迷子の子猫ちゃん。あなたのお家はどこですか?

2022-08-31 16:16:37 | 紹介
ご紹介した子猫たち。
三匹の子猫は、お客様の少ない時間帯には中庭で仲良くじゃれ合って遊んで
いましたが、母親との約束の時間だったのか、受付職員が様子を見ていたところ、
子猫だけで館外へ移動して行きました。



その数分後からだったのでしょうか。
ニャーニャーと1匹の子猫の甲高い鳴き声が事務所まで聞こえて来まして、
!!!???
見まわったところ、なんと、女性用のお手洗いに迷い込んでいました。

よく見ると、先日行き遅れた同じ子猫では?
ちょっと注意力散漫なのか、協調性に欠けるのか、
一匹だけ別行動になってしまうようで、まさに迷子の子猫ちゃん状態。
近づいても必死に逃げてしまうし、無理に捕まえても人の匂いがつくと
母猫が連れて行かないことも気にしながら、どうしようかと考えていました。

すると、ふいに横からニャーンという別の鳴き声。
ふと見ると、少し離れたところに母猫が迎えに来たようで、
心配そうにこちらを見ていました。
そのうち、お互いに鳴き合って安否を確認したようで、母猫が女性用トイレ入口まで
迎えに来まして、無事館外へと去って行きました。

よく見ると、あれっ?母ニャン?
約1年ほど前に一時期、同じように子育てをしていた若い母ニャンがいましたが、
同じ猫であることが判明しまして、生存確認ができて少しホッとしたところです。
野良ですので自由気まま。
久々の登場でしたが、元気そうで何よりでした。
以前は、やはり数日ミュージアム中庭に子猫を預けながら子育てする姿が
見られましたが、今回は果たしてどうなるものか。
とはいえ、うちは託児施設ではありませんよ😔 

ちなみに、トイレといえば、本日午後から当館のトイレ内のお楽しみコラムが変わり、
今年も甲府市出身(旧中道町)の歌人 山崎方代の歌集の中から
武田氏に関わる歌をご紹介しています。
なかみち短歌大会の作品募集も9月30日まで行っていますので、
ぜひ、ご参加ください。


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母をもとめて三千里(ΦωΦ)?

2022-08-29 13:09:36 | 紹介
「母をたずねて三千里」という昔なつかしのテレビドラマがあました。

ご存じない方のために💦
「母をたずねて三千里」は、イタリアの小説ですが、
ジブリの高畑勲(1935-2018)さんが監督した、1976年放映のアニメです。

前置きが長くてごめんなさい。
でも、今日のブログの主人公(ΦωΦ)は、
イタリアからアルゼンチンへ、母を訪ねて約12,000キロを旅したマルコに負けないくらい、
お母さんを求めていたと思います。

この子です❤

以前も、この植え込みを、昼間の隠れ家にしていた子たちがいました。
母ニャンが、この界隈でも、一番安全(!)と考えて選んだ場所。
よく考えたにゃ〜と感心します。
当館の植え込みの中でも、植木屋さんでもない限り誰も踏み込めない場所。
烏などにも襲われにくい。
このシェルターに、今日は3匹の、それぞれ違う毛並みの子猫たちが、
母ニャン求めてニャーニャーニャー(ΦωΦ)

たぶん、開館前に連れてこられて、
館内が、ふっと静まかえった時・・・
そのスキを狙って迎えにくる母ニャンをひたすら待つ。

写真のこの子は、母と兄弟に着いて行きそびれてしまったようでした。

時々自力で脱出をトライするも、誰かいれば、また植え込みに。
(そりゃそうだ)

屋根の上(?)から母ニャンが覗いていたのでしょうか。
空に向かって、母を呼ぶ姿も。

ちゃんと合流できたかな?
スタッフ一同、かな〜り気になっております💦
でも、私たちがいては、母ニャンは迎えに来れないので。

当館内で、三匹の子猫を目にされることもあるかもしれません。
その時は、そっと見守っていただければ幸いです。
よろしくお願いいたします🙇
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開催中の企画展の見どころご案内

2022-08-27 16:27:30 | イベント
8月の最後の週末となりまして、コロナ禍になってから久々に行動制限なき
8月が終わろうとしています。
昨年は、お盆前に急に臨時休館となってしまい、大変ご迷惑をおかけしました。
今年はここまで何とか開館することができまして、
8月単月では来館された方の数も信玄ミュージアムが開館した
2019年にかなり近づき、ここまで多くの方にお越しいただいています。
企画展も昨年は中途半端に終わったり、
予定を大きく変更せざるを得ませんでしたが、
ここまでは順調にご覧いただいています。
さて、参加型企画の「決戦川中島 武田・上杉勝者はどっち?」も
多くの方に票を投じていただき、途中経過などもお伝えしています。

一方で、特別展示室で開催しています企画展「山本菅助 その伝説と実像」
の情報をきちんとお伝えしていませんでしたので、前期展示終盤を前に
少しご案内をいたします。
まず、名前の漢字があれっ?と、思われた方もいらっしゃると思います。
一般的には「山本勘助」が浸透していますので、違和感を感じた方や
「菅助」=「勘助」と捉えてますが、同一人物なの?と思われる方も
なかにはいらっしゃったかもしれません。

