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カイルベルト1953年バイロイトの『指輪』全曲/ネゼ=セガン『メンデルスゾーン交響曲全集』/福原彰美『ブラームス小品集』

2017年12月15日 12時45分12秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)

半年ごとに、新譜CDの中から書いておきたいと思ったものを自由に採り上げて、詩誌『孔雀船』に掲載して、もう20年以上も経ちました。2011年までの執筆分は、私の第二評論集『クラシック幻盤 偏執譜』(ヤマハミュージックメディア刊)に収めましたが、本日は、最新の執筆分で、今年下半期分。新春に発売される号のために書いたものですが、このブログに先行掲載します。(詩誌では字数制限に合わせて省略した部分がありますが、以下はオリジナル版です。)なお、当ブログの、このカテゴリー名称「新譜CD雑感」の部分をクリックすると、これまでのこの欄の全ての執筆分が順に読めます。

 

■カイルベルト一九五三年バイロイト《指輪》が超廉価で発売

 カイルベルトが初代音楽監督を務めたバンベルク交響楽団創立70周年記念のボックスアルバムを当欄で取り上げた時に、私は「一筆書きの音楽」という言葉を使った。この一九五〇年代には当たり前だった音楽が、その後の半世紀以上もの歳月を経てあらかた失われてしまったのを、私たちは体験してきたわけだが、そうした一筆書きの音楽が〈再生〉する可能性が、最近、ここかしこで予感されるようになってきている。次項で取り上げるネゼ=セガンもそのひとりで、ニューヨークのメト・オペラでのいくつかの公演を「ライブビューイング映像」で鑑賞して以来関心が高まってきたところで、メトの次期音楽監督就任が決まったとの報が入り、ますます期待が膨らんでいる。先日、来日して「NHK音楽祭」に手兵バイエルン国立管弦楽団を率いて参加したペトレンコもそうだ。これもまた、揺るぎない音楽が滔々と流れ続けて弛緩することのない大名演だったが、就任が決まっているベルリン・フィル音楽監督の地位が、この人の飾り気のない音楽の足かせにならないことを祈るばかりだ。少々脱線してしまったが、表題の「カイルベルト《指輪》全曲録音」の話題に進もう。これは、ワーグナー・マニアならご承知のように、五〇年代に毎年のようにバイロイト音楽祭で『ニーベルングの指輪』四部作を指揮していたカイルベルトの遺産のひとつだ。これもまた、滔々と流れる音楽が迸る名演である。じつは、カイルベルト/バイロイトの『指輪』四部作全曲(あるいは、その内のいくつか)の録音は他の年度のものがいくつも残されており、このあたりの情報に詳しい方ならば、五五年の「世界初のステレオ録音」の存在もご存じだろうと思う。数年前に突然「新発見」として英テスタメント社から発売されたので、購入された方も多いと思う。英デッカ社が当時の若きディレクター、ピーター・アンドリーに任せた正規のライブ収録だったが、アンドリーがこの直後に退社してライバルのEMIに移籍したせいか、あるいは、その後任として入社したカルショウが、スタジオ録音での『指輪』全曲録音をショルティ/ウィーン・フィルで企画したためか、お蔵入りとなっていたものだ。今回、私が取り上げるのは、それとは異なる五三年盤である。じつは、五五年ステレオ盤が登場した際、「全曲はともかく」と、少し遅れてだったと記憶しているが分売の『ワルキューレ』だけはしっかりと聴いてみた。そして、「ま、この程度のものか」といった感想で、そのままにしておいたのだ。今回、それよりも二年前の録音が、モノラルながら、全四部「ボックス入り12枚組」1800円程度で発売されたので、すぐさま飛びついて聴き比べたという次第。そして、本当のカイルベルトの真価に仰天したのだ。これこそが、「一筆書きの音楽」の神髄だ。わずか二年とは言え歌手も入れ替えがあり、同じ歌手では明らかな年齢的な衰えがあることも事実だが(五五年には第二キャスト盤もあるが、歌手陣は明らかに五三年盤が上。)、ひょっとすると、カイルベルトがマイクを意識しているのかと思うような取り澄ました部分が、この五三年録音には皆無だということが大きい。『ワルキューレ』は異演が多いから比較しやすいが、録音も優秀。五五年盤のステレオ音に負けていないだけでなく、第一幕冒頭からして、濃密な気配、空気感が凄い。ジークムントとジークリンデの二重唱から一気に駆け抜ける幕切れのアチェレラントの加速度では、名高いフルトヴェングラーのバイロイト『第九』を思い出させるほどのもの。この味わいは五五年盤では得られない。テスタメント盤で、言われているほどのものではないと思った方にこそ、聴いていただきたい貴重な遺産と信じて疑わない。

 

■ネゼ=セガンの「メンデルスゾーン交響曲全集」に聴く〈気配〉


 これは、以前当欄で採り上げた「シューマン交響曲全集」の姉妹編とでも言うべきもの。ヤニック・ネゼ=セガンがヨーロッパ室内管弦楽団を振ってのパリでの演奏会ツィクルスを収録したもので三枚組のアルバムである。ベートーヴェン以後、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーンは、それぞれの苦悶の中で、ロマン派時代の交響曲の在り様を探り続けたが、それだからこそ、「全集」「全曲演奏会」といったアプローチには意味がある。『第1番』では、古典的なプロポーションからはみ出でくる音楽の軋みが興味深かったが、何といっても、新鮮な魅力に溢れていたのは『第2番《讃歌》』だ。この声楽付きの特異な音楽は全体をまとめ上げるだけでも至難の作品だが、例えばカラヤンの残した録音のように、優れた演奏からは極上の愉悦が得られる。比較的最近のものでは、私はクルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管弦楽団の録音、エド・デ・ワールト指揮オランダ放送フィルの録音などが印象に残っている。端正な構築を聴かせるマズア盤、優美でしなやかなデ・ワールト盤に対して、このネゼ=セガン盤は深く沈み込んだ中からじわじわと音楽が立ち上がる〈気配〉が素晴らしい。「第2曲」で声楽が加わると、そのカラフルであたたかな色香にあふれた世界からは、それこそ、楽園に遊ぶかのような幸福感が現出する。前項のカイルベルトに続いて、ここでも〈気配〉がキーワードとなってしまったが、この曖昧で怪しげな言葉は、音楽の魅力を解く重要な要素なのだ。音楽が人の心の間隙に入り込む瞬間の秘密を解く鍵が、そこにある。そのことについて、引き続き、次項で考えてみたい。

 

■福原彰美が『ブラームス・ピアノ小品集』で新境地


 ハイドン、モーツァルトを経てベートーヴェンが飛躍的に表現力を拡大させてしまったピアノ曲が、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、ブラームス等をどれほど苦しめて来たかを私たちの世代は知っている。それは演奏する立場にとっても同じ苦しみだったと思うし、その苦悶を私自身は、ずっと辿りながら聴いてきたと自負している。自問自答のように閉じたブラームスのピアノ曲では、ことさら、その演奏スタイルの歴史に関心があったが、ここ数年ではニコラ・アンゲリッシュの一連の録音に注目していた。このピアニストのくっきりとした音楽の小気味よさは、例えばウィルヘルム・ケンプが表現した夢見るような世界よりも、ずっと引き締まった音楽の魅力だ。そこから放射される光は、確かに隅々までよく照らしてくれた。だが、何かが足りない、と感じてもいた。それを埋めてくれたのが、私にとって身近な存在でもある福原彰美だったのは、うれしいことである。これまで何度となく書いたことだが福原のことは、たまたまの出会いがあって個人的にも、その音楽的成長を見続けてきた。その福原の久しぶりのソロ・アルバムが、これである。ブラームスのピアノ小品「作品七六」「一一八」「一一九」に加えて二つの歌曲が福原自身の編曲によってピアノで奏でられるという意欲的なアルバム。「Acoustic Revive」というレーベルからの発売で、Amazonなどの通販でも入手できる。福原のブラームスからは、大柄な巨匠芸への憧憬を断ち切った潔さから生まれる淋しくも儚いブラームスの音楽が、きらきらと輝いて香っている。ワレフスカという一筆書きの音楽を守り抜いた稀有なチェロ奏者とのデュオ以来、ローゼン、アモイヤルなど様々な名手との共演を重ね、音楽の根源的な気配、空気感を敏感に感じ取った若い才能が、私に問いかけてくるものは大きい。思えば、福原の演奏に最初に魅せられた際に、私は「彼女のピアノには、ある種の畏怖の感覚がある」と表現した。それは、薄氷の上を爪先立って歩くような繊細さとして、新しい感性だと讃えたものだった。ここ数年、彼女は、かつてのそうした美質から離れて、〈大きな〉音楽を目指していたように思う。その福原が、強い打鍵力に支えられた本物のピアニッシモを奏でる実力を手にして、還ってきたのだと思った。「作品一一八」冒頭の大きな音楽のうねりと繊細な内声部との共存に、福原の新境地が象徴的に生きている。

 

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バンベルク響17枚組ボックスの稀少録音/ドゥダメルの「ウィーン・フィル・ニューイヤー」/園田高弘とN響/堀米ゆず子とN響

2017年07月28日 16時04分16秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)

半年ごとに、新譜CDの中から書いておきたいと思ったものを自由に採り上げて、詩誌『孔雀船』に掲載して、もう20年以上も経ちました。2011年までの執筆分は、私の第二評論集『クラシック幻盤 偏執譜』(ヤマハミュージックメディア刊)に収めましたが、本日は、最新の執筆分で、今年上半期分です。いつものように、詩誌主宰者のいつもながらのご好意で、このブログも掲載します。なお、当ブログのこのカテゴリー名称「新譜CD雑感」の部分をクリックすると、これまでのこの欄の全ての執筆分が順に読めます。

 

■バンベルク交響楽団の創立70周年記念17枚組CD
 ドイツ・グラモフォンのマークが付いているが、テレフンケン(テルデック)、アマデオ、オイロディスク、オルフェオ、BMG、ソニー、バイエルン放送の音源まで加わったもので、もちろん、このオーケストラの前身である「プラハ・ドイツ・フィルハーモニー」時代からバンベルクでの創設時の指揮者まで務めたヨーゼフ・カイルベルトの指揮も収録されている。このオーケストラは第二次大戦前、当時のチェコ=スロヴァキア共和国の首都プラハで、同地に在住のドイツ人によって結成され、それが戦後になってプラハが共産圏(いわゆる東側)に組み込まれる事態となり、それを嫌って西側に亡命した楽員たちがドイツのバンベルクで創設したオーケストラだ。その重厚で暖かな音色が、大戦後のベルリン・フィルをはじめとする機能美へと傾斜していったオーケストラ文化の転換期にあって、大げさに言えば〈タイム・カプセル〉のような独自の存在感を持っていたことを思い出す。それは、一九八〇年代半ば、ヨッフム指揮の時代くらいまでだろうか。結成後間もない五〇年代のクレメンス・クラウスの「ばらの騎士のワルツ」、スイットナーの「ペール・ギュント組曲」、フリッツ・レーマンの「幻想序曲《ロメオとジュリエット》」、フェルディナント・ライトナーの「ワルツ《春の声》」なども収録されているのがうれしい。常任指揮者就任の決定直後に事故で急逝してしまったケルテスのマーラー「交響曲第四番」や、相性の良かったケンペの「歌劇《売られた花嫁》ハイライト」やシューベルト「未完成」も貴重。今はすっかり失われてしまった〈一筆書きの音楽〉の勢いが、何よりも代え難い魅力となっている。

 

 

■ドゥダメルのウィーン・フィル2017「ニュー・イヤー」
 ウィーン・フィルも半世紀以上もの間に随分と変化して、往年の響きや艶が失われているが、それは〈仕方のない時代の流れ〉として、私は積極的に受け入れてきた。だからこそ、奇妙に前のめりの音楽で煽るカルロス・クライバーよりも、〈意識操作の果ての音楽〉に徹したマゼールのニュー・イヤーを高く評価していた。マゼールのような〈屈折した抒情〉がマゼール自身も晩年に気づいていたように、いつか突き抜ける道が開けることを信じつつ、いったい、それは誰の手で、いつのことだろうと思っていた。それが、ウェルザー=メストでもなかったのには拍子抜けしたわけで、あの借りてきたネコのような初登場はイケナイ。だが、ドゥダメルには目が離せなくなってしまった。じつは、このドゥダメルという指揮者がベネズエラのオーケストラを振った演奏で姿を現した時には、何か違和感を感じたのだが、今にして思えば、それは、オーケストラの側に、どこかしらの無理というか力みというか、自然な音楽の流れとは異質の何かが挟まっていたからだと思う。この若い指揮者の美質は、よく言われるような「ラテンの血がさわぐ」と言った言葉で語れるようなものではない。体全体からほとばしるように生まれ出る音楽の持ち主に〈借り物〉ではない真の音楽家集団が応えたのが、このニュー・イヤー・コンサートだ。かつて一九五〇年代から六〇年代に、ウィーン・フィルはいくつもの奇跡的な名演を残しているが、それは、いずれも一期一会の輝きだった。それと同じことが、ここでも起っている。聴いていて幸福になるCDである。「音楽は、これほどに自由なのだ!」と思わず叫びたくなった。


■園田高弘とサヴァリッシュ/N響のシューマン「協奏曲」
 このところ、ひんぱんにNHK交響楽団の演奏会記録がCD化されている。こうした放送局のアーカイヴ音源が登場するのは、各レコード会社が新譜を作る体力を失っているからに他ならないから、余り喜ばしいことではないし、いつも私が指摘しているように、磨き上げられた正規のスタジオ・セッション録音と異なり、演奏家の解釈の真価を問うものとしては「参考資料」といった受けとめが大切だという私の持論には変わりがないつもりだ。だが、この2枚組アルバムに収められたシューマンは強く印象に残った。園田高弘は、堅固な構築力を持った音楽を聴かせる数少ない日本人ピアニストのひとりだったと思うが、だからこそ、このシューマンの「協奏曲」の音楽の流れに乗せて、独特の夢みるような幻想性を生かすことが出来たのだろう。ずいぶんたくさんの演奏で、この曲を聴いてきたつもりだ。一番初めに聴いたのはリパッティとカラヤン/フィルハーモニア管のEMI盤。自在なピアノをしっかりと支える敏感な反応のオーケストラとの奇跡的な共演が生まれていた。それと音楽の方向は異なるのだが、園田のピアノにも、じつに豊かな夢があり、それがしっかりと微動だにしない土台の上にあることが感じられた。指揮を受けもつサヴァリッシュは、この一九六四年十一月がN響との初顔合わせだったという。力が漲っていながら感興にあふれた自在な伴奏が繰り広がるのは、すべてがうまく合致した瞬間がここに生まれているからだ。N響に対して次第に模範を示す教師然とした音楽が前面に出てくる以前のサヴァリッシュが、ここにいる。これは、セッション録音ではなかなか生まれない演奏の記録だ。

 


■堀米ゆず子とヘルベルト・ケーゲル/N響のシベリウス
 これもNHK交響楽団のアーカイヴからのアルバム。前項よりもずっと後の時期、最も古いものでも一九八〇年九月に行われたもので、曲目はシベリウス「ヴァイオリン協奏曲」。以下、八一年のドヴォルザーク、八七年のモーツァルト「2番」と続き、最後に二〇一〇年のベートーヴェンと、4つの「ヴァイオリン協奏曲」を収めた2枚組。独奏者は堀米ゆず子である。一九八〇年という年が堀米にとってどういう年だったかを、私は今でも鮮明に記憶している。エリザベート王妃コンクールでいきなり優勝し、すぐさま本選の演奏がレコード(まだCDが一般的になる前だ)で発売され、一躍、時の人となったのがこの年、まだ彼女が十八歳だったと思う。その曲目もシベリウスの「協奏曲」。もちろん伴奏は本選会場ベルギーの放送局の交響楽団だった。ヴァイオリン・ケースを抱えた彼女の写真を掲載したジャケットの「ドイツ・グラモフォン盤」が緊急発売されたのは日本だけだったはずだ。もちろん今でも持っているが、タワー・レコードからそのジャケットを復元したCDが発売された時にも、懐かしくて購入してしまった。スターン/オーマンディ盤でほぼ満足していた私が、この曲のたくさんの録音を収集するようになったきっかけがこの堀米盤だ。じつは、それ以来、この曲は女性ヴァイオリニストに合っている、とも思っている。それほどに堀米のインパクトは強かった。その本選から数ヶ月しか経ていない凱旋公演のひとつをこうしてCDで聴けるとは思っていなかった。本選よりも一段と確信を持った骨太の音楽が艶やかに奏でられる。それを受ける指揮者がヘルベルト・ケーゲル。これは凄い!

 

 

 


 

 

 

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METライブビューイング「エフゲニ・オネーギン」を観て――これは「新しい音楽が生まれる軋み」なのか「勘違いの駄演」なのか

2017年05月24日 17時50分33秒 | エッセイ(クラシック音楽)

 先日、東京・東銀座の「東劇」で「METライブビューイング」の新作、チャイコフスキー『エフゲニ・オネーギン』を観た。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で4月22日に公演されたばかりのもので、キャスト・スタッフは以下のとおり。

 

オネーギン:ペーター・マッティ

タチヤーナ:アンナ・ネトレプコ

レンスキー:アレクセイ・ドルゴフ

オリガ:エレーナ・マクシモア ほか

  ~~~~~~~~

指揮/ロビン・ティチアーティ

演出/デボラ・ワーナー

 

 オネーギン役が、当初に予定していたホヴォロストフスキーから、この役を歌い込んでいることで知られるペーター・マッティに交代しての上演だったが、メトでは初となるネトレプコのタチヤーナが、ひときわ話題になった公演である。ネトレプコは確か2年ほど前から、この役に取り組んでいたと思うが、私は初めて聴いた。指揮は若手のティチアーティで、最近、グラインドボーンの指揮者に就任したという。

 公演の仕上がりとしては、演出も、舞台装置、衣装もそれなりにオーソドックスでまずまずのものだが、私としては、愛蔵盤レーザー・ディスクのシカゴ・リリック・オペラの1984年の記録の壮麗な舞台に及ぶものではないと感じた。そして、肝心の、音楽の仕上がりに、今回のメトの公演には、大いに疑問が生まれた。

 もともと私は、前述のシカゴ・リリック・オペラにおけるフレーニ、ドヴォルスキー、ギャーロウというベストと言ってよいキャストを得てバルトレッティの指揮する音楽が、このチャイコフスキーの特異なオペラ世界を見事に伝えてくれていると思っていたので、少々、勝手が違った、というのが正直なところだ。

 私は、『エフゲニ・オネーギン』は、オペラ作家としてのチャイコフスキーにとって、いわば、習作というか、試作品の類だと思っているのだ。すなわち、チャイコフスキーの〈本格的なオペラづくり〉は、これに続く『オルレアンの少女』を経て『スペードの女王』で開花し、次の『イオランタ』で、完全にチャイコフスキー流のオペラ書法が完成した、ということだ。それは、ちょうどバレエ音楽が『白鳥の湖』ではパリ伝統のバレエ音楽の書法からかなり逸脱した奇形さをともなっていたのに対して、『くるみ割り人形』や『眠れる森の美女』では、ずっとバレエ音楽の書法がこなれてきたのに似ている。チャイコフスキーは、オペラもバレエも、最初は劇音楽としては奇異なくらいに変則的な、シンフォニックな音楽として書き始めている。

 じじつ、チャイコフスキー自身も、『エフゲニ・オネーギン』を「オペラ」と呼ぶことに疑問を感じたのか、「叙情的シーン(場面/情景)」と名付けている。このオペラを観る者は、このことを忘れてはならない。

 バルトレッティの指揮するオーケストラの響きを聴いてみて欲しい。そこでは旋律がこだまのように響き合い、歌手たちのアンサンブルが溶け合っている。この対話の多いオペラが、声とオーケストラの響き全体の中から生まれ出てくることが、第一幕冒頭のタチヤーナとオルガの対話、夫人と乳母の対話から、すぐに、「それ」と伝わってくる。だから、各幕がそれぞれ、ひとつながりの抒情詩のようにしみ込んでいるチャイコフスキー音楽の特徴が生きてくるのだ。

 こうした演奏スタイルは、おそらく、それなりの歴史を持っているはずだ。1958年にヴィシネフスカヤをヒロインに得て巨匠ボリス・ハイキン指揮ボリショイ歌劇場管で録音されたものは、私自身はもう50年近く昔に抜粋版のメロディアのLPレコードで聴いたのが最初だが、レーザー時代の到来で、「オペラ映画版」で全曲を手に入れたのは、ずいぶん後のことだった。そして、同じ時期には、名盤として名高いショルティ指揮コヴェントガーデン歌劇場の録音も、同様に音源の転用による映画版が発売されている。シカゴ・リリック・オペラのものは、初の公演ライブ収録版だったと思う。だが、いずれの演奏も、私が指摘する特徴を、大なり小なりとも持っている。おそらく、それが、この曲(オペラ)演奏のコンセンサスだったと思う。つまり、「わかっている人」は、皆、そうしていた――のではないだろうか? 念のため、1988年のトモワ・シントウが歌うエミール・チャカロフ指揮ソフィア音楽祭の録音も引っぱり出したが、いささか乱暴ではあっても、傾向は同じだ。

 だから、私の知る限り、今回のメトの音楽づくりは、かなり異質なものだと言ってよい。それが、率直な感想である。

 当日の私のメモには、こんな言葉が踊っている。

――それぞれの歌声が溶け合わず、それぞれの個人のキャラが立っている

――チャイコフスキーの、この曲の特徴が生かされていない

――グランド・オペラに近づけてしまった?

――グランド・オペラ風な転換にはムリがある

――1幕2場のネトレプコの絶唱は凄いが、シンフォニックなつながりが途絶える

――指揮者が、個人プレイの歌手たちを御し切れていないのか?

 じつを言うと、このメモ断片の終わりの2行あたりから解き明かしていこうと、昨日の夕刻までは考えていたのだ。だが、「ひょっとすると、これは、あたらしい『エフゲニ・オネーギン』が生まれるための軋みなのかもしれない」と思うようになったのは、ベテランのマッティが幕間のインタビューで洩らしたひと言が気になっていたからだ。このオネーギン役を何度もこなして当たり役としているマッティが、代役に刈りだされて初めて組んだネトレプコのことを、「彼女がグイグイ押してくるので、自分の音楽が変わった」というようなことを言っていたのだ。

 だから、一晩の間に私のなかに大きな「?」が育ってしまったのだ。

 このチェイコフスキーの〈習作〉〈試験的作品〉であるはずの『エフゲニ・オネーギン』から、その底に眠っているものを抉り出そうと、ネトレプコや若い指揮者がチャレンジしていると見るか、あるいは、わかっていない歌手のわがままと、それを抑え切れなかった未熟な指揮者とによる破綻と見るか、ということだ。

 これは、この音楽の最近の演奏をたくさん探し出すと同時に、おそらく来年になってから「WOWOU」でオンエアされるはずの今年のメト公演を、何度も鑑賞して確かめるしかあるまい。

 

 (じつは、先日「WOWOW」で再放送された『メリー・ウィドウ』を見て、最初の印象とかなり違っていることに気付いて、ちょっと反省し、弱気になったことが関係している。これについては、いずれ、別の機会に。何はともあれ、私は、やはり、「繰り返し視聴」の〈音盤派〉なのだと、そして、「聞き比べ」の〈推敲派〉なのだと思い知った。第一印象だけに頼ってはいけないのだ。)

 

 

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このごろ思っていること。「METライブビューイング」のこと、「映像オペラ鑑賞会」のことなど。

2017年05月23日 15時04分34秒 | エッセイ(クラシック音楽)

 この「竹内貴久雄の音楽室」でも、数年前から時折、「METライブビューイング」を話題にしているが、じつは、3,4年ほど前に映画評論をしている友人に声を掛けてもらって以来、ほぼ毎回、観るようになっている。「METライブビューイング」とは、ご承知のように、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の公演を映像収録して、いち早く全世界いたるところの映画館の大スクリーンで鑑賞するという主旨のもので、私自身の「鑑賞日記」としても意味のあることだと思っていたから、最初の内は何とか時間をつくってこの欄にも載せるようにしていた。だが、『唱歌・童謡120の真実』の執筆に気をとられて中々はかどらないまま、いつの間にか、書きたかったことのメモばかり、もう10本以上も溜まってしまった。

 ひとつには、なるべくなら推敲に推敲を重ねてから公けにしたいという生来の編集者癖から、かんたんにブログにUPできないということもあるが、「演奏史」「音盤史」の視点を明確にしたいという欲求が出てきて、手間のかかる方向にはまり込んでしまったのが一番の理由だ。その日に聴いたものをアップデートで感想として書くことを躊躇するのは、「音楽文化史家」などと名乗ってしまったからでもあるが、実際、どれを聴いても(観ても)、目の前の演奏(公演)に至る歴史のプロセスが見え隠れしてしまって、熟考してから発言したいと思うようになったことも事実なのだ。もう20年以上前に出版した『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』(洋泉社)の「はしがき」で、様々の同曲異演が「点から線になり、面が見えてきた」と書いていることが、ますます実感となってきている。

 じつは、昨年から、知人を介して知った「オペラ映像」の鑑賞サークルで、年に4回ほど、解説をするようになった。月に一度の会に150人ほどが参集する本格的な団体で、登録会員は200名近いという。そこで配布する「手引き」も執筆しているが、必ず「音盤史」を掲載することにしている。これまでにラヴェル『スペインの時』『こどもと魔法』、ウエーバー『魔弾の射手』、ヤナーチェク『イェーファ』などを鑑賞したが、今後の予定は、『サムソンとデリラ』(サン=サーンス)、『ファウスト』(グノー)、『ラ・ボエーム』(プッチーニ)、『愛の妙薬』(ドニゼッティ)、『ノルマ』(ベルリーニ)、『ワルキューレ』(ワーグナー)と続く予定。3ヶ月に一度くらいのペースだが、もう下調べを始めている。既に終了した分については、当ブログへの掲載も考えているし、それを中心に、「ライブビューイング」の短評も交えて、また1冊、まとめたいと思っている。もっとも、その前に、ヤマハミュージックメディア(4月から「ヤマハミュージックホールディングス」だったかに社名が変わったらしいが)さんと、私がライフワークと決めた「日本人の西洋音楽受容史」三部作の2冊目(1冊目は『ギターと出会った日本人たち』として既刊)を来年春までに完成させるとお約束しているので、もちろん、それが終わってからになるが、少しずつ、オペラの音盤史を書き溜めて行きたいと思っている。

 きょう、こんなことを話題にしているのは、昨晩もライブビューイングで『エフゲニ・オネーギン』を観たからなのだ。増え続けるメモを前にして、これは何とかしなければ、と決心した次第。こうして公けにすれば書き始めるだろう、と自分の怠け心を叱咤激励するつもりでの公言である。黙って書きはじめれば良いものを、こんな風に敢えて書くのも、編集者時代からの「自註癖」。ご寛容いただきたい。

 ――さて、本日は、ここまで。明日はまず、『エフゲニ・オネーギン』。音盤史としては、1958年のボリス・ハイキン指揮ボリショイ劇場、ヴィシネフスカヤの名唱、1974年のショルティ/コヴェントガーデンあたりから。久しぶりにひっぱり出したのは、夕べ帰宅した深夜。それは、昨晩のメトに感動したから? 不満だったから? それは明日、お伝えする。一晩、熟考。

 

 

 

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『唱歌・童謡120の真実』がまもなく発刊されます。

2017年02月03日 13時25分31秒 | 「大正・昭和初期研究」関連

 

 

 「やっと」と言うべきでしょう。2014年9月17日付けの当ブログでご報告した『唱歌・童謡100の真実』の増補、新版が、結局、2年以上の歳月を経てしまいましたが、まもなく発刊されます。下記の20曲を加えて、取り扱い曲は100曲から120曲へと膨らみましたので、48ページも増えて総ページ280ページの大作になりました。出版元のヤマハミュージックメディアさんの踏ん張り(?)で、定価1800円(税別)は据え置きです。

[01]「みどりのそよ風」

[02]「お誕生日の歌」

[03]「ろばのパン屋さん」

[04]「エンゼルはいつでも」

[05]「少年探偵団のうた」

[06]「ヤン坊ニン坊トン坊」

[07]「赤胴鈴之助」

[08]「月光仮面は誰でしょう」

[09]「ちょっときてママ」

[10]「鉄腕アトム」

[11]「ふしぎなポケット」

[12]「とんぼのめがね」

[13]「いぬのおまわりさん」

[14]「サッちゃん」

[15]「ちいさい秋みつけた」

[16]「アイスクリームのうた」

[17]「ドレミの歌」

[18]「手のひらを太陽に」

[19]「おもちゃのチャチャチャ」

[20]「おもいでのアルバム」

 

 もちろん、これまでの100曲については誤りを訂正し、また、いくつかの曲については、全面的に書き直しましたが、私としては、従来の4つの章の流れは完成されていると思っていましたので、途中に曲を加えるということを一切せずに、そのままにして置きたかったので、上記の20曲を、従来の年代順に並べた第1章から第4章までの後に、「付章/さまざまなメデイアと子どもの歌」として加えました。

 単に「20曲増やしました」というものではないのです。この「付章」の扉のリードとして、以下の文章を添えました。

       *

前章でも見てきたように、「戦後」とは、言うまでもなく、それまでの十数年に対する大きな反省の上に立った「民主化」の歩みであった。それは、メディアの多様化の促進にも現われている。多くの雑誌が創刊され、民間放送局が誕生し、それがさらに、ラジオからテレビへと広がっていった。様々のメディアが大正デモクラシーの時代以上の活気を取り戻したのだ。そうした戦後社会のダイナミックな変化を、「メディア」をキーワードにもう一度見直したのが本章である。前章と時代が重なり合っているように見えるかも知れないが、その内実は「戦中派」と「戦後派」の違いほどに大きい。

       

 そして、追加の20曲の後に以下の「追記」を入れました。

       *

■永遠につづく〈戦後〉のために――付章の「追記」として

 本書は、最初の構想では第一章から第四章までの一〇〇曲で完結していた。それが、さらに二〇曲について言及する「付章」を加えることになったのは、いったん書き終えた私の中に、ひとつの釈然としない思いが残っていたからでもあった。「付章」の扉でも触れているように、戦後の動きを追った第四章は、第三章に描かれているような戦時体制下で、抑圧され、耐えに耐えていた童謡の担い手たちの熱い想いが弾け飛んだといった趣が強くなっている。だが、ほんとうの「戦後」は、もっと違うところにあるはずだし、それは、昭和三〇年代に、まだ小学生だった「団塊の世代」のひとりである私自身の幼少期の音楽体験とも、微妙にずれていると感じていた。言わば、戦争を知らずに育った私たちの世代の、まっさらな「戦後」を見て行こうという、「戦後童謡」の再説が必要だったのかも知れない。

 こうして新たに選択された「付章」の二〇曲は私にとって、ほぼ「同時代の[コンテンポラリー]音楽」そのものである。少年時代の私自身が、それぞれの歌の中にいる。本文では触れなかったが、冒頭の「みどりのそよ風」は、妹の手を引いてしばしば行った江戸川の土手の記憶と重なり合っている。そのほかにも、いくつかの曲で、私自身の思い出が顔をのぞかせてしまっているが、ご寛容いただきたい。二〇曲の選に漏れた曲は数知れないが、私としてはこの時代の様々な特徴がコンパクトに収まるように工夫したつもりである。

 この二〇曲が生まれた背景の調査は、予想以上に困難だった。時代が現在に近接していることから、関係者が存命で、それぞれの事情によって必ずしも真実を語っていない、ということもあったが、戦後の混乱期、勃興期の放送界の混乱、レコード会社の担当者の世代交代による混乱など、様々の要因がある。だが、かろうじて見えてきた事柄から、「核」になる人物や集団が浮かび上がってきたのは、相も変わらず「歴史」という大きなドラマの神秘でもあった。

 調査した昭和二〇年代初頭から三〇年代半ば過ぎまでのわずか十五年間に、どれほど凝縮された時間が流れていたか。そのなかで、特定の人々が、それこそ八面六臂の大活躍をしていたことを、私は改めて確認した。お読みいただければわかることだが、このわずかの時間に、増子とし、長田暁二、そして、ろばの会に参加していたサトウハチロー、佐藤義美、中田喜直、大中恩らの面々の残した仕事は大きい。また、ラジオからは、これまでの「レコード童謡」にはない、まったく新しい発想の音楽が生まれ、黎明期のテレビからは、鬼才・三木鶏郎の工房に直接・間接に関わった若い才能が次々に巣立って行った。

 こうした、少年時代に私が口ずさんだ歌のひとつひとつが、先の戦争に突き進んでいったこの国の文化のあり方に対する反省の産物だったのだということに、いくつかについては、この歳になってやっと気づいたということを、私は告白しなければならない。昭和三〇年代の子どもたちのヒーローが皆、一様に「正義の味方」を標榜していたのは、理由のあることだった。「戦後」という言葉は、戦争が終わったままだからこそ、言われ続け、使われ続ける。私たちの時代が、永遠に「戦後」と呼ばれることを、誰もが望んでいるはずだ。

 なお、「付章」が今日に近接した時代だったこともあって、ここでは、ことさらに私の推論が多かったと思うが、本書全般について、それはいくつか言えることでもある。これらについて、推論は、あくまでも私の推論であって、出典を明示できるようなものではないことをお許しいただきたい。出典を明示して列記するばかりが研究ではないはずだ。たとえ「推論に過ぎない」と打ち捨てられても、最初に声を挙げなければならないほどに確信のある推論もあるということをご理解いただきたい。むしろ、こうして公刊された後、多くの方々からの異論や、私の誤りへの指摘が出てくることをお待ちしている。それが「同時代」の活発さであることを、私たちの「戦後」は、皆、理解したはずなのだ。

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 私としては、この本は、これで完結したと考えています。今の私の心境としては、この後の時代については、私に続く世代の方が書くべきだと思っているのです。

 何はともあれ、昭和30年代に、この国で育っていった世代の方を始めとして、その世代に育てられたいわゆる「団塊ジュニア」の方々を中心に、多くの方に楽しんで読んでいただきたいと思っています。いわば「3丁目の夕日」の時代ですね。

 この時代のことに関しては、ネット上に、さまざまの誤情報、勘違い情報、ねつ造情報が飛び交っています。子ども時代の思い出の歌を語る時に、お読みいただける本となることを願っていますし、子ども時代のことを語る祖父母や両親の時代のことに、若いみなさんが少しでも関心を持ってくださることを願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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