湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

チャイコフスキー:交響曲第5番

2018年03月31日 | Weblog
アーベントロート指揮レニングラード・フィル(SLS)1954/10/31live

版元は六番悲愴としているが五番。むしろアーベントロートの五番というだけで価値はある。東側を代表する指揮者の晩年記録で、相手がレニフィルというなんともなものである。破天荒さはこの人の持ち味ではないが、距離を保ち細かな揺れを好まないながら劇的効果を狙うところは狙う、そこが魅力であり、コンヴィチュニーらとは違うところだ。ただこの演奏、オケの性質と指揮者の性向が一致しないといえばしない。一楽章序奏、とにかく遅い。遅いインテンポを強いてオケの雑味が出てしまっている。主部で徐にテンポアップして通常の悲愴の感じにはなるが、この人はけしてドイツドイツした指揮者ではないと思うけれど、ここではドイツ的な構成感を大事にして崩さないから、結果ふつうの演奏になる。二楽章にきて、これはホルンとかクラといったソロの曲であるから、レニフィルならではの震える泣きのメロディが圧巻。またここで弦楽器もまとまってきて後半はびしっとアンサンブルする。音色の魅力を求める指揮者ではないから合奏部の音は味気ないが、ソロは凄い。三楽章も同傾向。ただ中間部の細かい音符の応酬ではスピードが速すぎ(ているわけでもないがムラヴィンスキー相手じゃないとこうなるのだろうというかんじで)乱れが出る。メインのメロディの歌い回しは特筆すべきところで、テンポをソロや楽団に任せて、こういうところがアーベントロートの素晴らしい手綱さばき、と思わせる。叩きつけるように終わるのも表現主義的だ。レニフィルの力感。四楽章あたりでは音ははっきり出させ音色を重視しないが人工的にドラマティックなドライヴぶりはシェルヘン的な意味で胸がすく(シェルヘンのチャイコフスキーは凡庸だが)。レニフィルとやっと呼吸があってきたのだろう。ただ、やかましいままダダダダと進んで、一息おいて同じ音量でマエストーソ、というのはすこしやかましいか。音の切り方が独特の部分もあり、またレニフィルのペットが下品で弦楽器の雑味を打ち消しとてもよい。正攻法ではあるが破天荒感ある終わり方。拍手は盛大だがブラヴォに類するものはない。面白い、けれどムラはある。
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何かあればツイッターとかではなくブログにコメントほしいなあ・・・

2018年03月30日 | Weblog

・・・最近ブログにコメントがつきません。これはここだけの話ではなくいくつかある私のブログ全般に言えることです。

しかしながらツイッターなどSNSで、たとえばクラシック音楽の話題を振られたり、反応されたりすることは若干増えています。

気軽さの面で、SNSを使うお気持ちはわかります。ただ、私自身の長いSNS歴からして、mixiやmyspaceのような親密でサークル活動の盛んなSNSは今はほとんどありません。海外はともかく、日本ではそうです。ごく一部のクラスタがFACEBOOKで閉鎖的に活動しているだけの印象があります。これは掲示板も同じく、閉鎖的な活動の場といえるかもしれません。

そういういわばマニアの集う場は集合知としての優位性はあるのですが、個人に紐づきませんのでしょせんは流れ去る揮発性のものに見えます。あるいはファンクラブ。だから同じ話題が何度もあがり、最終的に同じ少数者がまとめる。そういったことを繰り返した結果、クラシック関係の場などは下火に見えます。

とにかくそういう感じなので、やはり個人ブログとして長年やってきている以上、そんなところに出張していくメリットもありません。そもクラシック音楽で1999年個人でホームページを開設しようと思ったきっかけが「bbsでは多人数の意見に左右されて自分の価値観がぶれてしまうので、自分だけの場を作り一定の評価軸を保ちながら音盤の感想を書く」ことですから、これからもないでしょう。

といったスタンスを貫きすぎて常連さんがつかないという・・・いや記事の一つ一つが浅いということもあるのですがそれはこのページが質より量を重視しているので・・・ま、まあ、それはともかく、ツンデレなので、離れて行ってしまう方も多く、結果今の状態です。

しかし!ツイッターなどで言及されると「こんなとこ書くならブログに書いてログ残してー」となるのです。ツイッターは私はもう見放してる場なのでかなりてきとうです。たぶん衰退も遠くないでしょう。こちらへきてコメントしてください!

