富士🗻に笠

2020-11-30 17:28:13 | 紹介
昨夕、うっすらとですが、富士山に笠がかかりました。

旧堀田古城園の庭から

日が落ちるのも早くなりました。
17時前には夕闇が広がって、西の空にもうっすら茜色

ミュージアムの屋根の間から、ちょこんと見える🗻

笠雲は雨の兆しと言いますが、
今日の甲府、気持ちよく秋晴れです。

うろこ雲にすじ雲でしょうか。
あっという間に、姿を変えていく空の顔。
戦国の軍配者も、そんな、変わりゆく空を見上げていたのかも・・・しれません。
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12月2日から! 信玄ミュージアムの御城印、通常版の配布が始まります!

2020-11-30 10:53:15 | 紹介
お陰さまで、多くの方にご興味いただいております、当館の御城印✨
信玄公生誕500年まであと1年!
そのカウントダウンを記念した「武田氏館跡」の限定版ですが・・・


12月2日からは、通常版の配布もスタート!
限定版とは異なり、
かつて「躑躅が崎館」(つつじがさきやかた)と呼ばれた史跡武田氏館跡
にふさわしく、美しいツツジのモチーフが入った御城印です。
もちろん、信玄公の龍朱印入り。


配布の方法は、限定版と同様です。
通常版は、配布枚数制限はございませんので、当面の間、同じデザインで
配布をいたします。
御城印は、武田氏館跡歴史館特別展示室(有料)への
ご入室記念として、ご希望の方に差し上げます。
※御城印のみの販売はいたしません。

また、お1人様、1枚とさせていただきます。

限定デザインは、予定枚数が終了するまで配布を継続します。
現状でまだ300枚ほど残部がございます。
お帰りの際、窓口で限定版か通常版か、ご希望のデザインをお選びください。

新型コロナウイルスも感染が拡大していますので、
ご無理のない範囲で、どうぞお越しください。
お待ちしております🙇


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信玄ミュージアム、年末年始の休館のお知らせ

2020-11-28 13:47:01 | 紹介
11月も早や終わりに近づき、12月も目の前です。
新型コロナ感染予防対策のための入館者数制限に伴い、
事前予約をお願いしている当館の特別展示室でも、
12月のご予約をいただくようになってきました。

師も走るほどに忙しい月が過ぎれば、新しい年🎍
武田神社に隣接する当館、今年のお正月は三が日は開館し、多くの方にご来館いただきました。
しかしながら、令和3年の新春は、新型コロナウイルス感染拡大防止策を
講じながら、今年と同じように開館することができないと判断し、正月三が日は
臨時休館させていただくこととなりました。

年末年始のお休み
12月29日(火)~1月3日(日)
  ※12月29日(火)~12月31日(木)は通常休館
  ※1月1日(金)~1月3日(日)は臨時休館

ご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

新型コロナウイルスの第三波、到来。
それでも紅葉はきれいで、当館にもそれなりの数の皆さまがお越しです。
本来であれば、もう少し多くのご来館があったかもしれませんが・・・。


武田氏館跡の東側。写真手前が「躑躅が崎」(つつじがさき)。
武田氏館が「躑躅が崎館」と呼ばれた由来です。

信玄ミュージアム内、「旧堀田古城園」からは富士山🗻がよく見えます。
ご来館の際は、どうぞお気をつけていらしてください。
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信玄公の朱印が「龍」なワケ(その2)

2020-11-27 15:42:56 | 紹介
少し間が空いてしまいましたが、前回の続きです。

信玄公の使った朱印のモチーフは「龍」✨
想像上の生き物である「龍」の起源は恐竜にあり(!?)という説もありますが、
その真偽ともかく、日本で育まれた「龍」とは?
そして、信玄公にとっての「龍」とはどのようなものだったのでしょう。

多くの文明・文化圏でも見られるようですが、
日本でも「蛇」が脱皮する生き物であることから、そこに「生と死の象徴」を見出し、
それが「五穀豊穣」への祈りとなり、稲作などに不可欠な水神信仰に発展したようです。
灌漑が発達する前、干ばつとなれば雨乞いをしていけにえを捧げたようですが、
水を司る神と対をなすように、「古事記」や「日本書紀」に登場するヤマタノオロチのような大蛇は
洪水の化身と解釈されています。
そうして、日本古来の蛇神・水神信仰に、中国伝来の「龍」が合流。
中国の龍は、水中か地中に住み、自在に飛翔して雷雲、嵐、竜巻などを呼ぶといわれ、
皇帝のシンボルでもありました。
加えて中国の龍には、インドの蛇神・ナーガを起源とした、仏教の守護神・竜王も組み込まれていて・・・となると、
龍の解釈、一筋縄ではいきません💦

実際、日本の龍は、これらの要素がぎゅっと凝縮したもの、というより、
それぞれのイメージ、超自然な神性が共存しているような気がします。
例えば、寺院に描かれている龍は仏教の守護神であったり、水神に対する火災除け祈願であったり。
徳川家康を祀る日光東照宮の有名な「龍」の彫刻は、家光が辰年だったこともあったようですが、
「龍」を通して、徳川政権という”王国”の権力をシンボル化したものとも言われています。

ちなみに、織田信長の場合、「天下布武」の楕円の朱印がよく知られていますが、
朝廷の官位を辞し、安土城の完成以降、主に公家や寺社に対して、
「天下布武」に龍のデザインをあしらった朱印を使うようになったようです。
「龍」は信長その人であり、「天皇を従えた皇帝」という自身の目指す姿が推測されるとか。

信玄も、果たして天下を目指したのでしょうか。
これもまた、はっきりとはわかっていないようですが、
その朱印の「龍」に、信長同様、天下を統一した自分の姿を重ねた可能性もなくもない!?

