湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ヴォーン・ウィリアムズ:5つのテューダー朝の肖像〜Ⅳ.ロマンツァ

2018年04月26日 | Weblog
ロジェストヴェンスキー指揮ロシア交響楽団、リュドミラ・クズミナ(S)エフゲニー・リーバーマン(Br)エフゲニー・アヴルシュキン(Vc)(dirigent)2012/5/23live

ヴォーン・ウィリアムズ後期の代表作のひとつで、怒りの日の主題に醸される諧謔性はそれとして、後期ではめずらしい、マンネリにも陥らない品の良い穏健さが二十分にもわたって発揮されている。ロジェストヴェンスキーは円熟し、ロシアオケの癖も本人の癖もあまり聴こえず、ソリスト陣とあいまって周到な迫力を演出している。なかなか。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

2018年04月24日 | Weblog
アーベントロート指揮レニングラード・フィル(SLS)1951/1/30レニングラードlive

録音はホワイトノイズの下でこもっているが聴けなくはない。冒頭からアンサンブルが崩壊気味でやばいが、一楽章のうちになんとか整ってくる。アーベントロートは他にも録音記録があるが、どうもすこし即興的にやる癖があるようで、そこを掴むのに時間がかかったようだ。デジタルに速度を変えたり妙に歌心を出したりエキセントリックな解釈はオケの心も掴んだようで、沈潜する二楽章はバッチリ。アーベントロートの衰えも込で聴くものがある。ガシガシいく三楽章ではやはりほつれはあるがシェルヘンのような重い音にデジタルな解釈は(シェルヘンの悲愴はよくないが)それなりに奇演好きにアピールする部分もある。おおむねはまともだけれど。四楽章アタッカ、もう最初から歌いこむ。冒頭の雑然とした様が嘘の様なレニングラード・フィルの充実ぶり。雑味の混ざる点では二楽章が最も上手くいっているが、何かアーベントロート自身の滅びゆく運命すら思わせる感情的なものがあり、とにかくこの悲愴は全般、最晩年的な雰囲気に満ちている。良い意味でも悪い意味でも。もっと輝かしい音をしていたはずだが録音はいかんともしがたい。下降音形でソリスティックにオーバーなフレージングをさせ、感情的にドラマティックに終わらせるのもアーベントロートらしさだろう。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドビュッシー:小組曲(ピアノ連弾)

2018年04月24日 | Weblog
ベロフ&コラール(P)(warner他)CD

メリハリがあって聞きやすい。退屈なテンポもとらないし、とにかく元気。もはや洗練された初期ドビュッシーの簡潔な書法を活かしたものとなっている。すこし録音が古い感もあるがそれはまた別問題。緩急の差のはっきりしたところが私は好きでした。弱音のニュアンスが、音色においてはすこし足りないようにもかんじるが(というより音色変化をもう少し欲しかった)、これは曲の性格的に仕方ないかもしれない。一楽章の終盤など沈んでいく表現は印象的にやってのけているので、意図して設計しているのだろう。三楽章ですら元気、まあ、ピアノ連弾だと曖昧な表現はできないのでこうなるのは必然か。こういう曲はいつも最後の処理を聴いてしまうが上手い。キレイに収まる。そして四楽章の祝祭的表現はもはやドビュッシーがロシアの作曲家のような、前の時代のフランスの作曲家のような作品は書かないと宣言しているようなもので、単純性から行くと前の楽章もふくめ、ラヴェル的な印象を受ける。嬉遊的な曲はフランスの伝統的なものでもあるのだが。元気。
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリウス:交響曲第4番

2018年04月23日 | Weblog
〇ロジンスキ指揮NYP(SLS)1946/3/3カーネギーホールlive

ロジンスキライヴはノイズが当たり前でこれも終始ノイズが入り続けて耳障り悪いのだが、40年代とは思えない情報量の多いモノラル録音でうまくリマスタリングすればかなり分厚い音で楽しめる録音だと思う。演奏内容もよい。力づくで押し通すスタイルを押し殺し、ロジンスキとは思えない(専制君主的統制はロジンスキだが)ひそやかな音楽の再現につとめている。これはロマン派音楽ではない、かといって印象派音楽でもない。シベリウスなのだ、という個性の主張が狂おしくあらわれた過渡期における代表作を、2番や5番の要求する力強く盛り上がり収斂していくことをここでは求められていない、と判断し一つ一つの断片的フレーズと内省的な響きを、つとめてシベリウス的であるようにやっていてある意味ビーチャムのようなスマートな演奏家を足元にも寄せ付けない心の深さを示している。むろんNYPSOの威力によるところも大きいし、NYPSOという猛獣を手なづける手腕もあろうが、それ以前にこの指揮者が同時代音楽を大の得意とし、そういう演目を好んだということがよくわかる。これは好きな人が振っている音だ。バルビローリかと思うようなところもある(しかしあのように愛撫する音楽ば作らない)。飽きさせない名演。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミヨー:「ルネ王の暖炉」組曲

2018年04月22日 | Weblog
パリ管楽アンサンブル(forgottenrecords他)1956

木管楽器が互いにソロを披露しながら穏やかな、暖かな音楽を紡ぎあげていく。こういう編成では人気曲であるが、ホルンなど一部難度の高いところもあり、そうそうたるメンバーが録音している。これもその一つと言えば一つ、そもそもフランス楽器、奏法を前提とした曲のようなところもあるので、自然とフランスの団体を選んで聞いてしまう、だからこれがフランス特有の何かなのか、ということに気づかずただのスタンダードに受け取れてしまう。音色と技巧のみ、わかるといえばわかるし、共に過不足なく、いたずらに音色を切り替えていったり技巧を披露するようなことをする曲でない以上、うん、、、評なんてどうでもいいので聴いてほしい。この盤はニュートラルなフランスの管楽アンサンブルという意味ですすめられる。穴はない。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランク:ヴァイオリン・ソナタ

2018年04月22日 | Weblog
グリュミオー(Vn)アルトマン(P)(ANDROMEDA他)1951・CD

美音だが大半があっさりしている。え、このロマンティックな曲をそんな素っ気ないインテンポで?という場面が散見される。むろん解釈なので、部分的に重点を置いている箇所があって、一楽章展開部の短調の旋律の一部をたっぷり時間をかけて哲学的に弾くところではむしろホッとする。通常歌いこむところではあまり音色変化をつけず元からある外連味を払拭し、端正に弾きこなしていくのは、もう好みと言うしかない。楽章終盤の起伏は良い。ただ、荒い。高音の音程感に若干不安を感じさせた。二楽章、やはりこういう曲調が好きらしい。ただ音に憂いがなくはっきりしすぎているため、これでバッハをやっても、ロマンティックなスタイルを容認する立場からもあまりしっくりこなさそうだ。ヴィヴラートで音を作っていくタイプの美音家でもグリュミオーは器用に音を操りマンネリで飽きさせない表現をする、解釈家だが(つまりフランチェスカッティとは違う)、比較的自由な奏法の流れなのに、やっぱりどこか突き抜けてこない。松葉を付けないのもあるが、もう録音のせいと思うしかない。忘れていたがピアニストはとても優秀だ。細かい音符まで綺麗で濁りがない。三楽章に全く同じ音色で入られても何か、旋律が変化したな、という程度でもったいない。曲が傑作なのでこの楽章は誰がやっても失敗「できない」。メロディを弾ければ変に起伏をつけなくてもいい。グリュミオーは一楽章は構成に工夫があり(すぎて前半あっさりすぎ)二楽章はじつはわりと力を入れていて、三楽章はその同程度に力を入れている。冒頭からまたミスが散見されるが、奏法のせいと思おう。あるいは録音のせい(ピアノがここにきて少し濁る)。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ファリャ:スペインの庭の夜

2018年04月21日 | Weblog
タリアフェロ(P)フレイタス・ブランコ指揮トゥールーズコンサート協会管弦楽団(forgottenrecords)1952/3/6live放送

生暖かい空気の中で聴くと途端に滲みてくる、音楽においても「適材適所」のようなことはあって、これを真夜中に寒冷地で聴いたらば書法だとか技巧だとかそちらにしか関心がゆかず、そうでなく楽しむためには本質的な部分において想像力が必要となる。ファリャはその要求がかなり強いと思う。そこが私も不得意なゆえんなのだけれど、今日の様な陽気で行き交う人の濃い影を見ながらオレンジ色に包まれていると、これはまぎれもなくこういうシーンで聴くべき印象派音楽なのだ、と思わされざるを得ない。私は野外で音楽を聴くのが好きで、室内で聴くより、ホールで聴くより、シーンがぴったりくれば余程感動する。この演奏はまさにブランコ得意のラテンのノリが、オケの明るく楽しげな音色とマッチして、まとまりない音楽に、いやこれは印象派だからまとまりはなくて良い、と思わせる説得力を持たせている。タリアフェロは巧緻でオケと融合しているが、この曲自体がさほど協奏曲的ではないので、あくまで1つのパートとして聴ける。拍手は普通か。録音はノイジーなモノラル。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マーラー:交響曲第4番

