湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ショスタコーヴィチ:交響曲第9番~全楽章からの断片

2019年04月18日 | ショスタコーヴィチ
バーンスタイン指揮NYP(UNITEL)1966/1/5放送live・BD

ヤングピープルズコンサートの中の「ショスタコーヴィチ誕生日トリビュート」より。還暦。7番の1楽章主題再現を軽くやったあとはほぼ全部を9番の解説と断片演奏に費やしている。ベートーヴェン第九との対比など、ショスタコーヴィチのパロディの気質も、この曲自体が「第九」のイメージへのパロディになっていることを含めているのである。解説がやや長く、曲が分断されがちで総体的に楽しみづらいが、膨大な編成で軽交響曲をやるということ、たとえば木管ソロを繋いでいったり弦楽器とかけあいをやったり、ジャズ風とまで言えそうなやりとりによってその意味を視覚的に理解できる。演奏はけっこう攻撃的でNYPの実力が発揮されているが、ショスタコーヴィチは個々の楽器は部品化してやりにくそうに見えて合奏としてはまとめやすいのかもしれないという印象も受ける。7番の解説を聞きたかったがタイミングというのはこういうものだし、子供向けの番組なのだ。この回まで白黒。
 
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ショスタコーヴィチ:交響曲第4番

2019年04月10日 | ショスタコーヴィチ

オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(ETERNITIES)1963/2/15live

 

「一人の作曲家を偏愛しない」タイプの指揮者、カラヤンなどそうだと思うが、そのバトンテクニックと馬力あるオケの機動力をフルに活用できる大曲ならマイナー曲でもやった。オーマンディはチャイコフスキーの7番、マーラーの10番といった奇曲の正規初録音をやったことでもわかるとおり新し物好きで、両作曲家の他の有名曲はぱっとした録音を残していない。ショスタコーヴィチはオーマンディはわりとやっているほうで、しかも後期のあまりやられないものまで手を出しており、そこへきてこの私見ではショスタコーヴィチ初の本格的な大交響曲である4番が出てくると、マイナー好みや新し物好きからはみ出た意外な偏愛ぶりを感じる。コンドラシンの蘇演まで封印されていた曲だが、若いころのロマンチシズムのかけらが潤滑油となって聴きやすくしており、音響的な派手さは5番よりも上を行くものでモダニストとしての残滓というより、自分の作風に完全にそういう要素を取り込んだあかしとして、「交響作家ショスタコーヴィチの誕生」を感じさせる。3楽章制の異様に長い曲だけれども、1楽章の中国風の掴みから2楽章の陰鬱、3楽章の「わけわからなさ」、すべてが骨のような削ぎ落されたオーケストレーションから発光している。すぐのちのショスタコーヴィチの交響曲の作風を予告し、オーマンディだからということもあるがここでは演奏的な破綻がなくスリリングですらなく、ただちょっとオケの音がぼわんとふくらみがあるのでショスタコっぽい鋭さが感じられなかったりもするが、少し甘い部分もストイックに、きちんと冷たくさばききる。終演後大ブラヴォで、これは会心の出来だったのだろう。ステレオで良い録音。

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ショスタコーヴィチ:ピアノ五重奏曲

2019年02月28日 | ショスタコーヴィチ
アラー(P)ハリウッド四重奏団(capitol/testament/ars nova)1952/5/6・CD

ピアノが引きの一方、カルテットは音が太く均質なため、モノラルだと起伏なくずっと近い。もちろん大量の他盤と状態は同じだが、曲が垢抜けて色彩感もあるだけに逆にモノトーンの印象を与えるのは痛い。この楽団特有の力みは少なく、姑並に耳をかっぽじって聞けばそれはミスはあるが、基本的に整えた感じがする。終楽章の突き抜けた主題がはじめピアノで提示されるところからリズムが跳ねず客観的だ。打鍵は強いが正確さに重点を置いているようで、他の楽器もそれに乗るしかない。アンサンブルをやってる感じは出るが、人に聴かせる音楽をやってる感じは薄い。全般に音は濃いが、音楽は薄い。引っかかりがまったくない。面白い。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第6番

2019年01月02日 | ショスタコーヴィチ
コンドラシン指揮クリーヴランド管弦楽団(FKM)1979/1/28live

あっさりした演奏だがノイジーなのと弦がかなりバラけるのでパッとしない。音は明るく、だがそれゆえに浅薄でショスタコーヴィチらしい暗さがなく、コンドラシンも積極解釈する人ではないため、あっさり聴けてしまう以上のものはない。うーん。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第8番

2018年12月12日 | ショスタコーヴィチ
クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(eternities)1944/4/21live

全曲は初出ではないか。驚いた。残念なことにショスタコーヴィチにもクーセヴィツキーにも冷めてしまい冷静に聴いてしまうが、クーセヴィツキーが無解釈で突き進むだけのショスタコーヴィチをやっていたような覚えはあったが、ここでは必ずしもそうではない。アメリカによくいた初演指揮者として色んな曲を振りすぎた指揮者とはいえ、ショスタコーヴィチには思いがあるらしく、オケの、とくに弦の引き締め方はいつにも増して厳しく、充実している。特徴的なものはないがこの曲の躁鬱の激しさに一貫した物語を設定し、空疎で深刻な思いをしっかり打ち付けられている。ただ音色や表現が単調にも感じるが、それは極めて悪い録音のせいでわからなくなっていることもあるだろう。取り立てて聴かなければならないものではないが、クーセヴィツキーマニアなら聴いていいと思う。
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☆ショスタコーヴィチ:交響曲第1番(欠落あり)

2018年12月08日 | ショスタコーヴィチ
ロジンスキ指揮NYP(SLS)1941/12/7カーネギーホール(アフタヌーンコンサート)live 放送

ロジンスキのロシア物への適性は半端ない。私の耳にはまるで数珠繋ぎで細くて散漫だったり空疎だったり好みでなかった同曲を、しょっぱなから目の詰まった響きで異常な迫力のまま、分厚く緊密なアンサンブルを繰り出し圧倒してくるのにはもう、これはチャイコ2番などで聴かれる「素晴らしいほうのロジンスキ」だと言う感想しか出てこない。楽章の構成的にダレる部分も無いわけではないが、基本的にオケの充実度にはピアノ等ソロ楽器込みで文句のつけようがなく、この頃のロジンスキの覇気たるやカーネギーホールの聴衆が現代曲に慣れていなかったとしても、もっと湧いてもいいくらいである。惜しむらくは欠落で、これはラジオ中継放送なのだが、4楽章の途中にニュース速報が短く入り、曲終わりもブツ切れで余韻なく、一旦拍手は短く入るものの、そのあと休憩時間しょっぱなから真珠湾攻撃のニュースが正式に入り、耳を覆いたくなる内容に移行する。これは15分弱も続き、一旦次のブラームスのピーコン2番(ルービンシュタイン)の中継に戻るものの、また速報が入って、二楽章で打ち切りとなり終わる(このあと星条旗よ永遠なれが放送されたそうである(未収録))。3時開始のコンサートということで30分前に攻撃は始まっており伝達遅れのためむしろこの演奏が放送できたことを思うと、仕方ないのだが。COLUMBIAとVICTORがかかわっており正規録音があるんじゃないかとも思う。40年代録音にしてはノイズレスで音が良すぎる。これほどのドキュメントでありひょっとするとリマスター済みの既出音源かもしれない。

※2016/12/14の記事です
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ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第7番〜Ⅰ、Ⅱ.

2018年11月12日 | ショスタコーヴィチ
ベートーヴェン四重奏団(放送)live

2番とともにネットで聴ける音源だがデータが不明なのと、アレグレットとレントの乱暴な切り出し放送音源ということで宙ぶらりんな聞き心地。響きが濁るなあ、と思ったら録音がノイジーなのであった。ショスタコーヴィチはささくれだった心に寄り添う。緩徐楽章だけなら尚更。聴くタイミングによっては迫真味がある演奏。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第9番

2018年11月12日 | ショスタコーヴィチ
チェリビダッケ指揮スウェーデン放送交響楽団(weitblick)1964/11/20live・CD

軽妙というよりクレンペラーみたいな斬り裂き方で始まる9番。ショスタコーヴィチはこのあとも一応6作交響曲を書いてはいるが、実質このときに自分流の総決算として極めて諧謔的な「第九」を書いたのだ、という気分を持たせてくれる奇怪さと深刻さの錯綜する音楽に、チェリビダッケのショスタコーヴィチに対する見識を伺い知ることができる。これは録音は良くないが悪くもない。ショス9に食い足りなさを感じる向きにもおすすめだ。五楽章の歪な構成の末尾が、これはクレンペラーとは違いしっかり解釈し音にした、チェリビダッケの響きへのこだわりにより明確にフィナーレとして感じ取ることができる。断ち切れ感も、何を言いたいのかわからない謎めきもあまりなく、逆に終演後の戸惑う客席反応こそ、何故だと思う。何かしら過去の交響曲作家と違う総決算を提示したかのようで感慨すらある。
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☆ショスタコーヴィチ:交響曲第1番~Ⅰ、Ⅱ断片

2018年02月16日 | ショスタコーヴィチ

○トスカニーニ指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団(RICHTHOFEN:CD-R)1946/6/15ミラノlive

トスカニーニのショス1は他にもあるがイタリアオケの生気ある演奏として特筆すべき記録である。実際、アメリカオケのものに比べ「音楽がリアル」で、録音は極めて悪いものの精度も高く聞き応えがある。というか、NBCでは無味乾燥な演奏をなしていたトスカニーニがここではちゃんと「ロッシーニの紛い物」として、面白く演じているのは驚くべき発見である。

ただ、これ、一楽章は冒頭を欠き、二楽章にいたっては冒頭しかない。計6分50秒、これのためにこの盤を買うのはどうかというところだが、海賊的裏青にしては良心的価格なのでまあ、他のトラックと合わせ技では許されるといったところでしょう。

※2008-12-26 23:26:49の記事です
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☆ショスタコーヴィチ:交響曲第12番「1917年」

2018年02月06日 | ショスタコーヴィチ
◎ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(venezia)1961/10/1初演live・CD

放送音源的な録音の悪さがどうでもよくなる凄演。レニフィルも最高の状態で、最初から弓音がカチカチ鳴るところから気合のほどが伺えてゾクゾクする。一糸の乱れもない。曲はショスタコが退化して聴きやすい民族的主題を取り入れたり、わかりやすい構成をとっていて、それがまたムラヴィンに合っている。ムラヴィンには謎めいた表現を要求する曲よりも、単純明快ですかっとした曲がいい。とにかくこれを聴かずして同曲を聴くなかれ。一言より一聴。安いうちにどうぞ。

※2012-10-12 10:15:41の記事です
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☆ショスタコーヴィチ:「カテリーナ・イズマイロヴァ」組曲

2018年01月29日 | ショスタコーヴィチ
○ロジェストヴェンスキー指揮フィルハーモニア管弦楽団(medici)1962/9/4エジンバラlive・CD

かなり激しい内容の「ムツェンスク州のマクベス夫人」を体制用に編曲した作品の管弦楽組曲版だが、オケの一部パートに偏った負担をかけるショスタコ盛年期特有の書法が目立ち、効果的ではあるけれども、腕のある団体にさばきの巧いシェフでないと聴いていられないものだ。オケがメロウな音色を持っているためどうしても音楽的に甘さが出てしまうが、旋律性が浮き立ち流れよく進み、変な企みのないわかりやすさが魅力的。壮年ロジェストの水際立った指揮ぶりもさることながら、木管、弦の健闘に拍手。○。

※2008-01-20 19:57:32の記事です
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☆ショスタコーヴィチ:交響曲第9番

2017年12月30日 | ショスタコーヴィチ
○チェリビダッケ指揮ミラノ・イタリア放送交響楽団(ARKADIA)1967/2/17live・CD

この時代は過渡的な時代であったと想う。振ったオケの影響だろう、70年代に大きく変貌をとげ、更にドイツで今のイメージが確立した、と考えればこのころは比較的特長が薄く、どっちつかずの時代であったと言えるかもしれない。個人的に俊敏なドイツ指揮者の演奏は好きなのでそのスタイルに沿った、しかもけっこう音もいいこの録音には惹かれるところはあるが、和声を磨き抜く以外の特徴というとドイツの職人的な巧さのような部分しか指摘できない。ドイツのショスタコ、というのも独自の世界があり、東西でも違うし、東側にしても「遅いテンポで雄大かつ透明にえがく」というやり方が通用していたわけだが、その意味では「早いテンポで比較的重みをもって壮大に表現する」チェリの指向は面白い部分はあったと言える。人によってはとても楽しめると想う。

※2007-02-11 15:08:27の記事です
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☆ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第1番

2017年12月08日 | ショスタコーヴィチ
○ギレー弦楽四重奏団(MGM)LP

この団体は面白い。タコ1のような短い旋律音楽で、こんなに揺れるのも、まるでロシアの団体のようだ。といってもロシアでもベートーヴェンQをはじめとして余り揺れることもないのだが、情緒たっぷりに旋律を弾ききっている。ロシア団体とは違った意味でやや技術的不安定さを感じさせるのも芸のうちだろう。とにかく曲が短く浅いのでなんとも言いがたい部分もあり、私の盤面の悪さもあいまって、まあコミタスとの比較論なら余裕で○はつけられるということで。ま、音のいい演奏で透明なハーモニーと細かい音符の応酬を楽しむべき部分の多い曲であり、新しい演奏を選ぶのが、最初はいいと思う。

※2006/5/16の記事です
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☆ショスタコーヴィチ:交響曲第10番

2017年09月21日 | ショスタコーヴィチ
○A.ヤンソンス指揮レニングラード・フィル(KARNA:CD-R)1984/6/19ソフィア音楽祭LIVE

やはり客観性を感じる。厳しさはあるのだがムラヴィンほどの切れ味はなく、ややゆるい。このゆるさと、盛り上がりどころでも決して走らない客観的なところがあいまって、やや物足りない。ただ、この曲がかりそめのシニカルな盛り上がりを(またしても)作り上げ、スターリンが死んだことへの歓喜などと簡単に断じ得ないものと思わせる解釈にもなっている。カタルシスを与えるような2,4楽章のごく一部ではなく、1、3楽章など長い静かな部分に重点が置かれているのだ。フィナーレ最後の悲愴を模したようなヴァイオリンの音階表現など軽く粗く流され「チャイコ好きスターリンへのあてつけ?」とも深読みできるような感じすらある。謎。正直無印のような気もするのだが、○。

※2006/6/9の記事です
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☆ショスタコーヴィチ:ピアノ五重奏曲

2017年09月15日 | ショスタコーヴィチ
○リフキン(P)スタイヴサント四重奏団(columbia)SP

これもネット配信されている音源だがノイズが烈しく非常に聴き辛い音。よく調和した演奏ぶりは戦前の室内楽団ではなかなか無いアンサンブルとしての技術の高さを感じさせる。ピアニストは主張せずタッチが柔らかい。引き気味ではあるものの必要なところに必要な音があるといった感じで聴き易い。スタイヴサント弦楽四重奏団については言うまでも無いだろう、ソヴィエトで言えばベートーヴェン四重奏団や昔のボロディン四重奏団のような緊密さと色艶を持ち、しかしもっとケレンが無くニュートラルな美観をはなつ。全般この曲にしては地味めではあるが、この曲だからこそ素直で美しい演奏であったと想像できるもの。録音さえよければねえ。○。

※2009/4/27の記事です
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