湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆バックス:交響詩「ティンタジェル」~フィナーレ

2017年03月31日 | イギリス
○ストコフスキ指揮BBC交響楽団(SCC)1954/5/7・DVD

ダイナミックな抜粋演奏で、最初と最後だけ指揮姿が映るがあとはティンタジェル城や海辺の風景。レクチャーコンサートの形式をとった白黒テレビ番組の録画である。既に老けている顔のストコフスキーだがカラヤンをすら思わせるカッコのいい指揮姿、映像状態は悪いが音は酷いという程ではなく映像があれば聴けるレベル。フィナーレだけとはいえ曲の要は押さえた演奏なので、十分楽しめる。オケもいいのだろう。○。
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☆サティ:舞踏音楽「パラード」

2017年03月31日 | フランス
○E.クルツ指揮ヒューストン交響楽団(columbia)LP

まるでチャイコかブラームスのようなパラード。最初はけっこう楽しめるが、ミニマル的書法とデジタルな展開がレガートなロマンティックな表現を拒否し始めると違和感が否めなくなってくる。高音域でハープを交え奏でられる(演奏的には美しい)曲と中低音域でうねるように重厚に表現される曲があいまってくらくらさせ、とくに後者がミニマルではなくマンネリズムと感じられ始めると、早く終わらないかな、という感覚に囚われる。まあ、でもサティなのであり、編成が大きすぎることもあろうし、ロマンティックな表現もある程度は許容できる度量のある曲なのだな、といったところで○にはしておく。
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☆ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

2017年03月31日 | ストラヴィンスキー
○マルケヴィッチ指揮RIAS交響楽団(audite)1952放送録音・CD

最初は錯綜する音符をいちいち整え前進力が損なわれた感を抱いた。スコアに忠実にしすぎている、というふう。しかし破壊的な踊りが始まると決してそれがテンポの淀みではなく脚を縦に踏み鳴らすようなストラヴィンスキー特有の数学的舞踏を忠実に再現し、自ずと原始の感興を呼び起こすまでの経過点だったことがわかる。マルケの出自を思わせる咆哮、強弱の極端な差異付けやリズム表現の野蛮さが、一方で厳しい統制のもとに踏み外すことを禁じる禁欲者っぷりと並立し、RIASの本気が少しの軋みもきたさずに、マルケのハルサイ、という一つの「解釈」の頂点を示している。モノラルなのが惜しい。
Comments (2)
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ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第二組曲

2017年03月30日 | Weblog
プレートル指揮シュツットガルト南西ドイツ放送交響楽団(hanssler)1997/10・CD

冒頭から木管の音が硬く表情も強張り、鈍重な響きはドイツオケの悪いところが出ている。夜明けの感じがしない。ただゆったりとしたテンポで、柔和な交錯、法悦的な表情付けを連ねてから、やがて過度に人工的に表情が付加され(最弱音でやり取りされるソロ楽器への緩徐部の繊細な操作は耳を澄ませないとわからないほど細かいがとてもソリスティックでいながら予定調和的なまとまりを見せる)、良録音なりの内部の細かな動きまで聴き取れるのも含めて、チェリビダッケよりこなれていないものの、やはりその遅くじっくりとやる点において同傾向の構築的で壮大な演奏となった。さてしかし「全員の踊り」となると無骨で野蛮な面が出てきてピッコロが吹けていなくても関心なしに突き進むプレートルらしさが表立ってくる。整えたようなアンサンブルはまだ残るが、雑味を抑えまとめることにより迫力に昇華されていく。音符間に空気の通るようなデジタルな響きは現代的だが、破壊的に切れ落ちる終幕はきっぱりしていて清々しい。
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☆ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム

2017年03月30日 | イギリス
○ケンペ指揮ドレスデン・シュターツカペレ(ds)1976/1/28-29・CD

ケンペの最後の録音の一つ。オケ起因と思われる響きの無骨さ(不協和音が必要以上に強調されて全体の調和を損なってしまったり)や一種ぎごちなさはあるものの、2楽章から3楽章へいたる流れ、そのうえでのロマンティックで雄大な盛り上げは耳をひくものがある。この曲は自作自演に勝るものはないと思うが、こういうドイツ的ともいえる角張った表現も面白いものだと思った。○。
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☆アンタイル:交響曲第5番「歓喜」

2017年03月30日 | アメリカ
○ヘフナー指揮VPO(Other Minds)CD

50年代のモノラル録音。原盤はSPAか。代理指揮者や同時代音楽指揮者としても録音活動をしていた中欧のヘフナーとVPO(実体はVSOか)による演奏というちょっと珍しさも感じさせるもの。自作自演集CDに併録、今はamazonのmp3ダウンロードでも手に入る。曲は平易で、普通の意味でメカニカルな楽しさが追求されている。ショスタコ風だがショスタコが決して書かないような甘い旋律を誇る中間楽章をはさんで、あからさまにプロコ後期からのヒョウセツをちりばめたオネゲル的な素朴でけたたましいオーケストラの饗宴を聞かせている。私はこの演奏は悪くないと思う。充実した響きと適度な精度で、弛緩も感じさせない。暴力的な魅力は少ないが、むしろそういう音楽なのだからあたりまえだろう。切り落としたような終幕などうまくないが、これも曲がそうなのだ。アンタイルは晩年映画の世界で活躍した。それもうなづけるメタ的作品ではあるものの、部分的に現代的な不協和音が取り入れられ、才気かん発なところは感じられる。○。アンタイルの5番は二曲あるが一般にはこちらを言う。
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☆ベートーヴェン:交響曲第5番

2017年03月29日 | ドイツ・オーストリア
○クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(TESTAMENT)1957/10/24londonLIVE

わりと小粒の演奏に聞こえるのは録音状態が余りよくないせいだろう。とくに3楽章までは客観性が勝りとても整ったリズムでたんたんと進むように聞こえる。バス音域に力点を置いているさまは独特だが、時期的にまだ重厚壮大路線には行っていないため、けして重くならず前進性が維持される。終楽章は偉大な演奏、といった感じでクレンペラーの真骨頂をみせており、縦の揃った演奏振りでいながら情緒的な盛り上がりを感じさせる。これもやはりバス音域をズシズシと叩かせることで、古典的な均整感を保ちすぎた薄い演奏にならない配慮と聞ける。まずまず。○。
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☆サティ:交響的ドラマ「ソクラート」よりソクラートの死

2017年03月29日 | サティ
○モンタイユ(SP)ロザンタール指揮フランス国立放送管弦楽団(COLUMBIA/ADES他)CD

史上もっとも繊細なソクラートの死だろうな。ソクラートはそのまんまやろうとするとサティ的な暴走を始める。だからストラヴィンスキーはこのての単純美を反映するものとして管弦楽は適切じゃないとピアノ伴奏版を推したわけだが、ロザンタールのやり方でやると、殆ど朗誦な詩すら「歌」に聞こえる暖かさがあるにもかかわらず、雰囲気としてはドビュッシーの靄すら思わせる非常に注意深い響きへの配慮がみられ、奇矯さが殆ど無く、聞きやすい。ちょっと「歌いこみすぎ」て起承転結がついてしまった最後ではあるが、サティマニアでない限りこういったしめやかな終わり方のほうが印象的だろう。ほんとはあっさり途切れて死ぬ、全く感傷をさしはさまない「哲学的な死」であることこそが本来の意図である筈なのだが。ちょっと誤解を生じる書き方をしたが、ロザンタールなので、ラヴェル的に輪郭は明快。○。
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ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

2017年03月29日 | Weblog
プレートル指揮パリ管弦楽団(ERATO/EMI/warner,icon)CD

後年よりかなり慎ましやかではあるが主として内声に独特の解釈が施され、音符の長さが長めに取られたり、響きが妙に雑(これはオケの力量の問題か)、さらさらしているかと思えば急激なリタルダンドをかけたり(四楽章ではポリリズム化寸前のテンポ感の極端にずれた場面がある)、表面上音色が変わらないのでわかりにくいがしっかりアゴーギグをつけている等、シルヴェストリには敵わないものの個性は感じ取れる。
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☆ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(リハ付)

2017年03月29日 | ストラヴィンスキー
○マルケヴィッチ指揮日本フィル(PLATZ)1968/2/29東京文化会館live(リハ1963/9/23)・CD

日フィルが技巧的にすぐれている。マルケのシャープな指揮に機能性でこたえ、また重量感のあるバランスのとれた音で気を煽る。ブラス陣がややおとなしいものの、やはりマルケにかかるとここまでリズムのキレたオケになりえるということか。テンポはそれほど速くはなく、それだからこそ小粒にまとまらず、元来の重さが壮大さに置換され、カッコイイというよりしっかりした演奏になっている。マルケのライヴは素晴らしい。リハもなかなかにすぐれた演奏ぶりが断層として聞ける。○。
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ジョリヴェ:舞踏交響曲

2017年03月28日 | Weblog
作曲家指揮クリーヴランド管弦楽団(youtube)1959/1もしくは8live

正体不明の音源だが、ジョリヴェにしてはドビュッシー「遊戯」の範疇に留めたような作風で、妖しくもわかりやすく美しい曲だけに左右の安定しないモノラル録音なのは惜しい。オケはセルにきたえられているだけあって、超高音で酷使されようが弱みを見せることなく派手に弾ききっている。中間部で銅鑼にのって古臭くもわかりやすい妖気をはなつ箇所など全く舞踏的ではないが、その後にわかにストラヴィンスキー的な低音からのリズムの打ち出し方は、ジョリヴェに期待されるものを十分に示している。それはメシアンまではいかない、ブーレーズまではとてもいかない、我々の理解可能なコープランドレベルの現代性を提示するもので、長続きせず弱音に落ち着いて、銅鑼にのって中低音で奏でられる旋律はどことなく、ハルサイのオリエンタルなものより遥かに人好きするところが、ジョリヴェの「人間性」なのだろう。ヴォーン・ウィリアムズすら思い出させる良い民謡風旋律だ。不安げな終わり方も格好が良い。拍手カット。くれぐれも演奏は充実し音はよく出ている「よう」なのだがyoutubeのものはレンジも狭くボロボロで残念だ。
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ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

2017年03月28日 | Weblog
ワルター指揮NYP(ASdisc他)1949/6/19live・CD

あからさま。リアルな音。ゆえに冒頭フルートから入り込めないが、止揚するテンポに噎せ返るような響きには渡米前のアグレッシブな芸風の残り香が強く感じられ、このともするとモノトーンになりがちなオケより引き出される豊潤な色彩については、文句のつけようがない。高音域でのぬるまゆい音の交歓はさすが熟練の指揮者によるものであり、バーンスタインより遥かにフランス的である。録音が生々しすぎるのかもしれないが、後半はワルターのフランス物も悪くないと思わせる、そんな記録となっている。きわめてノイジーだがそのぶん情報量はある。
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☆ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

2017年03月28日 | ドビュッシー
○エネスコ指揮シルヴァーストーン交響楽団(mercury)

ラヴェルほどの心の深層に訴えかけるような表現はないものの、なかなかの佳演になっている。フランスものへの適性は出自によるところが大きいだろうが、それであればもっと(ソロ含め)フランス近現代ものを録音しておいてほしかった。時代がそうさせなかったのだろうが。雰囲気はまさに牧神のイメージそのものである。比較的ねっとりした表現をとるのに音が乾いているのがいかにもフランス派の解釈といった感じである。抑揚はかなりつけるがテンポは速めにインテンポ気味、というちょっとぶっきらぼうなところもある棒だけれども、音の切り方がぶっきらぼうというだけで朴訥とした印象の演奏にはけっしてならない。この録音は継ぎ目が聞かれるが、それは作曲家・ソリストの余技としての棒ということで大目に見よう。立派なフランス的ドビュッシー。○。CD化されたようだ。
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リヒャルト・シュトラウス:家庭交響曲

2017年03月28日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(MEMORIES他)1959/2/28live・CD

ミュンシュ唯一の記録であり、非正規ライヴ音源なりの状態の悪さであるが、情報量の確保されたステレオなので迫力が違い、解像度もそれなりにある。ライヴだから当然このスピードでミスが皆無とは言わないが恐るべきブラスの力量を見せつける、特に4楽章は圧巻である。リヒャルト・シュトラウスを語るのにまずもって金管しか語られず(一部コンマスソロなど役割を持つ弦楽ソリストも入るが)管弦楽の扱いがきわめて巧みといってもほとんど金管好きないし金管奏者、およびオペラ寄りの大曲好きしか話題にしようとしないのは一曲でも聴けばわかることで、せいぜいウィーン情緒をかもすフレーズ(モチーフ)や響きが弦、木管により担われるだけで、聴き映えがするのは決まってホルンが吠えトランペットがトレモロを吹くような部分ばかりだ。したがってブラスに圧倒的なメリットを持つアメリカオケに、ミュンシュのような強力な統率者が加わるだけで成功が約束されているようなものである。私のようにたとえ表題があったとしても「交響曲」である以上中核には抽象的なものが存在してほしい向きは退屈さと腑に落ちなさで二度と聴かない類の曲である(明確な内容の対比を示す四楽章から構成されているとはいえ、どう聴いても同じムードに支配されつながった3部に終幕が加えられた長々しい「無歌詞オペラ」としか聴こえない)が、この演奏は奇跡的に最後まで聴けた。ミュンシュBSOコンビでもかなりコンディションの良かった演奏だと思う。強権的とすら感じられるミュンシュにはアルザスの血をも想起させる中欧的な色がしっかりあらわれている。ウィーン情緒的な部分はどうでもよい、中低音域の轟音は緩みない奔流を作り出し、超絶技巧を前に負けるわけないだろというブラス陣の底力も聞き取れる。

同じような調子が続くこの曲もアルプス交響曲もそうだがリヒャルト・シュトラウスにとって表題交響曲は型式的な交響曲ではなく表題をもつ拡大された交響詩であり、細かく配置された無数の具体的モチーフ同士が音の律動によって舞台上で演劇を繰り広げるものだ。この曲をそういった前知識なく聴くのはほかの短い曲より難しい。アルプスのように想像のしやすいダイナミックな気象を相手にしているのではなく、夫婦と子供という登場人物のおりなす生活の機微を大げさに増幅してやっている。しかしミュンシュ盤は前知識なく聴いても「わかる」だろう。その意味で稀なる演奏といえる。
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☆ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲

2017年03月27日 | ラヴェル
○ペルルミュテール(P)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R/M&A)1958live・CD

ペルルミュテールはアーティキュレーションが繊細で非常に品がある。タッチが少し弱いしミスも散見されるのが惜しいが、この曲に最もふさわしいピアニストではないかと感じるほど「ラヴェルのイメージに近い演奏様式」を持っているように聞こえる。ホーレンシュタインのぎごちない指揮ではとうていその魅力に達し得ないところを、恣意的で大げさではあるものの強い推進力をもって曲をドライヴしていくラヴェル指揮者ミュンシュのしなやかさが、ソリストと不協和を起こすのではなく寧ろ巧くバランスがとれて秀逸だ。厚ぼったく迫ってくる方にも客観的に冷たくこなす方にも寄るのでなくまとまっている。ああこれでもっとペルルミュテールの指が回れば、スタジオでそれをやってくれていれば、と惜しい思いがする。ミュンシュなりの感興はしっかり織り込まれていて面白さも格別。このふたりのラヴェルに対する感覚の相性は余りよくないとは思うが、しかしお互いの弱い部分を補うというか、ああほんとに正規がホーレンシュタインじゃなくてミュンシュだったらなあ。録音は悪くはないがよくはない。○。
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