湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

マーラー:交響曲第6番

2005年05月26日 | マーラー
ラトル指揮ベルリン・フィル(PANDORA'S BOX:CD-R)1987/9/14LIVE

ラトル若干32歳、衝撃の演奏として当時話題になったもの。のちのち長くマーラーに取り組み、またベルリン・フィルと組むそもそものきっかけとなった。全般率直で速く、後年とはかなり印象を異にする。さっさと進みしかしテンション高く若気の至りを時々迸らせながらドライヴしてゆく。解釈のミニマムな部分には後年に引き継がれるものももちろんあるし、アダージオの純粋に音を磨き過度に思い入れを込めないあたりは同じなのだが、テンポが格段に速いのはやはり大きな違いとして認識される。また、解釈の個性という面ではそれほど魅力的ではない。

一楽章冒頭からもう、若いというか、統率力に疑問を感じさせるバラケっぷりが聞かれ、アルマの主題は音色を付けることなくあっさりやりすごし、ひいてはパート、セクション間に微妙なテンポ差が出るという危ない場面も見られ、ベルリン・フィルの合奏力や鋼の音を生かしきれていないようにも感じられるが、音楽的には妙に引き締まっており、若手の客演ライヴとしては充分許容範囲と言えるだろう。直球系指揮者の暴走みたいなところもある。鞭の音が面白い。提示部反復あり。二楽章アダージオは前記のとおり。この楽章はほんと後年と全然テンポが違う。スケルツォは烈しさが感じられるものの割合普通。

四楽章はとにかく荒々しく突き進むがちゃがちゃした音楽で、これはもうシェルヒェンだ、と思えば楽しめる。もっとも解釈的な面白さは少ないので三度聴くもんじゃない。ゴングなど金属打楽器を強調して響かせているのが特徴的だが、緩徐部での余りにリアルでやかましい響きはファンタジーを阻害しマーラーの本質を殺している。もっとも、シェルヒェンと思って聴けばそれも許せるだろう。とにかくオケが崩壊しようが構うもんかの態度は若い者の特権だ。これが衝撃的デビューとされたのはちょっと意外というか、そこまで凄い演奏とも思えないが(ブラヴォも出ません)、ベルリン・フィルの特に弦楽器をここまで必死にさせることができた(つまり即興的にアッチェルしたり気まぐれな部分で必死についてこさせた)のは並ならぬ統率力の証拠と好意的にとらえることもできるだろう。まあ、カラヤン後のベルリン・フィルでは滅多に聴けなかった必死な演奏である。もうアンサンブルとかザッツの乱れとか音色とかいうレベルじゃないので、神経質なかたには絶対お勧めできない。2005年のウィーン・フィルとの合同ライヴに比べ、コンマスソロがかなりまともなのは評価できる。標準レベルに美しい音色だ。奏者の問題ではあるが。

悲劇的ばかり、しかもラトルばかり聴いてきたが、やはりこの曲は並ではなく、結局何度もどんな演奏でも聴けてしまう、じつに練り上げられた名曲なのである。この一大叙事詩のあとに7番という全く異なる散文詩を書いたというのは信じられない転換といってよく、マーラーという才能がいかに短期間でめまぐるしくさまざまな力を発揮して去っていったのかがわかる。最近時間の関係上マーラーは聞いていなかったが、久しぶりに聞くとやっぱり、凄いもんだ。
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マーラー:交響曲第6番

2005年05月25日 | マーラー
○ラトル指揮ベルリン・フィル/ウィーン・フィル(放送)2005/5/4合同演奏会LIVE

参考。ふたつのオケに、より融合がはかられた反面まろみを帯びた演奏になっていて鋭さが更に後退したように感じられる。短くリズムを刻む場面でも記譜どおりに音符の長さを保たせるためにせっかくのキレがなくなるという現象がここでも頻繁に見られる。ウィーン側のアバウトさとあいまってだらしなかったり鈍重になったり。だが、そこがこの演奏の面白さでもあるのだ。

一楽章、弦の刻みの鋭さなどバーミンガムとは比較にならない迫真味があるのだが、アルマの主題での弛緩、特に繰り返しのときの音色のバラバラ感は気になる。前回よりウィーン側に自己主張が強く感じられ、いっそウィーンだけでやったら音色均質化の問題など解決なのにと思ってしまった。録音の問題もあるのだがパワーやアンサンブルの面では前回に劣ると感じる向きもあると思う。

アダージオではヴァイオリンの音色の不統一感がいっそう明確になってくる。一部奏者の突出、フレージングのばらけ具合が気になる反面、こりゃまさにウィーン・フィルの芸風だ、とニヤリとさせられる。弱音部の美しく艶っぽい音色にボウイングはまさにウィーンのそれである・・・本数は少ないけれども。この演奏はそのせいかいつになく激情の感じられるものになっており、アマチュアリスティックなまでに奏者の感情が出てしまっており、遅いテンポでねっとりじっくり世紀末絵画が描きあげられるさまとあわせてかなり意外に感じられる。じつはこの演奏、スピーカーで何度か聞いて、掴みどころのない、特にこの楽章はなんともすっとぼけたのっぺりした演奏だな、と思っていたのだが、今回ヘッドフォンで細かく聞いて、音色と荒々しさという面における意外な面白さを見出だした次第である。テンポだけでいえばこの演奏全般に大人し過ぎるし、期待からすれば精度も低い。粗い。でもミクロに聞けば、小技の中に充分に面白みを見出だせよう。これはヒストリカルなトンデモ盤を聞くような少々邪道な聞き方かもしれないが。

スケルツオは意外と大人しい。ラトルにしては、と付け加えておこうか。アタックが甘めなのを除けばしっかりしているし音響バランスもいい。ウィーンらしさが後退しやや硬質さが出ているものの、テンポが余りにゆっくりすぎる。印象が薄い。

終楽章はオーソドックスだ。ラトルにしても大人しい感じがする。このメンツならもっとできるだろう、という感覚と、でもこれは充分マーラーだ、という感覚が交錯する。録音バランスがそれなりにいいので、気持ち良く聞けてしまうということもある。豊饒なひびきはしばしば気持ちを揺さぶってくる。感情が荒さとバラケになってほとばしってくるのが好悪分かつところだろう。ペットなどに疲弊感が漂うが、弦の空回りや暴走が面白い。行進曲になると急に揃うのもまた楽し。コンマスソロは音色はあいかわらずだがこなれている。このあと見せ掛けの勝利のあたりの豊饒感はなかなかのもので、祭りの終わりへ向けてオケが喜びのやる気を出しているようにも聞こえる。最後の挽歌は意外とよかった。拍手は穏やか、殆どブラヴォ無し。○にしておく。

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マーラー:交響曲第6番

2005年05月25日 | マーラー
○ラトル指揮バーミンガム市交響楽団(EMI)1989/12・CD

一楽章。鈍重というか鈍い感じの反応をするオケだがラトルの落ち着いた棒にしっかりつけていて、確かにパワーはないけどそれほど気にならない。しっかりした足取りは後ろ向きの感もなきにしもあらず、好き嫌いは別れるかもしれない。この醒めた感じは現代的演奏の典型。音を常にレガート気味に伸ばすのをだらしなく感じる向きもあるだろう。だがテンポ感は悪くはない。柔らかな音色はマーラーを中欧世紀末のくぐもりから解き放ちロマンティックな明るい音楽に昇華させている。コーダは崩壊寸前まで突っ走る。絶妙のテンポ変化ですこぶるかっこいい。ラトルはたまにこういうシェルヒェン的?なかっこよさを混ぜてくる。ソナタ形式の提示部を繰り返している。

二楽章。アダージオを置いている。作曲当初の姿で演奏との記載があるがどこまで考証的に行っているのか不明。音楽は静謐で柔らかい。ゆったりしたロマンスだ。非常に注意深く繊細な演奏で特筆できる。だが他の楽章でも聞かれるけれどもテンポがやや流れがちなところがあり、つんのめるような局面もある。まあオケの弱さは仕方ない。録音のせいだろう、カウベルがやかましい。普通こんなに聞こえるもんではない。クライマックスあたりの表現はバルビのベルリン・ライヴを少し思わせる。ゆったりした中にも若々しい烈しさを秘めている。彫りの深い表現は最後まで印象的だ。

