湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲

2017年02月05日 | ストラヴィンスキー
○クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団(KAPELLMEISTER:CD-R)1971/6/16ウィーンLIVE

エアチェック状態がかなり悪く、ハルサイよりは抜けのいい高音の伸びる録音ではあるが冒頭の歪みから雑音、バランス崩れまでかなり辛い箇所がある。こういう純管弦楽曲は激しくも単純な変拍子をきっちり守って縦を強くテンポをただ煽ればいいところがあり(演奏は大変だけど)、余り舞踏表現がうまくない猪突猛進クーベリックにはあっている。ピアノや弦がやや怪しくても勢いで聴けてしまう。2楽章はクーベリックの熱い中にもひんやりした肌ざわりの抒情が、フランス的な幻想を生々しく描き出し魅力的。だが肝心なところで放送雑音が興を削ぐ。ともかく旋律構造がわかりやすくリアルな2楽章だ。3楽章は冒頭で音量がやや落ちるのがやはり録音の問題として耳につく。高音の伸びがなくなり籠もってくる。演奏は一部辛いながらもなかなかに激していくので惜しい。テンポ感がいい。ピアノが大きすぎるのは好きずきだろう。疲れやバラケもどこかが補い流れを阻害しないのがすばらしい。録音マイナスで○。
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☆ストラヴィンスキー:弦楽四重奏のための三つの小品

2017年01月23日 | ストラヴィンスキー
○パレナン四重奏団(ensayo)1970'

スペイン録音。けっこう明るく透明感のあるアナログ音質ゆえこのレーベルのパレナンものは美しいのだが、パレナンのスタイルとして客観性が勝り構造を機械的に分解し硝子細工として再構築するさまは曲によってはひどく非人間的に聞こえる。スピードもえてして遅く余り揺れない。そういう形は現代作品だと逆に生きてくる。この曲は民族的要素を分析昇華し極めて凝縮された抽象作品に仕立てたようなもので、ロシアの演奏団体なんかだと昇華前の民族要素を煽ったりして趣旨がよくわからなくなることもしばしばある(それでも魅力的なのがストラヴィンスキーの懐深さだが)。パレナンは真逆である。一曲めの土俗リズムにのってとめどもなく綴られるファーストの旋律が、普通は民族主義音楽のストラ版のように演奏されることが多く、かなりのスピードと軽やかなリズムどりがスリリングであるのだが、パレナンはいきなり重く、そしてとても思索的な低い重心の音楽をかなで出すのである。二曲目は一曲目とあまりに違う、かなり抽象度の高い曲ゆえ聞いているとわけがわからないことが多いのだが、ここでパレナン団の真骨頂が見える。まったく完成された「現代音楽」的に聞こえるのである。響きも構造もきわめて明快で整理され、比較は悪いがウェーベルンの室内楽を聴いているかのような錯覚に陥る。ああ、ストラヴィンスキーの前衛は晩年に噴出したわけではなく、かなり古い時期から潜在的に存在していて、表明されたイデオロギーや周囲の見方に反してこの人の中には「ハルサイのストラヴィンスキー」などというものはとっくに無くなっていたのだなあ、と思った。三曲目も更にすばらしく、この曲で一曲目以外に魅力を感じたのは初めてだ。客観性の強い演奏団体は余り好きでは無いので◎にはしないが、楽曲理解には素晴らしくうってつけである。
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☆ストラヴィンスキー:レクイエム・カンティクルス

