湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ボロディン:弦楽四重奏曲第2番~Ⅲ

2014年03月25日 | ボロディン
◯フロンザリー四重奏団(victor)SP

即物的で速くあっさりめの演奏だが、古い録音にありがちな技術的アバウトさがまったく感じられず、胸のすくような気すらさせる。
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チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第3番~Ⅱ

2014年03月25日 | チャイコフスキー
フロンザリー四重奏団(victor)SP

暗いながらも躍動感あるスケルツォだが、闊達なところを見せる。録音が悪いのでおすすめはできないが、ある意味現代的な即物性を持った演奏。
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グラズノフ:5つのノヴェレッテ~Ⅲ

2014年03月25日 | グラズノフ
フロンザリー四重奏団(victor)SP

地味な楽章ゆえに大人しい演奏になっている。美質は聴き取れる。
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ラヴェル:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ

2014年03月14日 | ラヴェル
グリュミオー(Vn)ベッケラス(Vc)(ANDROMEDA)1953/10/8・CD

どうにも荒い。チェロは弾けていない箇所が散見されるし、グリュミオーも細かい音程があいまいで、もともと不協和音でもその微妙な彩を聴かせるラヴェルのかくような曲にあって、音程の悪さというのは単純な不協和の渦と聞かせ台無しにする。2楽章冒頭のピチカートのやり取りでもテンポがギリギリ保たれているといった風情でズレているような印象をあたえ、何か準備不足のようなものを感じさせる。無印。
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ブリテン(2014年3月14日までのまとめ)

2014年03月14日 | Weblog
シンフォニア・ダ・レクイエム(1940)

作曲家指揮

◎ストックホルム放送管(decca/EMI,MONO)CD
◎LPO(EMI)CD
◎LPO(放送)BBClive

○南西ドイツ放送交響楽団(hanssler他)1956/12/1スタジオ・CD

わりと面白くなかった。硬くて冷たい音、それほど精度の高くないオケ。ブリテンにはたくさん自作自演があるので、この擬似ステ録音をとる理由はないかも。○にはしておく。

バルビローリ指揮

○NYP(初演ライヴ1941)
○BBC交響楽団(1967/8/8BBCライヴ)
○ACO(testament)1969/1/22live

”7月19日(1940年)光輝ある日本建国、二千六百年祭を奉祝する「奉祝楽曲」は、世界一流の作曲家達により献呈される筈であるが、そのうちのリツヒアルト・シユトラウス作曲の「祝典音楽」及びジャック・イベエル作曲の「祝典序曲」が夫々到着した。(中略)八月十日頃にはイギリスのベンジヤミン・ブリテンの新作が到着し、九月にはイタリアの巨匠ピツエツテイの大作が完成される予定である。

12月16日「紀元二千六百年奉祝音楽祭」の為のリツヒアルト・シユトラウスの「祝典音楽」(中略)の総合練習演奏会は、午後六時より赤坂三会堂で行われた。(中略)ベンヤミン・ブリテンの曲は、都合により中止された。”

その当の曲がこの「シンフォニア・ダ・レクイエム」、ブリトゥンの傑作純器楽交響曲である。大日本帝国政府は、祝典にレクイエムとはなんたること、と受け取りを拒否した(諸説あり)。結局初演はニューヨークでバルビローリにより行われた(CD化している、上記)。一方、シュトラウスは早々と豪華装丁の総譜に慇懃無礼ともとれる長々しい献辞を付けて送って来た。 ”全体の基調をなす日本的主題には十四個の低音ゴングが指定されている為、打楽器奏者により特に池上の本門寺、音羽の護国寺、芝の青松寺、鶴見の総持寺、浅草の妙音寺などから夫々ピツチの異なる秘蔵の鐘(いずれも江戸の名鐘として音に聞こえたもの)が借り集められた。”

シュトラウスの曲は、こんなスクリアビン紛いのバチアタリなやりかたで初演された(放送と共にコロムビア録音された。別項参照)。ほんらい鐘の音に送られるべきなのは死者の魂である。シンフォニア・ダ・レクイエムには低音のゴングは無いが、亡父母への追慕の情が時には綿々と、時には激しく、遂には清らかな眩い響きの中に綴られていく(3楽章”レクイエム・エテルナム”は同曲のクライマックスである。透明な情緒に満ちた哀しい祈りの音楽であり、余りに美しい。瀕死の苦しみより開放され、神の楼閣へ昇華してゆく愛する人たちへの想いがひしひしと、痛いほどに伝わってきて、終了後も暫くの沈黙を与えるほどに感動的・・・)。個人的感情が露になったこのような忌曲を送り付けた、ブリトゥンの節操の無さをどうとらえるかは人それぞれだろう。皮肉屋のイギリス人らしいファシズム国家への屁ひりとするには、いささか名曲に過ぎる。寧ろ真摯な作曲家として其時最も書きたかったものを書いた、たまたまのタイミングで東方の小島から依頼があった、それだけのことだったのではないかと思う。カサルスだったか、ブリトゥンが聴衆にあわせて即興で曲をしつらえ演奏したことを、オーダメイドと批判し、あれほどの才能を持った作曲家が何故そのようなことをするのかと言ったという。そう、あれほど。ブリトゥンは二十世紀を代表するオペラ作曲家であり、イギリス近代音楽史最後の巨人であった。揺るぎ無いその地位は、ピアノや指揮の並ならぬ技によってさらに確固たるものとされ、今も語り継がれる。この曲にも(2楽章”ディエス・イレ”)ショスタコーヴィチのように鮮やかな走句が駆け抜ける場面があるが、二人は音楽家として国境を越えた親友関係にあり、1楽章”ラクリモサ”の陰うつな雰囲気にマーラーの残響を聴く私は、同時にこの曲の全体がマーラー=ショスタコーヴィチを分かりやすく纏めて提示したもののように感じる。旋律の単純な流れに皮相的なものを感じる向きもあるだろう。ひたすらの単旋律による歌謡的な曲。バルビローリ盤をふたつ掲げたが、情緒纏綿な演奏様式ではいささか辟易もしくは違和感を感じる位だ。だが、ブリトゥン自身の指揮によるLPO盤、ライヴでもスタイルはほとんど同じだが、冷たい響きの美しさがレクイエムの清らかさを一層に強調し、繊細なまでにコントロールされた各声部は、無感情のようでも、聴くうちに教会音楽の如く心の深いところにそくっと染み入ってくる。作曲から暫く経った演奏のせいか客観が勝る演奏だが、最近CD復刻されたストックホルムのほうはオケのせいかいくぶん情緒的であり、私はこのくらいのバランスの方が好きだ。ここでの2楽章ディエス・イレーの凄みは気に入っている。
(参考文献:二十世紀の音楽(掛下慶吉著)、新興音楽出版社S17/9)

ACOの盤は初演指揮者バルビによる晩年のライヴ演奏。ニューヨークを振ったころよりもいくぶん落ち着いた感もあるが、最初の強烈な打撃からして衝撃的、重々しくひきずるようなラクリモーサの陰うつさはバルビの別の面を垣間見せる。オケが充実しており、繊細なハーモニーと強烈な叫びをバルビはうまく使い分けている。とにかく、暗い。ディエス・イレーになると、フルートの警句に呼び覚まされ、ブラスや弦が疾走しはじめる。このあたりの構造が透けてみえるようなまとめ方は上手だ。ハーモニーはじつに綺麗。バルビの悪い癖である「遅さ」がないぶん気分を高揚させる。ただ、ひとつひとつの音に拘泥されすぎる感もある。総体としての音楽より、短い分節ごとのまとめ方にこだわっているかのようだ。などと言ってはいるもののぜいたくな物言い、これはじゅうぶん佳演とされるに足る仕事だ。レクイエム-エテルナムは注意深く始まる。既にして天国にいるかのような平安のひびき。亡くなった両親のためにかかれた作品であり、そのあたりのブリテンのメンタリティを想像するに誠に心打たれるものがある。これは無論ブリテン個人的な感傷であるが、歌詞がないぶん、聴くものに大戦で亡くなった膨大な数の人間達への挽歌という想像を許すものとなっている。ヴァイオリンがせつせつと歌い上げる追悼の響き、このじつにロマンティックな盛り上がりは、注意深く挿入された
低音楽器の上で天を仰ぎ、救いを請う。旋律の連環が中低音域で続き、音楽はゆっくりと下降してゆく。
最後にマーラー的な(10番くらい)不安の音楽が一瞬ヴァイオリンによってかなでられ、終演。拍手は普通。