信玄の龍朱印 こちらは2代目!

最後に、信玄の因縁のライバル、上杉謙信。川中島合戦で名高い「龍虎対決」。
「かかれっ!」の合図に「懸かり乱れ龍」の旗を使った謙信が「越後の龍」なら、
信玄は「甲斐の虎」。
でも、謙信の元の名に「虎」が使われていたことから、「越後の虎」に「甲斐の龍」となることも。
ちなみにこちらの表現も、「信玄堤」と同じく、江戸時代以降のものです。
なんだか混乱しますが、陰と陽の考えでは、「龍虎」はどちらが勝った負けたというよりも、
互いに一歩も引けをとらない強者のエネルギーが一体化、調和する姿という考えもあるようです。

さらに、信玄と父・信虎も「龍虎」ととらえれば、そこにはお家発展を共に目指す姿!?
信虎追放は、「今川家の内情を探るための、親子同意の追放(!?)」説も真実味がわいてくる!?
だからこそ、「虎」朱印に、「龍」朱印!?

ちょっと考えすぎですかね😨
最後までお読みいただきありがとうございました。
でも、あともう少しだけ💦


左列が信虎の朱印、中央の列が信玄の龍朱印、左列が勝頼の朱印
勝頼は、龍朱印も受け継いで使っていました。 「甲斐国志」より
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信玄公の朱印が「龍」なワケ(その1)

2020-11-21 18:37:14 | 紹介
11月3日から期間限定デザインの御城印配布を開始いたしました。
今月30日で限定版を終了して、12月2日から通常版を枚数制限なしで配布
開始の予定でしたが、感染拡大を懸念されて外出を控える方もいらっしゃると
思います。そのため、現在の感染拡大状態で慌ててご来館いただかなくても
間に合うよう、限定デザインは、予定枚数が終了するまで配布を継続します。
まだ、残部はございます。
なお、通常版は、予定通り2日から配布しますので、ご希望のデザインを
お選びください。


新型コロナウイルス感染拡大が続いています。感染の疑いがある方は
もちろんのこと、体調に不安のある方もご来館をお控えいただき、体調が
万全になりましたらご来館いただきますよう、お願い申し上げます。
土日・祝日は、時間帯によって満員の日もありますので、事前のご予約
もお待ちしています。

さて、ここからは、御城印にも使用している朱印についてのお話し。
戦国大名たちの領国支配に欠かせなかった朱印。
印判が朱色なわけは、朱色のもととなる辰砂(しんしゃ)という素材の特性と
朱という色のもつパワーが理由(!?)と考えてみましたが・・・

ほとんどの武将が印判に朱色を選んだ一方で、その図柄・文言にはこだわりが。
朱印の使用が個人に終わらず、代々受け継ぐ大名家もあったことを考えると、
それは家と領国のシンボル、目指す姿だったと言えるかもしれません。
そんな大切な朱印の図柄として、信玄公が選んだものは「龍」でした。

意外にかわいいお顔です。初代・信玄's 龍朱印!

なぜ、「龍」だったのでしょうか。

信玄が龍の朱印を使いだしたのは、父・信虎を追放した後。
信虎は「虎」の朱印を使っていましたが、
ここはやっぱり新しい時代のための新しい朱印がふさわしい!?
残念ながら、「龍」を選んだ信玄の思いを、後世の私たちに伝えてくれる資料は見つかっていません。
そんなわけで、本当のことを知る由もないのですが・・・。

「龍」と言えば、信玄は、信玄堤のある「竜王」(今日の甲斐市)を思い浮かべたかもしれません。
この地は、古来より釜無川と支流の御勅使川(みだいがわ)の合流地点であり、水害多発地域。
ここに、信玄をはじめとする為政者の下、大規模な堤防が長い年月をかけて築かれました。
現在は「信玄堤」と呼ばれていますが、これは江戸時代後期以降の呼び名。
問題の土地の名称ですが、川の氾濫を収めてほしいと願って「竜王」と名付けたと思いきや、
地名の起源は甲斐市竜王にある慈照寺の湧水・「竜王水」に。
しかも、この竜、元は悪竜で、住職に諭されて改心。湧き水をもたらしたとか。
また、躑躅が崎の尾根は、江戸時代には龍華の峰と呼ばれ、柳沢吉里が
甲斐八景にも選定した場所。遠くから見ると、躑躅が崎の尾根が龍の尻尾
にも見えますが、何か関係があるのか、ないのか?

それはさておき、「龍」は、不思議な生き物です。
実在しないにも関わらず、世界各地それぞれに龍のイメージ・伝説が。
西洋のサタンなイメージに対し、東洋では神として、聖なる動物として信仰されました。
信玄の目には、どんな「龍」が映っていたのでしょう。
そんなところを探っていきたいと思います。
よろしければ、「ワケ」のその2にもお付き合いください🙇
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