2016年12月18日 | ストラヴィンスキー
○ミュンシュ指揮パリ管弦楽団(Altus)1967/11/14シャンゼリゼ劇場live・CD

Altusのやらしい再発盤に収録されたトラックで渋々これだけのために買った。ミュンシュのストラヴィンスキーというとペトルーシュカとアゴンくらいしか手元にないが他に何があるんだろうか。初物好きだし嫌っていたというわけでもなさそうなのは、この最晩年作、十二音技法を取り込んだ「ちっとも楽しくない音楽」を、「音楽は楽しい」を体現してきたようなミュンシュがパリ管デビューの演目に選んだということからもうかがえるようにおもう。そして演奏がけっこう、しっかりしていて、かつ「楽しい」のだ。たとえばギーレンがやってもこうはならないだろう。前奏曲のポリリズムにハルサイを想起するなと言うほうがおかしい。ここからしかし、ストラヴィンスキー「らしくない」響きが、前衛的な雰囲気を醸していく。といっても、合唱や独唱には前衛の匂いは薄いし、最小限に抑えられた楽器の用法は他の作曲家にも、ストラヴィンスキー自身にもみられなかった独特の「面白み」がある。この「面白み」を引き出す、「前衛の匂いの薄さを突く」のがミュンシュは上手いのか。典礼が進むにつれ本来の意図であるレクイエムに沿った作品構成であることに気付かされ、あっという間に終わってしまうのだが、つまりはポケットレクイエムなのである。

分析的なことはよそでいくらでもやっていると思われるのでここでは触れない。ただ、ミュンシュマニアなら聴いておいて損はない。中古を探してください<おい
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☆ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲

2016年12月01日 | ストラヴィンスキー
○クレンペラー指揮ACO(archiphon:CD-R)1957/1/20live

一楽章こそ遅くて重苦しいが、二楽章の繊細さに透明感、三楽章のリズミカルさに破壊的な推進力は圧倒的。いずれも音表現が明確で、緩やかになったり細くなったり途切れたりは決してせず、デジタルな数学的合理性を重視するストラヴィンスキーの美学にあったものになっている。クレンペラー壮年期の煌きが未だ感じられる爽演。しかもオケがいい。後年のイギリスでの柔らかい響きのものに比べ未だ鉄壁の機能性を誇るACOの、叙情的なソロからトリッキーな合奏での一糸乱れぬ表現の幅に感服する。惜しむらくはやはり録音状態で、かすれ気味なのは痛い。○。

↓フィルハーモニア管弦楽団とのスタジオ録音
ストラヴィンスキー:三楽章の交響曲
クレンペラー(オットー)
EMIミュージック・ジャパン

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↓(LPOと記載しているデータもあるが同一音源)
Klemperer: Merry Waltz; Weill: Kleine Dreigroschenmusik; Hindemith: Nobilissima visione

EMI

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☆ストラヴィンスキー:交響曲(第1番)

2016年10月30日 | ストラヴィンスキー

○C.アドラー指揮ウィーン交響楽団(CONCERT HALL他)

現代音楽の知られざる推進者として主としてウィーンに多くの録音を残したマーラーの使徒によるストラヴィンスキーである。ストラヴィンスキーは交響曲と名のつくものを5つくらい作っていたか、有名なのは三楽章の交響曲あたり二曲だが、これは初期も初期、学生時代のしかし大作である。オケはまあこんなものか。「らしい」演奏だ。終楽章の木管がへろへろなのは曲のせいもあるだろう。自作自演のコロンビア録音とはかなり違う印象。もっと生ぬるくでも聴きやすい。これは、まずはグラズノフのフォーマットで書かれた習作であり、初期ストラヴィンスキーのお勉強の結果が出たものである。そこにはグラズノフ的楽想にリムスキーやリヒャルト的和声の導入がはっきり聞き取れるが、構成的にはどうも気まぐれで今ひとつしっかりしていない。1楽章の展開部以降は教科書的構成観に基づいているくせに何かぐだぐだな感じがする。ぎごちないが清新な転調や「火の鳥」の萌芽を感じさせる魅力的な楽想、リズムも余り執着なく一つの要素として通過され、結局横長の音符による和声的な進行によって退嬰的とも思える感じをもたらしたりもする(これは3楽章の「イリヤ・ムーロメッツ」のような終わりかたにも通じる)。2楽章のアドラーのアプローチはロマン派を意識したものになっている。自作自演だと初期ドビュッシーを思わせるような精妙さをかもす新しさが感じられるのだが、譜面をいじっているのかもしれないが(版が違うのかもしれない)グラズノフの凡庸な模倣者が書いたような、それでもまあロシア国民楽派らしい魅力を保ったものになっている。グラズノフの影響から脱しようという気分は聞き取れる。そしてそれはある程度成功はしている(4楽章の軽やかさ)。3楽章にしてみてもしっとりして美しい、でも何か浅薄なグラズノフ的抒情というものから一歩離れたような感じがする。・・・でも、この演奏自体の「最初はわかりやすいが二度目以降は飽きて聞けない」的アプローチのせいか、正直余り惹かれなかった。美しさでいえば4楽章の簡潔で構成的な音楽がいちばんで、目まぐるしい転調などにフランスの香が感じられるが、そのわりにいささか「枠」に囚われすぎている感もある。この曲は「ロシア国民楽派のストラヴィンスキー」と割り切って聴くべきものである。メロディのグラズノフ性のみを楽しもう。1楽章コーダ末尾でのユニゾン主題再現にのけぞっておこう。演奏的には自作自演よりは面白い。○。

