信玄公没後450年甲府歴史講座~甲府を学ぶ~1回目

2023-11-30 14:02:44 | イベント
11月29日(水曜日)甲府歴史講座の第1回を開催しました。

「感染症と甲府の人々~地方病とのたたかいを中心に~」をテーマに
山梨県立博物館 学芸員 小畑茂雄さんが講演しました。

内容は
1地方病とのたたかい
2さまざまな感染症と山梨
3コロナ渦と私たちの時代的経験


コロナ渦という時代をまさに体験した私たちは
歴代のパンデミックの記録をより
興味をもって学ぶことができました。

そして、山梨県立博物館が主体となって
新型コロナウイルス感染症関係資料の収集をしていることに
大きな意義を感じました。
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信玄ミュージアムボランティアガイド視察研修を実施しました その2

2023-11-29 18:35:44 | 紹介
視察研修の午後の部は、宮光園近くのレストランでみんな揃って昼食をとり、
その後、国指定史跡勝沼氏館跡まで戻って整備された館跡をぐるりと見学しました。
勝沼氏館跡は、武田信虎の弟、信友の館として知られていますが、関東から甲府盆地への
入口に当たる交通の要衝でもありますので、おそらくそれ以前から何らかの施設があった
可能性も想定されます。
館は、日川が形成した約20mの高さの河岸段丘上に築かれていまして、大きく内郭・外郭で形成されています。
内郭は、堀や土塁がしっかりと復元整備されていまして、戦国時代の館の姿がよくわかります。
特徴として、領主の館でありながら、内郭の中に金属加工の職人工房を抱えていたことで、
金属の熔融に使用した出土かわらけには、金が付着したものが多数発見されています。
(数点をお借りして、信玄ミュージアムでも展示中)
参加されたボランティアガイドの皆さまも、館跡から見える盆地の景色や、現地で平面表示されている
実際の工房跡などを見学して理解を深めました。

次いで、すぐ近くにあります古刹大善寺へ。
寺伝では養老2年(718)、あるいは天平4年(732)と言われていまして、古代の在庁官人
三枝氏との関わりが知られる寺院でもあります。
古代の有力氏族の三枝氏は、戦国時代には三枝虎吉が活躍していまして、山県昌景の与力でした。
そして、武田氏滅亡直前には勝頼一行も立ち寄り、理慶尼がもてなした記録も『理慶尼記』として伝わっています。
歴史ある大善寺を自由見学で散策しましたが、紅葉が見頃で山門から薬師堂につながる
石段両脇のモミジがキレイでした。


本堂の薬師堂は国宝で、鎌倉時代の建築です。
中には、平安時代前期と伝わる国重要文化財の薬師三尊像が厨子の中に安置されています。
そのほか、かつては丈六(約4.8m)薬師三尊があったようで、現在はその脇侍と考えられます
日光・月光菩薩立像や、十二神将像(いずれも国重要文化財)があります。
ちなみに、県指定文化財の山門は、江戸時代の建築ではありますが、旧武田家臣の
土浦藩土屋家の援助で再建されたとされます。
土屋家といえば、片手千人切りの土屋昌恒の子孫ですので、昌恒が奮戦して亡くなった
田野に近い大善寺に縁を感じ、援助したのかもしれません。

夕方近くなり、空も徐々に夕暮れに向かう中、大善寺からもうひと歩きして柏尾の古戦場へ。
幕末の慶応3年(1867)に幕府より甲州鎮撫を命ぜられた新選組の近藤勇らが江戸から
甲府城に向かったところ、板垣退助率いる官軍に一足先に入城され、柏尾で迎撃戦を展開しました。
その地に立つ、近藤勇像です。
山梨県内では戊辰戦争唯一の戦場ですが、実際には官軍の圧勝で、数時間で勝敗が決まったとされます。
そのまま、日川まで下って行くと、勝沼堰堤があります。
山梨県内には日本で最初にコンクリート製砂防を築いた芦安堰堤に先駆けて、部分的に
コンクリートを使用して構築したのが勝沼堰堤です。
現在、登録有形文化財となっていまして、堰堤脇は公園化されていますので、気軽に見学可能です。
夏場でしたら、水しぶきがあって涼しげですが、この日はもう日暮れ時で寒さが優先しました。

朝から夕方4時過ぎまでかかってしまい、予定を大幅に超過してしまいましたが、
ガイドの皆さまに怪我もなく、無事に初の試みとなりました視察研修を終了しました。
こうした研修もしながらより良いガイドを目指してまいりますので、信玄ミュージアムに来館予定の際は、
ぜひお声がけいただいてご利用ください。
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信玄ミュージアムボランティアガイド視察研修を実施しました

2023-11-28 18:01:41 | 紹介
このところ、穏やかな陽気で散策にはもってこいのお天気が続く中、先週末の26日(日)に
信玄ミュージアムボランティアガイドの皆さまの視察研修を甲州市にお邪魔して実施しました。
ガイド活動の中では、武田氏館跡の現地見学や歴史のお話を希望される方もいる一方、
武田神社参拝のついでにという方も多く、県内の見どころ照会などもあります。
ガイド内容や需要も多岐に及びますので、ガイドの皆さまには歴史以外の知識を深め、
観光目線でも様々な県内情報を仕入れていただくことも大切ですので、
今回の研修となったところです。
初回ということもあり、県内でも早くからボランティアガイド活動が盛んで、現在は、
NPO法人甲州市観光ボランティアガイドの会として活動をされている先進地ですので、
参考にされていただくため、依頼いたしました。
朝は、国史跡勝沼氏館跡の駐車場に集まり、ガイドは甲州街道経由で旧田中銀行と宮光園をリクエスト。
あとはガイドの方におまかせで案内いただきました。
旧勝沼宿は、甲州街道の宿場町として元和4年(1618)に整備されたとされ、江戸と
甲府盆地をつなぐ玄関口として栄えました。
本陣跡の表示の横には歴史を感じる松の木が。
旧甲州街道沿いに歩くと、あちらこちらに土蔵が残されていて、宿場町を感じることができます。
中には立派な建物も。
そして、町並みの中で目を引く近代和風建築の建物。

旧田中銀行の建物です。
明治30年代に勝沼郵便電話局として始まり、途中から田中銀行になったそうです。
開館は土日のようですので、見学の際はご注意ください。

旧田中銀行を後にして、勝沼小学校入口で明治天皇の記念碑を見ながら説明を受け、
護念寺様で戊辰戦争時に勝沼の柏尾坂の戦いで戦死した官軍兵士のお墓などもお参りしながら
宮光園に向かって歩きました。
日川河川敷に残る水防施設なども説明を受けながら、穏やかや陽気の中をのんびり散策できました。
そして、宮光園に到着。
ガイドの方のご案内はここまでで、資料館は施設の方から丁寧に説明いただき、山梨の
ワインの歴史について勉強しました。

ここにも、信玄ミュージアム内の旧堀田古城園と同じ結霜ガラスが建物にたくさん使われていました。

午後の部は、次回につづく・・・。

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真田宝物館へ行ってきました

2023-11-27 21:14:24 | 紹介
このところ行事などが立て続いていまして、ブログ更新まで手が回らず、情報発信頻度低下と、
実施日と記事掲載のタイムラグの差が大きくなりまして、大変申し訳ありません。
いろいろとお知らせやご報告したいことはあるのですが、時間差で掲載報告していきますので、
どうぞお付き合いください。

さて、ご案内しました企画展に合わせて、11月21日(火)の休館日に資料借用のため、
長野市松代町真田宝物館様にお邪魔しました。
以前に信玄公から真田家に与えられたと伝わる文琳之茶入の借用以来となりましたが、
休館日にもかかわらずご対応をいただき、この場を借りて心より感謝を申し上げます。
なんだかんだで毎年、長野市内には資料借用でお邪魔をさせていただいています。

今回の長野市訪問は、調整の結果、お昼過ぎとなりまして、少し早めに到着したところで、
時間調整も兼ねて、松代藩の居城となっていました松代城跡の様子を見学に行ってきました。
甲斐の人からすると、海津城と言った方が馴染みがあるお城です。
以前から橋の架け替え工事をしていましたが、ようやく目途が立って来たようで、キレイになった
橋が架けられておりました。
供用開始はもう少し先のようですが、居合わせた外国人の方が渡れないのを残念そうに
バリケード越しに眺めておりました。
そして、整備された城の隣接地では、おそらく長野市教育委員会様が実施されているのであろう
発掘調査を遠目に見てまいりました。
夜に降った雨の影響か、現場はお休みで排水作業のポンプだけが稼働していました。

場所的には絵図等で武田流築城術の三日月堀が想定される場所と思われるので、
今後の調査成果が楽しみなところです。

そして、少し早めに真田宝物館様へ到着したところで、美術輸送専門のスタッフの方と合流。
すると、外国人の方をどちらかに案内されながら、学芸員の方がいらっしゃり、時間より早めに
資料借用の手続きをさせていただきました。
今回は、大河ドラマに寄せたテーマ設定となっていますので、「徳川家康画像」と、
真田昌幸に秀吉が送った「豊臣秀吉書状」(長野県宝)の2点をお借りしました。
昼休みにもかかわらず、対応いただき本当に恐縮でした。

施設では現在、特別展を開催中です。


後期展終了までもう少し時間もあります。
大名家の貴重な品々が間近で見られますので、ぜひご来館の上、ご観覧ください。


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信玄公没後450年企画展ラストテーマが始まりました

2023-11-23 21:40:33 | イベント
本日23日は勤労感謝の日で祝日。
そして、24日を挟んで土日ということで、中には4連休でお休みを満喫される
方もいらっしゃるのではないでしょうか?
甲府盆地はこのところ冷え込みが厳しくなりましたが、日中は穏やかな晴天で
お出かけには最適です。
信玄ミュージアムの屋根越しに見える富士山も真っ白です。

そして、ご報告が遅くなりましたが、22日(水)から信玄公没後450年企画展のラスト
テーマ3「旧武田家臣団と徳川家康」が始まりました。
信玄公が身分や出自にとらわれず、有能な家臣を育成し、譜代の名家に入れるなどして
重用したことで武田家の領土は拡大し、その軍団は他国から恐れられました。
しかし、信玄公が抜擢した武田四天王とも言われる山県昌景や馬場信春、内藤昌秀らが
長篠で戦死すると、武田家は急速に力を失いました。
その後、武田家臣団は代替わりをしながら次の世代へと引き継がれましたが、
織田・徳川の勢力は武田を上回り、ついに武田家は滅亡。
本能寺の変で織田信長が討たれると、無主空白地となった旧武田領の争奪戦が始まりましたが、
最後に勝者となったのは、旧武田家臣の多くを帰属させた徳川家康でした。
秀吉との戦いの中で重臣の石川数正が出奔すると、家康は軍制を武田流に変えたと言われ、
幕政においても武田家が用いていた制度や技術を活用しました。
その意味では、信玄公以来の武田家の遺産の恩恵を最も受けたのは、家康だったかもしれません。
今回の企画展では、ちょうど大河ドラマの終盤ともリンクして、旧武田家臣団と徳川家康
との関係に焦点をあてた展示としました。
展示では家康に臣従した者が多数派を占める中、反徳川として名を上げた真田家も
取り上げています。
どんな内容になっているか、ぜひご見学の上、お楽しみください。
ちなみに、一つ前のテーマで展示していました甲斐善光寺蔵の川中島で武田軍が
使用したと伝わる陣太鼓も27日(月)まで延長して展示していますので、お見逃しに
なった方はどうぞご覧下さい。
甲府を訪れた際は、信玄公ゆかりの甲斐善光寺様にもどうぞお越し下さいませ。
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