三楽章も重く踏み締めるような発音から始まるが迫力はある。極端なテンポ変化は楽しい。中間部は素晴らしく爽やかなアンサンブルが楽しめる。

四楽章はロマンティックというか素直に曲想に沿ってデフォルメを加えた演奏ぶりで起伏に富む。特にテンポの揺れが激しく、速めの箇所では走っていってしまいそうな感じさえ覚える。オケの目覚ましい演奏ぶりも特筆ものだろう。ブラスのパワーには驚かされる。ハスッパなペットの音色はじつにマーラーらしいチープさがあっていい。ラトルのマーラーは割合派手で充実した響きを持つように思うが、木管の印象が薄いとも思う。イギリスは木管の国、緩徐部のソロの連続など聞いていると非常に美しいのだけれども、全般やや軽視されているようにも思う(警句的なフルート、ピッコロの叫びは別)。若々しい力強さは明瞭なリズムに支えられて、英雄は木づちで二回撲られてもたいしてダメージを負わずに「あぁ疲れた」と路傍に座り込んで一息ついて終わる。しいていえば暗さのなさがこの演奏の弱さか。

全般に○。意外と激しい演奏である。

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マーラー:交響曲第6番

2005年05月24日 | マーラー
○ラトル指揮ベルリン・フィル/ウィーン・フィル(EN LARMES:CD-R)2005/4/2合同演奏会LIVE

RVWと比べてオケが弾き慣れている。やる気も違う。
やや鈍重なところもあるが、性質の異なる二楽団が一緒にやっているのだから大目にみるべし。初めてでこの曲にしてはこの演奏、なかなか聞けるのである。録音の瑕疵が気にならないほど。

全般、現代の演奏にしてはかなり揺れるのに非常にスムーズな聴感の演奏に練り上げられている。ラトルの解釈に円熟味を感じる。だが遅くて客観的なわけではない。テンポ設定が巧みで面白いのだ。特殊打楽器による宇宙的な音響も録音でこれだけ聞こえてくるのは珍しい。

ラトルは前から古典的な型式感を一応大事にしている。一楽章の提示部の繰り返しや二楽章にアダージオを持ってくるところにうかがえる。85分弱という演奏時間がバーミンガムの録音から殆ど変わっていないのは凄いが、上記二点に限らず基本線は同じなので不思議はない。

一楽章は厳しい発音にまだまだ序盤戦といった解釈をのせてきている。アルマの主題へのテンポ変化などじつに巧みだ。この楽章は計算がそれと見えないように自然に反映されているので気持ちいい。コーダの全く揺れない突進はユニーク。ラトルは少々熱くなりすぎたようだ。余りの速さにオケが唯一ばらけているのがここ。

穏やかで明るいアダージオは最近の演奏らしいところだがスムーズな割に表現は結構揺れている。弦の厚い響きやフレージングが聞きもの(後者ややどっちつかずだが)。

スケルツォはかなり烈しい刻みがびっくりさせる。この楽章は攻撃的だ。行進曲部分はみなそうだがラトルのリズミカルな処理の上手さが光る。しかし一番気合いが入ってるなあ。。面白いルバートも聞ける。音が増えるとザッツ不揃いになる所が気になる人は気になるだろうが、この曲でライヴなら普通のこと。音の長さの不揃いはブラスに目立つが混成楽団ゆえの仕方ないところだろう。ピッチを合わせても奏法まで完全にあわせるのは土台無理な話だ。

だいたい一本で練習してても、弾きまくりで曲になるくらい音が詰まっている曲だからライヴで完璧に揃ったアンサンブルはありえないのだ。5番も弾きまくりだがここまでマニアックに造り込んでいないし7番になるといわゆるオケ譜で一本で弾いててもわけがわからない(シンフォニーとしてはむしろ妥当な譜面だろう)、逆にオケ曲としての合理性がある。6番は詰め込みすぎがゆえに楽しめる。しかもそのうえで込み入った構造がある。難しいんです。

4楽章、元々余程酷いオケでないかぎり楽しめるボリュームたっぷりのドラマである。管楽器各々に音色的な齟齬が感じられるものの、激しく盛り上がるさまにはどうでもよくなってしまう。ラトルは全面的にではないがときどき非常にマーラー的な独特の響きを轟かせる。ホルンが咆哮するたびに「ラトルらしくない昔のマーラーだ!」と感じる。高弦に比べて低弦はパワーに迫力がありベルリンの力かと思う。行進曲主題の力強さとつんざくような重低音には胸がすく。コンマスソロがドイツ臭くて情趣がないのは御愛嬌。最後まで緩徐部も賑やかに?めくるめく聞いて、ピチカートで心臓が止まるまであっというまだった。客席からブラヴォの出る演奏でした。○。