(後補)近年CD-Rか何かで復刻したと思う。
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☆ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲

2016年09月13日 | ストラヴィンスキー
○ベルグマン(P)作曲家指揮SWFバーデンバーデン放送交響楽団(music&arts)1954/5/21live・CD

世界の踊りのリズムのとりかたは様々である。西欧的記譜法は西欧音楽のみを視野に入れているため、国によってはそれをそのまま音にするだけでは表現しきれないものも出てくる。日本人が舞曲表現を苦手とすると一般に言われるのも、日本人の踊りに関するリズム感覚が西欧的な感覚と違っているからだ。勿論訓練や適性次第で克服できるもので今はそんなことも言われなくなったが、素人がやろうとするとどうしてもエンヤコラドッコイショになってしまう。後拍を取る、附点音符のリズムを取る、三拍子など奇数拍を取るのが比較的不得意というのは、日本人に限らないが、日本人に顕著なものである。西欧諸国においてもこの点には微妙な差異がある。三拍子は騎馬民族の乗馬時のリズムからきている、という話があり、ボロディンの楽曲では頻繁に使用されるが、指揮者によっては無骨に正確なリズムをとって舞踊性を無くしてしまっていたりする。意図的であればよいが無意識と感じられる場合もある。ウィーンの舞曲については言うまでもあるまい、これは逆に正確なリズムを取ることにより「まるで東京人が大阪弁をしゃべっているような」ノリの悪い不恰好さを避ける場合が多いように思う。国民性の色濃い微妙なズレを如何に表現するか、アメリカでいうところの「スウィングする」という感覚は譜面上にどう表記されるべきなのか(アイヴズは「スウィングできるなら何度でも繰り返せ」などと書いている)、このへんは私含め「聞くだけの人」は「ノリ」の一言で片付けるけれど、いざやる立場となると難しい面がある。ストラヴィンスキーの舞曲表現にも独特の「ノリ」がある。リズミカルに前ノリで面白くやればそれはそれで面白く聞けるのだが、そもそもあの複雑なリズム構造はアフロな諸国に顕著にみられる、リズムの絡み合いをメインとして楽曲を組み上げるたぐいのプリミティブなものを意識しているようだ。本当は旧来の五線譜上に書き記せるたぐいのものではない。ストラヴィンスキーはそこを敢えてぎっちり譜面に落としている。客観的で数学的な側面があるから極めて正確に演奏されることによって独特の魅力が見えてくる、このへんはブーレーズあたりを代表とする高度な分析技術によってのみ成しえた演奏様式だが、あくまでバレエのような「踊りの音楽」で使われることを想定した「ノリ」の部分は損なわれがちである。ストラヴィンスキーの自作自演の面白いところは、そういった「正確さ」と「ノリ」を、鋭利で無骨で激しい音表現によって同時に満たしているところである。それは逆に同時に失っていると言うこともできるし、じじつそのために面白くない、下手だなどと言われるのだが、昔も書いたことだけれども、ストラヴィンスキーの頭蓋の中には何らかの肉感的なリズムが存在し、それは西欧的な単調なリズムに無理やりあてはめたものとも、様式を崩した舞曲の面白さとも違う「正確な縦のリズムをとことん突き詰めていくことによる、地を一斉に縦に踏み鳴らすような土俗的なリズムにもとづく」ものであった。その源流は知れないが、このアメリカ時代の復活ののろしとなった名品においてもその流れは依然として存在し縦のリズムが重要な要素となっていて、この演奏では特に精緻で金属質な表現を得意とするオケをもってして、厳しい縦ノリの引き締めと粗野でアクセントの強い独特の発音の中から一種独特の舞踊の「ノリ」というものを感じることができる。

