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外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

沖ノ島、世界遺産登録はロビー活動の勝利にあらず。言葉の勝利。

2017年08月14日 | 言葉は正確に:

沖ノ島、世界遺産登録は「ロビー活動」の勝利にあらず。言葉の勝利。

もう一ヶ月以上前になりますが、九州本土側の神社などを除外するよう求めた諮問機関、イコモスの当初の勧告がくつがえり、沖ノ島関連の史跡が一括して世界文化遺産に登録されることが決まりました(2017年7月10日)。

ニュースでは、ロビー活動が奏功したと報じられましたが、通常のロビー活動の意味が、圧力団体が、資金力、影響力を屈指して議員をなびかせることだとしたら、今回の日本側関係者の活動はこの意味のロビー活動とは言えないでしょう。

日本側は、島を信仰の対象とする伝統が受け継がれている世界でもまれな例として推薦書を提出しましたが、5月の段階で、イコモスは、沖ノ島の考古学的な価値を認めたものの、九州側の神社に古代の信仰が継承されていることは確認できないとしていました。

たしかに、出土した膨大な数の考古学的な資料は、物質なので、誰が見てもその存在価値がわかります。ですから、沖ノ島が認められたのは予想通りでしたが、それを祈願の対象としているという慣習は、目に見えないものですから、外国人にはわかりにくいものです。日本人が他国の習慣に接した場合にも同じ問題が生じるでしょう。こういう場合、言葉による説得が必要になります。今回、日本側は、どのように沖ノ島信仰が継承されているかを、誰が聞いても分かるように説得し、納得してもらえたのです。こうした成功例は、外交べたと言われる日本にとって注目すべきものではないでしょうか。

沖ノ島写真最初、日本側の説明では、考古学的な価値が強調されていました。また、神話なども説明しましたが、古代の神話を強調すればするほど、信仰が途絶えているという印象を与えたのではないかと、述べる考古学者もいます。「神社建築は建て替えが行われるため直接の証拠が残らない。日本人には当然のことでも十分な説明が行われず、イコモスの認識不足を招いた」という、という当事者の反省も新聞紙上にありました。

沖ノ島海の道今回の説得では、九州側の宗像神社や中津宮のある大島でも、沖ノ島で500年続いた祭祀の最終段階の遺跡が見つかったこと、航海技術の観点から、宗像神社、沖ノ島、対馬、朝鮮半島を結ぶ海の道が一体的なものだといことなども主張され、一括登録につながったようです。

一度失敗し、そのあと成功に漕ぎ着けた経験は、考古学関係者だけでなく、日本人のこれからの言語活動を考える上で大きなヒントを与えてくれると思います。


 

 


言葉で真実を追究する:二つの例 『そこまで言って委員会』、吉田秀和『名曲の楽しみ』

2016年04月02日 | 言葉は正確に:

 

言葉で真実を追究する:二つの例 『そこまで言って委員会』、吉田秀和『名曲の楽しみ』

ここまで言って委員会 この主題で書き始めたのですが、原稿が消えてしまい、さらにブログにログインできなくなってしまい、6ヶ月のブランクを空けてしまいました。漸く回復したので、覚えている限り、要点を書き出したいと思います。

 近頃、週刊誌に出ていたSKなるニュースキャスターの話しているのをたまたまネットで見ました。彼の話し振りを見れば、「偽者」であることは明らかです。嘘をついていると言いますか、自分で考えていないことを話しているので、焦点がぼけてしまっていて、「何を言いたいの」と突っ込みを入れたくなります。それをもっともだという様子で頷いて訊いているFというキャスターの姿勢も心地よいものではありませんでした。ウソを増幅しているように感じられたからです。このように、言葉はウソをつくためにも使われます。しかし、今回挙げる、まったく異なる二つの例には、言葉を通じて真実を追求する姿勢をみることができます。このような鋭い言葉遣いに触れること多ければ、上のSKなる人の言葉のウソはすぐに見破れると思います。

 一つ目の、『そこまで言って委員会』は大阪読売テレビの「政治ヴァライエティ・ショウ」。二つ目の、吉田秀和『名曲の楽しみ』は、2012年に亡くなった音楽評論家、吉田秀和さんのFM長寿番組。内容上は、まったく関係のない番組ですが、言葉を通し真実を追究しようという意思が機能している点で共通点があると思いました。

ここまで言って委員会2 『そこまで言って委員会』は、大阪の漫才風の丁々発止もさることながら、故やしきたかじんの遺志で東京では放映されないという点が、大きな特徴になっています。東京で放映される番組では率直な意見がいいにくいという事情があるからです。かつて、「率直」に意見を言うということが売り物の、『朝まで~』という番組もありましたが、各人、勝手に意見を言いっぱなしで、その意見を正確に捉えて展開するということが少なく、ストレスを覚えることが多かったものです。『ここまで~』には、少なくとも、そういうストレスが少ない。微妙な点も含めて、7人のメンバーは、前の発言者の意見を踏まえて自分の意見を言います。そこで、ずれがあると、笑いも生じるし、ともかく議論が前へ進みます。『朝まで~』を含め、東京での多くの政治討論番組は、忌諱に触れることを恐れるからでしょうが、あいまいにことを運ぶことが多いと感じます。

 昨年(2015)、9月20日の番組では、オリンピックのスキャンダルがテーマでした。

久しぶりに猪瀬元記事が登場、国立競技場、エンブレムの件について、7人のパネラーから質問を受けるという立場でした。途中、金美齢さんから、猪瀬知事は、突然辞めたことも関係があるか、と訊かれます。 

金:「私は猪瀬さんにね、責任はないかということを訊きたい。つまり、猪瀬さんが招致のときにがんばって招致して、そのままずっと都知事をやっていれば、その熱情でね、この問題はね、もうちょっとね、スムーズにいったんではないかと思うの。その途中で都知事、変わっちゃうわけじゃないですか。そこに全ての根源があるんじゃないかと思うんだけど、どうなんですか。」(12:35) 

猪瀬:「それは、辞める前に、組織委員会の会長を決めなければいけなかった。で、僕が辞めた結果、組織委員会の会長が、その、森さんになってしまったので、で、ええ、ラグビーを優先していく可能性があったので、ちょっとそれはまずいんじゃないかということを言った時点で、僕は辞めちゃいましたから。」

末延:「だから、猪瀬さんがじつは動いた方がいいんじゃないですか。」

辛坊:「今、今の話を遠まわしに言うとね、え、あの、森善郎をオリンピックの会長からはずそうとしたら後ろから切られたと。そういうことですね。」(猪瀬の方を向き)

猪瀬:「ま、それは...。立証...。」(小声で)

(笑い) 

最期の辛坊の「つっこみ」がなければ、東京で放映される番組と同じようなものになっていたでしょう。猪瀬は「分かる人は分かってください」という姿勢で、あいまいに言葉を運ぼうとしていました。しかし、それではコミュニケーションは成り立たない。辛坊の発言で、猪瀬が考えていたこと、そして、言わずに済ませようとしたこと、それを言われてどの程度動揺するか、など、多くの情報が伝わることになったのです。ことは、大阪風、東京風という問題ではないでしょう。フラストレーションを抱えたまま、あいまい(vague)にことを進めるか、あいまい、あるいは両義的(ambiguous)な問題も含め、言語活動を通して問題を一歩先へ進めるか、という問題だと思います。

吉田秀和さて、吉田秀和に移ります。吉田秀和は、数年前に98歳で現役のまま亡くなった音楽評論家です。音楽という言葉でないものを言葉に写すことに長年にわたって心血を注いでこられた方です。辛坊が政治的なあいまいさから言葉を救い出そうとしたのに対し、言語ではないものの本質を言葉でなんとか表わそうと苦心したのが吉田秀和のように思います。たとえば、あるロシアのピアニストについて、音楽会のロビーでつぎのようにインタビューアーに答えています。 

「若々しいし、若いし、青臭いね。」 

矛盾するような表現をあえて使うことで、それらの表現の向こう側にあるものを伝えようとしたのでしょう。真実は言葉にすると矛盾せざるをえないことが多いのです。

モーツアルトここでは、吉田さんがモーツアルトの弦楽四重奏曲、K465、通常「不協和音」と呼ばれている曲の説明をしている部分を取り上げてみましょう。ここで吉田さんが試みようとしたことは、自分の声で語ることによって、文字では表現できないことを表わす、ということです。ですから、このブログの文字上では、吉田さんの表現法を伝えるのは困難なのですが、なんとか伝える努力をしてみます。

まず、下に文字だけを書き写していますが、そのさらに下に、彼の語り口の特徴を、無理は承知で、文字で説明しようとしてみました。ユーチューブでこの番組を聴くことができますから、ぜひ聴いていただきたいですけれども、あえて、文字上で分析したものから、ぼんやりとでも吉田さんの語り口の工夫というものを感じ取っていただくということも、無意味ではないと思います。この1分強の解説のなかに、4秒ほどの空白が二箇所あります。そこに注目してください。

K.465 について

●番組の冒頭から43分ぐらいのところから:(1分15秒ほど)

https://www.youtube.com/watch?v=wfNMQBtiZ70 

だから、当時の音楽家は、もちろんのこと、19世紀に入ってから理論家のなかには、これではどうも具合が悪いから直そうという人がいたくらいです。もちろん、今日の演奏で聴きますと、その不協和音は、僕たちは、まあ、いろんな音楽で持って、耳が慣れているものだから、そんなにひどく、「いやな音だな」というふうには感じない。それからまた、演奏家もまた、とても気をつけて弾いていますから、えー、うっかりしていると気がつかないくらいなんですけれども。しかし、モーツアルトという人が、あんなに、一般的に快活に、明朗な、そして、円満な音楽を書いた人と思われているなかで、こういうことがある、こういう実験的な大胆なハーモニーを使うことを躊躇しなかったと、ということは、やっぱり、大事な事実でしょうね。決して円満居士ではなかった。さてこの曲も4つの楽章からできています。

 

この一節を、ときにはゆっくり、そして速く、ときには声を大きく、そして間を開けながら話します。それにより、文字面には現われない、ふつうの言語表現では伝えがたいニュアンスを伝えようとしていると思います。ここでは、あえて文字で吉田さんの語り振りを、不十分ながら、「記号」で再現(?)してみましょう。強く言うところは太字、間は秒数で示す位のことしかできませんが、吉田さんが狙った微妙な効果を想像していただけるでしょうか。 


  • 間:(-----秒数-----)
  • 強調:太字
  • 心もち、ゆっくり言うところ<------->
  • 心もち、早口で言うところ[ ------ ] 


だから、当時音楽家(-----2秒-----)、[もちろんのこと]、19世紀にはいってから、理論家のなかに、[これはどうも具合が悪いから、直そう]という(-----1.45秒-----)人がいたくらいです。(-----4秒弱-----)[もちろん、今日の演奏で聴きますと]、その不協和音は、[僕たちは、まあ、いろんな音楽で持って、耳が慣れているものだから]、そんなにひどく、(-----3秒-----)「<いやな音だな>」とふうには感じない。[それからまた、演奏家もまた、とても気をつけて弾いていますから]、えー、うっかり[していると気がつかないかもしれない]くらいなんですけれども。しかし、モーツアルトという人が、あんなに、えー、一般的に、快活に、明朗な、そして、<円満な(-----1秒強-----)音楽を書いた人と思われているなかで>、こういうことがある、こういう実験的な、大胆なハーモニーを、使うことを、躊躇しなかったと、ということは、やっぱり、(-----1秒強-----)<大事な事実でしょうね。>(------4秒弱-----)決して円満居士ではなかった。[さてこの曲も、あの、4つの楽章からできています。]


 とりわけ、「しかし、モーツアルトという人が、」以下の後半の部分を、もう一度ご覧ください。。強弱、緩急、間をうまく使い、最期に4秒近い間を置きます。それにより、「決して円満居士ではなかった」とうい表現の背景に潜む、「重さ」を伝えてようとしているように聞こえます。政治的言語による真実の追究とは全く違う分野ではありますが、吉田さんの言葉の使い方の工夫にも、真実を伝えようとする強い意思を感じます。


パソコンのマニュアルの難しさ。 泉下の山本夏彦、木下是雄は...。

2015年09月22日 | 言葉は正確に:

パソコンのマニュアルの難しさ。泉下の山本夏彦、木下是雄は...。

理科系の作文技術1990年ごろでしょうか、『理科系の作文技術』が知られてきた頃、木下是雄さんの研究室に、日本のパソコンメーカーに勤めているアメリカ人が訪ねて来ました。その人の役職は、日本語のマニュアルを英語に訳すことでした。ところが、日本語の文章がどうしても英語にならないので、悩みに悩んで、木下さんのところに相談に来たのでした。この経験は木下さんにとっても大きなことで、日本のマニュアルの書き方において重大な問題があることに気がつきました。内輪の専門家どうしでは分かるものの、しろうとには分からないことがあまりに多かったのです。そのアメリカ人が「英語の訳せない」と言ったことの、本当の意味は、「どの言葉にも訳せるような普遍性がない」ということです。

私なども、ワープロ、パソコン時代から、分からないことだらけでしたが、分からないと自分の方に責任のいくらかがあるという気持ちが先立って、なぜ分かりにくいかの追求をしないきらいがありました。しかし、常識に還ってつぎのような文を見てください。

サーバーへの接続は失敗しました。 アカウント : 'pop12.odn.ne.jp', サーバー : 'smtp02.odn.ne.jp', プロトコル : SMTP, ポート : 587, セキュリティ (SSL): なし, ソケット エラー : 10060, エラー番号 : 0x800CCC0E

電子メイルの送信に失敗すると以上のような記述が現われますが、皆目検討がつきません。英語では、jargonと言うのでしょうか、専門家どうしならつーかーかもしれませんが、素人には、最初の「サーバー」という意味からして分かりません。私にも分かるのは、「中継基地」のようなものだ、というだけで、どう対策を講じたらいいのか、なんら行動に指針にはなりません。

オーイどこ行くの表紙じつは、木下さんのところに米国人が訪れたころ、ある評論家が電気製品のマニュアルの分かりにくさを俎上に挙げていました。

この正月私はファクスを買いかえた。それまでのはナショナルのパナソニック、これは旧式だから使いこなせた。今度のはキャノンのキャノファックス、新式で要りもしない機能が山ほどついていて、うっかりその一つにさわると送信も受信もできなくなる。さわっても全く音がしないから原因が分からなくて夜ふけに一再ならず往生した。

著者は山本夏彦(1915-2002)。新潮文庫『オーイどこ行くの』所収のエッセイです。上の引用に以下の部分が続きます。

以前の電話は同僚にかかったものなら、おーいと呼べば相手はかけよるから受話器をわたせばよかったが、今は保留と書いたボタンを押せば相手の机上の電話につながる。かけよらなくてすむのは便利だが、この保留の意味が分からない。分からないからうっかり押さないでおーいと呼んで受話器を置くとその電話は切れてしまう。保留という言葉がメーカーだけに分かって第三者に分からないからこのことがある。

「保留」という言葉は、漢字自体は簡単ですが、少し考えると何を意味するのか分からない。「メーカーだけに分かって」いても、第三者には通じないということをマニュアルを書いた人は考えたのでしょうか。

完本 文語文このエッセイは、以上の経験を枕に、毎日新聞が「日本のマニュアル大賞」を新設したことを紹介するために書かれたものでした。その後、四半世紀、日本のマニュアルは分かりやすくなったでしょうか。2000年ごろには、主催が毎日新聞から、テクニカルライターの団体に移ったようで、今も同趣旨のコンテストが行われています。私の見るところ、エアコンや、窓、掃除機など住宅用の機器のマニュアルは、著しいとはいえないまでも、だいぶよくなっているようです。しかし、肝心の電子機器については25年間、進歩があったとは思えません。

今、思うのですが、インタネットの技術を用いれば、たとえば、「サーバー」という語をクリックすれば、その説明、定義が現われ、クリックを繰り返しているうちに、はたと納得する時が訪れるように仕組むことなど容易にできるのではないかと思います。じっさい、VOAのニュースサイトなど、記事中のどの単語をクリックしても1~2秒くらいで、ウエブスター辞典の定義が現われます。ただ、定義する際、より日常的な概念で定義するように心がけてもらいたいと思います。定義のぐるぐる回りは困ります。

英語 物理 山 言葉やろうと思えばできると思うのですが、改善のないのは、市場原理の限界でしょうか。パソコン、インタネットの類は買わずに済ますわけには行かないのですから。ブラウザー、サーチエンジンにいたっては寡占状態が続いています。

木下さんや山本さんの影響は、はたして、微小にすぎたものだったようです。ただ、じつは、山本さんが木下さんの『理科系の作文技術』を発見したという事実は注目に値します。『完本 文語文』という本のなかで、扱っているのを最近になって知りました。しかも、山本さんが社主を務める雑誌『室内』の新入社員には、自腹で『理科系の作文技術』を配っていたそうです。たった一人の反応といえども、この共感には問題の客観性を強く裏付ける力あります。25年前のこの反響を少しでも今に響かせたく思い、ここに紹介するしだいです。


 

 

 

 


西尾幹ニさんの新評論『言語を磨く文学部を重視せよ』で思うこと

2015年09月08日 | 言葉は正確に:

西尾幹ニさんの新評論『言語を磨く文学部を重視せよ』で思うこと

以下は、映画『チップス先生、さようなら』からの引用です。

チップス ポスター新任の校長がこう言います。

- There we are. I'm trying to make Brookfield an up-to-date school. . .. . .and you insist on clinging to the past. The world's changing, Mr. Chippping..

そこです。私はブルックフィールド校を時代にあった学校にしたいのです。なのに、あなたは過去にしがみつくことに拘泥している。世界は変化しているのですよ、チッピング先生。

それに対し、老教師、チッピングは、反駁します。

-I know the world's changing, Dr. Ralston. I've seen the old traditions dying one by one. Grace, dignity, feeling for the past.

「世界が変わりつつあるのは承知しています。ラルストン博士。私は古い伝統が一つ一つ死に絶えて行くのを見てきました、品格、尊厳、過去に対する感性...。」

最期にこのように啖呵を切って、チッピングは席を立ちます。

Give a boy a sense of humor and a sense of proportion, and he'll stand up to anything. I'm not going to retire. You can do what you like about it.

「少年にユーモアのセンスとバランスの感覚をあたえればよいのです。そうすれば、その少年は何ものにも立ち向かって行けます。私は辞職しませんよ。好きなようになさったらいい。」

この映画は、1939年。映画のこの場面は第一次世界大戦前のことです。まるで、今年行われている議論のようではありませんか。このせりふそのままでテレビドラマにしても、100年前の英国のことだとはだれも気がつかないでしょう。

リベラルアーツ文部科学省が6月に出した人文系の再編を促す通知に対し、ウォールストリート・ジャーナルアジア版が、「日本の大学が教養教育を放棄へ」と報じたことで(産経9月7日)、何時の時代ににも現れる、実用と教養の対立が議論の的になっています。文部省は、文系軽視ではないと、否定に躍起になっているようですが、通知には、どう見ても「実用」という視点しか書かれていないので、反発は止むことはないでしょう。

かと言って、反論する側の意見というのも、強く響くものとは言えません。野田元首相は、ブログに、「即戦力の人材養成も必要でしょうが、長い時間を経て役に立つ人文社会の知見も軽視してはなりません。実学と教養を二者択一で迫るのではなく、そのバランスをとる教育が必要です。」と述べていますが、敢えて言わせていただくと、誰でもいつでもこのような意見は言えるものです。そして無力なのです。じっさいに、文部省の通達が出る前から、京都大学では哲学科の名称が無くなるなど、「実用主義」への流れが止むことはありません。

「教養」の語の意味を問い詰め、なぜ「実用」だけではだめか、を具体的に論じることができなけれが、「ご説ごもっとも」と言いながら、きれいごととして無視されてしまうのが関の山でしょう。「文系」の学者が「知の~」などと言い出した頃から、彼らの意見は軽視され始めたように思います。その件は、ここでは置いておくとして、先ほどのチップス先生のせりふの中の、二点に注目したいと思います。

パブリックスクール 戦争一つは、feeling for the past、「過去への感性」。もう一つは、Give a boy a sense of humor and a sense of proportion, and he'll stand up to anything.「少年にユーモアのセンスとバランスの感覚をあたえればよいのです。そうすれば、その少年は何ものにも立ち向かって行けます。」という部分です。

「過去への感性」、これは歴史感覚と言いうこともできます。現在、私たちがあるのが過去のおかげであると言う謙虚さを養い、「実用」という現在の価値を相対化するする力です。もう一つの文は、第一次世界大戦で、チップス先生の教えている学校に通ってくるような、恵まれた階層の子供たちが同年齢の英国人兵士のなかで一番死亡率が高かったということを知った上で味わえば、一味違って感じられます。先ほどテレビドラマのせりふになるということを言いましたが、実際放映した場合、この映画ほどの重みが伝わるかどうか分かりません。

さて、ここで漸く、題で扱った、西尾さんの評論ですが、文部省の通知に対する単なる反発ということではなく、なぜ、それがいけないかを、短いながらも的確に論じています。まず、問題の重要性を言い切る姿勢がはっきりしています。(産経新聞:正論欄:平成27年9月10日)

「先に教養課程の一般教育を廃止し、今度リベラルアートの中心である人文社会科学系の学問を縮小する文科省の方針は、人間を平板化し、一国の未来を危うくする由々しき事態として座視しがたい。」

本居宣長切手過去、つまり歴史については以下のように述べています。

「学者の概説を通じて間接に自国の歴史を知ってはいるが、国民の多くがもっと原典に容易に近づける教育がなされていたなら、現在のような「国難」に歴史は黙って的確な答えを与えてくれる。」

急に映画の話になりますが、チップス先生はラテン語教師です。ドイツ軍による爆撃の最中にゲルマン民族の襲来の様子をラテン語で生徒に読ませ、「死んだ言語も時は役に立つだろう」と言って生徒の笑いをとる場面があります。ちなみに、英国では今でも小学校課程からラテン語を教えている学校が多く在るようです。

西尾さんの論点は、さらに深く展開します。

「言語は教養の鍵である。何かの情報を伝達すればそれでよいというものではない。言語教育を実用面でのみ考えることは、人間を次第に間化し、野蛮に近づけることである。言語は人間存在そのものなのである。言語教育を少なくして、理工系の能力を開発すべきだというのは「大学とは何か?」を考えていないに等しい。言葉の能力と科学の能力は排斥し合うものではない。」

「言語」という点にまで問題が深まりました。これからテレビの討論番組などで、文科省の通知についての討論が行われるかもしれませんが、どうか、反論する立場の人も「言語」という地点に足を踏まえて論じていただきたいと思います。このエッセイを「言語は正確に」に項目に入れた所以です。


 

 

 

 


言葉は正確に:- 安保関連の文書を書き換えたら...その2

2015年06月18日 | 言葉は正確に:

言葉は正確に:- 安保関連の文書を書き換えたら...その2

悩み

前回、4月2日の、産経新聞、正論欄に、佐瀬昌盛さんの評論のなかで引用されていた「分かりにくい」安全保障関係の政治文書を、「書き換える」試みを行いました。しかし、語彙は原文のままでしたので、やはり、まだ読みにくい。そこで、もう一度書き換えてみました。下には、佐瀬さんの評論に引用されていたもう一つの「分かりにくい文書」を挙げておきますので、皆さんが書き換えてみてください。

 「平易な言葉で「安保法制」を語れ 防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛」 より引用:http://www.sankei.com/column/news/150402/clm1504020001-n1.html6月17日最終閲覧

■実際の政治文書

「自衛隊と米軍部隊が連携して行う平素からの各種活動に際して、米軍部隊に対して武力攻撃に至らない侵害が発生した場合を想定し、自衛隊法第95条による武器等防護のための『武器の使用』の考え方を参考にしつつ、自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動(共同訓練を含む。)に現に従事している米軍部隊の武器等であれば、米国の要請又は同意があることを前提に、当該武器等を防護するための自衛隊法第95条によるものと同様の極めて受動的かつ限定的な必要最小限の『武器の使用』を自衛隊が行うことができるよう、法整備をすることとする」

■語彙を変えずに語順を変えた例:

まあまあ「自衛隊と米軍部隊が連携して行う平素からの各種活動に際して、『武器の使用』を自衛隊が行うことができるよう、法整備をすることとする。それは、極めて受動的かつ限定的、必要最小限のものでなければならない。

それが許される状態とは、米軍部隊に対して武力攻撃に至らない侵害が発生した場合である。

『武器の使用』の条件は以下のものである。

まず、「武器等を防護するための自衛隊法第95条」によるものと同様のものでなければならない。またこの条項の「『武器の使用』の考え方」も参考にしなければならない。

対象となる米軍部隊の武器は、共同訓練を含み、自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動に現に従事している部隊のものである。

ただし、米国の要請又は同意があることを前提とする。

■語彙も変えてより読みやすくしました:

自衛隊と米軍部隊が連携して行う平素からの各種活動に際して、法の整備を行います。

その目的は、『武器の使用』を自衛隊が行うことができるようにすることです。しかし、それは、極めて受動的、限定的、そして、必要最小限のものに限られます。

まず、「武器の使用」が許される状態とはどういう状態か。それは、米軍部隊がなんらかの勢力によって侵害を受けた場合です。が、その傷害が、「武力攻撃」と見なされる場合はそれに含まれません。「武力攻撃」と見なされる以前の状態でのみ、自衛隊の武器使用が許されるのです。

加えて、『武器の使用』は、以下の3つの条件をすべて踏まえたものでなければなりません。

まず、「武器等を防護するための自衛隊法第95条」に示されたものと同様の武器であること。またこの条項中の「『武器の使用』の考え方」も参考にしなければなりません。

二つめの条件として、その武器とは、侵害を受けた米軍部隊の武器に応じたものである必要があるのですが、その米軍部隊とは、どの部隊でもよいのではなく、我が国の防衛に役に立つ活動している部隊に限ります。具体的には、共同訓練を含み、自衛隊と連携して活動している部隊のことです。

三つ目として、言うまでもありませんが、米国の要請又は同意があることが前提されます。

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以下は、佐瀬さんが引用している、もう一つの文書です。誰か書き換えませんか。

「自公文書」から:

 「安全保障環境の変化や日米安保条約を基盤とする米国との防衛協力の進展を踏まえつつ、我が国の平和と安全に重要な影響を与える事態において、日米安保条約の効果的な運用に寄与し、当該事態に対応して活動を行う米軍及びその米軍以外の他国軍隊に対する支援を実施すること等、改正の趣旨を明確にするため目的規定を見直すほか、これまでの関連規定を参考にしつつ、対応措置の内容について必要な改正を検討する」

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