湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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☆ストラヴィンスキー:交響曲(第1番)

2016年10月30日 | ストラヴィンスキー

○C.アドラー指揮ウィーン交響楽団(CONCERT HALL他)

現代音楽の知られざる推進者として主としてウィーンに多くの録音を残したマーラーの使徒によるストラヴィンスキーである。ストラヴィンスキーは交響曲と名のつくものを5つくらい作っていたか、有名なのは三楽章の交響曲あたり二曲だが、これは初期も初期、学生時代のしかし大作である。オケはまあこんなものか。「らしい」演奏だ。終楽章の木管がへろへろなのは曲のせいもあるだろう。自作自演のコロンビア録音とはかなり違う印象。もっと生ぬるくでも聴きやすい。これは、まずはグラズノフのフォーマットで書かれた習作であり、初期ストラヴィンスキーのお勉強の結果が出たものである。そこにはグラズノフ的楽想にリムスキーやリヒャルト的和声の導入がはっきり聞き取れるが、構成的にはどうも気まぐれで今ひとつしっかりしていない。1楽章の展開部以降は教科書的構成観に基づいているくせに何かぐだぐだな感じがする。ぎごちないが清新な転調や「火の鳥」の萌芽を感じさせる魅力的な楽想、リズムも余り執着なく一つの要素として通過され、結局横長の音符による和声的な進行によって退嬰的とも思える感じをもたらしたりもする(これは3楽章の「イリヤ・ムーロメッツ」のような終わりかたにも通じる)。2楽章のアドラーのアプローチはロマン派を意識したものになっている。自作自演だと初期ドビュッシーを思わせるような精妙さをかもす新しさが感じられるのだが、譜面をいじっているのかもしれないが(版が違うのかもしれない)グラズノフの凡庸な模倣者が書いたような、それでもまあロシア国民楽派らしい魅力を保ったものになっている。グラズノフの影響から脱しようという気分は聞き取れる。そしてそれはある程度成功はしている(4楽章の軽やかさ)。3楽章にしてみてもしっとりして美しい、でも何か浅薄なグラズノフ的抒情というものから一歩離れたような感じがする。・・・でも、この演奏自体の「最初はわかりやすいが二度目以降は飽きて聞けない」的アプローチのせいか、正直余り惹かれなかった。美しさでいえば4楽章の簡潔で構成的な音楽がいちばんで、目まぐるしい転調などにフランスの香が感じられるが、そのわりにいささか「枠」に囚われすぎている感もある。この曲は「ロシア国民楽派のストラヴィンスキー」と割り切って聴くべきものである。メロディのグラズノフ性のみを楽しもう。1楽章コーダ末尾でのユニゾン主題再現にのけぞっておこう。演奏的には自作自演よりは面白い。○。

(後補)近年CD-Rか何かで復刻したと思う。

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