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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲

2019年04月18日 | グラズノフ
マルコヴィチ(Vn)ストコフスキ指揮LSO(decca)1972/6/14,15live・CD

十年あまり前に書いた「無編集盤」の、ホンモノの方である。これをセッション録音だと思って看過していたがPhase4のボックスに収録されていたので見たら14日ロイヤル・フェスティバル・ホール60周年ライヴとかかれている。ライナーのデータは2日ぶん書かれていたので、編集有無以外にも「無編集盤」と差異があるものとみなして別項に書く。前の印象とはかなり違う第一部。丁寧で奇麗な音だ。テンポは遅めだがストコフスキー自身も国民楽派でこういう遅い演奏をすることがあり、磨かれた録音もあいまって違和感はない。だが第二部に入って音程がどんどん外しがちになっていく。磨かれた録音のために調整された音もあると思うが、その調整が至らないほど外していた可能性がある。テンポももどかしくなってくる。オケのほうが煽るくらいになる。しかしステレオ録音はじつに美しい。息切れしたようなラストにかぶって拍手が入る。ラストの印象は一緒だった。
Leopold Stokowski - Complete Decca Recordings
音の魔術師ストコフスキー没後40周年記念ボックス!
Decca

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グラズノフ:5つのノヴェレッテ

2019年04月03日 | グラズノフ

ファイン・アーツ四重奏団(naxos)CD

奇をてらわず民族味もなく安定した大人の演奏なのだが、装飾音のひっかけたような指回しと震えるヴィブラートに懐かしい味がある。「現代の演奏だからアレコレ」という悪印象なく正攻法で楽しめる。naxos新録音の演奏家にしては固いデジタル味がないのは良い(録音のせいもあるかもしれない)。もちろん国民楽派グラズノフを求めるなら誇張が足りない、物足りないと思うが、普通の人がロシアの有名室内楽ということで教養として聴くには良いだろう。旋律だけでも十分な曲だ。4楽章はファーストのアタックが強くテンポを少しずらして、さらに音色でワルツを演出していて特筆すべきところだ。ただし細かい揺らしがないのでワルツには聴こえない。。5楽章フィナーレは余りに落ち着いてしまった。

グラズノフ:5つのノヴェレッテ
グラズノフ,ナサニエル・ローゼン(Vc.),ファイン・アーツ四重奏団


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グラズノフ:弦楽五重奏曲

2019年04月02日 | グラズノフ

ファイン・アーツ四重奏団、ローゼン(Vc)(naxos)CD

知グラズノフ派には人気の高い曲で、保守的な作風だが弦楽四重奏曲よりも大規模作品を志向して書かれておりスケール感は同じように交響曲的と言われたチャイコフスキーよりもあり、構成感はじつにがっちりして、それが冗長に感じられることはあるのだが、得意のメロディに走ることも民族書法を前面に出すこともなく(3楽章終盤のフラジオは民族音楽を抽象的に昇華した非常に効果的なところだ)、新古典主義へ向かうようなメカニカルな安定感が印象的だ。4楽章はいきなりのメロディで、先輩作曲家のものや2番カルテットあたりの古風な趣があるが、その2番カルテット終楽章で見られた新しげな和声が同じように、より拡大されて出てくる。展開は5番のフィナーレにも通じる。振り返り3楽章の第一主題もカルテットに出てきたものに似ており、聴きこむと共通点をより多く見いだせるが、ここではさらに華やかに、重厚壮大に組みあがっていく。これはもう室内楽ではないのかもしれない。演奏はそつなく達者だが酷使されるファーストがショスタコーヴィチ四重奏団のファーストの音に非常に似せてきている。これはグラズノフの作品にはメリットかもしれない。ただ、ちょっと非力に聴こえる人もいるかも(録音用セッティングのせいのような気も)。

String Quintet in A Major, Op. 39: I. Allegro
Nathaniel Rosen


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グラズノフ:交響曲第2番

2019年02月05日 | グラズノフ
セレブリエル指揮ロイヤル・スコティッシュナショナル管弦楽団(warner)2009/6/2-5・CD

ダラダラ長くとりとめもない曲ではあるが国民楽派好きにはアピールするだろう。グラズノフの個性は固まっておらずオーケストレーションも生硬で単調。ヴァイオリンなど刻みばっかりで嫌になるんじゃないかという、メロディメイカーとしてもまだまだで、一つの主題に固執して大して面白くもない変容を遂げさせる。無理があるというか変な掛け合いだらけで細かくやりづらそうなアンサンブルではさすがの王立スコティッシュオケも薄くなったり乱れたり、セレブリエールも職人的な捌きを徹底しきれない。ただ、作風が固まってない時期のグラズノフ特有の清新さ(この人に清新さがあったのはごく一時期だ)がある。西欧のワグナーなど巨大な曲を書く作曲家からの影響を受けたとおぼしき、後年は絶対書かなかったような無理があるようにすら思える音の継ぎ方、これは同曲では最も映える一楽章で聞かれるが和声面の大胆さは、2番カルテット四楽章など他にも同様のものはあるが、いずれ耳を打つ。なぜこの方向性を詰めていかなかったのかとも思うが、それはアカデミズムの泰斗グラズノフの確立には邪魔だったのだろう。何を聞かされたのかわからない二楽章、スケルツォぽくしようとしたけど一楽章などとあんまり変わらない聴感の三楽章からまったく締まらないまま四楽章の数珠つなぎの音楽へ向かうが、この楽章はやっとボロディン=グラズノフらしい美しいメロディが出てくる。この曲全般にスケールを大きくみせているが、カリンニコフぽい簡素さも目立つ。西欧折衷派の色があるのでいくら低音ブラスが恥ずかしい咆哮をしても騎馬民族的リズムを煽っても、薄くて明るいトーンが求心的な方向には向かわせない。この楽章でグラズノフらしい構造があらわれるとやや、重みが出てくるが、いかんせん構成が緩くいつまでたっても終わらない(!)変奏曲が私は苦手なのだが、古臭い変奏曲を聞かされてる様な苦行感は否めない。それはこのシェフにオケがロシア風味をすこしも持たず垢抜けているせいもある。強弱の変化や重点の置き方が散漫で、メロディだけを楽しむにもぶつ切れの連鎖に聞こえてしまうところはまあ、、、後進の作曲家に鈍いだのなんだの言われるのはこういうところだなと思いつつ、ラフマニノフの一番もその時代においてはこのくらいの野暮ったさはあったような気もする。さらに、同時代ないしそれ以前のクーチカ界隈を考えると、ましであると言わざるを得ない。しかし、えんえんとフィナーレゾーン、なかなか終止音にならないな。。
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グラズノフ:交響曲第6番

2018年12月16日 | グラズノフ
○セレブリエル指揮ロイヤルスコティッシュ国立管弦楽団(warner)2008/6/4-6・CD

グラズノフのロシア臭を抜き、それでもなおこの音楽が力強くも繊細に響く名作であることを知らしめる名演。「笑ってしまう」局面もこの美しいオーケストラをもってすれば当然の如く感動的に伝わる。グラズノフを知らない人にも向くが、グラズノフを知っている方にこそおすすめ。悪いイメージがなくなる。
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☆グラズノフ:バレエの情景

2018年03月15日 | グラズノフ
○モントゥ指揮サンフランシスコ交響楽団(M&A)1943/12/12live・CD

こういうバレエを素材とした曲での水を得た魚のような、リズム感と流れるような音楽づくり、決して弛緩しないスピードはモントゥの持つ素晴らしい魅力といっていいだろう。弦の音にグラズノフの要求するボリュームと甘さがないのが曲によっては少し興をそぐが、力感とアンサンブル技巧だけでは物足りなくなるのがグラズノフの「限界」でもある。個々のパート技術はそうとうに高いので、明るく単調な音色はその犠牲となった部分といえようか。録音のせいかもしれない。終曲に力強さがないような・・・。

※2006-12-30 23:13:48の記事です
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☆グラズノフ:組曲「中世より」

2018年02月22日 | グラズノフ
○ゴロワノフ指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(melodiya)1952/3・LP

冒頭から強引な発音のゴロワノフ節全開で拒否反応もやむなし。「これゴロワノフじゃない?」とレーベル面を見なくても言える人が世界中に19人はいると思う(ゴロワノフを知ってる人は20人くらいだろうが)。前期作品でもとくに有名な「海」冒頭を思わせる序奏からもう大荒れ三角波状態で、物凄いぶっぱなしかたにまるきり中世の雰囲気は無い(ショスタコに言わせるまでもなく)。そもそも中世ロシアに祖先のしるべを見出した民族主義的態度を煽る音楽を想定しているわけで西欧なんか意識してはいないが、壮大な叙事詩が4楽章構成で明確に性格別けされ展開されるさまはまるでしっかりした交響曲。曲感は前期交響詩群の極めて完成度の高い西欧のエッセンスを取り入れた一種印象派的な音楽で、ロシア国民楽派の行き着く先が結局折衷派とたいしてかわらないという印象もあたえる曲でもある。終始リムスキーなど(一部その弟子のレスピーギすら思わせる)聴き易いものなので、曲的にもおすすめ。おすすめな曲をゴロワノフにいじられるとくどい。○。面白い転調が繰り返される場面など完成期前のグラズノフならではの変幻自在ぶりだ。

※2006-12-01 20:51:08の記事です
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☆グラズノフ:弦楽四重奏曲第5番

2018年02月14日 | グラズノフ
○リムスキー・コルサコフ四重奏団(ARS)CD

さらさら流れるような演奏で引っ掛かりは少ないが、内声部がよく聴こえる。この団体の中低弦の充実ぶりが伺え、グラズノフの書法の緻密さをじっくり味わえる。旋律主体の伸び縮みする演奏とは違う「アンサンブルの面白さ」が楽しめる演奏として特筆すべきだろう。2楽章のワルツなんかはグラズノフ四重奏団と同じような舞曲っぷりが何とも言えない香気を放ち、部分部分では特筆すべき解釈はある。終楽章はやや落ち着いているし恣意的過ぎる部分もあるものの、無難である。三楽章は余り印象に残らない。翻って長大な一楽章はとにかく速い。技術的に高いわけではないが技術的にバランスのとれた四人によって編み出された佳演と言えるだろう。ショスタコーヴィチ四重奏団よりもスタンダードと言っていいかも。

※2013-04-26 13:51:30の記事です
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☆グラズノフ:交響曲第7番「田園」

2018年01月30日 | グラズノフ
○ハイキン指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)LP

小盤に何故収まるんだと思ったら物凄い速い!完全なるトスカニーニ様式によるグラズノフ、演奏もソヴィエト国立とは思えぬ精度(木管外したりしてるけどモノラルなので目立たない)、盤の状態がひどいので詳細不明ということで○にしておくがちゃんとした音で聴いたら◎にしていたかも。人気ではボロディン的な4番5番やチャイコフスキー的な6番に劣るが、全体の完成度と楽想の豊かさ清新さでは群を抜いているのがこの7番である。ベートーヴェンを模倣したとさえ言われる1楽章から聴く気をなくす向きはこれを聞いてみるとよい。このくらい高速で力強くやられると紛れも無くボロディンの末裔グラズノフ以外の何者でもないことがわかる。スコアを見れば弦楽器のトリッキーな動きなどとてもベトとは程遠い異様な難しさを露呈している。しかしきちんと訓練を積んだプロならヒンデミットの交響曲類のようなすこぶる立体的な演奏効果を与えられるだろう。後半楽章のテンポはやや落ち着くが、演奏自体はそれほどダレた感じはしない。この曲の古い録音にはゴロワノフの名盤があるが、もっと正攻法でもっと西欧的な精度を保ち制御の利いた、それでいて攻撃的な音楽を存分楽しめるだろう。まさにトスカニーニを彷彿とさせる。トスカニーニのロシアものはダレたものばかりだけれど。○。

(CD-R化しているかもしれない。)

※2007-10-16 14:08:40の記事です
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☆グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲

2017年12月19日 | グラズノフ
○マジェスケ(Vn)セル指揮クリーヴランド管弦楽団(DA:CD-R)1967/10/6live

国民楽派の楽曲演奏には定評あるセルに対し超絶スタイルで猛烈な演奏を仕掛けるソリストがたまらない。グラズノフのここまで熱い演奏は録音ではなかなか聴けない。それはライヴなりの演奏精度ではあるものの、楽曲の読み込みがしっかりしていて表面的にならない。よくあるつまらない演奏にはけしてならないスタイルなのだ。若手にありがちな技巧だけで突っ走るタイプともまた違う、ロシアロシアしたヴィルトーゾスタイルとも違う、ニュートラルでありながら熱い演奏。セルのバックが丁々発止で第二部への突入がかっこいい。○。

※2010-12-19 16:54:54の記事です
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☆グラズノフ:交響曲第8番

2017年12月14日 | グラズノフ
○フェドセーエフ指揮モスクワ放送交響楽団(VICTOR/MELODIYA)CD

西欧の手法にのっとった完全に形式主義的な作品であり、その緻密な構造性ゆえにフェドの丁寧な構築の仕方がとてもしっくりくる。充実した対位的手法に対する理解が特にその内声部の計算し尽くされた運動性からくる魅力をしっかり引き出している。案外難曲であるがゆえにこのオケの弦の状態では厳しい局面も多々あるが、テンポ的にゆっくりじっくりといった感じなので目立った綻びというようには感じない程度に収まっている。情気の迸りといったアチャチャ感の無い、フェドの客観的ではあるがフレーズ一つ一つを大事にした細心の配慮が功を奏している。曲があっているということだろう。

晦渋な動機で統一された四つの楽章は、ブラームス的な古典回帰という意味では完全に時代に逆らったものであるが、元々ボロディン後期の革新的民族交響曲の伝承者として当時としては比較的奔放な自作の民謡主題を駆使したシンフォニーを才のままに作っていた人である。形式に対する感覚は本質的な師であるボロディン同じくしっかり持ち合わせ、リムスキーの表題交響曲のような破格な外し方は決してしなかったが、それでも聞けば瞭然に西欧とは異質のものとして存在感をはなつ作品を作る人だった。その頃のものはしかし旋律があまりに重要視されすぎ(もしくはあまりに魅力的な旋律ばかり使用したために)チャイコ的にオケの勢いまかせの所が大きく感じられ、ワグナーやボロディン並の新しさはあるが世紀末的な新しさは全く無いハーモニー(そして実際の響きの薄さ)という欠点があった。

そういったものは後期、特にこの8番に至っては完全に払拭され、重みある分厚いハーモニーが全編を支配する。フェドのようなやり方でしっかり整えられると、その響きこそが西欧的でありながらそうではない部分もある、何気に独自のとても魅力的な流れを作り出す、その礎となっているものであることがわかる。スヴェトラの全般に浅薄に感じる演奏に比してこの演奏の、特にショスタコが唯一称賛した2楽章という暗い楽章が、とても映えて聞こえるのは、まさに「相性」というものであろう。丁寧にやれば暗い幻想と浮き上がる夢の断片がこれだけしっかり聞こえてくるものなのだ。奇妙でおどけたスケルツォである3楽章がこれほどスケールのある音楽になりえるとも思わなかった。木管が裏で投げかける統一動機の小さな旋風もしっかり聞こえてくる。録音もいいのかもしれない。但しこれが「正しい」のかはわからない。アカデミストであるグラズノフの「形式」観では、スケルツォは独立した軽く快活なものであるべきであり、その前後の楽章とのコントラストこそが重要とされる。動機で統一されているとはいえこの8番においても聴感は違和感スレスレのとっぴな印象を与えるものになるのが普通である。が、これはフェドの個性としておくべきか。4楽章はフェド的な偉大なもの。ロシア交響曲伝統のフーガ的構造もグラズノフ特有の中声部以下の魅力的な動きと共に、より明確にそれとわかる形で聞こえてくる。グラズノフのメロディメーカーとしての最後の息吹も、丁寧にロマンティックにフレージングされ美しい。オケに難点はあるが(練習量の問題?)最後の最後に「民族的処理」が顔を出し(全曲通してこれまで一切民族的要素は出てこないのだ)勢いよく終わるさまを明確に原典どおり示したところ、逆にひどくスケールアップするより効果的に思えた。勿論物足りなさを感じる向きもあろうが、これもアリと思った。トータルで○。

※2005-10-20 10:03:28の記事です
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☆グラズノフ:弦楽四重奏曲第5番

2017年12月03日 | グラズノフ
○レニングラード・フィル四重奏団(タネーエフ四重奏団)(MELODIYA)LP

グラズノフの室内楽録音は長らくこれ一枚しかなかったが、それほど枚数がはかれなかったために、余り知られないまま今に至っているようである。同楽団はのちにタネーエフ四重奏団となった。技術的に確かに不安定なところがあり、意気軒昂とやってのけるショスタコーヴィチ四重奏団に比べれば聴き劣りするところもあるのだが、高めのピッチにスッキリしたテンポは現代的な印象も与える。細かいルバートはあるし縮緬ヴィブラートも特有のロマンチシズムを演出するのだが、あっさりしすぎと感じるのはとくに最初の二つの楽章だろう。内声部の仕組みがいまいち浮き立ってこずグラズノフの技巧的長所が聞き取りづらいのも難点だ。ただ、4番以降ベートーヴェンらの影響下に晦渋な構造性をしっかり盛り込むようになったグラズノフの、最もボリュームのある緻密なカルテットなだけに、いちいち細かく弾いていては重重になり胃がもたれてしまう。やや粗雑な演奏振りに反して聴き易さは感じた。白眉の三楽章ちょっと遅い四楽章と、ショスタコーヴィチ四重奏団より変わった感じで流れよく聴き終えられる。それにしても何故この曲がマイナーなのか理解できない。スマートな旋律の宝庫。○。

※2010/12/22の記事です
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☆グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲

2017年11月27日 | グラズノフ
マルコヴィッチ(Vn)ストコフスキ指揮ロンドン交響楽団(inta glio他)1972/6/14ロイヤル・フェスティバル・ホール(ストコフスキロンドンデビュー60周年記念live・一回目?)・CD

このコンビでlondonにスタジオ録音を残しているそうで、それに先立っての機会だとされているがそちらは未聴。

何故ってソリストが技術的に未熟過ぎるのだ。協奏曲では遅いテンポと生硬なリズムを形作るストコフスキではあるが、これは完全にソリストが「若すぎる(指揮者の70歳年下と紙面にセンセーショナルに書かれた)」。確かな堅牢な音がごくたまに、おっと思わせる部分もあるものの、このルーマニアのヴァイオリニストが、このストコフスキにとってもロンドンにとっても稀有の機会にふさわしい人材だったものか、もちろん興行的なものやストコの好みもあっての「起用」だったのだとは思うが、比較的短い単一楽章のグラズノフで手こずるようであれば大曲は難しい。

といっても(帝政ロシア時代末期にしては)多彩な演奏方法を要求される特異な曲で、決してヴァイオリンに精通していたわけではないことが伺える無駄に重い重音進行の連続やトリルの多用(これらはグラズノフの癖でもあるが献呈者ともなったアウアーの助言で何とかなったという気がしなくも無い)、自由度の少ない短いカデンツァ(D.オイストラフ版を使っていると思われる、というかそれしかないと思う)、第二部では音量的に不可思議なペットとの掛け合いから始まる、確かに国民楽派としては素晴らしい民族音楽の換骨奪胎ではあるけれども、いささか不自然さを感じさせる変奏曲・・・

それらを巧く繋いで全体的なまとまりを出すまでに到底至っていないソリスト、更にそれ以前の問題としてヴァイオリニストとしてどうかという上がりっぷりというか、音程の不確かさや指の廻らなさ、適切なスピードの維持できないスリリングな演奏ぶりに、「若さ」を強く感じさせられてしまう。ストコにとってもブラ1の一世一代、そして指揮人生の最後の輝きを象徴する演奏と比べ、拍手も半端になってしまうのは曲だけの問題ではあるまい。intaglio盤ののちに他でも復刻されたようであるが詳しくは知らない。同日同演目で二回公演をしているので、一回目とすれば単にソリストは上がっていたのかもしれない。音程が崩れるのは前半部であり、後半部のバラライカ模倣などは大ヴァイオリニストらがやっていたようにスピードで押し切るのではなくゆっくり響きを出していく特有の民族情趣が感じられてまあまあいける(偶発的なものの可能性が高いが)。

※2009/5/10の記事です
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☆グラズノフ:交響曲第8番

2017年09月13日 | グラズノフ
○朝比奈隆指揮新星日響(tobu他)1992/1/18live・CD

演奏当時自主制作盤として販売されていたものを東武トレーディングが発掘再発したものでうれしい値段である。朝比奈氏はアマチュアだらけのロシア国民楽派の中ではグラズノフを「ましなもの」程度と評価していたといい、中でもこの最後の8番に興味を持っていたようだ。それはマーラーの千人を演奏したころなどと一致し、世紀末音楽の流行という世間の雰囲気も後押ししてのものだったのかもしれない。2楽章の深層まで切り込みあまやかに歌う印象的な表現はショスタコーヴィチが唯一評価した曲だという伝説と一致する。1楽章冒頭からはしょうじき重くてダレた雰囲気が「国内オケだなあ・・・」という感じなのだが、2楽章が俄然、3楽章の軽妙なスケルツォは朝比奈式にはやや重いが、4楽章のはからずもグラズノフの最後の(正式な)交響曲楽章となった偉大な変奏曲において、重々しく格調高い表現を演じており秀逸だ。これは朝比奈世界だろう。この作曲家にはきちんとしたドイツ式の演奏記録というものが少なく、中でもここまで西欧的に振れた作品にもかかわらず演奏自体されないというのは残念であり、朝比奈氏が一回であってもやったというのは記録として価値がある。○。

※2011/11/18の記事です
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☆グラズノフ:弦楽四重奏曲第5番

2017年08月09日 | グラズノフ
○モスクワ放送弦楽四重奏団(MELODIA)

これこそスタンダードと呼びたい。スタイルは現代的で音もプロとしては普通(力強く金属質で私は苦手な音だが)、あっさり流れるように速い(とてつもなく速い)インテンポでパウゼもどんどんすっとばし、フレージングにも過度な思い入れがなくポルタメント皆無の教科書的な表現だ。しかし、非常に高度なテクニック(今まで聞いたどの演奏より抜きん出て上手い、ミスは1楽章末尾が速過ぎて聞こえなくなるところくらいだ)に裏付けされたこの異常な集中力、(繰り返しになるが)終始ものすごく速いテンポはグラズノフ円熟期のワンパターンで厚ぼったい書法のもたらす変な重量感を軽やかに取り去って、敷居を低くしている。逆に旋律の美しさが際立ってきて耳優しい。西欧古典を聞くような感じがするが、ベートーヴェンを意識したがっしりした曲調については、それほど意識的に強調してはいないふうである(アタックの付け方も普通だ)。そうとう手慣れたアンサンブルぶりでこのロシアの団体の経験値の高さに驚かされるが、解釈というより録音バランスの問題だろう、2楽章第二主題の展開でファーストが巧みに裏に入りセカンドと絶妙な高音ハーモニーを聞かせる(若い頃からグラズノフの得意とする方法で真骨頂だ)非常に美しいセンテンスにおいて、なぜかセカンドが引っ込みファーストが雄弁に「対旋律」を歌ってしまっている。意図だろうが違和感があった。まあ、このスピードの4楽章が聞けるだけでも価値は多大にある。このくらいまで速くないとダレますよ長丁場。総じて○。

<後記>何度も聞いていたらだんだんそんなに言うほど巧くない気がしてきた。4楽章後半とかテンポグダグダになりかけてるし、ロシア録音、とくにモスクワ放響やモスクワ・フィルの弦楽器にありがちな中音域の薄いばらけた音響(多分に録音のせいもあると思うが)に近いちょっと・・・なところもある。それも鑑みてやっぱり、○は妥当かな。

※2006/2/3の記事です
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