湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ボロディン:歌劇「イーゴリ公」よりだったん人の踊り

2006年12月30日 | ボロディン
○モントゥ指揮サンフランシスコ交響楽団(M&A)1951/12/23live・CD

すごいテンポにリズム!流麗かつ躍動感に満ち、録音のやや悪さを除けばこのトスカニーニ張りの推進力は素晴らしい。またオケの内側から爆発するような威勢のよいアンサンブルもいい。合唱なしが惜しい。
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ウォルトン:ファサード組曲よりポルカ、タンゴ・パソドブル、タランテラ・セビリアーナ

2006年12月30日 | イギリス
○モントゥ指揮サンフランシスコ交響楽団(M&A)1950/2/26live・CD

ウォルトンの諧謔性は鋭い金属質の肌触りのする響きと機械的な混み入ったアンサンブルに裏付けられているものの、バルトークのオケコンの「中断された間奏曲」のような、あるいはストラヴィンスキー渡米後のオーダーメイド作品のような皮肉を確かに提示しながら、穏やかな空気の中から穏健に提示される。そこが限界でもあり魅力でもある。間違えるとほんとに穏健な音楽になってしまうので注意だ。モントゥの前進性はここでも目立ち、音楽が決して弛緩しないから穏健さは煽られない。組み立ても決して旋律の組み合わせの人工性を露わにせずじつに板についたもののように聞かせている。オケにどうも艶がなく機能性ばかりが目立つのが気になるが、ファサードはもっとソリストに多彩な表現を自由にとらせてもいいのではと思う。速いです。
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リムスキー・コルサコフ:シェヘラザード

2006年12月21日 | リムスキー・コルサコフ
○スタインバーグ指揮ピッツバーグ交響楽団(capitol)LP

最初は余りに端整で制御された演奏振りにビーチャムのような凡演を想定していたが、楽章が進むにつれ異様な表現性とシャープなカッコよさが高度な調和をみせてくる。三楽章のハリウッド音楽張りのうねりには仰天した。しかも生臭さは皆無の程よい音色に、ピッツバーグがまた素晴らしい技術を見せ付けている。デモーニッシュなものが要となっているハルサイなどは私は余りにスマートすぎてピンとこなかったのだが、楽天的で開放的なこの楽曲には求心的でまとまりのよい演奏ぶり、ドライヴ感を実はかなり激しいテンポ変化と制御されたルバートの中であおり続ける。後半楽章の流れは大喝采ものだろう。録音のよさもある。前半余りピンとこなかったので○にしておくが、曲が人を選んだのだなあ、とも思った。ロシア人がロシア曲をやったところでロシア踊りになるだけだ。ロシア踊りに飽きたら、こういう大人の演奏もいいだろう。
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フランク:弦楽四重奏曲

2006年12月21日 | フランス
○パスカル四重奏団(ConcertHallSociety)LP

パスカル団は二つあるのでややこしいのだがこれはヴィオリストがパスカルさんね。非常に整えられたきちんとした演奏で、ロマン性がそれほど急峻に煽られないのは長ったらしく大味な曲のせいだけではあるまい。とにかく曲が「ヴァイオリンソナタを水で三倍に薄めて交響曲で特徴的に使われる移調がごくたまに差し挟まれる」ようなものなので、しっかりとした書法ならではの演奏のしやすさ、演奏する楽しさはあるとは思うが(録音も多い)、私はとにかく眠くて無難な曲を小1時間聴きたいときくらいしか聴きたくはならない。しかし、この演奏では眠らなかったですよ。パスカル弦楽四重奏団のアンサンブル力の確かさを確認できます。○。
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ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2006年12月20日 | ドイツ・オーストリア
モリーニ(Vn)フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団(DG)CD

どうも四角四面だ。フリッチャイはドイツっぽさ全開で縦を重視した垂直に風の通りそうながっしりした構えを見せ、モリーニはその上で無難な演奏を繰り広げる。そうとうに自己主張する旋律をはなつ曲ゆえ、その自己主張をどう制御するかが鍵になるのだが、この演奏ではたんに面白くない方向にまとめてしまった、という感じが否めない。正直楽しくなかった。楽章間の曲想のコントラストもはっきりしない。無印。
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グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲

2006年12月20日 | グラズノフ
○モリーニ(Vn)フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団(DG)CD

曲が特殊な技巧の散りばめられた目の詰まったものであるだけにフリッチャイの見通しのいい縦に区切られたような構造的なバックとモリーニの確かな技巧がしっかり聞こえてきて面白く聞ける。演奏自体に強く惹き付けるものはないがマイナス要因もない。○。
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ミヨー:弦楽四重奏曲第2番

2006年12月20日 | フランス
○パリッシー四重奏団(naive)CD

全集の一枚。これは少し客観的というかおとなしい感じもするが技術的には高い。よく構造を分析した演奏という感じで、まだ生硬な部分のあるミヨーの書法をきちんと読み解いて、三連符のモチーフが表や裏に出ては隠れしながら統一感を保っているとか、基本はロシア国民楽派の弦楽四重奏曲を意識しながらもそこに皮肉をさしはさむように無調的フレーズや複調的構造を織り込んでいる部分が明確に聞こえる。ミヨーにはやや構造が重過ぎて旋律線がわかりづらかったり速筆のせいか勢いで押し通さないと首尾一貫して聞こえないなどといった楽曲も散見されるが、この曲は全弦楽四重奏曲の中でも一番わかりやすいだけに、却ってマニアックな書法の出現が唐突で違和感を感じさせるところもある。だからこうやって整理されてくるといくぶん均されて聞きやすさが増す感もある。4楽章では牧歌的ないわゆる「ミヨーのプロヴァンス民謡」が少しあからさまに出てくるが、こういった部分ではもう少し感情的な温もりが欲しかった。小粒だがしっかりした技術に裏付けられた演奏。○。
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ドビュッシー:弦楽四重奏曲

2006年12月20日 | ドビュッシー
○イタリア弦楽四重奏団(PHILIPS)1965/8/11-14・CD

いわゆる響き系の演奏というか、特徴の無いいまどきの演奏につながる要素の多い演奏で、計算ずくの構築性から感情的盛り上がりにやや欠ける。ただ、いい意味でも聞き流せる演奏である。流せる、というところでは3楽章から4楽章の緩徐部にかけてゆったりとしたテンポの中に極めて精緻で美しい表現が爽やかに表現されており特筆すべきだろう。スタンダード。○。
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ちょい毒舌、音盤店情報

2006年12月19日 | Weblog
よく行く、もしくはよく行っていた店についてちょっと書いておきます。寸評つきで。

・ディスクユニオン
転売屋含むみなさんにはおなじみの老舗廉価中古店。廉価というところが要で、中古CDでは劣化して聞けないものもあったり、LPでは音飛びすぎて聴けないものもあったりする。いちいち検品してられないほど回転が速く在庫が豊富ということである。クレームにはちゃんと対処してくれるし、LPはその場で確認するのが大前提かも。列できちゃいますが。割引日は更に手ごろになる。ボックスもののCDが狙い目。あと新品もすぐ出ます。最近はレアCDは余り出なくなった。レアは高級店並みに高額(但し昔のようにCDにべらぼうな値段をつけてくることはない。LPはそうとうやってくるが)。

御茶ノ水クラシック館:衰退の一途をたどっている。安物CDの回転数が速いのが売りで、LPはほとんど出モノがない。セールとはいえ買うものがなければねえ。店員もやや・・・
新宿クラシック館:目下ユニオン系では一番の品揃えと安定した供給量を誇る。ここに行って収穫がないことは余りない。廉価セールも頻繁で使える。店員はまあ・・・