この演奏で更に特筆すべき部分としては二楽章中間部の抒情性の濃さで、ドビュッシーの「フルートとハープとヴィオラのためのソナタ」へのオマージュや瞬間的なヒンデミットなど、まるでバルトークのオケコンのような「遊び」が楽天的でシニカルな楽曲の中に、清澄で親密な雰囲気を持ち込み変化をつけている、そこが如実にわかる。

アメリカでは金銭的な理由から作曲を行うことが多かったストラヴィンスキーだが、プロフェッショナルな音楽家にとってその動機が何だろうが産物が素晴らしければそれでよいわけで、アメリカという未だ音楽の新興国とみられていた国において交響曲という権威的で「キャッチーな」ものを作るという意味、そういったものを依属者や出版社が求め続けた意味を鑑みたとしても、この作品の価値を貶めるものにはならない。録音はやや悪いがリマスターはいい。○。
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ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」~三つの抜粋(編曲)

2014年02月13日 | ストラヴィンスキー
○エリアスベルク指揮アンドレーエフ管弦楽団(ロシア民族楽器オーケストラ)(melodiya)1950・LP

バラライカを主体とする奇怪なオーケストラによる演奏で、火の鳥の毒々しさが強調されるような感じがする。フォルテの迫力が出ないし、現代オケのように俊敏ではないが、流れはさほど損なわれずに鑑賞に耐えうるものとなっている。
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ストラヴィンスキー:ミサ曲

2013年08月12日 | ストラヴィンスキー
◯ストコフスキ指揮フランクフルト放送交響楽団他(SCC:CD-R/M&A)1955/5/31・CD

抽象度の高い、まさにミサ曲という曲を作ったわけで、擬古典ではないがほぼ教会で演奏されても違和感の無い曲である。混声合唱も入るがいくぶん生々しいのは演奏のせいか。意外な程ストコフスキーらしさの出ない演奏。
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ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」

2013年08月11日 | ストラヴィンスキー
◯ストコフスキ指揮NBC交響楽団(SCC:CD-R)1942/4/7live

綻びやつんのめりもあるもののそれもひっくるめてNBCの演奏だなあ、すげー、という集中力。ストコフスキーがスピードを煽るのもまたいい。色彩的処理の上手さはトスカニーニを凌駕するのではないか、この悪い録音からもむせ返るような音の開放感が感じ取れる。引き締まった火の鳥で、ストコフスキーのイメージから外れるかもしれないが、末尾の切り方のおかしさにストコフスキーらしさは出ている。◯。
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ストラヴィンスキー:バレエ曲「火の鳥」~フィナーレ抜粋(編)

2013年07月23日 | ストラヴィンスキー
◯エリアスベルク指揮アンドレーフ・フォーク・オーケストラ(ペテルブルグ放送)1970/10/7live

マンドリンだかバンジョーだかツィンバロンだかが前面に出た非常に面白い編曲によるものだが、ごく一部の抜粋なので演奏評はできない。エリヤスベルグと表記されるが原語では確かエリヤズベルクと発音されると思う。私は折衷的にエリヤスベルクと書いていたが、ググった結果、エリアスベルクと統一しておく。
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ストラヴィンスキー:花火

2013年06月27日 | ストラヴィンスキー
デュフォー指揮シカゴ交響楽団(RCA)1945/12/12・SP

ワグナーみたいな演奏で、変な威厳がある。堅いのだ。その堅さゆえペットなどミスが目立ち現代のスタジオ録音ではありえないような精度(これはシカゴのオーケストラホールでのセッション録音だそうだが)。かっちりしているぶんオケがヘタクソに聴こえるのは痛い。デュフォーはSP末期にはたくさん録音を遺しているが中古市場に余りまくっている、つまりはそういう指揮者なのだろう・・・ネットで聴ける。無印。さっそうとしたシシリエンヌとのカップリング。
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ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」~ロシアの踊り、御者の踊り

2013年04月16日 | ストラヴィンスキー
○ドワイヤン(P)ガストン・プーレ指揮パリ・プーレ管弦楽団(decca)SP

色彩的で派手な演奏だが昔風のてんめんとした、少しルーズな感すらする部分もあるのが父プーレらしい。ロシアの踊りはリズミカルでスピードもあり聴き応えがあるが、ブツ切れで終わる御者の踊りはテンポが落ち着き過ぎていて歯がゆい。短いのでこんなところか。ドワイヤンがソリストを演じているのが意外なところ。
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ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」1945年版組曲

2013年02月01日 | ストラヴィンスキー
○作曲家指揮NHK交響楽団(NAXOS)1959

NML限定復刻で昨秋物議を醸したN響シリーズの一枚で、併録は夜鳴き鶯だ。これは映像が残っており、全編だったかは記憶が定かではないが、非常に有名である。N響がこんな鋭いリズムを刻むのも素晴らしいし、響きもこのオケにしては煌びやかでゴージャス。もちろんストラヴィンスキーの指揮だから作為的に派手な響きを演出したのではなくスコアを音に移しているだけなのだが、演奏陣の気合がおそらく違うのだろう。冒頭こそ余りに音が小さくて心配になるが、それは杞憂。モノラルの悪い録音ではあるけれど、ファンは楽しめるだろう。
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ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」抜粋

2013年01月30日 | ストラヴィンスキー
○ローゼンストック指揮NHK交響楽団(NAXOS)1956

NML配信限定のシリーズだが一部はe-onkyoからダウンロードできる。これは技術的問題抜きにすればわかりやすい演奏で、最初はパワー不足が否めないが旋律や響きの中の抒情性が引き出され、抜粋自体も第一部第二部からのハイライトということで十分楽しめるだけのボリュームはある。最後は打楽器の力感も不足なく終わる。あくまでローカルオケの演奏というレベルではあるが、それなりに楽しめます。タンホイザー序曲と三角帽子二組とのカップリングだが三角帽子はかつてリアル媒体で復刻されたことがある。
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ストラヴィンスキー:交響詩「夜鳴きうぐいすの歌」

2013年01月27日 | ストラヴィンスキー
○作曲家指揮NHK交響楽団(NAXOS)1959

NML限定復刻で昨秋物議を醸したN響シリーズの一枚で、併録は映像が残る火の鳥組曲だ。今はe-onkyoからダウンロード販売されているが、FLACかWAVのハイレゾ音源なのでファイルがでかく、環境によってはかなり不便するだろう(しかも一週間しかダウンロードできない)。こんな古い音源をハイレゾって何だろうと思うし実際目覚ましくレストアされた音とは言えない。演奏は今日よりにもよって放映された演奏会形式の歌劇(デュトワ)と比べれば歴然だが、発音が鋭く厳しく縦を揃えられている半面、抒情的表現が半端で軟らかさや膨らみがなく緩急がただ音色や音量だけによってつけられた乾燥した演奏だ。デュトワの演奏よりも技術的に優れているように聞こえるのはこの演奏の特殊性に起因しているか。音源として楽しめると言うよりは記録として面白い。交響詩版は歌劇の二幕以降の作風に依ったもので無調的なフレーズとハルサイそのもののようなバーバリズムによったリズムに音響が数学的な面白みをかもす。歌劇の筋書きが入って無いとやや聴き辛いかもしれない。
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