菅助流、軍配の術を想像してみる(その2)

2022-03-31 17:55:43 | 紹介
信玄公の下で活躍した軍配者、山本菅助。
その軍配の術はどのようなものだったのでしょう。

甲州流軍学の書「甲陽軍鑑」によれば、菅助のそれは、陰陽五行説と仏・菩薩の神通力、
そして人間などが発散する気を見極め、判断するものだったようです。
その目指すところは、合戦の日時、方向、敵味方の調子などを見極め、勝ちに導けるよう努めること。

まず、陰陽五行説は、自然界に存在するものは、「陰」と「陽」相対する性質を持っているという理論と、
自然界は「木」「火」「土」「金」「水」の5つの要素で構成され、
それぞれが巡り、お互いに影響を与え合っているという理論が合わさったもの。

「甲陽軍鑑」によれば、菅助は陰陽五行説を元に、
東西南北の4方向には、天地がもたらす声(?)と、
例えば、東に対応する万物の構成要素は「木」、といったように、対応する構成要素があり、
さらに、「水」は「火」を消すなど、要素同士が争って相手を抑え弱めたり、反対に、協力して相手を補い強めたりもする。
人もまた、こうしたものの影響を受け、支配されているから、これが分かれば天災、盛衰、勝敗なども判断できる、と。
その他、軍勢を率いる総大将の「姓」や、季節も考慮したようで、
「陰陽五行説」から日取りなどを占うのも、なかなか複雑な手順を踏んでいたことが想像されます。

また、仏教には、仏や菩薩は6種類の神通力をそなえているという考えがあり、
どうやら菅助は、6つの神通力に通じる6つの理論「六通」も参考にしていたようです。
見方によっては、「六通」は自然の摂理って、こういうことだよね、という印象。
「天の告げるところ」や、「生あるものの心」、「物事の成就」や、その「栄枯」「盛衰」を知り、
「天地の気を見てすべての段階を悟る」・・・といった感じで。
さらにこの理論は、おそらく仏教の影響も色濃く、展開されていったと考えられるのですが、、
残念ながら、はっきりしたことがわかっていません。

人間などが発散するエネルギーが形となった、雲気や煙気なども大切な判断材料でした。
気を見るにふさわしい時間帯は、朝8時ごろとされ、
大将自ら、城や陣地から500mから1kmほど離れた場所に忍び(!)出て、
敵味方、双方の上空を眺め、気と城の様子を観察。
雲気、煙気は宮(きう)、商(しやう)、角(かく)、徴(ち)、羽(う)の5つに分類され、
この形によって、軍神の降臨、守護のあるなし、大将や軍勢の気などを推測し、
当時、3つの軍鳥と考えられた烏、鳶、鳩が飛んでいれば、それも参考にして、
結果として、どうすれば落城させることができるかを判断したようです。

小和田哲男「甲陽軍艦入門 武田軍団強さの秘密」より

菅助は「九字」も切っており、軍配術のエッセンスはこれだけではないかもしれませんが・・・、
自然界の構成要素はともかく、仏・菩薩の神通力や気を見て云々というのは、ともすればスピリチュアル。
でも、現代も、科学と精神世界は表裏一体な側面を持つことを考えると、
菅助は、わたしたちが想像する以上に「理系」で、
その軍配も、自然科学的に理に適ったものと評価されていた(!?)のかもしれません。

武田家家中において「知者」「知識」と尊敬を集めた菅助ですが、そこに至るまでは、偏見あり、嫉妬あり。
けれども、関東から西日本にかけて諸国を遍歴、会得したという兵法、築城などを、まさに現場で発揮。
菅助が足軽大将となるきっかけ、天文15年(1546)のいわゆる「戸石崩れ」で、
武田軍の大ピンチを救った「摩利支天」の如くの働きに至り、家中の信頼を勝ちえます・・・。

いまだ謎に包まれつつも、その軍配に興味は尽きません・・・!

3月もあっという間に終わり、明日から4月。
令和5年に訪れる信玄公没後450年に向けて、また新たな1年が始まります。
その夏には、山本菅助メインの企画展を計画していますのでご期待ください。
まずは、明日4月1日から善光寺御開帳を応援する企画展
「甲斐国領主と善光寺」が始まります。
ぜひ、花見をしながらお立ち寄りください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山本菅助流、軍配の術を想像してみる(その1)

2022-03-28 17:48:46 | 紹介
こっちとあっち。どちらを取れば、より良い未来を手に入れられるのだろう???
私たちは本当に迷った時、人に助言を求めたり、コインを投げてみたり、
占いにたよりたくなるものなのかもしれません。
そんな思いは、今も昔も、西も東も変わらなかったようで・・・

例えば、紀元前2000年前に生まれたという西洋占星術。
遠く離れた日本とは縁がないように思うけれど、
たどりたどれば、西洋占星術はインド生まれの東洋占星術に影響を与え、それが仏教に取りこまれ、中国へ。
平安時代、空海などの留学僧によって、密教のひとつ「宿曜道」(すくようどう)として日本に持ち込まれました。
占星術、道教、陰陽五行思想など、さまざまな要素を内包した宿曜道。
担い手の公家の没落によって、南北朝のころには存在感を失いつつも、宿曜占星術として生き残って。
戦国時代、採用する大名もいれば、「胡散臭い」と禁じる大名もいたようです。

いずれにしても、戦ひとつで家の存亡がかかってしまう戦国の武将たちにとって、
易や占いはおろそかにはできない判断材料。
「甲陽軍鑑」によれば、戦の勝敗は総合的な戦略で決まるものと考えていた信玄公も、
軍配者を何人か召し抱え、吉凶などを占わせ、それぞれを比較検討していたとか。
さらに信玄公ご自身も、細い竹の棒を50本使う筮竹(ぜいちく)で易占いをしたといいます。

武田家お抱えの軍配者の一人が、言わずと知れた山本菅助。
(※1)「甲陽軍鑑」では山本「勘助」と記述されていますが、
こちらでは、その実在が立証されている山本「菅助」を使用しています。

山本菅助といえば、信玄公の「軍師」です。
でも、意外にもこのイメージを作り上げた「甲陽軍鑑」は、菅助を「軍師」とは呼んでおらず、
「軍配鍛錬の人」だとか、「足軽大将衆の中でも名人のひとり」などと表現しました。

「軍配」とは、相撲の立ち会いや勝負を決するときに、行司が使うイメージですが、
団扇は悪鬼を払ったり、霊威を呼び寄せるものと考えられてきたからでしょうか。
当時は、戦で指揮を取るとき、また何かを占う時の道具でもあり、
易や占いに通じ、日取りや方角の吉凶を占い、総大将に進言する者も「軍配者」と呼びました。

ちなみに、「軍配」は、軍学や兵法の一分野。
隊列の組み方、兵器の配列、軍役の数に関することは「軍法」、
出陣、凱旋、首実検など作法に関することは「軍礼」、
武器の製法などに関することは「軍器」、戦略、謀計などは「軍略」そして、「軍配」。

信玄公の下には、妖術や幻術を使う軍配者もいたようですが、
菅助流の軍配術は、それとは違うタグイ。
それがどんなものだったのか、「甲陽軍鑑」の記述をたよりに見てみたいと思います。
ただいま特別展示室にて展示中の「甲陽軍鑑」(江戸時代、個人蔵)

次回もどうぞ、お付き合いください🙇
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信玄ミュージアム周辺の春、そして新たな企画展

2022-03-27 10:15:13 | イベント
本日の甲府は、昨夜の雨もあがり、暖かな朝を迎えました。
先週は気温もそれほど上がらず、開花した桜もやや足踏み状態で、
7分咲くらいでした。
甲府の予想気温は25度。
今日一日で一気に満開に向かって咲き誇ると思われます。
ミュージアムの屋根越しに見える富士は真っ白です。
まん延防止等重点処置明けで最初の土日で、各地の観光地も賑わった、
とのニュースも聞かれましたが、武田神社周辺はあいにくのお天気もあってか、
賑わいは戻ってきましたが、例年に比べればまだまだといったところ。
感染者数も高止りで、なかなか収束も見通せませんが、
感染予防対策を心がけて、春のお出かけをお楽しみください。