以下はLP(一部SP)専門。高級高額店の見極めは、最近の風潮としてどんな店でも初期盤には超高額がつくことから、余り明確ではない。どの店でも高いものは高い。状態によってかなりの差が出るのは今では常識である(たとえば外国の廉価通販・オークションや上記ユニオンで手に入るものは破格に安いことが多いが、どう洗っても音飛び歪みが残るのはよくあることである。余裕のあるかたはそういう店は使わないわけで、私は余裕が無いのですがしかし・・・)。高額店はその点品質管理がしっかりしているが、それでもダメな場合もあることを考慮してモノの店頭確認はするべきである。

殆ど個人商店であり個人輸入代理店であり個人ベースでアバウトに動く店が多い。客商売という点ではどうかという店もある。

・CLASSICUS 超高額店。MELODIYAや初期盤に大変強く他では絶対お目にかかれないものもある。ただ、初期盤店を謳いながら初期盤だけでは品不足になるせいか、重版や奇版など新しいものも置いている。その是非判断は人によるだろう。サイトあり頻繁更新。しかし前記のとおりよく「スペック(初期盤かどうか等)」を確かめること。値段が高いから古いと思ったら大間違い。店員さんは丁寧。どなたが店長なのか知らん(御茶ノ水)

・ETERNA TRADING モノによるが、高額店に入るだろう。初期盤を含む品数が豊富でリストもかなり細かく準備されている(多いだけにリスト表記を鵜呑みにできないこともあるのはかつての仙台レコライなんかに似ている)。セールだとぜんぜん値ごろ感が違うので注意。但しレアはセールなど待っているとすぐ消える。通販がさかん。サイトあり頻繁更新。アナログ機器も取り扱い。店員さんはバイトぽいが、店長さんはかなり詳しい。ETERNAといいつつ大手レーベルの初期盤からプライヴェート頒布盤レーベル、フランス国内盤やMELODIYAにも強かったがこのあたりの特徴も全方位的にならされてきている感じはする。(御茶ノ水)

・楽鳴舎 一部目玉品を除き、この界隈では比較的値ごろなほうだと思う。但し在庫整理が非常にまずく、サイトで示されるリストもかなり不十分。どちらかといえばアナログ機器(真空管)のお店で、音盤業は(在庫量はそうとうあるのに)付け足しのような感じもする。ネット通販を始めたらしい。個人的にかなりいいかげんな感じがして余り使わない店だが、ここにしか出ないものもあるから・・・MELODIYAに強いがとにかく山積みにするだけでいつまでたっても出してこない生殺しの店、といったかんじ。(御茶ノ水)

・ハーモニー 超高額店。超老夫婦によるかつてはこの界隈のレア盤店といえばココという感じだった店。旧きよき中古店の雰囲気を味わえるが、とにかく高くて・・・サイトあり、毎月更新。(御茶ノ水)

・富士レコード社(と御茶ノ水古書センターの裏の店) ここは複数店舗を構える中古LP/SP(一部店舗はCDもあり)の老舗で値付けも良心的。面白い盤が手に入ることがある。ただ、初期盤を求めるならお門違いかも。そういう空気のどちらかといえばユニオンを高級化したようなかんじか。古書センター店の裏の中古CD店(LPも少しある)も侮れないが、二束三文盤をユニオン以上に安く叩き売りしている一方、ほんとうにレアなものはきちんと足元を見た値ごろにしていたりなどなかなか。こういう個人商店ぽい店というのは、ときどき「見せびらかすためだけにわざと超高額をつけて並べている」場合があり、ここもその感じがしなくもない。最近は全般レア度が落ちているか?(御茶ノ水ほか)

新譜店・・・

・タワーレコード:失速気味。但し独自に発掘してきた音源を超廉価で出したりなど味なことをする。すぐ品切れする。
・HMV:安定しているが供給は穏やかでネット通販はけっこうアバウト。無い品もリストアップしていることがある。
上記大手はセール時期が鍵。
・山野楽器:かつては侮れない存在で、外資系店舗が品切れを起こしていてもここではだいぶ後まで手に入ったこともある。しかし今は同じようなものか。タワレコより先に独自企画をEMIとぶち上げてきた功績は大きい。
・石丸電気秋葉原クラシック館:なかなかがんばっているが、主力がCD-R(ほぼ海賊コピー盤)にシフトした時期にちょっと問題になった模様。しかし今でもCD-Rを扱ってはいる。品目はアリアCDとほとんどかぶっているが、今すぐ聴きたいという東京在住者には嬉しい店。LPはやめ、CDは一店舗に統一された。
・新世界レコード:昔はソヴィエト音源といったらココ経由でしか入らなかったものだが、今は単に高いだけで独自企画も打たない店になってしまった。大手に追い越されてしまった感大。クラシックから手を引き気味。(御茶ノ水古書センター内)

通販新譜・・・

・アリアCD まず通販といってここを知らないマニアはいないほどの有名店。個人経営ぽいが様々なつてをたどってそれこそ「ギリギリの品」まで扱ってくれる(主としてCD-Rやマイナーレーベル)。かなり頻繁に更新されるサイトから注文。

・グッディーズ、東武トレーディングなども同じような位置づけでびみょうに品が違ったりするが、大手小売店に卸したりしている点は違う。

・カデンツァはアリアCDにないものも入ることがある、双璧をなす通販店(CD-Rも)。その他にもライバル的な通販店はいくつかある。

通販中古・・・

・クラシックLPドットコム 面白いものが時々出る。安くて品質も安定。

海外通販(中古含む)についてはまた別途書くか、書かないかします。
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辞書と商売

2006年12月18日 | Weblog
このブログは元々本体サイトの機能補完用に作った暫定的なもので、本体サイトは最初から個人的な知識や音源整理のための辞書的な役割を果たすために構築したものである。従ってアクセス数とかアフィリエイトとかトラバとか、収益性だの双方向性だのいったものとは無縁のまったく個人的なところから始まっている性格上、また取り上げる音源がほとんど正規の新品屋では手に入らないたぐいのものであることからも、そういったブログの「流行りの」部分は排した書き方になっている。せめてタグ機能さえあれば辞書として更に使いやすいものになるのだがgooを選んでしまった以上仕方がない。

思うのだがたかだかウェブログや日記に商売を持ち込んでくる感覚はどうも汚れた感じがする。アフィリエイト商売のようなものをgooのようなエンドユーザ向けサービスを無償提供(私は有償だが)しているプロバイダがやるならともかく個人がやるのには物凄く抵抗がある。

こういう性格ゆえかなり損もしてきている。

きほんアマチュア団体がプロの領域をおかすような高額チケットを発行したり、団体にアマチュア奏者が演奏代(トラ代)を要求するなどといった「アマオケ界の常識」が信じられなかったくらいで、毎月安くないお金を払って演奏会のときはチケット販売をさせられて、挙句ゲーペーあたりにぽっと来た大して弾けもしない学生オケあがりの人間からお金を取るどころか(5000円とかその程度であれ)謝礼を払うという、この慣習に非常に嫌のものを感じていた。だから私はトラで金をもらったことがない。左右わからずもらったり、団体自体がもらっていたりといった幼稚な時期があったにせよ。

プロ余りが激しいこの業界で、価格交渉などしなくても来てくれて、少なくとも自称セミプロよりは弾いてくれる人なんていくらでもいる。アマチュアは金をとらず自費でやるからこそ、本気で音楽に打ち込める。トラ代だけで生活するセミプロ級フリーター、なんて甘ちゃんも今はいないだろうが。アマチュアはプロになれなかった人間ではない。しがらみや慣習に縛られたプロができないことができるからアマチュアなのだ。しがらみや慣習に縛られたアマチュアなんて阿呆らしい存在としか言いようがない。

金をもらって何かをすることで自分を高められる、というのはプロを目指す人間の吐く台詞である。

ブログで稼ぐという言葉に、ほんらい草の根である場に対して本末転倒な感をおぼえるのは私だけだろうか。

書き方によっては欲しいものをすぐ手に入れられるリンクを貼ってくれて便利、なんて受け取られ方もあろうが。winwin関係で全てのブログ商売が成り立ってるとも見えないのだが。
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ストラヴィンスキー:小管弦楽のための組曲第2番

2006年12月18日 | ストラヴィンスキー
○ロスバウト指揮フランス国立放送管弦楽団(VIBRATO:CD-R)1954/12/6live

曲が小さくまとまっていていいので、ロスバウトで聴くともっとまとまって浮き立つような気分のままさわやかに聴きとおせる、もっとも録音状態は推して知るべし。○。
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マーラー:交響曲第5番

2006年12月14日 | マーラー
バーンスタイン指揮ウィーン・フィル(VIBRATO:CD-R)1972/5/15live

無印の理由は真っ先にこの録音状態にある。貧弱で撚れまくりのエアチェックテープ。この時代の一般市民のエアチェックなら仕方ないかもしれないが、時折モノラルになったりブツブツ切れたり(冒頭欠落楽章あり)不安定すぎる。鑑賞に耐えうるレベルを超えている。いくらウィーンオケにしてもこのピッチは低すぎるだろう。各楽器の音が生(き)で近く、必要以上に聞こえまくるぶん、弦楽器ではその「まとまりのない音響的薄さ・乱雑さ・崩壊しても勢いを失わなければ構わない的態度」が気になり、管打は奏法(楽器特性)の「どウィーンぶり」が聴こえすぎることにまた苦笑せざるをえない(ユニテルのウィーン・フィル映像を「聴いて」も同じ印象を受けるけれど)。音色操作・・・これはシェフ次第だと思うのだが、ここの例えば終楽章で「悪録音化されて却って浮き彫りにされた」田舎臭さは何だろう、余りにキッチュで、原曲の潜在的に持っている世俗性を煽ってしまう。バンスタの歌謡的でのたくるようなアーティキュレーションの中にも激しい打音、力強いドライヴがこの時期の解釈の魅力でもあるのだが、ここでは晩年しばしばあった「悪い面」に近いものとして聞こえてしまう。バンスタ壮年期のもので、「晩年の自身ほどの」やりすぎたうねりはなく(常人からすれば物凄いやりすぎているが)、そこが「ドッチ側でもない普通の聞き手にとって」聴き易さになっていたであろうぶん余計惜しい。まあ、シェフ・奏者共に悪い面が上手に引き出された「録音」であり、バンスタ好き以外はまず最初に手にとるべきではない。ブラヴォが出ているのだから。盛り上がっては、いるようだから余り演奏に責を問うべきではなかろう。
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ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

2006年12月10日 | 北欧・東欧
○タウアー(Vc)マーツァル指揮チェコ・フィル(DG/universal,tower records)1968/3/28-29ハンブルク・CD

とにかく非力である。この心もとない音線。それは間違いなく意図解釈ではなくこの時点での力量の限界に聞こえる。弱弱しい指は非常に正確ではあり廻っている、まるでヴァイオリン向きで、たどたどしい(幼ささえ感じさせる)解釈しない解釈と単調な音色の連環による音楽っぷりには、しかしずっと聴いていると何か引き込まれる、訴えるものがあるのが不思議だ。論理ではなく、ジツが出ているからか。旋律的と書くと素朴で単純な旋律屋(ロマン派時代の演奏家もしくは現代世俗音楽系ソリスト)のように読まれてしまうから書きたくないが、「これは旋律的な演奏である」。旋律の美しさ、そして優しさが素直に引き出されているから魅力的なのだろう。頭初デュ・プレがチェリとやった盤を想起させたが、デュ・プレは豪快な「正統的ドヴォコン奏者」指向であるのに対しタウアーはまるで逆行する室内楽のような演奏を指向している。録音もだいぶ苦労したのではなかろうか。故杉浦日向子氏の作品に「YASUJI東京」という漫画がある。珍しく現代に場を借りた幕末明治初頭における末流浮世絵師の数少ない群像を断片的にえがいた佳作だ。私はタウアーのドヴォコンを聴いて(バックはいい意味でも悪い意味でもチェコであり現代の演奏解釈であるからこの文中はまったく無視して書く)ここに示された井上安治の姿を思い浮かべたのだ。「自我の覚醒をみ」る前の安治。写真画ではない、写真がうつしとれないものをうつしとった「写真的風景画」の安治。タウアーのドヴォコンは安治が「解釈しないまま景色をうつしとる」ことで写真よりも迫真的な・・・しかし限りなく静かな風景を描くことが出来たのと同様、「解釈しないまま音楽をうつしとる」ことで却って迫真的な・・・しかし限りなく静かな音楽を描くことが出来たのだろう。

朴訥とした演奏で、たぶん演奏家はおろかドヴォコンマニアにすら余り受けないのではないかと思う。しかし、それでもこの穴の多く感じられる録音からは何かが伝わるのだ。それは彼女の頬を伝わる涙なのかもしれない。杉浦氏が若くして亡くなったのは病によってであった。タウアーも若くして死んだ。安治は更に若く。

マイナルディとナヴァッラに習ったというのはよくわからない。そちらの芸風からの影響は余り感じられないが、どことなくフランス的なもののほうが向いている感じはある。私はタウアーのフランセとの共演盤を求めてこのCDを買ったのだが・・・LPがえらく高値に吊りあがるのは一回しか出なかったからだったのか・・・まだそちらは聴いていない。室内楽と管弦楽は脳におさまる場所が違う。
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バルトーク:管弦楽のための協奏曲

2006年12月07日 | 北欧・東欧
○アンセルメ指揮フィルハーモニア管弦楽団(BBC/IMG)1958/8/28・CD

この精彩に欠ける新譜の中では格段に光っている。これがアンセルメの正体か!といった感動が既に一楽章から表われる。覇気、バレエを振っていたころの勢いがここにある。力強い!前のめりにはならないし速いわけでもないが、それでもこの曲にどすんと血肉を与えまくっている。アンセルメはこれだからあなどれない。スタジオ録音しかなかったら見えないところが(もちろん悪いところも)あるというのは知っておかないと正当な評価はできないもので、しかもほんとは実演で評価すべきなんだけど。。録音もまあまあ。これはさすが解釈的な技巧派のアンセルメの知られざる名盤。
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ヒンデミット:ヴァイオリン協奏曲

2006年12月07日 | ドイツ・オーストリア
○メルケル(Vn)デゾルミエール指揮ラムルー管弦楽団(DUTTON/HMV)1948/12/28,30・CD

なぜか同じCDに納められているもっと昔の自作自演より録音が心もとないが、現代曲の推進者としても知られたデゾの伴奏による如何にもヒンデミットな作品である。・・・というのは、ヒンデミットであることは確かなのだが、ヒンデミットの全作品中で特徴的な作品かといえば、びみょう、ということである。ただこのての曲を新しい録音で聴くと非常につまらなく感じたりするものだが、何故だか同時代の古い録音で聴くと「しっくりくる」。これは時代性というか、この曲がどういう時代で生きてくる曲なのか、という演奏様式的なところに帰結するにしても、なんだかよくわからん非論理的な世界での感傷はある。ラムルーなので擬古典的なフレーズなど六人組の新古典作品を思わせるキッチュな感じもする。少なくとも木管は非常にうまい。
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