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徒然草 第二十七段

2005-08-22 20:13:15 | 徒然草
 御国譲りの節会行はれて、剣・璽・内侍所渡し奉らるるほどこそ、限りなう心ぼそけれ。
 新院の、おりゐさせ給ひての春、詠ませ給ひけるとかや。
  殿守のとものみやつこよそにして掃はぬ庭に花ぞ散りしく
 今の世のこと繁きにまぎれて、院には参る人もなきぞさびしげなる。かかる折にぞ、人の心もあらはれぬべき。

<口語訳>
 御国譲りの節会(天皇が皇太子に位をゆずる時に臣下の者どもに酒宴を賜る儀式)行われて、剣・璽・内侍所(草薙の剣・八坂瓊の曲玉・八咫の鏡)渡し奉られる時こそ、限りなく心ぼそかった。
新院(新しく隠居した、先代の天皇の事。花園上皇を指す)の、おりゐ(退位)なされ給いた春に、詠まれ給いたとか。
 殿守の とものみやつこ よそにして 掃はぬ庭に 花ぞ散りしく
(お掃除の 役人どもは 他所に居て 掃かぬ庭に 花がちらばる)
今の世(現在の天皇)のことが繁き(忙しい)のにまぎれて、院(引退した花園上皇のお屋敷)には参る人もいないのがさびしげである。このような時にこそ、人の心はあらわれるのだろう。

<意訳>
 花園上皇が、後醍醐天皇に、天皇の位をおゆずりになる、御国譲りの節会が行われた。花園上皇が、三種の神器を新天皇におゆずりになられた時には、なんか悲しかった。
 花園上皇が退位なされた年の春に詠まれた歌である。
「殿守の とものみやつこ よそにして 掃はぬ庭に 花ぞ散りしく」
 意味は、新天皇の世になり、誰も自分の屋敷の掃除に来てくれない。花なんか、もう散りまくちゃって庭中に敷きつめられたようだ。という意味だ。
 寂しきご様子がうかがえる。誰かレレレッと掃除してやんなよ。こんな時にこそ、人の心があらわれってるもんだぜ。

<感想>
 兼好法師の時代にゃ、身分によるしばりが確実に存在したのであろう。花園上皇に同情いたしましたんでボランティアで、お庭の掃除にあがりました。なんて事は絶対に許されなかったんだろう。掃除は掃除をする身分の者でなければ、けしてしてはいけない行為だったのだ。というか、その当時の人達はみんな、そう思い込んでいた。
 ま。それはともかく、花園上皇の御退位は1318年2月26日。この時の兼好の推定年齢は36歳なのだ。定説の、兼好は「徒然草」を、37歳までに、序段から32段までを書いたと言う説は、かなり確信をついてると言えよう。
 37歳か。俺も今年で36だ。
 それは、またもやともかくとして、意訳はともかく、本文の文章は少しブルー入ってる。
 なんか、嫌な事でもあったのかなという文章だ。










原作 兼好法師

現代語訳 protozoa

参考図書
「徒然草」吉澤貞人  中道館
「絵本徒然草」橋本治  河出書房新書
「新訂 徒然草」西尾 実・安良岡康作校注 岩波文庫
「徒然草 全訳注」三木紀人 講談社学術文庫


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