川中島へ、いざ出陣!

2021-08-30 18:14:11 | 紹介
当館で、もっとも大きな展示物と言えば、こちらの馬の骨。
戦国時代の馬で、全身骨格が良好な状態で出土しているのは、現在のところ武田氏館跡だけ。
手をかけて育てられ、おそらくは軍馬として某武将のお供をしたはず。
その馬が、この度、ホントに本気でご出陣!?
目指す戦場は・・武田・上杉激戦の地、川中島!

実は、9月から始まる、長野市立博物館の企画展示
「THE EXPO 善光寺 2021 甲信越戦国物語」にて、当館の馬も展示されることに。
長野市立博物館は、川中島古戦場史跡公園にある博物館。
今回の企画展では、善光寺や神仏との関係を通して、もう一つの川中島の戦いを紐解くとか。

レプリカとは言え、一本一本の骨を正確に複製し、その専門の方に組み立てていただいたもの。
とっても注意の要する展示品。
ということで、専門業者さんに梱包、輸送をお願いしました。

頭部を外しております。

この後、綿を和紙で包んで作られたお布団、さらにふわっふわのワタに包まれて。
「真綿にくるむように」とは、まさにこのこと。

表面のチェックも行われ・・・
輸送中、展示品がなるべく動かず、なるべく負担がかからないように、
ベニヤに和紙に、発泡スチロール、ポリウレタンなどが総動員。

馬のサイズぴったりの木枠に入れられ・・・


目指すは川中島!いざ出陣!

長野市立博物館の企画展示
「THE EXPO 善光寺 2021 甲信越戦国物語」の情報はこちらからどうぞ。
会期は、2021年9月4日(土)~9月26日(日)
休館日(9/6(月),13(月),21(火),24(金))にはご注意ください。

しばらく川中島へ出陣中で、甲府への帰還は、10月2日(土)の予定です。
そのようなわけで、臨時休館明けとなる9月13日(月)から当面の間、
馬骨は、信玄ミュージアムを留守にしますので、ご来館される際は、どうぞご容赦ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花押と朱印に見る、大名たちのビジョニング✨

2021-08-29 11:04:02 | 紹介
新型コロナウイルスの感染拡大の長期化は、当初の予想を超えたものになりつつあります。
私たちの生活への影響も、マスク着用、手指消毒から、働き方にまで及び、
正式文書にハンコを捺す作業も見直されているのも周知の事実。
「脱ハンコ」の後、文書などの内容を保証するものは・・・
直筆サインであり、暗証番号だったりするのでしょうか。

暗証番号は、デジタル社会が生み出したものですが、
サインにしろ、印鑑、印章にしろ、
文書の内容を保証したり、模倣や偽作防止のための工夫の歴史はとっても古い。
印章は、なんと紀元前5000年も前、メソポタミア文明の下で生まれ、
署名を花のように記号化した「花押」は、7世紀ごろ、中国の唐で生まれたとか。
その後日本にも導入されますが、現在見つかっている、最古の花押は933年のもの。

鎌倉時代、御家人も発給文書に花押を記すことが義務化されますが、
武家の花押は、父から子、孫へと受け継がれたり、同族や主従関係で似たものが多いそう。
室町時代には、足利尊氏の花押が「足利様」と呼ばれて一世を風靡したとも伝えられ。

でも、さすが、戦国の世に入ると、大名たちの花押は多様なものに。
一方で、家臣たちの花押は、統一的になっていった・・という現象が、
この時代の傾向のひとつを表していると感じずにはいられません。

戦国の世を生きた大名たちの花押は、
実名やニックネームを花押として加工するのはもちろん、
鳥などをユニークにデザインしたり、
上杉謙信や信玄公はと言えば、一筆書きではなく、何度も筆に墨を塗り重ね、
結果として、どっしりと、安定感のある花押に!
時代をリードする信長、それに続いた秀吉の視線の先には、平和な世があって、
そうした社会を作らんとする願望(!?)を花押にも託した・・という見方も。

そして現代、花押は遺言書などの公的文書では認められないようですが、
首相や各大臣は署名の代わりに花押を使う(!?)というから驚きです。

・・・
戦国時代は、大名たちがそれぞれの領国統治のために発布する文書が急増する時代です。
一通一通に、花押を記すことは、もはや現実的ではなかったのでしょう。
数多くの朱印が、文書に捺されるようなります。

でも、やっぱり、
花押のように、朱印の文字や柄、モチーフにも、
生き様やビジョン、メッセージが込められたようなんです。

信玄公の「龍」や、勝頼公の「獅子」は力強さを象徴し、
「甲斐国志」より
左の列から、信虎公の「虎」の朱印、信玄公の龍朱印、勝頼公の龍と「獅子」の朱印

今川義元の印章には、陰陽師が使った魔除けの呪文「急々如律令」が刻まれて。
北条氏の印に刻まれた「禄寿応穏」(ろくじゅおうおん)
すわなち、「領民の財産、命は、北条が守る」は、まさに、お家の理念があらわされ。
信長の「天下布武」はいわずもがな。

・・・
あわただしい毎日を送りがちな私たち。
でも、たまには、自分にとって大切な軸が何か、確認してみるのも良いかもしれません。

最後にちょこっとお知らせです✉

8月中旬に、当館特別展示室にてお渡しする予定だった
甲斐府中・建設開始記念、信虎印バージョンの御城印ですが、
臨時休館の延長でのびのびになっております。
具体的な配布時期については、決まり次第、当ブログでお知らせいたします。
楽しみにしてくださっている皆さまには、大変申し訳ございませんが、
もう少しお待ちいただけますよう、よろしくお願いいたします🙇

今日は、時の流れがちょっとゆっくり感じる、
まったりとした曇り空・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

のびのびしてる猫さんたちと、人気ののびしろを感じさせる仁科盛信

2021-08-25 20:45:49 | 紹介
一部都府県の緊急事態宣言、山梨県も複数の自治体が、まん延防止等重点措置の適用で、
武田神社、当館のまわりも、さらに静かになりました。

そうなると・・のびのび、のんびり、しちゃうんです🐈
警戒して、こちらから目を離さないけれど、
でも、どっかで「だいじょうぶ」と思っているお顔😉


そして、こっちにも🐈💤

・・・
猫さんたちの、のびのび~にかこつけて、
当館、常設展示室で繰り広げられている「武田二十四将 ドラフト会議」で、
ちょっと「のびしろ」を感じる武将をおひとり、ご紹介。

その名も、仁科盛信。
昨年度の「24将総選挙!」ではエントリーのなかった武将ですが、
今回は、武田家御一門衆が集結する「本陣」に堂々エントリー。
初出馬ながらも、本陣の名だたる武将の中でも、勝頼公、武田信繁、かわらけ君に続き第4位!

仁科盛信(弘治3年(1557)~天正10年(1582))は、信玄公の5男。母は油川夫人。
同じ母を持つ弟妹に、葛山信貞(こちらも「本陣」グループにエントリー)、
松姫(織田信忠婚約者)、菊姫(上杉景勝正室) がいらっしゃいます。

信濃国安曇郡の仁科氏を継承。
御一門衆として、大事な越後国との国境警備を担いますが、
信玄公の死後、勝頼公の下では、織田・徳川勢の再編成など厳しい情勢の中、
天正9年(1581)、それまでの城に加え、高遠城(長野県伊那市)の城主になります。
天正10年(1582)、信長嫡男・信忠が開城するよう勧告しますが拒否。
5万もの織田軍の猛攻を受け、激戦の末、自刃します。享年26。
御一門含め、寝返り、逃亡が後を絶たなかったこのとき、最後まで奮闘した若き武将です。

ちなみに、同母妹で、信忠の許嫁だった松姫を庇護し、高遠城から新府城に逃したのも兄、盛信。
松姫は、その後、勝頼公一行と別行動をとり、武蔵国多摩郡(東京都八王子市)に逃れたとか。

盛信は長野県の県歌の中で、土地の著名人として挙げられたり、
県歌では「信盛」だけど、別の書籍には「盛信」だったり、
改名したの(!?)どっちなの(!?)と静かな議論を呼んでいたり、
当館にも、(とってもまれですが)「盛信ファン」が飛び込んできたり。
そんな息の長い人気が、当館の「武田二十四将 ドラフト会議」の投票にも表れているのかも・・しれません。

・・・

あれ!?
ここは、旧堀田古城園の窓枠のところ。
こんなところでも、大胆気ままにのびのびしちゃってます。
猫🐈ですね~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信玄ミュージアム内「蕎麦・カフェ 由布姫」も臨時休業です。

2021-08-23 18:14:03 | 紹介
まん延防止等重点措置により、解除予定の9月12日まで
信玄ミュージアムは臨時休館させていただいています。
それを受けて、当館内の桔梗信玄餅で有名な桔梗屋さん直営の
「蕎麦・カフェ 由布姫」、「土産処・桔梗信玄」も8月23日から臨時休業に。

臨時休館は初めてのことではありませんが、人の気配がないとやっぱりさびしいものです。
古城園もスタッフ以外は人も立ち入らないので、近所のネコたちのパラダイス復活の予感。
早速、若い母ニャンが昼間から建物の脇でお昼寝です。
この母ニャンには初夏に生まれた子猫がいたのですが、
姿を見せないということは・・・
飼い主が見つかって、どこかで元気に暮らしていることを祈るばかりです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この夏も、やっぱり「利剣名号」のお軸です。

2021-08-21 12:59:39 | 紹介
9月12日(日)まで、甲府市もまん延防止等重点措置の適用区域となりました。
残念ながら、当館の臨時休館も12日(日)まで延長です。

とはいえ、季節は流れます。
ひし形の茶室前に咲くシュウメイギク

旧堀田古城園には、旧堀田古城園にふさわしい夏の装いを・・・
ということで、先日、旧堀田古城園の広間のお軸を掛け替えました。

去年と同様、「疫病退散!」の思いを込めて・・「利剣名号」のお軸です。

「利剣」は鋭利な刀剣であり、煩悩や邪悪なものを断ち切る、仏さまの力、知恵。
「名号」は阿弥陀さまのお名前のこと。

剣のように描かれた文字の先端にご注目。


こちらの文字は・・ころんとかわいい如意宝珠(?)に刻まれたような。
如意宝珠とは、仏教において、思いのままに願いを叶えてくれるお宝です。

なぜ「利剣名号軸」に疫病退散なのかと言えば・・

鎌倉時代末、西日本を襲った地震がきっかけで、京の都で疫病が蔓延。
それを憂いた時の帝、後醍醐天皇の勅命をうけ、
知恩寺の空円上人とその弟子たちが、7日7夜にわたり念仏を唱え、大念珠繰り。
家々にも護符を貼り・・疫病はほどなく終息したと言います。

この時、ご本尊とされたのが、宮中の秘宝、伝・空海の「利剣名号」のお軸。
以来、このお軸を模したものが広く求められ、
昭和初期に建てられた旧堀田古城園にも・・ということでしょうか。

私たちも、伝・空海の「利剣名号」のパワーにあやかりたいものですね✨
一日も早いコロナ感染の終息を願うばかりです。

知恩寺の宝物、オリジナルの「利剣名号」と「大念珠」

よろしければ、こちらもご覧ください🙇
「利剣名号」のお力で疫病退散(その1)
「利剣名号」のお力で疫病退散(その2)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする