湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆黛敏郎:曼荼羅交響曲

2018年02月05日 | その他古典等
山田一雄指揮NHK交響楽団(NHKSO)1976/10/13LIVE・LP

そういえばここでアジア系作家の作品を取り上げるのは初めてだ。1楽章金剛界曼荼羅は騒々しい。透明で怜悧硬質、ぼよーんという響きが特徴的だがいかにもトゥランガリラな音楽にはあまり日本的なものは感じない。メシアンとの違いは清澄で禁欲的な楽想にあるが、美しく感傷的ですらある2楽章(胎蔵界曼荼羅)前半は寧ろいかにもウェーベルン以降の現代西欧音楽といった感じだ。そしてよくわからないうちに騒々しくなったり静かになったりが断続的に繰り返され(作曲家の言葉どおりであるが)終わりまで続く。曲的には美しく技術は確かだが、余り個性はない。演奏は比較のしようがないがこのオケにしては精度が高いことを付け加えておく。

※2005/2/23の記事です。
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☆バッハ:無伴奏ヴァイオリンのための前奏曲ト短調

2018年02月03日 | その他古典等
○ヨアヒム(Vn)(SYMPOSIUM)1903/6/25?・CD

音はややハスキー気味でさすがに艶やかとは言い難いが(無論録音のせいだ)、重音の響きもテンポも表現もとても安定しており、安心して聴けるし、十分鑑賞に耐えうるものだ。残響がデッドなのはもう録音のせいとしか言いようがないが、古楽器演奏を聴いているような調子でもあり、そんなごまかしの利かない状況でもこれだけきっちり聞かせられるというのは余程高度の技巧とセンスが発揮されているとしか言いようがない。単純な音にも深い味があり(深い残響は無いが)、ヴィオラのような低弦の響きには、楽器もいいものを使っているんだろうな、といった感じ。ヴィブラートのような装飾技巧も(潰れているせいもあるが)最低限しかかけられておらず、ロマンティックな起伏を余り付けないスタイルには現代的な印象すらある。そのような中から峻厳で深刻な心情が引き出されているのは驚くばかりで、シゲティのとった求道的な態度に近いものがあったのかも知れない。短い録音で誉めすぎだが、古いヴァイオリニストの録音を聴いて最も感動したのがこの演奏であったゆえここに特筆させていただいた。とはいえ◎はつけすぎだと思うので○。ブーレとの間に小さいコメントが入るが当人のものかどうか不明。

※2005-02-23 21:25:29の記事です
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☆J.シュトラウスⅡ:ワルツ「ウィーンの森の物語」

2018年01月01日 | その他古典等
○サモスード指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(melodiya)LP

序奏部は軽音楽に止まらないリッパな後期ロマン派管弦楽曲の世界だ。ホルンソロの美しさ。フルートのかもす朝の空気。グリーグやディーリアス的ですらある。そこからヴァイオリンソロでそくっとさりげなく始まるワルツにはぞくっとする。このひとの曲は新しい。クラシカルでアカデミックなロマン派音楽のそれではない。人々の心を捉えたのは魅力的なリズムと旋律と用途+イメージだけだったのだろうか。この美しい序奏・・・ロシア国民楽派の、特に折衷派チャイコフスキーが憧れた高音域だけによるハーモニックな旋律に通じるもの。ロシア国民楽派と呼ばれる一派はプロコショスタコ大好きさんたちに言われるほど頑迷でアマチュアに拘った集団ではなく(そんなのスターリンのイメージにすぎないし時代が半世紀以上違う)、元々ペトログラード楽派(五人組ら独自性を求めた陣営)を中心としたロシア国民楽派の人たちは、本業とウォッカ以外の人生の全てを西欧の伝統的な・・・とくにハイドンやベートーヴェンといった源流部分の・・・音楽の研究についやし、室内楽で実験を繰り返し、そのうえで革新的な表現を求め同時代の前衛であったワグナーらの手法を取り入れるとともに民族音楽の世界に足を踏み出し、ナショナリズムの風を受けてリストの轍を踏み自国の民謡収集から初めて「新しさ」とはどう表現すればいいのか、その源泉は実は足元にあったのだ、ということに気づいた。それはさらにムソルグスキーなどの天才の手によって昇華され、アカデミズムとの拮抗に悩む若きフランス楽派に核心的なインスピレーションをあたえ、結果的に世界の音楽地図を塗り替えた。モスクワ楽派(ルビンシュテイン、チャイコら折衷派と言われた西欧寄りの陣営)とて外から見れば五人組から遠いところには決していない。長い作曲家の人生の中で作風だって変わる。チャイコの初期曲は五人組に模範とさえ言われた。辺境に多いシベリウス至上主義者たちだって政治的に迫害を与えたロシアそのものからの根本的な影響を否定はできまい。ナショナリズムを大管弦楽によって高らかに宣言したのは(伝統的なドイツイタリア以外では)ロシアが初めてなのだ。西本某がロシアオケを振ってフィンランディアを演奏しているCMを見て奇妙な感覚を覚えつつもそのあからさまな表現手法のベースにロシア国民楽派のやり方があることを感じる向きはいなくもないだろう。ヨハン・ユリウス・クリスティアンさんが純粋なフィン族と言えるのか疑問を投げかける人もいる。フィンランディアが最初から民族鼓舞のために作曲されたものなのかという人もいる。そんなとこまで網羅したうえで(そんなのどうでもいい雑音だとは思うが)まだイデオロギー的な口ぶりでロシアを否定するマニアはもう100年前までタイムスリップしちまえと言いたいところだが極東の黄色猿が言うことでもないのでこのへんにしておく。だいたい私もド素人だ。・・・何の話だ。

ワルツ部分は有名なものだが、それより室内楽的な部分でのさすがロシアと思わせるアンサンブル、弦楽器のウィーンより深い音色に感動しました。リズムを多少ズらしているのも意外。まあ、「多少」であり、けしてウィーン独特の体感的ズラしとは違う機械的なものではあるが(否定的に書いてるけどオーストリア以外のオケは大抵そうだ)。上品に踊れるがいささか遊びはないリズム。ただ、音楽として非常にまとまりよく、オケの力量が発揮された・・・特に音色と各パート、ソロ楽器の実力において・・・そのへんのガキが文句付け様の無い立派な(この曲に似合わない形容だが)演奏だ。ロシアなめるな。ボントロが野暮ったいって?あんたの音のほうがよっぽどみっともないわ(暴言)!楽想の多さのわりに大規模?管弦楽曲的な楽しみは少ない素人聴きカオスっぽい曲ではあるが、好きな人はどうぞ。

※2005-07-22 12:19:58の記事です
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☆J.シュトラウスⅡ:ワルツ「春の声」

2018年01月01日 | その他古典等
○サモスード指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(melodiya)LP

いきなりハスキー。思ったより上品で音量表現の幅もあるがどこか粗野。強引なところが好き(キモワル)ロシアの軍人たちが地響きをたててワルツを踊る。まるで機械のようでいてしかし踊り自体は迫力に満ちている。とにかく生命力に満ちている、そんな演奏である。最初はウィーンふうのリズムの崩しが全く無いためマゼールのニューイヤーを聴いているようなつまらなさ(失礼)があったが、これだけ強い発音でしかし俊敏にリズムをとられると身を揺らすということは無いが思わず身を乗り出して聴いてしまう。ロシア国民楽派じゃないから清新な転調やスマートな楽想が脂を中和してくれている面もあるだろう。いや、脂は無い・・・。サモスードは割合とスマートなほうの指揮者だ。ガウク=スヴェトラ系とは違う。パシャーエフ=ヤンソンス父ともまた違うが・・・だいたい時代が違うのだが。ちなみに=は師弟関係を意味しているわけではないので念のため。わかりやすいよういーかげんに分類しただけです。いずれにせよリストの即興旋律が大元であることを考えると、リストの多大な影響を受けたロシア国民楽派と遠からずの縁にあったわけで、シュトラウス的な世界を毛嫌いする私もなんとなく違和感なく楽しめたのはそんなところにもあるのだろう。レコードでよかった。見た目の先入観がないから。

※2005-07-22 12:14:48の記事です
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☆ワグナー:ローエングリン三幕への前奏曲

2017年07月27日 | その他古典等
○A.ヤンソンス指揮レニングラード・フィル(ALTUS)1970年7月1日LIVE、大阪フェスティバルホール・CD

アンコール曲。は、早い・・・。ヤンソンスはレパートリー幅が大きく、ワグナーは他にもマイナーレーベルから出ているものがある。しかしこのブラス陣をもって破裂的な演奏をやられたらもうハハーと頭下げるしかない。無茶面白い。これが正当かどうかだって?そんなの学者にまかせとけ。中間部の木管と弦のアンサンブルも歌いまわしというか、ニュアンス表現がじつに面白い。ただ押せ押せの指揮者ではないということがわかる。これは凄まじい拍手も当然。個人的に◎にしたいが、速さに流れてしまっているところもあるので○。このあたりはムラヴィンスキーに軍配。

※2005/3/13の記事です
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伝統歌:chantons pour passer le temps(Chanson de bord)(オーリック和声・編曲)

2017年07月24日 | その他古典等
O.Ertaud,J.Peyron(t)デゾルミエール指揮管弦楽団(le chant du monde)SP

裏面はグレイ婦人の歌でcascavelle の復刻に含まれている。この歌はどう訳したら良いのかわからないが検索すればすぐに動画サイトで原曲が聴けるのでフランスではかつてポピュラーな歌だったのだろう。「時を渡す歌」などと訳そうものなら脳天気な、この編曲ではなおさら脳天気な曲にぜんぜん似つかわしくない暗いシャンソンになってしまう。二人でコミカルに歌うところにそつないオケ、小規模だがオーリックの腕は生きている。楽しい歌。
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☆バッハ:管弦楽組曲第1番

2017年05月26日 | その他古典等

○ジョリヴェ指揮ウーブラドゥ・コンサート管弦楽団(LYRINX/INA)1970/11/8live・LP


音楽は数学である。非人間的であればあるほど純粋な音楽に近づいていく。数式の普遍的な美しさに人は心惹かれ胸打たれる。感傷を覚えるとすれば誤解の産物に他ならない。いかに素敵に騙すかが芸術家の使命である。バッハは極めて理知的な作曲家だが作品には艶かしさが漂う。そう作られている。だからロマン派スタイルの長く続いた演奏史においても忘れられることなく時代のスタイルに従ってより感情の大きな起伏を盛り込まれた方法で表現されてきた。ジョリヴェは派閥と時代のわりに生き方が実に人間的で、好きな作曲家だが、晩年は穏健な作風に落ち着き指揮活動も多く行った。これは没後10周年記念に出たボックス収録のものだが、晩年、もうそろそろ考証派のスタイルが台頭していそうな時期に大編成のオケをかなり大っぴらに鳴らしアゴーギグをつける往年スタイルで演奏している。前衛楽派が最小限編成で最大の効果を生もうとした時期を歩んだにもかかわらずあけすけに感情を煽る前時代的な迫力である。ハープシコードすら派手だ。赤道の作曲家らしく依然楽器数を絞るなんて意識もなかったのだろう。ただ、冒頭で少し縦が乱れるもののしっかりした演奏で、カラヤンとか想起してしまった。派手ゆえの単調に落ちる部分もあるが、変に緩急をつける必要もない曲か。○。



(参考)ジョリヴェの音楽。「のだめ」で一瞬有名になりました。

多作家ですが、自作自演をどうぞ。

※2008/6の記事です。

Jolivet: Les enregistrements Erato
Various
Warner Classics

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自作自演を含むAdesの室内楽等の名演集も二枚組みで集成復刻されています。ラスキーヌの弾いている曲がいい。曲目はこちら参照。有名な「マナ」や宗教性を帯びて丸くなった「クリスマスのパストラル」が聴けます。二枚目は典礼組曲、フルート独奏のための「呪文」二曲。
Jolivet Andre Morceaux Choisis/Var (Fra) (Dig)
Jean Brizard
Accord

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自作自演は山ほどあります。。
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☆モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」

2017年05月13日 | その他古典等
○サモスード指揮ソヴィエト国立放送管弦楽団(KNIGA)LP

多分知らない人に聞かせたらこれがまさか古いロシアの演奏とは思わないだろう。私も驚いた。サモスードのモーツァルトはこれだけではないが、これほど緊密なアンサンブルを組み立てて正統派の演奏をやってのけられる人とは思わなかった。メリク・パシャーエフを彷彿とする。音楽は実にリズミカルでハツラツとしていて力強さには威厳さえ感じられ、管楽器にしても厳しく律せられいささかもロシアのアバウトな香りがしない。立派に、正統的に吹いている(ロシア奏法はまったく影をひそめているのだ!)。いささかのブレもハメの外しもない。ロシアにありがちな(そしてサモスードにありがちな)弦楽器の音の不自然な強靭さも録音バランスがいいせいか全く耳につかず丁度良く、勢いがありアンサンブルは完璧に噛みあい、聞きやすいし何より胸がすく。モノラルで古いため◎にはできないし、考証派の人にはロマンティックすぎる(これでも!)と思われるかもしれないが「普通の人」は間違いなく名演と感じるだろう。私は後期ロマン派以降の楽曲を専門とし、このての古典派寄りの楽曲ではまずもって感動することはない。しかしこれは何度も何度も聞いた。アレグロ楽章のリズムの良さに何より感動する。素晴らしい。
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☆伊福部昭:リトミカ・オスティナータ(初版)

2016年08月27日 | その他古典等
○金井裕(P)上田仁指揮東京交響楽団(universal/TBS)1961/10/9初演live・CD

何かに似ているがその何かがわからない、まさに存在しないものの模倣品である。リズムと軽い音響はアメリカアカデミズムのコープランドらを彷彿とさせるが描いている色彩が違う。われわれにはもっと身近な音楽だ。遡ってプロコやストラヴィンスキーの影響を口にするのは野暮というものだろう。演奏はびっくりするほど達者でこなれている。ブラスがなかなかがんばってるしアンサンブルもしっかりしていてリズムがあまり乱れない。リズムといえば伊福部マーチが依然存在していた初版なわけだが、ゴジラのテーマとされるものは音が同じだけでリズムは違うしみぢかい。でもこのへんのかっこよさはアメリカの舞踏音楽にも無い深みと親しみやすさがあるし削った理由は不明だ。総じて伊福部昭シラネ世代にもアピールしうる曲に演奏です。
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ハリム・エル=ダブ:ターミール幻想曲

2013年07月11日 | その他古典等
作曲家(ダラブッカ)ストコフスキ指揮現代音楽協会(scc:CD-R)1958/12/3live

お世辞にもいい曲ではない。ダラブッカは楽しめるが弦楽オケがどうにも戸惑いが伝わってくるほどにグダグダで、半端な前衛音楽の気がある。アイヴズを墓場からアラブに連れてきたような曲。ストコフスキーもよくやったものだ。
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ウズベキスタン共和国国歌(管弦楽)

2013年07月05日 | その他古典等
○ゴロワノフ指揮ボリショイ劇場管弦楽団(venezia)CD

ペネツィアのゴロワノフ集成ボックス唯一の発掘音源で、一度も出たことがないのでは。SP起こしと思われノイズは酷いが、ブワーブワーと吹き鳴らすゴロワノフ特有の豪放磊落さと粘着力は感じ取れる。
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米国国歌「星条旗」

2011年12月20日 | その他古典等
○ミュンシュ指揮BSO(altus)1960/5/4live・CD

立派である。まるでミュンシュ自身もアメリカ人になってしまったかのようだ。ただ、同曲の演奏としてはそれほど派手ではない。もちろん同時に演奏された君が代よりは気合が入っているが、そこはそれである。○。
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日本国歌「君が代」

2011年12月20日 | その他古典等
○ミュンシュ指揮BSO(altus)1960/5/4live・CD

どことなく笑いを禁じえないブカブカジャンジャンドスンドスンした君が代である。そこまで分厚いオケにユニゾンで響かせる曲ではない・・・このあとの米国国歌はしっくりくる、つまりは同じ方法でやっているにすぎないが。
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バッハ:管弦楽組曲第3番~アリア(G線上のアリア)

2011年11月29日 | その他古典等
○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(lanne:CD-R)1980年代live

恐らく既出のコンピレーションと同じ音源。比べ音質は悪い。ロマンティックでボリュームのあるアリアで、決して褒められるべき演奏様式ではないのだが、異化されたバッハを楽しめる向きには、少なくともストーキーなら楽しめよう。いや、この時期のソビエト国立が鍛えられた精鋭の大編成による演奏、ということで、ストコの編曲とは違う意味なので注意。○。
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パーセル:1つの音の上のファンタジア

2011年11月15日 | その他古典等
○ゾーリアン四重奏団、ブリテン(Va)(HMV)SP

なんとブリテン四重奏曲第二番の穴埋めのこの古典曲にブリテンが「ヴィオラで」参加している。ピアノではなく。古典曲とはいえバッハくらいの構造的な書法が取り入れられただ通奏低音を弾いていればいいというわけでもなく、彼の才気渙発なところが伺える。曲は様々な編曲でも知られており、起伏に富んだ3分間。この旋律のロマン性、響きの透明性に近代イギリス作曲家たちは魅了されていたのである。○。
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