○チェリビダッケ指揮ベルリン・フィル(TAHRA)1946/11/10放送ライヴ

これは独特の演奏だ。ベルリン・フィルの巧さ・味わい深さにまず舌を巻くが(管弦ともに集中力が凄い)、それ以上にチェリの強烈な個性がにじみ出ている。私は何枚かの自作自演やバルビローリ盤で親しんできたが、そこで形作られたどこかイギリス的な繊細な曲という印象が、ここには皆無だ。暴力的で叩き付けるような発音、ささくれだったリズム、異様な前進力、若干の瑕疵はあるにせよ、尋常ではない何かを突きつけられ、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。2楽章ディエス・イレーは恐ろしいほどの名演になっている。3楽章レクイエム-エテルナムは天国の平安を描いた気高い音楽だが、最初ヴァイオリン・ソロの提示する何ともいえないやるせない祈りの旋律は、音像のはっきりとした録音のせいかかなりのドラマ性を打ち出している。個人的には「世の終わりのための四重奏曲」の終楽章のような消え行く祈りを描いた演奏の方が好きだが、この演奏のような「リアルさ」はいかにもドイツといった気もしなくはない。終戦の翌年、旧枢軸国ドイツで演奏された旧連合国イギリス屈指の作曲家のレクイエム、そう思うと少し感情移入したくなる演奏だ。

○カンテルリ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R/PRCD他)1953/1/3カーネギーホールlive

カンテッリ唯一の指揮記録とされるもの。Pristine配信データはキース・ベネット・コレクションのテープから起こし周到なリマスタリングを施したもので、いつものことだが極めて良好で迫力のあるものとなっている。私はMP3で聴いているが形式やメディアを指定することもでき安価ゆえお勧めである(ただリマスターの都合でラインナップが遅遅として増えないのと一部権利的にどうなのかというものがある(解決はしていると思うが))。この音源自体はDA以前にCDで出ていたことがあると思うが、手元にすぐ出てこなかったので今回再びダウンロードして聴いてみた。改めて音質というものは印象を良くも悪くも正確な方向に軌道修正する。これはカンテッリというトスカニーニの申し子が慣れない曲を才気と流儀で立派にやりきった演奏であり、それ以下では決して無いが、それ以上でも無いというものである。ガンガン叩きつける重量感を伴うインテンポで突き進む感じはトスカニーニに更に一味加えた新鮮な印象を与えるが、2楽章で前のめりに機関銃を乱射するような十六分音符の連打がそれほど活きずテンポがやや沈滞する様子、3楽章終盤のロマンティックな幻想が(ブリテンの書法の問題でもあるが)音色のリアル感により損なわれてしまっているところは凡百の演奏に接近していて、完成された指揮者ではやはりない、という最終的な印象に帰結する。しかし全体として充実感はあり、この時代のアメリカならではの無茶に詰め込んだプログラムの中でのこの曲、ということを鑑みても悪い位置には置けないが。ちなみにDAはプログラム全曲で出していた。Pristineは未完成とリエンツィ序曲の三曲のみにまとめている。それぞれのサイトで確認できるのでググってみてください。○。

クーベリック指揮

シカゴ交響楽団(LIVE SUPREME:CD-R)1983/11/3LIVE

このライヴ盤(1983/11/3)全般に音が篭っており低音が必要以上に響いてくるので非常に聞きにくい。それを押して聞いた。虚飾のない表現で、自作自演盤に非常に似ている。ただ、ディエス・イレーの二楽章が少々落ち着きすぎだ。この楽章はひたすら突進するようなイメージで、両端楽章の陰うつとのコントラストが付けられているのに、それがもたもたするようではダメである。とくにブラス、何故かたどたどしい。冗漫なところもある。3楽章の平安はふたたび自作自演に良く似た佳演。総じて無印。

シカゴ交響楽団(CSO)1983/11/3&4LIVE

前掲(CDーR)の演奏に翌日の演奏を加えて編集されたシカゴ響自主制作盤(むっちゃ高い!)の中の一曲。CDーR盤にくらべ格段に音質が上で、比べ物にならない。この盤で聴くと、
ますますブリテン自身が指揮した演奏に似た、率直な演奏にきこえる。だがやはり二楽章は
あまり焦燥感を感じさせず比較的落ち着いたものになっており、クーベリックの個性が辛うじて見える。まあまあの演奏である。



○ロジェストヴェンスキー指揮BBC交響楽団(bbc,carlton,imp)1981/6/4鹿児島live

ロジェスト何でも振っているなあ。。イギリスとも縁深いロジェストらしいこれはわかりやすい演奏だ。音楽の横の流れを重視した演奏であるため構造が疎かになりがちだが、良く鳴る派手な音響は耳を惹く。この人の演奏のわかりやすさは独特で、歌謡性に重点を置いているかと思えば結構内声部を充実させた目の詰まった音作りもするし、雑然と紙一重のかなり錯綜した音響を創り出すのも好きなようだ。細かい部分に拘泥しないのはロシア人らしいところだが、
ロシア系指揮者にしてはかなり要領がよくテクニックもあるため、他国の音楽をやっても一様にある水準を保った演奏を仕上げてしまうところにこの人の凄さがある。本国の文化省オケのように薄く透明なオケを使うとかなり大人しい演奏になるのだが、たとえばこのBBC響との短い密月期間のライヴ記録はこの人がほんらい目していた演奏~ごつごつ骨張っていながらもかなり豊穣な響きのする情熱的な演奏~をしっかり伝えてくれる。洗練されたブリテンの様式から離れた素朴な響きが違和感を感じさせなくも無いが、3楽章のやや速いテンポの中で紡がれるとてもやさしい旋律は、ジョン・ウィリアムズの映画音楽のように感傷的なひびきをもって伝えられる。本質的な部分に触れているかどうかはわからない。メリハリが明瞭でないため、だらだら流した演奏に聞こえかねないところもある。しかしこのいささか派手な感情の表出が心に響かないと言ったら嘘になる。響きの面白さ、旋律の魅力を最大限に引き出す
職人的な技を堪能しよう。○ひとつ。静寂がもう少し深ければよかったのに。



ラトル指揮バーミンガム市交響楽団(EMI)1984

水際立った指揮ぶりは颯爽としているが、いかんせんオケ、とくに弦が弱い。もっとヴァイオリンが前面に出てこないと、打楽器音楽のようになってしまう。解釈は壮大だ。スケールが大きい。でも、客観的と言おうか、今一つノリきれない演奏になってしまっている。落ち着いた演奏、と言う事もできるが、強烈な力感、迫力に欠けるのだ。一楽章はいまいち地味。二楽章はもっと急いた感じがほしい。三楽章は「歌」よりも「曲」重視で作り上げられており、食い足りない。作曲家20代の作品を20代の指揮者が指揮した、という点ちょっと魅力を感じるが、音楽的にはまだまだ!