その違和感こそが、今回の企画展の狙いでもありまして、
「勘助」から「菅助」へ、ということがテーマになっています。
まだ100%同一人物、と言い切れないところはありますが、
信玄公の懐刀で、軍師として語り継がれてきた「山本勘助」から
実際の史料で確認された「山本菅助」をご紹介する展示となっています。
武田の軍師「山本勘助」は、江戸時代に普及した「甲陽軍鑑」では
主に築城技術に優れた人物として登場し、時には戦の戦局を変える
献策するなどの描写がなされたことから、武田軍の軍師のような印象が
強まり、今では多くの方がそう信じていると思います。

しかしながら、それほど有名な武将で有ながら、「山本勘助」の活動を
証明する当時の史料は少し前まで確認されていなかったことから、
「甲陽軍鑑」の中の架空の人物、伝説の軍師と言った評価がなされてきました。
現在の前期展示では、まずは史料上で初めて「山本菅助」の名前が確認され、
「山本勘助」=「山本菅助」という架空の人物と実在の人物が結び付くことに
なった「市河家文書」の中の「武田晴信判物」を展示しています。
その史料は今から約50年前に発見されたもので、第三次川中島の戦いに
関連する貴重な戦局を伝える史料でもあります。
そして、「甲陽軍鑑」の記述を下に江戸時代に狩野派の絵師によって
描かれた想像上の「山本勘助画像」。
※武将印は、その絵を参考に描いた山本菅助
さらに甲府にあった居住地を示した「躑躅が崎館と城下絵図」を展示しています。
解説パネルでは、語り継がれた「勘助」から実在した「菅助」の活躍から
その実像に迫るパネル解説を行っています。
小規模な企画展ですが、来月から始まる後期展示と合わせて、山本菅助
にかかわる数少ない貴重な史料の多くをここで展示しますので、お見逃しなく。

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川中島の戦いの「たら・れば」話(*´艸`*)

2022-08-24 18:45:40 | 紹介
「川中島の戦い」は、北信濃にクローズアップすれば、2国間の信越国境問題。
でも、それだけのために、戦国を代表する大名お二人が、12年間も費やすでしょうか。

メリットは何だったのかを考えると・・・
川中島という土地は、信玄公にとっては、日本海に、
謙信公にとっては、お膝元を守る最後の「関門」であり、
その先にある関東への「扉」だったかも!?

ドラえもんの「どこでもドア」ではないですが、
信玄公が信濃を北上すれば、越後。眼前は日本海。
海は塩が取れるだけではありません。
港を持つことは、海上交易がもたらす富を得ることであり、
地域の物流も融通しやすく、戦支度もしやすくなります。
港を制することの重要性は、織田信長の財力をみれば明らか。

実際、厳しい結果となった第4次川中島の戦いの後、
信玄公は飛騨を侵攻し、越中国(現在の富山県)を目指しています。
その先にあるのは、やはり海。

謙信公にとってはどうだったのでしょうか。
信越国境を守ることは、越後を守ることだけでなく、
北信濃が味方勢力で安定すれば、関東支配が見えてきます。
逆に言えば、武田軍が北信濃をちょろちょろしていては、安心して関東に向かえない。

それは、信玄公にとっても同じこと。
謙信公に北条氏が追いやられ、関東、そして東国を支配されては、
すでに駿河に目を向けている信玄公としてはとっても困る。

だからこそ、「川中島」をやめることができなかった・・・?
そして、12年もの間、時代の両雄が
川中島=関東支配をめぐって睨み合っている間に、
北条氏によって、関東は統一され、さらに、織田信長と徳川家康が台頭し・・・。

もし、川中島の戦いが1回で決着がついていたら?
もし、もっと早く、二人の武将が停戦していたら?
甲信越の勢力図は変わってたかもしれないし、
信玄公の西上作戦も早まったかもしれません。

「たら・れば」はさておき、
当館常設展示室(無料)で開催中の夏の投票企画!
「決戦! 川中島」にも、奮ってご参加ください。
ちょこっとお知らせしてしまうと、
8月24日現在、両者の得票率は、武田勢57.4%、上杉勢42.6%!
武田ファンの皆さま、辛勝でよいのですか?
上杉ファンの皆さまは、これでよいのでしょうか?
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第46回藤村学校「講演~伝統から学ぶ甲府の魅力(その3) 宝飾の街を築いた水晶細工~」を開催しました。

2022-08-24 13:18:35 | イベント

8月22日(月)
甲府市藤村(ふじむら)記念館にて
有限会社土屋華章製作所 代表取締役 土屋 隆さん(伝統工芸士)に
ご講演いただきました。


水晶細工と甲府の歴史を教えていただきました。
中でも印象的だったのは、
水晶加工技術が優れていたために
水晶が戦争の道具になった、というお話です。
戦争で水晶を使われることを拒み、
製作所を移し、一時農業をされていたそうです。
結果、戦火を逃れ幕末期の帳簿など
貴重な資料が現在まで残りました。


また、現在の水晶加工の技術についてもご説明くださいました。


講演後は、水晶を間近でご覧になったり
質問等の続きをしたり、受講生の目が水晶のように輝いていました😊 

ご参加いただき、ありがとうございました。
次回の藤村学校は10月17日(月)を予定しています。
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