気持ちの良い朝@旧堀田古城園

2021-06-30 10:11:32 | 紹介
梅雨は梅雨でも・・・。
しとしと降って、止んだかなと思うとまた降り出す、いわゆる五月雨はどこへやら。
比較的短時間で、大粒の雨が降ったかと思うと、もう晴れ間が☀
梅雨時にお日さまが顔を覗かせるというよりも、強い雨を降らせる雲が時々流れてくる感じです。
昨晩も、こちら甲府は、勢いよく雨が降りました。

そして、今朝は気持ちの良い朝@旧堀田古城園です!
奥に見えるは、ひし形のお茶室🍵


どこからか種が飛んできた(!?)
しっかり根付いて、もうすぐ花が楽しめそう。

天狗を調べてから、ちょっと気になる八つ手の葉😊 

クチナシの白がまぶしい✨


コムラサキシキブも、白からうす~い紫に色づき始めました。


空には悠々と飛ぶ鳥が。
見えにくくてごめんなさい💦

そして、ひと月ほど前に植えたワタ。
ちょっと心配な感じだけど、ここが正念場(!?)

頑張って!

明日から7月。2021年後半に突入です。
暑い日にはおいしい🍦や🍧を扱うカフェもあります☕
古城園を眺めながら、のんびりと信玄公生誕から500年の歳月に思いをはせる( ˘ω˘)・・
な~んて過ごし方はいかがですか。
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重要文化財高室家住宅見学会を開催しました。

2021-06-28 10:11:21 | イベント
6月26日(土)高室家住宅見学会を開催しました。



高室家は代々医薬業を生業とし、
江戸時代後期には甲府に幕府の役所がおかれ
その医家を務めていました。

江戸時代の屋敷構えを今に伝える貴重な文化遺産として
平成22年に国の重要文化財に指定されています。


主屋には、茅葺(かやぶき)の建物で、
薬を調合するための調合所や
薬草を乾燥させるための屋根裏部屋、
薬品を保管する引き出しがしつらえてあり、
医薬業に由来する特徴をみることができます。


橋本伯寿(はしもとはくじゅ)も高室家で学んだ、と記録があります。

伯寿は、江戸時代後期の医師で、
伝染病が人から人へ伝染すること、
隔離による感染対策や予防対策を提唱しています。
コロナウイルスのニュースの中で、
皆さん、名前を聞いたことがあるかもしれませんね。
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信玄公生誕500年甲府歴史講座~甲府を学ぶ~第1回を開催しました。

2021-06-28 09:40:08 | イベント
6月25日(金)甲府歴史講座の第1回を開催しました。


「甲府の山城を写真で学ぶ」をテーマに
歴史文化財課の山下孝司職員が講演しました。


小松山(甲府市和田峠近く)の烽火台については
「小松町むかしがたり」『こまつの文化』創刊号(1980年)の内容に基づき
現地調査を行い、新発見の遺構についていち早く発表しました。


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作品募集! 第20回方代(ほうだい)の里なかみち短歌大会

2021-06-27 11:57:47 | 紹介
山崎方代、甲府市(旧中道町)出身の知る人ぞ知る歌人ですが、
だからこそ、その功績をたたえ、多くの方に知ってもらいたい(!)
という思いで生まれた「方代の里 なかみち短歌大会」
今年は記念すべき第20回!
毎回、ジュニア部門、一般部門共に、全国から多数のご応募をいただいております。
そして、海外からも作品を応募される方もいらっしゃいます!
初めての方でも問題ありません。
コロナ禍で外出も控え気味で、自宅待機も多くなった昨今ですので、
方代さながらに、今の思いを短歌に託してみませんか。

☆テーマは自由!
☆作品は、一般の部では、お一人2首まで。
     小・中・高校生のジュニアの部では、お一人1首までご応募できます。
☆募集期間 令和3年7月1日(木)~9月30日(木)必着
☆応募方法 郵便、ファックス、持参、メールで。
      甲府市ホームページからもご応募できます。

皆さまの作品を、関係者一同、今年も楽しみにお待ちしております。

詳しくは、「第20回 方代の里 なかみち短歌大会」作品募集のHPをご覧ください。


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山崎方代をご存知ですか?甲府市(旧中道町)出身の歌人です。

2021-06-26 13:17:10 | イベント
山崎方代という歌人をご存知ですか?
その名を掲げた短歌大会の作品募集が、今年も始まります。


武田氏に思いをはせた作品も多く残した方代・・・
どんな方だったのでしょう。


方代は「ほうだい」と名付けられた8人兄弟の末っ子。
ちょっと変わった名前。でも、5人も子どもを失った両親の思いはひとつ。
とにかく「生きてほしい!」
「生き放題、死に放題、自由に生きろ!」にちなんだ「方代」だそうです。

方代は、甲府市(旧中道町)出身。
大正3年(1914)に右左口村に生まれ。
23歳で母を亡くした後、父と共に横浜に嫁いでいた姉のもとへ。
太平洋戦争で出征した南方で、右目を失明。左目も0.01。
戦後は街頭で靴の修理などしながら、
山梨から静岡、大阪、和歌山など各地を放浪しつつ、多くの歌人と親交を深めます。
昭和47年(1972)、鎌倉に移住。
肺がんで亡くなる昭和60年(1985)までこの地で過ごします。
菩提寺は、甲府市右左口町の円楽寺。

方代の歌人としてのスタートは15歳ごろ。
「山崎一輪」の筆名で雑誌や新聞に投稿していましたが、戦後は「山崎方代」の名で活動しました。
その歌は日常生活や自分の思いをわかりやすい言葉で詠ったものが多く、
故郷への思いを込めた作品も数多いことから、
「放浪の歌人」と呼ばれる一方で、「望郷の歌人」とも。

武田氏の戦略・戦術の書「甲陽軍鑑」も愛読し、信玄公や勝頼公などに加え、
現在の武田神社に建つ武田氏の館跡を詠った歌もいくつか。

「躑躅が崎の城跡に来て口中につつじの花を隠して食べている」

字余りがおもしろい歌です。
子どもの頃に口にしたつつじの花の蜜の味を思い出しているのでしょうか。
それとも、かすかな甘みと一緒に、もっと遠くに心は飛んでいるのでしょうか。

「古城の崩れかけたるほとりにてカポックの実がはぜていた」

古城は、すなわち武田氏館。
カポックとは、東南アジアやアメリカで栽培されている高木。
その実の繊維は撥水性に優れ、軽量ということで、
第二次世界大戦まで、救命胴衣や救難用の浮き輪に使われていたとか。
南方の戦線で戦った経験を持つ方代ですから、カポックのことをきっと知っていたはず。
そして、はぜたカポックの実を前に、その胸中はどんなものだったのか。
崩れたかけたのは、果たしてなんだったのか?

※ちょこっと館跡をご紹介🙇
この歌が詠われたのはいつ頃なのでしょうか。
武田神社が、かつての館の中心に創建されたのは大正8年(1919)。方代が4才のころ。
方代が姉の元、神奈川へ行くか行かぬかのころ、昭和13年(1938)に武田氏館跡は、国史跡に指定されます。
その後、宅地化が進んだ史跡の公有地化へ、舵が切られたのが、昭和45年(1970)。方代56才。鎌倉移住の少し前。

方代も眺めた、武田氏館跡・・・

生涯独身、世間から少し距離を置きつつ、
独りの生活もありのままに、素直に、口語体で短歌に昇華させた歌人です。
だからこそ、読み手の私たちも、方代の歌を、心素直に五感で味うことができるのかもしれません。
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