川中島の戦いに関する新事業のご案内

2024-02-29 09:53:03 | イベント
昨日28日、企画展などでいつもお世話になっています、長野市立博物館におきまして、
報道関係の方などに向けた新事業の内覧会がありました。


発表されたのは、川中島の戦いに関連する場所で、現地散策をお楽しみいただくための
デジタルコンテンツの整備でしたが、何種類かのプログラムが用意されていました。
この取り組みは、川中島の戦いを教育面だけではなく、観光面からもPRすることを目的に
事業展開するため、今回は長野市の観光振興課の実施事業になります。

まず市立博物館では、VRコンテンツで川中島の戦いが3Dで絵巻化された動画が公開されました。


VRとは、100%バーチャルな世界に入り込んだ体験ができる技術のこととされていて、
専用ゴーグルを装着するだけで、見渡すかぎり川中島の戦いの世界が体感できる仕組みです。
実際に体感しましたが、仮想空間に設けられた川中島古戦場の中に、錦絵に描かれた
両軍の将兵が対陣するように描かれる構成となっていまして、戦場の臨場感が伝わりました。


ここで詳細に伝えてしまうと面白くないので、実際に現地に足を運んで体感してみて欲しいです。
リアルさが感じられる戦場の中をドローンに乗って飛び回るような感覚が凄い!
三半規管が弱い方は要注意かも。

もう一つの柱がARコンテンツ。
VRとかARとか、デジタル用語についていけない自分が悲しくなります(涙)。

AR(拡張現実)は、スマートフォンやタブレットなどを通して、現実世界にデジタル情報を
投影することができるもののようです。
川中島の戦いの舞台となった八幡原に整備されています、川中島古戦場史跡公園内、
あるいは、公園内にあります長野市立博物館では部分的にARコンテンツも稼働を開始しています。
そのほか、長野市内では松代城跡や善光寺などにも設置されていて、松代城跡のものは、
設置済みでしたが、28日時点ではまだオープン前の状態でした。

ちなみに、松代城跡では木橋の老朽化に伴い架け替え工事を行っていましたが、まだ木材の
香りが漂いそうな白木の橋が架かっておりました。
3月15日以降に開通予定の予告が掲示してありましたので、こちらも春の行楽シーズンに向けて
楽しみなお知らせでした。


デジタルコンテンツ事業全体は、準備ができたところから順次になると思いますが、
事業展開する設置場所は、長野市内だけではありません。
今回のコンテンツ制作には甲府市と上越市も協力をしたこともあり、両軍大将ゆかりの地でも
ARの読み取り板を設置することになっています。
川中島の戦いは、武田信玄と上杉謙信を抜きには語れませんので、相互PRということになっています。
三市が協力して事業をすることになるとは、両将も夢にも思わなかったでしょう。
確か平成25年度に山梨県内を襲った大雪の際には両市から除雪車を出していただいたことも
思い出しながら、ささやかながら現代版の塩を送って頂いた御恩返しができればということで、
信玄ミュージアムでも総合案内にAR看板を3月1日(金)から開始します。

ご来館の際は、ぜひ、スマホでQRコードを読み取ってお楽しみください。
何が出るかは、お越しになってのお楽しみ。
ご覧になった方は、実際の川中島の戦いの激戦地、長野市にもぜひ、おでかけください。
車の方は、長野IC下車5分で古戦場。
そして、真田氏ゆかりの松代もすぐ近く。
お世話になっています真田宝物館を始め、武田氏時代には海津城と呼ばれた真田藩の居城
松代城跡や城下町が遺されています。
武田氏ゆかりの史跡も多い長野市ですので、歴史好きの方は十分ご満足いただけると思います。
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強風の中で

