墨汁日記

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徒然草 第八十二段

2005-10-11 20:50:00 | 徒然草
 「羅の表紙は、疾く損ずるがわびしき」と人の言いしに、頓阿が、「羅は上下はつれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりして覚えしか。一部とある草紙などの、同じやうにもあらぬを見にくしといへど、弘融僧都が、「物を必ず一具に調へんとするは、つたなき者のする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。
 「すべて、何も皆、事のととのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏造らるるにも、必ず、造り果てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。先賢の作れる内外の文にも、章段の欠けたる事のみこそ侍れ。

<口語訳>
 「羅(→うす布)の表紙は、早く痛むのがわびしい」と人が言ったのに、頓阿が、「羅は上下ほつれ、螺鈿の軸(→貝細工の巻物の軸)は貝落ちてから後こそ、すばらしい」と申しましたのこそ、心勝ると覚えました。全巻と成る草子などが、同じ様にはないのを見にくいと言えど、弘融僧都が、「物を必ず一そろえに整えようとするのは、つたなき者のする事だ。不ぞろいなるこそよかろう」と言ったのも、すばらしく覚えたのだ。
 「すべて、何も皆、事の整ったのは、悪い事だ。し残したのをそのまま打ち置いたのは、面白く、生き延びるわざである。内裏造られるにも、必ず、作り果てぬ所を残すものだ」と、或人申しましたです。先賢の作った内外の本にでも、章段が欠けてる事もあります。

<意訳>
「布でつくった本の表紙は、最初のうちはきれいなんだけど。すぐ痛むから、なんかさびしいよね」
 と人が語ったところ、頓阿が答えた。
「本は表紙の布の上下ほつれてから。螺鈿細工の巻物は軸の貝が落ちてから。その後から味が出る」
 なるほど。頓阿が一本とったなと感心した。
 全巻一揃えのはずの書物が、同じ体裁でないのはなんか嫌だよね、誰だってそう思うはずだけど、弘融僧都はこんなこと言った。
「おんなじものだからって、なにもかもみんな一揃えにそろえる事もないんじゃない。そんなのつまんないよ。不揃いだからこそ面白いんだ」
 ある人も言ってた。
「全てをなにもかも、整えてしまうのは悪い事である。やり残した箇所を残しておくのが、生き延びる技なのだ。内裏の工事の時も、必ず、やり残した所を残しておく」
 まぁ。先人の残した書物にも章段が欠けてる所とかもあるしな。

<感想>
 「頓阿」は、法師で歌人。兼好と頓阿は同じく「和歌四天王」だったが、兼好は四天王でもちと劣ると評価されていた。頓阿は実力、作品数ともに四天王でもトップクラスの売れっ子歌人だった。
 「弘融僧都」は弘融という名前の僧。歌も詠んだ。僧都とは寺での役職名で、かなり偉い。兼好の知人であったと思われる。だが、兼好ですらニヘラと笑うしかないような事を口走るキャラクターであったらしい。
 「或る人」は誰だかわからない。故事やしきたりに明るい貴族であろうと考えられる。名を出すのもはばかれるほどの偉い貴族であったのだろう。
 この三人の語った言葉を中心に82段は書かれている。全てが美意識に関係した発言である。
 ある意味、これは、鎌倉時代を代表する知識人の「美意識」を書き残している重要な文章なのだ。
 そう思って読むと、頓阿以外は現代の美を創造する人達並、あるいは、それ以上の美意識を持っているように読める。
 頓阿の言う事は簡単だ。タバコを吸いはじめた少年が「使い込んだジッポーの方がすごいんだぜ」と言ってるのに等しい。
 或る人の言う事はなかなか尊い。こんな事を言える建築家は現代でもあまりいない。
 弘融僧都は馬鹿か阿呆だ。ひとそろいのはずの書物がそれぞれ個性を持っていても人が惑うだけだ。ドラゴンボールやドラえもんが各巻ごとに自由なデザインしてたら、本棚に並んだ時になにがなんだかわからなくなるだろう。

原作 兼好法師 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
学校で古典の勉強をしていて調べていたら (Iori)
2008-12-17 22:44:42
学校で古典の勉強をしていて調べていたら
このページに辿りつきました( 。・∀・)ゞ
意訳で内容がわかりやすく説明してあり、とてもよく理解できました!
ありがとうございます><*
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[E:sun]こちらこそありがとうございます! (protozoa)
2009-02-10 09:48:36
[E:sun]こちらこそありがとうございます!
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