今年の夏は、梅雨明けしたんだかしないんだか分かりません。
長雨と台風の被害で、大変な目に合われた方が大勢いらっしゃいます。
本当に、ご冥福をお祈りいたします。
さて、去る九日、私はTHE ALFEEの夏のイベント参加のために、横浜の赤レンガパークへ行って来た。
もう、これで夏のイベントは最後だということで、夫も誘って一晩泊まりで出かけた。
最後だと聞いて、一度もTHE ALFEEのライブに行ったことがない夫も付き合ってくれた。
本当に、感謝している。
私たちは最終日に参加したのだが、初日の8日も天気が不安定だった。
絶対、雨が降ってほしくなかったので、童心にかえって照る照る坊主を作った。
大雨の時の夏のイベントを経験しているだけに、雨は困ると思った。
会場には4時過ぎに入った。
舞台装置を背景に写真を撮ったり、音楽を聴いたりして過ごした。
早めのトイレを済ませるつもりが、長蛇の列。何と、30分以上もかかってしまった。
自分の席に向かう途中、パラパラと雨が当たりだした。
雨具を用意している人もいる。
私は、切なくなってきた。
いつでも、合羽を着れるように用意はしておいた。
6時になり、三人は鮮やかに登場。
会場の熱気は一気に高まった。
やはり、ライブはいい!
ノリノリの私の隣で、夫は立ち尽くしていた。
会場のファンの熱気に驚いていたらしい。
黒い雨雲が気にはなったが、次第にライブに引き込まれて行った。
思えば、一番最初の夏イベに参加したのは、私がもうすぐ18歳という頃。
本当に若かった。
アルフィーは、今年でデビュー35周年。
私が、小学生の時にデビューしたことになる。
私は、ファンになってから、社会人になり、結婚、出産を経験した。
思えば、長い道のりだ。
彼らの音楽を聴いていると、時に慰められ、時に勇気をもらえる。
私にとっては、とても大切な存在だ。
高見沢さんがライブの終わりの方でこう言った。
「もし、みんなにとって、アルフィーが青春なら、その青春はずっと終わらせない。」と。。。
夫は、生で見る三人に今までの見方が少し変わったようだ。
でも、これが最初で最後かな?とも言っていたけれど。
それでも、いい。
同じ時間を共有してくれたのだから。
私は、THE ALFEEの三人と、知り合えた人々の縁に感謝している。
そして、また、新たな気持ちで応援していこうと心に決めた。
最高の夏を忘れない。
最後の曲(SEE YOU AGAIN)を泣きながら歌った私だった。
長雨と台風の被害で、大変な目に合われた方が大勢いらっしゃいます。
本当に、ご冥福をお祈りいたします。
さて、去る九日、私はTHE ALFEEの夏のイベント参加のために、横浜の赤レンガパークへ行って来た。
もう、これで夏のイベントは最後だということで、夫も誘って一晩泊まりで出かけた。
最後だと聞いて、一度もTHE ALFEEのライブに行ったことがない夫も付き合ってくれた。
本当に、感謝している。
私たちは最終日に参加したのだが、初日の8日も天気が不安定だった。
絶対、雨が降ってほしくなかったので、童心にかえって照る照る坊主を作った。
大雨の時の夏のイベントを経験しているだけに、雨は困ると思った。
会場には4時過ぎに入った。
舞台装置を背景に写真を撮ったり、音楽を聴いたりして過ごした。
早めのトイレを済ませるつもりが、長蛇の列。何と、30分以上もかかってしまった。
自分の席に向かう途中、パラパラと雨が当たりだした。
雨具を用意している人もいる。
私は、切なくなってきた。
いつでも、合羽を着れるように用意はしておいた。
6時になり、三人は鮮やかに登場。
会場の熱気は一気に高まった。
やはり、ライブはいい!
ノリノリの私の隣で、夫は立ち尽くしていた。
会場のファンの熱気に驚いていたらしい。
黒い雨雲が気にはなったが、次第にライブに引き込まれて行った。
思えば、一番最初の夏イベに参加したのは、私がもうすぐ18歳という頃。
本当に若かった。
アルフィーは、今年でデビュー35周年。
私が、小学生の時にデビューしたことになる。
私は、ファンになってから、社会人になり、結婚、出産を経験した。
思えば、長い道のりだ。
彼らの音楽を聴いていると、時に慰められ、時に勇気をもらえる。
私にとっては、とても大切な存在だ。
高見沢さんがライブの終わりの方でこう言った。
「もし、みんなにとって、アルフィーが青春なら、その青春はずっと終わらせない。」と。。。
夫は、生で見る三人に今までの見方が少し変わったようだ。
でも、これが最初で最後かな?とも言っていたけれど。
それでも、いい。
同じ時間を共有してくれたのだから。
私は、THE ALFEEの三人と、知り合えた人々の縁に感謝している。
そして、また、新たな気持ちで応援していこうと心に決めた。
最高の夏を忘れない。
最後の曲(SEE YOU AGAIN)を泣きながら歌った私だった。