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ラトルVPO/BPO合同演奏会(2005/4/2)発売

2005年05月23日 | Weblog
といってもCD-R(ELS)です。高いです。でも「タリスの主題による幻想曲」が入っている。買いました。悲劇的はおいおい5月の放送と昔のバーミンガムのと比べて聞いてみます。長いからすぐはむり・・・

しかし予想通りだな・・・海賊盤で出ると思うと高い演奏会にわざわざ行きたくなくなる気もわからないでもない。
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プロコフィエフ:交響曲第5番

2005年05月23日 | プロコフィエフ
○テンシュテット指揮デトロイト交響楽団(RARE MOTH:CD-R)1978LIVE

バランスがよくとても自然でオケが上手い。いい意味でも悪い意味でも個性が薄く、聞きやすい。しいていえば全般に音色が一定で艶がなく、個々のパート、特に弦は弱いが、アンサンブルがしっかりしているせいか全体としてよくできているように聞こえるのだ。またリズム感がすこぶる良く3楽章でさえリズミカルで浮き立つような感覚をおぼえる箇所がある。プロコ独特の毒や情念には欠けているけれども、それがさらに聞きやすさに拍車をかけているのだ。4楽章は速く鋭い。最後さすがに瑕疵もあるがただならぬ緊張感が弾けたあとのブラヴォに嘘はあるまい。○。

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チェ、チェック忘れた・・・

2005年05月20日 | Weblog
旅先だったのでしょうがないけど、GW中にウィーン・フィル定期でスクリアビンの3番をムーティが振ったそうですね!うわー。

ウィーンの音で聞くメタ・ワグナーの法悦!

CD-Rで出せアメリカ。
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ドヴォルザーク:交響曲第8番

2005年05月20日 | 北欧・東欧
○テンシュテット指揮フィラデルフィア管弦楽団(MEMORIES)1982/11/12,13LIVE・CD

テンションの高い演奏。ただ放送エアチェック盤のようで広がりが無く音質も悪い。そのため聴衆の熱狂が今ひとつ伝わりづらく、楽器の発音が強く捉えられすぎてやたらとやかましい感じもしなくもない。弦楽器の噎せ返るような表現の深さに感銘を受ける。ただしっとりした弱音の美しさがない(録音のせいかもしれない)。クーベリックを一瞬だが思い浮かべた。ただ楽しく騒げる演奏なので、何も考えないでサウンドとして楽しもう。○。
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シベリウス:交響曲第5番

2005年05月19日 | シベリウス
○チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(RARE MOTH:CD-R)1992/11/8live

これは紛れもなくシベリウスである。このスケール、この響きの美しさ、実にシベリウス的な雄大な演奏だ。でも、シベ5か・・・?シベ5というとシベリウスのわかりやすい作品の上位にランクされる曲であり、人気曲の1、2番に比べて円熟した書法が駆使された隙の無い作品として頻繁に演奏される。ドラマティックな曲想に富みカタルシスが容易に得られるのも人気の理由だろう。だが、この演奏にはそういったドラマティックなシベリウスは現れない。ここには印象でいうならば北欧の広大な大地があり、肌の切れるような冷たい空気があり、空はどこまでも広く、そこに隅々までひびきわたるような音、シベリウスという存在の本質そのものの吼える声が聞かれるのである。だから構成感とかシナリオ作りとかいう部分を超越した演奏というか、もうひたすら横長に、しかし力強く響き渡るブラス(お疲れさま)の咆哮にもう、ああ、こういうシベリウスも絶対アリだな、と思うのだ。逆にシベ5にわかりやすさを求める人には向かない。4番で見られた印象派的手法が別の形・・・ドイツ的な演奏様式・・・であらわれた演奏ともいえるかもしれない。逆説的な言い方だがこんな盛り上がらない終演もあまりない。ほとんどウォルトンの1番のような空疎な終止和音の連打ににやりとさせられた。個人的に○。もう一度聞きたくなる、でも結局わからない、そういうちょっと面白い位置にいるものだ。チェリらしいし、チェリのシベリウスに対する読みの深さも感じる。
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グレイストークの演奏者

2005年05月19日 | Weblog
ラトルの悲劇的、いかがだっただろうか。私は実は余り心動かされなかったのだが、ベルリンとウィーンの二大オケがあれだけ融合して演奏を紡いだという事実には感心した。

昨晩偶然、映画グレイストークのサワリだけ録画していた。そこでロールが流れる中、演奏者の表示があって驚いた。この真面目なターザン映画にはクラシック音楽が多用されており、特に英国貴族を象徴する主題にエルガーのシンフォニー1番の通奏主題が使われているのが印象的なのだが、やっぱりというべきか、ロイヤル・フィルの演奏だった。指揮を聞いて驚くな、デル・マーだ!

・・・驚かないか。エルガーの他にダルベール、ボッケリーニも使われている。但しシンフォニーについては少しアレンジが入るので、作曲家兼指揮者として名を連ねているジョン・スコットの可能性もあることを付け加えておく。

デル・マーだったら全曲聞きたいかも。

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ファリャ:三角帽子第二組曲

2005年05月18日 | その他ラテン諸国
ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団(DISCLOSURE:CD-R)

これは・・・どうなんだろう。客観主義という言葉が一時期クラシックの狭い世間を席巻したが、まさにそれにのっとったような演奏であり、ひたすら音を金属的に磨き上げながら響きの美しさに拘泥するあまり曲の包蔵するラテン的な熱情を全くスポイルしてしまったといった感じだ。ラヴェル的な熱気すらここにはない。正直困った。わずかだがミスが混ざるから中途半端な印象すら残す。どうしてもこれにはいい点はつけられない。勿論演奏技術的には申し分ないのだが。無印。
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バーンスタイン:ウェスト・サイド・ストーリーよりシンフォニック・ダンス

2005年05月18日 | アメリカ
ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団(DISCLOSURE:CD-R)

印象としてはクラシカル。ケーゲルのラプソディ・イン・ブルーを思い出していただければおわかりになるかと思う(最近アメリカの学生がCD-R化しましたね)。ああいう感じなのだ。ストラヴィンスキーやコープランドが随所に顔を出し、ジャズはやや後退気味。非常に美しく磨き上げられたベルティーニらしい演奏なのだが、正直熱気が感じられず、ただただ巧い、美しいという印象しか残らなかった。まあベルティーニにむやみな熱気を求めるわけにもいかないが。無印。
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チャイコフスキー:交響曲第6番

2005年05月18日 | チャイコフスキー
○テンシュテット指揮フィラデルフィア管弦楽団("0""0""0"classics:CD-R,memories)1989/1/13live(1982?)

正攻法の演奏。フィラ管と特に意識しなくても楽しめる。弦楽の巧さは1楽章緩徐主題が二度目に出てきたあとのプレストの激しい動きや、3楽章の(定番ではあるが)第二主題で発揮される。フィラ管というとブラスだと思うがそれはあるていど予想していたせいか余り際立って聞こえなかった。総合的にはしっかりした構築性が感じられるというか、内声部を明瞭に弾かせて(吹かせて&叩かせて)立体的な音響作りに成功しているが、比較的流れがスムーズで自然な響きが得られており声部間に隙間が入るような感じも人工的な感じもせず、ドイツドイツした四角張った演奏にはなっていない。これはプラスととってもいいが、面白さというか個性という面ではマイナスととることもできる。1楽章冒頭あたりのソロ楽器の表現は念を押すような発声がいかにもこの人らしい。クレンペラーなどによく聞かれる表現様式である。クレンペラーといえばワルツがうまくないが、この演奏でも2楽章は愉悦感がなく面白くない。心なしかオケも下手である。

このテンシュテット唯一といわれる演奏記録の評の中には、「分裂症的な演奏」という言葉も見られるが、元々非常に分裂症的な曲であり、この程度では全然普通である。分裂症的というのはシェルヒェンのようなあらゆるパラメータの極端なコントラストをつける芸風をいうのだ(といってもシェルヒェンの悲愴はそうではないけど)。

聞き所としては前記の3楽章とともに(3楽章の最後で盛大なブラヴォー拍手が入るのは流れ上カットしてほしかったが)4楽章のダイナミックな感情変化を挙げておくべきか。引き裂かれた感情を表現する第一主題のヴァイオリン二声部間の音符の受け渡しについては通常の楽器配置のため全く聞き取れず、前半はそれほどそそられないが、第二主題からの感情の高ぶりは慟哭と言ってもいい物凄い迫力だ。ちょっとスケールの無い個人的な嘆きの歌という感触ではあるが揺さぶられる音楽ではある。激しさのあまり「これって緩徐楽章だよな・・・」とも思ったが、個性的な表現はないものの、聞き所ではある。

ちなみに販売されたものとしてはCD-R盤が初出で、1982年のライヴとされていた。最近復活した海賊盤レーベルMEMORIESは名目上はイタリア盤であるがどうやら日本向けにアジアで生産されている模様で(盤面には台湾製とある)、カルロス・クライバーやチェリ、テンシュテットなどのCD-Rによる放送ライヴ海賊盤が非常にヒットしたのを受けて、ほぼその丸写しをCDフォーマットで再発するという形で最近(2005年前半)続々と新譜を出しつづけている。CD-Rに比べ良心的な値段ではあるが、たとえばこの盤、レーベル裏面に書いてある録音時間が不正確で(プレイヤーが読み取る時間はCD-R盤と全く一緒なのに)CD-R盤と異なる演奏であるかのような印象をあたえる。余り良心的な態度とはいえず、げんに大手ショップでは扱われていない。モラルを捨てても聞きたいというマニアには嬉しい復刻もあり、またCD-Rの再発レーベルとみなされているわりには完全初出や放送マスターからのコピーと称するものも含まれているので、いちがいには否定できないが、いずれ消える可能性が高いので、目にしたら注意してみられるとよい。
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クレストン:トッカータ

2005年05月15日 | アメリカ
○ストコフスキ指揮ヒズ・シンフォニー・オーケストラ(CALA)1958/9/25カーネギーホールlive

さすがにアメリカ(イタリア移民だけど)を代表する20世紀作曲家の一人、個性のきらめきはこんな短い曲にも明瞭に現れている。単なる能天気な舞曲ではない響きの交錯に耳を奪われる。リズムも単純ではない。場面展開が速くストコフスキの面目躍如なめくるめく万華鏡の気分が味わえる。ラテンな雰囲気を感じさせながらも決して旋律の美しさや特有の色調だけに逃げることはなく、やたらがちゃがちゃ混乱した場面があると思えば信じられないほど美しくそこはかとない情趣を込めた楽想も現れる。音線の処理がアメリカにありがちな当たり前の定石どおりではなく、音程やリズムを微妙にたくみにズラしたりして飽きを防いでいる。高度の、だからこそ面白いアンサンブルが要求されているが、ストコフスキのパワーオーケストラはまさにうってつけだ。ヴァイオリンがちょっと辛い場面もあるけど引き締まった指揮でなんとかなっている。総じて映画音楽的と揶揄したくなる人もいようが、その想像しているところの映画音楽自体この人たちが作ってきたものなので本末転倒です。ジョン・ウィリアムズに至る流れはいろいろあるんです。雑音注意。○。
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ホヴァネス:神秘的な山(交響曲第2番)

2005年05月15日 | アメリカ
ストコフスキ指揮ヒズ・シンフォニー・オーケストラ(CALA)1958/9/25カーネギーホールlive

1楽章アンダンテ、弦楽器の横長で和声的な動きがいかにもヴォーン・ウィリアムズの影響を受けており、教会音楽的で、特筆できるものとなっている。「タリス幻想曲」の影響うんぬんが言われるのもそのせいだろう。そこにホルスト風の神秘主義的なアクセントがハープやシロフォンなどによって付けられて、そこにブラスの分厚い響きがいささか無造作に載せられている。やや印象主義的な掴みどころのなさを感じる。2楽章モデラートの出だしなどいかにもヴォーン・ウィリアムズである。このコンサートではRVWの9番シンフォニーのアメリカ初演がなされているが、オマージュと言ってもいいくらいにその心を揺さぶる美しさがエコーしている。ヴォーン・ウィリアムズが民謡をさばくときのあの独特の土臭い調子に似た感じなのがプレスト部であるが、人によってはより洗練された、またより古典的な調子と感じる向きもあるかもしれない。それにしても弦楽アンサンブルをかっこよくさばくのが巧い指揮者だ。弦楽が細かい音符を刻み続ける上に分厚いブラスが横長の旋律を偉大に歌うところはヒンデミット張りの激しさがほしいところだが、旋律に今ひとつ魅力がないせいか効果はイマイチ。3楽章になると木管アンサンブルには独特のオリエンタリズムがあらわれて耳をひくが弦楽は依然タリス幻想曲の世界である。悪いとは言わないがちょっとだらだらしてしまう。ブラスの相変わらずの横長で半音階的な旋律のまま終わるのもなんだかしまらない。曲がこうなのだからもうちょっとしっとりやったほうがいいのかもしれない。ストコフスキはくっきり演奏しすぎたきらいもなきにしもあらず。ちょっと2楽章以降に雑音が目立つ。曲想にマイナス。無印。
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