2018年04月19日 | Weblog
バーンスタイン指揮ミラノ・スカラ座フィル管弦楽団、ベルギウス(b-sp)(rare moth)1984live

驚くことにモノラルで、それだけならいいのだがノイズからも三楽章の無惨な二箇所の音飛びからも四楽章の撚れからも、とても80年代のエアチェックとは思えない録音状態。音場も狭く50年代前半の録音と思って聴くしかない。レアモスも久しぶりに出してきたと思ったらこれである。情報量も少な目だが演奏は円熟の極みで、「バーンスタインのマーラー」とはひとりの作曲家として不可分の存在なのだ、という余人を許さない独特の境地をしっかり届けてくる。歌心をわかっているオケに統制をしっかり効かせて、乱れがないから、イタリアオケの悪い特徴がなくなるとなると、別に他のオケとの記録でも良いのではないかと思うが、三楽章なぞはやはり美しい。作為的にテンポが揺れるといっても、この指揮者晩年は不自然さのない流麗さが素晴らしい。この曲はむしろ速く、かつ華麗でもある。どこか暗くも美しい三楽章はもともと感動的な要素をはらんでいるが、それを一歩進めた、感動だけではなく、感傷に昇華させたようなものがある。ボーイソプラノはバーンスタイン特有の起用だが、やや棒のような歌い方がめだち、不安定で重いか(男声だから子供とはいえ重くなる)。天国のような歌声とはいかない。あるいはそういう意図なのかもしれないが。オケは嵐のように、あるいは木の葉を撫でる風のように上手い。当然のように嵐のような拍手とブラヴォ。録音が悪すぎる。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チャイコフスキー:弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」

2018年04月18日 | Weblog
グァルネリ四重奏団、クロイト(2Va)シュナイダー(2Vc)(BMGvictor/SLS他)1965-66・CD

しまった。詳細データがなかったのでSLSだからSP起こし、戦前録音だと思っていたらこれ昔国内盤CDにもなってた、最近まで活動していたほうのガルネリ四重奏団ではないか(ほんっとにややこしい)。どっちみち持ってなかったのでいいけど、データ無しは注意しないとならないレーベルSLS。ちなみに組み合わせもLP、CDの正規セッション盤と同じスメタナのわが生涯より。これはLP起こしのようだ。ノイズはともかく、厚みのある音で、こういうたぐいの音はむかしのCDだと冷たく現代的に感じたかもしれない。CD-R化してるんだから結局デジタルなんだけど、やはり拾う音は異なる。民族的な雰囲気の濃厚な曲で、どこがフィレンツェなんだ、というようなチャイコフスキーでもかなり国民楽派的な作品。ソリスティックな動きを交え旋律線を数珠繋いでいく、この分厚さがないと説得力ある響きが出ず、安っぽくなっていただろう。プロなら大して難しくないであろう早弾きも、小規模なアンサンブル曲に散らされるとそれはそれでこわいものであり、グァルネリの力強くも「教師的な演奏」は崩れる心配をせず安心して聴ける。チャイコフスキー特有の色調の変化のなさも、響きの重厚さで力づくで聞かせてくることもあり、そうは感じさせない。スタジオ録音だから低音楽器がよく捉えられ、チェロが役割をしっかり果たしているのもよく聴こえる。気合の入った演奏ではあるのだが、恥ずかしい旋律、赤面するような演歌を誇張せずきっちりすんなり通していくので、良い歌も同じトーンで素通りさせてしまい、印象に残るものはそう多くないかもしれない。テンポがところどころ落ち着くのはアンサンブル上の都合というか、セッション録音だからと思う。しても上手い、それは認めねばなるまい。一番の聞かせどころである四楽章の盛り立て方はまずまずだが、メロディにインパクトが欲しいし、チャイコフスキー特有の異様に開放感を煽る移調や突然挿入される古典ふう構造的書法の再現は巧すぎて、そういうところが時代を超越して「凄い才能」であることに気づかせない。テンションは素晴らしいものだ。このスピードで乱れぬフィナーレはなかなか聴けない。何度も聴けるたぐいの演奏だが、ロシアの演奏に慣れていると物足りなかったり、別の曲を聴いている気になるかもしれない。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドビュッシー:交響組曲「春」(ピアノ連弾版)

2018年04月12日 | Weblog
ラペッティ&ダメリーニ(P)(warner)CD

組曲といっても二曲、その二曲目に初期ドビュッシーで最も有名な、ユーモラスで愉悦的な主題が入っている。のちのケークウォークみたいなやつだ。ピアノ連弾で聴くと思ったより古臭い曲だなあと感じるが、旋律に現れるものはもうドビュッシーそのもの、色彩もただ爽やかなだけではなく巧みに組み合わされている。長さを感じさせないのはディヴェルティスマンとどこが違うのか、単純に旋律かもしれない。演奏は私は好み。リズム、スピード、ニュアンス、この曲にはあっている。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドビュッシー:ディヴェルティスマン

2018年04月12日 | Weblog
イヴァルディ&ノエル・リー(P)(ARION/warner)CD

10分以上の単一楽章で、大作と言える。古い感じの曲で、それにしては長すぎるが、ドビュッシーだと思わなければ出来はよく、ロマンティックに楽しむことができる。個人的には求めるものと違う感がつよく、「春」よりずいぶん後ろにいる作品だなと思った。前期にマンネリに感じる特有の明るさ、軽さがこの曲ではあまりなく、そういう受けの良い出来の良さはあるのかもしれない。奏者はとくに可もなく不可もなく。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドビュッシー:管弦楽組曲第1番(ピアノ連弾版)

2018年04月12日 | Weblog
アルマンゴー&ショーズ(P)(warner)CD

別記した管弦楽版にくらべ早くから知られたもの。より4曲からなる楽曲の特性が明確になり、おそらくこちらのほうが人好きすると思われる。4楽章は完全に古臭いフィナーレだが、ほかの楽章、とくに前半楽章はいかに創意をこめようかという意気が感じられ、はっとするような移調や不協和音が不思議と自然に明るい透明感の中に調和する、長さを感じさせない楽しさに満ちている。小組曲に至る過程の過渡期的作品に対し、奏者は明確にドビュッシーをやる意思で取り組んでいる。ちらっと現れる「牧神」のようなつかみどころのない響きを「そのように」演奏し、また4手でありながらそれを感じさせないアンサンブルのよさも光っている。これ、といった押しはないので素晴らしいという感想こそ出ないものの、無難に聴けるというか、変な印象を植え付けられずに済む録音で、むしろ管弦楽版よりこれを聞くべきだろう。フランクやサン・サンなどを想起する雰囲気を持ちつつロシアの奇矯で大仰な音楽の要素も取り込んだ意欲作である。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベルク:ヴァイオリン協奏曲

2018年04月11日 | Weblog
コーガン(Vn)ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(yedang)1966/8/3ロシア初演・CD

圧がすごい。モノラルだからかもしれないが同曲のかもす空疎な感傷が最後まで強力なソリストにより筋肉を伴ってしまい感傷にならない。情緒は置いておいて技巧的には凄く、ロジェストヴェンスキー全盛期の迫力とともに圧倒される。こういう演奏スタイルは多い。その中でも技巧とアンサンブルの点では、非凡なものを感じさせる。イエダンの総集ボックスには入ったのだろうか。ただのコンチェルトとしてはとても聴きごたえがあった。プラスアルファはなかった。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョリヴェ:七人の奏者のためのラプソディ

2018年04月10日 | Weblog
作曲家指揮田中(Vn)浜中(Cl)他(towerrecords)CD

現代音楽。ゲンダイオンガク。よく聴くと「兵士の物語」を時代に沿って書き直したような楽曲の志向が見えてくるが、おおむねパーカスを含む楽器編成の響きの面白みを聴かせる「だけ」のように思える。ジョリヴェに期待される肉々しいところはもう無い。ストラヴィンスキーとアイヴズを合成したような感じしかしない。楽器間のバランスはよく、演奏的に不足はない。ヴァイオリンが上手い。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョリヴェ:フルートと打楽器のための協奏曲(フルート協奏曲第2番)

2018年04月10日 | Weblog
作曲家指揮小出(fl)他(towerrecords)CD

来日時のセッション録音をタワレコ独自に復刻したもの。呪術的なフルートもこの時期にはかなり抽象化され無調のように哲学的に響く。極度に単純化された野蛮主義は打楽器以外の存在を否定し、1、2楽章は暗く音少なく、ジョリヴェらしからぬ無機質さを感じさせる。往年の現代音楽の如き3楽章は打楽器の派手さに聞くものがあるが、基本的に端的で、連続した流れは形作らない。フルートのみが息苦しくのたうち回る。4楽章はふたたび、空疎な闇に戻る。狂えるフルートはひたすら吹き通し、打楽器は3楽章同様、もっと音少なに端的に合いの手を入れるのみである。楽曲は終わりの場所がわからないほど唐突にこと切れる。呪術的な雰囲気がなく無機質な感もあるがフルーティストはじつに達者。この曲はフルーティストさえしっかりしていればパーカスはあまり見せ場がない。音が少ないから巧拙はわからないが、録音は最上級のステレオでジョリヴェ自作自演の中でも貴重だろう。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする