20世紀ウラ・クラシック!<最新版>

このページは、19世紀末から20世紀の末流ロマン派クラシック音楽に焦点を当て、同時代の録音評を中心に紹介しています。

プロコフィエフ:歌劇「賭博者」組曲~Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅴ

2018年10月14日 | プロコフィエフ
ミュンシュ指揮ORTF(SLS)1946/11/14シャンゼリゼ劇場live

プロコフィエフ意気軒高たる時期「形式の打破」を体現する一曲として現れたオペラである。しかし平易できわめて描写的で、ほの暗くもカラフルな音の縦横に詰め込まれた作品は人好きするものだ。さらに組曲版全5曲となればフランスでも演奏され・・・さすがにディアギレフに扱うのは無理だったろうが・・・スタイルによっては「アラとロリー」をやるよりもフランス的な軽々しいものになりうる。ミュンシュはいきなり咆える。つまりロシア式と言えそうな野獣のような迫力で「これはボストン???」という錯覚を覚えそうになる。その迫力がいっそう諧謔味を引き立て、悪い録音ではあるが、4曲の抜粋ではあるが、この曲の野心的なさまをダイジェストで味わわせてくれる。終曲はまるでマーラーかショスタコかという分厚さがうれしい。筋肉質で弛緩を許さない。それでも鄙びてしまうところはあるが、拍手カットが惜しいほど。ミュンシュがプロコをあまりやらなかったのは惜しい。
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プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2018年07月15日 | プロコフィエフ
D.オイストラフ(Vn)メータ指揮ロス・フィル(SLS)1970/3/12ドロシー・チャンドラー・パビリオン(ロサンジェルスミュージックセンター)live

オイストラフには「出してはならない時期の録音」というものがあって、これは最晩年のそういうものである。かなりヤバイ箇所があり、二楽章は弾けてるのに両端で音程がメロメロというのは下手ではない、他の理由でそうなっているのは安定感のある音からも明白なのだが、この状態の同曲の録音は他にもあり、ひょっとすると同じものかもしれない。シゲティが蘇演し成功をおさめて作曲家も喜んだという、独特だがプロコフィエフ最盛期の精華が現れた名作であり、技巧的にウォルトンがパクるほどの特徴的な叙情性をいかに演じるかだが、オイストラフはもとから「弾け過ぎ」のため同曲の意図して煮え切らないメロディや殆ど装飾的な音符でしか構成されていないフレーズとか前半期プロコフィエフ特有の「前衛性」を、どこが前衛的なんだか、普通の曲じゃん、という印象に変えてしまう。シゲティ後年のカスれて何の音を出してるのか解らない箇所だらけの録音が良いとは言わないが、楽曲には不思議と合う。とにかくハイフェッツしか知らない西側の人々の前に、巧すぎる刺客としてソビエト連邦から現れたこの人、作曲家とも共演しているとおり認められてないわけはなく、上手すぎても問題ないのだが、音楽にはやはり何かしらプラスとともに「マイナス」も必要なのだ(曲によって)と思うこともある。しかし、こんな演奏でも普通に拍手だけで送り出す暖かい聴衆に、この人の受けてきた賞賛の残り香を嗅げることは嗅げる。この曲めあてで同盤を買うことはおすすめしない。カップリングは亡くなってしまったスクロヴァチェフスキとのベトコン。時期的にベトコンというと誤解されそうだがベートーヴェンのコンチェルトです。版は知らない。
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☆プロコフィエフ:「三つのオレンジへの恋」~スケルツォと行進曲

2018年02月07日 | プロコフィエフ
◎ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(BSO)1953/11/28live・CD

同日のアンコール。クリアなモノラル録音で瑞々しい弾けるような音楽を楽しめる。演奏自体非常に立派で弛緩なく、鮮やかなプロコ節を大管弦楽の隅々まで表現しきっている。素晴らしい。ミュンシュの脂っぽさもこの短い曲ではほとんど聞こえず、ジョージ・ルーカスとジョン・ウィリアムズが組んで作った映画音楽のネタ元を、同じボストンオケの手でやっている、そこが個人的にも面白かった。音が一緒だ。◎。

※2007-06-14 17:16:08の記事です
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☆プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番

2018年02月02日 | プロコフィエフ
○カペル(P)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団?(DA:CD-R)1953/3/21live

唖然とさせるような超絶なピアニズムを見せ付けるカペルの前にはミュンシュは鈍重とすら感じられる。もっとも緩徐部の情感にはやや欠けるように思った。ミュンシュはプロコフィエフですら厚ぼったいロマンチシズムを演出してくるのでその点真逆。でもミュンシュは下手ではない、旋律音楽であるこの曲でさえそのじつ縦をいかに響かせるかが肝要、メカニカルな構造をギリギリのところで守りきっている。曲をちゃんと見切っているのだ。フィナーレ最後はカペルもミュンシュも融合し盛大なブラブォを呼んでいる。録音最悪。よれすぎ。○。

※2011-01-12 18:23:12の記事です
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☆プロコフィエフ:冬の祝日(子供の組曲)

2018年01月08日 | プロコフィエフ
○サモスード指揮ソヴィエト国立放送管弦楽団、少年合唱団(合唱指揮:ソコロフ)(westminster)LP

8曲からなる組曲で晩年のプロコフィエフの「境地」をうかがい知ることのできる楽曲。当時西側ではあきらかに日寄った(体制におもねった)と見られた極めて平易な曲だが旋律の魅力だけでも十分に楽しめるものとなっており、現代においてイデオロギーや政治的背景抜きで改めて評価すべき楽曲だと思う。モダンな響きやコード進行は蔭をひそめ、20世紀初頭に作曲されたといっても通用しそうな感じである。演奏はかなりボリューム感があるが躍動感にも欠けていない。細かい瑕疵はともかく素直に楽しめる。録音は悪い。メロディヤ原盤だろう。

※2006-04-03 10:20:03の記事です
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☆プロコフィエフ:弦楽四重奏曲第1番

2017年12月25日 | プロコフィエフ
○スメタナ四重奏団(SUPRAPHON)1961・CD

アナログで聴いていたときにはずいぶんと客観的に整えすぎの印象があったが、確かに整えすぎではあるが、プロコの「仕掛け」はここまで縦をあわせ数学的に組み合わせないと効果を発揮しない側面もあり、盛り上がりどころでは「ドイツ式」の盛り上げ方、すなわち決してルバートによるのではなく縦をきっちり揃えたまま音の強さと太さで人工的な大きさを形づくっていく。それがわかるとなかなか熱のこもった演奏に聞こえてくるから面白い。ろくに曲を知らずにいきなり譜面から入った私はこういう「学術的な1楽章」にはどうしても違和感を感じてしまう。旋律が強すぎる、すなわち熱気があって当たり前の楽章、逆にそこを制御できることこそがプロなのだろう(でもやっぱりひたすら丁々発止にライヴ的にやる1楽章が好きだけど)。2楽章が肝の曲で、三つの楽章の中で飛びぬけて細かく難度も上だが、スメタナにかかるとそこがいちばんの聴き所となる。終楽章の暗さ重みはじつはこの曲の要でもあるのだが、そこはちょっと透明感がありすぎ、純音楽的すぎるようにもおもう。

※2007-08-23 23:26:47の記事です
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☆プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番

2017年12月12日 | プロコフィエフ
○ワイセンベルグ(P)チェリビダッケ指揮トリノRAI交響楽団(HUNT)1962/1/5トリノlive・CD

ワイセンベルグの巧さには今さらながら唖然とする。技術的に全く危うさの無い、曲の要求するスポーツ的感興を見事に与えることに成功している。チェリが作り上げているのは縦をガチガチに揃えたドイツ式の伴奏ではあるけれども、まだこの時期独自の涅槃みたいな境地には至っておらず、スピード感に欠けることはない。寧ろきっちり揃った上でのスピーディな音楽作りは安心して聞けてかつゾクゾクする。余り深みの無い曲であるから素直に音の跳ね回るさまを楽しめばいいのだ。これはそういった意味では過不足ない佳演である。このオケには珍しく乱れもないのが素晴らしい(チェリの統制のおかげだろう)。○。

※2005/4/5の記事です
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☆プロコフィエフ:交響曲第5番

2017年07月27日 | プロコフィエフ
◎テンシュテット指揮ニューヨーク・フィル("0""0""0"classics:CD-R)1977/3/1LIVE

これはびっくりするほどしっかりした出来だ。がっしりしたフォルムはドイツ的な重さを感じさせようなものの全くそんなことはなく、熱狂して最後まで聞きとおす系の熱いものではないが、最後まで「飽きずに」聞き入ってしまう演奏である。この飽きないというところがプロコでは重要であり、テンシュテットが巧いのはプロコのスコアに溢れる客席まで伝わらないくらいの「仕掛け」を、嫌味に聞こえない程度にしっかり表現させているところで、重ねた音の響きの充実ぶりからここまで独特の色彩をもった曲だったのかと思わせるところもあれば、マーラーじゃないかと思わせるくらいの内声の意味深な動きまで聞こえてくるところもある。勿論すべてを浮き彫りにして分析的に振るような人ではないからフランス的な透明感は求めるべくもないが、この人なりのプロコの最も自然で忠実な演奏を最後までやり遂げている。またオケが素晴らしい。たぶんこのオケをしてしか成し得なかった完璧な「テンシュテのプロコ」、激しいアゴーギグに1楽章最後で拍手が入ってしまうほどの熱気、終演後のブラヴォーの嵐は言うまでもあるまい。名演。録音も比較的良好。

※2005/5/13の記事です
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☆プロコフィエフ:交響曲第7番「青春」

2017年07月21日 | プロコフィエフ
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団?(DA:CD-R)1953/11/27live

派手派手な演奏でびっくり。歌う歌う。分厚い旋律のうねりは対旋律についても同じで内声部の充実ぶりも目を見張るものがある。刻みがテヌート気味のバリ弾きで若干プロコらしくない、バンスタあたりがやりそうな雰囲気もあるし、アラも探せば出てこようが、録音が(悪いのは悪いが)そこそこ聴けるレベルなのがまたよい。3楽章に憂いが足りないが、1,4楽章の有名な緩徐主題はこの曲の表層的な魅力を深層まで染み渡らせるほどの壮麗なものとなっている。4楽章コーダ最後は4楽章の主題が戻ってコミカルに終わるバージョン。○。

※2010/12/17の記事です
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☆プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」第二組曲

2017年07月12日 | プロコフィエフ
○ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(MELODIYA他)1982/11/6・CD

やはりオケの統制という意味ではピークを越したあとの感は否めないがそこが野卑たロシア風味をかもし、別の面白みで聞ける演奏である。いきなり乾いた不協和音から急くようなテンポの「モンターニュ家とキャプレット家」騎士の踊りがキッチュにすら思え、また客観性が先立っているのにオケはどぎつい音をぶっ放しとなかなかに「スリリング」ではある。トスカニーニ的手法によって考える隙をあたえない感じはこの「読み込んでいってしまうと果てしなく理知的に組み上げられた構造のマニアックな穴に落ちて音そのものを愉しめなくなってしまう曲」にとってはいい方向に働いていると思う。オケの過度な思い入れが弛緩の方向に働かないようにつとめるのはもともと上演バレエ用に作られた素材であることを考えると正しい。まあ、ムラヴィンはプロコと交友こそあれ嫌いだったというけれども、これはけっこうプロコをきちんとやっている。「スピード」そしてリズムだ。踊れると思う。オケはブラスのぶっ放し方もいいが、なかなかに弦楽器が凄みがある。プロコの弦楽器は酷使上等だがきちんと弾けて無いとチャイコ以上にその細密な作曲の手腕(とアイロニー・・・このプラスアルファを付けられるかどうかで凡才と天才の差が出るのだ)の凄みが聞き取れないからタチが悪く、この曲くらいなら皆識っているので大した問題にはならなかろうが、長大なオペラなんかになってくるとけっこうだらしない演奏だと殆どオケなんて聞いてられなくなったりするわけで。しかし最後まで力感は凄いが、醒めてるよなあ・・・ショスタコみたいだ。この組曲にも素材としてストラヴィンスキーや果てはサティの器械リズムまで聞き取れたりするのだが(ワグナーとかそのへんになると他の作曲家もよくやってるのだが同時代から引いてくるところがこの人のあっけらかんとしたいいところだ)、ムラヴィンがロマンティックな意味での色をつけないために原素材の音楽が剥き出しで聞こえてくるところが面白かったりもする。○。

※2007/9/23の記事です
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☆プロコフィエフ:交響曲第2番

2017年07月07日 | プロコフィエフ
◎ブリュック指揮フランス国立放送管弦楽団(COLUMBIA)LP

ジャケデザはカッサンドルだがやや地味というか普通。まさにフランスかぶれの、しかし緻密で聞き応えのある作品だ(プロコでここまでガチに造り込んだ作品も珍しいだろう)。これを真摯なプロコ、他の要素の(音楽的影響以外)一切絡まない真の最高傑作と呼ぶ人に私は反論するすべを知らない。ストラヴィンスキーの素地も残るがほとんどオネゲルのような鋼の構造とミヨーのような複雑な烈しさで出来ているように、このようなフランスの演奏できくと一層感じられる。個人的に苦手な一種マンネリな「わかりやすいプロコ」の癖と、歪んで論理を失ったかのような汚い響きの「わかりにくいプロコ」がまったく目立たない。後半はっとさせられる素晴らしく抒情的で詩的な主題はこの透明なオケできくと六人組以上にフランス的な粋を感じさせる。皮肉もエキセントリシズムもない、じっくり聞き込んでしまう。本来意図はシニカルで(アイヴズふうに言えば)耳に歯ごたえあるよう、意外性というかモダンアートな(モダニズムと言うにはわかりやすいがしかし謎めいた耳新しい)構成がとられており、思わず何度も聞いてしまう。前進的で飽きさせない、かつロシアやモダニズムの生臭さを完全払拭した解釈ぶりは技術の確かさ含めあっぱれだ。モノラルだが◎。流石炎の天使の初演・初録音者。この曲しか録音してないとこがいい。わかる。

※2006/9/18の記事です
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プロコフィエフ:交響曲第7番「青春」

2017年07月06日 | プロコフィエフ
ロストロポーヴィチ指揮NYP(DIRIGENT)2005/4live

終始穏やかなテンポでひたすら抒情的な表現に重点を置いた演奏。晩年のロストロポーヴィチの心境をも伺い知ることのできる演奏。アクの濃くない、自然な抑揚でメロディを歌い継ぎ、二楽章終盤など一部を除きフォルテを避けているのではと思うほど優しく繊細な、この劇的表現にすぐれたオケに相応しくないほど柔らかな光に包まれた薄い響きで、一貫した雰囲気を保ち、解釈的にはセッション録音と同じ傾向ではあるのだが、いわゆる最晩年様式という言葉で説明できそうなものに仕上がっている。四楽章は中でもドラマを演出しているほうだが、リズムの刻みからしてアタックが弱く徒に気を煽るようなことはしない。この整え方、常識的なテンポなので瑕疵もなく、安心して聴く事はできる。反面、瑕疵を避け穏健に走る、現代的な演奏だなあ、という印象も無くはない。楽想間の表情変化に乏しく音色も一緒である。ただ、それこそ個性なのかもしれない。派手なほうの終わり方。拍手はまあまあ盛大。録音は00年代とは思えない砂ノイズ混じりのエアチェックレベルのステレオ。
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☆プロコフィエフ:バレエ曲「鋼鉄の歩み」~1、3、5、10

2017年06月27日 | プロコフィエフ
○コーツ指揮LSO(HMV)1932/2/18・SP

ロシアに学んだ英国の暴君指揮者として知られ、後年の客演録音は余り冴えなかったアルバート・コーツ(エリックとは別人)だが、同時代音楽を積極的に取り上げていたこの頃のスタジオ録音はロシア式の豪放磊落さを体言し、かつニキシュ直伝の感覚的表現を思わせる。英国楽団の慎ましやかな特質がバランサーとして働いており、技術的破綻がないのもこの時代には珍しい。社会主義的作品、機械文明的作品として知られるバレエ・リュス印のこの作品は複雑な構造は保ちつつ案外人好きするような平易な音線やリズムが魅力。ミヨーを思わせる高音の分厚いハーモニーやオネゲルを思わせるアンサンブルが時折耳をひき、無理と言いつつフランスで作曲を続けるプロとしての一種の妥協を作品に差し込んでいる。そこに更に平易な後年の作風の萌芽がはっきり現れる。もちろん趣向からいってメカニカルな面で聞く曲ではあるが、コーツの音楽の娯楽性はプロコフィエフの面白みを上手に引き出す。抜粋なのが残念。○。

※2011/9/11の記事です
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☆プロコフィエフ:弦楽四重奏曲第1番

2017年06月14日 | プロコフィエフ
○エンドレス四重奏団(VOX)LP

プロコフィエフ屈指の美旋律に貫かれた曲である。殆どがファーストによって歌われるがゆえに(かといって非常にマニアックに作りこまれた内声部の独特の構造こそが聴き所でもある)「音質」というのは非常に重要で、これは室内楽とくに弦楽アンサンブル録音全般に言えることだけれども、アナログに勝るものはない(アナログに対してデジタル以外何があるかとかいう突っ込みは無視)。音の厚み、ざらざらした肌触り、柔らかさは絶対条件だ。弦楽器ならではの横の流れで有機的につながっていくべき音楽を、断ち切るようなエキセントリックな変化が要求されないかぎりデジタルの「断続的な音」はそぐわない。「音」が出来た上でアンサンブルとしての正確さにプラスアルファ解釈が伴えばいい。キンキン金属質の鋭く耳にきつい、つるつるした音で、ただ譜面からの正確さを売りにした「ように聞こえる」録音が増えてしまうのは、CDに代表されるデジタル音源の欠点の裏返しである。この盤は50年代までの雄渾で柔軟な演奏スタイルによるものであることに加えて、そういったアナログのよさを改めてわからせてくれる音を持っている。

この演奏は1楽章こそやや客観性が感じられるが、若々しさを越えて演奏精度と表現力の調和が板についているさまは聴き心地よく、ただでさえ凄まじいアンサンブルが弾ける2楽章において、絶頂的な表現が聴かれる。全般確かに強い個性は無いが、この楽章では細かく施されたアーティキュレーションが完璧に表現されており、この瞬発力が売り物のような楽章でよくもまあこんなに表情から音量から微細な変化、起伏をしっかり揃えて演奏できるもんだと感服する。しかも非常にアタックが強く、気合が感じられる(そうしないと揃わないんだろうけど)。この楽章の細部に至るまで完璧なアンサンブルは他には無いものに聞こえた。もちろん、これも旋律音楽ではあり、息の長い旋律を太筆で描くように、倍音を豊かに響かせつつうねらせていく有機性も必須で、その点でも素晴らしい。これこそデジタル音源化したら損なわれそうな美質だ。終楽章はどこがやっても似たり寄ったりになるほど素晴らしい挽歌だからここでも特徴的なものは聴かれないけれど、悪くは無い。2楽章だけだと◎でもいいのだが、○。

2番

※2008/7/10の記事です。
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☆プロコフィエフ:弦楽四重奏曲第2番

2017年06月10日 | プロコフィエフ
○エンドレス四重奏団(VOX)LP

この団体らしく解釈の手堅さを置いてなお50年代スタイルの雄渾な表現に惹かれる。モノラルでアナログ、スケールが小さな演奏に聴こえがちなのは仕方ないが、この作品は前期の1番とは違い晩年のちょっと分裂的な境地を示す難しさがあり、ただ楽天的に民族的な音楽をかなでているかといえば、ショスタコ的にそれを断ち切る悲痛な叫び、あるいは小声の謎めいた独白がぞくっとさせる。非論理的とすら感じるその構成はやはり、円熟した団体にしか解釈しきれない部分もあるかと思う。この時点でこの団体はまだ、そこまでは至っていないのか。ちょっとハリウッド四重奏団的ではあるが、あの団体の即物性を思うとこの演奏のほうがより真に迫っているとは思う。○。団体自体は一般的にはそれほどメジャーではないが息の長い活動をしているようで録音もままある。

※2008/7/10の記事です

1番
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