2024-02-27 19:15:18 | イベント
本日の甲府は、昨日から引き続いて強風が吹き荒れ、お天気の割には肌寒く感じる
一日となりました。
晴れているのに雪がどこからか舞ってくる時間もあり、厳しいお天気でした。
そんな中、海外からお越しになったお客様をご案内させていただきました。
フランスから甲府に短期で来日している高校生たちが、いきなり戦国時代、とか、
武田信玄、なんて知らないだろう、
なんて思いつつ、フランス中世史を引き合いに出しつつ、年代観をイメージしてもらい、あとは通訳の方にうまく説明をしていただきました。
信玄ミュージアムで最も伝えたい内容のダイジェストは、特別展示室の映像に詰まって
いますので、説明は早々に絵で見てもらって、英語字幕で理解を深めていただきました。

よく考えたら、フランス語ではなく英語でも理解できる高校生たちって、改めて凄いと実感です。
フランスの方から見ても、やっぱり戦国時代の日本の馬って小さいね、という感想をいただきました。
スモールジャパニーズホースです。

その後、旧堀田古城園を通過して出口へ。
昭和初期の山梨の日本家屋を紹介するにはうってつけの建物で、今までも海外の
お客様や学生さんをお迎えすると、概ね喜んでいただける場所になっています。
今回は、時間の都合で外観のみでしたが、菱型の茶室などは皆さん喜んで
ご覧いただいていましたよ。
そして、本日も姫は強風を避けながら、おひさまの当たる場所でのんびり昼寝。
静かな施設でウトウトしてましたが、急に聞き慣れない言語が飛び交い、元気な高校生の
皆さんが通るのを見守っていました。

今日は朝から予定が満載で、午後からはボランティアガイドの皆様の自主活動でした。
ただいま、有志で武田家臣のガイドブック作成中で、早速仕上がった人からの発表を
行いながら、今後の進め方などを話し合いました。
とりまとめは3月末なので、まだまだ時間はありますが、皆さんしっかり調べておられて
こちら側が勉強させられるばかりです。
企画展準備も遅れていますが、何とか予定通りに開始できるように鋭意努力いたします。
ぜひ、楽しみにしてください。
帰り際に様子を見た時には、またまた師匠状態でやっぱり昼寝。


風は強いけど暖かな場所なんですね。


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来月から企画展始めます。

2024-02-22 17:18:47 | イベント
昨年は、信玄公没後450年ということで節目の企画展をご命日の4月12日から年末まで開催してきました。
令和5年度の予定はそこまで、と思っていましたが、急遽、個人の方から新たに1点
武田二十四将図をお借りすることになりましたので、この機会に企画展として開催を
しようと考えております。
『甲府市史』にも掲載されている資料ですが、絵図が伝わってきた来歴や作者が明らかで、
成立年代も不確かな資料が多い、武田二十四将図の年代を考える上では重要な
資料となっています。
ただいま、準備に入りましたので、近日、内容をお知らせしたいと思います。

今週末は3連休となります。
お天気は今ひとつで、また寒さも戻ってきますが、徐々に3月の足音が聞こえてきました。
久々に母ニャンも早い時間から定位置の足ふきマット上でくつろいでいましたが、
暖かくなれば、マットよりも冷たい石の上が定位置に。

3月といえば、ひな祭り。
毎年、旧堀田古城園では2箇所でお雛様を展示してきましたが、今年も早くも出しました。
長屋棟のカフェ前の中庭に面した主屋建物北側の展示スペースに設置しました。
人形は昭和のものですが、雰囲気をお楽しみください。
姫も雛人形が気になるようで、ジーッと見つめていましたが、倒しちゃダメよ。
気分が良い時は、いらっしゃいませ、という感じでお迎えしてくれるかもしれません。
うっかりすると通りすぎて見逃してしまうかもしれませんので、お越しの際は、気をつけて
ご覧ください。



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武田氏館跡の春

2024-02-16 14:09:08 | 紹介
つい先日は、久々にしっかりと雪が積もって冬らしい寒さとなっていましたが、
昨日辺りから急に暖かくなってきました。
関東では春一番も吹いたとのことで、甲府でも昨夜は猛烈な強風が吹き荒れました。
先日の雪や大風の後ですので、館跡の北曲輪群の巡視に行ったのですが、
梅の花が8分咲きくらいでした。
ちなみに信玄公は、和歌にも精通していて、いくつも歌を遺していますが、その中に梅の花を
題材にしたものがあります。
「たつねつる 梅の立枝は しらねとも 袖にそにほへ 軒の春かせ] 信玄
歌の意味は、皆様でお考えくださいませ。

ただ、先日の雪が水を含んだ重い雪だったので、かなり枝が折れたり、中には根本から
折れてしまった梅の木もありましたが、今回の強風でさらに被害が拡大してしまいました。
上の写真の梅の木も右側が根元近くから折れて、今にも倒れそうです。
付近を散策される方は、近づかないようにしてくださいませ。
武田神社隣の西曲輪内もずいぶん落枝がありまして、少し危ないところもありますので、
通行時は十分注意してください。
ただ、ずっと上を見て歩いていると、今度は足元注意なので、お気をつけて(笑)

そして、ミュージアムの居心地が気に入ったのか、すっかり定着した姫ニャンはというと、
暖かな日差しを浴びつつ、黒色の椅子が蓄熱となって温かいらしく、来館者の皆様の
通行をのんびりと椅子から眺めておりました。

まるで姫様気分。
居場所の全体写真はこれ。
なんと、椅子は椅子でも何段も重ねた椅子の上。
笑点なら山田くん座布団、でいったいどれだけ笑いを取ったのか、というほど
山積みの椅子の上で寝そべっていました。
ちなみに椅子の数17脚。師匠たちでもこれほどは積まれてないですよ。
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バレンタインデーから武田攻めが始まりました

2024-02-14 14:39:54 | 紹介
2月14日といえば、すっかりバレンタインデーが定着し、いろいろな想いでチョコを渡したり、
渡されたり、最近では自分へのご褒美で購入されたりということで、今日は一日
そわそわしている方も多いのではないでしょうか。

気分も上がる14日ですが、戦国時代の同日には勢力図が変わる大きな動きがありました。
それが甲州崩れとも言われる、織田信長と徳川家康による武田領への侵攻が始まった日です。
『信長公記』には、その一連の動向が詳細に記録されていまして、武田攻めの様子がわかります。
武田攻めの総大将となった織田信忠率いる軍勢が、現在の恵那市になる
岩村城に集結し、滝川一益や後に甲斐国を賜る河尻秀隆らを主力として侵攻を開始しました。
この動きに先立って、2月6日には武田領国境の滝ヶ沢要害を守備していた下条氏の家中で
織田方へ内通する動きがあり、河尻秀隆の軍が入城して橋頭堡を確保していました。
そして、武田方の松尾城主小笠原信嶺も織田氏への帰属を申し出たため、抵抗勢力は皆無と言った状態となっていました。

信忠は、配下の団平八や森可成ら若手武将らを先陣とし、木曽郡側の妻子口(妻籠)
から晴南寺口(清内路)を通って下伊那へ侵入させました。
信忠本軍も岩村城を出て、三州街道から侵攻し、先陣と合流したものと見られます。
合流地点は、信玄公が亡くなったとされる駒場が街道の合流地点となっていますので、
おそらくその辺りが織田軍の集結地点になっていたのではないかと思われます。

難なく国境を突破され、動揺した武田方では組織的な抵抗もできないまま、武田信廉を始め、
各地の城郭を任されていた武将らが相次いで逃亡し、織田軍は無傷で武田領に侵攻を果たし、
空き城を占拠していきました。
そのまま、武田氏の滅亡が加速していきましたので、武田氏にとっては悪夢の14日と
いうことになるのではないかと思います。

姫は、誰かにプレゼントはしたのでしょうか?




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