シンプル・シンフォニー

○ボイド・ニール弦楽合奏団(decca/dutton)1939/3/10・CD

驚異的な音質で復刻されている。もっとも音色がどの程度正確かは疑問である。擬古典のていをなしながらも中身はプロコの古典シンフォニーのような新古典のものであり、2楽章のピチカートだけのアンサンブルからしてチャイコ4番3楽章のほうが近いんじゃないかというロマン性を秘めている。引き締まった、この時代にしては演奏精度の高く揺れのない、アグレッシブで前のめりの表現が終始とられている。30年代には多かった艶めいた表現はなく、ソリスティックな突出が一切無いのがボイドニールらしい。曲が軽いのでそれだけだと空腹感が残り・・・○。

チェロ交響曲

○ロストロポーヴィチ(Vc)作曲家指揮モスクワ・フィル(放送)1964/3/12初演live

透明感のある陰鬱さが支配する曲で、プロコやショスタコを想起するものがあり、じじつショスタコを意識しているようである。大管弦楽を用いながら大部分は限られた楽器によるとつとつとしたアンサンブルで、スケール状の音をひたすら奏でるロストロポーヴィチは派手さはないがしっかり己の音で曲を弾ききる。気軽なスケルツォをはさむこともなく曲は進み、暗さに嫌気がさしてきた四楽章後半、明るい主題と響きが唐突に現れるがこれもブリテンらしい構成ではある。のんべんとした響きの奔流を鞭などが辛うじて引き締めて終盤に導く。ところどころイギリス近現代の作曲家であることを思い出させる洗練された表現がみられるものの、ロストロポーヴィチの名技を堪能するにはやや派手さのない曲ではあるが、ブリテン好きなら聞いて損はない。

ブリテン他:エリザベス朝の主題による変奏曲

○作曲家指揮南西ドイツ放送交響楽団(hanssler他)1956/12/1スタジオ・CD

エリザベス二世戴冠式記念にブリテンの呼びかけで複数の作曲家とともに作り上げたもの。ブリテン作品というにはいささか現代的すぎる曲もあり、擬古典とも言い切れない作品になっている。このブリテン指揮によるシリーズ録音中ではしかし皮肉なことに一番面白い。ブリテンの作風が職人的過ぎるのもあって、他の作曲家の手が入ることによって面白い曲、面白い演奏になったとも思った。○。ティペット、ウォルトンも参加している。

ピアノ協奏曲

○アブラム(P)ストコフスキ指揮NYP(DA:CD-R)1949/11/27

重厚長大、シニカルな旋律を織り交ぜた現代的なロマンチシズム溢れる曲。ブリテンの職人性が出た単純さゆえに(もともと単純さを個性に昇華させた人だけど)、明らかに影響を受けたと思われるプロコフィエフ(特にピアノ協奏曲第1番によく似ていて、三楽章の旋律や進行にも近似性が見出せる)の上澄みだけを掬ってフランス風の音響を副えたようなところは否めないが、同時代のウォルトンのシンフォニア・コンチェルタントの立ち位置に寧ろ似た、脇の甘い「英国風アレンジ」の協奏曲として楽しめるものではある。バルトーク晩年の3番にも若干似た響きを持っている。とにかく長い。平易だが長いので飽きるとおしまいである。だからストコくらい派手にぶっ放し、軍楽隊の行進を思わせる終楽章など楽天的過ぎるくらいやらかしてくれていれば問題ない。ソリストの打鍵は非常に確かで重すぎもせず、確かに難しくはなさそうなんだけど、音楽をしっかり牽引している。演奏的にはなかなか素晴らしくまとまっている。録音難あり。

左手ピアノと管弦楽のための主題と変奏

○ラップ(p)コンヴィチュニー指揮ベルリン放送交響楽団(MEMORIES)1951/10/21studio・CD

驚くほど音のよいステレオで板起こしぽい撚れが一箇所目立つほかは問題ない。ちょっと茫洋としているのも板起こしのせいだろう。線的で非構造的なブリテンの静謐な世界をどう描くのかといえば、ほとんど室内アンサンブル曲のように音の少ない曲であるだけにコンヴィチュニー的なものは感じられない。技術的に厳しく律している程度である。曲はシニカルだが感傷的な旋律でひたすら綴られていく、いかにもブリテン的な単純さを持ち味としており、諸所に美質はかんじられるがとくにすぐれた作品というよりはブリテン後期の典型に近くショスタコを平易にしたようなかんじ、といったところか。ブリテンが苦手なワタシはとても聞きやすかったのですが。○。


オーボエ四重奏のためのファンタジア

ガリミール四重奏団のメンバー、ゴムベルク(OB)(ONTREPOINT)1951/1


ブリテン最初期の曲だが清新なひびきは既にあらわれている。かっこいいリズムが耳を惹く。あまりオーボエと弦が絡まず、書法の生硬さを感じさせるが、オーボエ本来のメランコリックな要素が目立たず、極めて叙情的でいながら終始モダンで透明な風情が漂うのは面白いところだ。構成的にはあまりうまくない。演奏は精一杯やっているといったところか。オーボエが弱い気も。録音マイナス。


弦楽四重奏曲第1番

○ガリミール四重奏団(ONTREPOINT)1951/1

清澄なフラジオと低音ピチカートのアンサンブルから始まる機知に満ちた曲。楽章が進むにしたがって明快で調性的になっていき面白味も増す。独特の書法が駆使されているが、おおまかにはリズムもハーモニーもウォルトン的といえるだろう(註:カルテットについてはウォルトンのものはブリテンの1、2番より数年遅い、ここではピアノ四重奏などと比較して、ということで)。終楽章は機械的なテクニックが駆使されとても効果的な盛り上がりを見せる。ガリミールQは技巧的にはいささか激しいこの曲を激烈な集中力と金属的な発音で乗り切っているが(苦しいところも若干ある)、即物的な表現様式は曲にマッチしている。ラヴェルの作曲家
監修盤をはじめバルトークやミヨーなど一貫して(当時の)現代音楽を取り上げ続けたガリミールQのテンション高い音楽は独特の密度の濃さをかもし、好き嫌いはあるだろうが特異な存在であったことは確かである(ちなみに私は苦手)。この曲、主題はやや地味だが簡潔で面白い曲なので機会があればどうぞ。緩徐楽章の渋い叙情もなかなか。私の手元の盤は雑音が酷すぎるが元の音源はクリアそうだ。

○パガニーニ四重奏団(liberty)LP

同時代にはわりと受けた曲のようでスメタナQなんかも録音していたと思う。超高音メロディラインに低音のとつとつとしたピチカートといったブリテンらしい非構造的にして特有の清新静謐な主題から始まる1楽章(終楽章で回帰する)、しかし序奏部が終わり激しいリズムが刻まれだすと、おおむね東欧ふうのシニカルで現代的な表現が大衆的感覚によって聞きやすくされているといったかんじで、ブリテンならではとかイギリスならではといった部分は少ないように思う。諸所ショスタコをメロウにしたかのような曲想がみられるがここの相互的関係において、特に小規模な曲における共通した感覚・・・削ぎ落とされた抒情・・・が遡ってプロコの民族的な2番緩徐楽章にも共通するところがあり、同時代の色々な要素を吸収して完成されたブリテンという、私にとっては掴みどころの無い作曲家を象徴するようなかんじである。

この団体はオシゴト的な録音も残しているが、序奏部こそぶっきらぼうで乱雑なかんじがするものの、急峻な主部になるとがぜん本領を発揮。やわらかな音でいながら音程感が非常にしっかりしており音のキレもいちいち良い。3楽章あたりではチェロのソロが底から響く音ではないものの最盛期のロストロ先生を彷彿とさせる安定した音色と情緒のバランスが素晴らしい。大人のチェロだ。パガニーニが所持していたストラディヴァリウスだけを使用した団体として、テミヤンカ以外はメンバーチェンジはなはだしく表現もそれぞれで異なっているが、この演奏では楽器の「音響的には浅薄だけれどどこか音色に優しい独特の魅力のある」特性を活かしたところがいい。なかなか美しく聞けます。○。

弦楽四重奏曲第2番

○ゾーリアン四重奏団(HMV)作曲家監修・SP

晦渋のひとことの曲で、両端楽章の統一感に僅かに光明がさす程度。演奏は精度が取り立てて高いわけではないがロマン性の感じられる重さがあり、硬質の曲に僅かな起伏をあたえている。悪くは無いので○。

