弁解する。議長はこれを慰めて話の上手、下手は問題ではないと思ふ。全面講和に反対する人は一人もないと思ふので個人々々でやつてもらつては…と述べたので松浦議員はすかさず「此処に出席してゐる方で全員全面講和に協力していたゞけませうか」と手廻しの早いことを云ふ。何とかしてこの場で承知してもらはうという悲壮な決意を持つてゐるらしい。然し誰も賛成に署名すると言はない。山下議員が立ち上つて、「講和の問題は非常に重大な問題であると共に世界情勢も複雑してきたので個人々々の考へが隔つてきたと思ふ。考へることも言ふことも自由であるが、敗戦後日も長いし全面講和は到底不可能である。一日も早く占領を終結してもらふことを国会で決めるなら結構であると私は考へてゐる。単独講和で一日も早く講和してもらひたいので、今日はつきり意思表示を求められることは困る」と松浦議員の言に反対の意向を表す。
 議長も「全面講和を否決するといふこともうまくないが研究してもらふことにしては」と妥協案を出す。各議員も大体これを了承したが賛成派はなかなかねばる。高橋議員は「時の政府が新聞、ラヂオを通じて反ソ反共の宣伝をしてゐるからひつかかつてしまふのだ」と賛成を得られない責任を政府と報道機関に向ける。時に利あらず情勢我に不利なりと見てとつたか、金井議員は建議案撤回を申し出した。松浦議員はまだ説明したいことがあるんだがと不満さうに云つたが最後に「第二の朝鮮となることを望まないからいふのである。皆さんはさういふ事態になつてから気づくのである」
 平和への道は閉されたとでも云ひたげな絶望にも似た悲痛な一言を以てこの「全面講和協力の件」の建議案は遂に撤回されたのであつた。
 村会史上未だ嘗て見ざる建議案ではあつたが兎に角かくの如き熱烈なる討論が真剣に闘はされ然も完全なる言論の自由が行使され懲罰動議などといふチヤチなものも出なかつたことは慶賀の至りであつたことを記して筆を置かう。
                   (報道委員S記)

   『菅谷村報道』12号 1951年(昭和26)4月10日


菅谷村議会傍聴記 2 関根昭二 1951年3月

2009年10月17日 | 報道・論壇

   村会傍聴の記
    全面か 単独か
     国会議員さながらの大論戦
      三月十三日第三次追加更正予算の日

 続いて大野、高橋、松浦、金井、根岸(寅)議員等五名の共同提案になる「全面講和協力の件」が上提された。今まで熱い熱いと云つて椅子を陽陰にずらしてゐた松浦議員も乗り出して来て提案理由の説明に立ち上つた。この日大野議員が欠席したため松浦議員が説明に立つたわけである。「この問題は実に重要な問題でありまして、何故に村会に提出したかについて申し述べたい」と前置きして松浦議員特有の弁舌を以て全面講和絶対必要論を堂々と説明した。「全面講和か、単独講和かは極めて重大なことであり、全面即平和、単独即戦争である」と大見得を切る。「単独講和ではソ連、中国と宣戦布告したのと同じである。この少い警察軍で自衛権を発動したとてどうにもならない。結局アメリカの援助を求めねばならない。さうなれば日本は第二の朝鮮である。単独講和では何故いけないかといふと中国との貿易を失ふからでさうなれば日本の経済は成り立たなくなる。今まで中国貿易は五割を占めてゐたので中国を含めての全面講和でなければならないわけである。多くの人は全面講和は理想であると云つているがよく考へてみると全面講和こそでき易いので単独講和はできにくいのである。私は全面講和なら明日にでもできると思ふ」と吉田首相以上の大確信を説く。「アメリカ国内では日本を再軍備せよといふ世論もあるが、これは日本国民の団結の力と要求とによつてくつがへすことができる。仮に全面講和ができないとしても有利に導くことができると思ふ。皆様の御批判によつて是非とも全面講和に協力していたゞきたい」と結ぶ。これに対して直ちに出野議員は発言を求め「一々ごもつともで趣旨としては賛成であるが松浦さんの話では全面講和は平和で単独講話は戦争であるといふ話であるが、私が新聞、ラヂオでみればその反対であると考へられてきたのだが本当に松浦さんの云ふ通りなら協力する必要はないと考へる」と反対の意を表明、松浦議員はすぐさま反駁「だまつていてはできないので国民の強固なる団結によつてアメリカの世論をくつがへすのである。日本の全人民の世論によつてくつがへすのである」かくて出野議員との間に討論が闘はされたが出野議員も些か疲れたか松浦議員と話が折り合はないのであきらめたのか「松浦氏の提案に対して賛否を保留する」と結論して引き退つた。議長もこの建議案には困惑したと見えて「私は建議案として案を出したが本村として取るべき具体的措置がないならば賛否をとるといふことはできない」と暗に反対の意向を述べる。一体これを決議したところでそれがどうなるかといふことは議長のみならずすべての議員が疑問とするところであつたがこれについて松浦議員は「村会で全面講和賛成を決議したことになれば非常に力強いものになるので、永久占領されるか或は完全に自主を取り戻すかの大問題である」と説明して全面講和運動協議会のパンフレットを読みあげる。続いて高橋議員は中国貿易との必要を説き「アジアの大国でありそして隣国である中国を除外して講和を結ぶといふことは日本経済が成り立たなくなることである」と賛成の意を述べる。次に金井議員が立つて先に松浦議員と出野議員との間で問題になつた侵略といふことで独特の口調を以て見解を披瀝、「帝国主義は一国に於て資本主義が行きづまつた場合他国を生産手段によつて犠牲にすることだと思ふ。例へば日本が満州でしたことがさうである。かうした事実が日本にあり、又現在の日本がどうなつてゐるかは知つてゐる筈である。…日本にピストルが向けられてゐるといふがどこの国がしてゐるか知らない。日本人民を奴隷にし利用してゐる国のことだと思ふ。全世界の働く人民が明るい生活を築くため帝国主義戦争をなくするために団結しなければならないといふ意味に於て賛成する。」このあたり全面講和賛成派の独壇場でまるで選挙演説を聞いてゐるやうな気がする。続いて松浦議員「全面講和に賛成したからとて何等損することはないと思ふ。協力することは結構なことで皆全面講和を望んでゐると思ふ」各議員とも重大な問題とみてかなかなか賛成の態度を表はしてくれないので損得問題を引つばり出してきて何としてでもうんと返事をさせようといふつもりらしい。出野議員再び起ち上つて「損だから得だからどうかうといふのではない。全面講和は理想論であると考へてきたのだから。この小つぽけな村が村会で議決したからとて大海に香水一滴たらしたようなものだ」と村会で決定するのは無意味だといふ意向。議長もこの議案には閉口したと見えて再び松浦議員に説明を求める。松浦議員の解答も前回と同様何となく漠としてゐるので議長も「村会議員が個人としてやつてもいいのではないか」と早く責任を逃れたいといふ口振り。松浦議員はあくまで村会の決議に持つて行きたい考へらしい。
 「村会の決議の方が強力なものになる」からと突つぱる。高橋議員も「全面講和を望んでゐるものと望んでゐないものが階級によつてある」と助言する。松浦議員も力を得てか「全面講和ができればソ連、中国が入つてくることは絶対にないと保証する」とスターリンや毛沢東から証言を直接聞いてきたやうな言ひ振りである。出野議員又も立ち上り「この山間の一寒村が村会で決議したところで…」と仕方がないと云はんばかり、松浦議員は直ぐさま「一粒の麦である。これが全国的に発展するのである。」然し議長も何としても困つた問題を採り上げたもんだと困惑のていで「新聞やラヂオで論議盡くされてゐるのでこの村会で決議するのは問題が大きすぎると思ふが、議案の扱ひ方に確信がもてない気がするんですが」と弱音を吐いてきた。私は(村会議長)で(国会議長)ではありませんといふわけだらう。然し松浦議員は執拗で「多くは新聞、ラヂオで知つてゐることしか云はないのであるが細かい説明を聞けは協力しなければならないことになるんだが」とねばり自分の説明が下手でどうも…大野さんが居てくれればよかつたんですが…と賛成を得られないのが松浦議員の説明が下手だからとでも思つてゐるらしい。出野議員又立つて「村会はよろしく村政を議すべき所で国際問題を取り上げて議することは問題が大きすぎると思ふ」と終始村会で議することに反対する。松浦議員も黙つてはゐず「つまり協力しないわけですか」とあくまで強硬な態度である。長老議員加藤氏が立ち上り「米国としても止むを得ず単独講和をしてゐるので話す人聞く人によつて異なることで此処で決するといふことはどうかと思ふので保留して各議員に任せるべきである」と長い間議論を聞いてゐるのでそろそろ何とか決めてもらはなければといふところであらう。然し松浦議員は一向に止める気はなく「ソ連、中国が全面講和にいつ反対しましたか。反対した事実をあげていたゞきたい」と詰め寄る。「新聞、ラヂオを聞いて信じてゐるだけで…」とたぢたぢする。

   『菅谷村報道』12号 1951年(昭和26)4月10日


菅谷村議会傍聴記 1 関根昭二 1951年3月

2009年10月16日 | 報道・論壇

   村会傍聴の記
    全面か 単独か
     国会議員さながらの大論戦
      三月十三日第三次追加更正予算の日

 この日ほど明白に然も公然と自己の思想的態度を表明した村会は未だ嘗てなかつたのではなからうか。村会議員が国会議員に早変りしたのではないかと疑はれるほどの白熱的論議が闘はされた。村会のことに関してもかう熱心であつてくれればいいがと感じたが…。
 この日追加更正予算案の村長説明は極めて簡単で僅か十分、議長及び村長の交際費増額はすでに議員の了解を得てゐますので説明はぬかしていたゞきますとあつさりかたづける。
 議員の方も承知してゐると見えてこの件については誰も質問しない。唯高橋議員が「交流関係に於てはなるべく危険を避けてやつてもらひたい」と希望意見を述べたに止つた。この日真つ先に質問に立つた松浦議員は平衡交付金減額の理由を突いたが村長の答弁にはあきたらないものがあると見え、高橋議員が「交付金の減額は大きいのであるが課税率が問題になつた事実はないか」と質問し村長答弁の後「課税標準を下げることを地方事務所あたりは非常にきらつてゐますね」と述べるやわが意を得たりとばかり「結局向うさまの云ふ通りにしなければ駄目なんだから村会なんかいらないわけだ」と云ふと隣りの高橋議員も「官僚主義だよ」と同調、すかさず松浦議員は「村会を無視してゐる、ファシズムと同じだ」となかばあきらめたやうにつぶやいてゐたまではよかつたが、「皆さんにかういふことを知つていたゞきたい」と起ち上り、一段と声を高めて交付金が今までは四割から五割まであつたのが今年は二割に下つてきた減額理由を自己独特の見解で披瀝、自分が村長に求めた交付金減額理由を自から答弁した。
 着席するや高橋議員と隣り同志で政府攻撃を話し合つてゐる。議長も二人の話し合ひが途切れた所で「何か御意見はありませんか」と問ふや高橋議員「私は別に質問はありませんね」とぶつきら棒に云ふ。松浦議員も、「まことに仕方ないですね」とつぶやく。何としても政府官僚のやることは気に入らないといふ顔つきである。かくて開会後一時間二十分で第三次追加更正予算案は簡単に可決された。
 午後からは村長が「職員の給与に関する條例」を逐條的に読み上げて説明して行つたが各議員ともあまり興味はなさげで生あくびをかみしめて聞いてゐる。議長もしきりにあくびをくり返す。収入役も目をつぶつて瞑想。村長から呼ばれてゐるのも知らないでやつと気がつく有様、山下議員金歯を出してウフフと笑ふ。規約が超過勤務手当と休日給の條例になると日宿直料が問題になつた。條例が日宿直を含むやうに解釈すると料金がえらい金額になるので「一人専門の宿直員を頼んだ方がいい」と云ふ者「日宿直は勤務にはならない」と云ふ者で意見はまちまち。村長は「日宿直は勤務であり全責任を負はなければならない」と強硬、一人ソロバンをバチバチと弾いて「一時間四十二円になりますね」と計算を発表するや「寝てゐる時間も勤務になるか」と声がかゝる。「役場へ来て寝て居て身上を作つちやふな」と誰か云ふ。村長も額が多くなりすぎるので「日宿直は超過勤務には違いないがこの規約を適用するかどうか疑問だ」と云ひ始める。「宿直は現在五〇円、日直は六〇円でこれをどうにかしてもらひたい」と議員に考慮を求める一方「額を上げてもらへば日宿直同じでいいやね」と収入役に同意を促す。結局、日宿直の手当は別に定めるといふ一項を挿入したが「どのくらゐの額にしていたゞけますか」と村長しきりに心配してゐる。議長はエヘヘと笑ふ。出野議員が「自分の職場へくるんだから百円ぐらゐでいいだらう」とするのに対して松浦議員は百五十円を主張したが、村長は「百円でどうですか」と提案したのでこゝに落着いた。「年末手当がこれからは公然と半ヶ月分もらへるわけである」といふ年末手当の條例を最後に給与條例は可決されたが農協理事会の為午前中欠席して午後審議途中に入つてきた金井議員一人手を挙げない。議長あまり近いので気がつかないと見え例の調子で「満場一致を以て…」と云ひだすや松浦議員から「満場一致といふのは…」と声がかゝり、金井議員発言を求め議長は審議を継続する旨を述べる。金井議員は午前中に審議された予算案を見て国連協会負担金、国連傷兵慰問金について一言、「日本国憲法を重んずるため又武装放棄した国土を尊重する意味に於て絶対に不賛成で一銭でも協力することは反対であります」と怒つたやうな口調で云ふ。「それはすでに決定になつたことである」といふ議長の言でけりがつく。

   『菅谷村報道』12号 1951年(昭和26)4月10日