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3月開館日も残り2日、ラストスパートです。

2023-03-24 18:46:03 | 日記
ずっとお天気が崩れる予報でしたが、本日はおかげさまで昼までは天気も回復し、
時折日差しもありましたが、午後からは一転して雨空に。
気温の上昇とともに桜の開花も一段と進み、午前中は各所で春の景色を
カメラで撮影されている姿が見られました。
甲府盆地内の桜も7〜9分咲きで、もう満開を待つばかり。
武田神社周辺は土日に満開になると思われますが、あいにくの天気予報です。

そして、盆地東部の果樹地帯では、桃の花も徐々に咲き始めていまして、
毎年恒例の桜と桃の花で染まる甲府盆地のピンクの絨毯は、
来週から4月最初の土日が見頃かと。

春の甲府盆地は桜と桃で2度花見が楽しめます。

春休みとなり、お子様を連れたご家族の姿もちらほらと見受けられ、
「楽しかった」と、お子さんからお声がけいただき、展示のことについて話し合いながら
お帰りになるご家族の姿を見送り、気軽に歴史を学ぶ場を運営する側としては、
最高の褒め言葉をいただいた気分でした。
「楽しかった」の意味は、きっと知らなかったことや新しいことがわかった、という
発見の楽しさだったのだと思います。
展示内容は、これからも期待に応えられるよう精進してまいります。

そして、運営が官から民へと移行するまで残すところあと2日。
いよいよ最後の土日を迎えます。
平成31年3月20日の週まで諸々工事が残り、4月5日の開館に向けて準備期間も
10日あったか、なかったか、のようなドタバタした状態で開館を迎えました。
甲府市でも歴史資料館のような施設は初の運営だったこともあり、
準備不足で至らない点が多く、ご不便やご迷惑をおかけしたと思います。
アンケートなども行い、指摘事項を改善しつつ、展示なども可能なかぎり充実を図り、
さあ、これからという令和2年になって新型コロナウイルス感染症による
世界的なパンデミックの影響で、信玄ミュージアムもその年度の3月は臨時休館に。
それから今まで試行錯誤を繰り返し、新型コロナ感染症と付き合いながら
ここまで運営してまいりました。
今年度は臨時休館のない通年開館の予定でしたが、最後に運営引き継ぎのため
5日間臨時休館いたします。
とうとう通年開館を経験しないまま、民営へ移行となったことは残念ですが、
行政ではやりたくてもできないことがたくさんありますので、
今後に期待したいところです。

開館から4年となりますが、様々な出来事や出会いもありました。
今週末までで運営が切り替わることもあり、これまでお付き合いいただいた方々からは
労いや惜別のお言葉を頂戴し、また、ご多忙の折、東北や関西から時間を作って
はるばる訪ねて来ていただいた方もいました。
再会したところでゆっくりお話もしたいところでしたが、春休みも始まり、
コロナ対策緩和で迎える行楽シーズンとあって来館者も多く、
慌ただしい対応で本当に心苦しく、大変申し訳なかったのですが、
遠方から訪ねて来ていただいただけでも嬉しく、心よりお礼と感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました。
運営は変わりますが、引き続き信玄ミュージアムを応援してくださいますよう
お願い申し上げます。

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信玄公のもてなし空間を想像してみる。

2023-03-23 09:36:48 | イベント
日本列島で気候差はありますが、西から徐々に桜の便りが届きだし、
コロナ感染症の規制緩和も進む中、今年は花見の席も解禁のところが多いようで
ゆっくり花見を楽しまれる方が増えるのではないでしょうか。

ミュージアム隣の武田通り沿いのソメイヨシノは、ただいま6割くらい。
来週までしばらくお天気が崩れますので、せっかく咲いた桜の花もどうなるのか。

感染症予防対策が続き、長らく我慢が続いてきましたので、お天気が回復しましたら
ご家族、友人、学校や仕事の仲間などと親睦を図る場として、この季節だけの
娯楽を節度を持ってお楽しみください。

花を愛でながら、親睦を深める行為は、むろん、戦国の世も同じこと。
先日の記事でもご紹介しましたが・・・
中世の寄合の場こと会所。
もっとも発達したのが、室町時代(1336年ー1573年)の中でも、
かなりざっくりですが、14世紀末から15世紀半ばにあたる時期。
後の金閣寺を建立した足利義満から、
後の銀閣寺の足利義政くらいまでのころで、
室内装飾熱狂時代とも評された時代と重なります。
会所は、遊びを介して、「その時だけ」貴賤同座が叶う場、
政治的でありながら文化的な、ひとつの社会的装置として発達しました。

会所専用の建物が建てられるようになる前は、
帝の寝殿の続き部屋だったり、
中には厩(うまや)や風呂だったり。
どちらかといえばプライベートな空間が、一時的に会所として使用されました。

厩や風呂で遊ぶ(!?)と聞くと驚いてしまいますが、
庭園などに面した場所に建てられた厩には、
馬の世話係が常駐し、いつでも清潔に保たれ、
美しく飾られた馬を見ながら、囲碁などに興じたとか。
風呂も、現代のお風呂場というよりも、温泉施設のイメージでしょうか。
夏、仲間で集まってお風呂に入って汗を流し、お茶を飲んで、酒宴で騒いだり。
こうした会場は、ところ狭しと、中国風に飾られ、遊興空間として演出されて。

会所の重要度がさらに増していくと、専用の建物が建てられるようになり、
足利義満の別荘、後の金閣寺には会所が2軒建てられ、
その後も会所専用の建物の数は増え続けたようです。

足利義政の別荘、後の銀閣寺造営のころ(15世紀後半)には、
会所に、主人の権威を誇示する座敷飾り付きの書院造りが誕生。
しつらえも整備、洗練され、所せましと飾られたものは厳選され、
中国的な要素も希薄になっていきます。


『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』(個人蔵)
こちらは当館特別展示室に展示しているもの。

???なタイトルの記録ですが、
義政の東山御殿内の装飾を同朋衆(能阿弥と相阿弥)が記録したもので、
当時の美術工芸、茶華香道のしつらえを、私たちに伝えてくれる史料です。

義政といえば、金閣寺の華やかさから、わび・さびにシフトするなど、
東山文化を築くなどの功績が認められる一方で、
幼くして将軍となり、有力守護の圧力に抗することもできず、
日本各地を動乱に巻き込んでいく応仁の乱が発生。
その復興にもあまり力を入れなかったという評価も。
いずれにしても、義政の下における文化的洗練とは、
裏を返せば、将軍家の、新たな文化を生み出す力が衰え、
おそらく、内面に向かい、磨き上げることしかできなくなった結果であり、
室町幕府全体の脆弱化を意味するものでした。

そこに、幕府の権威を後ろ盾にせんと、
武家が継承してきた作法に倣いながらも、新たな文化の担い手となったのが、
時に粗野ではあるけれど、勢いのある、
各地を独自に統治し始めた戦国武将たちやその周辺の有力商人たちでした。

信玄公が拠点とした躑躅が崎館では、
富士山を借景とした庭に面した本主殿が、会所として使用されましたが、
その他の建物も、会所の代わりを果たしていたようです。
たとえば、江戸時代に描かれた館の絵図によれば、
敷地内には、大切なご本尊をお祀りする宗教施設が3つあり、
最も大きな「毘沙門堂」は、晩年の信玄公にとって大切な祈りの場でしたが、
毘沙門堂には「金の間」もあり、歌会なども催されたと記されています。

これは一例で、戦国最強とも畏れられた信玄公の元には多くの客人が訪れ、
そのたびに儀式や饗宴などが催されたとされたようで、
実際、発掘調査では、儀式では不可欠とされた「かわらけ」(素焼きの器)や、
当時高く評価された陶磁器、
中国から輸入されたものや、鎌倉時代の骨董品が出土していて、
武家故実に倣った儀式の後には、
会所での饗宴や遊びによる「もてなし」があったことの裏付けとなっています。

残念ながら、今、私たちが眼にできるのは、その片鱗でしかないけれど、
パズルのピースをはめていくように、戦国大名武田氏の館や、
そこで営まれた暮らしを感じていただければ、こんなうれしいことはありません。
足利将軍の「花の御所」をモデルとした武田氏館は、
天然の要害に建設された建物ではあるけれど、
鬱蒼とした木々に囲まれていたワケではなかったようですし(^_-)-☆

 
写真のものは全て中国からの輸入陶磁器

作法にのっとり飾られた陶磁器は、
中国からの輸入品や、鎌倉時代に作られた骨董品でした。
火災時に破損したため、まとめて廃棄されたのか、
館の主郭と西曲輪をつなぐ通路跡から複数出土し、
現在は、常時特別展示室にて展示中です。
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信玄公没後450年カウントダウン甲府歴史講座~甲府を学ぶ~5回目

2023-03-22 14:53:51 | イベント
3月16日(木)甲府歴史講座の第5回を開催しました。

「春を告げる天津司舞~知られざる900年の物語〜」をテーマに
山梨県立博物館学芸員 丸尾依子さんが講演しました。

天津司舞とは
小瀬町にある天津司神社に古くから伝わる
日本最古の人形芝居とも言われる伝統芸能で、
国の重要無形民俗文化財に指定されています。

今回は、
なぜ文化財になっているのか?
どのような内容なのか?
どのように伝えられてきたのか?
天津司舞に込められた願いとは?
について学びました。

天津司舞は、特に明治以降、中断(明治維新や、戦争など)や
変化を繰り返しながら
伝えられてきたことがわかりました。
現在の感染症の影響で中断していた状況と重なり、
現代まで継承されることの貴重さを実感します。

令和5年の天津司舞
49日(日)に奉納予定です。
神事は、正午から天津司神社。
最寄りの駐車場は小瀬スポーツ公園です。

今年度の甲府歴史講座の最終回です。
来年度も歴史講座開催を予定していますので
皆様のご参加をお待ちしています。


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桜の便りが届きました。

2023-03-20 10:31:28 | 紹介
3月の開館もいよいよ残り1週間となり、4月の足音が聞こえてまいりました。
日差しも春めいて、早咲きの桜はすでに5・6割開花している木もあります。

甲府でも先週末に桜の開花宣言があり、
街路のソメイヨシノも徐々に花が咲きつつあります。

そして、先日ご紹介した地元自治会の皆様が設置した菜の花もきれいに開花し、
ミツバチが蜜を集めに来ています。


そして、甲府市教育委員会が運営する形での信玄ミュージアムは、
3月26日(日)をもちまして管理運営を終了し、
4月からは指定管理者に選定されました株式会社桔梗屋が引き継ぎます。
そのため、事前に告知しましたとおり、3月27日(月)から31日(金)にかけては、
施設整備や準備のために臨時休館となります。
ご迷惑をおかけしますが、ご理解ください。
4月1日(土)からは、民営に移行しての開館となりますが、これまで開催してきました
企画展示等は、市で引き続き開催してまいります。

戦国の雄 武田信玄公が三河・遠江遠征からの帰途、信濃で亡くなられた4月12日の
ご命日から12月24日までの期間、令和5年度信玄公没後450年企画展
「戦国大名武田信玄の遺産」を3つのテーマで開催予定です。
テーマ1「ゆかりの品々から語る武田信玄」
テーマ2「竜虎相打つ 武田信玄と上杉謙信」
テーマ3「旧武田家臣団と徳川家康」
直近の「ゆかりの品々から語る武田信玄」は、
前期4月12日から6月12日まで
後期6月14日から7月31日まで
の予定期間で開催します。
前期では、甲府の善光寺所蔵で、寺外ではおそらく初公開となります
「木造武田信玄公像」などを展示する予定です。
後期では、和歌山県高野山霊宝館で管理されています信玄公遺品のうち
2点を借用させていただく予定です。
実現すれば、信玄公の遺品が約450年ぶりに躑躅が崎の地に戻ることになります。
現在、交渉・調整中ですので、決まりましたところで改めてお知らせします。
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大河ドラマ「どうする家康」出演者パネル展終了しました。

2023-03-17 18:54:11 | イベント
3月17日はいろいろとありまして、甲府市教育員会運営で実施する最後の自主事業
となった歴史講座「信玄公没後450年を考える」も無事開催しましたが、
1月12日(木)から開始しましたNHK大河ドラマの出演者パネル展が
本日をもちまして終了となりました。
最終日の閉館近くに入館された方も迷わず記念撮影をされていかれましたが、
おかげさまで、予想以上にお楽しみいただけたようです。
ほぼ等身大とお伝えすると、皆さん自分と比べながら家族、友人と楽しそうに
感想を話をしたり、親しげに記念撮影をされている姿が印象的でした。
来館者の反応は以前にも紹介しましたが、一番多かったリアクションは、女性陣の
「あっ、松潤だ!」、もしくは「キャ〜、松潤がいる😍」でした。
さすが主役。そして、さすがジャニーズでした。

意外と今までにない存在感を放つ信玄公もどっしりと構えてアピールしていましたが、
ドラマもまだ序盤戦ということもあり、「なぜ信玄ミュージアムに家康?」という
ご意見もちらほらと。
よーくご覧になった後で、あーっ、阿部さんの信玄ね」とご納得される場面も多く
見受けられました。
そして、秋に移動した「信玄公祭りには阿部さん信玄は来ないの?」と、聞かれる
場面も多くありましたが、そうなると良いのですけど・・・とお話することも多々。
岐阜の信長公祭りの木村さん登場の影響がかなり強いです(汗)。
期待せずにはいられませんが、現実的には多忙な俳優さんですので、
果たして「どうする信玄役!」

それはさておき、短い期間でたくさん方にお喜びいただき、何よりでした。
現在の大河が家康ということを知らない人もいましたし、いつから放送しているのか
知らない方もいたりしまして、受付でお話を聞いていると、大河ドラマの視聴率も
ヒシヒシと伝わて参りました。
PRに一役買えればと思いましたが、その役割を果たせたような気がします。
これから信玄公、あるいは勝頼公も登場してきますので、
ますます目が離せなくなります。
パネル展は終わりましたが、武田家をアピールする絶好の機会ですので、
引き続きチェックしていきたいと思います。
ちなみに、ドラマの世界を紹介するパネル展は、常設展示室で引き続き展示中です。
ご来館の際は、ぜひご覧くださいませ。

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