バリの音楽

○マクフィー、作曲家(P)(PEARL)1941

正確に言うと編曲者はマクフィーのほうで、原曲はバリ島の民族音楽そのものということらしいが、マクフィーというマイナーな名のもとに書くには余りに特徴的で面白い曲のため、ブリテンの名で書いておく。連弾だが音は非常に限られていて、オスティナートなリズムがひたすら奏でられる上に、ドビュッシーに啓示をあたえた所謂五音音階に基づく旋法的なメロディが乗っていくスタイル。ピアノ連弾というところがミソで、頭の中でバリの楽器にあてはめながら聴いてみるとまぎれもなくバリ音楽なのに、純粋にピアノ曲として聞くと、コンサートホールで奏でられるたぐいの楽曲、モンポウあたりのピアノ曲に聞こえてくる。その異化の手法が非常に洗練されているというべきか。ここに支配的なミニマルな趣は非常に新しい感じがするが、陶酔的なものすら感じさせる単純なリズムが何より印象的で、リズムに全面的に乗ったハーモニーも美しく気持ちがいい。5曲中にはどことなくバタ臭い曲もあるが、あからさまにケチャみたいなパッセージも織り交ざって飽きさせない。10分弱の小組曲だがぜひ聴いてみてください。単純なのに面白い、作風はぜんぜん違うがヴォーン・ウィリアムズのピアノ曲のような曲です。演奏は初曲がやや不揃いで、どちらかの演奏者があきらかにヨタっている。ので○にとどめておきます。1曲め:ペムングカー(影絵芝居への序曲)2曲め:レボン(影絵芝居より「愛の音楽」)3曲め:ガムバンガン(間奏曲)4曲め:ラグ・デレム(影絵芝居からの音楽)5曲め:タブ・テル(儀式音楽)。

序奏とブルレスク風ロンド(1940)

◎リヒテル、作曲家(P)(decca)1967/6/20live

曲想は親友ショスタコーヴィチの大規模な曲に似ているが、歌謡性に富み遥かに聞きやすいものである。全編を焦燥にも似た感情が支配しており、時折おとなう諦念が印象的で、浅薄な様子は無い。短い曲だけに、凝縮された才能の発露を感じさせる名作だ。自作自演はカーゾンとの若いセッションも残っているが、このライヴは二人の巨匠の手より滴り落ちた類希なる結晶として、永遠の価値をもつだろう。

○リヒテル、作曲家(P)(?)1967/6/20(1966/9/15?)live・CD

ブリテンのピアノ曲では著名なものだが、カーゾンとの録音にひけをとらない演奏になっている。

カーゾン、作曲家(P)(PEARL)1944/3

悲歌的マズルカ

カーゾン、作曲家(P)(PEARL)1944/3

OP.23-2。ちなみに有名な「序奏とロンド・ブルレスケ」OP.23-1も同じ組み合わせで録音されている(パール他)。だが曲的には23-1よりかなり落ちる。魅力的な旋律はあるにはあるが、マズルカという形態がそもそもブリテンの作風にあわない感じがした。渋すぎる。あまり印象的ではなかったので無印。

歌劇「ピーター・グライムズ」より四つの海の間奏曲

○シルヴェストリ指揮ボーンマス交響楽団(bbc,img)1966/11/26live・CD

アングロサクソンってこういう響きが好きだよなあ。いかにもブリテンらしいテイストの、わかりやすい音楽でそれほど描写的でもない。むしろ娯楽的な世俗音楽のテイストを感じる。どちらかといえば吹奏楽器に重きが置かれているが細かい音符を刻む弦楽器があってはじめてのいかにもイギリスといった音楽になる。即ちフランス印象派などとは違った「薄さ」と「即物性」がある。この演奏は輪郭がくっきりとしてわかりやすい。録音がやや弱いが一つ一つの声部が際立っている。四つの海の形象が抽象化された音楽の中で、いっそう抽象化を進めた純音楽的な指向が感じられる。リアルだ。○。

○マリナー指揮ストラスブール・フィル(DIRIGENT:CD-R)2010/5/27ストラスブールlive

ダイナミック。力強く、繊細さには欠けるようにも感じた。ブリテンの外面的な派手さが強調されたようだ。

連作歌曲集「イリュミナシオン」

○ダンコ(Sp)アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(CASCAVELLE)CD

ブリテンの代表作のひとつで女声向けに編まれたものだがよく男声でも歌われる。ランボーの詩文に拠り、(ブリテンにその影響が無いわけではないが)象徴主義の香りを好んだフランスの作曲家たちの作品に似た軽い響きに飄としたシニシズムを前面に押し出した曲と思いきや、重く中欧的で、ショスタコに近い。メロディのわかりやすさや職人的な無難な構造を除けば、意味内容的なところも含めて共通点を強く感じる。もっと壮大でロマンティックでマーラー的でもあるが、それらはむしろイギリス伝統の大規模歌唱曲にみられる要素を背景としたものであろう。シニカルなことは確かだがそれも自国ウォルトンよりショスタコに似ている。「出発」はマーラーの「告別」に似た余韻を残すが、あのような幻想的な希望ではなく暗黒の闇である。悲愴に端をはっした手法と思われる心臓の鼓動による終局は、横溢する英国人らしいシニカルな側面がもっと汎世界的なものへ昇華されたような、そして時代の不安を映したと言って恐らく正解であろうもやもやした感情を沸き立たせる。アンセルメはモノラル時代においてはわりと精力的な指揮を行い、これも積極的にアンサンブルを盛り立てて歌唱と拮抗させている。ドイツ的な力強さがあり、またオネゲルの楽曲のようにこの構造をとらえ、表現しているのだなとも思わせた。スイス・ロマンドならではという感じは余り無いが上手い。何とダンコが歌っているのだが、少し余裕があり過ぎ、表層的で単調。但しここは即物的な意味合いの強い詩文として、即物的に歌っているだけなのかもしれない。○。

連作歌曲集「ノクターン」

○ピアーズ(T)作曲家指揮イギリス室内管弦楽団(ica)1964/12/20live・DVD

最小限の楽器による硬質の抒情、歌い手のみがロマンティックなうたを歌い上げる。じつに息のあった演奏だが曲がひそやかすぎるというか夜の冷えた空気が感じられるというか、地味である。ブリテンの中では余り録音されるほうではないのもうなづける(実演はそれなりにある)。終わりである8曲めだけがそれまでの空疎な響きとは異なるベルクのような重い響きでクライマックスをつくり、アルマ・マーラーへの献呈作品であることを思い出させる。ブリテンファンならどうぞ。
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ボリス・チャイコフスキー:主題と8つの変奏

2014年03月13日 | ロシア・ソヴィエト
リュビモフ(P)コンドラシン指揮モスクワ・フィル(放送)1974live

ピアノがちっとも聴こえない。多様式主義と言うのか、部分によって好き嫌いがハッキリ出てくる。録音が篭もり気味のモノラルで本来の透明感も伝わらない。うーん。
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ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

2014年03月13日 | 北欧・東欧
○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(放送)1974live

どうにも荒い演奏なのだが、両端楽章次いで3楽章の猪突猛進ぶりはまったくコンドラシンそのもの。凶悪なテンポに荒れ狂うリズム(乱れてるわけではなく雰囲気的な話)、合奏の迫力があればソロ楽器がちっとも吹けてなくても気にしないのだ。緩急をはっきりつけた演奏ぶりは、ちょっと似ているスタイルのミュンシュともまた違ったもので、後年の演奏よりも個性がはっきり表れている。私は好きです。○。モノラルで篭もり気味。
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ブリテン:序奏とブルレスク風ロンド

2014年03月12日 | イギリス
○リヒテル、作曲家(P)(decca?)1967/6/20(1966/9/15?)live・CD

ブリテンのピアノ曲では著名なものだが、カーゾンとの録音にひけをとらない演奏になっている。
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ドビュッシー:白と黒で

2014年03月12日 | ドビュッシー
○リヒテル、ブリテン(P)(decca)1967/6/20(1966/9/15?)live・CD

幾多の共演機会のうちでも唯一のドビュッシー。リヒテルに引けを取らず完全に融合した演奏ぶりを見せるブリテンがすばらしい。
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ジョリヴェ(2014年2月までのまとめ)

2014年03月10日 | Weblog
交響曲第1番
○ツィピーヌ指揮ORTF(INEDITS)LP

うう、ジョリヴェだ・・・この半音を行き来する極端に少ない音からなる旋律線のエキゾチシズム、オネゲルのにおいを残しながらも明らかにメシアンと共に歩んだ形跡のみられる独特の音響、何よりバーバリズム!ストラヴィンスキーの子であることには間違いないが、そこにアフリカ植民地の香りを持ち込んだのがいい意味でも悪い意味でもジョリヴェの持ち味となった。抒情性漂う若干のロマンチシズムも聞きもので、メシアンの硬派にくらべ落ちて見られるゆえんでもあるが、比較的浅いマニア受けするゆえんでもあり、とにかく打楽器奏者のみならず楽しめるリズム系交響曲でも、ゲンダイオンガク大好きコンテンポラリー系交響曲でも、伝統的な長さと形式をもった「正統な交響曲」でもある。たぶん私は1番がいちばん好きだな。驚くほど明晰なステレオ。比較対象がないので○。ライヴかもしれない。

○作曲家指揮ベロミュンスター管弦楽団(LYRINX,INA)1963/9/7live

冒頭のバスドラの打撃からいきなりもうウォルトン円熟期の世界である。ご丁寧に高音楽器のトリッキーな装飾音までウォルトンの2番シンフォニーを彷彿とさせるものである。音要素は確かにフランスの伝統+エキゾチシズムを思いっきり取り入れていて、構造的な要素は完全にオネゲル、音響やポリリズム要素的にはバーバリズム時代のストラヴィンスキー、そういった両端楽章を持ったけっこう取り付きやすい感じになっているが、起承転結がはっきりせずどこか散漫でブヨブヨしているというか、ジョリヴェがメシアンと違うところで、やっぱりどこか脇が甘い。でもそういう言い方でいくとウォルトンなんか脇から腐臭が漂うとか書かなければならなくなるので、同時代同国内の相対的かつ理知的な評価ではなく、あくまで素直に聞けるかどうかで判断すべし。2楽章のドビュッシーと新ウィーン楽派が融合したような静謐で禁欲的なのにエロティックな世界は非常に効果的で私は好きである。ジョリヴェは後の作品になるともっと削ぎ落とされそのぶんパーカスが増強されておおいに客席からのブーイングを買うようになるが、世界観は余り変わらない。エキゾチシズムとともにアフリカンなリズム要素が一層強められるものの、メシアンのような計算しつくされ厳選された音響やラインを芯に持たないせいか、相変わらずオネゲル的な旧来の協奏型式に拘るせいか、こじんまりした感じがありアピール度は低い。構造的かと思いきや弦楽器なんて殆どユニゾンで刻んでいたりして、アイヴズぽいと一瞬感じるのはそういう弦楽器に冷淡な書法ゆえだろう(メシアンも同じようにユニゾンが多いが芯がまったく異なる)。2番とほぼ同じような音響世界の上に展開される有名な「赤道協奏曲」が今や殆ど忘れられているのは何もイデオロギー的な音楽外要素での時代の趨勢だけではない。音響要素の追求ゆえ拡散的な方向に向かったメシアンに対して、リズム要素の強化により凝縮の方向に行くべきジョリヴェが何故か拡散しようとしたのが交響曲という型式であり、1番は前時代同時代の交響曲を意識した型式のわりとはっきりした聞きやすいものだが(独特のスケルツォへの解釈を表現した3楽章も特筆ものである)、ここが限界のようにも思った。2番がジョリヴェらしさが一番出ているとすれば3番は前衛を意識しすぎ、1番は過去から脱出できていないというか。1番のエキゾチシズムは伝統の意識という意味ではルーセル的でもある。2番で完全にジョリヴェになる。ジョリヴェの指揮は達者だったが(でないとこういうリズムや音響構造は処理できないだろう)この演奏も過不足なく、オケが意外とよくついていっているのが聴きもの。モノラルで悪くない録音。○。

交響曲第2番
○作曲家指揮ORTF(LYRINX,INA)1960live

これもモノラルだが、ブーイングが響く拍手までえんえんと「赤道協奏曲」の世界である。1番よりも拡散的で、パーカスが大幅に増強されてもう、アフリカかジャマイカかといった耳の痛くなる音楽がわりと前衛的なメシアンチックな「真面目な音楽」と同時進行する。余りアタマに残らない音楽だと思うが、ジョリヴェマニアなら1番よりこちらが好きだろう。オネゲル的な部分はかなりなくなっている。ジョリヴェは1番にくらべ更にめんどくさくなったこのスコアをさすが作曲家、ORTFの限界まで表現させている。冒頭のランドウスキなんかに似たこちょこちょした木管高音の蠢きはさすがに壊れかけてやばい感じがするものの、その後は複雑なリズム処理がしっかりしているせいか聞きにくくなることはなく、欧州の人間がアフリカに抱く幻想怪奇の世界をよく反映したものになっている。稀有壮大な感じも出ていてこのモノラル録音があればとりあえずコトは足りる。○。

弦楽のためのアンダンテ
ブール指揮シャンゼリゼ歌劇場管弦楽団(EMI)CD

前半はひたすら分厚い不協和な和声のうねりで非常に聞き辛い。無調やセリー慣れした人のほうが聞くに堪えないと思う。非構造的なジョリヴェの書法はどんどんドツボにハマっていくようで、はっきり言って弦楽合奏でやる意味すらわからない、室内楽で十分だ。無駄な規模の拡大はジョリヴェの持ち味とも言えるけれども。中盤より音が整理され音域が上がっていくと、おそらく狙いどおりに清新な響きが支配するようになり、依然非構造的ではあるが動きも若干出てきてあざといくらいに美が発揮されるようになる、だがこれもブールの腕により「聞ける音楽」に仕立てられているだけなのかもしれない。本来の意図は無秩序な音の押し付けがましい暑苦しさか、ウェーベルンはおろかベルクすら舌を巻くような鬱進行に、演奏以前に無印。

素敵な恋人たち
○セル指揮クリーヴランド管弦楽団(DA:CD-R)1962/11/18live

擬古典的な作品で恐らくリュリの歌劇「はでな恋人たち」からの抜粋編曲だと思われる。基本的には古典派の流儀に忠実で、ただ楽器の重ね方が過剰でジョリヴェなりの新鮮さを感じさせるところが僅かに織り交ざる。セルはセルと聴きまごうほど力強く前のめりの演奏を仕掛けている。ジョリヴェ・マジックだろうか。最初ミュンシュかと思った。しかし曲が曲なので、それ以上の感情はとくに沸き立たされなかった。○。

5つの儀式の踊り
○ブリュック指揮ORTF(FRENCH BROADCASTING SYSTEM)LIVE・LP

非常に盛大な拍手で終わるライブ記録だが曲はきわめて世俗的なイメージに沿った異教徒の儀式ふうのソレとなっている。つまりハルサイだ。ドビュッシーやオネゲルやかつて肩を並べたメシアンのやり方を取り入れているふうの部分もありキャッチーで、かつ演奏効果は高い。けして素人書きの作品ではない。演奏はやや鄙びており木管も一部たどたどしいがライブならではか。ブリュックらしく力のある表現で面白いが新しい音できくべき曲だろう。モノラル。○。

打楽器と管弦楽のための協奏曲
○グッフト(Pr)ブリュック指揮ORTF(FRENCH BROADCASTING SYSTEM)LP

ヴァレーズの弟子ジョリヴェらしい打楽器主義の曲で、ソリストはえらく忙しいだろうと思わせる。各楽章にメインとなる打楽器が設定されており、個人的には3楽章のビブラフォンが鳴り響くちょっと電子的な匂いも漂わせる世界観に惹かれたが、両端楽章のドラムセットの叩きっぷりでセンスのあるなしがわかると言ってもいい。異教的な平易な楽想はそこそここの曲の知名度を裏付けるものとなっている。のだめよく知らない。ブリュックは肉感的だ。グッフトもスタジオ録音と思われる中でライヴ感あふれるリズムを弾ませている。盤面が非常に悪いので、ちょっとわかりにくいところもあるのだが、○。

○ドロウワ(Pr)作曲家指揮ORTF(FRENCH BROADCASTING SYSTEM)LP

ブリュックのものに比べて響きが透明で正確な感はあるが魅力は減退している。ソリストにやや生硬で萎縮したものを感じる。とはいえ、曲が曲だけに異教の祝祭的なドカンドカンを大つかみでやってくれる、そこは魅力的。○。CD化していたと思ったのだが。

