○パレナン四重奏団(ensayo)1970'
スペイン録音。けっこう明るく透明感のあるアナログ音質ゆえこのレーベルのパレナンものは美しいのだが、パレナンのスタイルとして客観性が勝り構造を機械的に分解し硝子細工として再構築するさまは曲によってはひどく非人間的に聞こえる。スピードもえてして遅く余り揺れない。そういう形は現代作品だと逆に生きてくる。この曲は民族的要素を分析昇華し極めて凝縮された抽象作品に仕立てたようなもので、ロシアの演奏団体なんかだと昇華前の民族要素を煽ったりして趣旨がよくわからなくなることもしばしばある(それでも魅力的なのがストラヴィンスキーの懐深さだが)。パレナンは真逆である。一曲めの土俗リズムにのってとめどもなく綴られるファーストの旋律が、普通は民族主義音楽のストラ版のように演奏されることが多く、かなりのスピードと軽やかなリズムどりがスリリングであるのだが、パレナンはいきなり重く、そしてとても思索的な低い重心の音楽をかなで出すのである。二曲目は一曲目とあまりに違う、かなり抽象度の高い曲ゆえ聞いているとわけがわからないことが多いのだが、ここでパレナン団の真骨頂が見える。まったく完成された「現代音楽」的に聞こえるのである。響きも構造もきわめて明快で整理され、比較は悪いがウェーベルンの室内楽を聴いているかのような錯覚に陥る。ああ、ストラヴィンスキーの前衛は晩年に噴出したわけではなく、かなり古い時期から潜在的に存在していて、表明されたイデオロギーや周囲の見方に反してこの人の中には「ハルサイのストラヴィンスキー」などというものはとっくに無くなっていたのだなあ、と思った。三曲目も更にすばらしく、この曲で一曲目以外に魅力を感じたのは初めてだ。客観性の強い演奏団体は余り好きでは無いので◎にはしないが、楽曲理解には素晴らしくうってつけである。
スペイン録音。けっこう明るく透明感のあるアナログ音質ゆえこのレーベルのパレナンものは美しいのだが、パレナンのスタイルとして客観性が勝り構造を機械的に分解し硝子細工として再構築するさまは曲によってはひどく非人間的に聞こえる。スピードもえてして遅く余り揺れない。そういう形は現代作品だと逆に生きてくる。この曲は民族的要素を分析昇華し極めて凝縮された抽象作品に仕立てたようなもので、ロシアの演奏団体なんかだと昇華前の民族要素を煽ったりして趣旨がよくわからなくなることもしばしばある(それでも魅力的なのがストラヴィンスキーの懐深さだが)。パレナンは真逆である。一曲めの土俗リズムにのってとめどもなく綴られるファーストの旋律が、普通は民族主義音楽のストラ版のように演奏されることが多く、かなりのスピードと軽やかなリズムどりがスリリングであるのだが、パレナンはいきなり重く、そしてとても思索的な低い重心の音楽をかなで出すのである。二曲目は一曲目とあまりに違う、かなり抽象度の高い曲ゆえ聞いているとわけがわからないことが多いのだが、ここでパレナン団の真骨頂が見える。まったく完成された「現代音楽」的に聞こえるのである。響きも構造もきわめて明快で整理され、比較は悪いがウェーベルンの室内楽を聴いているかのような錯覚に陥る。ああ、ストラヴィンスキーの前衛は晩年に噴出したわけではなく、かなり古い時期から潜在的に存在していて、表明されたイデオロギーや周囲の見方に反してこの人の中には「ハルサイのストラヴィンスキー」などというものはとっくに無くなっていたのだなあ、と思った。三曲目も更にすばらしく、この曲で一曲目以外に魅力を感じたのは初めてだ。客観性の強い演奏団体は余り好きでは無いので◎にはしないが、楽曲理解には素晴らしくうってつけである。