goo blog サービス終了のお知らせ 

湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

2019年04月28日 | ドイツ・オーストリア
クレンペラー指揮LAフィル(DG)1945/12live・CD

録音はえらくパチパチ塗れだがスピーディーで意外と聴ける演奏。クレンペラーなので揺らしたり当意即妙な演出は一切しないが、カラフルが持ち味のオケは映画音楽で培った腕なのかウィーン風の生ぬるい響きも持ち込んで一味加えている。常時よりも引き締まり精度の上がった演奏ぶりはクレンペラーとの相性か。まだ古いクレンペラーのスタイルを楽しみたいなら。ロス・フィル百周年ボックスのおまけ収録。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒンデミット:画家マチス交響曲

2019年04月14日 | ドイツ・オーストリア
オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(NHK,king)1967/5/4大阪フェスティバルホールlive・CD

かつて実演で最も凄かったのは?と問うてオーマンディのフィラデルフィア管弦楽団と答えるパターンがあった。録音では絶対伝えられない分厚い金管、迫力ある弦楽アンサンブル、レコード評論家にはわからない世界があったという。私は実演に触れられたくらいの世代だが生憎趣味も金もなく、書籍などではストコフスキのフィラデルフィア管弦楽団という伝説しか語られなかった。オーマンディは秘曲といわれるあまり録音されない曲目も積極的に開発した。先達ストコフスキより世代的に良曲に恵まれなかったとはいえ、シベリウスの信頼厚く、出身地(ハンガリー)から東欧の曲に強いイメージもあった。ストコフスキが得意としなかったバルトークができたのはこの人がヴァイオリニスト出身だったことにも関係あるだろう。このライヴのメインにオケコンが取り上げられている。ストコフスキはヒンデミットもそれほど取り上げていなかったのではないか。緻密なアンサンブル、立体的な構造のしっかりした再現において、ストコフスキーの開放的な音作りはハッキリ向かない。求心力を厳しく保ってなおかつ、プラスアルファで迫力をしっかり加える、この演奏はまさにオーマンディ向きなのである。ヒンデミットは録音に恵まれているとも言えないところがある。いわゆる新古典主義的な構造がはみ出した解釈を許さず画一的で詰まらなくなってしまう。この演奏では通常のオケでは不可能なレベルで統制がとられており、個々がぶっ放しても全体の構成のなかにしっかり収まるように設計されているから、いつものせせこましさがない。音がぼやけることもなく、ただとにかく「デカい」。実演はさぞ凄まじかったろうし、冒頭の感想も伝えられることだろうもので、それはヒンデミットという特殊な演目だから想像が及んだところである。ラストがまんまあっさり終わったな、というところで少しマイナスにしておく。
ヒンデミット | バルトーク | ベルリオーズ / ユージン・オーマンディ | フィラデルフィア管弦楽団 (Hin...
ユージン・オーマンディ,フィラデルフィア管弦楽団,ヒンデミット,バルトーク,ベルリオーズ

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

2019年03月28日 | ドイツ・オーストリア
クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(PASC他)1943/10/23live放送

戦中なので録音は悪いがカラフルで愉悦的な演奏ぶりが楽しめる。クーセヴィツキーにしては軽快で、この人が一本調子のマンネリ指揮者ではないことを実感させてくれる。オケも精度がたかく、いきいきした終楽章など素晴らしい。こういう演奏の魅力は元来ベートーヴェンの簡潔骨太で天才的なオーケストレーションによるところが大きいにしても、のちの国民楽派を思わせる平易な旋律や表面描写的フレーズなど、近現代を得意とするクーセヴィツキーには一際やりやすかったのかもしれない。盛大な拍手。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒンデミット:白鳥を焼く男

2019年03月27日 | ドイツ・オーストリア

ゴラン(Va)作曲家指揮スイスロマンド管弦楽団(forgottenrecords)1959/11/18放送live

ヒンデミットにしては著名なのは近代にヴィオラ協奏曲が少ないこととこの題名のせいだろう。三楽章変奏曲に使われるドイツ古謡が「白鳥を火の上で回し焼く人ではないですね」だから。この曲は1935年作品で、部分的に耳に痛い現代的な音を使ってはいるが、独自の語法のような部分はさほど目立たず、旋律は追いやすく、おおむね民謡主題に沿ったわかりやすい表現をとっており、同時代の世界的な民族主義音楽の傾向に歩調を合わせた作品と言えるかもしれない。ヒンデミットの指揮は達者だが、作曲家指揮者にありがちな固さが出て、柔軟な音楽のドライヴはできない印象があるが、これはソリスト主導のうえ割とこなれたところを聴かせてくる。三楽章は終盤まとまりなく前に向かわず、という感もあるが、変奏曲ってそんなものか。モノラルだが音撚れもなく、聴きやすい。ソリストはヴァイオリン的な音で精度高く聴かせるタイプ(わりと音域が高い曲ゆえキツい音も聞こえてくる)。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベートーヴェン:交響曲第7番

2019年03月24日 | ドイツ・オーストリア
ロジンスキ指揮NYP(SLS)1946/1/6live

これは併録のクレストンよりノイズが少なく、演奏も良い。トスカニーニもフルトヴェングラーもいる巨匠時代にニューヨークフィルでベト7をやるという、スタイルはトスカニーニに似たもので、もっと即物的で一切の揺れも柔い感情も無いが音はやたら激しく大きく重く攻撃的だから聴いていられる。四楽章は舞踏の権化にはならないが十分魅力的な迫力だ。突進系の同曲が好きなら。拍手も盛大。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容

2019年02月24日 | ドイツ・オーストリア
〇コンドラシン指揮モスクワ・フィル(profil/lys/melodiya)1961モスクワ・CD

これぞコンドラシン!という攻撃的な演奏。勇ましい曲調とアグレッシブな棒が合致して、ちょっとオケが弱いのと1楽章がなぜかレガート気味でキレが悪い(譜面に指示がないから、というような理由なのかもしれないが)ほかは、トゥーランドットはちっともトゥーランドット風に聞こえないモノトーンの軍国調だし、4楽章はものすごくキレキレではげしい。コンドラシンを聞くならこういう演奏じゃないと。ヒンデミットの代表作でとてもわかりやすいので、機会があればどうぞ。
 
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルックナー:交響曲第8番

2019年02月18日 | ドイツ・オーストリア
クーベリック指揮クリーヴランド管弦楽団(SLS)1973/4/19live

16日に急死したケルテス追悼のために演奏されたそうだが、マーラー振りにブルックナー振りはいないというクレンペラー無視の例のとおり、これもどうもブルックナーの巨大さやがっしりした構築性とは無縁で、しかしブルックナーの名旋律はしっかり歌わせており、この二極化が腰の落ち着けどころを失わせるというか、三楽章だけは良いというワルター的な聞かせ方になってしまうのである。とくに一楽章は軽く、楽器の音が痩せて聴こえる。音が揃っていないのか、クリーヴランド管弦楽団自身の地の音が出てしまったのか。四楽章は後半になると迫力が増しそれなりに迫っては来るが、予想を超えることはない。拍手に少しブーイングが混ざるのは何の意図だろうか。悪くはないが聞かなくても良かった。ケルテスには三楽章を捧げたのだろう。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラームス:大学祝典序曲

2019年02月06日 | ドイツ・オーストリア
ヒンデミット指揮CSO(vai)1963/4/7放送live・DVD他

ドイツの指揮者(作曲家)なんだなー、といまさら思う。音響が重く、打ち付けるようなアタックを好む。録音のせいで音が軽いのはともかくこれは生来の音感覚の問題だ。ヒンデミットのブラームスはたぶん、我々がやるよりずっとブラームスである。計算と技巧で作る細工物ではない、ナチュラルに組み立てる民族音楽なのだ。かといってこれはイメージするようなドイツのブラームスでもない。まるで乾燥している。ブラームスらしい赤銅色の音もでない。しかしただ音楽は激しいリズム表現をもって自ずと突き進み、数々の聞かせどころにさほど拘泥せず、ただ古典的均整のうちに進んでいく。それこそいかにも体臭なのである。フルトヴェングラーと書くと即炎上するので書かないが、シリングスなど界隈の匂いを感じるのである。敵だけど。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルックナー:交響曲第7番〜Ⅰ.