ピアノと管弦楽のための協奏曲(赤道協奏曲)1940ー50
○アントルモン(P)作曲家指揮パリ音楽院管弦楽団(CBS/tower)CD

どんどこどんどこ始まる1楽章からやや前時代的なバーバリズムが展開。初演当時センセーションを巻き起こしたジョリヴェ畢生の大作。フランスという国は音楽にイデオロギー的な要素を絡めて評価する癖があるようで、この曲も植民地問題に関連していると見られたのが騒動の一因であった。ジョリヴェの特徴ではあるが常に叙情性が漂い、繊細で美しい場面も数多くある(2楽章)。スクリアビン後期管弦楽作品の隔世的影響を強く感じるのは何もこの曲に限ったことではないが、ヴァレーズ譲りの打楽器要素がやはり何といっても楽しい。3楽章のジャズも微笑ましく感じる。若きフランス仲間メシアンとは豊かな(濃い)色彩性や複雑?なリズム要素に近似点を感じるものの、もっと無邪気で筋肉質な娯楽性がここにはある。ここのアントルモンは巧い。ジョリヴェの棒も申し分なくオケも言わずもがなである。このレコードでとりあえず事は足りる。,

デカーヴ(P)ブール指揮
◎シャンゼリゼ劇場管弦楽団(EMI/PATHE/DUCRET-THOMSON)CD
○ストラスブール放送交響楽団(SOLSTICE)1968/1/22LIVE・CD

デカーヴは最近ラヴェルの三重奏のエラート録音がCD復刻された。戦中戦後フランス・ピアニズムの大御所である。ジョリヴェとは家族ぐるみのつきあいがあり、この有名な協奏曲もデカーヴとジョリヴェ自身により初演された。後者ライヴの終演後にブーイングが聞かれるが、まさに初演時も演奏会場を二分するブーイングとブラヴォーの嵐が巻き起こったそうである。これは政治的理由によるところが大きく、作曲家も嫌気がさしたのか後日「赤道」の文字を取り除いている。純粋に楽曲だけを聞けばこれは楽しくまた充実したラテンもしくはアフロとのミキシング・ミュージックである。書法的にはシマノフスキの交響的協奏曲あたりに近い感じがする。否この音線はむしろスクリアビンか。ブールの冷徹な棒は熱気ムンムンの楽曲に硬質のフォルムをあたえとても入り易い演奏にまとめあげている。とくに前者にその傾向は大きい(もっともモノラル録音だからまとまりよく聞こえるのかもしれないけれど)。前者では各種打楽器のさまざまなリズムはきちんと整理されていて、楽曲の拡散肥大傾向を極力抑えている。どちらが好きかは人によるかもしれないが、ピアノ協奏曲としてのまとまりを重視するならば前者がお勧めである。後者は限りなくモノラルに近いステレオ録音である。ようはマイクが客席後方にあり、舞台が遠く立体感のある音が捉えられない状況にあったということだ。これでは擬似ステレオと変わらない、と思うがスタジオ盤とは異なる演奏模様が聞けるのは魅力的である。ここではやはりブールだけにグズグズな演奏にはならないものの、アントルモンとの自作自演盤に近い白熱した響きのぶつかりあいが魅力的で、響きが一点に凝縮され蒼白い輝きをはなつスタジオ盤にはない破天荒さというか、ヴァレーズ的な騒々しさが楽しい。まあ、けっこうボリュームの有る曲なだけに、いいかげんイヤになる可能性はあるが。大部分無旋律であっても十分聴くに耐えうる抒情性をはらんだ楽曲、白眉は2楽章中間部(後者で3分弱のところ)の極めて美しい旋律。ホルストを思わせるきらきらした夜空のような音楽はヴィラ・ロボスのように生暖かくはなく、清潔で透明な感傷をあたえる。びっくりするほど抒情的なので、注意して聞いていただきたい。たんなる「打楽器音楽」でないことがわかります。個人的に前者◎としておく。名演。,

オンド・マルトゥノ協奏曲(1947)
ジネット・マルトゥノ(OM)作曲家指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(ADES)1955

ロリオ(OM)作曲家指揮
~異教の寺院に流れるのは麻薬の香りとオンド・マルトノ。ジョリヴェの神秘主義が結構露骨に現れている。ややわかりにくい要素もあり、静かな場面でのマルトノの響きには心響くところはあるものの、全体的には余り面白くないかも…マルトノの用法としてはありがち、かもしれない。,

フルート協奏曲
○ランパル(fl)リステンパルト指揮ザールブリュッケン室内放送交響楽団(HORIZONS、AJPR)1954/6,66/3・CD

曲はちょっと聴き平明(旋律が美しい)だが何度も聴くとノイズ的に絡んでくるバックオケの存在を無視できず、ああ、「赤道」の人なんだなあ、という感触を受ける。フルートというソプラノ楽器を使うわりには地味なところも否定できず、もうちょっと旋律を引き立たせるオケを書けばよかったのに、とも思うがジョリヴェの否定になってしまうのでそこはそれ。ランパルだからこその「どんな曲も吹いてみせるわ」の意気が若さとあいまって「この曲くらいなら特に何もしないわ」というそつのなさをみせている。

クリスマス牧歌(1943)
◎ラスキーヌ(HRP)カスターナー(FL)ファイサンダー(BASSON)作曲家監修(ADES)1957

~モノラルだが同曲を語るに欠かせない古典的名演。,

○フィラデルフィア木管五重奏団のメンバー、マリリン・コステロ(HRP)(BOSTON RECORDS/COLUMBIA)1963/10/16

落ち着いたテンポで明快なアンサンブルを聞かせるフィラデルフィア木管五重奏団のメンバーによるジョリヴェの佳品。ハープ伴奏にフルートとファゴットの旋律線が乗る。あきらかにドビュッシーの系譜に連なるハープ・アンサンブルだが、エキゾチシズムがより強く感じられ寧ろルーセルに近いものを感じる。戦火に包まれた1943年のクリスマス・イヴに初演された作品であるが、驚くほど繊細で素直な曲想に嘆息させられる。音楽への人間性の回復を叫んだこの作曲家が行き着いた境地を知らしめるものだ。美しく、しかしどこか孤独な旋律に込められた静謐な祈りの気持ちが痛いほど伝わってくる。この演奏はいくぶん隈取りが濃く、静謐さがやや損なわれているきらいがあるが、背景を見ずに純音楽的に解釈したものとして客観的に聴くことができる。1楽章:星、2楽章:東方の三博士、3楽章:聖母とみどり児、4楽章:羊飼いたちの入場とダンス。8年前の朋友メシアンによるオルガン曲「主の降誕」と比較したくなるがおよそ違う風体である。もちろんこちらのほうがわかりやすい。表題はあまり重要ではないかもしれない。インスピレーションを与えた元のもの程度に考えておいた方が理解しやすいだろう。楽章間の雰囲気はさほど変化せず統一されている。これは目下一番手に入り易いCDか。例のプーランクとの六重奏ほかを収録。(2003記),

リノスの歌
○リノス・ハープ五重奏団(X5 Music Group)2009・CD

これぞジョリヴェ!という呪術的な曲。古代ギリシャの哀歌(のイメージ)から着想したふうに書いているが、旋法の影響関係はともかく、一般的に抱かれるアルカイックなイメージの雰囲気は無い。静けさとやかましさの交錯はむしろ「呪い」であり、けして日よってはいない。演奏は達者で緊密。○。

典礼組曲
◎ラスキーヌ(HRP)ジラドゥ(T)カシアー(OB)ブリザード(VC)・作曲家監修(VEGA)LP

これはハープの響きが支配的な演奏で、「クリスマス牧歌」を彷彿とさせる。じっさいあそこまではわかりやすくないものの、かなり耳馴染みの良い保守的な作品である。聴き易いとはいえ土俗的なリズムやエキゾチックな旋律線にはジョリヴェ独特の原始主義がはっきり感じられるし、前奏から終曲までの計8曲はなかなかに変化に富んでいる。所々まばゆい響きはメシアンに割合と近いものを感じる。「若きフランス」の二人は作風は対照的なまでに異なるものの、どこかでやっぱり繋がっている。ただセリー的ではなく、どちらかといえば無調(それもドビュッシーの晩年のソナタに近いかなり調性的なところのある)風で、透明感を維持しつつも半音階的なところが古さを感じさせなくも無い。テノールとハープ、オーボエにチェロの変則的な四重奏編成になっているが、テノールが登場するまで長い間器楽三重奏状態が続くのも面白い。このあたりなどまさに「クリスマス牧歌」の姉妹作といった風情だ。但しこちらのほうが確か早い作品と思った(ライナーがフランス語で読めない(泣))。テノールも台詞少なで最後はアレルヤを連呼するのみ(讃美歌なのであたりまえだが)。それにしてもラスキーヌは骨太でアンサンブルをぐいぐい引っ張っていっている。ラスキーヌがいるだけで引き締まった演奏に聞こえるのはワタシだけだろうか。チェロのピチカートも効果的に使用されているが、ラスキーヌの強靭な音に拮抗しているのは見事。保守的なジョリヴェが好きなワタシは演奏・曲共に気に入りました。◎。,

ピアノ・ソナタ第1番
○ワイエンベルク(EMI他)CD

赤道みたいなアマルガムな野蛮主義を洗練させたような難曲で、スクリアビンからジャズやらショスタコやら何でもかんでもつぎこんで呪術的世界を紡ぎ上げるも、しっかり構成され聴きやすい。和声的にはフランスな上品さを保っているし、ストラヴィンスキーみたいに隅々まで緻密に組み上げることなく構造的に簡素であるせいだろう。ワイエンベルクは献呈者だったか委属者だったか、バリ弾き高機能なそのピアニズムを、案外おとなしく投入している。とてもややこしいリズム音形と不協和音が駆使され、ワイエンベルクくらいでないとちゃんと弾いていても指がもつれたドヘタ演奏にきこえてしまうだろう曲だが、裏返せばワイエンベルクとてギリギリがんばっている次第で表現を烈しくする余裕がないのかもしれない。最近の老いたスタイルに近い。音の透明感は素晴らしい。爽やかな幻想味がいい。録音もよい。起伏がもっと露骨に欲しい気はしたので○にとどめる。

ピアノ・ソナタ第2番
○ワイエンベルク(P)(EMI他)CD

作曲家監修による録音のひとつだが、ワイエンベルクの繊細なわざをもって美しく響く。洗練されたバーバリズム、抽象化された呪術は毟ろ抒情性を帯び、現代美術展のBGMにはうってつけの微温的な雰囲気をかもす。高級服飾店の前時代的に幾何学化された前衛装飾、確かにヒヨッタ曲ではあるが、隙のない、1番より単純化したがゆえ陳腐さに堕する危険をクリアしたわざはこの作曲家の依然才気をかんじる。ワイエンベルクに依るところも大きいか。○。

マナ~三曲
○ユーディナ(P)(BRILLIANT)1964/8/24・CD

MELODIYAに四曲抜粋のライブ録音があるが別物だろう。モノラルながら明瞭で、力強い演奏を楽しめる。ジョリヴェらしい呪術的というか一種マンネリズムがメシアンと歩調を合わせた作曲家としてその時代に存在したことを改めて認識させるわかりやすさ。スクリアビンとメシアンの間。しかし六曲全曲聴きたかった。

平和の日のためのミサ(1940)
○シルヴィ(SP)グリューネンヴァルド(ORG)ジャッキラ(TMB)・作曲家監修(VEGA)LP

バーバリズムの作曲家が室内楽を書くと、やたら変則的なリズムを使ったり器楽を打楽器のように扱ったりして面白い。ジョリヴェはちゃんと「わきまえて」いるから、たんなる珍曲にはなっていなくて、叙情性を醸し出す余地があるのがよい。まるでイギリス近代の宗教音楽(RVWとか)のような剥き出しのソプラノが、異界的な旋律にアレルヤを載せてひたすら歌い上げる場面から始まり、二曲めキリエではじめて密やかにオルガンが鳴り出す。この演奏は繊細なデリカシーをもって注意深く挿入しているところが粋だ。単音的なオルガンは単純な響きで神秘を表現する。しばらくはこの二つの声部がただ線的に絡み合う原初的な宗教音楽が続けられる。カソリックの厳粛なミサを思い出させられる。オルガンはわずかずつ音を重ねはじめる。ソプラノの声がケレン味無く伸びが有り曲の雰囲気に非常にあっている。そして音楽は不思議な局面を迎える。タンバリン(というかボンゴみたいなものだと思う)が鳴り出すのだ。まるで闇の虚空からひびきわたるかのように。オルガンが消え、太鼓の・・・これを聴いていてなぜか日本海の荒波をバックに褌ねじり鉢巻き姿の屈強な男が、荒々しく祭太鼓を叩いている姿が思い浮かんでしまった・・・素朴だが力強いひびきに煽られるかのように、「春の祭典」で踊り狂う生け贄の女の如くソプラノが歌唱(無歌詞)を続ける。ちょっとシュールだが聴きなれるとこれがなかなか独特の洗練された(純化された)バーバリズムを感じさせ秀逸である。ソプラノはずっと歌いっぱなしだが、そのオスティナートな歌唱が逆にバックのオルガンや太鼓をかわるがわる載せて音楽を運ぶ役目を果たしている。まあ奏者的にはいずれもそれほど個性的ではないので、ヴェガのモノラル録音の悪さをマイナスして○ひとつ。ヴェガのLPは一時期非常に高騰していたが、今はどうなのだろう。フランス往年の名レーベルだ。ただ、ステレオ化が遅く(というかしてない?)他のレーベルからステレオで出し直しになったものも多いので注意だ。
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スクリアビン:交響曲第3番「神聖な詩」

2014年03月08日 | スクリアビン
ロジンスキ指揮NBC交響楽団(sls:CD-R)1939/1/1live

DANTE盤が前日の録音とされており、一楽章などかなり似通っているのだが、後半録音時間に違いが生じており、別録の可能性が高い。SLSは初出表示はしていない。ノイズが破滅的に吹き荒れる復刻状態で音量すら一定に保たれないため、慣れたすれっからしにすらとても勧められないが、ロジンスキの即物的な解釈はスクリャービンの過剰なロマンチシズムを雄渾なドラマに仕立て上げ、それなりに聞かせるものとなっている。オケがいい。
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バックス(2014年2月までのまとめ)

2014年03月07日 | Weblog
交響曲第2番

○リットン指揮ロイヤル・フィル(放送)2011/8/16プロムスlive

後期RVWを思わせるモダンなひびきと抒情性を兼ね備えた曲で三楽章制の立派な作品。演奏がなかなか素晴らしく、リットンを久々に聴いたがロイヤル・フィルの明るくやわらかい特質によって曲の陰りを抑え聴きやすくしている。なかなか。プロムス特有のブラボー。

交響詩「ティンタジェルの城」

○マリナー指揮ミネソタ管弦楽団(MO)1985/9/27live・CD

雄弁な調子のリヒャルト的作品だがマリナーはこういう曲だとまた室内楽団相手とは違ったスケールの大きな演奏を行う。ただ威容を誇るだけではなく、しなやかな表現にたけ、なめらかでごつごつしないところがイギリスの楽曲にはあっている。少し古風でエルガー的なところもある曲だが、ロマンチシズムが決して臭くならずすがすがしく響く、アメリカオケ相手でも表現にいささかの変化もない。とても美しくしっかりした演奏。

○エルダー指揮ハレ合唱団(ho)2005/11/3・CD

アーサー王伝説で観光化されたティンタジェル城を極めて描写的に、また「即物的に」描いた代表作である。個人的印象ではこの個性的とは言い難い、ケルト旋律とワグナーを「アーサー王と関係するということで」直接的に引用し、前時代的なロマンティックさを固持しすぎており、ダイナミックな音表現も波濤や崖の視覚的印象そのまんま、といったところでバックスが交響曲でやったような晦渋で特徴的な表現はここにはない。この演奏は透明感は余りなく、最初は往年のハレ管を思わせるドガジャンとした響きで一流ではないオケとの印象をあたえるが、構造は見えやすく楽曲理解はしやすいと思う。エルダーはまずまずといったところか。○。

~フィナーレ

○ストコフスキ指揮BBC交響楽団(SCC)1954/5/7・DVD

ダイナミックな抜粋演奏で、最初と最後だけ指揮姿が映るがあとはティンタジェル城や海辺の風景。レクチャーコンサートの形式をとった白黒テレビ番組の録画である。既に老けている顔のストコフスキーだがカラヤンをすら思わせるカッコのいい指揮姿、映像状態は悪いが音は酷いという程ではなく映像があれば聴けるレベル。フィナーレだけとはいえ曲の要は押さえた演奏なので、十分楽しめる。オケもいいのだろう。○。

交響詩「ファンドの庭」

○ビーチャム指揮RPO(SOMM)1949/3/30BBCスタジオ・CD

ディーリアスの夜明け前の歌などを彷彿とさせる交響詩だが、より規模が大きくワグナー的なブラスがディーリアスとはかなり違う。和声の繊細さについてはむしろドビュッシーの方かもしれない。バックスの代表作である。これは放送用録音のようだが音が悪く、雰囲気を損ねる、ないし変えてしまっている。ビーチャムの力強い推進力はRPOの持ち味である透明感を損なうほど。演奏はこなれておりその点では心配無い。

オーボエと弦楽のための五重奏曲

○L.グーセンス(ob)インターナショナル四重奏団(NGS/oboe classics)CD

グーセンスの依属作品でオーボエ協奏曲的な側面が強い。冒頭のオーボエソロのオリエンタリズムにはびっくりするがその後フランスっぽい雰囲気も併せ持つ民謡風メロディの親しみやすさとディーリアスを思わせる妖しげなハーモニー進行にはイギリスの近代音楽特有のものが現れていて面白く聴ける。RVWなどに比べて複雑なバックスなりの書法の新鮮味があり、弦楽の扱いが若干下支えのハーモニーに徹するような部分も多く見られるものの、アンサンブルとしての面白さは諸所にある。グーセンスは軽やかに上手い。ラヴェルの録音でも知られるインターナショナル弦楽四重奏団もそつなくこなしている。NGSのSP録音でも優秀な演奏記録だろう。○。

弦楽四重奏曲第1番

○マリー・ウィルソン四重奏団(NGS)1930/4/15-16・SP

この時期の録音特有の奏者のぎごちなさ窮屈さはあるものの、曲紹介には十分な演奏ではある。バックスは技巧的な表現を駆使することがままあるが、この曲でもファーストは酷使というか名技性を発揮させられる。何せ1楽章なんて殆どボロディン2番とチャイコのカルテットを混ぜて英国民謡で換骨奪胎したような曲だし、スケルツォなんて殆どドヴォルザークのアメリカなので(強いて言えば全曲そうなのだが)ファースト偏重傾向や構造的な限界を感じさせる。とはいえバックスの特徴はそこにウォーロックや(当たり前だけど)アイアランド前期のような前衛的な要素をスパイス程度に絡めてくるところで、この作品ではまだまだドビュッシーからしか「採集」できていないような感もあるが、東欧からロシアの国民楽派室内楽が中欧の影響を払拭しきれず鈍重さや野暮ったさから脱却できなかったのと比べては、軽く美しい印象をのこし、前進することに成功しているように思える。RVWのように露骨にフランス罹るのでもなくディーリアスのようにハーモニー頼りのややバランスの悪い民謡室内楽に仕上げるでもなく、特有のものの萌芽を感じ取ることができる。演奏の無難さと録音状態から無印でもいいんだけど○。

ヴィオラ・ソナタ

○ターティス(Va)作曲家(P)(pearl他)1929/5/27プライヴェート録音・CD

pearl GEMMがLP時代に発掘したテストプレスのSP音源で、これが唯一のターティスの同曲録音である。緩急緩の三楽章に明確に性格分けされ、バックスらしい晦渋さと暗い夢が交錯し、総じては「怒れる曲」のように聴こえてくる。ヴィオラという楽器の特性を活かした書法、それを自在に演ずるターティスの腕は、テストプレスで終わってしまったのが不思議なくらい完成度が高い(バックスのピアノは曲に沿ったような感じ、でも下手ではない)。プリムローズと比べればミス(か指のすさび)が僅かにある点落ちるかもしれないが、楽曲の激しい魅力を伝える力は上かもしれない。ヴァイオリン的なプリムローズの音にくらべてまさにヴィオラの深い音色、とくに低音域は美しい。○。

○プリムローズ(Va)コーエン(P)(DOREMI)1937・CD

都会的な趣をもつピアノと民謡調のしらべをかなでるヴィオラのハーモニーが印象的な、イギリスの作曲家アーノルド・バックスの佳作のひとつ。バックスには珍しく難しいパッセージも晦渋な雰囲気もなく、ここでは二人の名手によっていくぶん感傷的な音世界が繰り広げられている。ヴォーン・ウィリアムズと比較される事があるが、どちらかというとウォルトンの室内楽作品を感じさせるような所もあるし、旋律構造やピアノ伴奏にはドビュッシーからの顕著な影響がみられる。強烈な個性は余り感じないが、連綿とうたわれる旋律やちょっと特殊な伴奏音形には魅力があり(傾倒していたアイルランド音楽が引用されているらしい)、ロマンティックな中にも近代的な作曲手法が施されたバックスならではの世界を堪能できる。27分弱というかなりの大作であるが、全般にゆっくりとした箇所が目立ち、「アレグロ」とされる部分でもさほどスピーディではない。名技性より音楽性を重視した曲作りは結果としてかなり聴き易い音楽を産み出しており、この点バックスの曲にしてはわかりやすいという印象を与える。バックス入門盤としては適切であろう。コーエンは洗練された手さばきで「イギリスの印象主義音楽」をそつなくかなでている。プリムローズにかんしてはもはや何も言うことはあるまい。少々ヴァイオリン的な明るい響きが快く耳朶を震わす。テクニックの必要な曲ではないが、それでもこれだけ印象的な音楽をかなでられるというのは20世紀のヴィオリストを代表する巨匠にして可能となったものであろう。感傷的な雰囲気が何ともいえない、この曲を聴くには最適のソリストだ。名演。 ,

幻想ソナタ

○ジェレミー(Va)コルチンスカ(Hrp)(NGS他)1928晩夏

これもネット配信が始まっているが、ヴィオラ集の一部としてCD化されたことがあるようだ。非常に美しい曲ではあるが、前半2楽章はどうしてもドビュッシーのトリオソナタの影響を払拭しきれない。旋律に民謡を取り入れたりRVWふうの単純な音形やイベールふうの感傷的な表現によって、ドビュッシーの神秘的な世界から世俗的な脱却をなそうとしているようには感じるものの、いかんせんそのまんまな音ばかり使われては・・・といったところ。だから逆にドビュッシーの同曲が好きな向きはとても楽しめよう。後半は世俗性が増し民謡的な部分やロマンティックな重さも含めバックスらしさが(それが良いとも言えないが)出てくる。しかしこの曲にもまして印象的なのはハープ!SPならではの硝子のような響きがその原音に迫っているかのよう。深く透明な音で、ヴァイオリンのニスのような渋茶を奥底に覗かせながら、フランス派とは少々違った古雅な趣を醸している。楽器自体違うのかもしれない。古い音だ。ヴィオリストはヴァイオリンと聴きまごう音だがこれはこれでよい。◎にしたかったが録音状態が悪いので○。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第9番

2014年03月06日 | ショスタコーヴィチ
○バーンスタイン指揮NYP(sony)1965・CD

スピードはあるが響きはズシンとくる一楽章。バンスタならではの魅力的な歌い回しであるとか、二楽章に入っても活きている。旋律の取り出し方が上手い。プレストはリズムはキレているがテンポ的には前のめりにならず比較的落ち着いている。ラールゴから復活のアレグレット、いくぶん暗さを引きずりながら強制的に盛り上がっていく。奇怪な引用旋律の変容、あとは駆け抜けるだけ。NYPの弦はやはり上手い。
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ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

2014年03月06日 | ラヴェル
○コンドラシン指揮モスクワ・フィル他(放送)1969/2/26live

武骨でブラスがあけすけなのはロシアオケだから仕方ないか。リズムのキレ、推進力の強さはさすがのものだが、弱音部の繊細で抑制的な表現にも聞かせどころがある。オケはライブらしいミスも頻発するが合唱は凄くいい。あとは弦楽による「朝」の歌わせ方が独特で耳を引いた。扇情的な盛り上げ方だ。
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バルトーク:弦楽、打楽器とチェレスタのための音楽

2014年03月06日 | 北欧・東欧
○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(放送)1969/2/26live

どうにも荒いのだが力感と推進力はさすがコンドラシン。録音のせいでよれる部分があるのは惜しい。この曲はコンドラシンにあっている。
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