当館も、臨時の入口で入館時の手指消毒は必須です。
体温は自動測定ですので、異常を検知しない限りそのままスルーです。
特別展示室入室時は、健康チェックシートにお名前・連絡先などのご記入を
お願いしています。
感染予防と施設での感染確認時の対応のため、ご協力ください。

なお、これまでアナウンスしてきました信玄公生誕500年記念の特別展は、
3月31日(木)をもって終了いたします。
残りわずかですが、お早めにご覧ください。

4月1日からは、令和5年(2023)4月12日に、信玄公没後450年を迎えるため、
1年前のカウントダウン企画展が開催されます。
初回のテーマは、「甲斐国領主と善光寺」
期間は、4月1日(金)から7月4日(月)

各地の善光寺では、4月3日から数えで7年に1度の御開帳が始まります。
コロナ感染拡大で1年延期されての開催ですが、
苦難を乗り越えての特別な盛儀を多くの方に知っていただけるよう、
信玄ミュージアムでも何かできないか、ということで企画展を計画しました。

企画展が成立できたのは、長野市の善光寺大本願様のご協力があったればこそ。
ご所蔵の「栗田家文書」を借用させていただき、展示品の主軸としました。
この史料群は、善光寺別当の栗田家に伝わった古文書で、
善光寺が甲斐に移っていた頃(現甲斐善光寺)、
甲斐の領主たちが出した書状で、武田・徳川・羽柴・加藤・浅野氏まで、
歴代領主の古文書が揃っている貴重な史料です。
展示室や設備に余裕のある施設でしたら一度に展示できるのですが、
信玄ミュージアムでは、貴重史料が展示可能なスペースは限られるため、
3回に分けて展示します。
すべて並ぶと圧巻な史料群なだけに残念です。
このほか、市内の甲斐善光寺様からもご協力をいただき、
貴重な史料なども期間中展示します。
詳細は、甲府市ホームページの更新とあわせて、近日中にお伝えいたしますので
お楽しみに。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信玄公生誕500年記念特別展もあと少し

2022-03-26 10:08:09 | イベント
3月も最後の週末となりました。
今朝は、昨日の穏やかな晴天から変わって曇り空。
このあと午後遅い時間から雨予報で、ご来館にはあいにくのお天気となりそうです。

令和3年11月3日に信玄公生誕500年の記念を迎えました。
信玄ミュージアムでは、令和3年4月からこの月末までの1年間を通じて
8つのテーマで特別展を開催してまいりました。
新型コロナウイルス感染症拡大の影響が大きく、施設も実質丸3ヶ月臨時休館と
なってしまい、展示計画を変更しながら何とかここまでたどり着きました。

現在開催中の最後のテーマ「信玄公の後継者」は、武田家を継いだ勝頼公に焦点を
当てた展示でしたが、期間は、24日〜31日までのわずか8日間のみとなりました。
本来でしたら、しっかり一か月の中でご紹介したかったのですが、短期間でも
ぜひ一度ご覧いただければと思います。
勝頼公の没後250年に描かれた「武田勝頼画像」(複写:法泉寺所蔵)
信玄公や勝頼公の事績や軍法などを記録した「甲陽軍鑑」(個人所蔵)
武田家の最期となった天目山の戦いを描いた「武田四郎勝頼父信玄云々図」(個人所蔵)

御城印勝頼公バージョンは、展示期間を過ぎても期間を延長し、
4月4日(月)まで配布です。
桜も来週には満開を迎えそうですので、ちょうど4月最初の土日までは
春の甲府を満喫できると思います。
国登録有形文化財 旧堀田古城園もお楽しみください。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祈るも天道 祈らぬも天道

2022-03-24 18:50:16 | 紹介
春分の日の3連休もあっという間に過ぎ去って、いよいよ全国的に「まん防」が解除。
おかげさまで当館も臨時休館を終え、再開が叶いました。
このあたりも桜が美しいところですので、お花見がてら、ぜひ当館にもお立ち寄りください。