ドクターからのお願いでした。(ここだけじゃなくて雑記ブログとかも同様です寧ろあっちのほうが深刻なアクセス不足に陥ってます)
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ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編曲)

2018年03月29日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(SLS他)1929-30

SP復刻でかつてCDになっていた。ポッとした素朴な味わいは牧歌的な曲やオールドなオケ以上にまだ若いアンゲルブレシュトの正硬な棒による印象だろう。丁寧にスコアをなぞるようなやり口で、人工的にデジタルな大きな起伏を作る感じは後年に通じるが、情緒的に少し鞣しその支配下において情感を醸させる、フランスオケの音色の明るさと華やかさがあるから聞き物として成立している面もあろう。3楽章は装飾的な跳ねる音を明確にコントラスト付けて出させるなど各所に強調的な表現がみられる。テンポはゆったりしたインテンポだが、後年よりぬるまゆい情緒があるのは音色だけの理由だろうか。けして乱れさせないキッチリ揃えられた4楽章、テンポが前に向かわないもどかしさはあるが、響きは充実しており、ドイツの演奏ぽい縦ノリ感だ。まあ、乱れさせないようにテンポを緩めしっかり弾かせるのはSP時代の骨董録音にままあることなので、アンゲルブレシュトだけの話でもない。
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ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

2018年03月29日 | Weblog
トゥルトゥリエ(Vc)バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(BS)1963/1/29マンチェスターlive・CD

新発掘の放送用音源でモノラルライヴなりの音。正直良いとは言えない録音でこもっている。バルビローリ協会盤だからバルビローリの指揮に力点が置かれているし、演奏もバルビローリのドヴォルザークというイメージに薄い演目(交響曲の7~9番は録音し協会もCDにまとめているが)ということでソリストは二の次に聴いてしまう。バルビローリ自身がチェリスト出身で、トゥルトゥリエクラスではないとはいえ知り尽くした楽器、かなり融和度は高く、とくに自然な流れの作りかたがうまい。バルビらしい歌いかたも特異な解釈もソリストの表現を超えるものはなく、ただ音色の美しさが際立つ。木管ソロなどイギリスの上質の音を提供して穏やかな気分になる。さて、ソリストは線が細くヴァイオリン的な軽い指回しがいい意味でも悪い意味でも目立っている。後者の例というとたまに音程が悪い。不思議と不安定感はないが線の細いからこそ音程はシビアにきかれてしまう(太ければその幅のどこかが正確な音程にあたるのだ)。1楽章で、こんなところでなぜ、という半音ずつの下降音形の乱れがきかれ、ライヴだから手を抜いたのか、とすら思った。ただ音色はニュートラルなのでバックオケとの相性はいい。下手ではない、指も弓もよく回るのでミスを指摘して捨てる気にはならない。だが面白くはない。バルビマニア向けだろう。
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ドヴォルザーク:交響曲第7番

2018年03月28日 | Weblog
○セル指揮NYP(WME)1965/11/20live

モノラルだが迫力の演奏に圧倒される。セルのドヴォルザークは凄いのである。しかもニューヨーク・フィルは(ミスもするが)分厚く、ヨーロッパ的な重心の低い演奏も上手い。1楽章からして引き込まれる。フォルテの表現は…ひたすらフォルテの表現はこの曲の劇的要素をただただ強調し、鼓膜に叩きつけ続ける。2楽章ですら何か「聴かせよう」という意志の強さで、末尾の弱音部も綺麗なのだけれど、全般には緩徐楽章ぽくない。3楽章も舞踏らしくリズムが切れている。緩やかな主題の歌謡的なフレージングと激しい三拍子の動きがメドレーのようにつながっていく。楽団の厚さがやや悪い録音でも関係なく音楽の楽しさをダイレクトに伝えてくる。メカニカルゆえスリリングなアンサンブルも楽しみの一つであるこの曲の、そのスリリングなところをセルは非常な求心力をもって聞かせにかかる。誰も臆することなく気が絶えない。四楽章も緩やかに始まったかと思ったら駆け上がる主題でいきなりテンポアップ。結構テンポ変化があるが、瞬間沸騰的なものはすくなく、聞かせどころでしばらく少しテンポダウンする、といった、おおむねスコアの書き込みどおりということで、それの再現度がたぶん、凄まじい。弦楽器主体の楽曲にNYPの「やる気になった」弦楽セクションはうってつけだ。ブラームスをわかりやすくしたような作品を、さらにわかりやすく歌で繋いでいく。悲劇的で渋い色調の楽曲もこういう力づくスタイルの前には、ダイナミックでアポロ的な印象を与える。矢鱈の弦楽パートの掛け合いなど、セルだから曖昧にはならずに構造的な楽しみもあるのでメカニカルに聴きたい向きにもあっている。以前出ていた気がするが、この音質でもお勧めしたい。生だとどんな凄い演奏だったろう、ブラヴォの嵐。
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ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」

2018年03月25日 | Weblog
パレー指揮ORTF(SLS)1957/5/9シャンゼリゼlive

物凄い意思的な演奏で、ゴリゴリ力づくで押し進めるスタイルはトスカニーニよりトスカニーニ。時折面白いテンポルバートをかけたりするけれど、冒頭から最後まで一パートも曖昧な表現は許さず全力で音を出させ、フォルテからフォルテテテテテテテッシモまでの間でドラマを創る、いやドラマだと言い切る。清々しいくらい情緒がなくリアルで、だがアメリカのオケではなくこのオケであるところがソロの音色やオケ全体の明るく柔らかな響きによって辛うじてドビュッシーであることをわからしめている。個人的には個性的で好きだが、これだけ爆弾を投げつけるような音を破裂させながら聴衆は普通の反応、まあ、ミュンシュと同じ力感をミュンシュと対極の残忍な棒さばきで表現したわけで、海ではないか。録音は意外と聴けるレベル。
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ラヴェル:ボレロ

2018年03月24日 | Weblog
○パレー指揮ORTF(SLS)1957/5/9シャンゼリゼlive

高速軽量級、やる気漲るパレーの十八番ボレロ。アンコールないし末尾にやられることが多かったようだ。このリズムでは軽すぎるとしても、響きや音色は美しく華やかに統一され、このオケだからひときわソロの魅力が際立つ(ホルン除く)。また弦のピチカートが粒立って激しく轟き軽量級なりのリズムの打ち出し方をしているのも面白い。ひたすら揺れのないテンポはボレロはこのままで完成されていることを実感させる。全奏部に至っては独特の短い発声のペットと強靭な打楽器群が高らかに軍隊を鼓舞し、それ以外の楽器はまったく同じ調子を続けているのに音楽はしっかり大きな山になっている。阿鼻叫喚まではいかないが振り切ったパレーに盛大なブラヴォが浴びせられる。録音はモノラルで音場が狭いぶん録音瑕疵はさほど気にならない(はじめの方で大きく放送エアチェックノイズが入るのは残念)。
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ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

2018年03月24日 | Weblog
ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(SLS)1967/2/16live

エアチェック音源らしく音の欠落や全編砂ノイズに塗れて聴きづらい。オネゲルとルーセルにはさまれて収録されているがこれが一番静かな曲のせいか耳障りが悪い。演奏は陶酔的で、ノイズがなければ浸りこむことができただろう。ミュンシュの同曲の解釈に幅はないのだが、オケが清澄な音を出すせいだろう音楽もねっとりしたものではなく、ニュートラルに聴こえる。拍手はほとんどカット。オネゲルがDAのものと同じとすると収録の三曲中唯一の初出になる。
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オネゲル:交響曲第2番

2018年03月23日 | Weblog
ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(SLS)1967/2/16live

驚きの記録でパリ管との最後の録音の10ヶ月前のシカゴ響との実況である。この次の「牧神」は半年後の実況録音が出ているしルーセルの3番は公式には2日分の編集盤が、非公式には同日のものが出ているので、シカゴとの演奏としては初出になろう(同月NYPとの実況録音なるもの(DA)があり、この時期にしてはノイジーでも録音状態はこちらのほうが格段に上で(DAは客席録音ぽい、共にステレオ)単純比較はできないが、同じものの可能性がある)。ミュンシュの終生振り続けた曲であり、ギチギチと軋む弦楽合奏がつづいたうえで高らかなトランペットで開放される曲構成もカタルシスを得やすいし、パリ開放を思い出せるから好きだったのだろう。だが演奏スタイルはかなり変化しており、この頃にはテンポが落ち集中力に欠ける演奏が聴かれるようになる。ギチギチが要の曲なだけにそれは致命的で、この演奏も残念ながら第一には推せない。ただ、オケは良いのである。一糸乱れぬ弦楽アンサンブルは振ってきた他のオケとは違うものがあっただろう、一楽章はライヴなりにではあるがこれがミュンシュかというようなトリッキーな装飾音型もビシッと揃えてきてビックリする。二楽章の表出力も素晴らしい、チェロソロがボリューミーだ。だが、三楽章が遅い。新古典主義の構造的な書法を楽しむには、あるいは演奏するには遅いのである。無理してテンポを抑えているようなシカゴ響弦楽セクションには「もういいから暴走して力を遺憾なく発揮してくれ!」と言いたくなる。弛緩して雑味を呼んで、、、と思いながらも流石にギチギチ感が出てきて偉大なクライマックスでのっぺりしたトランペットを聞いて、あざとさの最後にミュンシュの唸り声、ブラヴォの渦。終わり良ければ、か。
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☆ブロッホ:ピアノ五重奏曲

2018年03月22日 | アメリカ
○カゼッラ(P)プロ・アルテ四重奏団(fono teca/HMV)1933/2/8・CD

野蛮主義的な曲に対してややピアノが負け気味にも感じたが録音のせいか。ユニゾンで迫る弦に対しては負け気味にもなるだろう。フランス風の味付けがわずかに洒落気をもたらす。二楽章はユダヤ調が全面に出て土臭さがあるが、楽団の洗練に救われている。それにしても弦のユニゾンが多い。アレグロ・エネルジーコの三楽章は再び激しい音の応酬。カゼッラが不可思議な響きを加える。不可思議なのは緩徐部の妖しいやりとりでユダヤ的だ。ピアノはそれほど浮き立ってこないが弦が盛り上げる。法悦的なフレーズが頂点を形作ると若干メシアン的な趣のある静寂が支配する。

※2013-11-26 20:04:51の記事です
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フランク:交響曲

2018年03月22日 | Weblog
○アンゲルブレシュト指揮ORTF(SLS)1955/3/17シャンゼリゼlive

びっくりの音源で、演っていても不思議はないが録音が出てくるとは思わなかった。また同時期のドビュッシーなどにくらべ一楽章あたりはダイナミックでかつ、ミュンシュのような滑らかな表現でロマンティックな、国民楽派交響曲のように進めていく。ほんとにアンゲルブレシュト?というような、SP期の短い曲で聴かれた主情的な表現はクライマックスあたりでもブラスの露骨な音色に現れてくる。だが、この三楽章冒頭は均整感を重視した構築性があらわれ、やはりアンゲルブレシュトだと確信させる。清々しい透明感のある響きはあるものの、曲に忠実にロマンティックな点はダンディの交響曲を録音したときと同傾向といえば同傾向のスタイルでもある。突進するたぐいの演奏ではない、ミュンシュやパレーとは違うが、プレートルに通じる部分はあるかもしれない。期待しなければ聴けるギリギリの音質。もちろんモノラル。個人的には同曲をドロドロにしないでかつチャイコフスキーみたいにやってのけているのは好み。
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ラフマニノフ:ヴォカリーズ

2018年03月21日 | Weblog
ミトロプーロス指揮NYP(SLS)1955/5/8シアトルlive

この指揮者に未だ未発売音源が残っていたのかと驚いた。発掘され尽くした挙げ句、モノラル悪録音しかない骨董指揮者の宿命で忘れ去られたものと思っていた。シアトルのホールからの実況録音で、ボロボロではあるもののミトプーのライヴにしては悪くない。ねっとりした無言歌、甘やかで諦念も感じさせるこの仄暗いメロディの伸び縮みする歌い回しを楽しむことができる。手兵だったオケも、人によってはグズグズになる弦楽器が結集して実力を発揮している。久しぶりに聞いた曲だが、例えばストコフスキのような人工的な造形ではなく滑らかに連続した歌となっているので、同じ恣意的なスタイルでも自然に入ってくる。最近あまり聴かれる曲ではないが、アメリカで演奏されたものとしては、バーバーのアダージョと共に二十世紀を代表する弦楽合奏曲といえる。このあとプロコフィエフの五番、カバレフスキーのコラ・ブルニョン序曲とアメリカで人気のあったロシア音楽が続く。ロジンスキ、トスカニーニがよくやった曲だ。
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ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

2018年03月20日 | Weblog
ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(HMV)1934/10/22

三度目の全曲録音か(この時代では考えられない)。SPに慣れた向きは十分楽しめるし情報量もある音。迫力あるキレキレの音で、ストコらしい細かい操作もあるが基本的に新世界のサウンドとしての面白さをそのままストレートに伝えてくれる(4楽章冒頭のリタルダンドは何度聴いても慣れないが)。フィラデルフィア管弦楽団黄金期の、とくに弦楽セクションの分厚さ。どういう録音方法をとったんだというようなボリュームのある捉え方をしている。録音状態的に音色は楽しめないが管楽器もノーマルに力強くしっかりしている。やはり2楽章のようなしっとりした楽章より3楽章のようにリズム、律動だけの音楽の方がパワーオケの特質をよく示しており楽しい。4楽章の遅さ、しゃっちょこばった表現はストコの解釈なので仕方ない。おかしなバランス、作為的なルバートも全部ストコをストコたらしめているものだ。メンゲルベルク同様、必然性などあまり考えないほうが良い。この時期にこの録音なら満点だろう。ラストまで普通ではない。音楽として楽しめるかどうかは趣味次第。
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☆シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番

2018年03月20日 | 北欧・東欧
○キム(Vn)ザンデルリンク指揮NYP(VON-Z:CD-R)1984/1/21live

このソリストはなかなか聴かせる。音は金属質で細いが音程感が明確になるゆえ曲にはあっており、アーティキュレーションもかなり堂に入ったものである。シマ2でここまで巧く揺らしてくるソリストは余りいない。技術的に難はなく、もちろんライヴだから瑕疵がないわけではない。だがシマノフスキの多用する重音処理の中には元から無理があるゆえ音になりにくいものもあるわけで、フランス的に引いたかんじで綺麗に響かせることはできようが、だいたいが民族音楽なので荒々しく音にならない破音で十分なのである。ザンデルリンクは鈍重で妙な細かい音響に拘るが、いつものことだろう。ソリストと乖離しているかと言えば「それほど」乖離していないのでよしとすべきだ。後半などソリストが熱してきてあわないギリギリのところを綱渡りするようなスリリングな場面もコンチェルトの情景として面白く聞ける。○。

※2007-06-26 16:51:37の記事です
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☆フランセ:木管五重奏曲

2018年03月20日 | フランス

○フランス国立放送管弦楽団木管五重奏団(EMI)1953・CD

四楽章からなる小品でじつにフランセらしいが、あまた書いた室内楽の他聞に漏れず細かくトリッキーな動きが難しい曲で如何にもピアニストの曲といった趣だ。弦楽アンサンブル曲でも同じことは言えるが、恐らくもっと鋭い音の切りかたが可能な弦楽器のほうが向く作曲家でなかったのかな、と思う。といっても木管五重奏曲の名作といわれる作品であり、技巧の見せ所満載。フルートとクラとホルンあたりに旋律が偏重している一方、地味ではあるが非常に細かい(特に終楽章!)音符を吹きこなすバソンなど面白い。さすがにこの曲になると高音がちょっと辛い部分が僅かにあるけれど、まあほんとに難曲ゆえのものだ。あと、和音が非常に綺麗!オケ首席楽団だけあって音色が完璧に揃っており音量バランスも計算し尽くしたようですらあり、音響的に素晴らしい。モノラル。アナログではプーランクのゼクステットの裏面。○。

※2009-01-14 10:18:41の記事です
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