配付中の記念品の取扱いにつきまして

2022-07-30 18:57:25 | 紹介
信玄ミュージアムでは、臨時入口の総合案内でマンホールカード、
そして、有料の特別展示室までご入館された方には、
記念品として御城印を配布してきました。
どちらも人気で、各地のものを集めている方や、
ご来館されて初めて知って受け取られる方も大勢いらっしゃいます。

現在、特別展示室では開催中の企画展「山本菅助 その伝説と実像」
に合わせて山本菅助武将印も配布中です。

マンホールカードは、簡単なアンケートにお答えいただいてのお渡しです。
御城印・武将印は、特別展示室観覧後に希望者に配布していまして、
どちらか1枚をお選びいただいているところです。
すべて記念品ですので、販売はしていません。
そして、原則1日に一人一枚です。

ですが、残念ながら、こうした記念品の転売を目的として入館し、
受け取られる方がごく少数ですがいらっしゃいます。
特別展示室では、入口の臨時受付で
感染症対策として健康チェックシートの記入をお願いしています。
そこで昨年の期間限定の御城印を配布した折と同様、
今回も偽名や嘘の連絡先まで使って複数回入館された方がいました。
悪質で再犯でしたので、このまま見逃すわけには行かず、
再発防止のため、やむを得ず虚偽記載での入館について、
口頭で注意をさせていただきました。
そこまでしての入館目的が武将印の入手であることは明らかでしたので、
次回以降、違反が確認された方への配布はお断りする場合があります。

御城印や武将印配付は、一人でも多くの方に施設全体の展示を観覧いただき、
武田氏や館跡の歴史を少しでも知っていただくことを目的として始めました。
御城印や武将印は、ほかでは販売していますが、当館が記念品としている
一番の理由は、現地に来て、見て、知ることへのご褒美であり、証としている点です。
購入を考えれば、等価で展示が見られるということになります。
今でも大多数の方は、純粋に記念やコレクションとしてお持ち帰りになり、
保管されていると思っています。

ただ、人それぞれに様々な理由で不要になることもありますので、
受け取られたものをどう扱うか、あとはその人の判断に委ねられます。
必要がなくなれば処分することもあるでしょうし、
選択肢として転売することもあるでしょう。
その後の結果ですので、悪いとは申せません。

しかし、最初から営利目的で利用されることが明白な場合は、
本来の目的に対する明らかな違反行為ですので、
今回は、苦言の意味も込めてご紹介させていただきました。
こうしたことが何度もあると疑心暗鬼になりますし、
今後、取り組みの再検討や中止も真剣に考えてしまいます。
それにお互いに気分が良いものではありませんので、同じことが起きないよう
ご注意いただきますとともに、
信玄ミュージアムの活動にご理解とご協力を賜りますよう、
心よりお願い申し上げます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏のこども工作教室😃 オリジナル武田グッズをつくろう!

2022-07-29 17:18:45 | イベント
夏休みは、お楽しみが目白押し♪
こども向けのイベントもたくさん♪

こちら、信玄ミュージアムでも夏休みイベントを行います!
今年は、甲府市内の岡島百貨店に出張して、
山梨県立博物館と一緒に、子ども向け「ミニワークショップ」を。
自由研究のテーマにも使えます♪

みんなでオリジナル武田グッズをつくろう!
日時 令和4年8月5日(金)午前10時〜午後6時
場所 岡島百貨店7階催事場
工作するもの 信玄公のようなカッコいいサインが押せる消しゴム”花押”印
        武田二十四将ミニ掛け軸
対象 消しゴム”花押”印のみ、小学校高学年
※ 参加費無料、予約不要
☆山梨県立博物館の特別展「南極展」にちなんで、
「ペンギングッズを作ろう!」コーナーも同時開催です。

ミニ掛け軸でも侮るなかれ。
工夫をこらして簡単掛け軸。でも、作りは掛け軸そのもの。

みんなに塗ってもらう「本紙」の下絵は、
かつて「武田二十四将図」の下絵に使われていたもの。

そこから、今回は信玄公と山本菅助バージョンをご用意します。
一番上に書かれた信玄公は「軍神」のごとく、
一番左下に書かれた山本菅助は南西・裏鬼門(?)を守ってる?
イメージに合わせて、まずはぬりえをがんばって!

出来上がりのイメージ、ミニ掛け軸の試作品はこちら↓
「本紙」の色塗りが終わったら、
掛け軸の重しになる「軸棒」もがんばってつけて、
世界にひとつだけの掛け軸の完成です✨

出来上がったら、くるくるっと巻いて、お持ち帰り。

「広報こうふ」(令和4年8月号22ページ)
こうふきっず!〜夏のイベント特集〜もあわせてご覧ください。

↑↑↑↑↑「かいじあむ通信・夏の特別号」表紙にも載ってます!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

決戦川中島 対決する最後のお題です。

2022-07-28 18:14:50 | イベント
本日も蒸し暑い一日でした。
旧堀田古城園では、夏休みの子ども教室も開催されましたが、
暑さに負けず、皆しっかりと話を聞いて参加されていました。
一方のニャンニャン警備隊は、暑さに負けて今日も日陰で昼休み中。
見つかってしまい、このあと、いそいそとパトロールに出かけました。

来館される方を見ていますと、お子様を連れたご家族が多く、
夏休みらしい光景となっていますが、企画展もおかげさまで順調で
ご家族でご覧になり、山本菅助のことなど、親子で話す様子を見ていますと
企画した甲斐があったと、ホッとさせていただいています。

参加型企画の決戦川中島も引き続いて投票率がアップし、
本日は入館者数に対して35%まで上昇。
改善策が功を奏してきたと思いたいところですが、
引き続き注視していきたいと思います。
さて、最後の対決テーマとなりますのは「大将」
ここは、純粋に信玄VS謙信の一騎打ちです。
難しい内容は抜きにして、どちらの武将が好きか、嫌いか、でも良いのですが、
3つの内容に分けて両者を比較しています。
それぞれの①出自、②信条、
そして川中島の戦いに臨んで垣間見られた両者の③性格です。

①では、信玄が甲斐源氏の嫡流で守護家の出身であるのに対し、
一方の謙信は守護代の出で嫡流ではなかったことをご紹介しています。
②は、信玄が甲州法度之次第で自身にも適用させる、あるいは身分にこだわらず
有能な家臣を登用するなど公明正大さを信条としたこと。
謙信は、「筋目」を重んじ、私利私欲のためではなく、義を尊ぶことを重視し、
義理人情の深さを信条とするところで比較してみました。
③では、それぞれが川中島の戦いに臨むにあたり、神仏に何を祈ったか、
性格の違いがわかる点をご紹介。
信玄は、占いの結果で勝利すると出ているのだから、そのとおりに勝たせて欲しい、
というやや傲慢さも垣間見られる強気の性格をご紹介しています。
謙信は、信玄の悪行を訴え、自分の行いの正統性を主張して勝利を願う
正義感が強い性格をご紹介しています。
それ以外にも比較するとたくさんの違いはありますが、その両者がお互いを好敵手と
認めて5度も対峙した川中島の戦いにはたくさんの見どころがあります。

さあ、あなたならどちらに味方し、川中島の戦いの勝者として認定しますか?
信玄ミュージアムだからと遠慮や忖度はいりません。
投票数、投票率の上昇はありますが、依然として武田が6割、上杉が4割の支持を
集めていて、数字の上では僅かながら武田が引き離しにかかっています。
これから夏休みも本番。
ご来館の上、あなたの清き1票をどちらかに入れてください。
お待ちしております。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

決戦川中島 対決する2つ目のお題は?

2022-07-27 18:42:12 | イベント
全国的に不安定なお天気で、
本日の甲府も午前中急に雷雨があったり、
午後は晴れて蒸し暑くなったりと、
気温と湿度の変化が急激で、
何となく体も重く感じられてしまいます。

他地域では災害まで発生している状況ですが、
甲府は、このところ降る降る詐欺被害が続き、
予測を裏切って雨が降らなかったので、
大雨被害の地域にお住まいの方には本当に申し訳ないのですが、
庭の木々などにはしっかりと良い水分補給となりました。
そして、干からびそうになっていたミスターカエル氏たちにとっても
恵みの雨になったようで、施設のあちらこちらで姿をお見かけしました。
中には久々の雨で思わずウォールクライミングするカエル君も。

さてさて、本題の参加型企画、決戦川中島ですが、
25日から投票の表示を工夫してから投票率はやや改善に向かいつつあり、
今後の得票の変化が楽しみです。
最初に対決テーマの戦略についてご説明しましたが、
対決テーマ二つ目の「戦術」勝負のご紹介です。

目標達成の全体像を描くのが戦略だとすると、戦術はその手段。
ここではシンプルに武田軍と上杉軍、どちらが軍事的勝利を収めたか、
を判断いただくコーナーです。

このテーマについては多くを語る必要はないのかもしれません。
5回に及ぶ川中島の戦いでは、各所で小競り合いによる一進一退が繰り返され、
両軍対峙が長期化して和睦によって軍を収める展開が続いた中、
両軍主力が激突した永禄4年(1561)
第4回の川中島の戦いを主にクローズアップした解説をしています。

山本勘助が進言して実行したと言われる軍を二分して攻める
「啄木鳥戦法」に対して、
海津城付近から立ち上る夕げの支度の煙をみて奇襲を察知し、
夜陰に乗じて妻女山を下り、八幡原に布陣していた信玄本隊を急襲した上杉軍。
一説には上杉軍は車懸りの陣と呼ばれる陣形を用いて突撃し、
対する武田軍は、迎撃のために鶴翼の陣を用いたとも伝えられています。
真偽の程はさておき、戦の趨勢は、
前半は上杉の勝ち、後半は武田の勝ちと言われる戦となったようです。
ただし、戦死者数は推計でも武田の被害が多く、
かつ武田典厩信繁ら重臣級の将を失った武田が不利な対決テーマです。
信繁様がご存命だったなら、武田のその後も変わったかも?

とはいえ、最新の研究では、重臣級の戦死者は少ない上杉軍も
実は「揚北衆」と呼ばれる越後北部の武士たちが大勢戦死していたことや、
謙信の願文の奉納先が、この戦い以降、北信濃地域の寺社から見られなくなり、
越後国内の寺社のみになっている点から、実は上杉謙信側では敗北に等しい
捉え方がされていることが明かされています。

一方で、武田側の被害は言うまでもありませんが、合戦全体の戦の中で見ると、
第3次では川中島一帯を押さえつつ、安曇郡小谷方面からも軍を進めて勝利し、
越後侵攻を画策するなど、広域戦では勝利を重ねています。
そんな背景も加味しつつ、ご来館の際には判断材料にしてください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

決戦川中島 開始から1週間です。

2022-07-25 20:41:37 | イベント
7月20日(水)から特別展示室では
企画展「山本菅助 その伝説と実像」が始まり、
並行して常設展示室では
「決戦川中島 武田・上杉勝者はどっち?」
を開催中で、1週間が経過しました。
初日から上杉謙信にわずかながらリードを許す苦しいスタートとなったこの対決。
始まりの1週間で結果はどうなっているか、発表いたします。

結果は、
武田信玄 195票 
上杉謙信 123票 
合計で318人の方が投票されていることになります。

期間中の入館者数で計算しますと、投票率は約20%ですので、
例年よりやや低め?
今までは、その場で投票形式でしたが、
今回は投票所を出口脇の1箇所に集約しましたので、
分かり難くさと不便さが作用したのかもしれません。
表示なども工夫してこれから投票率アップにつなげたいと思います。
出だしこそ苦戦したものの、地の利を活かして武田信玄が優勢となっています。
その日のお客様の気分や出身によるものか、上杉軍が優位に立つ状況もあり、
数字も大きな開きではありませんので、逆転もあり得る状況です。

今回の企画をお楽しみいただくためにご用意した
対決する3つテーマについて、少しご紹介します。
まずは、最初に設けたテーマが「戦略」です。

「戦略」とは、一般的に軍事面で使われる用語ではありますが、
ビジネスなどでも盛んに使われています。
戦略は、特定の目標を達成するための長期的かつ
総合的な準備や計画、運用の方針や施策であり、
ここでは、川中島一帯の支配権を確保するために、
双方がどのような布石を打ったか、という点を比較しています。
その中身は、大きく分けて、
①拠点城郭の築城②支配領域の推移
そして、③善光寺の支配を取り上げています。

余談ながら、4月1日から7月4日まで開催した企画展で善光寺を取り上げたのも
もちろん御開帳という大きな事業のご紹介もありましたが、
実は、この企画につながるテーマを含んでいたという意味では、
当館の事業戦略の一環だった、ということになります。

いずれにせよ、武田信玄は着々と地域支配を固めるための布石として、
調略も用いて在地領主を自陣営に引きこむとともに、
海津城という軍事拠点を築き、川中島への影響力を強めたわけです。
現在、展示中の山本菅助の存在を初めて証明した古文書も、
広域的な戦略の中で、越後国境を支配する市河氏に対して
菅助が使者となって出された史料になります。

一方の上杉謙信は、北信濃諸氏の救援要請に応えて出兵を繰り返したものの、
目的は、あくまで越後国境の安全確保と北信濃諸氏の失地奪還にあり、
川中島支配というところまで目指していなかったのかもしれません。
その意味では明確な戦略を描けなかったと思うわけです。
まさか、助けを求めている相手の領地を奪うわけにもいかなかったでしょうから、
守勢に回るのは仕方なかったのかもしれませんが・・・。

そんなストーリーから捉えて、
明確な戦略を持って川中島の戦いにのぞんでいだ武田信玄と、
戦略的には明確な奪還方針を示せず、局地的な防衛戦を強いられた上杉謙信。
この勝負では、武田信玄優位と言いたいところですが、
どちらが勝者か、と解説板を見ながらお考えていただければ
川中島の戦いの見方も変わるかもしれません。

その戦略を実現するための具体的な計画や方法が戦術であり、
いわば、結果を出すための手段に該当します。
次回は、戦術の解説についてご紹介しますので、お付き合いください。

なお、またまた他館の事業紹介になりますが、川中島支配の上で
重要な役割を担った海津城。
松代城と名を変えて、長野市さんが周辺も含め城跡の整備を行っています。
石垣づくりの近世の城郭として整備されていますが、
縄張りと呼ばれる城の平面図を見ると、武田氏時代の面影が随所に残されています。
その松代城の主として近世松代藩の礎を築いた真田信之が
今年で入城して400年の節目を迎えるそうです。
真田宝物館では、現在、特別展を開催中ですので、
川中島古戦場を見たら、次は武田氏と縁の深い松代へGO!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする