湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

<謎>トラバが受け付けられない?

2009年01月29日 | Weblog
ひょっとしてテレ朝の捏造ブログの温床になったことからgooブログさんのデフォ認証が厳しくなったのかな(んなわきゃない)TBが届かない現象が発生しているようです。ブログ設定上はリンクなしor英数半角文字のみのTBを弾いているだけなのですが、、、承認制ですけど承認の俎上にも上がらないのでGWで弾いてるっぽいです。ただ、届くのもあるんですよね。。

取り急ぎ連絡事項でした。
Comments (4)
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選んでいるからスパムではない・・・けどコピペ・・・

2009年01月28日 | Weblog
誰も指摘しないのかな。というか年齢層的なものなのか、ご本人から直接紹介いただいたと素直に感想を書いている人もいるみたいだけど、純正律の玉木宏樹氏の関係者が新刊の宣伝にいわゆるコメントスパム行為を行っているようだ。このかたの著書についてかなり前に書いたおぼえがあるが、例によって私は書名や著者名をぼかして書くことが多いので自分でも探し当てることができない。マニアックでおもしろかった、程度だと思うが、私ごときが四の五の言える相手ではないものの、その手段にはいささか違和感をおぼえる。

恐らく対象ブログ(BBS)を閲覧はしている、多忙なご本人でないにせよ関係者が・・・数はそんなに多くないから。そうしたうえでコメントをつけている。

・・・ただ、文章が「完全に」コピペなのである。更にコメントする対象記事がまったく「無関係」な場合が多いようなのである。

何らかの手段による無作為抽出、即ち宣伝スパムとみなされても仕方ない。

何故これに気がついたかといって、巡回しているブログの一つにたまたま氏の名義のコメントがついていたこともあるのだが、ここのブログに残っていたアクセスログに、google検索ワード「玉木宏樹&(書名)」というのがあったのである。

あれ?この人の名前と書名で記事書いたことなんてあったっけ?googleで検索しても出ないぞ?というのはよくあることだからまあいいとして、そもそもこういう検索をするというのは何か宣伝目的の場合がほとんどである。

そしてうちのアクセスにこの手合いは極端に少ない。護符のようにべたべた貼り付けたアフィリバナーのためだろうことは想像に難くない(前にも書いたがバナーでべたべた飾っている理由にはそういうのもある)。このブログ自体「スパムブログ」を「偽装」している・・・機械的に検索する人間(ロボット?)に対して。変な虫を寄せないためである。

うーん・・・うちはわりとコメントは厳しいがトラバはゆるいのでトラバで送ってくれれば載せるんだけど、その価値なしと思われたなら複雑な気分(;^^でもまあ、いいんだけどね。面倒だし。ネット上で生きながらえるためには永世中立を保つことは必要。そのためには余りメジャーどころに寄りかからないのが身のためである。このかたがメジャーどころかどうかは、「年齢によって」評価が分かれるところだろうが。

”作曲とヴァイオリン演奏の玉木宏樹です。”から始まるコメントに注目してみてください。WEBリテラシは難しいモンダイだ。
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ソーゲ:ピアノ協奏曲第1番

2009年01月28日 | フランス
○デヴェツィ(P)ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(le chant du monde他)

楽器用法などめくるめく個性的ではあるのだが、一貫して古風なロマン派協奏曲的楽想が支配している。2楽章はこの曲の白眉でサティ的ピアニズムの延長上にある単純さの美学が光る極めてフランス的な美観をはなっているが、両端楽章はどうしてロマンティックで、線的で構造性の希薄な書法が裏目に出ていることもありグリーグからチャイコフスキー、ラフマニノフに至る近代ロマン派ピアノ協奏曲の系譜を「受け継ぎ損なった」だけのように感じられるところが痛い。それでなくても設計が甘く冗長感があり、何か、いやこの録音自体が独特の響きを持つソヴィエト録音であることも多分に働いている印象だと思うが、カバレフスキーなど社会主義レアリズムのピアノ協奏曲に近似した「二流感」が漂う。演奏陣に不足は無いと思うが、解釈に対して主張する強さも繊細さも感じ無い。ソゲは個性的ではあると思う。響きに初期ミヨーの協奏曲を思わせるところもあるが構造性を否定した数珠繋ぎのような書法は独特で、フランス風でもロシア風でもない個性が底流にはある。ただいかんせん・・・楽想が足りない。○にはしておく。
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ブラームス:大学祝典序曲

2009年01月28日 | ドイツ・オーストリア
○ロスバウト指揮ACO(RICHTHOFEN:CD-R)1950年代live

よく鳴り明快な音楽になっているが、いささか明るく軽く感じる。このコンビというとペトルーシュカの名演を思い浮かべるが、寧ろああいう現代的且つ非ドイツ圏の音楽にあっているのではないかと思うことがある(ロスバウトのラヴェルもなかなかしっくりくるものである)。ブラームスでさえロスバウトにとっては「単純すぎる」のかもしれない。○にはしておく。インパクトは余り無いが聴衆反応はフライング気味でいい。
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フランセ:ほぼ即興で

2009年01月27日 | フランス
○作曲家監修マインツ管楽アンサンブル(wergo)1987/1

書き散らかしたかのような小片の多いフランセだがこれも思いっきりそのひとつと言える。まったくブレのないマンネリズムの範疇にあってまるで80年時を遡ったかのような雰囲気を持つが、それでもこの短い中にきちんと序破急を組み立てているのは職人技。晦渋なソロだけでいくのかと思ったら結局世俗ワルツか、みたいなところもあるが、まあ。。○でいいでしょう。
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フランセ:「モーツァルト・ニュー・ルック」

2009年01月27日 | フランス
○作曲家監修マインツ管楽アンサンブル(wergo)1987/1

フランセお得意の剽窃音楽で、自分の作風に沿って楽器の組み合わせの妙を楽しませるといった軽い趣向の小品。ここではペトルーシュカふうのワルツにのってバス音域のモーツァルトを象のように揺らせていくという趣向。その上で高音木管楽器が小鳥のように囀り続ける。ベースのラインが技巧的で面白い。古くもなく新しくも無い、なかなか面白い聴感がある。わりと有名な曲。演奏は不可無し、といったくらい。○。
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フランセ:羊飼いの時間

2009年01月27日 | フランス
◎作曲家(P)レーヴェングート四重奏団他(A.Charlin)

うん、これは楽しい。猫の鳴き声から始まってパリ夜のランチキ騒ぎのような世俗的な音楽、メロディも和声も懐かしく馴染みよくレーヴェングートのねっとり、でも小洒落たアンサンブルに対してフランセ自身のピアニズムがしっかり芯を通す、やはりこの人の芸風は自分の作品に最もあっているんだなあと思う。フランセのあまたある作品の中でもかなり上位に置けます。◎。
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ミヨー:四行詩の組曲

2009年01月27日 | フランス
○マドレーヌ・ミヨー(語)作曲家指揮ランパル、モンタイユ他(Ades/everest)

これはアスペン・セレナーデと弦楽七重奏曲とともに録音されたもので、それらは別の組み合わせでACCORDよりCD化されている。ミヨー特有の、各声部の独立した音線(それぞれは美しいラテンふうの旋律を持つ)のおりなすポリトナリティが無調感を醸す曲だが、楽器数を絞っているのと典雅な木管楽器とハープを中心とした響きで統一しているため聞きづらい部分は少ないほうである。ミヨー夫人の語りはいつもの調子。何か比較対象がないので評しづらいし曲的にも小規模なので、○ということにしておく。奏者はいずれも一流どころではある。
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ドビュッシー:チェロとピアノのためのソナタ

2009年01月26日 | ドビュッシー
○ピアティゴルスキー(Vc)ルーカス・フォス(P)(RCA)LP

ピアティゴルスキーらしくない技術的に怪しい部分がいくつかあるにせよ、スケール感や構成力には天性の才能を依然感じさせる演奏で、力強く豪快さはあるもののロストロ先生とは違い音楽家としてはかなりニュートラルなところが繊細なドビュッシーにあっていて、強みに働いている。ラヴェルの作品のようなところのある難曲だけれども、決してテンポを弛緩させることなく描ききり、またフォスもアンサンブルピアノとして巧くサポートして付けている。打鍵が強くペダルをそれほど使わないいかにもアメリカ的なピアニズムを発揮しているが、晩年のドビュッシーの明確な彫刻には合うのである。○。
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フランセ:8つのエキゾチックな踊り(二台のピアノのための)

2009年01月24日 | フランス
○作曲家、クロード・フランセ(P)(A.Charlin)

邪気の無いラテンミュージック集だが、いつもながらドライな演奏振りで特有の素っ気無さが不思議である。これだけ思いっきりふざけた小品集を書いておきながら、奇妙に面白さを引き立たせることもなく、かといって構造の職人的な紡ぎ方を魅せつけようとするわけでもなく、旋律構造だけは明確にくっきり、いわばラヴェル的な表現で再現しようとしている。ただ楽天的でシンプルなわけではなく不協和で複雑な諧謔性があるのは確かで、演奏も意識的にやっているのだろう。曲集自体はクラシックとしてはどうかと思う。が音楽的には文字通り楽しめるし旋律も往年を思わせる閃きがあり、晩年作にしてはいいものだ。wergoに残した協奏曲を含む自作自演集と同じ匂い、何か筆のすさび的な、マンネリズムの産物であるとわかっていてそつなくやっている感じがする。まあ、80年代にもなってまだこういう曲を書いていたというのは、クラシカルな感覚ではなく、ライトミュージックの感覚であったのだろう。○。
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フランセ:8つのエキゾチックな踊り(11の器楽と打楽器のための)

2009年01月24日 | フランス
○作曲家監修・マインツ管楽アンサンブル(wergo)1987/1

ピアノ版もあるが音的にはこちらのほうがしっくりくる。ほんとに軽い冗談のような、フランセらしい洒落た小片集である。ただ軽音楽のようにいかないのはフランセにはよくあることだが、机上論的なパズル構造を持ち込んでいるところで、管楽アンサンブルにやらせるというのは、リズムを揃えるだけでも厳しい。三曲目あたりでは微妙なポリリズムが危ういところで何とか折り目正しく無理やり揃えられている、という感じを抱かざるを得ない。しかしまあ、ほとんどの曲が馴染みやすいラテンミュージックなので、「マンボ」や果ては「ロックンロール」まで(ロックというよりジャズと思うが)、時折変奏曲ふうに共通の主題が表われたりするのを面白がりながら、多彩な響きと職人的な作曲手腕に感心する、それだけの曲か。演奏的には○以上ではない。ちょっとしゃっちょこばっている・・・仕方ないんだけどこの編成では。
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ディーリアス:「ハッサン」のセレナーデ(チェロ編曲)

2009年01月24日 | イギリス
◎ベアトリス・ハリスン(Vc)マーガレット・ハリスン(P)(SYMPOSIUM)1929/10・CD

初期作品の編曲だがやはりボロディンの影響を受けていた頃のディーリアスは旋律が瑞々しくわかりやすい。ハリスン姉妹の中でベアトリスは際立って巧い。ヴァイオリンのような音色でまさに歌そのものを素直に聞かせる。アンコールピースに適した曲だが、見本のような演奏なので◎。
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ディーリアス:ヴァイオリン・ソナタ第2番

2009年01月24日 | イギリス
○マックス・ロスタル(Vn)ホースレイ(P)(westminster)LP

M.ロスタルが大人の音で落ち着いた雰囲気を醸す。技巧的にも余裕がありなお、ただ演奏するのではなく含みを持たせたような、ディーリアスの中に一歩踏み込んだような解釈をみせる。ディーリアスのヴァイオリン・ソナタは1,2番がほぼ同じスタイルの、気まぐれな半音階進行を駆使し旋律性を失わせる煩雑な曲となっており、最晩年の3番だけは使徒フェンビーが調整したせいもあり旋律があやういところではあるが原型を保っている。ロスタルで1番を聴いてみたかった。○。
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ディーリアス:ヴァイオリン・ソナタ第1番

2009年01月24日 | イギリス
○カウフマン(Vn)ザイデンベルク(P)(concert hall society)LP

最初こそ無愛想で素朴だが、やはりルイス・カウフマン、只者ではない。安定感のある表現を駆使してぐいぐいと曲を引き立てていく。ドイツ・オーストリアや東欧のヴァイオリニストのような鋭く金属質で耳に付く感じが無く、この曲には太くてざらざらしたこういう音が似合う。連続して演奏される3楽章にいたって技巧派たる部分も見せ、ディーリアス特有の名技性を浮き彫りにする。これは最初で投げ出したら駄目。メイ・ハリスンとは対極的な設計。○。
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ディーリアス:ヴァイオリン・ソナタ第1番

2009年01月24日 | イギリス
メイ・ハリスン(Vn)バックス(P)(SYMPOSIUM)1929・CD

SP復刻で音が悪いせいもあるが、冒頭こそオールドスタイルの音色で引き込まれるものの、運指のアバウトさが目立ってきて、旋律線を見失うほどにわけがわからなくなる。曲のせいでもある。ディーリアスの室内楽や協奏曲は独特である。旋律が途中で半音ずれていくような進行、瞬間的で無闇な転調の連続、不規則な入り組んだ構造が気まぐれ感をかもし、非常にわかりにくい(しかし何か秩序だってはいるのである)。ある意味とても前衛的で、習作期の素直さが微塵も残らない番号付きヴァイオリン・ソナタや協奏曲は、作曲時期的には頂点にいたはずなのに、弾いている当人ですら根音がわからなくなるほどマニアックだ。そういう曲にはこういうソリストやメニューヒンのような柔らかいスタイルはあだとなる。鋼鉄線のように鋭く正確な音程を機械的に放っていかないと本来の意図は再現できまい(弦楽器向きではないという批判はあるにしても)。こういった晦渋さはRVWよりはホルストに受け継がれた。しかし、牧歌的なひびきの中に一種哲学的な抽象性が浮かび上がるような演奏では、疲れたものへの慰めになるものではある。その意味でもやや適任ではないと思うが、作曲家ゆかりのヴァイオリニストであり、むしろヴァイオリンより力強く個性的なコントラストをつけて秀逸なピアノは同僚バックス、資料的価値はある。無印。
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