2019年02月06日 | ドイツ・オーストリア
ヒンデミット指揮CSO(vai)1963/4/7放送live・DVD他

クレンペラーが代役に使っておいて後で酷評したのはこの曲だったか。ブルックナーは人を選ぶ、細部にロマンティックにこだわらない巨視的な指揮者のほうがスケール感に欠ける即物的な指揮者よりメリットあるだろうし、クレンペラーでは相手が悪い。だがヒンデミットは最初こそ即物性がかんじられるが、指揮や身振りに感情が隠せなくなる。ヒンデミットのこの曲はライヴCDもあるが、映像で見るまでもなくかなりロマンティックだ。表情付けはワグナー的と思う。フレージングになめらかさはなく無骨さが目立つが、細かく情感を出そうという意図は伝わる。ハーモニーの調和や変化の捉え方は的確で、プロフェッショナルだ。この点はクレンペラーより上なのではないか。派手なところでの身振りを引きの絵で捉えているが、バーンスタインと言えよう。しかし、そのまま奏者を映さずパイプオルガンにズームインしていく不可解なテレビカメラはなんとかならないものか。CSOは素晴らしく応えている。客席反応はまあまあではないか。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒンデミット:弦楽器と金管楽器のためのコンサート・ミュージックop.50

2019年02月06日 | ドイツ・オーストリア
作曲家指揮CSO(vai)1963/4/7放送live・DVD他

VHSでも持っていたが抱き合わせで買ってみた。画質はこの盤の中では良好な白黒である。ただ音質は少しノイジーで万全とは言い難い。平易な聞き心地に反し難度は高く、始めのうちは弦が上ずったり金管楽器がこけたり結構やばげ。削ぎ落とされた音響で織り上げる合奏協奏曲的なアンサンブルを楽しむもので、シカゴをもってしてもこれか、と思うが、割とすぐ安定するので良い。ブラスのソロにしばしば超長い音符を吹かせるので、それが下支え音響にすぎないところではキツそうな雰囲気は出るが、ヒンデミットでも後年の作風というか新古典的なスタイルを堅持してバルトーク並みには聴きやすく、ジャズのカリカチュアのようなラッパなどの走句にしても視覚的にはまったくコンサート・ミュージックの一部で特にジャズも何もない捌かれぶり、こういうのは見てはじめて真意がわかることだろう。ヒンデミットの指揮はしなやかでキビキビと達者。顔つきは厳しく晩年らしく威厳すらある。クレンペラーが揶揄するようなおかしさは皆無だ。ちょっと整えたような演奏ぶりは構造的な曲的には仕方なく、ただシカゴのパワーがなんとかラストまで持っていっている。この曲ならまあまあではないか。ただカメラワークは最悪だ!(スリリングなアンサンブルがほとんど見えない)客席反応はパラパラ。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラームス:交響曲第1番

2019年01月29日 | ドイツ・オーストリア
クリップス指揮NYP(forgottenrecords)1961/11/25live

大変引き締まった良い演奏で、ただこの曲はただでさえ演奏効果は高く、そこから一歩抜きんでた演奏に仕立てるのは結構難しい。クリップスはリズム感がよくスピーディで立体的な音の組み立て方が職人的にうまいが、ハデハデに振り切ることもないしグイングイン揺らすこともないから、かといってトスカニーニ系の即物性はさほど感じない(暖かい音のせいだろう)。なのでどうも、良い演奏とはいえ印象を語るのが難しい。となるとあとは「録音」である。安定したモノラルなのに何か所か派手な撚れやノイズが入る。さらに、終演前に拍手が盛大に入って、誰もそれを疑問に思っていないようなのはどういうわけか。拍手だけ別挿入???
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒンデミット:交響曲「世界の調和」

2018年12月27日 | ドイツ・オーストリア
ヨッフム指揮バヴァリア放送交響楽団(forgottenrecords)1952/2/8

二十世紀にこれほどカッコいいフィナーレを描いた作曲家はいただろうか。シンプルにただ昇りつめるだけの三楽章「宇宙の音楽」。ラストを大きく崩して派手にやる演奏が無いのはヒンデミットの緊密過ぎる書法か単にヒンデミットの流儀がそうだったからか、しかしこれはもともと巨大なオペラであり、自作自演の短縮版でさえ2枚組CDである。そのラストをこれほど短く切り詰めたとしても、何か演出が欲しい。難点はセクション毎の音量差というか、悪い録音だと弦楽器の音がそっくり落ちて聴こえることが多い。合奏で揃えるのが難しい、ヒンデミット特有の細かいスケールの無限とも思える繰り返しはその原因の最大のものだろう。ぼこっと音が落ちて聞こえるのはフルトヴェングラーの悪い録音もそうだし、この盤もそうである。自作自演に似た作為の少ないこの演奏はオケに過失があるとも思えず、撚れの多い録音からも収録側の問題でそうなったのだろう。ヨッフムはオケ扱いが上手く欠点を作らないが、踏み外さないことからくる「小ささ」が感じられる。貧弱な録音では尚更、この「天球」を相手にした誇大妄想的なテーマと比べて違和感を感じる。ラストどんづまりでブラスに表情を付けるが、特徴的なのはそれくらいか。この曲は良い録音がなく、自作自演、フルトヴェングラー、ムラヴィンスキーのいずれもスピーディーな演奏であり、ヨッフムもまた同傾向で、そこに負けないものは感じさせなかった。拍手なし。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リヒャルト・シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」組曲

2018年12月18日 | ドイツ・オーストリア
ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1956/2/2live2/9放送

モノラルで耳ざわりなノイズも混じるが、音そのものは明瞭で音場に広がりがあって聴きやすい。最初はロザンタールらしさというか、リズムが前に向かわず拡散的でぶよぶよしてしまう感もあるが、それはそれで劇音楽の幕開けとしてはスケールがあってよく、続いてまるでレスピーギなどを思わせる清新な音楽に「これがリヒャルト?」と思わせる。プロコフィエフを思わせる人を食ったような、書法的にはアグレッシブなところもロザンタールにかかるとほんと、ラテンやフランス音楽を派手にやっているといったふうで、ずちゃずちゃしているといったら言い過ぎかもしれないが、とても舞台的だ。舞曲の連続になってくると響きは引き締まる。スケールは維持したまま力強い回転が至極まっとうに演じられ、打って変わって古風なウィーン風ワルツとなる。これもしかしORTFとは思えぬ煽情性がある。透明感と色彩性はORTFないしロザンタールそのものだが。この指揮者のわかりやすい芸風は近現代音楽でもっとも映える。それは地域に依らない。なかなか聴きごたえがある。ina.frだとPHD89036288。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベートーヴェン:交響曲第1番

2018年12月18日 | ドイツ・オーストリア
クーセヴィツキー指揮ORTF(PASC)1950/6/25放送live

大袈裟で野蛮な発音も目立つが、力強さと勢いはロシアのそれである。音が割れるのも厭わない。激しく突っ走るため、小気味よいような、前時代の空気も保った1番を期待すると圧が強すぎて聞けないかもしれない。ノイジーだが残響を加えた録音だと、キリキリ締め付けられたオケの捻り出す分厚い響きが、とくに四楽章など弦のアンサンブルになるとORTFと思えない精度を伴い、まるで5番のように偉大に響く。拍手喝采もわかるクーセヴィツキーの底力を見せた演奏。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シューマン:交響曲第3番「ライン」(最後欠落)

2018年12月16日 | ドイツ・オーストリア
マックス・フィードラー指揮ベルリン帝国放送管弦楽団(PASC)1936/12/11live

pristineの発掘音源。オケがサイシヨふるわず、いかにもSP時代のライヴ録音の精度といった感じで、またカットや編成を弄るといったことがなされており、音響的には納得行っても、しっくりこない。ただリズムのキレ、スピードに関しては最後(これもまた5楽章の肝心なところでブツ切れる)まで凄まじいといってもいい胸のすくようなところをみせており、ダイナミックな解釈もあって、ワルターの同時期を思わせる。響きはもっとドイツ的な安定感でザクザク切っていくかんじだが、リマスターのおかげかもしれない。楽章が進むほど感心度の上がる演奏。1楽章第一主題で冒頭は頭打ちにし、ワルツで舞曲に切り替える方法はわかりやすいが人によっては違和感があるか(全部舞曲的に処理するほうがかっこいいが結構少数派かも)。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする