湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆オネゲル:二台のヴァイオリンのためのソナティナ

2018年02月28日 | フランス
○D./I.オイストラフ(monitor)

晦渋な3楽章はともかく1、2はときおり美しいミヨー風の響きや旋律があらわれ、とくに2楽章の第二主題が単純で美しい。オネゲルの響きはとにかく濁っているので、半音階的な動きをともなう伴奏がたまらなく気持ち悪かったりするのだが、この曲も伴奏側は至極つまらなそうである。しかも変な音でもしっかり音程をとらないと意図通りの響きを出せない。練習曲を意図したわりには動き自体はゆるゆるだし、短いわりにちゃんとやるのは大変であろう。技巧派のこの親子ならではの音色の統一感に息の合い方が効いている録音だ。ライナーをプーランクが書いている。

※2008-02-07 10:55:38の記事です
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☆ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ

2018年02月28日 | Weblog

○コルベンソン(Vn)ウルマー(P)(CONCERT HALL)LP

◎にしたいくらいだ。録音が古いので○にとどめるが、ヴァイオリンとピアノが渾然一体となって一つの旋律線を紡いでゆくというこの曲の本質を見事に捉えた演奏である。フランクのソナタと同類項と考えている人はぜひこの演奏を聞いてみて欲しい。こういう演奏でないとこの曲の魅力は伝わらない。私は曲を聞く前に譜面を手に入れてしまって、ヴァイオリンだけ弾いているとわけわからないというか、とてもヘタクソな曲だなという印象しか残らなかった。病に倒れたドビュッシーの晦渋な気持ちが反映されているのかな、と思っていた。ぜんぜん晦渋じゃない。ピアノとヴァイオリンの非常に緊密なアンサンブルの上に成り立つものだから、どちらかだけを聴いていたところで本質はつかめるはずも無い。ヴァイオリンは巧い。非常に的確な表現をするというか、フレージングが巧くとてもわかりやすい。あまりに音楽の流れを重視するがゆえに細かい音符が音になってないところもしばしば聞かれるが、たぶんライヴでこれを聴いたら間違いなく感涙拍手喝采である。今まで聴いてきたこの曲の盤はいったい何だったのだろう、と思わせるほどスバラシイ演奏でした。

※2004年以前の記事です
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ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

2018年02月28日 | Weblog
プレートル指揮パリ管弦楽団(SLS)1970/4/16live

両端楽章が良い。一楽章終盤の瞬間湯沸器的な激情、四楽章の意外と言っては何だがフランス的でないまっとうさ(ライヴなので感情で前に流れるようなスピードはあり、終盤アッチェルして瞬間ルバートを交える部分は面白い)、プレートルのエキセントリックな面はここのみであるが、LP期にマニアが親しんだプレートル流国民楽派の演奏であり、解釈に変化はないものの、記録としての価値はあるか。音はステレオでSLSにしては良いが、ほかのRレーベルと比べると普通というか、撚れてる方。オケがバラバラ感強めなので録音感自体はそこに吸収されてしまう。フランスを代表するオケとして設立されたにしては…である。
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☆ヴィラ・ロボス:ショーロス第6番

2018年02月27日 | Weblog
◎作曲家指揮RIAS交響楽団(VOX,TURNABOUT)

これは名曲です。わかりやすいです。ひたすら明るく楽しい旋律・リズムと煌くように美しいひびきの音詩です。スコアがないのでどこ、という指摘ができないのですが、真ん中あたりで・・・この盤で16分後から・・・高弦のリズミカルなピチカートにのってサックス+コーラングレあたりから奏でられ出す静かな旋律があるが、これなどまったくムード音楽、いや今のポップスに持ってきても十分通用する清新で感傷的な音楽だ。弦がリフレインするところなど、RIASのメンバーはポルタメントかけて思い切り歌っていて、ちょっと雑味があるが感動的。この旋律だけ聴くためにこの盤を買ってもいい、とさえ思った。前よく聴いていたスウィング・アウト・シスターの曲を思い出した。通俗的だなあ。でもそれがいい。また映画音楽ふうでもあるが、もちろんそのほうが後で確立した音楽ジャンルなわけで、当然今のポップス音楽など存在しない時代に作曲されたわけだから、手法的に革新的とか前衛的とか言うものはないにしても、十分に独創的で素晴らしい作品だ。ちなみに昭和2年の作曲です。逆に言えばポップス音楽なんて3/4世紀にわたってぜんぜん進化してないのだな、クラシック音楽のことを古臭いと言って批判できないだろう、とも思った。ここではRIASメンバーの音色がじつにいい。ぽっかり明るくノリノリだ。作曲家の指揮はシャープで明確。達者である。この作曲家はけっこう複雑な思考の持ち主のようで、甘く感傷的な音楽にもぴりりと辛い音響を添えたりするところがあり面白い。ミヨーのように学究肌・芸術肌ではなく、ファリャのように民俗臭ふんぷんというわけでもない。もっとも多分にこの二者に近い作風ではあるけれども、寧ろガーシュインのカリブ海音楽やレスピーギの大規模作品に近い心象をあたえる。色彩的で、娯楽的だ。とにかくひたすらたくさんの旋律が繋がり延々と流れ続ける音楽で、中にはあまり魅力的でない旋律もある。だがある種の雰囲気に統一された音楽であり、たとえばBGMふうに部屋に流して海のビデオなんか見ていると心地よーくなります。そういえば年末ジャマイカに行かないかと誘われたなあ。ポカポカ鳴り響く木魚?のリズムにのってラテンの踊りを踊り出す私。ああ、ブラジルだなあ・・・とりとめもないのでおわり。

※2004年以前の記事です
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☆マーラー:交響曲第1番「巨人」

2018年02月27日 | マーラー
○ワルター指揮コロムビア交響楽団(CBSsony)CD

なるほど整えられた演奏で生気が薄く(リズムどりがいいので無いとは言わない)録音も当時最高峰のステレオとはいえ、今の耳からすると少し聴き劣りがするくぐもったところもある。安定した解釈はライヴ性がなく完全に地に足をつけたものではある。しかし音響を現代的に整えることなくごちゃっと押し通すところもあり(もちろんかつてのライヴ録音に比べればかなりきちんと整理された響きも多いのだが)、根底にはやはり古い管弦楽の演奏様式があるように思う。いわゆる録音用の混成楽団ならではの求心力の無さは2楽章の舞曲で弦が崩壊スレスレにまで至ってしまうところに象徴的に聴かれるが、晩年のワルターの非常に落ち着いたテンポ設定と割合と隈取の濃いリズム表現の間で若干奏者が戸惑った結果と聴くこともできる。悪い部分ばかり書いたが、これは「安心して聴けるマーラー」であり、ファーストチョイスにも向いているとさえ言える。ブーレーズに同時代性のなせる臭気を加えたような演奏、とでも書いたほうが適切なのかもしれない。○。

※2006-12-20 18:15:18の記事です
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☆ボロディン:歌劇「イーゴリ公」~だったん人の踊り

2018年02月27日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮ORTF、合唱団(STEF/ina配信)1964/3/19(29?)放送live・CD

はじめは管楽器の表現など生硬で若いオケの感じが強いがいきなりのロシア語合唱から徐々に盛り上がり、指揮の整えた感と演奏者の整えられて軋む感のライヴ的な齟齬をのこしながら迫力のフィナーレにいたる。まあまあ良いモノラル録音であるものの圧倒的であったろうアンゲルブレシュトの支配する大編成の音を拾いきれているとは思えない。ウラーが遠いところで響くのもちょっと勿体ない。私の手元の盤がそうだけなのかもしれないが終止音がいきなりブツッと切れるのはかなり興を削ぐ。ina配信は同じ音源の模様なので、廃盤のSTEF盤を求めるよりそちらがおすすめ。29日とするものもあるがina.frには19日と記載されている。

※2016-12-26 18:06:32の記事です
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☆グラズノフ:弦楽四重奏曲第2番

2018年02月27日 | Weblog
ユトレヒト四重奏団(Mdg)CD

全集+の一曲で雄弁で隙がなく構成的にも素晴らしい(音色がニュートラルで硬いのが玉に傷)壮麗なフィナーレが聞きものの演奏。ショスタコーヴィチ四重奏団の録音が唯一であった同曲を再評価するのに十分で、ローカルな魅力、情緒的表現を音色にまで徹底させた後者のそのまま裏返しの弱点が(音程狂いをそのまま録音したりしている)完全に払しょくされているが、情緒的要素には決して欠けていない。この曲はボロディンの2番と見事な相似形をなし、あれに民族色をさらに融合させ緻密に、それでも簡潔に構築している名曲だ。メロディも美しく、少し暗さのある、重みある響きは中欧ふうでもある(この盤はドイツ製だ)。後年より素直に才能が発揮されていて変な民族主義やアカデミズムが顔を出さない、ただちょっと長いと感じる人もいるかもしれないが、チャイコフスキーほどくどくはない。ボロディン2番を意識したようにソロ楽器にろうろうとメロディを演奏させほかの楽器が沈み、それがかけあったり数珠つなぎされていく点で「アンサンブルの魅力」でいうと躊躇する団体が多いのか演奏機会もほとんどなく(むかしyoutubeにあったが今は断片しかない)でもやってみてボロディンの2番より数十倍アンサンブル曲であるから単なるイメージだろう。ヴィオラソロを導入部に長々と挿入する後半楽章はとても聞きごたえがあり旋律にも連続性があっておすすめだが、前半楽章、1楽章は「スラヴ」を思わせる恥ずかしい演歌だけど、2楽章はボロディンとチャイコフスキーのスケルツォを掛け合わせたようなトリッキーかつ熱情ほとばしる曲でよい。この演奏はちょっと前半おとなしい。

いずれにせよweb配信販売もされているので、定額制とかやられているならぜひ!聞いてください。

※2017-10-27 10:30:29の記事です
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ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」

2018年02月26日 | Weblog
モントゥ指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団、メリザンド:ネイディーン・コナー(Sp)ペレアス:テオドール・アップマン(B)他(SLS)1954/1/2NYメトロポリタン歌劇場live

こんなものが存在することにびっくりしたのだが、やはり録音状態は悪く、環境雑音、混信めいたもの、撚れ、針飛びありのモノラルで、二枚組だが一枚目が歌の途中で切れる(二枚目で改めてその頭から収録されてはいる)ということで万人にはオススメしない。同曲は繊細な部分と意欲的に歌う部分に節度を持って均衡を保たせることで、全体のムードを作り上げる必要がある気がするが、これは音盤としては異例の「上演形式」の実況であり、それゆえに音だけのコンサート形式とはまずバランスが異なり、表現も意欲的な方に傾いた過剰さ、ある意味わかりやすさに傾くのは当然といえば当然である。ほぼアメリカ人メンバーだけによる上演というのもまた異例な感じもする(フランス人もいるにはいる)。掠れ気味の音なので残念だけれど、そのせいか歌もけっこうわかりやすくすんなり入ってくるというか、神秘的なところより肉感的なところに惹かれる。反面、憂いというか、弱音を綺麗に歌うという点、とくにバリトンは声が一本調子で繊細さが足りないか。オケは素晴らしい。モントゥーはのるかそるかの指揮をすることがあるが、ここでは力強いスタイルで、筋肉質の(アンゲルブレシュトとは真逆だ)同曲という不思議なものを提示し、躍動的な場面ではまるでバレエ音楽のような煽り方をしていて楽しい。明晰な棒さばきでこの悪録音でも色彩感を出してくる。年代的にもっと良い音で聴きたかったものだが、それほど飽きることなく聞き通せた。
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ラヴェル:スペイン狂詩曲

2018年02月25日 | Weblog
ベイヌム指揮クリーヴランド管弦楽団(SLS)1955/12/22live

つまらない。ギチッとした演奏なのだが色がない。ベイヌムは何でもギッチリ振れる職人のイメージがあるが、それはこのあとの幻想交響曲くらいの大作なら生きてくる(この演奏も五楽章前まではしょうじきつまらないが五楽章が力強く盛り上がるので形式的には締まっている)ようなもので、またハデさも歌謡性も無いからラテン系の色を要求する曲には向かない。録音が篭もるモノラルで悪いせいもあって、これは買って失敗。
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マーラー:連作歌曲集「さすらう若人の歌」

2018年02月25日 | Weblog
フォレスター(Ca)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS)1958/12/27live

改訂は重ねられたものの既にして完成されたマーラーの歌曲世界、円熟した管弦楽技法を実感させる四曲である。これは歌曲ではあるがまず伴奏無くして曲たりえない絡み合い、まして管弦楽伴奏となると、二、四曲目で共通の主題を使用したタイタンに繋がるスケールの大きな楽曲になる。ミュンシュはマーラーをほとんどやっていない。歌曲集2つに交響曲第10番一楽章くらいである。だからこの曲はミュンシュがもし第1番一、三楽章をやったら、という「もし」を少し実現するものとなっていて、しかも(まずフォレスターは安定した歌唱力を提示していると置いておいて)とくに前者は浮き立つようなリズムが、調性こそ違えどタイタンの一楽章をこうやってくれたら素晴らしく愉悦的なものに仕上がっただろう、と思わせるくらいハマっている。後者も歌唱に沿ってではあろうが止揚するテンポがロマンティックな抑揚を、しかし明確にデジタルに付けていて、最後など退嬰的にしぼむ表現を上手にコントロールして秀逸である。冒頭の一曲目も同じような、まるでウィーン風を装うようなテンポの揺らし(コントロールされている)がミュンシュらしくないくらい積極的にマーラーをやろうとしているように聴こえる。まあ、しかし正規セッション盤があるのでこの音の悪いモノラルを聴く必要があるとすれば最後の拍手くらいか。演奏自体は既に完成された揺るぎないものに感じた。これはフォレスターも同じ。
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ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

2018年02月25日 | Weblog
ロストロポーヴィチ(Vc)セル指揮NYP(WME)1965/11/20live

事故もあるし、録音は分離悪めのモノラルだが(ロストロ先生の音が細く聴こえるという状態!)、三楽章のやや緩いテンポにおける陶酔的な歌い回し、細かな動きをしっかり表現しながらもきわめて弱音で歌い継ぐところにこの演奏の特色はある。望郷の念がこめられているという同曲の本質をここでしっかりなぞっている。コンマスソロに象徴されるオケのデリカシーのなさはいただけないが、セルのドヴォルザークは特別で、ソリストもまたこの曲の代表的演奏者であるからこそ、全体の調和、細部の安定においてはなかなか、まずまずである。ロストロ先生のドヴォコンなので無数に記録のある中では表現も音色も基本一緒、飽きる人は二楽章までで聴くのをやめるかもしれないが、事故も含めて、ラストの大ブラヴォふくめて、価値はあると思う。(セルとニューヨーク・フィルという個性はほとんどメリットに影響していない、それを求めるなら買う必要はない)
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☆スクリアビン:交響曲第5番「プロメテ」断片(実験的ステレオ)

2018年02月24日 | Weblog
◎ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(history他)CD

※この録音は信じられないほどクリアで、色彩的で素晴らしい。当時の最高の録音と演奏の幸福な出会い。色光ピアノの光が目に見えるようだ。ピアニストも立っていて、演奏がいいのか録音がいいのか、断片だけではわからないが、とにかく良い。

ストコフスキーによる最初のステレオ録音(ベル研究所との協同) →ここ

historyのSP復刻第一集(もとは全10枚CDだったものを2001年位に二組に分けた)到着、早速このサイトのパブドメ音源(正規ではLPで復刻が出ていたとのこと)と比較。ワグナーに関してはすべて別録ないし被らないSP音源と思われる。展覧会の絵抜粋の抜粋はまだ聴いてないが全四曲ということから同じと思われる(モノラル含む)。historyは音源(録音年も?)を明記していないので同じものかどうかデータだけでは判別できない(実験的ステレオ録音かどうかすら書いてない)。わたしの入手目的の一つであったスクリャービンの交響曲第5番プロメテ「火の詩」から計6分あまりの抜粋は、録音年表記が一部異なるが同じでしょう。(正解は1932年3月12日ライブ△のようですが、historyでは1931/1932年となっておりました。私の古いリストに3月15日というものが記載されていましたが(交響曲第4番「法悦の詩」と同日)ここによると恐らくこの組み合わせだと3月19日の録音だと思われます。というかそういうの持ってたのか。原盤はvictorですがいかがわしいCDになっていたんでしょう。それにしてもパブドメっていいね。著名演奏家の骨董録音はかんたんに入手できる可能性が高いので買うのが馬鹿らしくなる)

こういうサイトがもっと検索できるエンジンだったのに何で今はあんななんだろう某Google。


△これは実験的ステレオではなく正規セッション録音もしくはそのテスト録音という意見が強い。実験的ステレオというより偶発的ステレオであり、二枚刃でカッティングされた一枚の原盤から拾った音を左右から聴こえるステレオに整えたという。本来は左右が逆に聴こえるのが正解というが、この理屈はよくわからない(いずれ近年手を加えているのだ)。ライヴ説に関しては咳の混入が根拠とされるが、テスト録音だったらありうるとのこと(ゆえに全曲盤とはやはり違うものだろう)。確かに精度が高過ぎる。精緻なライヴ録音のできる環境のあった時代ではない。演奏価値は揺るぎないのだが。

※2016-04-26 14:52:45の記事です
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☆ベルリオーズ:幻想交響曲

2018年02月23日 | フランス
○ラフリン指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(melodiya)

豪放磊落とはまさにこの人の芸風を言うのであり、オケのボリューム、異常なテンションとちょっと引いたテンポのかもす独特のロシア臭、ぞんざいな音処理の雑然とした印象が却ってこの演奏、このオケ、乱れまくっても筋は常に通っているアンサンブルや独特のロシア奏法に、指揮者の「これでいいのだ!」解釈といったものの特長を強く印象付ける。まったくもってこの安定したテンポでここまで強気で押し進められるとまさに「重量級戦車の轟進」といった趣で、緩徐楽章においても常に押しの強いソロ楽器が少しも曲自体の弛緩した部分を印象付けない。まったくロシアだよ、といったラフリンらしさ全開の演奏。幻想で感銘を受けることはそうそうない私だがこれは面白かった。ただ、これが正規録音と考えると、断頭台の行進から警句的な怒りの日の主題をまじえたまさに阿鼻叫喚のくだりにおいて弦楽器のテンション余って揃わないアンサンブルぶりといったらなく、勢いは凄いけど◎にはできまへん。また、有名な舞踏会のワルツはいささかワルツらしい遊びのない「夢の無い」ものとなっている。ラフリンらしいけど。ゴロワノフのジークフリート牧歌とのカップリング。

※2007-01-10 11:09:38の記事です
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ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

2018年02月22日 | Weblog
デュ・プレ(Vc)バレンボイム指揮ロンドン交響楽団(SLS)1968/9/2ロイヤルアルバートホールlive

驚いた、これは良い買い物だった。バレンボイムとのエルガー、ドヴォルザークの組み合わせで、SLSなので音は悪い。だがとにかくこの二人の相性が当たり前だがピッタリで、オケとソリストの融合具合がまず素晴らしいし、現代的な「格調高い」客観性に、悠々としたテンポをとっているが、それはデュプレに朗々と歌わせるためであり、美しいボウイングや細かなヴィヴラートからは威厳に加え色気が醸し出される。これは例えばロストロ先生のような完璧主義からは出てこない音だ。じっさい一楽章終盤細かな音符がごちゃっと壊れたり三楽章前半高音が取れず音程が狂ったり、完成度を犠牲にしている部分もあるが、完成度などはそれ専門の人の演奏を聴けば良い。この人にしか出せない音、弾けない旋律、実直なようで自在な揺らぎ、それらはデュ・プレをデュ・プレたらしめる、唯一無二のものである。くれぐれも録音は悪いが、盛大な拍手からもこの二人と素晴らしい機能性を発揮したオケがかなりの感動をもたらしたことは想像にかたくない。SLSはなかなか当たりが無いが、これは買いだった。既出だったらすいません。
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☆ムソルグスキー:展覧会の絵(ラヴェル管弦楽編)

2018年02月22日 | ロシア・ソヴィエト
○ゴロワノフ指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(Arlecchino)1947・CD

派手だが筋肉質の演奏で頭初こそ乱れはみられるもののこの録音状態では気にならない。やはり放送エアチェックものとちゃんとした録音は時代が旧くても安定感が違う・・・なんてことも思いつつだが、ラヴェル編曲といいつつ自分でどんどん手を入れる世代というのはあって、ゴロワノフなども(ストコのように全部ではないが)ブラス増強パーカス追加なんてバンバンやってしまう感じではあるのだが、ニュートラルに譜面も思い浮かべずに聞くと全く違和感はない。チャイコ寄り(最後などはプロコ晩年的でもあるが)にいじったというか、曲によってはラヴェルのリリシズムをはっきり表現しつつも、きほん「バレエ音楽」として、つまりチャイコのバレエ音楽を意識したような響きの輪郭の明瞭でリズムを強く打ち出すような作りをしており、この曲が拡散的で苦手な私でもその音楽にゴロワノフなりの求心力が注ぎ込まれていることにより最後まで飽きずに聞きとおすことができた(じっさい短いのでは?)。そういえば「クラシックの奥のほそ道」にはまり込む前はよく聞いてたものだが、そのときの遠いイメージを思い出すと、確かに同曲に聞きなれた人には違和感があるかもしれないなーとは思う。だって最後なんて序曲1812年だし。○。三回くらい録れているはずだが手元にはこれとあと有名な最晩年の録音がある。それはまたいずれ。

※2007-03-01 09:35:49の記事です
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