墨汁日記

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徒然草 第四十二段

2005-09-06 09:09:31 | 徒然草
 唐橋中将といふ人の子に、行雅僧都とて、教相の人の師する僧ありけり。気の上る病ありて、年のやうやう闌くる程に、鼻の中ふたがりて、息も出で難かりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額なども腫れまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の舞の面のやうに見えけるが、ただ恐ろしく、鬼の顔になりて、目は頂の方につき、額のほど鼻になりなどして、後は、坊の内の人にも見えず籠りゐて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて、死ににけり。
 かかる病もある事にこそありけれ。

<口語訳>
唐橋中将(からはしのちゅうじゃう)という人の子に、行雅僧都(ぎゃうがそうづ・僧都は、坊主の位で、僧正に次ぐ)といって、教相の人(仏教の教理を学ぶ人々)の師(教師・先生)をする僧がいました。気の上る病(のぼせあがる病気)があって、年(年齢)のようよう闌つ程(だんだんとたっていくほど)に、鼻の中ふさがって、息も出にくくなれば、さまざまにつくろい(治療)したけれど、わずらわしくなりて(病気は進行して)、目・眉・額なども腫れまどって、うちおおえ(上から覆いかぶさって)ば、物も見えず、二の舞の面のように見えたが、ただ恐ろしく、鬼の顔になって、目は頂の方につき、額のほどが鼻になりなどして、後は、坊の内の人(寺の中の人)にも見えず(会わず)こもり居り、年久しく(長い年月)居たら、なおわずらわしくなって(病状が重くなり)、死にました。
かかる(こんな)病もある事があるのだ。

<意訳>
 唐橋中将という人の子に、行雅僧都という僧がおりました。
 この人は、仏の教えを学ぶ人達に、教理を教えるほどの偉い坊さんだったが、気の上がる病を患っていた。
 年をとるほどに、この病はだんだんと悪くなり、さまざまな治療もしたが、やがては鼻の中がふさがり、息も満足に出来なくなってしまった。その次に、目、眉、額が腫れ上がり覆いかぶさって目すら開けられない状態となる。その顔は、まるで二の舞の面のようにも見えたが、ついにはただ恐ろしいだけの鬼のような顔に変わり果て、目は頭につき、鼻は額についてしまったそうだ。
 その後、寺の中の誰とも会わずにしばらく引き籠って養生していたが、さらに病が悪化して亡くなられてしまった。
 このような病もあるのである。

<感想>
 怖い。「気の上がる病」って、どんな病気なんだ。高血圧みたいなものなんだろうか。文章から想像するに、のぼせあがる病気であるらしいが、最後には鼻から膿がわきでて、顔中が腫れ上がり、目鼻の位置すらわからなくなった末に、呼吸困難で目も見えないまま死んでしまうのだ。
 怖い、怖いぞ。「気の上がる病」。正体が不明な点がますます怖い。正体がわからないから予防の仕方すらわからない。とりあえず、「気の上がる病」にかかりませんようにと祈るしかない。
 
 
 








原作 兼好法師

現代語訳 protozoa

参考図書
「徒然草」吉澤貞人  中道館
「絵本徒然草」橋本治  河出書房新書
「新訂 徒然草」西尾 実・安良岡康作校注 岩波文庫
「徒然草 全訳注」三木紀人 講談社学術文庫


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