少し日が過ぎてしまいましたが、春分の日は「宇宙元旦」とも呼ばれることをご存知ですか。
毎年、春分の日に、西洋占星術の12星座の新たなサイクルがスタートするそうで、
いつからこのように言われているのかはわかりませんが、だから「宇宙元旦」なんだとか。

日本において「宇宙」という言葉は案外古く、すでに「日本書紀」で使われています。
ただ、ここでは「アメノシタ」と訓読みされ、「地上」「天下」「国家」を意味したとか。
現在の「宇宙」という意味では、仏教語「世界」(=時空間すべて)の方が近い意味で使われていたようです。

その「世界」は「天」という言葉にも通じていたかもしれません。
「天」とは、宇宙万物を生み、そして支配するものであり、人はその天命に従わなくてはならない・・・
儒教の根本となる思想で、日本に持ち込まれて以降、武士の生き様にも大きな影響を与えました。
実際、「甲陽軍艦」にも「天」や「天道」という言葉が多出しています。

「天道」、すなわち天の道理、摂理では、神仏を信仰することも重視するけれど、
ほとんど宗教とは関係ない、世俗的な道徳も大事にしなければ、と人々は考えていたようです。
だから「祈るも天道 祈らぬも天道」(「甲陽軍艦」品第六より)とあるように、
天に祈ったからと言って願いが叶うものでもなく、祈らなかったからといって天罰が下るものでもない。
天のなされることはあくまで公平で、天道に適う行動をとることが大切とされました。

勝頼公の妻、北条夫人が武田家の安泰を祈念して、武田八幡宮に奉納した願文でも、
「かつ頼うんを天とうにまかせ〜中略〜てきちんにむかふ」
(勝頼は運を天道に任せて〜中略〜敵陣に向かっています)
夫の出陣は天道に適ったことであるのに、家臣の心はまちまちで…と訴えています。
さらに「志んりょ天めいまことあらは…」(神慮天命まこと有らば…)
勝頼に勝たせてほしい(!)とすがる思いがしたためられて。

この願文は、天正10年(1582)2月1日、織田信長による甲斐国への侵攻で、一部家臣が離反。
それを受けて、同年2月19日、なんとか夫を、武田家を助けてほしいという一念で奉納されたもの。
でも、北条夫人には厳しい運命が待っていて…。
同年3月11日、追い詰められた夫・勝頼公と嫡男・信勝(※1)と共に、
天目山(現在の甲州市田野)にて自刃します。
享年19才。
(※1)信勝は勝頼公と正妻で織田信長の養女・龍勝院との子。北条夫人は継室で、信勝の実母ではありません。

すべては天命天運次第。
天道は、時に厳しいけれど、きっと道理に適っていて、
明日もわからぬ戦国の世の人の生き死にを説明してくれるものであり、
納得させてくれるものの一つ…だったのかもしれません。

当館の旧堀田古城園のお庭に、今年も紫蘭が芽吹き始めました。

恵林寺住職、快川紹喜が北条夫人に例えた「芝蘭」(※2)ではないけれど。
(※2)霊芝と蘭。転じて、かおりの良い草。またはすぐれたもの。

<お知らせ>
再開後の特別展示室のテーマは、
「信玄公生誕500年記念特別展「遺産から語る武田信玄」
〜信玄公の後継者〜

後継者といえば、武田勝頼公です。
特別展示室では、勝頼公の菩提寺法泉寺に伝わる「武田勝頼画像」(複製)や
天目山での勝頼軍を描いた錦絵、
江戸時代のベストセラー「甲陽軍艦」を展示しております。

武田氏館跡の御城印(獅子朱印・龍朱印版)も配布中です。
こちらも、通常版とは異なる、勝頼公が使用した御朱印をあしらった
この時期だけの限定バージョンです。
特別展示室ご入室の際には、記念にお受取りください。

皆さまのお越しをお待ちしております。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする